無銘刀

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Nomal 8月の読書余論<その11> /武道通信 編集部 (18/08/25(Sat) 07:56) #1613


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■1613 / 親階層)  8月の読書余論<その11>
□投稿者/ 武道通信 編集部 -(2018/08/25(Sat) 07:56:47)
    ▼大野晋ed.『本居宣長全集 第十巻』S51、初版S43
     くさかんむりのことはサウカウという。
     蛙全般を グク という。

     小さいことも スクナシ という。
     出雲と、紀国国と、共通のことが多い。
     常陸には昔から大洗磯があった。

     常世國は、海を渡って徃く國のすべて。日本は島国だから、外国はすべて常世國だ(p.10)。

     ソホド は、案山子かもしれない。
     鳴鏑神=カブラニナリマセルカミ

     和の字は、倭を後に写しまちがえたのである。書紀には和の字は使わなかった。

     竈はカマと読む。かまどのこと。釜はカマとは読まない。カナエ/マロガナエである。

     いにしえには「ひよし」などない。日吉と書いてあっても「ひえ」と読むのだ。住吉も、太古は「すみよし」とは読まない。かならず「すみのえ」と読んだ。

     場と書いて、ニハと読ませることあり。
     上代の家作は、材木の結合は縄葛を用いた。

     豊葦原のトヨは、その次の國にかかる祝辞。葦にはかかっていない。
     キギシ は雉。

     カコ は鹿の仔ではなく、鹿。馬をコマ、いのししをヰノコと呼んだのも同じ。
     カコユミは、大きな弓のこと。カコヤも同じ。
     鏃のことはヤサキと言った。マカコノヤサキとは、鹿の角材からこしらえた鏃なのである。

     はたばり=幅を略して「はば」と言った。
     古代人は、魚鳥によく、なになにメという名をつけた。これは雌のことを意味しない。

     古事記には「和平」も「平和」も出てくる。
     死ぬことは、まがまがしいことなので、マガルという。

     ※下界から天上へ矢を射掛けたというのは、ニューギニア式の樹上ハウスを射撃したのだろう。

     鼓吹とあるのは横笛のことではない。角笛である。
     身体つきも「カホ」だった。

     信濃の木曽のあたりは、いにしえは、美濃に属していた。
     棚機と書いて、タナバタ。はたおりマシーンは、材木を棚状に組んでいたので棚という字を使う(p.83)。

     あるひといわく。剣の総名を「尾張」というのだと。諸刃。先端の鋒を「ヲ」という。そこがふくらんでいたからだと。

     剣のするどいことを「はしる」と言った。
     刀で撃つことを「かく」と言った。

     熊野の諸手船とは何か。天の鳥船とは何か。
     ※アウトリガー艇のことじゃね?

     手を高く伸ばして物を持つことを「さす」という。
     しなののくに の語源は、繊維を得られた植物の「シナ」の木からだろう。地名にも、保科、仁科、蓼科、更級などが多い。

     「すでに」には「ことごとく」の意味がある。 ex.皆既日食。

     水戸は、「ミナト」と読んでいた。
     燧臼、燧杵。ひきりうす と ひきりぎね。火は「切る」ものだった。
     キル は キシル と同じ。摩擦によって発火させる。
     後に「きりをもむ」という表現も。

     膳夫は、カシハデ と読む。
     海藻には、にぎめ、あらめ、ひろめ がある。昆布はヒロメ。

     まないた の語源の まな は魚のこと。「な」だけだと、魚と野菜の両方を意味する。しかし、食料としては魚の方が上なので「真」をつけてもちあげた。

     猿田彦は、古事記では「さるたびこのかみ」。
     神の みたま はオムニプレゼンスである。たとい千分割したとしても、減ることはなく、ここでもあそこでもいずこでも、ことごとく備わり、その用が欠けることはないのだ(p.159)。

