無銘刀

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■1608 / 親階層)  8月の読書余論<その6>
□投稿者/ 武道通信 編集部 -(2018/08/25(Sat) 07:24:20)
    折口信
    ▼『折口信夫全集 第二十巻』S31-2
     三河と遠江と信濃の国境の天竜川沿いの鉄炮猟師。
     弾丸の最後の1発は、かならず残しておく。それを撃ちきってしまえば、「しゃちが切れる」からタブーだと。
     別な地方では、鹿や猪の肉を「しゃちの身」という。
     このしゃちとは、山幸彦の「さち」なのだ。

     万葉集に「さつ矢」とあるのも同じ。
     獲物のパワーから、幸福ともイコールになった。

     S10寄稿。
     みこともち が短縮されて「みこと」になった。
     すめらみこともち が短縮されて、すめらみこと になった。

     昔の最初の神の命令をそのままに伝承する者は、昔の最初の神と同じく偉い。これがどんどん後世代あるいは下位者へおよぶ。
     この信仰が、ぎゃくに、武家社会に「下克上」気運をもたらしてしまった。
     主命を伝え宣べる者が、いつも主人と同資格で人々に接しているうちに、真の主人の存在を忘れてしまうのだ。

     つかさ は、村落の「よびよせ塚」の上に立って、人々を塚の下に集めたのが語源。

     まつる という行事は、以前の神との約束を果たしたその報告を、神に対してすること。

     新しく征服した土地から、武人が宮廷に召されて、その地方「國ぶり」の歌を奉った。
     これが平安末期になると、武官階級の歌人が御歌會初に「召人」として選定されて、召歌を奉る形になった。
     めしうど は 俘囚に通ずる。

     みこともち は、神の言葉をそのままに発するのであるから、人間が瞬間的に神になるようなもの。その詞章を変更することは、ゆゆしき禁忌。一部でも違うと、正反対の効果が襲い掛かると信じられた。
     よき伝承には、よい結果がついてくる。これがコトダマ。

     文字のないとき、先祖の系図を、長々と、子孫は暗誦した。これは一部分も間違えることはできなかった。なぜなら、嫡庶の分流、財産の権利などが、一つの確実な系図によって明徴されるのだから。

     服従を誓う者は、じぶんらの威力の源たる魂を献上する。それをうけた天皇は、健康を増し、寿命が長くなる。

     かつて一度でも宮廷が所在した場所は「やまと」と唱えられる。後代まで。

     竹内宿禰は何百歳も生きたのか? もちろん違う。同じ葛城氏が、数代にわたって、家長の名を竹内宿禰としたのだ。族長の資格と名分をそのようにして確保したのだ。
     氏族と神との関係は、唯一の名によって繋がれていたのだ。

     S10の寄稿。
     「かむながら」という語の意味がこのごろ、乱されている。
     ほんらいの意味は「神であってまた人である」こと。天子についてのみ、言われる形容なのだ。
     したがって「かむながらの道」なんていうものがあろうはずがない。
     もちろん、平民には関係がない。

     S26の寄稿。
     かむながら思ほしめす とは、おれの考へは即、神の考へである、という表現。人間としての自分が考えたんじゃない、と。

     神道を かむながらのみち だと言い出した戦前の連中は不勉強の極みだ。
     S6の寄稿。
     昔の日本人は、人間のたましひは、いつでも外からやってきて肉体に宿ると考へていた。
     古代人には「死」がわからなかった。
     「萎ふ」の語源は「しぬ」。しぬ とは、そもそも勢いがなくなって弱ることだったのだ。だから、いつでも復活があり得た。

     古語の「ふる」は、衝突して付着することを意味した。
     古代人は、外から来る魂を身体に付着させようとした。

     偉い人が部下に衣類を分け与える衣[きぬ]配りは、威霊ある魂を分け与える意味があった。

     たま は内在している。
     しかし、たましひ は、あくがれ出る。

     S26の寄稿。
     宝石やただの石を たま というのはなぜか。霊を包んでいるものも「たま」と呼んだのだ。

     いつ は天皇霊。
     酒のことを くす と言ったり くすり と言ったりする。それは奇魂であり、薬と同然だったのだ。

     霊魂は、一度分出すれば、二度と合体はしない。霊魂が戦争の威力を発揮するとき、荒魂が分離する。戦後になったら、その荒魂を鎮めておかなくてはならないわけ。

     威力ある霊魂は、いくら分離しても量は減らない。
     天子の身体には、諸氏族や諸国の魂が入っている。だからといって天皇のもともとの魂を減少させることはない。

     古代には人の死を確認する方法がなかった。だから、相当の期間、殯[もがり]をして、死体をワッチしているしかなかった。

     袖や布を振る。思ふ人に向かってそうすることで、その人の霊魂が招かれて寄り来る。その霊魂を捕えることができれば、その乞(こひ)は成就する。

     S7の寄稿。
     たまはかならずしも球に限らぬ。
     動物の牙や、円管のぶつぎり状の物体も、たま たり得る。
     しかし たま にも理念形はあった。すなわち球状。もっとも優れた「たま」とされた次第。

