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Nomal 8月の読書余論<その12> /武道通信 編集部 (18/08/25(Sat) 07:57) #1614


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■1614 / 親階層)  8月の読書余論<その12>
□投稿者/ 武道通信 編集部 -(2018/08/25(Sat) 07:57:52)
    ▼大野晋ed.『本居宣長全集 第九巻』S51、初版S43
     巻頭解題。
     古事記伝は宣長が没してから21年して、全冊の出版が完了した。
     宣長22歳のとき、商人の義兄が病死。その遺産400両を相続。その資本が年に1割〜1割5分の利息を生んだ。おかげで小児科医となる前に、京都留学ができた。
     京都で儒学をおそわった堀景山は、荻生徂徠と交渉があった。徂徠学の中心思想は、「言[コト]=事[コト]」。言葉を究めれば、事柄が明らかになると考える。
     宝暦17年に、賀茂真淵と運命の遭遇。33歳。師67歳。それまでは古今集や源氏物語が興味の中心だったが、古事記を解明してやろうと志す。
     明和元年から研究がスタートしたが、古事記冒頭の700文字を読解するのに3年半かかった。さらに次のパラグラフの註のためには4年半。
     明和8年には、古代の係り結びの法則を『紐鏡』にまとめた。
     古事記の最も古い写本は、「眞福寺本」。
     宣長いわく、天暦(950年前後)より以前の古書には、い/ゐ、え/ゑ、お/を の仮名が誤用されることがない。それはすなわち人々の口頭の発音に区別があったからだと。
     奈良時代には母音が8種、区別されていた。上代特殊かなづかい。これは明治時代に確定したが、宣長はその発見の端緒に到達していた。
     国学が徂徠学から出たと言われることは事実なのだがくやしいので、宣長は『直毘霊』で儒学を徹底攻撃した。智ふかく、人をなつけ、國を奪ったものが漢國の聖人である。聖人の道など儒者のさえずりごとである。
     大野いわく、モノには時間的展開の要素がない。コトは、時間的に展開するできごと、行為を意味する。そして できごとは、しぜんになりゆくものであると日本人は考えてきた。だとすれば古事記の内容を疑ってはならない。
     これに対して津田左右吉は、人の行為には意図目的があり、記紀のような文書事業にも政治的な意図(天皇家の統治権力が正統であると示す)があったと考える。宣長にはこの視点は絶無である。
     宣長の時代には、比較神話学は微塵も無かった。これも時代の限界。
     大野は、編集方針として、補足はしない。明白に誤りといえるところだけを注記する。補足には、かぎりがないからである。

     以下、本文。
     そもそも「意[ココロ]と事[コト]と言[コトバ]とは、みな相称[かな]えるもの。それなのに『書紀』は、後代の意をもって上代の事を記し、漢國の言をもって皇國の意を記しているから、あひかなはざることが多いのである(p.6)。

     そもそも『日本書紀』という題号が気にくわぬ。漢國は、国名が次々に変わるから、漢書とか晋書とかの命名をせねばわからぬ。しかし日本国はむかしからずっと日本国で、これからもずっと変わりはしない。並ぶものがないのに、どうして国名を記す必要がある。それは漢國にへつらう意味しかないではないか。

     人の智[サトリ]は限りのありて、実[マコト]の理は、得はかりしるものにあらざれば……(p.9)。

     天命とか天心とか天意とか、ぜんぶ漢ごころ。わがくにのいにしへには無いのである。

     またいにしへの天皇が将軍に斧鉞など賜ったりはしない。日本では矛剣[ほこたち]を賜うものである。古事記はその点でも潤色が無い。

     仮名/仮字 とは。もともと「かりな」と言ったのが縮んで「かな」になった。「な」は「字」ということ。

     あしびき は、昔は あしひき と言っていた。
     用の字は、呉音はユウ。漢音はヨウ。

     然而は「シカシテ」と読むのが正式。「シカウシテ」は漢籍を読むのに音便のウが添えられたもので、いわば俗言だ(p.46)。

     カムナガラと神道を結びつけて解説したのは書紀(p.50)。
     道のことは太古は「チ」と言った。そこに「御」がついて「ミチ」。

     漢國に道というものがあるのだから日本にもあるべきだという発想は、たとえるなら、猿どもの人を見て、毛なきぞとわらふを、人の恥じて、おのれも毛はある物をといひて、こまかなるをしひて求め出でて見せて、あらそふが如し。毛はなきが貴きをえしらぬ、痴れ者なり(p.52)。

     もしも天に理とか心があるのなら、どうして始皇帝みたいな悪人に、暫くにても國をあたえるものか。何が天命だ(p.54)。

     人欲もすなわち天理ならずや。
     さだめのきびしきは、すなわち法を犯す者の多きがゆゑぞかし。
     日本の古代にも同母の男女のまぐわひは禁忌である。異母なら江戸時代の今でも忌まない。

