無銘刀

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■1628 / 親記事)  朝鮮総連100億円「隠し財産」
□投稿者/ 加藤健 -(2018/10/04(Thu) 20:59:30)
    時価100億円の広大な土地(無抵当)に建つ朝鮮総連の幹部養成校
784×439 => 250×139

KoreaUniversity500.jpg
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■1626 / 親記事)  NO TITLE
□投稿者/ 9月期の読書余論<10> -(2018/09/25(Tue) 07:17:49)


    ▼石川淳ed.『日本文學全集 5森鴎外集』S38
     鴎外は役所からへとへとになって帰宅したあと、ランプを細くしていったん仮眠。12時に起きて2時まで執筆する(p.23)。
     しかし、夜の思想にはすこし当てにならぬところがある。

     バルザックは深夜1時から朝7時まで、口述筆記させていた。彼は午前8時から午後4時まで役所勤務する必要がないからそんなことができたのだ。

     鴎外の役所は16時にひける。取扱中の書類は非常持出の箪笥にしまって鍵をかける。
     これを書いているとき50歳前。しかし女への関心は薄く、ただ、未知の世界だけが自分を刺戟する。※真理に興味がなく、泰西新奇を解することを同胞文士にみせびらかせるのが快。
     葉巻を出して尻尾を噛み切り、頭の方を火鉢の佐倉に押し付けて燃やす。

     ニーチェは芸術の夕映え、と言った。老年になり、死が近づくと初めて、芸術が、若き日の記念のように親しく思えてくる。

     日本の豆打ちは、鎌倉より後のことだろう。※これを書いたのはM42。
     ローマにも似た風習があった。五月の真夜中に、黒豆を背後へ投げ、それによわって死霊を追い退ける祭。

     日本の自然主義文学が性欲のことばかり書いているのが自分にはどうにも解せない。
     ※ヰタ・セクスアリスはルソーの懺悔録の真似。

     子供の頃、田舎の城下には辻便所はなかった。だから誰でも道端でした。
     旧暦盂蘭盆のさかんな故郷であった。全員が頭巾で顔を隠すので武士の子も加わり得た。

     とうじ、少年ということばは、男色の受身役を意味していた。

     寄宿舎では小倉の袖を肩までたくしあげていないと惰弱だといわれる。鴎外は体力弱く、いじめられっこだった。クラウゼヴィッツが、弱国は受動的抵抗をせよと言っているように、陰で反抗した。

     大学予備門には鹿児島が少ない。佐賀と熊本。これが硬派。あとはことごとく軟派。

     「盲汁」(p.54)。※闇鍋のこと。
     炭に石油をぶっかけて火をおこす。

     西洋の寄宿舎では、自慰をさせないように両手は掛け布団の上に出して寝なければならない。

     欧語の術語を覚えるためには、じぶんでギリシャ語、ラテン語の語源を調べて注記すると楽である(p.64)。
     童貞のことを「生息子」という(p.72)。
     護身用の短刀のかわりに、2尺ばかりの鉄の烟管を拵えさせた。※この話は全体がフィクション仕立てなので注意。


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■1625 / 親記事)  NO TITLE
□投稿者/ 9月期の読書余論<9> -(2018/09/25(Tue) 07:13:48)

    ▼丹羽文雄『海戦(伏字復元版)』2000-8 中公文庫
     伏字の初出S17、復元版初出1997。
     重巡『鳥海』に乗って、S17-8-8夜のツラギ沖海戦を報道班員として体験する。もちろん艦名などは戦前は書けなかった。

     赤道を南へ4度の島でも、8月は「冬」であり、夜明けの冷気は内地の5月並。
     陸戦隊の艦上体操。内地ではみかけたことがない。

     基地の空襲警報は、空砲3連発による。
     艦内生活は、暑いのを除けば、陸上に比べて天国。とにかく清潔なので。
     軍艦内では佐官クラスでも食欲が私の2倍。

     吊り床は通路の天上から吊るが、部外者には寝られたものではない。
     通路のあちこちには下っ端水兵が寝ていた。枕元にいちいち「三直 ○○三水 四時起し」などと註がしてある。当番が起こしてまわる。

     居室のある士官の室内には煽風機がある。
     日の出になると、燈火戦闘管制もとへ となり、総員体操。

     魚雷を抱いた大編隊の中攻隊が戦闘機に護衛されて飛んでいくのが双眼鏡で見える。無声映画のように音がしない。

     ロッキード・ハドソンが1機、艦隊の前方にぴたりとついて輪を描きながら触接していた(p.59)。※なぜか活字は「接触」である。元からこうなのか?

