無銘刀

HOME HELP 新規作成 新着記事 ツリー表示 スレッド表示 トピック表示 ファイル一覧 検索

■1597 / 親階層)  7月の読書余論 <その1>
□投稿者/ 武道通信編集部 -(2018/07/25(Wed) 06:43:19)

          ■読書余論 2018-7-25 配信号 / 兵頭 二十八 <その1>
             *文章量が多い為 分けて掲載

    ▼『千葉いまむかし』第20号 (H19-3pub.)
     鉄道聯隊は、日露戦争期に調達された軽便鉄道の材料を保管した。
     大2に、四街道から八街を経由して三里塚に至る53kmの軽便鉄道敷設演習あり。
     そのうち八街〜三里塚間は、県にプレゼントされ、県営鉄道になった。

     S4には、津田沼〜松戸の間に軽便鉄道が完成。京成電鉄が戦後にそれを引き継いだ。

     普通鉄道が重視されるようになったのは、シベリア出兵以後。

     鉄道聯隊は1隊しかなかった。全国から人が集まった。工兵の中の「鉄道兵」。

    ▼原乙未生『呂城外遊囘想記』S57-4
     自序の日付はS57-6-12(米寿の誕生日)。呂城は雅号。
     戦前戦後を通じ、四回、欧米に外遊した。

     大2に士官候補生として重砲兵に配属された。これは不満だった。
     下関の28榴は、217kgの砲弾を装填桿で押し込む。
     砲身命数は300発と考えられていたところ、じっさいには千数百発撃ってなんの異状もなし。

     むかしは重砲兵聯隊に、8馬曳きの38式15榴が含まれていた。のち、それは野戦砲兵に移管された。

     熱河作戦の最終局面で、4年式15榴×1(ホルト10tで牽引)が十数発射っただけでシナ兵を壊走させた。いらい、事変のたびに15榴が引っ張り出されるようになったのだ。

     S3-5、独英駐在員を命ぜられた。半年内地で準備してから郵船の『榛名丸』に。ズルツァー社の在日支配人のガスパー氏の賜暇帰国が同船。在欧1年半。帰路には米国を選ぶ。

     英国人は発音が拙いと思うと推察してくれぬ。米人は推察してくれる。

     多田礼吉大佐に同行してバロウ・イン・ファーネス工場を視察。
     S6-1時点では、ニューヨークでは、ソ連の外交官ビザは認められていなかった。

     禁酒法は、呑むのが禁止なのではなく、運ぶのが禁。
     港から出る遊覧船は、領海外で酒を供していた。

     2-21午後1時、サンフランシスコから『春洋丸』出航。ホノルルに27日朝に到着。

     S4-3-10、こんどは単独でスイスへ。
     日本は満州事変の後にボッシュ社から噴射ポンプの特許を導入し「ヂーゼル」機器会社を設立していた。

     独端国境のボーデン。そこにエリードリヒスハーフェン市あり。ツェッペリンの本拠地。

     原の数年後に三菱重工の大井上博士がザウラー社にやってきて、燃焼室の特許契約を結んだ。それが戦車用になる。

     スイスの徴兵。新兵77日、選抜された下士官はさらに35日、さらに選抜された見習士官は175日、将校として77日教育する。それ全部通すと2年である。次年度からは14日だけ召集する。予備役将校。これを2年勤めると中尉になる。

     ごく少数の常備現役将校がいる。
     チューリヒのエシャヴィス工場で、蒸気機関車には蒸気タービンは使えないのかと質問したら、鉄道は衝撃が多いので向かない、という答え。近年は電化かさもなくばヂーゼル。

     スイス人は外国人に親切で隠し事をしていないと感じた。

     スウェーデン。日本に縁故のある商社 Gaderius と Kjellberg あり。
     Ericsson の携帯用軍用小型電話機は、日本の軍用にも採用されている。
     同国は人口あたりの電話が世界最多。

