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俺がやらねば 誰がやる


キーボードデスクの上段 モニターデスクの前に置いた
脇差を枕に寝かせている
格闘技通信bS 捲る

−−−−−−★−−−−−−
プロ・アマオープン異種格闘技対談60分1本勝負
前田日明/東 孝
本物の時代よ、きたれ。
格闘技の未来は、我らがになう。

前田 金的蹴り認める東に驚き
東 前田vsニールセン戦語る
東 前田vsニールセン 猪木vスピンクス戦語り
格闘技ファンの一割しか本物の技を理解しない
前田 東に質問
東さんのところ スーパーセーフをつけてやるんですね
グローブを使わないんですか
東 やはり格闘技は実戦性を考えると、組み技を欠かすことできない
指は自由でないとつかめないから
それにもうひとつ、ここ(頭を指す)がいかれちゃうから
−−−−−−★−−−−−−

ふたりの対談 どこかのホテル一室
かすかに記憶が蘇る
俺を入れ三人だった 写真も俺が撮ったのだろう
バカチョンカメラで撮ったアングル
するとこのテープおこし 俺がやったんだろ

bSあたりには 一、二人のフリーライターを使っていた
編集作業=企画→取材・原稿依頼→インタビュー・原稿整理 
タイトル・見出しづけ→レイアウト指示 
全部 俺
週プロ・スタッフには一切 関わらせなかった
週プロの編集長としての仕事は ノルマは従来どおり

長時間労働など ヘノカッパ 
おもしろかったから
いや 何かに憑かれていた
俺がやらねば 誰がやる
2023/06/06(火) 薄曇り


武道通信かわら版 配信日


加藤健さん 無銘刀(掲示板)に
格闘技通信 表紙bS UPしてくれた

きのう 箪笥 衣替え
江戸の世
六月三十日 
夏越の祓{なごしのはらえ}
一年の折返しにあたるので
神社では大祓{おおはらえ}の行事
参詣人に茅{ち}の輪をくぐらせて祓い浄める
くだけて 大掃除の日となる
江戸の人 大掃除 年二回

ことしこそ
夏越の祓(大掃除)しよう
年の暮れの大掃除 楽だ
2023/06/05(月) 晴れ


SHOOT BOXING


加藤健さん 無銘刀(掲示板)に
格闘技通信 表紙bP/2/3 UPしてくれた

    −−−−−−★−−−−−−
手元にある 日本武道具さんから借りた bS
1998年 事務所開設の折 入れたパソコンデスク 
キーボードデスクの上段 モニターデスクの前に置いた
脇差を枕に寝かせている

表紙 シーザー武志
タイトルロゴの上に
格闘技だけが生き残る
タイトルロゴ 近くの江川工芸さん たぶん五千円ほどか
Human body  ロゴ 
Tarzan デザイン事務所 三十万円ほどだったか
編集庶務 経理 オッタまげていた
上にあがっただろうが 社長 何もいわなかった
ドル箱週プロをつくった男に 文句をつけない

「シュートボクシングと タイアップしませんか」
ある日 訪ねてきた
bS SHOOT BOXING特集となる
「シュートボクシングのすべて」袋綴じでない綴じ込み付録
表紙裏 シーザーの折り込みカラーピンナップ 
写真/資料 ずべてシュートボクシング協会提供

巻末の方に 格闘具通信/第4回
bPからの連載モノなのだ
「パンチンググローブ」
前田とシーザーが撃ち合っている写真
キャプション
<シーザージムではSB−2000を使用
異種格闘技戦にそなえ前田が使ったものも、このグローブ>
シーザージムとは タイアップの話の前から周知の仲であったのか
なんせ三十五、六年前の話だ 記憶にない

シーザー武志 毎年 年賀状届く 
シーザー 幾つになつた

    −−−−−−★−−−−−−
bP/2/3 雑誌というより冊子であった
bS 折り込みカラーピンナップ 巻頭・巻末カラー各16頁
一色オフ 48頁 
タイアップがあったから体裁整ったのか 
いや 冊子 bP/2/3 バカ売れしたからできた
プロレスファン待っていたんだ こんな本
プロレスってなんだ 格闘技ってなんだ
この通奏低音 届いたのだ
2023/06/04(日) 晴れ