     陸軍のラッパと違い、いかにも艦内だけに聞かせる戦闘ラッパは、細くて、よく通った。私は耳に綿をこめながら艦橋をかけ上った。

     夕食時、士官室で司令部つきの軍医大尉が、「視力恢復錠」を配る。ビタミンA。
     「除倦覚醒剤も、希望の方にはお分けします」(p.75)。

     戦闘前は燃えるものはできるだけ捨てる。機関長は、ライター用のガソリンの小壜まで海へ捨ててしまった。

     艦橋では、実戦の配置についてしまうと、もはや便所にも行けなくなる。立ったまま、任務のまま、やるしかない(p.83)。

     航海長。「百ノット出んかな」「そうしたら、しゅっとかわるからな」。※海軍ではやりすごすことを「かわる」という。しかし活字は「変わる」となっている。

     荒海で高速航行すると、重巡でもどこかにひびが入る(p.88)。

     砲術長のいるところは、測的所のもうひとつ上。
     士官用の浴室も、バスはふたつに分かれ、偉い将校用と、それほど偉くない者用を区別。戦闘モード下では、浴室内の鏡は撤去する(p.94)。

     夜間は信号旗の掲揚がないので、旗甲板は暇。
     丹羽は、S13に漢口攻略戦に従軍したことがある。

     雷跡は夜光虫が光って白くなって見えるという。
     青白い吊光弾は次から次に新しいのが光った。
     艦がぐいと左に曲がったとき、右舷から、シュッ、パチャンという音が続けて四回。魚雷発射だ。没入したあたりは夜光虫で白銀を撒いたよう。

     初弾命中、と司令塔でたれかが呶鳴った。
     旗甲板で砲戦中の重巡の主砲発射音を聞かされ続ける苦行。皮膚の感覚がひとつひとつ死んでいく。音圧が臓腑をかきみだす。寸時と間がない。

     僚艦からの高角砲弾は点線になって続いて、敵艦に届いていた。※25ミリMGと思われる。
     「機銃も加わった」(p.116)。※これは13ミリか。

     一時間もこの音響の汎濫の中に立っていたならば、私は狂人になるだろう。
     主砲が火をふくと、そのたびに艦橋はぐらりと揺れ、私はよろめいてしまう。
     上膊部の肉にめりこんだ弾片を、肉を指先でこじあけてつまみ出した。まだ熱かった。

     士官室は左舷になっていた。軍医大尉がアルコールを含ませたガーゼをくれた。頬を拭うと、赤みをおびた、どろどろした黄色だ。敵の着色弾だ。他に、緑色もある。

     敵の20サンチ砲弾の1発は作戦室の窓から窓へ素通り。1つは艦橋の隅で炸裂した。ちょうど自分はその間に立っていた。私は運命論者になった。

     ツラギからかなりはなれたところで、主砲に装填したままの1発を、射ってしまうことに。艦内拡声器で予告される。

     治療室では消毒する熱湯がたぎっているので、どこよりも熱い。軍医は上体裸。下帯ひとつの衛生士官たちもいた。

     衛生兵が、破傷風とガス壊疽の予防注射を、左右の腕にしてくれた。

     勝因のひとつ。敵の港口を哨戒していた艦が、探照灯をてらしもせず、味方の艦隊に砲声で警告するでもなく、そのまま180度転回して戻っていったこと。

     今夜の夜襲について、いい名前を考えようではないか、と砲術参謀が言った。ツラギ海峡夜戦、という案が出た。
     けっきょく大本営は、ソロモン沖海戦と命名した。

     「最後まで動かない砲があったが、電気装置をまっ先に叩かれてしまったのだろうね」(p.157)。

     煙突には、1尺大の穴がぽかんと空いていた。軍艦旗はずたずたに裂けて風になびいていた。
     重傷者が、帰港するまでに三人死んだ。出血多量のため。
     ある一室をのぞくと、線香が燃えていた。

     戦後の後日談。軍艦8隻がラバウルに戻ったとき、港の入り口で敵潜が雷撃し、いちばんうしろの駆逐艦が被雷していた。
     この海戦の頃は敵にレーダーがなかったので、助かった。

     以下、ラバウルの話。
     ラバウルの火山がS12に噴火して灰ほこりがひどいので、雨がありがたい。8月のラバウルは、内地の5月くらいに冷えることあり。

     ラバウル市街には、戦前からの支那町がある。満州・上海事変のときは、在住日本人の店頭や住宅に石を投げたり、追い出しをしたりして騒いだ。支那事変いらい、国民党クラブが何事か画策していたが、何もできなかった。

