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田母神航空幕僚長騒動に、ひとこと


 田母神航空幕僚長論文騒動も、ひと段落したやうなので、ひとこと。
 さう、<前>航空幕僚長であった。

 讀者から何かひとこと、とのメールが寄せられたからだ。
 それまでは、どうのこうの話す気にもなれなかつた。
 掲載された雑誌、ある御仁から以前に知らされてゐ
た。論文掲載号も読ませていただくことになっていたが、ネットで紹介されていたから読んだ。

 實は拙者も聞いてみたかつたのだ。
 市箇谷のバルコンーで「武とはな、刀なんだ!」と叫んだ憂國の士に。拙著に登場した、淺田又左衞門さんに。

 憂國の士は、こう云ふだらうか。
 「三十七年前に入隊した、おぬし、あのとき、あの日、どこにゐた」
 「さうか、防衞大三年生か。學長は豬木正道先生だつた な。翌年、入隊か」「武とは何だと思ふ」

 淺田又左衞門大輔は、こうふだらうか。
 「なぬ、自衞權もない法のもとにあるのか。いまの日の本 は。いくさは見物してをればよい町人ばかりの國になつて ゐるのか。さむらいは絶えたのか……(絶句)」

 田母神航空幕僚とは二度、挨拶を交はした。挨拶と云つても航空自衞隊幹部會の懇親會に招かれた大勢のひとりとしてであつた。

 三十八年目の十一月二十五日が、また巡つてくる。
 多摩靈園の銀杏竝木の葉が散って、風に舞つてゐることだらう。

2008/11/13(木) 晴れ


アンケート集計で見えたキーワード

 
 世相は騒々しいやうだ。して、TVは姦しい。
 先の兵頭二十八ネット私塾「讀書餘論」配信の折、一筆添へた。
「景氣」とは、氣持の景色、おもむきと書きます。氣持だけは景氣よく、いきませう!(笑)」

 新聞を讀むのが樂しみになつた頃、小蟻が這ひまはつてゐるやうな株式相場面の一頁が何て無駄なものを載せてゐるのだ、止めて、記事面にすればいいのだと怒つてゐたものだ。そんな經濟オンチの青年が爺になると、案の定、裏店住まひの傘貼り浪人になつてゐた(笑)。

「經世濟民」と云ふ四字熟語から「經濟」と云ふ言葉ができた。要は世を經營し、民を救ふことを云ふ。それなのに、政(まつりごと)に責任を持つ者として國民に選ばれた者たちの政黨ときたら、もう、情けない。

“馬”で駈けてゐると、衆議院選、よ〜いドン!のポスターが目につく。
 政權奪取をめざす黨は「國防が第一」ときた。萬年、極小野黨が使命である黨は「命を惜しむな」。
 革命の旗印を降ろさないふりして昔の甘い夢に滲つてゐるだけの黨は「いつまでたつたらアメリカに先の戰の仇を返すんだ」。
 政治と宗教分離の法に觸れてゐる政權政黨のコバンザメは「宗教に直結。政治で實現。」。下野する可能性大の黨は「まづは戰爭だ」。

 お前ら、あしたにも戰爭がしたいのか。一國一宗教團體にしたいのか。こんなことでは「世を經營し、民を救ふ」ことはできないだらう。やめてしまへ!
 
 さて、馬鹿云つてないで(笑)、「軍事情報」さんのアンケートの話。
 次作のテーマを探すべく、アンケート結果をどう見たか、讀んだかの話。
 先の五日の「武道通信かわら版」で大まかな集計をおしらせした。で、見えた輪廓、いま樣で云へばキーワードか。それを述べる。

「YES」「NO」だけの答へでなければ、項目が多ければ多いほど、いろいろな「YES」が寄せられる。意見、氣持を書いてもらへたらYES´1、´2、´3、´4、と限りなく「YES」の中身を集められる。これを集計と云ふ數字でふるひに掛ける。
 常套策だよ、と云はれさうだが、ふるひの掛け方がある。これが祕傳、奧傳。

 紙切レベルでは、わからないから相手にしない。免許皆傳レベルには口傳するが、わかつたと思ふ者とチンプンカンの者の比率は三:七。
 わかつたと思ふ者も實は半分もわかつてないことを師範は知つてゐる。で、歌にする。
 何年かかつても、この歌をヒントに頑張れよと。

 前口上が長くなつた。
 キーワードは「幕末」と「司馬遼太郎」の二つ。これで次作のテーマがわかつたと思ふ者もゐようが、その実、半分もわかつてゐなからう。

 では、ヒントとなる歌を詠む。
「ふりなから きゆる雪あり 上巳<じやうし>かな」
 なに、まだわからぬ……。では、もう一つ。
「羶血(せんけつ)を盡くして日本刀に膏(あぶら)せしめず」

 ウン? 云つてゐる本人も、なんだかわからなくなつたぞ。

2008/11/08(土) 曇り


「軍事情報」アンケート、集計なる


 先の二十八日、早速に、エンリケ航海王子殿からアンケート集計を送つていただいた。

 囘答用紙、素が送られてくるものと思ひ込んでゐた。が、なんとデータを整理したものであつた。結果報告はPDFファイルで、囘答が圓グラフで表はされてゐた。生データの「アンケート囘答一覽」はエクセルファイルで見やすくなつてゐた。

 いや、お見事! と、傘貼り浪人、口あんぐり。たぶん、プロからみても文句がつけやうもないものだらう。エンリケ航海王子殿の素性が、ますますわからなくなつた(笑)。
 
 實施日・對象・囘答者數。 實施日:平成20年10月22日(水)〜25日(土)
對象:メールマガジン「軍事情報」讀者(22日時點での贖讀者數は11,726名)
囘答者數:210名(複數囘答可の項目では、この數を超える囘答數になつています)――との添へ書きもあつた。

 アンケート集計を讀み取る、と云ふ專門職は、いまどきのことあらう。
 選舉對策で政黨はマスメディアが出す<世評>をどう讀むか。<反日、新日>かのメディア區分はよくわかつてゐる。その“水増し”を差し引き、必死で讀み取つてゐるであらう。
 
 拙者は、お家(會社)のために一冊でも多く賣るために、寄せられた意見・希望書き込みはがきや手紙類を、やはり必死で讀んだ。
 その經驗から云ひと、全部讀み終はつたところで、「さうか、なるほど」「馬鹿いつてるんぢやないよ」などの“卓見”を、一度捨てる。
 して、こころを「シン」とさせておくと、讀者の“飢ゑ”や、無意識に求めてゐるものが輪廓を表はしてくる。
 後年、氣づいたが、これ、明日、眞劍試合があるとしたら、前夜に成しておくべきこれ武術家の心得、作法であつた。
 かの流派ならかうくるであらう。それをかう捌いて……と云ふものを、全部、捨てる。

 さて、この一、二、三日は、近年、めぐつてくる、大聲を出し、地上を這ひ囘る、「露天商」の季節となつた。出かけなくては。アンケート集計の解讀は、また後日に述べる。

2008/11/01(土) 晴れ


昔噺(むかしばなし)、もう一題


 先に運動會昔噺をした。本題の前に、想ひ出した昔噺をさせていただく。
 週刊プロレス編輯部で、週で唯一閑散としてゐるのが火曜日の夕暮れ時である。前日、最終入稿、校了があり、この日の午後いちあたりから次週の號の編輯會議。それは濟めば、スタッフのあらかたは、“兵士の休息”で三々五々、散つていく。

 週プロの誌面がマンネリ化した、どうも讀者が飽きてきた、そんな氣配を察するときが、年に數度ある。そんなとき、讀者欄の擔當が整理し輪ゴムでとめて、スティールの本棚に置いてある讀者からのはがきを机の上に置き、一枚一枚めくつていく。

 大方は、サイン色紙やグッズのプレゼントの応募はがき。面白かつた記事、編輯部への希望、企劃を書かせる要綱がある。それに目を通すのだ。中高校生が大半をしめる。中にプレゼントが目的でなく、ひとこと具申したい往年の讀者もゐる。また、團體批判、選手への苦情、當然、誌面への批評のはがきもある。はがきから飛び出してしまひさうに書き込んである。

 プロレス團體、その現状。して取材の限界をよく知る編輯長にとつてみれば、書いてあることは他愛ない。が、その底に潛む「飢ゑ」に目を注ぐ。彼らは何に飢ゑてゐるか、ぢつと目を据ゑて一枚、一枚、めくつていく。ふと氣附くと、編輯部には自分ひとりになつてゐる。

 以上、昔噺である。

 武道通信Web編輯員に、以前、アンケート調査に關聯した仕事をしてゐた御仁がゐる。詳しい仕事の内容はわからないが、なにかの懇談の折か、メールでの私信のやりとりの際か、よくは憶えてゐないが、こんなことを云つた。
 「世論調査と云ふやつを信じないはうがいいですよ。する方が期待する答へを引き出すやうに、質問の文言は巧妙に操作されてゐます」
 
 近頃、多いのが麻生内閣支持率である。聞くたびに、この言葉を思ひだし、眉に唾をつけ聞いてゐる。

 さて、本題である。諸氏にアンケートをお願ひしたいのだ(笑)。

 軍事情報さんのメルマガ最新號に、拙者がお願ひしたアンケートが載つてゐる。
 拙著『使つてみたい武士の作法』につづく次作はどんなテーマがよいか。これを探るたためのアンケートである。拔粹する。

