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Nomal 7月の読書余論 <その4> /武道通信編集部 (18/07/25(Wed) 07:07) #1601


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■1601 / 親階層)  7月の読書余論 <その4>
□投稿者/ 武道通信編集部 -(2018/07/25(Wed) 07:07:11)
    / 武道通信編集部 -(2018/07/25(Wed) 06:58:43)

    S6年時点でフォード社の製造企画部には平田という日本人が勤務していた。

     日系二世の市民権を停止する法案は、さすがに上院が葬った。
     二世は当初、ミネアポリスで軍の日本語学校の助教になった。
     終戦後、一世がキャンプから解放されたとき、息子のいるミネアポリスに集まった。それで一時は日系人が6000人もいた。

     S37時点では対日感情は良く、原は米国で厭な目に遭っていない。

     S4にツェッペリンが霞ヶ浦に来たとき、たしかにそこには飛行船用格納庫があったが、それはWWIの戦利品用でサイズが小さく、格納は無理だった。船長はそれを承知でわざわざ日本に立ち寄った。

     「戦車『エンジン』の『ヂーゼル』化と空冷とは私の念願であった」(p.139)。
     帰朝してさっそく、戦車用と牽引車用を試作。

     戦後に警視庁音楽隊を創設した山口常光は、戸山学校から軍楽研究のために派遣されて駐在していた。河辺正三の詩に彼が曲を付けたのが「ベルリン春秋」である。

     米国を二度訪れて驚いたのは、鉄道のおちぶれ方。かつての豪華・正確・殷賑の見る影もない。時刻は不正確だし本数は少なく、客車は汚く乗り心地は悪い。

     英国では、かつては民間会社同士の競争が好結果をもたらしていた。どこへ行くにも途中無停車。ロンドンからスコットランドへ行く急行などは、走りながら給水をしていたものだ。
     ところが英国では戦時中に鉄道を国有化し、それからサービスが劣悪になった。
           
                  

     フランスのTEEは良かった。

     Fritz Heigle 少佐は、諸元のわからない外国の戦車を写真を分析することで詳細に推定した『戦車手簿』という本を1926に刊行した。これは戦車の無いドイツの国防の参考書として書いたのに、ドイツ軍からは理解を得られなかった。グデリアンは後に評価し、1938年版に序文を寄せた。

     WWIのドイツ初号戦車A-7-Vを開発した主任技師はVollmer氏である。
     彼はS3時点でチェコから受注して「Danek KH50」を設計し、それはチェコで試作されていた。
     また彼はソ連からも設計を受注していた。原はその図面を見せられた。後で、これが「T28」になったと察した。28トン。同じ図面を使い、内緒でクルップも試製していた、とも信ずる。なぜなら、それがウュンスドルフの戦車学校の玄関前に飾ってあったから(p.151)。
     スウェーデンのボフォース社とランズクローナ社には、やはりドイツから兵器技師が入って戦車を試作しているとも教えてくれた。

     S36に西独に行ったら、山下視察団のとき中尉で案内してくれた人が大佐になっていて、挨拶された。

     R.M.Ogorkiwiez教授は英国で合成樹脂と金属の複合材料を研究しているが、余業として戦車を研究していた。
     日本人では、原より前に、三菱の林君〔磐男〕が、面識があった。

     巻末著者年譜より。
     M28-6-12、福岡県の岡垣町で生まれる。
     熊本幼年学校から、陸士27期。
     大4-12、砲兵少尉。
     大12-3時点で中尉。
     大14-8時点で大尉。
     大15、試製第一号戦車の設計に着手。S2-3に完成。
     S4-11からS6-3まで独英留学。
     S5-8-1、少佐。
     S9-8-1時点で中佐。
     S12-8-2、砲兵大佐。
     S14-3-9、歩兵大佐に転科。北支の戦車第八連隊長。
     S18-10-29、陸軍中将。
     S20-4-16、現役のまま、陸軍省軍需官。
     S20-8-6、広島で被弾。家族4人爆死。
     S20-8-26、復員。予備役。

    ▼『ベルツの日記』第一部・下巻 S27-1初版 S49repr.