     椰子の水は、茶碗に二杯はある。このありがたさは、熱帯でないとわからない。
     茶色くなった椰子の実には、コプラだけがあり、水はない。青い実には、水が入っている。

     ここの島民の色の黒さは、南洋でも一番ではないか。しかも椰子のあぶらで磨いている。ガタイは大きい。
     S17-1-23に、当地の日本人は、シドニーへ連行された。二十何名かいた。

     ラバウルでは洗濯物は強く絞る必要はない。2時間で乾くから。

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■1624 / 親記事)  NO TITLE
□投稿者/ 9月期の読書余論<8> -(2018/09/25(Tue) 07:12:09)
    ▼『武田泰淳全集 第十二巻』S47
     ユーモアの中国語は幽黙。
     天の概念は殷代に無く周代に始まる。
     辰野隆によれば谷崎は東大の国文学科を半途で退き、文名をかちえるまで、貧乏生活を送っていたが、苦労から生じた卑しさが微塵も無かったと。
     南方伝来の仏典である『本生経』には、仏が出現するための三つの予告が記されている。
     中学の先生いわく。水滸伝は人物の欠点まで描いているから八犬伝より面白いのだと。
     私は学生時代、数回留置場に入りましたが……(p.121)。

     東条は「たしかに戦時中、あたかも自己が最強者であるとともに最善者であるが如くふるまい得た」「東条的支配力より、更に強力な民主国家の支配が出現して、彼を打ち負かさなかったならば、その当時の狂心的国民心理にとって、彼は依然として善そのものの如く存在し得た」(p.130)。

     人間の幽霊が無力だから、日本の庶民は、猫の化け物を発明して、猫に復讐を託した(p.131)。
     魏晋から唐末にかけての民話を集めた『太平広記』。人が豚や犬や牛に変身する。インドからこのような思想が伝来したのだ。
     社会が善悪を審判することを諦めたために、宇宙的動力によって何とかそれを解決しようとした。
     弱者が動物に生まれ変わったという説を流行らせることで、権力者を怯えさせようとした。

     S21春に鹿児島まで引き揚げてきた。
     S22に北大の文学部に就職が決まった。

     青森から連絡船にのり、函館で上陸すると、DDTの白粉を頭髪や服にふきかけられる。済むと、右手甲に紫インキでゴム印を捺される。
     戦中は、点呼のさいに在郷軍人の徽章をつけ忘れているとひどい目にあった。

     火力発電所に供給するための北海道炭の増産が、優先されていた。
     燃料不足で11月に入ると教室では指がかじかんだ。
     炭坑ではコメは十分だが副食が何もない。脂肪分を得るために、カラス、ネズミを狩猟することも。
     古い親分制度が活きている。
     軍需工場の入り口には、白鉄かぶとの日本人MP。1人は自動銃。1人は女性。

     死なう団は、宮城前広場や増上寺門前で割腹して生命を絶った(p.215)。

     酒田に入ったら本間を呼びすてにしない方がいい。余目[あまるめ]は反本間派の中心地であるから、そこに立ち寄ったことは口に出さぬ方がよろしい(p.229)。

     ある庄内人。1町2反を作って、収入が5万円。その四分の一は税金その他でなくなる。これでは縮小再生産になる。標準反収は3石7斗で、それ以下だと上等の百姓とは言われない。それでも苦しいが。

     この辺から警察予備隊に入った者は、だいぶ、逃げ帰ってきた。
     農地解放で土地をもらった百姓が、それをそろそろ売りに出しはじめている。
     雌豚はいちどに12匹を産めるものの、全部に授乳すれば母豚は痩せ細る。

     硫安肥料だけでは土が酸性化してしまう。中和するために石灰窒素の需要が高い。

     熔成燐肥は雨で流出しない。毛根が分泌する酸で溶け、吸収される。
     酒田市の商工会議所の楼上に、戦犯裁判の法廷が、名所としてそのまま保存されている。石原莞爾は数十分、証人としてそこにいた。大川周明はそこで講演したという。

     郭沫若は、蒋政権の圧迫をのがれて日本へ亡命し、抗日統一戦線が結成されるや日本から脱出した。

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■1623 / 親記事)  NO TITLE
□投稿者/ 9月期の読書余論<7> -(2018/09/25(Tue) 07:11:50)