◎◎◎ アンケート(武士・サムライについて) ◎◎◎

先日ご紹介した『使ってみたい 武士の作法』の著者 杉山頴男さん(「武道通信」創刊編集長)から、アンケートのご依頼を頂きました。

 次回作づくりにあたって、弊マガジン読者が持つ武士・サムライへの意識を参考にしたい。とのご趣旨です。
 あなたがお持ちの意識が、著者さまに直接届くよい機会と思い、喜んでお引き受けしました。
 つきましてはお忙しいなか恐縮ですが、アンケートへの回答にご協力いただけませんでしょうか?
 詳細はつぎのとおりです。
 WEB上で回答できるようにしました。
 ⇒  <http://okigunnji.com/s/enqsugiyama/>
 回答の過半は、チェックボックスにチェックするのみです。多大なお時間は取らせません。
 ご質問の一部を紹介します。

「あなたが最も好きな武士・サムライは、どの時代ですか?」
「武士・サムライについてもっと知りたいことは何ですか?」
「あなたにとって、現代の武士・サムライを感じる職業は何ですか?」
 回答はこちらで
 ⇒  <http://okigunnji.com/s/enqsugiyama/>
 回答締切は、この土曜日 2008年10月25日(土)の23時59分です。
 お忙しい中恐縮ですが、明日につながる建設的なアンケートへのご協力をよろしくお願いいたします。

 以上。
 発行者のエンリケ航海王子に感謝。

 そう、回答者に抽選でプレゼントが当たる。
 Aコース:「イタリア製の本革マウスパッド(ブラウン)」(一名)Bコース:杉山さんの最新刊プレゼントふたたび! 『使ってみたい 武士の作法』(三名)
Cコース:兵頭二十八さんと日本刀のプロが対談した伝説の武書、新装再刊記念!『陸軍戸山流で検証する日本刀真剣斬り』(三名)
 
アンケート内容は、先の武道通信Web編輯員にお智慧拜借した。ただし、意図する操作はまつたくしてゐません。ホントです。


2008/10/24(金) 降ったりやんだり


運動會、昔噺(ばなし)


 さきの日曜日は運動會であつた。觀戰客に爺、婆の姿が多く見受けられた。「パパママ」雙方の<親>が來れば二:四。園兒一人なら三:四。“高貴”高齢者社會の未来圖がここにあつた。下の弟も園兒豫備軍の何々組でプログラムに參加してゐたので當家は園兒三なのでからうじて五:四であつた(笑)。

 津津浦浦で繰り廣げられる運動會の事始は、明治七年、海軍兵學校でイギリス人英語教師の指導で行はれた「競鬪遊戲會」とのことだ。軍事訓練を遊戲として樂しもうが原點であつたらう。イギリス人が考へさうなことだ。東京帝國大學を始めとして大學で流行りはじめた。

 ときは富國強兵(いい言葉だ)。明治二十年ごろ、ときの文部大臣森有禮は、體育教育として學校に導入した兵式體操の成果をもつてこいと、「運動會を催すべし」と訓令した。
 軍人指導部はさむらいの末裔たち、自然、これを日本流に源平合戰の白旗、赤旗から白組、赤組に分かれさせ、騎馬戰が締めくくりのメインイベントとなつたのだらう。
 
 拙者、「教育の結果(点数」は芳しくなかつたが、足は速かつたので“選ばれし者”のクラス別、町内別對抗競爭には掛け持ちで出てゐた。運動會は一年一度の唯一の華であつた。さう、昔は町内對抗と云ふイベントも組まれてゐた。小學生最高學年になると騎馬戰、中學は棒倒しがあつた。これがなにより血湧き肉躍り、樂しかつた。

 津津浦浦の學校で運動會が開催されるやうになつたと云つても、當時校庭のある學校は少なく、寺社の境内や空き地で行はれたやうだ。この光景は、我らの記憶の底からも、もう消滅したが、當時は寺社は集會場であり、境内は町内の運動場であつた。

 天然理心流の小石川牛込にあつた試衞場(ホントは試衞<館>ではない)。跡地を見た方ならおわかりだらうが狹い。あんな狹いところでよくも稽古ができたものかと思ふが、大方は近くの境内をつかつてゐた。原田左之助が道場破りに來たとき、沖田總司が相手をしたのも、すぐ近くの何とかと云ふ(思ひ出せない)寺の境内でやつてゐた。

 天然理心流の日野、八王子、町田での稽古も、目録以外の者は屋外でやつてゐた。寺はいくつもあり、境内は廣く、ほかに空き地もおほくあつたのだ、當時は。

 浪士隊が上洛し、清河八郎が演説をぶつたのは壬生村の新徳寺本堂。坊さんは念佛を唱へてゐたばかりではない歴史がある。平安、鎌倉時代、室町時代、僧兵が境内を跋扈してゐた。寺は城でもあつた。 
 
 話が寄り道にそれた。運動會である。

 運動會が終はつたあとの、何とも云へぬすがすがしさ。これはみな經驗がおありであらう。種の保存の戰ひのための原始腦と樂しみを糧とする前頭葉がバランス良く使はれるからだ。選ばれし者の軍(いくさ)、スポーツ競技とちがひ、老若男女一同に會して戰ひと遊戲に興じるからである。

 日本人のかたち、武士(農民=郷士)と町人(商人)のエリアの心地よい融合があるからこそ、明治政府の訓示があつたものの、一舉に津々浦々に傳播した。
 
 国立町驛前を立川基地に居坐つた米國兵とパンパンのための歡樂街にしようとした町人と、それに反對する武士とが衝突した。武士團に親方ソ連の指示で反米鬪爭に變更した日本共産黨がテコ入れをしたが、それは精神史の地層からみたらごく表層でしかなかつた。

 米兵がばら撒くドル札に目がくらんだ町人は、「お前ら給金取りに買つてもらはなくてもいいんだ」と、反對する武士團の女房殿たちを罵倒したり、ヤクザ者を使つて脅した。女房殿たちも不買運動で攻した。主人殿も國會議員視察を陳情した。一觸即發であつたが、町議會での一票差で、これを食ひ止める文教地区指定法令が施行された。が、雙方の感情のもつれは殘つた。

 このもつれを解したのが運動會であつた。昭和二十七年、第一囘国立町民大運動會が一橋大學グラウンドで開かれた。老若男女、五千人が集まつた。當時の人口一萬五千人。武士、町人が交じり、二人三脚、綱引きで汗を流した。前年、谷保村から国立町となつてゐた。同じ国立“市民”意識が芽生えた。昔噺、おわり。

 餘談:近代となり、大學、學校の敷地が神社の境内にとつて變はつた。先にも綴つたが、 長きにわたり防災時の避難場所となつてゐた一橋大學のラグビー場に、突然、市にも住民にも斷りなく、問答無用と鍵をかけた。昭和は遠くなりにけりである。

2008/10/17(金) 晴れ


そうか、大相撲はスポーツになっていたんだ


 上つ面だけの人道主義汚染がまんえんした日本列島。地上波テレビは、これをよく映し出してくれてゐるから感謝してゐる。いや、ホント。敗戰前まで殘つてゐた“國民的”作法も瓦解しきつてゐることも映してくれる。ホントに感謝してゐる。

 そのひとつ、グルメ番組は、さむらいが食事の作法で一番に嫌つた「睨み食ひ」のオンパレード。外國人と接する機會が多かつた帝國海軍は新米兵に、これだけはやるなと躾けた。これは拙著でたしか書いた。

 西洋發信の平和運動は、軍(いくさ)は避けられぬもの、人類と云ふ奴は軍(いくさ)から逃れらないとのとの認識をもつたうへでの平和願望である。武器を捨て、手を上げておけば戰爭にはならないとする平和念佛教の平和運動とは、もとからして違ふ。

 占領したり占領されたりした歴史だらけの西洋發信の無防備地域宣言の意味を履き違へてしまふ。いま火は消えたが、国立前市長も熱心だつた、日本でのこの無防備地域宣言運動は、假想敵國のエージェントの日本の軍事力を殺ぐための策謀であるが、平和念佛教徒はころつとだまされる。
 余談。前市長の熱心さは、これを手土産に国政選挙に打って出る魂胆だつた。市長を辞任しても国政には出ないと云つていたが。これが露見し、無党派層支持者からソッポを向かれた。

 上つ面だけの人道主義の對極にあつたのがさむらいだつた。ここを抑へておかないと、「國家の品格」を求めだした日本國民に、「では、品格を養ふにはどうすべきか。分母國家の分子たる國民が品格を取り戻すには、どうすれば良いか」の處方箋は作れない。

 さう、三十代、四十代はじめの拙著讀者からの感想を數通ひただいた。
 彼らは一応に『國家の品格』に拍手し、古流武術にも多少の興味を持ち、古流武術書から武術の活用法を學び取らうとしてゐる氣配がする。しかし、『國家の品格』に處方箋が書かれてゐないことに氣附く。著名な古流武術家が説く、身體操作のおおもとには、さむらいの道を歩んできたさむらいの氣構へがあるはずであるであるが、それがよく見えないと氣になつていた。それが拙著からは讀み取れた。
 
 概ね、さう云つた感想であつた。拙著の眞意を見拔いてくれたと感謝したい。
 以前、軍學者が何十萬の讀者を持つ作家でも眞の讀者は一握りのわづかである、そのやうなことを云つてゐた。たしかだらう。語り繼がれていく著とは、眞の讀者の數、重さによるのだらう。

 <現代の武藝者>のサイトに拙著評が載つてゐたと、やはり讀者からお知らせていただいた。ご紹介しておく。
「新・流れ武藝者のつぶやき」http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/