あのとき俺は


週刊プロレス 創刊号表紙 よく覚えている
bQ まったく覚えていない
手元にない ないはずである 家に持って帰って来なかった
週刊ベースボールもだ
格闘技通信もだ
天下国家を論じなければならぬ俺が
なんでスポーツ雑誌編集に手を染めなければならぬ
♪あのとき 俺は若かった

    −−−−−−★−−−−−−

格闘技通信合本セットに入れられ
bS/5/6/7/8/9
手元にある
記憶にない まったく想い出せないでいた

週刊プロレス創刊当時の表紙 ネット検索していたら
格闘技通信創刊当時の表紙 ネット検索していたら

出てきた 見つかった
日本武道具さんHPコラム 寄稿文 

【第三十三話 平成二十九年 六月五日
糊口を凌しのぐ

十年ほど前か、日本武道具さんから「格闘技通信」創刊当時のいくかのバックナンバーを送っていただいた。日本武道具さん、「格闘技通信」全巻揃っている。
送っていただいた、わけは定かでない。2009年12月に「杉山頴男(ひでお)Net私塾 編集とは時代の精神との格闘だ! ―−週刊プロレス・格闘技通信・武道通信への軌跡」との長たらしい題の<まぐまぐ有料メールマガジン>を発行。それではない。それ以前だとの記憶は濃い。
それはどうでもよい、本題。

「格闘技通信」が家には一冊もない。ない、と云うより家に一冊も持ち込んでない。
 入社したときの所属「週刊ベースボール・マガジン」も、次ぎの「(月刊)プロレス」「週刊プロレス」も家に持ち込んでない。
 そのわけは、これらは糊口を凌しのぐ稼業であり、本意の稼業ではないから。

 これはベースボール・マガジン社入社の際に明言していた。履歴書の入社動機欄は「生活のため」と一言。武士語で云えば「糊口を凌しのぐ」。
 野球が好きで野球雑誌の編集をしたい、などの嘘はつけなかった。武士だから(笑)。
 談余。その下の欄に特技があった。若僧は背伸びして小難しいことを書いのだろう。文言は記憶にない。社長がどう云う意味かと問う。一日中、天井を見ていられると即答。社長、即、面接会場だったホテルの天井を見上げて大笑い。即、入社。<のどかな>時代であった。

 若き日の宮本武蔵、糊口を凌しのぐための普請現場でアルバトをした。
 大工の鑿、鉋、鋸の動きに見とれた。道具を使う手の動きに見とれた。鑿、鉋、鋸の役割分担の極めを見定める。
 それができたのも武蔵は少年時から枝木を削り木刀をつくっているからだ。少年ながら実戦を想い描き、長いもの短いもの、重いもの軽いもの、細いもの太いものをつくった。

 『五輪書』にある十三歳で初めての決闘に勝ったのも、実戦を想い描き木刀をつくっていたからであろう。左半身で構え、左手の小刀で相手の目につけ、投げるそぶりで間を詰める。後ろ回した右手には劍でなく木刀。その角度は相手からは長い木刀とは見えぬ。長い木刀とて劍よりはるかに軽い。敵は左手の小刀に気を取られ間合を見失う。間合に入った瞬間、一撃。木刀でも眉間を打てば死にいたる。一撃は劍にこだわらず。木刀でも投げ礫でもよい。

 武蔵がそれより驚いたのは、棟梁の目を配り。「多」に目を配り「一」に執着しない。人にも時間にも。武蔵は一対多の操刀術をここから学んだ。吉岡一門との一乗寺下り松の決闘で勝てたのは、
アルバト時代に盗みとった術。
武蔵は、糊口を凌しのぐ時間を無駄にしなかった。

余談。
日本武道具さんには極真の外国人選手がよく顔を見せえていた。日本武道具の主{あるじ}は英会話は達者だ。極真会館本部は日本武道具さんから近い。

「格闘技通信」創刊時、極真会館から取材拒否された。わけはこうだ。大会を取材させてもらい記事にした。記事を印刷所に入れようとしたとき、極真会館から雑誌になる前に記事を読ませてほしいと。どんな風に書かれているか。要は検閲。それはできません。ジャーナリズムの端くれですから。巨人も阪神も卓球協会も、どこもかしこもんなことは云いません。「では、今後、取材拒否です」「はい、わかりました」