    ▼篤胤平田半兵衛『日本先哲叢書 六 出定笑語』S11-10
     長井眞琴の解説。パーリの南伝によると、釈尊の滅後400年間は、仏教は口伝によった。
     波羅蜜のことを平田は波羅密と書くが、これは富永中基の『出定後語』に倣っている。間違いである。

     以下、本文。
     鼠をつらまえるに、足や尻っぽをこはごはにつらまへては、振返って喰附きもする所を、胴腹か首筋の所をぎゅっと強くひしぎつけると、喰附くことも、ひっかくことも出来ず、其中に目玉が飛出すやうなものでござる。

     註。今のインダス河を昔はシンドゥ(身毒)といい、それがインドの地名になった。インドゥには「月」の意味がある。それゆえ漢土では月氏國とも表記した。

     セイロンの今の風俗。『釆覧異言』によれば、人々は飯を喫はんとすれば、すなわち闇において密かに食ふ。人をして見せしめず。

     ヒマーラヤには雪の蔵の意味がある。
     麻耶夫人のマヤは「幻」と訳せる。

     シャカは19歳で出家したという説と29歳だったとする説あり。南伝では29歳。

     パンダカ=黄色。ここから黄門とも訳すが、これは去勢せる男なり。
     註。釈尊やその弟子たちは、数珠を手にせず。

     パーラーナシー。今のペレナス市。昔はカーシーといい、釈迦族の首都。波羅奈國。

     儒者は儒道の外を異端という。仏教では外道という。

     人の門に立って物貰って歩くことは古には無かったこと。仏法が渡ってから僧が物を貰ってあるくを、よるべなき者共がまねた。乞食の本家は坊主(p.146)。

     袈裟はカーザーヴァ、カーサーヤの音訳。その色は樺色に近い。
     末羅はマッラー。力士の部落だった。
     曹は、ともがら と読ませる。

     津の國の難波に、富永仲基という人。俗名は、道明寺吉右衛門。町人学者。三十代のとき(延享元年)に『出定後語』を著した。これを後代に宣長が再発見し、『玉勝間』で絶賛した。平田はそれを読んであわてて江戸中の書林をたずねまわったが、書名をさへに知った者がない。ついに京都の同門の本屋が見つけ出し、早飛脚でよこしてくれた。その後、版元が大坂にあったと知れた。

     小乗は、阿含部。その経の十のなかに三、四は、実に釈迦の口から出たままの文言がある。信ずるべし。
     大乗は、凡て全く後人が釈迦に託して偽り作ったもの。
     80歳で菌の毒にあたって死んだと、ありのままに記してあるのは小乗経典。
     小乗部に、四諦という。苦すなわち煩悩が集まったものを滅して菩提の道に入る。すなおに説いてある。これをもとに大乗ではさまざま捻り、なにか高妙なる由ありげに仕立ててある跡が明瞭である。
     小乗では四元〔素〕を言うだけだったのに、大乗ではそれに「空」その他を加えた。
     小乗では眼耳鼻舌身意の六識を言うだけだったのに、大乗部では7〜10識に水増しした。

     仲基はこれを、阿含部に漸々に「加上」して説を立てたものと見抜いた。
     阿含部を信ずる方でみずから陋しめて「小乗」と言うはずもない。あとから商売を始めた大乗が、先行権威をおとしめて名付けたのである。

     阿含経でさえ、弟子の迦葉・阿難よりもずっと後の人が記したもの。
     たとえば阿輪迦王(アソーカ王)は、釈迦入滅から100年あまりあとの人。この王のことが記してあるということは、そのアショカ王よりもさらに100年は後の成立だと知られる。

     大乗の諸経には、釈迦の語とて、「後五百歳」といふ語がたんと出る。まさに捏造者たちが、釈迦よりも500年後に位置していて、作りたてほやほやの法華経などを世間に売り込まんというので、「後五百歳弘宣流布」などと釈迦に託して挿入しているのだ。

     仏滅後、迦葉・阿難の輩が石室の内で結集。上座部。これが正統の阿含部。
     このメンツから漏れた曹数百人が、石室の外で結集したのが大衆部。
     その大衆部の徒の中から、仏滅の百年ばかり後、大天という者が異見を起こし、新義を別に立てる。すなわち、生死涅槃、皆是假名と。それが般若経の空假の旨である。大乗はここから後世に派生した。