 さうさう、地上波テレビが繰り返し映し出してゐる大相撲事件である。

 拙者がまだ“池田家、家中の者”だつたころ、隣に「相撲」編輯部があつた。「相撲」編輯長交代の折、挌鬪技關係の長だつたことから臨時編輯長を擔つた。その折、國技館へ出入りし、場所前の土俵開きの儀式も見させてもらつた。

 それ以前に、近所同士の井戸端ばなしで、古參の相撲編輯者からこんな話を聞いた。
 「栃若時代」と稱せられ、黄金時代を築いた栃錦、若乃花。この兩横綱の千秋樂の優勝がかかつた大一番は、雙方が場所ごと順に勝つことの約束ばなしがあつたと聞いた。

 拙者、小學生であつた。大相撲が始まると、運動場には棒きれで描かれた幾つもの土俵ができ、休み時間、男子の多くは相撲に興じた。拙者の得意技は掬ひ投げ。拙者よりガタイがはるかに大きな級友を見事、投げ飛ばした。ホント。腰をすくめるタイミングがコツ。

 祖母は、大一番ともなると、テレビの前で自分も相撲をとつてゐるかのやうに、いつしかコタツの臺を持ち上げてゐた。平素では見られぬ祖母の、この姿がをかしかつた。

 日本人は古來から相撲が大好きのやうであつた。さむらいも好きだつた。幕末期の“最期のさむらい”新選組も駐屯所でよく相撲をとつてゐた。武人の平時の嗜みと心得てゐた。

 古參の相撲編輯者から、この話を聞いたとき、ストン!と腹に落ちた。それだけだつた。
 相撲好きの日本人も、近年、つくづく卑しく成り果てたものだ。

2008/10/11(土) 降ったりやんだり


「論座」休刊に吉田松陰の「寸善」を学ぶ


 先の三日、男兒ふたりを床屋へ連れていつた。弟は今月はなぜかイヤだとゴネたので、待合のソファーに坐つて兄の理髪を待つことにした。新聞、週刊誌類の棚に讀賣新聞があつた。
 「さうだ」と氣づいた。並木書房の奈須田さんから三日の讀賣一面に拙著の廣告を出すとのメールを受けてゐたことを思ひ出した。

 「サンヤツ」と云はれる三段八分の一の、あの書籍廣告である。これとて廣告料金表では五十萬圓ほどする。四日のメールでは武道關係者とわかる中高年の方々から電話での注文、問ひ合はせがかなりあつたと云ふ。效果はあつたのだらう。ほつとする。

 杉山頴男事務所も極零細ながら版元(出版社)であるゆゑ、苦勞は同じである。數年來つづく、「未曾有の出版不況」のなか、執筆側の立場になるときは、原稿料、印税をいただく版元には迷惑かけたくないと心底、願つてゐる。

 さて、この「サンヤツ」で、發行數最大の讀賣の倍近い廣告料金なのが朝日新聞である。倍高くてもアカヒの方が效果はある――これは數十年前からの出版業界の通念であつた。本をよく讀む人種はアカヒを通讀してゐるからだとの判斷であり、結果がさうであるからだ生まれた通念であつた。

 しかし、この「サンヤツ・アカヒ神話」もかげりが出てきた。“智識層”、本をよく讀む人種に支那の實像が見え始めた頃からだ。いまや“智識層”からは、支那共産黨機関紙人民日報の日本支局とまで罵倒されてゐるが、戰後レジュームの遺産の平和念佛教 “善男善女”にからうじてすがりついてゐる。
  
 年頭の臺北旅行の隨感を綴つた折、バスガイド女史が支那から輸入される食品を「惡魔の心がある」と記した。「日本では報道されてないでせうが」とも附け加へた。翌月、毒入り餃子事件が起つた。「日本では報道されてない」のはアカヒが主導するメディアのなせる技である。

 オピニオン誌、啓蒙誌の内のひとつ、「論座」(朝日新聞社)が十月發賣號をもつて休刊する。“智識層”からそつぽを向かれてゐた。
 わがまちの圖書館からも消える。現實とは、ひよつとすると美しいこともあるのだと、 たしかヘルマン・ヘッセとかが云つたと思ふが、圖書館が美しくなることは結構だ。

 日本雜誌協會の昨年八月までのデータでは「正論」(産經新聞社)八萬部、「論座」二萬部。今年に入り一萬となつたとも云ふ。休刊やむなしとなつたのだ。わがまち公民館も「論座」贖入が減つた分、「正論」を變はりに入れたらいかがか。以前からの市民の發行部數からの常識的要望を無視しつづけてゐる。だから公民館は、國立の“智識層”からアカの巣窟と罵倒されてゐるのですぞ。

 いやいや、批判ばかりが能ではない。淺學の徒、「寸善」と云ふ言葉があることを知つた。

 『屬國の防衞革命』(光人社)での兵頭二十八さんの「まゑがき」からである。共著の太田述正さんとの見解の相違をあることを承知での共著の辯である。拔粹する。

 「わたしが太田述正氏の考えと一致しないことは無論多々あるけれども……(中略)。若き吉田松陰は、誰であれ他者の意見には「寸善」がないことなどなく、それを見出して学ばなければならない、という手本をしめさなかったか?」(新かな新漢字)

 吉田松蔭、軍學者を範とし、拙者も「論座」の寸善を見出して學ばなくてはなるまい。反省。
 
 さう、圖書館に『屬國の防衞革命』を注文するのを忘れてゐた。國立市民にぜひ讀んでいただきたい好著である。拙者、お二人の共著にささやかなりにも手を貸したことから版元さんからはすでに獻本され讀み終はつたが、これも左翼の戰術の寸善を學んでのことである。

2008/10/08(水) 降ったりやんだり


心に沁みた、「軍事情報」メルマガ書評

 
 きのふは谷保天滿宮の例大祭。市中を練り廻る山車、神輿、曳き太鼓を眺め、追つかけながら天滿宮へ。縁日の出店を一周りして、散々、散財させられたあと(笑)、獅子舞が演じられる土俵の眞正面に孫三人と陣取る。
 去年は上、二人だけだつたが、今年は、この天滿宮でお宮參りをした三人揃ひ組み。九百年前からつづく獅子舞を “九百年後”の日本人の幼児らは、ぢつと見てゐた。爺、至福の一日であつた。

 さう、拙著十章の切腹の項に出てくる鎌倉の御家人、津戸三郎爲守は、谷保天滿宮の中興の祖であつた。三郎は、成すべきことはした、もうこの世に未練はない。餘は滿足ぢやと腹を切つた。拙者は「大往生切腹」と命名した。

 さうさう、武道通信かわら版後日談。
 末尾に、「軍事情報」のエンリケ航海王子も「拜讀の上、弊マガジンで紹介させていただくつもりでおります」とのこと。どんな評か樂しみである。
 http://okigunnji.com/  (メルマガ) http://okigunnji.com/cat14/
 
 と記したが、軍事情報のメルマガは週刊であり、既刊分が最新號しか讀めないと苦情寄せられた(一件)。書評が載つた「本の紹介」は毎週金曜日發行なので、26日に配信され、本日29日は「最新軍事情報」が配信されてゐる。
 ちなみに、軍事情報のメルマガは、毎週月曜日の「最新軍事情報」、毎週火の「自衞隊ニュース」。別册の「中東ぶらぶら囘想記」と「スペイン・ラテンアメリカ講坐」は隔週木曜日。「本の紹介」はほぼ毎週金曜日。これらの定番マガジンに加へ、その他隨時に記事を配信してゐる。現在11,815部発行している“大手メルマガ”である。
 
 軍事情報管理人、これらメルマガの發行人は、エンリケ航海王子と名乘る。 王子は、週三本と隔週が二本。それに別册、緊急増刊號。大した御仁である。
 して、今囘の書評。すばり、拙著の<臍>を見拔いた。お見事! また、心に沁みる評。情も深く、只者ではないとお見受けした。

 では、苦情を寄せられた御一名樣のために下記にペースト。(旧かな旧漢字でなく、原文のまま)
 

■この本

真っ先に目に入るのは、上品なクリーム色の表紙に描かれた羽織はかま姿の武士のイラストです。まんなかにデンとタイトルが。緑色の帯には「サムライの道」という大きな文字が躍っています。

 ページを繰ると「武士はなぜ刀を二本差すのか?」の文字。
 さらにページを繰ると、あわい茜色の紙に「使ってみたい 武士の作法」の文字がドンと目に入ってきます。題名の左下には、大刀を右において正座している武士のイラストが品がよく、一本筋の通った印象を受ける実に素晴らしい装丁が印象に残ります。

■著者は?

『週刊プロレス』『格闘技通信』の開闢編集長(創刊編集長)。『武道通信』創刊者の杉山頴男事務所代表 杉山頴男さんです。

本著より著書紹介を転載します。
<杉山頴男(すぎやま・ひでお)
昭和21年(1946)生まれ。ベース・ボールマガジン社入社。
『週刊プロレス』『格闘技通信』創刊編集長。
平成10年、杉山頴男事務所を設立。『武道通信』を創刊。
武道通信電子本、兵頭二十八絶版本などもネットで発信する。
「魁!武道通信TV」(日本文化チャンネル桜)のキャスターを務めている。>


■武士・さむらいの姿は伝えられていない?

