無銘刀

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■1610 / 親階層)  8月の読書余論<その8>
□投稿者/ 武道通信 編集部 -(2018/08/25(Sat) 07:31:13)
    ▼『折口信夫全集 第三巻』S30-9
     蛇のことを「また」という。
     餅、握り飯、白い鳥は、すべて魂の象徴だった。

     壱岐の島で「おにや」というものは、古墳に違いない。

     助六の鉢巻は、神社芸術をやっていた職業集団の階級標識だった。
     平安朝以降、山伏は集団で旅するようになった。だから義経一行が逃亡しようとするときも、まず山伏に化けるのがとうぜんであった。

     徳川という所領は上州にあったが、それを失った徳阿彌父子が、流浪して、三河の山間の松平に入り婿となった。流浪中は、念仏聖で糊口をしのいでいただろう。徳川幕府が虚無僧に朱印を与えたのは、そんな過去があるからだ。

     「くぐつ」は岬に本拠があって、海道沿いに歩いた芸人団体だった。
     近世には、本拠は山奥に追いやられ、山伏化した。
     蜂須賀小六は、成功した山伏の代表。
     芸人団体が流浪中にうまくパトロン(たとえば豊臣秀吉)に出会えればよいが、そうでないときは、「すっぱ・らっぱ・すり」に転落した。「すり」は単独プレイヤーである。
     今はわからなくなっているが、当時は「すり」とよばれた旅人所持の道具があり、それが人々から恐れられていたのだろう。

     がんどう提灯の語源は、「強盗」。すりも強盗であり、ヤワなこそ泥などではなかった。
     ごまの灰は、高野聖の一種(p.33)。宗教の名をかりて悪事を働いた。

     なぜ桃の果実に威力があると大陸道教では信じられたか。それは女性の生殖器に似ていたから。同様、菖蒲の花(またはあやめ、シャガ、かきつばた)も女精のシンボルである(pp.58-9)。

     実のことを古代日本では「も」と言ったのだろう。
     秦の河勝は、伝説では、三輪川を流れ下った甕の中に入っていた子供だという。

     生きていてあちこちに移動した島だから「壱岐」と言うのだ(p.100)。
     S2時点では要塞地帯の指定があり、黒崎の唐人神の鼻にある「折れ柱」はもう見に行くこともできない。

     宮廷や皇族は、正月の松飾りをしない。
     神功皇后の鎮懐石。もともとは、石が産道の中にあって、天皇の出生の途を塞いでいたと考えられていた。神話文学はそこを婉曲に表現した。

     浄瑠璃は現世利益を語る。曾我物語。説教は、来世転生を語る。義経記。

     安政の大地震のとき、大阪湾に津波が起こり、木津川口に泊めてあった船は、半里以上も、狭い水路を押し上げられた。難波村の深里の加賀屋敷前まで、船が来たという。

     はげ八聯隊、横はげ四聯隊、という悪口があった。

     金田一京介いわく。折口をアイヌ語化すれば、るゑさん だと。浜の大道へ出る口の意味だと。る は道。ゑ は接頭語。さん は下って出る。

     出雲系の神は皆、水に関係する。すさのをやおほくにぬしの系統は、たいてい、水神。

     曾我物の劇に出てくる虎御前。もともとは、虎瞽女(とらごぜ)という盲いた女芸人が、鼓を打ちながら白拍子風に歌って歩いた物語が曾我物語なのだ。

     皇后を中宮とよぶのは、もともと「なかつすめらみこと」として天子と神との言葉とりもちをする巫女だったから。

     治める という語は、食す(をす)から出た(p.117)。
     大嘗祭が根本にある。新嘗祭は、代初めにおこなわれた大嘗祭の、翌年以降における年次反復にすぎない。

     月次祭は6月と12月にする。
     東歌や東舞は、大嘗祭には呼ばれない。当時、まだ大和政権の支配下になかったのだ。

     昔の宮殿の木材の「黒木」というのは、皮をむいて火に焼いた木のこと(p.218)。

     吉事をまつためのきよめが禊ぎ。悪事をきよめようとするのは祓へ。祓へは刑罰のような感覚であった。

     今から200年前、風呂場では成人男女は下帯着装のまま。もちろん、湯殿に入る前に、あたらしいのに交換してあるが。
     これは物忌みの発想からで、恥ずかしいからではない。