     釈迦の入滅から400年ばかり後、上座部正統の大法師脇尊者が、正統阿含部を越えるものはないと、裁定を下している。空假の旨は釈迦の本義ではない、と。
     ここから、大乗部の中では般若経がいちばん古いということは確実である。
     般若の次に法華経が成った。般若の空も方便じゃとした。
     権(ごん)と実とに分類して、これまでのすべての経を併呑したのも法華経がはじまり。
     いらい、多くの人が、法華経がいちばん正しいのかと思い込まされていた。仲基は、初めてそのインチキを見破った。

     三蔵の目(名目)は、仏滅後に迦葉らが結集したときに起こったもの。ところが法華の経文中に三蔵学者とある。釈迦が説いた真経に、そんな単語が入るわけがないだろう。

     法華経の次に、華厳経が創作された。法華経までも方便じゃ、とした。
     無量義経は、法華経の一派が、華厳に遅れて製作した。
     大集経・涅槃経も、華厳の後から起こった。龍樹の大論にこの経のことが出てこない。つまり龍樹よりも後。

     続いて、頓部の契経。なかんずく楞迦経。それをヒントに達磨が説をなし、文字一切を排して禅家の鼻祖となる。
     そのきわまりにいたっては、乾屎【木へんに厥】[かんしけつ]=尻を拭く箆 を以て仏性を語る。

     釈迦は秘密の真理を南天竺の銕塔に蔵めていたのを竜樹菩薩が取り出したと吹聴したものが、大日経・金剛経・楞厳経の三部密教。もちろん龍樹より後の偽作。

     法華経は大部だが、かなめとするところは、方便品。
     ところがその方便品にも読者を説得する何の中味もない。薬のかわりに能書ばかりがある。かんじんの丸薬が法華経のどこにもない。

     法華経の第25を普門品といい、世間では観音経という。
     のろひごとや毒薬で害されようとしたなら、観音を念ずれば、その禍いは、逆に敵の身を損なうという。こんなのがどこが仏教じゃと、漢國の蘇東坡が批判したが尤もじゃ。

     観音経を念じたので首を斬られずに済んだという話は、仏祖統記が初出で、それをもとに唐代で説かれ、それを日本の謡曲が主馬判官盛久の話とし、それを日蓮宗徒が日蓮の話にした。日蓮自身はそんなことを書いてはいない(p.253)。

     左伝に、禍福は門なし、ただ人の招く所という。
     易に、積善の家には余慶あり、積不善の家には余殃ありと。つまり因果応報の思想がもともとあるのに、漢人はあとからやってきた仏教をありがたがったのである。

     わが國でむかし、臣の姓[かばね]の人を大臣に、連の姓の人を大連にした。ちょうど今の世の左右の大臣。

     俗に、釈迦に提婆、太子に守屋などという。「神道者、守屋重々理だといひ」という川柳あり。

     達磨が死んだのは、漢國の梁の武帝の大同元年。御国では、安閑天皇の2年。

     日本に渡った天台宗。漢國で、法華経の権実ということを宗旨とし、その説を龍樹の大智度論で補強したのを、桓武天皇の延暦24年に最澄が輸入した。だから伝教大師という。拠点は延暦寺。

     その前の東大寺は、華厳宗。
     唐招提寺はそれよりも早い。律宗。

     延暦寺に遅れて、真言密教の高野山。弘法大師。
     その次に禅宗が渡ってきた。じつは伝教大師が最初にもたらしているが、廃れてしまった。そこで栄西が輸入しなおした。
     ここから、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗など24派に分かれる。

     その次に流行したのが念仏宗=浄土宗。諡号は法然上人。
     これに次いだ親鸞は、夢の中で観世音に勧められて女犯の道に進んだと。一向宗。
     その次に日蓮宗が出た。今生には貧窮下賎の者と生れ、旃陀羅(チャンダーラ)の家より出でたりとも記す。吉田家の神道を習合した。
     わきまえた人は、日蓮宗は天台宗の虫食い、一向宗は浄土宗の虫食い、山伏は真言宗の虫食いじゃと申す(p.344)。

     真言がなぜ密教なのかというと、唱える陀羅尼が天竺語のままで、漢訳も和訳もされていない。だから唱える人にも意味がわからない。それで悟りが開けるのだという。
     ほとけ という日本語。これはブッダがフトとなり、それにケの字を添えた。ブダからホトケになった。ブッダとは、さとりである。さらに、さとった人の意味。

     今を去ること十二三年以前に、江戸遊所で、坊主をたんとお捕へなされて、ほうづきをからげたやうに、日本橋へ晒されたことがあったが(p.370)。

     今日、人が死ぬと僧が来て改める。これは行政として変死を吟味する必要があるため。


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