古今東西、「目に見えないものにこそ本当の価値がある」というのが
人間社会の真実であろうと思います。

私が思いますに、わが国が世界に無条件で誇ることのできるものは、「神道」そして「武士、さむらいの道」の二つになろうと思います。

現実的な話で言えば、いま世界の人々が日本人に期待し、敬意を持つのは「さむらい」的なたたずまい・風格に対してであろうと思います。

時代が流動化する中で戦後日本に基軸がないことに気付いた人々は、「武士的なもの」に回帰しつつあり、各メディアもそういう動きに追随しています。

しかしながら、テレビや映画、劇画等で流れる武士モノのほとんどは、素人の私が見ても、ズサンな時代考証、現代の常識・感覚で評価し取り扱ってテンとせぬ姿勢を感じます。一言で言えば、「ちょんまげをつけた現代劇」しか出回って
いない気がします。

それ以上に、こんなものを見て「あれが武士だ」「こういう歴史があったのか」と大真面目に勉強している人々がいる事実を、わたしは心配しています。

おそらく制作側は「単なる娯楽作品ですよ。お遊び感覚で見てください」との意図で作っているのでしょうが、その思いは逆の意味で裏切られています。

「テレビや映画を見るのもいいけれど、日本人なら、せめてさむらいのしきたりやたしなみの常識だけは知ったうえで、突っ込みながら見てほしいものだ」と常々思っておりました。


■本著は、そういう思いに応えた本です。

上記で上げた「武士」に関して「作法やしきたりをきちんと知っておこうよ」という思いから出されたものです。

武士。さむらいを理解する際のスタンダード、物差しになりうる快著ではないでしょうか。

一章一章が読みやすい長さで区切られており、知識を得るのみならず、書いてあるたしなみを「実践」したい人にとっても使いやすい構成です。

常在戦場とは具体的にどういう形で日々の生活にあらわれていたのか?
武士のたしなみとはいかなるものか?
武士のしきたりとはいかなるものか?
武士なるものはいかなるものか?
武器と武士の関係はいかなるものなのか?

武士をめぐる問いかけに、武道に深い造詣をお持ちの杉山さんが応えてくれています。
とても貴重です。「さむらいトレーニング」なる体づくりノウハウも紹介されています。

個人的に私は、「二十九」の月代をめぐる考察が最も印象に残りました。
また、子供の頃に父母から受けてきたしつけの数々の意味が、本著を通じて
理解できました。ありがたい話です。


■要望など

今後シリーズ化されるのは確実と思います。
こういう「実践的で有機的なさむらい教科書」が継続的に出るであろうことは、本当にうれしい限りです。

出版社さんはおそらくすでに検討済みのことでしょうが、
国内の日本人のみならず、ブラジル等にいる二世や三世、武士文化を理解したい外人向けに世界にも発信していただきたい本ですね。海外でも普及してほしい内容です。

大山倍達先生の「This is Karate」のような本になればいいですね。

英語、ポルトガル語、仏語、アラビア語、シナ語、韓国語等での翻訳出版を期待するものです。


■オススメです

要するに「頭ではなく、体や環境を通じて武士・さむらいのたしなみ・しきたりを把握した人が、それらを分かりやすく手ほどきした実践的かつ有機的な内容を持つさむらい入門書」です。キーワードは「常在戦場」です。

実生活に取りこめる部分が多くあり、良質な自己啓発ノウハウ書ともいえます。

「常在戦場」のこころとはいかなるものか?
それを今に活かすにはどうすればよいか?

そういう問いかけに誠実に応えてくれる、数少ない貴重な一冊です。

心からオススメします。

<追記>
 けふ配信の「最新軍事情報」の<おたより>も拙著宣伝のため抜粋して掲載。

   ◎◎◎ おたより ◎◎◎
■二十六日金曜日にご案内した「本のプレゼント」へのご応募にあたっていただいた声を紹介いたします。

<真の武士とは何かを論ずる本を待望しておりました。>(S)
<防大を目標に頑張る愚息とともに武士の一端に触れてみたいと思います。>(H)
<現代は、合理主義の時代だから、武士の現実主義とロマン主義に興味がある>(W)
<目次だけでも心が高鳴り、姿勢を正される思いです。>(S)
<非常に興味をそそる本ですね。>(M)
<私は小学校の頃から歴史、武士というものに興味を持ち始め、歴史書や兵法書を呼んでおりました。武道は、高校生の頃から空手を習い始め最近は居合道を習おうと思い道場を探しているところであります。微力ながら、日本の文化を後世に伝えるべく、日々精進していきたいと思っております。この本は、日本が誇るべき武士道の文化を学ぶ上で
自分の人生にとってかけがえの無い財産になると思われます。>(S)
<いつも「軍事情報」を楽しみに読んでおります。貴誌で情報を得ながら、今後の生き方を模索中です。職場が解散し、ただいま「浪人中」で、ただ今「テンプル騎士団」についてたまたま調べておりましたが、自国の武士のことはよくわかっていないことに気づきました。一本スジの通った生き方をどのように具体化すればよいのか、日本人として考えていきたいと思っております。>(K)
<チャンバラ映画好きの母の影響でしょうか、江戸時代に大変興味があります。石川英輔の「大江戸○○事情」シリーズを買い集めては楽しんでいます。江戸時代は日本で最も犯罪が少なかったとか、徹底したリサイクル社会だったとか、士農工商は建前だけだったとか etc etc石川氏の大江戸シリーズは、町人文化が主なので、侍社会についての「使ってみたい武士の作法」はぜひ読みたいです。>(T)
<我が家は、京都淀藩の藩士でしたので、氏族、武家、武士に関しては、殊の外関心があり、氏族であったことを誇りに思っております。先般、産経新聞に掲載された桜井よしこ氏の「武家のむすめ」には、共感を覚えました。>(Y)
<三児の母ですが、真ん中の1人息子は生まれながらに.「武士」で、彼に適した本のご紹介を頂きありがたく存じます。次回の『海を開く』も、とても楽しみです。>(N)

2008/09/29(月) 雨


花押(かおう)の話を少し


 先の武道通信かわら版で、拙者の花押を“自慢”したら書いてくれと多くの方から、いや、お一人樣から頼まれた(笑)。   
 http://archive.mag2.com/0000036568/index.html

 武道通信五ノ卷の「武藝者の花押」に千葉周作ほか小野派一刀流、楊心流柔術の達人たちの花押を載せてゐる。千葉周作は「虎」の字の下に「一」、つまり横棒。これは苗字とは關係なく、自分の好きな字を用ゐたタイプである。

 このタイプは近世の武藝者に多い。要は字があまりうまくなかつたからだるうか。いや、それは拙者の理由で、シンプルこそ武藝家との本分との心得であろう。

 禪僧が多く用ゐたのが平押。澤庵和尚の「日」の中棒が半分ほどの平べつたひ丸のやうな花押が有名である。

 花押は公家さんも當然、使つてゐたが、鎌倉時代、荒くれ武士も爲政者として手紙を多く書くやうになつたことから一般的にも廣まつたやうだ。

 源頼朝は頼の「束」と朝の「月」を合はせた。基本形は苗字の各一部を合はせ草書體で作つたものだ。これを二合體と云ふ。花押のはぢめは楷書體であつたが、次第に草書體になつたやうだ。

 先の武藝者の一字は一字體。拙者も武藝者の端くれと自稱してゐることから一字體。武道通信發行人であるからして「武」。それに二心無しの意味での「一」を下に。

 徳川家康は苗字とは關係ない。草書體でなく明朝體の「乃」のやうな字の上下に横棒がある。これを天地地平と云ひ、江戸時代の殿樣ら上級武士たちに多い、權現樣に忠誠を誓ふ意味で眞似たのか。では、ろくに字がかけない庶民はと云ふと、略押と云つて何がしの形を書いて花押とした。

 キーボードで“書く”手紙が多くなつたご時世。ニセ手紙など簡單である。であるから署名の下に自分が作つた花押を押さうではないか、と云ふ話。
 
 餘談壹。グッチとかの何だとかの歐州の高級ブランド品のマーク。あれは日本の家紋をカッコイ〜と眞似たのだ。これを有難がつてゐるばかりで、自分の家に傳はる家紋にまつたく興味も、いや、あることも知らない日本人が多い。

 餘談貳。國立驛近くの二つ書店で『使つてみたい武士の作法』が賣り切れになつてゐるやうだ。
 先のNPOでの<講演>に參加した知人たちから買ひに行つたが無くて注文してきたとの“苦情”が多く(三人)聞かれた。

 あま、初囘の配本は、賣れる地賣れない地に關係なく、全國に均等にバラ卷くからいしたしかたないのだ。この方式がネット贖入者を増加させ、從來の取次店制度の首を絞めてゐる。

 で、<再録>  
 Amazonからご注文できます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4890632344/chsakurajp-22
 また並木書房HP「編集部より」からも(送料無料)
http://www.namiki-shobo.co.jp/

2008/09/23(火) 晴れ


「地と天」の二刀流


 書籍をインターネットで贖入するアメリカ産のAmazon.comが日本に上陸するとのニュースが流れたのは、まだ<紙の新聞>を讀んでいる頃であつた。そんなある日、ネット探訪をしてゐた折、なんとAmazon.comに弊誌「武道通信」を見つけた。「えつ?」「あれ?」である。

 Amazon.comは日本の二大取次店、日販、東販とは契約せず、二つに比べれば極小の栗田書店と契約したと聞いてゐたからだ。弊社は栗田書店(取次店)とは契約してゐないからAmazon.comで弊誌が贖入できるわけはない。弊誌はさらに極小の地方・小出版であつた(笑)。

 Amazon.comは、從來の書店とは比較對照できない空中に浮かぶ巨大書店である。取次店は、津々浦々の書店に卸し、本は書店で贖入すると云ふ常識の上に立つてゐた。創立以來の死活問題であり、特に二大取次店には脅威であつたらう。