 極真会館へ嫌みを云うのでない。極真会館を愛する広報担当さん、当たり前のことを要求したのだ。それが当時の“業界メディア”になる免罪符。そんな<のどかな>時代でもあった。
 即、NOと云えたのも業界誌から脱皮するために創刊した「週刊プロレス」が成功していたからだ。】
    −−−−−−★−−−−−−

日本武道具さんに
bS/5/6/7/8/9
返さなくてはいけないなぁ
2023/06/03(土) 晴れ


俺の週プロだ


格闘技通信
社長 反対した
「同じボールを使うからと云って
野球 サッカー バズケットを同じ雑誌に入れたら
読者 嫌がるだろう」
まさに正論 

月刊プロレス 週刊プロレス
併せ四年余
時代 読み切っていた
正論が正論でなくなる日
 
−−−−−−★−−−−−−
プロレス→格闘技の下地はつけておいた
一頁もの「格闘技通信」半年ほどつづけたか
東 孝が興した大道塾 一頁のため仙台まで取材に行く
なぜ顔面撃ちなのか アンタが描く格闘技とは

社長が反対したから週刊プロレスの増刊とする
表紙 覚えている
bP ルーテーズとカールゴッチ
bQ 佐山聡と前田日明 
bR 前田日明 「プロレスって言葉が嫌いな人、この指とまれ」
  (原文引用文は句読点入れる)
週プロ編集長の脱プロレス宣言 
皆プロレスファンのスタッフ どんな心待ちであったか
そんなこと知ったことではない 知ったことでなかった
俺の週プロだ
2023/06/02(金) 台風


時代を讀み切る


百年前 創刊の某週刊誌 
きのう 休刊と云う名の廃刊
いまある週刊誌
いつまで つづく

つづくものも あるだろう
時代の精神みたいなものと
格闘し 時代を讀み切っている
編集者 一人や二人 おるだろう

−−−−−−★−−−−−−
社長に提唱した週刊プロレス 
いまなお刊行 
なぜか 毎週 拙宅にとどく
封 切ることない

社長の反対押し切つて
格闘技通信 創刊
二十四年後 廃刊
巷間で知る

スポーツ用具の広告だけじゃ しょうがない
汗が匂わない カッコつけだけのTarzanじゃ しょうがない

スポーツ総合出版社だからこそ
心とカラダを鍛える
雑誌「Human body」提唱
社長 大賛成
創刊 一年後 廃刊
当てにしていた広告費 大外れ
ウチの広告部 
スポーツ用品メーカー向け戦術しかなかった
彼(読者)を知りも 己(自社)を知らなかった
−−−−−−★−−−−−−

さて NHK大河をダシに いろいろ綴ってきたが
ここらで 自分が見てきたこと
知っていることだけ 書くことにしよう
蔦重みたいに 死期を感じているのか(呵々)

※旧かな旧漢字 や〜めた 算用数字も使う
が <國>とか<學>とか<讀>とか 
字体がカッコいいので使う
気分の問題 それだけ
気分の問題で句読点削除はつづける
2023/06/01(木) 晴れ


時代が あとからついてくる


「実を写す」 「写実」との日ノ本語
いつ だれが最初に使つたか 知らぬ
情緒過剰 ロマンを追ひ求めるのでなく
ありのままに捉えよう
西洋の美術上での主張 輸入されたのであらふ

それが文学上でも展開され
坪内逍遥に『小説神髄』書かせた

そんなこと どうでもいい 
写楽の正体だ

蔦重の草葉の陰からの声に耳を傾けよう
蔦屋重三郎の いまある墓だが
そんなことも どうでもいい 


鳥居清政だ
あいつに描かせよう
浮世絵師としては松竹梅の松だ
四代目 鳥居清長の御曹司だ
親父の師匠の孫を五代目にして養子に入れた
清政に断筆させ 鳥居家の
浮世絵師から外した

清政 「べらぼうめ!」と家を飛び出した
鳥居家に恨みあるはず
鳥居家の浮世絵でない 
浮世絵でない
ありのままの役者を描かせよう

清政 己の替玉 つくつておいてくれと云ふ
後世に 東洲斎写楽=鳥居清政とは残したくない

ウチの栄松斎長喜{えいしょうさい ちょうき}(蔦屋版元の浮世絵師)に
頼んでみよう この手の筋づくりはお手のものだ
東洲斎写楽でなく替玉の写楽斎を作つておかう
俺が死んだあとに その噂 流させよう
百年後には 
巷で叩き売りされている東洲斎写楽を毛唐が発見するだろう
時代が あとから俺についてくる 

