■生きている英霊
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松岡氏 平成十二年(2000)の二月 『日本流』 著す 刊行 対談は その一ヵ月前ごろか
『葉隠』 <芸は身を助けるというが それは他藩の侍の事であって 御当家の侍にとっては 芸は身を滅ぼす基だ 何事でも一芸に堪能な者は 芸者であって侍ではない>
松岡氏 『葉隠』の芸者に反論 【武芸・武術を英訳するとマーシャルアーツですね。技術イコール芸靴であって、つまり芸なんです。本来、日本人は芸を決して見下していなんです。】
松岡氏 芸能の「能」を語る 「能」は ひとに備わっているものではない
【日本の芸能という言葉の「能」という字はアビリティのことです。 そのアビリティがあることを「才能」と言いますが、この「才」は人に備わっているのっではないんです。物とか石とか木とか鉄に備わっていて、それを取り出して仏像や刀や庭石にするのが「能」なのです。 だから能楽の「能」もそうなのですが、何をどのように取り出せる力があるかが問題で、 その取り出したものを見せ合うわけっです。】
松岡氏 初対面の折 剣道をやっていたこと 話された 連載 二ノ巻 【私は三島由紀夫とは一度だけ会っただけである。 船坂弘の剣道場であった。】 稲垣足穂や泉鏡花の話しの中で山中鉄舟の話しが出た まあ、長くなるからやめておこう 松岡氏も云っているから 【それはともかく、私が会った三ヵ月後に、三島由紀夫は市ヶで自刃した。】
船坂弘 「本のデパート・大盛堂書店」 主{あるじ} 介錯に使った関の孫六(後代) 船坂氏が三島に贈ったもの この御仁 <伝説>のひとである 「勇」つく言葉 すべて持ち合わせた御仁であった また アンガウル島に鎮魂慰霊碑を建立することに生涯を賭けた 「鎮魂」のひとでもあった 「生きている英霊」と称された
話しが逸れた 次回 懸待一如
−−−−−−★−−−−−− 子供のころ <生きている英霊> 見た 軍帽 白い服 片足 松葉杖 祖母 その人の胸の前の箱に銭を入れた
2024/04/26(金) |
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