     ノルウェーは耕作でも家作でもスウェーデンに劣る印象。不毛地が多いので、海に乗り出すしかなかったのだ。
     水の静かなること死せるが如し。

     当時、三越デパートでは、入り口で土足を脱がせていた。
     ホルム工場で、リュングストローム式のタービンの機関車が製造されていた。

     スウェーデンにも刺身があった。

     欧州での発見。歴史的に国境は何度も変わっているが、貫かれているのは「属地主義」であって、人はそれによっていちいち移住したりはしないのだ。

     アルザスの老人に訊いたら、独仏どっちも面倒で厭だと。忠誠心などどちらにも持たない。中立国になりたしと。

     都市美では、欧州一はブダペストと実感。
     ハンガリーはホルティ提督執政中、日本の皇族に王様になってもらおうと願ったが、承けてくれる皇族がいなかったと。

     小坂狷二。士官学校20期だったが病気で中隊。鉄道技師になり、日本でエスペラント語運動を先導した。S44-8-1没。

     スコダ社はもともとオーストリー帝国の会社だが、WWI敗戦後にチェコ領となり、墺国籍の戦車技師は活躍の場を失った。

     山下奉文はウィーン駐在武官であった。その次にまた独伊視察団(S16)でウィーンにやってきた。原はそれに同行している(技術班のリーダーとして)。

     シェーンブルン離宮の宝物館には、血染めのフェルディナント皇太子の軍服と弾痕の残る自動車が保存展示されていた。

     スコダは、外部から電纜で給電すれば短距離の陣地移動が自力でできる38cm榴弾砲(モーター自走砲)を完成していた。
     これは独の40cmベルタ砲に相応するものという。

     タトラは、4輪独立懸架トラック用の空冷エンジンを完成していた。「日本の予想戦場で使用する理想的の『エンジン』である」(p.37)。※ディーゼルとは書いてない。

     「英国の戦車用の標準型も既に空冷式に統一せられ、私の英国駐在の研究目的の一つでもある」(p.37)。※これもディーゼルではないだろう。

     後日、原は上司に頼んでタトラのトラックを参考輸入させた。

     ユンカースのエンジンのクランクは、チェコのPoldi Hutte製鋼会社製だった。ドイツはアルミ地金もチェコに専ら依存していた。

     ケムニッツ市の歯車機械専門のReinecker社。旧式の工作機械なのに、製品は神技と見えた。

     「我が陸軍の自動車第1号の4t自動貨車の原型はBenzのGaggnau貨車であると聞いていたので、……」(p.44)。

     S5-1-11に岡本清福とともにイタリーへ向かう。
     アンサルドの戦車工場は秘密主義で、三菱会社の紹介状では見学できなかった。

     トリノでは有末精三が、同地の陸軍大学校に在学中だった。その有末が電話でかけあってくれたおかげで、フィアット工場を見学できた。有末は現地の武官以上に有能だった。

     Pavesiの大車輪式トラクター。本社はミラノにあるが、フィアットもライセンス生産していた。

     フィアットの戦車はルノーFTを小型にしたようなものだが、エンジン出力は大である。「後日国軍にも2台購入した」(p.50)。

     ベルリエットの軍用トラック。6×6駆動。しかも後2輪もステアリングする。6トン、7トン、3トンなどバリエーションあり。ミシュランの特殊タイヤは銃弾で開いた孔を自動的に塞ぐ。

     イタリアは観光で食っているのに外人を騙そうとしてばかりで、親切でもない。この悪い気質を矯正しようとしているのがムッソリニなのだ。

     アムステルダム市に猶太区があり、ダイヤ研磨工場はそこにある。すべて家庭工業。

     クルップ工場はWWI後は全面民需に転換していた。老職工のための終身住宅街があり、セットルメントと称す。

     スコットランドでは森林のあちこちが伐採されたまま。WWI中に掩蓋材料として西部戦線に送った、その痕だった。

     グラスゴーでは失業者が物乞いしてくるので閉口。
     恐龍の棲むというNess湖も通った。

     マンチェスターはマージー河口から75km、1万5000トンの汽船が遡行できるように運河が掘られている。1894開鑿。水深28フィート以上確保。

     S3-12末に、技術駐在官の長持大佐、吉田少佐に随行して、スナイダー製の新型装甲自動車を見学した。ケグレスのゴム履帯を金属で補強したもの。

     シャンパーニュにはWWI前から酒蔵のトンネルが四通八達していた。独仏両軍とも、それを惜しんで手をつけなかったので、激戦地だったにもかかわらず、酒産業は復活した。住民被害も地下暮らしのおかげで軽微だった。

    <1>

削除キー/

前の記事(元になった記事) 次の記事(この記事の返信)
親記事 返信無し
 
上記関連ツリー

Nomal 7月の読書余論 <その1> / 武道通信編集部 (18/07/25(Wed) 06:43) #1597 ←Now

All 上記ツリーを一括表示 / 上記ツリーをトピック表示
 
上記の記事へ返信

Mode/  Pass/

HOME HELP 新規作成 新着記事 ツリー表示 スレッド表示 トピック表示 ファイル一覧 検索

- Child Tree -