蔦屋重三郎  筆を擱{お}く
2023/05/31(水) 晴れたり曇ったり


実を写す


関東地方も梅雨入り
江戸の世の江戸 梅雨入り 旧暦五月 
「五月雨」とは 梅雨どきに しとしと降る雨
鈴木春信の「五月雨」など五月雨 題材 多し
五月雨 しとしと風情
彫師/摺師の技量に頼る

さて 写楽だ
蔦重の草葉の陰からの声に耳を傾けよう

エレキテル先生(平賀源内)
あるとき 俺にこう云つた
実を写せ
役者の顔を書くなら 美しく装ふのでなく
人は皆 違ふ その人にしかない素を
実を写せ それが後世に残る絵だ
勝負はいまじやない 後世だ
拙者 もうじき死ぬ
後世で生き返るわ と笑つた

オレも いつかは死ぬ 
江戸わずらい(脚気)の具合もよくない
さう遠くない気がする
蔦屋重三郎の名
後世に残す手だて 思案するか

世は移る
端午の節句 お武家さん 家紋をしるした旗指物{はたさしもの}揚げた
いつのまにか 商人{あきんど}が真似 鯉のぼりを揚げはじめた
お上が決めた身分
そのむかし 歌舞伎役者 百姓町人 以下だつた
いまじゃ 花形役者 八丁堀(同心)なんぞ どぶ板扱ひ
お上が決めた身分なんぞ いつ変はるかわからない
身分じやねえ 身分を剥いだ生身だ
生身に 武士も町人も歌舞伎役者もねえ

生身を書かせてみよう 実を写さあせてみよう
誰にするか
2023/05/30(火) 晴れ


草葉の陰から


あじさいには 小雨が よく似合ふ
きのふ 曇り ときどき 晴れ 気温高し
野稽古 張り切り過ぎ 疲れ
UP 失念

『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
蔦重役 流れ星に決まつたようだ
写楽役 誰か
役所広司か そんなわけないか
脚本 坂元裕二に交代 そんなわけないか

さて 写楽だ
写楽役でなく 写楽の正体だ
NHK大河で 再来年あたりから
写楽の正体 SNSあたりで
ド素人 セミプロ プロ
あれやこれや なんのかんの
書きつづけるだらう

つまるところ
斎藤十郎 八丁堀に住んでゐたことはわかつてゐる 
が 斎藤十郎が写楽との確証(証拠)
いまだ見つかつてない
いまだ謎だと云ふことだ

次回
蔦重の草葉の陰からの声に
耳を傾け
蔦屋重三郎 
筆を擱{お}く
2023/05/29(月) 薄曇り


草葉の陰から


あじさいには 小雨が よく似合ふ
きのふ 曇り ときどき 晴れ 気温高し
野稽古 張り切り過ぎ 疲れ
UP 失念

『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
蔦重役 流れ星に決まつたようだ
写楽役 誰か
役所広司か そんなわけないか
脚本 坂元裕二に交代 そんなわけないか

さて 写楽だ
写楽役でなく 写楽の正体だ
NHK大河で 再来年あたりから
写楽の正体 SNSあたりで
ド素人 セミプロ プロ
ワンヤカンヤするだらう

つまるところ
斎藤十郎 八丁堀に住んでゐたことはわかつてゐる 
が 斎藤十郎が写楽との確証(証拠)
いまだ見つかつてない
でオワリ

次回
蔦重の草葉の陰からの声に
耳を傾け
蔦屋重三郎 
筆を擱{お}く
2023/05/29(月) 雨


絡まる


「無口でおとなしい性格だつた」
「まさかこんな事件を起こすなんて」 

茂重(蔦重} 
七歳のとき 両親 離婚
本名・柯理{からまる}から
商家「蔦屋」の養子に
蔦屋主人 何かの縁と

茂重
無口でおとなしい性格だつた
まさか「身上半減」の刑 財産半分にされるとは

寛政の改革
幕臣の借入金をチャラする
棄損令{きそんれい}にはじまり 
風紀取締り 黄表紙 洒落本 取締り

老中松平定信に忖度する町役人
蔦屋重三 山東京伝 狙ひ打ち
山東京伝 手鎖{てぐさり}五十日 五十日手錠かけつ放し

京伝 「深く畏れて 是より謹慎第一の人と」と転向宣言
蔦重 てやんでえ(何を云つてやがる)
某狂歌師に詠ませた
「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」