     ひこ/ひめ に彦・姫の字をあてたのは書紀であって、古事記ではない。

     「いも(妹)」の意味は現代とは違う。他人同士・きょうだい・夫婦のどの場合でも、男から見て女のことは「いも」と言うたのだ。
     もし、姉と妹が並んでいた場合、姉から見た妹は「おと(弟)」と呼ばれた。
     姉と弟が並んでいた場合、弟から見た姉もやはり「いも(妹)」と呼ばれた。

     男女にかかわらず、2名を比べて年長者を「え(兄)」という。年長でしかも男性の場合は「せ」という。

     あもり は、天降(あまおり)の縮まったもの。
     峡谷を カヒ という。

     神道が数字の8を貴ぶということはない。たとえば ヤヒロ は イヤヒロ が縮まったものにすぎない。

     中心の柱を江戸時代には大黒柱と呼んでいるが、これは漢籍の「大極」が意識されたのだろう。

     水蛭子は「ヒルゴ」と濁って読む。※細胞分裂が始まってじきに流産してしまえば、まさに人体というよりは蛭の形である。女の初産では、これは普通にあり得る。二度目から、万全になるのだ。宣長は小児科医だったが産科の知識はなかったのか。

     姉妹を並べたとき、姉は「えひめ」、妹は「おとひめ」である。

     書紀は、韓国のことを「むかつくに(向津國)」と書く。
     船が停泊することを「はつる」という。
     弓は みとらし、太刀は、みはかし。

     わがそでに あられたばしる……は、万葉に出てくる。
     弓の弦は、「つら」という。草の蔓で製作していたらしい。かづら と通じる。手綱のことは、くつわづら。

     古代には、たたかひ を 「いくさ」とは呼ばない。

     なぜ千人といわずに千頭[チカシラ]なのか? ※柱の上に安置してのニューギニア式鳥葬だから。サレコウベだけよく残るのだろう。

     チ(道)がわかれるから、チマタ。

     みずこり の こり は「(川降)カハオリ」が縮まったもの。
     道祖神の祖は 漢國では旅の神の意味。

     弓を射るときに左腕につける小手。これを上代では「たまき」といい、弓を射ないときにも着装していた。

     江戸時代、犬猫の首に結う紐を「くびたま」という(p.288)。
     田を植える技をすべて「さ」という。それをする月を「さつき」という。

     鞆に弓弦が当たる音は増幅されるような仕掛けがあった。

     井は、井戸に限定されない。泉だろうが川だろうが、飲用水を汲む場所は「井」なのである(p.318)。

     武蔵は、太古は「ムザシ」と言った(p.329)。
     茨城は、ウバラキ。

     地方の支配者が世襲になっているのは封建制。中央から次々と派遣されるのは、郡県制。

     古代の日本語で、語頭が濁ることはない(p.349)。
     日本の占いは、鹿の肩甲骨を焼く方法のみ。ところが漢文の知識で、あちらでは亀卜をすると知ったインテリは、つい書紀にもそのように書かざるを得なかった。じっさいには鹿骨である。

     名詞のササ(笹)の語源は、枝をふりまわしたときに鳴る「サァサァ」という音であることは、証拠がある(p.374)。

     ツルギは、正しくはツルギノタチなのだが、うしろが略された。
     『書紀』は寸斬と書いて「ツダツダニキル」と読ませている(p.404)。
     書紀は、匕首と書いて「カタナ」と読ませる。語源は、カタバ か カタナギ だろう。

     ワニが四足であることは『和名抄』で解説されている。
     がまのほわた ではない。「カマ」である。語頭がにごることはない。

     キサカタという地名はキサガヒという貝が採れるから。今の赤貝である。

     柱と柱のあいだを「ま(間)」と言った(p.454)。
     古代の戸は、引き戸ではなく、開き戸。だから開閉時に音がする。

     かわせみのことは、「ソニ」と言った。これが訛ってショウビンになったり「セミ」になったりした。

     以下、巻末の編者補注。
     カタカナは800年代初めに成立した。奈良の僧たちがつくった。
     ひらがなは弘法大師の時代よりずっと遅いことは確実。というのは弘法大師の時代には49音が区別されていたのに、いろは歌は47音しかないから。

     平安朝の初期よりも前の漢文訓読をどうしていたかは、誰にもまったく分からない。

     憶良や旅人は老人だったから、彼らは大昔の発音の体系を維持していた。
     二つ揃っていることで日本人は完全なものとみなした。

     床岩(トコイハ)がトキワになった。

     おのごろじま の慮の字を盧と書写してあったら、それは室町以降のものである。価値は低い。

     タニという日本語があるところに朝鮮語のコルが入って来て、合成されて「クラタニ」になった。
     朝鮮語で矢のことをsalという。日本語ではヤという。これが複合して、サツヤになった。

     オホヒルメの「ル」は助詞の「の」と同じである。
    平安時代まで「ユキ」だった靫。それ以後ユギと濁る。


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