     M33-1-1。
     八幡製鉄の和田氏のドイツ鉄道評。客車の便所が不潔すぎると。それは真実である。

     1-30。ベルツは斗酒なお辞せず。平気。
     2-8。南阿戦争の報道で英軍がいつも負けているので日本人は驚いているが、一貫して英国の味方だ。理由は、ロシアの脅威。

     3-5。ドイツ政府は、ブール人〔ボーア人〕のことはドイツには関係がない、と、調定の要請を蹴った。さんざん反英熱をあおっていたのに。

     3-23。東宮の体重が昨年の程度に回復しない。しかし伊藤侯や有栖川宮は、5月の成婚を強行させるつもりだ。今日では東宮は結婚前に他の女性に触れないことになったので。

     4-6。実子のエルヴィンをドイツへ送り出す。

     4-17。韓国がロシアと条約を結んだ模様。馬山浦港を扼している巨済島を他国に割譲できないことにした。

     4-18。外人教師の待遇が我慢できない低レベルに落ちてきたので、大学を辞職するむねを通告した。重要な問題の決定にもはや参画させてもらえないのだ。
     この時点で清国の公使館だけが、舞踏室をもっている。李鴻章が西洋心酔派なので。

     5-9。一昨日、伊藤の放言に驚いた。場所は有栖川邸。伊藤は皇太子に生まれるのは不運だと言い、操り人形を糸で躍らせる仕草をしてみせた。

     5-24。公使ライデン伯の休暇送別会。彼が帰任するかどうかはあやしい。心底、日本人を毛嫌いしていることを隠さないため、公使として不適なのである。膠州湾を奪ってすでに日本人を刺激しているドイツ政府が、どうしてこんな損な人事ばかりするのか。前任者も日本嫌いであった。

     5-26。毛利公爵家の先公未亡人の快気祝い。日本の宴会おきまりの、噺家と歌うたい。大勢の芸者も呼ばれていたのは意外。

     6-18。北清事変に際してドイツができることは何もない。ロシアの家来になりたくなければ、イギリスと日本に結びつくよりほかはないが、英国はドイツ国民から、日本はドイツ政府から、それぞれひどい扱いを受けている。鐘ヶ淵の株が2割以上下落した。綿製品の主販路が動乱の巷だから。

     7-6。ドイツが怒るのは当然だ。公使が北京外務省=総理衙門に出向いたところ、清国兵によって殺されたのだから。他国の公使は、呼ばれても行かなかったので助かった。欧州諸国は、嫉妬心から、日本軍に救援を頼むのを躊躇している。

     7-10。ロシアと争う場合には、日本がわれわれ〔ドイツ〕にとって無限の価値をもつことを、いったいいつになったら悟るのか。ドイツにあるのはロシア恐怖症だ。しかし日本人はロシアを恐れていない。ドイツ公使館のサキ通訳は、「われわれがロシアに対抗できることは、もはや清国でわかりました」と。

     7-14。外交上のつきあいでは、大臣とかその他の高官に招待された場合、翌日訪問してこれに答礼するのを慣例としている。ところがドイツ公使館は、両陛下がドイツの負傷者のもとへ名代を派遣されたのに、答礼せず、中禅寺で休養している。

     8-1。ヨーロッパより、二大悲報。イタリア王が暗殺された。またドイツ皇帝は、清国派遣軍の出発に際して「捕虜は無用だ、助命は不要だ!」と演説したという。われわれの敵すべての手に、われわれを亡ぼす武器を計画的ににぎらせたのだ。この報に接して精神が動揺し、仕事にかかることがほとんどできない。

     (途中まで。続きは次号。)


      ★編集部から
      電子書籍<bP〜47>(2006-7月〜2010-5月)につづき
      <48〜95>『読書余論 合本』として発売。
      価格は<bP〜47>同じ2800円。

     ご希望の御仁は、メールにて件名を「読書余論 合本 48〜95 注文」
     とし、ご注文くだされ。
     

    <4>7月の読書余論 完

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