     河口恵海いわく。とうとうたらり はチベット語だと。折口いわく、それは笛の調子であろう。

     大昔、地上に立てた柱の上に座を設けた。これが「たな」。

     S9寄稿。
     壱岐は、九州の河童伝説の吹き溜まりであった。
     河童には「皿数え歌」がつきもの。ここから番町皿屋敷のような話もできた。

     巨人伝説。九州では大人彌五郎。中国で大太郎法師という。平家物語にはだいたら法師と出る。※長野市にはだいざ法師池がある。

     てくぐつ人形が略されて、でく人形。
     はますげ(莎)を「くぐ」という。その草で編んだ小箱の中に、小さい人形を収納して旅芸人が運んだのだろう。
     くぐっこ から くぐつ になったのだろう。

     物部氏が、大和の魂を持っていると考えられた。もの は たましい なのだ。
     諏訪明神が蛇体と考えられたのは平安末期以降。古くない。
     やしろ は なわばり であり、そこでは耕作もできない。

     折口は五人兄弟。もし次兄にすすめられなかったら、医者になっていただろう。家職なので。
     国学院在学中、四年間、朝鮮語を勉強した。平行して外国語学校の蒙古語科の夜学に通った。

     ふるい「さかき」の木は、南方の熱帯から移植された「肉桂たぶ」「たび」ではないか。




    ▼『折口信夫全集 第十五巻』S30-1
     S11寄稿。
     那覇の図書館の郷土室に、台湾の蕃族調査報告書が揃えられていた。

     沖縄語の形容詞が日本語とずいぶん違う。日本の形容詞活用が起る前に、日本と沖縄は交流の停滞に入ったか。

     沖縄では、近くの島を「はなり」と呼ぶ。
     宮古人は八重山人を、蝙蝠の子孫だという。八重山では宮古人を、黒犬の子孫だと。

     石垣島の宮良[みやら]には、赤また・黒またという怪物が出現する。
     方言で猫のことを「まや」という。これは常世の国でもあり、猫神のことでもある。
     ※今は絶滅したヤマネコ?

     八重山はしばしば大津波に襲われるため、古い文物があまり残されていない。村ごと海にさらわれたりするのだ。追い討ちをかけるように、マラリアが襲い、一村全滅したりする。

     壱岐では、あまのじゃくを「あまんしゃぐめ・あまんしゃぐま」という。疑いもなく、天探女が語源だ。
     燈臺鬼を天ノ邪鬼と書くのも宛て字で、ことばは日本のものだ。

     竹田は壱岐ではたつたと言ふ。
     崎と崎とにはさまれた、海浜の狭いところを、銚子ノ口という。

     宮廷では古く、小豆で手を洗う所作をした。もちろん洗うのではなく、旧冬の穢れを豆に移動させようというのだ。これが節分の風習の原義。

     江戸時代には江戸城内でも、節分に豆撒きと、年男の胴上げをした。
     運送屋は「鬼は内」という。大荷が来ますようにというまじない。

     十遍舎一九の「貧福蜻蛉返」。家に入ってきた鬼が天邪鬼だと気付いた男が、逆の願いばかりを頼み、ついに長者になる。

     北陸道から奥州海岸にかけての奇習。典型が秋田の「なまはぎ」。この鬼は、穢れを持ち去ってくれる。「ほとほと」と唱えるのは、戸を敲く音を声に出しているのである(p.150)。
     ※なまはげの面がどうみてもニューギニアなのを折口はどう解いたのかと気になっていたが、何も思った様子は無し。

     S7の寄稿。
     笛も、刀の鞘も、日本では、必ずまず二枚に割って加工し、それをひとつに貼り合わせ、それを藤などで巻き締める。しげ藤のしげは「みっしり巻く」の意味だろう。
     ウツギ材や竹を使えば、二つに割る必要はないのに、なぜわざわざそうするか。

     蒔絵の「まき」は、漆で封じ込めること。鞘や笛も、霊を封じ込めるという発想がある。

     わからないのが「ひるまき」の語源。蛭とは無関係ではないか。
     蛾のことを古代「ひひる」と言った。


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