     釧とは、臂のあたりに巻きつけた多数の小さい鈴。
     宣長は、半島を【けものへんに百】と書いて「こま」と呼び、大陸を唐と書いて「もろこし」と呼ぶ。

     ※日向には、ウキジマ と ソ の2種の土着民族が居て、その両グループを道案内にしたのではないか。

     宣長の聞いた話では、霧島に登山すると、ときどき噴煙で闇のようになり、その煙のために死ぬ人もいる。

     佐伯氏は、垂仁期に、大伴から分かれた。
     ※弓矢は支配者が持ち、靫[ゆげ]は被支配民が負うて随行したのか。

     なかまるこ氏も大伴から出た。

     九州の地名のカラクニは韓国ではない。火山礫の地面ゆえに不毛の土地、空の国という意味なのだ(p.199)。

     メノカガヤク → マカガヤク → マカガ → マガ。よって まがたま とは曲がった宝石の意味ではない。
     ※宣長は、大きな野獣の牙には、他の動物をじっさいに怖がらせる力があることを知らなかった。だから曲がった宝石などに何の価値があるのか、と書いている。牙の形を模していることに、意味があったのだ。

     古事記でも段落の頭に「故[カレ]」という字を、特に意味もなく、軽く置くことがある(p.207)。

     50人をイヒトという。40人をヨソヒトという。20人をハタヒトという。

     あるひといわく。脇差は古代には6〜7寸で、外からは見えないように懐中し、護身用の守刀としていた。東山殿のころから、下人がこれを顕して腰に差すようになったのである、と(p.213)。

     ニヘ は ニヒアヘ が短縮されたもの。
     志摩 は地域としてもともと伊勢国の一部。島が多いため、そのまま国名になった。

     食卓を つくゑ と言った。
     唐の高宗も「天皇」号を唱えたことがあるが、後に続かなかった。

     勇猛であることを「はやし」とも「とし」とも言った。ハヤトには勇猛の意味がある。

     上古には、薩摩までも日向ノ國だった。
     越ノ国の立山は、上古には タチヤマ と言った。

     古事記にある「得物矢」を「サツヤ」と読んだのは賀茂真淵。
     薩摩の さつ も、そこに住んでいた 幸取彦 たちにちなむのだ。

     海幸彦と山幸彦のどちらが先に交換をもちかけたかは、記と紀で一致しない。※新来の山民族が土着の海民族の不興を買って、ぎゃくに平らげた歴史だと考えると、弟から乞うたとする古事記が最も合う。ところが宣長はそれでは不満らしい。兄から乞うたことにした方が整合すると主張している。それだったら古事記教信者じゃなくて異端だよね。

     「龍宮」というのは仏教の用語である。「水神宮」はシナ文献に出る。日本では、ワタツミノカミノミヤ。

     井上という地名は、もともとは ゐのべ。井のほとり。
     海獣の皮を敷くものも「畳」であった。皮畳。

     古事記の今夜[コヨヒ]は、昨晩のことを言う。

     喉のことは ノミト と言った。
     海の神はみな、まことの形は、魚なのである。人にまじわるとき、仮に人の形になるだけ。

     神代15之巻に出る「あかだま」。契沖は珊瑚のことかと考えた。宣長いわく、ただの赤玉だと。※アクエリアスの Aqua でしょうね。

     高千穂とは、霧島山のことである(p.287)。
     祖父・祖母のことは「オヂ」「オバ」と発音する。父母のきょうだいのことは「ヲヂ」「ヲバ」と発音した。

     寛政3年に宣長いわく。なんでも理屈っぽければ正しいといえるか? 西洋人は、地球が丸く、しかも虚空に浮かんでいることをつきとめたではないか。古代の漢人の宇宙理解は間違っていたのである(p.298)。

     御宇 は、名詞ではない。統治なさる という意味の連体語で、かならず、それが係る体言がある。つまり ××天皇の御宇 という言い方は間違いである。××天皇の御宇の時 とまで言わねばならない(p.319)。