茂重
無口でおとなしい性格の子だつたが
理不尽なことには絡まる子であつた

転向後の山東京伝一代記 
「版元蔦屋重三郎大腹中の男子なれば
御咎もさのみに思ざる気色なりし」
2023/05/27(土) 晴れ


洒落本


浮世(世間) 
物騒な事件つづく
♪あゝ いやなつちやつた 
 あゝ 打ち首にしてやりたい

江戸の世
浮世 好色の意味となる
遊里へ通う道→浮世小路
好色の男→浮世男
遊里で使はれる言葉→浮世言葉
洒落てゐる

洒落本
遊郭での対話形式の内輪話
内情をばらすこともあるが 
遊女と客の人情の機微 

蔦重
朋誠堂喜三二に洒落本も書かせた
秋田藩江戸留守居役 度々 接待で廓へは
しかし 遊女と客の人情の機微はわからぬ
藩費で來てゐるお武家さんに 本音は吐かぬ
そこで 
蔦重 遊女と客の人情の機微 語つて聞かせた
朋誠堂 ウンウンと頷きながら筆を進める

蔦重 ネタ元 
朋誠堂 聞書
朋誠堂 蔦重のゴーストライター

余談:
週プロ 巻頭記事 
金曜夜 編集長 語る
ゴーストライターがメモをとる
編集長 この一週間出来事
これがどこから來て どこへ行く
月曜 午前 原稿記事 上がつてくる
編集長の辛辣な発言 やんわり辛口に
名ゴーストライターであつた
2023/05/26(金) 晴れ


黄表紙


蔦重 『吉原細見{よしわらさいけん}』出す前
最初の出版物 年刊の『一目千本』
遊女 当時流行の挿花にたとへた評判記
妓楼{ぎろう} 遊女屋が
お得意先などに配る販促に使ふ

蔦重 
妓楼 出入り頻繁に
郷里の家族ために健気に奉公する遊女
しつかり見てゐた
年季の明けた彼女らに手土産 持たせた
妓楼の販促でない遊女たち自身を書きたかつた 
吉原細見 その心意気から生まれた

蔦重 三十三歳 
老舗版元が並ぶ日本橋の通油町へ移転
黄表紙/洒落本 ヒット作 飛ばす

黄表<誌>でなく なぜ黄表<紙>か
一番安い半紙 半分に そのまた二つ折
これを五枚重ね 一巻 一つの物語 三巻〜五巻

子ども向けの草双紙が大人向きになる
洒落と諷刺を織り交ぜた

蔦重の黄表紙 出版 はじめは
朋誠堂喜三二{ほうせいどうきさんじ}作
朋誠堂 れつきとした秋田藩の江戸留守居役

黄表紙の斜に構えて世相を射る精神
脈々と引き継がれた
明治末 内田魯庵{うちだろあん} 
『社会百面相』となつて現はれる
ドストエフスキー『罪と罰』(英訳)読ん
おつつたまげて トルストイ「復活」 翻訳した学才

日清戦争後の小ブルジョア社会
そこに巣食う官僚/実業家
それに憧れ 俺も俺もの大学卒業生たち
勘定高く自堕落で享楽的な生態を戯作風に描く

内田魯庵 江戸下谷生れの旧幕臣の子
狂歌の太田南畝の血潮も 明治へ引き継がれてゐた
2023/05/25(木) 晴れ


人は死んだら どうなるか


自分だけ 命を取り留めた 某歌舞伎役者の証言
「死んで生まれ変はらうと家族で話し 両親が睡眠薬を飲んだ」

≪死んで生まれ変はる≫
輪廻だ

古来 日ノ本人 死のイメージ
神話の黄泉の国  以外
死のイメージ はつきりしたものはなかつた
仏教 入つてきて 
輪廻と地獄

輪廻にもクラス分けがある
人間に生まれ変われるのは 生前 善行を積んできた人だけ
某歌舞伎役者の父母 善行を積んできただらう 
また人間に生まれ変わつて來てほしいものだ