 Amazon.comに問ひ合はせた。たしか電話だつたと記憶する。屈託ない若者の聲が耳底に殘つてゐるからだ。いや、やはりメールか? 
 ともかくも、いま日本サイトのサンプルを作つてゐる段階で使はせてもらつてゐると詫びた。その聲?からしてプロレス、挌鬪技<縁者>だと、昔取つた杵柄でわかる(笑)。「頑張れよ」とエールを送つた。杉山頴男事務所は、取次店→書店と云ふ既成のルートにひびが入る時代が來ることを豫測しての<草莽崛起>であつた。

 このAmazon.comに拙者の書籍の處女作が載つた。餘談ひとこと。編輯士として本の刊行と云ふものに、かなり<すれつからし>になつてゐるのだらう。處女作と云つても特に感慨はない(笑)。

 他社の刊行の雜誌、書籍にも雜文は書き捲くつてきたせゐであらう。なに、『使つてみたい武士の作法』を雜文と云ふのではない。感慨がないのは、苦勞したと云ふ形跡はないかからだ(笑)。サッサッと書いて脱稿した。並木書房の奈須田さんは、「武道通信」の十年の蓄積があつたからですね、と“フォロー”してくれたが、まあ、さう云ふことなのであらう。

 それより、拙著がAmazon.comの棚に入つてゐると云ふ方が感慨深い。「武道通信」はすでに直販、電子出版化して久しいからだ。
 テクノロジーには、まつたく疎い拙者だが、この十年、幾度となく遭遇した原因不明のPCの故障、そしてネットの事故。これらリスクを背負ってのネット戰爭で體感し、會得した。
 それはネットの<瞬時における広範囲への広がり>と同時に<耐えられない軽さ>を體感し、會得した。

 ゆえに、ネットワーク時代の軍(いくさ)は、「地と天」の二刀流で行かなくては敗れると知つた。地を這ひ囘つて汗をかき、指を酷使し天と交信し、地と天のネットワークを構築する。
 販促活動も、竝木書房さんとのタッグでの「地と天」の二刀流戰術である。さて、その成果はいかに。

2008/09/16(火) 晴れ


續・サムライの道


 過日、並木書房の奈須田さんが、印刷所から上がつたばかりの『使つてみたい武士の作法』の見本本の中から著者獻本分を、大江戸の銀坐から武州多摩の谷保(やほ)まで持參していただいた。

 日本橋から新宿に出て、甲州街道を徒歩で來たはけではなく電車である。有樂町並木通りから山の手線で東京驛に出て、中央線で國立まで。所要時間一時間十分はしつかりかかる。

 餘談。國電中央線が開設される折、府中、谷保を拔け立川に敷くはずであつた。府中は平安時代からここ西多摩の中心都市。が、蒸氣機關車の煙がお蠶さんに害すると、谷保の住民ら沿線の農民が反對した。で、谷保の農民が薪を拾つてゐた赤松林を切り倒し線路を敷き、新驛を設けた。それが國立驛。國立と立川の間の驛からと云ふシンプルな命名。

 何を話さうとしてゐたか?……。さうさう、近藤勇、土方歳三である。
 市箇谷柳町の試衞館から國立驛のふたつ先の日野まで、ふたりは弟子たちの出稽古に通つてゐた。それも日歸り。江戸末期と云へども、大した脚力である。返り道は月が出てゐなければ足元を照らす提燈だけがたより。

 當時、月明かりがどんなに明るかつたか。そのありがた味なども、いまの世の人にはわからぬ。行燈の灯りとて、いまの室内電燈と比べ物にならないほどに暗かった。陽が沈んだあとの屋外、屋内の暗闇など、いまの世に我らには想像そ絶することだろう。ゆゑに、お化けはあらゆる所にゐた。花火がどんなに美しかったか。
 さう、襖に描かれた絵も、行燈の灯りで<觀られる>ことも意図して色使いされてゐた。襖絵だけではない。室内に飾られる絵畫はみなそうである。

 近年流行(はやり)のライトアップと云ふものが、江戸、いや日本文化からするに、いかにゲテモノであるか。いいかげんにやめなされ、町人さんたち。
 
 この、昔びとと現代人の體感の差、暗闇、時間感覺などは現代人とは、まつたくと云つてよいほど違ふものだつたと<想像>できる。
 刄長が何尺寸以内と決まつたと書いてあつても、當時のさむらいの身長だけではなく、拔刀技術、腕力などもわかつてゐなければ、その寸方に定めた當時のさむらい氣分はわからぬ。

 時代考證ものには、この時代を隔てた體感の差が行間に通奏低音として響いてゐなければならない。江戸の時代考證と云へば大方、町人モノが主流である。「町人とは一體、何者だつたか」――この自問自答がない。とすると、單なる、むかし懐かしい囘顧モノでしかない。

 拙著の行間には、動かぬ卷藁を切つてゐるだけでは、竹刀剣道のみでは、むかし懐かしい囘顧モノでしかないですぞ、との<懐劍>を行間に隱し持つてゐる。
 この世で、「サムライの道」を探し、愁悶してゐる御仁なら氣づかれよう。
 
2008/09/12(金) 晴れ


サムライの道


 よく降つたものだ。年寄りは寄ると觸ると異常天候の話になる。きのふのNPO月例會のまずの挨拶は、みなこれであつた(笑)。

 『使つてみたい武士の作法』のカバー、帶も正規なものができ上がり、見本本は八日にできるさうだ。配本(全國書店に配送)は二十日前後になると云ふ。すると東京の書店に竝ぶのもその頃。一番早く屆くのが、矢張り東京都内の書店。取次店はすべて東京にあるからだ。北海道、沖繩へ屆くには、矢張り5、6日の<時差>がある。通常、見本本ができてから發賣まで、それほど日取りはかからないが、竝木書房さん、書店廻りで反応がよいことから、發賣を特に急がず、事前にもつと營業活動をしたいとのことらしい。
(並木書房さんのHP「編集部より:に先行予約の案内をアップされました。送料無料)
http://www.namiki-shobo.co.jp/ 

 帶の文言。「常在戰場がつくる武士の心得」。そして、その下段に大きく「サムライの道」。そのまた下段に「武士のしきたり、たしなみを50話にて再現」。
 なるほど。拙者、筆者がつけるとしたら「50話にて再現」と云ふやうな言葉は振らなかつたらう。拙著がありきたりの武士モノ時代考證本にならなかつたのも、そのスタイルにある。淺田又左衞門なるさむらいを舞臺囘し役に登場させたのがそれだ。小説に眞似た仕掛けで、又左衞門の行動を追ひながら、作法を五十篇の短篇にした。          たしかに、ここは<賣りどころ>である。考へついた筆者は、つい見逃してしまつたが、編輯者、奈須田さんはしつかり、抑へてくれた。

 きのふのNPO月例會での講演の折、まづ、カバー袖の宣傳文句を讀みあげた。内容、動機が簡潔に云ひ表はされてゐるからだ。
 「武士はなぜ刀を二本差すのか? 髮型はなぜ月代なのか? なぜ左利きがゐないのか? 刀を武士の魂とした理由は? なぜ武士は腹を切つたか。「武士とは何者だつたか」をひたすら追ひ求め、平成の世のサムライ復活を熱望する著者が、鎌倉時代より受け繼がれた武士のしきたりを五十話にて紹介。義を重んじ、己が武門の繼承、繁榮のために命をかけた武士の實像に迫る!」

 さて、當NPO事務所のせまい會場に、國立驛前で拉致被害者救出の署名活動をした面々が顏を見せた。イラストを描いてくれた小松さんも足を運んでくれた。當HPに湯呑片手にキーボードを叩いてゐる浪人を描いてくれたのが小松さん。住まひは國立からさほど遠くはない。拙宅に訪れるときはサイクリング自轉車である。佐山聰さんもお茶の水、興義館から馳せ參じてくれた。

 五十話のさはりを順に話していつた。豫定の1時間半を囘つたとき、まだ半分もいかない二十一話であつた。では、つづきは「買つて讀んでからのお樂しみ」と結んで終はりにした(笑)。

2008/08/31(日) 降ったりやんだり


日本刀は神器であり武器である二律背反


 ここ三日、雨がよく降つた。まだ眞夏の日盛りの折、今年はセミの聲が少ないですね、とご近所のご老人に聲をかけると、「今年は雨が少ないから土が固く、セミの幼蟲が出てこれないからですよ」と。セミにもセミの事情があるわけだ。殘暑の日盛りの日には、最後の命を張り上げ、種の保存のため懸命に鳴くのだらう。

 本日、兵頭二十八私塾 讀書餘論八月期の配信日。告知板(無銘刀)に目次を載せた。きのふは、掲示板に『使つてみたい武士の作法』の表紙と目次と、おまけに「まゑがき」を載せた。二題、ご覽あれ。

 さう、武士の作法の講演をすることになつた。NPOの八月例會の講演者が突如、やんごとなき事情があり穴が開いた。今月の擔當であつた拙者が、自前の講演でお茶を濁さうと云ふもの。三十日、午後四時ごろから當NPO事務所にて。この讀者の中に國立、また近郊の御仁がをられたらお聽きくだされ。面白いうゑ、聽聞料は無料(笑)。