     宣長の時代、奈良人は京都方向を「シモ」と呼び、京都に行くことを「クダル」と言っている。

     宣長いわく、現在、快晴の空のことを「青雲」という。雲がないのに。
     夢のことは イメ と言った。

     サジフツノカミ のサジは何なのか、宣長は見当がつかない(p.351)。※アングロサクソンのSAX=剣 だったと分かれば矛盾は無い。出雲まではアーリア語が入っているのだ。インド海民とともに。そもそも筑摩版編者の大野晋は古代インド言語には詳しいはずなのに、どうして古事記の各所に頻出する「さひ」がインドの刀剣の意味に通じていることを適宜に補説してやらないのか。宣長は「さひ」の解明にも苦しんでいるではないか。

     古代、刀を振ることを フク と言った(p.354)。
     吉野 は、えしぬ と言った。

     もうしこす という言い方は、申し起こす を縮めたものなのだ。ところが誰かがこれに 申し越すという漢字を当てたものだから、げんざい、人々の誤用が甚だしい(p.358)。

     「オレ」は、古代には、他人をいやしめて呼称したものだった。それが今日では、じぶんのことを指すようになった。

     前妻のことは コナミ という。後妻は ウハナリ。
     前夫は シタヲ。後夫は ウハヲ。
     日本書紀では、嫉妬 と書いて ウハナリネタミ と読ませている。

     ミツミツシ は久米の枕詞だが、目玉が大きかったことを表す。
     いしつつぃ =石刀。ツツィに槌の字を当てることも。

     女軍 メイクサ とは主力部隊ではない弱い部隊のこと。
     敵を驚かせるため、炭火に注水することがあった(p.400)。

     島つ鳥 は、鵜のこと。野つ鳥 は、雉のこと。庭つ鳥 は、鶏[カケ]。

     垂仁天皇の頃から、石上の神宝は物部氏が管掌する。
     書紀の欽明巻に「火箭[ヒノヤ]」が出る。

     畝傍山は古事記では「畝火」と書いている。ただし ビ と濁る。
     応神天皇は、うまれたときに腕に鞆[とも]のような肉があったので、おおとものわけのみこと と呼ばれたと。

     「某仁」という天皇の命名法は清和天皇(惟仁)から始まる。例外が4人ある。後鳥羽(尊成)、順徳(守成)、後二条(邦治)、後醐醍(尊治)。

     之大人[ノウシ]が縮まって、主(ヌシ)になった。
     すべて男女のマグハヒのことわりにたがえるを タハク という。

     鐔[つば]は、古くは ツミハ といい、このミがぬけて ツハ となり、後代にツバに変わった。

     闘鶏を「ツケ」という。
     口の反対が奥。また、後[シリ]ともいう。

     安那 アナ。この発音が不吉だというので、地名が「ヤスナ」に変えられたところがある。

     トマル は、もともとは トドマル。同音連続は省略されるのだ。
     鳥網は トナミ。

     続日本紀よりこなた、蘇我氏は見えない。これは石川と改名したからである。
     丹波は もとは タニハ だった。言い難いので音が転じた。

     孫のことは大昔は ヒコ と言った。

     以下、巻末の大野の解説。
     音韻学からしてトコヨは常世ではあり得るけれども、常夜では絶対にありえない。
     サルタビコ/サルメ の サ は稲のこと。それも、神に奉る稲。ルは 助詞の ノ と同じである。すなわち「神の稲の田の男」「神の稲の女」。奉納用の神田に奉仕する芸能人だったか。
     朝鮮語に、多いことを意味するヨロがあり、それに助数詞がついたのが「ヨロヅ(萬)」だろう。「宣し」は、「寄ろし」が語源である。
     つくゑ は、つきうゑ の約されたことばである。つきすゑ ではない。
     古代のアヲというのは今の灰色のこと。シロのようにハッキリとしていないことを強調した。緑とも青とも無関係であった。


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