蔦重 歌麿 写楽にされた能楽師 それに北斎
曲亭馬琴 山東京伝 十返舎一九らに
死んだら どうなると 聞いてみた とする

一、仏の弟子になる
二、仏の弟子なので戒名つけてもらふ
三、三途の川を渡って あの世にいく
四、遺族が戒名を書いた位牌を仏壇に祀つて祈る
五、お盆には死者は あの世から戻つてくる
まあ こんなところだらう

江戸の世となり
布教禁止 幕府に逆らえば廃宗
武家政権に金玉握られ
各宗の経典 自己賛美 他宗避難 控え目に
似た者同士となり
人は死んだらどうなるか 上記が通念となる

仏教 ことはじめ
お釈迦さん(ゴーダマ)
死んだあとなど わからない と
来世 極楽 地獄 一言も無い
輪廻なども一言も無い
お釈迦さん 自身は人間だと
人間として死んだ それだけ
それだけでオワリ

後年 お釈迦さんに ベタベタといろんな
<経典>を貼り付けた
それが いまある宗派

お釈迦さん 合理主義者だ シンプルだ
そのシンプルさを引き継いだのが禅宗と云へよう
座禅しているときが仏 それだけのこと
武士が飛びついたのがよくわかる

それはいつか また
いまは江戸の世 新吉原をプロデュースしていく
蔦屋重三郎のハナシだ
2023/05/24(水) 晴れ


カンウンターカルチャー


イナセな法被{はつぴ}姿
イナセとは
日本橋魚河岸{うおがし}の若衆
髪を「鯔背銀杏{いなせいちょう}に結つてゐたところから
形が鯔の背に似てゐる
鯔{いな} ボラの幼魚

ツウ(通) イキ(粋)
蕎麦をすすつて音を立てて食ふ
これがいつしか
ツウ(通) イキ(粋)になる

武士のカッコよさへの 
威張りくさつていゐ武家文化への
カンウンターカルチャー 対抗文化
俺たちだつてカッコいいとこあるさ

遊女の哀楽 哀愁からのプライド
花魁で完成

蔦重の肝に 
カンウンターカルチャーがあつた

カンウンターカルチャーがあつたうえでの
吉原細見{よしわらさいけん}
であつたから 業界誌から脱却できた

プロレス
正義(ベビーフェイス)は 強くなければ正義でない
強さこそ正義
平和憲法なるものへの
カンウンターカルチャー
2023/05/23(火) 雨


吉原細見{よしわらさいけん}


♪粋な黒塀 見越しの松に
 アダな姿の 洗い髪
 死んだはずだよ お富さん
(昭和二十九年)

♪死んだはずだよ お富さん
ガキども ここだけ歌つてゐた
ガキども アダな姿 意味などわからない

アダ 仇ではない
婀娜{あだ}
女の美しくたおやかなさ
色つぽくなまめかしいさま

ツウ(通)とイキ(粋)
辞書 引きなさんな

蔦重ら
[通]
遊郭の事情などをよく知つてゐる
[粋]
遊郭に関して精通してゐる
との意味で使つてゐた

吉原ガイドブックのはじまり
『袖の梅』『最中の月』
遊郭の広告が優先
ここに蔦重の
『吉原細見{よしわらさいけん}』が割つて入つた

どこの遊郭に どんな遊女がいて 料金はいくらか……
遊女の身になつて 客の身になつての編集
広告優先の業界誌からの脱却

新吉原生まれの蔦重
遊郭に顔が利いた 
遊女の哀楽 哀愁 わかつてる
『吉原細見{よしわらさいけん}』
よく讀み 遊郭によく通ひ
[通]に[粋]になる

安永三年(1774) 蔦重 二十四歳
蔦屋重三郎の名前 初めて“歴史”に登場

再来年のNHK大河 どこからはじめるのだらう
子供時代 創作するのか

余談:
週刊プロレス 創刊
業界誌からの脱却だつた
団体 いつか天下の宝刀<取材拒否> 抜くだらう
覚悟してゐた
レスラーの身になつたはけじやない
客の身になつての編集
プロレスファンを日陰者の身から解放したかつた
2023/05/22(月) 晴れ


ツウ(通)とイキ(粋)


「安らかに眠つて下さい 過ちは繰返しませぬから」
敗戦後 二十年後あたりから
誰の過ちかの 主語がない 
GHQ洗脳の自虐感
ぼちぼち 云ひはじめた

コレ 日ノ本の仏教感(思想)