 さて、名刀傳説である。
 近藤勇、土方歳三ら名刀に寄せる想ひの深さは、司馬遼太郎の小説の中でも描かれてゐる。小説の中での名刀の本物、僞作のことどうでもよい。百姓あがりの劍術使ひでも、あれほどまで名刀にこだはつたことは眞實であらう。武士だけではない。刀劍の靈性は日本人の信仰であつた。神話の時代、刀劍は神であつたからだ。日本人にバイブルがあるとすれば、記紀に著された神話である。それは現代人の我々とて同じだ。無意識層の中に、しつかり日本刀の靈性信仰を宿してゐる。
 
 八代將軍吉宗は、泰平の世でたるみきつた武士にハッパをかけた。この武藝復興の風は、名刀傳説本を生んだ。『享保名物帖』である。古くは平安、鎌倉時代からの傳説の寶刀、名刀を紹介してゐる。要は「日本の名刀名鑑」である。
「天下五劍」がある。すなはちナンバー5を舉げてゐる。『使つてみたい武士の作法』では、日本人ならこの五振ぐらゐは知つてゐてほしいと舉げた。ここでは五振の名だけ舉げておく。
 大典太光世(おほてんたみつよ)、童子切安綱(どうじぎりやすつな)、三日月宗近(みかづきむねちか)、數珠丸恆次(じゆずまるつねつぐ)、鬼丸國綱(くにまるくにつな)の五振り。その逸話が面白い。まあ、それは、拙著をお讀みいただくとして、日本刀は魑魅魍魎を斷ち切る破邪顯正の刄であつたことを知る。

 切れ味傳説も、講談話のやうな荒唐無稽な逸話が多く面白い。近藤、土方、沖田も讀んでゐたか、聞かされてゐたらう。彼らの名刀への想ひは幼兒體驗として無意識層の中に染み込んでゐた。それが信仰となつてゐた。

 この『享保名物帖』、江戸の講釋師らしく語られると、眉唾モノと思へてくるが、まんざら大げさな傳説でなくことは、先の大戰の幾つかの記述でもわかる。

 ここで前囘、綴つた古岡さんの對談を再び拾つてみよう。
〇突然、豚が民家から飛び出してきた。瞬間、追つて胴を斬りつけたら豚は兩斷され、後ろ足はその場に殘り、前足はそのままの勢ひで七、八歩前進し、その間が一メートル二十センチほど離れたが、その前胴と後ろ胴の間に腸が二、三本つながつてゐた。なぜ完全に切斷されたのに腸が殘つたか。兩斷された前胴がなぜ、七、八歩前進したか謎です。
 今度は人間の首
〇首を斬つた瞬間、どうなるかと云ふと、首は前方へ飛んでいく。すると膝まづいて前方に傾いてゐた胴體がスートと靜かに立ち上がつて前のめりに倒れ、ちやうど胴體の附け根が飛ばされた首の附け根のところに來る。自分の首を探し求めて行くかのやうだ。まつたく不思議だ。十人斬つたら十人同じ。そして、しばらくすると首の口がパックと開く。すると胴體の喉の氣管も開く。不思議と云ふか云ひやうふがない。

 拙者、この手の説話の多くを讀んだが、このやうなシーンはどこにも書かれてゐない。では、なかつたか。いや近藤勇も土方歳三も、當然、戰國ざむらいたちは知つてゐた。「につかり青江」とかの名刀傳説も講談話と一笑に伏すことはできない。
 GHQの刀狩りも戰場での日本刀への恐怖體驗が拍車をかけた。分捕つた何萬振りの中から、名刀はしつかり間引きしてゐた。
 日本刀の切れ味のリアルさが、なぜ語り傳はらなかつたか。そこに武士の實像がある。拙著にはこれが通奏低音として流れてゐる。拙著でたびたび出てくる「二律背反」。武士にとつての劍のテーゼである。
 中心(なかご)の刀工銘の反對側に裁斷銘が切られたものがある。要は切れ味を詠つた文言である。あからさまに云ふのでなく、何でも歌にした。

 もうひとつ。介錯人の作法で、首の皮一枚殘すの理由はかうだ。
 殿樣から榮譽刑としての切腹を賜つたのに、首が飛んで轉がつたなら、無念の憤死の樣となつてしまふからだ。江戸時代になり切腹の作法ができあがつた。介錯人がつくのは、痛みを長引かせないための温情ではない。かつて内臟をさらけ出し無念腹と云ふ切腹があつたが、これは榮譽刑を賜つたからには無禮となり、内藏がでない内に斬首しトドメを差した。

 
2008/08/25(月) 降ったりやんだり


人間の首は疉表一枚ほど


 あの八月十五日と同じやうな空の青さとセミの聲であつたらう六十三年後のこの日。
靖國に參つてゐるだらう友人、知人の顏を思ひ浮かべ、谷保天滿宮の慰靈碑に頭をたれる。

 日本兵の強さには戰友の仇を討つ、と云ふ日本古來のもののふの道をさとつた行爲のあかしだと云ふやうなことを『戰ふ日本刀』で、著者の成瀬氏が語つてゐた。これが歸りの“馬上”で想ひだされた。

 源頼朝の富士の卷狩りの曾我兄弟の仇討ち軍記ものは、江戸の世のさむらいたちまでも讀み語り繼がれてゐた。いや、さむらいだけではない。だから江戸市中、いや諸藩の農民、町人までもが赤穗浪士を義士と讃へた。仇討ちこそ武士の本懐と云ふゲノム(總遺傳子情報)が日本人すべての血に連綿と流れてゐたのだ。それが、あの八月十五日以來、杜絶えたかのやうだ。
 戰爭の悲慘さは幾重にも語り繼がれてゐるが、「仇を討つ」は一句もない。ゆゑに、海に陸に散つていつた英靈、誰一人知らない、聞いたこともない「太平洋戰爭」などと云ふ戰勝國が日本の開戰の大儀を覆ひ隱すためにつけた捏造名を、いまなお、しやしやと口にしてゐる。
 
 拙著「武士の作法」に、市中で出會つた仇討ちに飛び入り助太刀したおせつかいな武士が出てくる。それがなんと敵役と仇討ち役を間違へた。お家取り潰しにあつたらう。「仇討ちは事前に幕府に屆けておかねばならぬ。助太刀人がゐれば、その名も屆けなければならぬ。その場での飛び入りの助つ人は御法度」なのだ。

 さう、正式題目が決まつた。『使つてみたい「武士の作法」』。書店まはりをして、この題目が、わかりやすくてよいと決まつたと云ふ。いくらなんでも切腹の作法を「使つてみる」ことはできないまでも、親子兄弟の仇を討つと云ふ、さむらいの道を思ひ出していただきたい。そして、日々、臨戰態勢、常在戰場からくる佇まいは使つてみていただきたい。
 
 さうさう、故古岡勝さんのことである。
 古岡さんは大東亞戰爭開戰の翌年、陸軍中尉として中支戰線に轉屬となつた。戰場で日本刀で戰ひ、支那兵を斬つた體驗を持つ。過去に自傳を出版したが、この話は世にださないはうがよいと編輯の段階で削除されたと云ふ。
 もういいだらうと、八十一歳になつた平成十二年のこの對談で語つてくれた。六十年間の封印がとかれた。
 對談から一部拔粹。

〇袈裟懸けで斬る角度は四十五度がよいと云はれてゐるが、抵抗があつて惡い刀だと曲がつてしまふ。六十度が一番抵抗がない。
〇人間の胴に一番近いのが、疉表二枚分卷いたものに直徑三センチほどの二年目の青竹を背骨代はりに入れたもの。だが、人間の首は疉表一枚ほど。人間の首つてそれほど柔らかい。使ひ古した雜巾を絞らず壁に當てるとする、「ピタッ」とした音に似てゐる。
〇袈裟懸けに斬つても血は正面に飛ばない。戰場で何人斬つたかわからないが一度も返り血を浴びたことはない。返り血を浴びるのはよほど下手くそか、實戰を知らないひと。浴びるやうなことをしたら自分があぶない。一人斬つたらパッと逃げる、いや次の相手を探す。後ろから來られたら間違ひなくやられる。時代劇で圍まれて後ろの敵をかはすなんて嘘。後ろに目があるわけでない。
〇多數對多數の場合、兩手で斬ることない。片手でぶん毆り。實戰の場合、自然に片手になる。半身の方が劍先が長くなる。兩手だと間合ひが近くなり危險。實戰は腕力のある人、體力のある人でないとダメ。

 巨漢、宮本武藏が強かつたことがわかる。天然理心流が指が囘らないほどの極太木刀を使つたのがよくわかる。道場劍法でなく、ハナから實戰の場で通じる劍法だけを目指してゐたからだ。

 拔粹、つづく。
〇劍道家が日本刀は引き斬りだと云ふが、それはありえない。兩手を合はせて眞つ直ぐに伸ばす。指先を劍先と思へばよい。上から落としていけば自然に劍先は引く。おまけに日本刀は灣刀だから結果的に引くのであつて意識的に引くのではない。引いたら力は引く方へ逃げる。
そのとき手を絞る。それと斬りながら同時に後ろ足を引く。さうすると劍先は鋭くなる。
〇目釘は竹が一番。皮の部分は柄の頭の方へ。裏(腹)は劍先の方へ。

 さてさて、目釘は竹が一番と云ふ。撃劍試合で竹の目釘は折れたり、すぐにガタガタとなり使ひもにならなかつた。竹の質材が惡いのか乾燥度が弱いものだつたのか。だが、薩摩拵へに目釘穴が二つあり鐵であるものもある。また柳生新陰流の達人には鐵の目釘が使はれてゐた。これも時代考證には魔物が住んでゐるの一例か。
 これを明かすには、それさうとうの刀で、實戰に近い斬り込みを何度もしなくてはなるまい。