     たましひ は、人の頭に着くと考えた(p.224)。
     昔の人たちには、石が大きく成長して行くものであるという信仰があった。※南洋の自然現象だろう。

     大嘗祭では、先帝のなきがらと、次の天子とが、ひとつの「まどこおふすま」(シーツのようなもの)で覆われ、鎮魂術によって、魂を転移させる。

     人が旅をするとき、その人の寝室は、いじらないでおく。というのは、旅人の魂の一部は、家にもずっと残っているものと考えられた。旅人が家に戻ったとき、その魂はめでたくふたたび本体と合体する。ところが、枕や床を移動させると、残留魂が居所を失ってしまうと心配されたのだ。

     S18の寄稿。
     文章や詞章の精霊が ことだま である。それは単語には無い。
     となえごとをする者は、相手の霊魂を自由にすることができる。

     S27の講義。
     昔の神道では、身体から血を流すのは穢れであるとして忌まれた。
     だから有馬皇子は絞殺されねばならなかった。

     泉鏡花は、お化けについて若い頃から並々ならぬ関心を持ち続けた。
     平田篤胤も、お化けを重視した。民衆が信じているお化けのキャラクターの一部は、大昔の神だったにちがいないと、平田はするどくも見当をつけて、各地で話を採集したのだ。平田は単に文献を読み漁っただけでなくて、先進的なフィールド研究家でもあったわけ。

     すめろぎ は現天皇のことではなく、一代以上前の天皇を指した(p.357)。

     神道にはイデアの神はいない。すべて眼に見える(p.360)。
     「はれのあそび」は沖縄。巫女たちが裸で踊る神事(p.364)。
     あそび はすべて鎮魂の動作。

     大嘗祭や新嘗祭では、稲の魂が天子の身体に入る。
     学者の分類では、南洋ではこうした魂をManarと呼ぶ。

     をえる とは生殖器の亢進する状態。魂が遊離して抜けてしまったら、「をえ」をして復活させねばならない。「も」に籠もることによって。

     イカヅチのツチとは蛇のこと。剣の魂にもなっている。

     出雲の國造(神主)は死なないことになっている。先代の死体はひしねの池にこっそりと流してしまう。

     大9の寄稿。
     もがり は「かりのも」という意味。
     「我々は仮りに、日本の宮廷の御祖先は南の方から来られたといふ風に考へて居ますが、大體南の方の語にはさういふ語の形が多いのです」(p.373)。

     出雲では、いろいろな鳥が葬式に奉仕したと伝えられている(p.377)。

     多遅比 は武蔵に多い氏。熊谷丹治直実というのも、じつはコレ。おそらく、植物のイタドリのこと。
     昔の日本人の歯は、出っ歯であるのが綺麗な歯とされた(p.380)。

     わるい死に方をした人は怨霊が残るので、当人に死を自覚させるために、葬列=はふりの道行き が必要だったのではないか。そして、村には二度と戻れそうにないところに埋葬する。

     死んだという扱いではなしに葬るのが、神道式。

     S5の寄稿。
     ハイカラ とはいつから言われたか。国会開設当時、島田三郎や尾崎行雄が、高いカラーをつけて議会に出入りするさまが、いかにもキザだった。それを侮蔑する意味で用いられ始めた(p.390)。

     二人で火を吹くと烏になる、という迷信あり。

     ニニギノミコトは、天照皇大神の代理として地上に来た。使命は、統治ではない。土地にコメを作り、そのコメを天上に納めるために降臨された。そこで、実った現物について天上に報告する儀式が「まつりごと」。
     政事とは、田を治める行司だけを指す。

     全国あちこちの神社で、主神の次に、女神(○○の媛)が併祀されている場合が多い。これは、もともとその神社の最高位の巫女だった人が死に、ホンモノの神に昇華したと考えられる。

     「縣主」は、中央から地方に派遣された「みこともち」。地方にはすでに中央宮廷を模した「国造」が居るわけだが、頼朝が守護や地頭を送り込んだようなことを、すでに貴族時代からやっていたのだ。

     S4の寄稿。
     吉田神道は、日本紀を研究した仏家の知識を基礎とする。

     大神楽は、じつは、代神楽。
     日本語の「すめ」とか「すめら」は、非常に尊い、非常に神聖なという意義(p.424)。



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