無銘刀

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■1607 / 親階層)  8月の読書余論<その5>
□投稿者/ 武道通信 編集部 -(2018/08/25(Sat) 07:10:58)
    ▼『折口信夫全集 第五巻』S30-11
     肥人[クマビト]の額髪[ヌカガミ]結へる染木綿[シメユフ]の……
     九州の土人は額の髪を結んでいるのである。

     鳥狩[トカリ]する……
     時守りの打ち鳴[ナ]す鼓、数[ヨ]み見れば、……
     人言の讒[ヨコ]すを聞きて、……
     ウマイ=熟睡。

     相模は「サガム」と言った。
     朝鮮半島のことは「カラクニ」と言った。
     #3688 すめろぎの遠の御領土[ミカド]とからくにに渡る我が夫[セ]は……
      ※皇祖の時代から遠方の領地なのだとする。

     万葉集に見える、竹取物語の原型のひとつ。「タカトリ(竹取)のヲヂ(翁)」の話。三月のある日に丘に登ったら九人の天女に出会った。容貌を馬鹿にされたので、自分も若いときは大した者だったと反駁。

     #4063 常世[トコヨ]もの此橘のいや照りに、……
      ※ここでは、とこよは南洋か?

     最終番号は#4516である。ただし国歌大観の初版からすでに欠番の歌がある。たぶんそれは、捨てられたバリエーションだった。

     芳賀矢一の説明。万葉集は、歌作の時代をみると、仁徳天皇の代から、淳仁天皇の代まで。しかし上古の歌はすくなく、ほとんどは、欽明あたり以後からあつめられてできている。

    ▼『折口信夫全集 第三十巻』S32-3
     大正4年の京都人に多い顔。まる顔の下ぶくれで、色白、髪は濃い。
     東京人に多い顔。概して顔が長く、どこか荒々しく、苦味が走っている。

     平安時代から、坂東人は「あづま鴉」と称された。京都人の耳にはその言語が分からないので。塔の上にゐる鳩になぞらえられたこともある。

     今日「もさひき」という。モサとは田舎者のこと。それをだます「すっぱ」のことである。

     江戸なる地名は、アイヌ語で「食料となる水草を取る處」の意味(p.42)。
     太田道潅の城は、今の外務省付近。

     三好長慶の料理番がすすめた羹を、信長は水くさい〔塩気がたりない〕と言って怒った。料理番は、信長は田舎趣味だと笑った。
     ※とうぜん、発汗量と関係がある。発汗をともなう重労働をしなくてもよい都会人は、塩分補給の必要もない。

     『國歌大観』の初版は明治36年。そのとき折口は17歳だった。
     これ以後、歌が番号を持つ。これは大革新だった。個々の歌の、全体の中での位置取りが意識されるようになったから。

     いちいち経験しなくてはならないとすれば、人殺しも盗みもしなければ犯罪について理解ができないことになってしまう。
     しかしわれわれは小説があるおかげで、じっさいに人殺しをしなくても、その心理を知り得るのだ。だから、小説を読むべし(p.349)。

     女にとって、こういう男があればいいと考えていた理念が、光源氏だった。それゆえ複数の女とつきあっていることもプラスに見られていたとわかる。
     「思ひ隈なし」=ゆきとどいて考えてくれる人。これが大事だった。

     いろ好みとは、男が誰とでもセックスすることではない。「いろ」とは、立派な婦人のこと。このむとは、それを選別すること。立派な婦人だけを選び取る男が、すなわち、いい男だったのだ(p.354)。

     そのおおもとをたどると、隣村や他国の巫女を支配することで成就する、古代の権力者の政略婚姻観に発する。

     大正7年の寄稿。朝鮮人労働者が、出稼ぎの給与が悪すぎるのに怒って日本国内の各地で暴れたという噂をよく聞くようになった。
     折口があちこちの停車場で見かける彼らは、「散髪で日本の土方に似た風をしてゐる」。40歳以上の者には結髪もある。さういふ人にかぎって、たるんだ袴をはいて、大跨を擴げて、たちはだかつたりしてゐた。皆、上衣を脱ぐと腹帯をしてゐたが、すべて派手な曙染め。顔では日本人と区別がつかないのに、この異様な色の腹帯で、朝鮮の人だ、と知る事ができた(p.367)。

     交番の板はめに張り出してある、巡査募集の広告。同じ県内では募集をしないことが分かる。浦和では、東京府のが。小田原では、新潟県のが。東京では、神奈川県の巡査が募集されている。

     8月19日。鶯谷の踏み切りを越えて、國柱會館といふ、日蓮宗の會堂に「國展」という立て札。これは國柱會展覧會を略したものだというが、日蓮が見れば怒るはずだ。

     9月2日。国々の米騒動に、しんになつてあばれたのは、所謂○○○○の人たちだつた、と言ふ。※折口はいまの西成の近所で育ったのでこのテーマでは一家言がある。

     昭和9年の寄稿。
     日本人のあいだには古くから、夏が終わって秋がはじまらうとするそのゆき合ひの季節にお祭りをして、その年にじぶんたちの身にうけたすべてのけがれや罪咎を洗い流し、新しい生活にはいろうとする信仰があった。その「みそぎ」のために、瓜や人形をじぶんの形代として河に流した。

     正月の餅の意味。餅は人間の魂のシンボルだと、人々は信じた。




    ▼『折口信夫全集 第十六巻』S31-7
     毒蛇のハブは、慶良間諸島のなかでも、渡嘉敷島と黒島にしかいないそうだ。
     喜界个島の老人の話。奄美大島はハブの名所。その大島から、炭俵などに這入ったまま、持ち込まれることはある。だが、喜界に来るとぐんにゃりして動きもならぬ、という。

     風水見のことを沖縄では「フーシーミ」という。

     S18の寄稿。
     若やぎの泉 の信仰。支那の不老不死泉とは独立に、わがくに古代にもひろく行き渡っていた。万葉集には「ヲチミヅ」と出る。
     ※全集を通覧して感じたが、折口氏は、インド=アーリア語もしくはラテン語が極東までやってきたという可能性を考えた節がまったくない。大正時代から昭和前期にはすでにその説はあった筈だが……。アクアが「閼伽水」になったように、ヲチ水の語源も、ウォーター=ワダ=ワタではないのか? 古代メソポタミアですでに「ワダール」と発音されていたのである。

     富士と浅間は、今はひとつの名前につながっているけれども、もともとは対抗関係にある二つの神ではなかったのか(p.453)。

     「そしる」は、もともとは神が耳打ちしたささやきで、神託宣のことだったろう(p.465)。


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