 次に日本刀の切れ味の話になる。『使つてみたい「武士の作法」』にも名刀傳説も紹介してある。やあ、また長くなりさうだ。これは後日に。

 さう、でも最後に、吉岡さんのこんな言葉を殘しておかう。
 當時、明日の命はないと云ふ氣分でしたから人もたくさん斬つてきました。戰爭だからやれるんです。あれだけ斬つても心に忸怩たるものはない。でも、いまでは毎日、燈明をあげ(斬つた方々へ冥福を)祈つてゐます。

 坂井三郎さんもそさうだつた。こんな所作は日本の軍人だけではなからうか。

2008/08/19(火) 晴れ


『餓死迫る日本』――官僚のご都合データの虚を衝く


 6月22日附けの「油が斷たれる……油斷大敵ですぞ」で、小池松次さんのことを綴つた。8月5日、小松さんの著『餓死迫る日本』(學習研究社)が出た。

 「まゑがき」で、かう述べてゐる。
<本書は、政府發表の「穀物自給率二七%、カロリーベース自給率三九%」の嘘を暴くことを第一の目的に執筆を開始しました>

 長年、政府發表の資料をくまなく集め、これを綜合的視野で檢證した。一年前に脱稿、出版社に持ち込んだが、「テーマが暗い」「日本が饑餓状態になる、そんな馬鹿な」と門前拂ひ。
 小松さんは平和ボケ日本の深遠を改めて知り落膽してゐた。拙者も某出版社へ“賣り込んだ”が甲斐も無かつた。そんな折、支那の毒入り餃子ニュースが沸騰した。かつて持ち込んだ學研と他二社から、出したいとの電話。一番はじめに電話があつた學研さんに決めたさうだ。

 米の自給率は一〇〇%、鶏卵九五%になつてゐる。しかし、農機具の動力の石油、科學肥料も除草劑、農藥もすべて輸入。日本の鶏も輸入のトウモロコシがなければ卵は埋めない。漁民のストライキが話題になつたことで平和ボケ日本人は知つた。漁船の燃料がなければ魚は一匹も釣れぬことを。が、魚介類の自給率は五九%と發表してゐた。

 おわかりだらう。各省擔當部門は「ウチの自給率はまあまあ大丈夫」と胸を張つてゐるのだらうが、綜合的見地で「日本人の食を守る」と云ふ一番大事な軸が見事に外されてゐる。食料問題では在野の小松さんはここに切り込んだ。
<筆者の淺學寡聞のゆへか、不思議なことに「自給率三九%」そのものを問題視した著作・論文に出會つたことがありません>

 いまの日本の官僚の實態がよくわかる。また、御用學者がのさばつてゐることも知れた。いまさら彼らをなじつてもしかたがないが、さうなつた因に、そろそろ本氣で怒らねばならぬ。
 日本列島、津々浦々に「日本は戰爭しません」と看板を立てておけば、戰爭は囘避でき平和と繁榮が約束されるとしたデマにのつた、その根性である。

 この著は危機意識を目覺めさせるだけでなく、「生き殘り策」を提唱してゐる。只者ではない著である。
 「急がれるエタノール・エネルギー自給」「石油なしの日本の夢の燃料は間伐材」「享保の饑餓や終戰時日本人一千萬人を救つたサツマイモ」「超優良野菜ケールならみづからの身を守れる」など卓見である。
 「船と石油が止まる日」(第一章)から「“一億總餓死”囘避への提言」(第八章)まで、じつくりお讀みなされ。

 この御本をいただきに小松さんの「あすか會」を尋ねた折、數十分の間に二件もの講演依頼の電話が入つた。すでに二、三あるようだ。小松さんの苦節が實つた證であらう。

 「推薦のことば」を西尾幹二さんが書かれてゐる。
 <平和ボケは外交や軍事だけでなく、身近な食料問題にまで及んでゐることを、本書はいつさいの希望的觀測なしで、具體的な數値データをもつて警告してゐる。……誠實に熱心に解き明かしてゐる。今の時代に尤も必要な警世の書である>
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 さう、學研さんで想ひだしたと、小松さんに話した。學研の副社長を經て最高名譽顧問であつた故古岡勝さんのことである。

 『武道通信』十二之卷(平成十二年)の對談(前田日明)に出ていただいた。「夢想神傳流」を學び「無雙流居合斬道」を創始した。陸軍士官學校卒業し、大東亜戦争開戦で中支戰線へ出征。まさに『戰ふ日本刀』を地で云つた方である。
 對談の中、みんなが口外するなと云はれてゐたが、もういいだらうと戰地での日本刀の切れ味の話をしてくれた。これは次囘で。
 
2008/08/13(水) 晴れ


矢張り一言


 觀ようとも觀まいとも思つてゐなかつたが、深夜偶然に支那五輪の開會式を觀た。

 この日の産經新聞「福島香織の北京特派員記者ブログ」を思ひ出しながら觀てゐた。「今日はブックレビュー。改革開放30周年の今年に、北京五輪前後に讀むといい本を紹介」として 『兄弟』(餘華著、泉京鹿飜譯 文藝春秋刊)を述べてゐた。多忙極めてゐる時期であらうが、叮嚀に實のある紹介をしてゐた。

 途中で他意無く消した。ただ、「支那人はみんないい人ばかりだ」と流しつづけてきた國營放送NHK。支那の正義を代辯してきたジャーナリズム宣言の朝日新聞。この賣國尖兵隊の大罪の深さを再認した餘韻は殘つた。

 さう、圖書館に『チベット大虐殺とNHK』を、いやまちがひ。『チベット大虐殺と朝日新聞』(岩田温 オークラ出版)を注文してこよう。忘れてゐた。いや、もう、どなたか取り置いてくれてゐるやも知れぬ
2008/08/09(土) 晴れ


「士農工商」は身分格差にあらず


 先の武道通信かわら版で、さむらいの女性への優しさ、いたはりを述べた。
 「士農工商」と云ふ身分制度は、本當に身分格差、職業差別なのか。どうもあやしい。「作法」を脱稿した折、さむらいの感性みたいなものにタイムスリップし、「士農工商」の實像が垣間見られた。

 「士農工商」の埒外が公家、神官、僧侶、醫師。それに刑場の處刑人。同心もこの仲間とされ、嚴密には「士」ではなかつた。同心が長脇指しのみの一本差しで、また、着流しで<五倫五常の袴>をはけなかつたはけは以前、綴つたと氣がする。

 公家が埒外であることはわかる。天下(日本)は公家と武家の兩柱からなつてゐる。別格である。神官もわかる。神官の頭領は天皇である。
 他の埒外。僧侶、醫師。それに武士の管轄にあり、武士の代はりに「士」以外を捕縛し、處刑する同心や處刑人、遺體處理班である下人(非人)。さう、武具の革職人もゐる。獸の皮を剥ぐ專門職である。

 彼らがなぜ、僧侶、醫師などと同格の埒外なのか

 つまり「死」と密着してゐる職業である。武士は職業ではない。これら職業を差別したのではない。埒外に置いた。通常の世界とは違ふ、生死をつかさどる異界と通信する者と云ふ感じでの區別である。
 
 江戸時代の時代考證的なものに頭を突つ込めば、「農」でいながら「士」であり、また「士」でいながら「工」を職ともしてゐたことを知る。明治以降、穢多(えた)と差別された革職人が「農」であつたり、「工」であつたりもした。
 <穢多、非人>の大親分は、財力と權力を手中にしてゐた。一旗本が敵う相手ではなかつた。

 「士農工商」は、支那崇拜で飯を食ふ儒學者の摸倣のパクリであり、幕府も元和偃武政策を急ぐため便宜上、設けたものであつた。江戸初期のさむらい、農民、町人は「士農工商つてなに?」程度のものであつたらう。

 「士農工商」やうな日本の身分格差の奧底にあるのは、實は「棲み分け」の智慧ではなかつたか。そんな氣がしてきた。日本獨自の進化論、今西錦司の「棲み分け」が生まれたのがうなづけるのである。

 日本が急ぎ、西洋のネイション・ステイトを模したとき、何千年も續いた「棲み分け」を無視して、ボタンの掛け違ひをしてしまつた。

 拙者も前日、「いまどきの日本人すべてに讀んでもらひたい本であることを再確信した(笑)」と記した。が、實は、いまある日本の内外、國際問題の策をかうじるとき、この「日本人」と括つてしまつて論じるのが間違ひの始まりではないか。

 拙著「作法」は、さむらいゲノム人にだけ讀んでいただければ良い、と心中深く念じてゐる(笑)。いやこれは差別ではない、「棲み分け」論から云ふのである。
 あと一ヵ月先ではあるが、拙著を讀んでいただいた後、ゆつくり述べたい。そのはうが理解しやすいと思ふからである。
 
2008/08/08(金) 晴れ


日本の男が「男の品格」を失つたはけ


 日本人エキストラ料の十分の一の支那共産軍を使へばよい。そのかはりドラマの軍服などの衣裝もメイドイン支那にしてくれ。できた衣裝はペラペラの粗惡品。日本の武士の武裝美學とはかけ離れた馬賊の類。背に腹變えられぬとNHKは涙を飮んだ。

 『坂の上の雲』の日露戰爭の撮影現場では露西亞兵と支那兵の戰ひとなるが、大問題なのは司馬史觀であつた。
 「乃木希典陸軍大將愚將説」である。兵頭二十八さん、別宮暖朗さんら軍事專門家が、とうの昔から異を唱へてゐた。それが近年、保守論壇にも普及し、一世を風靡した司馬遼太郎史觀にもかげりがでてきた。
 
