■部分的な“外部”
|
借景 庭づくり術 説明するまでもないが 内なる庭の光景に 外なる遠景を採り入れることをいう 岡本太郎が絶賛した
西洋/支那 家・庭は「四囲式」で壁をめぐらす 日ノ本の庭 借景によって心理的な拡張をおこなう さて 借景の思想と本歌取りと床の間の関連だ
【松岡 → 「本歌取り」という方法を思い出してもらいたい。 これは古今や新古今以降の八代集でいちじるしく発達したもので、 新しい歌に積極的に元歌を採り入れていくことをいう。 引用といえばたしかに引用だが、単なる引用ではなくて意味を重畳{じゅうじょう}する。しかも本歌としての元歌はその一部だけを響かせるのであって、 それが短いものであればあるほど面白がられた。 この「本歌取り」は、 もともと日本の和歌が、“縁語”と呼ばれる何百種類もの歌語によって張り巡らされてることにもつながっていて、日本の独自の言語感覚を育んだ。 さらにもう一つ例を出す。それは「床の間」だ。 書院とともに確立した床の間は考えてみれば奇妙なものだ。そこは四季折々に、また客次第によって、必ず掛け物や花や花器を変えるところである。あんな小さなところにも、まことに千差万別の季節や好みの変化をつくれた。 ヨーロッパの中世や近代の城館や住宅家屋では、周知のように絵画や写真やタスピストリーが掛け変えられるということは、めったにおこらない。 一定の壁に一定の絵がずっと掛けられるのが普通である。それなのに日本の床の間は可変的なのである。可変的だけでなく、そこはいわば部分的な“外部”なのである。】
おわかりか 国土の狭さを<負>とせず<勝>とする 拙者 己の<負>を<勝>としてきた---- とは云えぬか(笑)
2025/03/26(水)  |
|