江戸の世 
ガッチリ確立された武士政権
儒学(朱子学) 幕府公認 
武士 儒学を学ぶ
儒学 人を治さめるための学問
武士 政治を担当
人は死んだらどうなる 死とはなにか
仏教が担当 して僧侶が葬式担当
棲み分けが固定した

それ以前
仏教 それぞれ宗派
人は死んだらどうなる 死とはなにか 
テンテンバラバラだつた

徳川幕府 門徒制度(檀家)確立
各宗派 布教禁止
〇〇宗と決まつていれば 子孫永久に同じ宗派
変更 禁止
各宗派の教典の経典 
いつの間にか トゲトゲしさなくなり似た者同士
この丸くおさまつた宗教感
それが
「安らかに眠つて下さい 過ちは繰返しませぬから」

蔦重 歌麿 写楽にされた能楽師 それに北斎
曲亭馬琴 山東京伝 十返舎一九らの
檀家の寺は知らぬが
彼らが大事な “経典”は
通{ツウ}と粋(イキ}
2023/05/21(日) 晴れ


武道通信かわら版 配信日


修學旅行 広島へ
原爆資料館

記憶の引き出しにある ワンシーン
子供の皮膚 焼き焦げ こびりついた壁

原爆資料館 それだけの記憶
それだけの記憶 いまなお消へず
2023/05/20(土) 曇り


吉原大門{おおもん}の前


♪つたのからまるチャペルで 祈りを捧げた日
 学生時代(昭和三十九年)

「つたのからまる」
蔦唐丸{つたのからまる}
蔦重 狂名{きようみよう}

「青本の春は来にけり ひとはけに霞むあなたの山東より 蔦唐丸」
歳旦狂歌集『どうれ百人一首』(寛政五年)
写楽を売り出す二年前

狂歌 先にも触れたが追記
いま風に云へばパロディ
高級な和歌をもじつて 下ネタなど俗つぽさを織り込む
「詠み捨て」その場だけで楽しむ 「詠み捨て」であつたが
江戸時代に『千載和歌集』のパロディ『万載{まんざい}狂歌集』
刊行者 須原屋伊八

蔦重 物書き 十代のおわりころからはじめてゐる
本読みが好きな少年 物書きの端くれになる 極 当然
物書きになりたかつたが本屋(版元)になつた
偶然か 必然か
必然であつた

蔦重 初めての本屋の場所 
吉原大門{おおもん}の前
吉原遊郭
鉄漿溝{おはぐろどぶ}と呼ばれる総堀を周囲にめぐらし
出入口は大門口だけ

蔦重 物書く発想の原泉の地であつた
いまある蔦屋重三郎伝記もの
すべて ここから 吉原大門の前からはじまる

談余:
いまある埼玉市浦和区仲町 書店「須原屋」
『万載狂歌集』発行元 須原屋伊八の末裔
2023/05/19(金) 雨


蔦屋重三郎こそ 誰だ


人気歌舞伎役者 自決 はかる
週刊誌 スキャンダル記事 原因か
セクハラだけが一人歩き

「写楽は誰だ」
だけが一人歩きした
写楽を売り出したのは 誰だ
写楽に “先生”ゐなかつたか
蔦屋重三郎こそ 誰だ
そこに写楽の謎がある

蔦重
「おまえの名がばれないように
二十八枚 描き上がる前に
替え玉 つくつておく」

八丁堀に 阿波さまお抱えの能楽師がゐる
所詮 ワキ役 能では生涯 下積み
画ばかり描いてゐるさうな

斎藤十郎兵衛
蔦重のフェイク
「写楽は誰だ」だけが一人歩きした
松本清張も引つかかつた一人

寅さん流に
≪生まれも育ちも 江戸 新吉原
正法寺の産湯につかり
姓は蔦屋 名は重三郎
人呼んで蔦重と発します≫

蔦重 生まれる 凡そ一〇〇年前
明暦の大火(1657) 
日本橋葺屋町 吉原遊郭 焼失
浅草の北に移転 新吉原と呼ばれる

新吉原遊郭からの客が落としていつたろ
十代の蔦重 
黄本 讀みふけつてゐた

おれも書いてみよう
2023/05/18(木) 晴れ


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