 NHKは司馬婦人と何度も交渉したが、故人の遺言であるから、映畫、テレビ化の際も、この“史觀”を曲げることはできないとのこと。
 NHK版『坂の上の雲』で、このシーンが放映される頃には、NHK前に日本の良民のデモが頻繁に繰り返されるであらう。論壇雜誌でも、<乃木愚將>の信憑性を叩かれるだらう。ペラペラの粗惡品衣裝以上に頭が痛いNHK。さて、「皆樣のNHK」は、どんな手を考へるのか。
 
 自分の資料選擇のミスに氣づいたのだらう。司馬遼太郎は「これは小説なんだ」と居直つた。さう、『燃えよ劍』も、見事な小説であつた。
 
 そのむかし、會社時の晝飯どきの蕎麥屋で偶然讀んだ新聞のコラムで司馬遼太郎を知つた。晝飯の字時間を逃し、空いてゐた蕎麥屋に飛び込んだのだ。なかなか蕎麥がこない。テーブルの上にあつた新聞を手にした。

 司馬遼太郎は、中高年讀者層が讀む大衆小説家ぐらゐの認識しかなかつた。この叔父さん、なかなかの者だと感心してから中高年層の讀む雜誌にも手を伸ばし、司馬歴史小説は總ナメした。

 司馬遼太郎の歴史小説(時代小説)類での一番の傑作、小説の出來としては、やはり『燃えよ劍』であらう。

 「新選組お庭番」説に執りつかれた頃になつて、ああさうか、と納得したことがあつた。
 司馬遼太郎は、泰平の世の、軍人(いくさびと)を懐かしむ江戸時代の講釈師(軍談師)、戲作者と似ているなと。

 泰平の世も長くなつた江戸中期あたりから、むかしの武士を懐かしむ本、芝居が出現し始めた。「むかしの、おさむらいさんは、こんなぢやなかつた」との気分である。さむらい自身とて同感であり、内心忸怩たるものがあつた。宮本武藏らのかつての劍豪たちは、講談、淨瑠璃、歌舞伎の主人公として復活した。
 
 これら戲作者は、さむらいの勇猛果敢さをいきいきと描くが、自分が劍を取り戰ふことも、いくさ場で功名を舉げたいとは無縁の人たちであつた。だから“見てきたような嘘を云う”講釈が書けた。

 孫一家連れの歸郷から歸つた翌日、『真似てみたいさむらいの作法』(仮題)の最終ゲラが屆いた。刊行は八月末になりさうである。八月はやはり觀てしまふだらう支那五輪もあるし、秋風が吹き始めないと讀書もする氣がおこらないとの版元の判斷であらう。

 ざつと、目を通した。やはりこれは、いまどきの日本人すべてに讀んでもらひたい本であることを再確信した(笑)。
 昨今の外交交渉事を見るにつけ痛感する。事前調査に鈍なのは鯉口に手をかけてゐないからである。

 臨戰態勢、常在戰場の心構へが男の品格をつくる。これは古今東西、未來永劫變はらない。日本の男が「男の品格」を失つたから女も倣ひ、品格をなくした。拙著には、これが通奏低音として流れてゐる。


2008/08/01(金) 晴れ


新選組ツアー雑感

 
 試衛館跡を探し、市谷驛から柳町交叉點へ歩いたのはいつのことだつたか。天然理心流の門下生の末に席を連ねた頃であるから、二十年近く前ではなかつたか。

先の「新選組ゆかりの名所・旧蹟ツアー」のはぢめは試衞館。天然理心流の道場跡を訪れたときの感慨である。
 その日も暑かつた氣が……。いやいや、これは、つひに、この地に立つたと云ふ情思を高めたいための記憶裝置のいたづらかも知れぬ。ここはかつて、光化學スモッグの名所。路地裏の狹い道路を車が途切れなく排氣ガスを撒き散らしてゐたらう。
 とうとう、跡地はわからずぢまひであつた。誰かに聞いてみただらうか。その記憶もない。ただ、近藤勇、土方歳三、沖田總司らがゐた天然理心流道場とは異次元の所に立つてゐると云ふ、肌ざわりの惡い感觸だけは殘つてゐる。

 觀光地らしいプレート、幟もあつた。NHKの大河ドラマ以降か。掲示板に闇夜のカラスさんが冩眞を載せてくれた。ご覽あれ。

 土方歳三の生家、墓を訪れたのはいつだつたか。誰一人姿がない道をたどり、矢竹が植わつた家を見つけ、石田寺の歳三の墓を詣でた。墓の前に煎餠が入つてゐたやうなアルミ罐あり、その中に雜記帖が一册あつた。開いてみると全國各地から訪れた乙女たちの一筆が記されてゐた。司馬遼太郎の『燃えよ劍』の“功績”に改めて驚いた。

“浦島太郎”は土方歳三資料館の門を潛つた。歳三が背負つた石田散藥の藥箱は初めて目にした。木刀は冩眞でみたことがあつたが實物は初めてである。歳三生家の模型があつた。大きな長屋門、二階建て石藏。馬屋もあつたさうだ。
土方家傳來の十文字槍も掲げられてゐた。槍一筋で功名を競つた戰國武士であつたのだらう。戰國の世も終はり、地侍としてこの地に根附いた。
 
 一行は墓に參つた。“先客”がゐた。乙女たちであつた。二人づれと花を抱いた二組の乙女であつた。近藤勇の墓、井上源三郎の生家と、その樣變はりに驚いたが、變はつてないのが土方歳三への乙女たちの想ひである。

 小説家司馬遼太郎の傑作『燃えよ劍』にも、司馬史觀は色濃く漂ひ匂つてゐる。
 さう、『坂の上の雲』が、いよいよ9月からNHKでスタートするさうだ。制作費のため乃木將軍率ゐる日本兵は支那共産軍ださうだ。ツアーコンダクターのお一人が元NHK關係者であつたことからバスの中で聽いた。

 このつづきはまた。ただいま、いまから夏休み(笑)。
 
2008/07/26(土) 晴れ


淺田又左衞門のつぶやき


 汗だくになつた衣類を日に何度も着替へてゐたら、瞬く間に一週間が過ぎた。(和式)手ぬぐひと洋式(タオル)の效用の違ひに氣づいた。これも人種には關係なく地理的文化の違ひであらう。

 さう、久しぶりに日本武道具さんのHPで煙管を一服をふかした。日本刀の第六章「刄文」も送つた。義理が果たせたので、徳川紀州家下屋敷があつた澁谷界隈へ出かけた折、高田雜司箇谷街道の先の池袋村まで足を伸ばし、竹刀を一本求めた。

 さうさう、淺田又左衞門のつぶやきである。

 他の文明では考へられない特攻攻撃までした日本軍である。占領後の激しい本土抗戰を豫想した米軍は、シーンとした日本國民の靜寂さに畏怖した。何かとんでもない作戰を祕めてゐるのではないかと疑つた。
 「ああ、戰爭は終はつた」と云ふ虚脱感が全土を覆つた――これは終生、軍(いくさ)には見物人でありたいと願ふ習性の文人が流布させた文言である。

 かうまで完膚無きまでにやられたのは機械文明の差であつた。その悔恨の情が胸を締めつけ、死なせてしまつた同胞への鎭魂の念が列島を覆つたのだ。八月十五日のまばゆい夏の光と空の青さともとの沈默であつた。

 秋風の一陣が朝晩に吹き始めた頃ともなると、占領軍の狼藉振りが目にあまるやうになつた。虎の威を借りたやうに、出稼ぎに來てゐた<三國人>たちも狼藉を働いた。そのとき氣づいたのだ。「おさむらいさんの多くは腹を切るのではなかつたか。自刄したのは、ほんのわづかのおさむらいさんだけだつた」と。
 
 西洋文明の偉大さに、いまだひれ伏さない日本人に業を煮やした占領軍は、彼らが得意とするプロパカンダ作戰を開始した。
 「日本はナチスドイツと同じ、現文明の知性に反する惡い戰爭をした」――これが想像以上に功を奏した。なぜか。是非もないと云ふものだ。
 御一新の國民皆兵で農民、町人も、みな武人に、またその妻女となつた。が、長きにわたる敷島の習性は、たかだか百年足らずでは消え去らない。これがモックリと頭を持ち上げた。さむらひも自刄できなかつた自虐の念は消えない。さむらひの國とは異文化の國に成り果てた。

 機械文明の差の悔しさは、世界に冠たる工業立國となり敗者復活を果たした。が、軍(いくさ)では、いまでも見物人である。
 軍事力で恫喝され、智慧をしぼり、汗水流し稼いだ金を獻金させられ、隣國からミサイルを撃たれても、人さらひされても、國境を侵されても見物人でありつづけてゐる。
 又左衞門のつぶやきは終はつた。

 でも、又左衞門殿よ、さむらひのゲノムとても、さう簡單に消えしないはず。拙者が、このやうな生業(なりはひ)をしてゐるのも、十歳になるかならない頃であつた、祖母が云つた。「日本の兵隊さんは一對一なら負けなかつた」と。この一言があつたからだと、この歳になりよくわかる。わが家系の總領(嫡男)に云つておかなくてはならぬと、祖母が發した言葉であつたことが。

 拙者のご同輩は多くいるはず。さむらひのゲノムもムックリ頭をもたげてきていて、その気配は日増しに大きく感じられる。淺田又左衞門殿、いましばらくお待ちくだされ。
 
 
2008/07/19(土) 晴れ


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Colorful Diary Falcon World