■特攻の心
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マバラカット慰霊祭を終え 隣町のバンバンの「大西瀧治郎平和祈念碑」へ向かう 記念碑はバンバン歴史協会が この10月に設立したばかり 式典が終わると 記念碑の裏手の急な斜面を登った雑木林の中にある洞窟へ案内された 入り口 一人ずつしか入れそうもない 野犬にも見捨てられたような無愛想な暗い口が開いていた 入ることは禁止 入口の手前に白いプレート案内書き ≪1944年11月20日1995年1月9日にかけて このトンネルは大西瀧治郎中将率いる第一航空隊艦隊と福留繁中将率いる第二航空艦隊の司令部であった(以下略)≫
『神風特攻の記録』 手持ちのカバンに入れて成田空港へ向かうリムジンバスの中 また機内で開いた その夜 ホテルで再び開いた <このトンネル>と書かれた洞窟 「洞窟の司令部跡」の章だった
≪洞窟の司令部に粗末な机と椅子が於かれ六畳ほどのバラック部屋があった。昭和20年1月6日の夜、この長官室に大西瀧治郎中将は中島正飛行長を呼んだ。 「誰かが神風特攻隊の心を伝えなければならない。部下全員、山籠もりするには辛かろうが誰かが内地の者に伝えなければならない。嫌なら命令を出す」。 そう大西長官は言った。 この数時間前の午後4時、フィリピン最後の特攻となった5機がマバラカット飛行場から飛び立っていった。一機は巡洋艦、他の三機は大型輸送船に命中炸裂した。 その翌日の5日、出撃できる零戦全機(40機)がすべて飛び立っていった。残った故障機は焼却し、6日以降は全員、山中にここり陸戦隊になることになっていた。しかし整備員が火に燃やすのは忍ないとし、夜を徹し整備し6日の朝、出撃できる5機が出現した。 このとき残っていた特攻資格者は30名。中島飛行長は、この日の出撃に志願するものに手を挙げさせた。全員が手を挙げたので玉井副長官と打合せ5名を選んだ。 神風特別攻撃隊第二十金綱隊。一番機中野勇三少尉。コクピットから身を乗り出し、「飛行長、ありがとうございました!」と叫んだ。二番機もニッコリと笑いエンジンを入れた。三番機、四番機、五番機も同じように飛び立っていった。≫
−−−−−−★−−−−−− 十二ノ巻 【特攻の心 田形竹尾 ――元陸軍特攻教官、特攻隊員の伝承】 軍国主義の犠牲者と言われた若き特攻隊員たち しかしその内実は現代人の価値観を遥かに卓越した崇高なる心の持ち主だった 目が澄んで頬がにっこりと笑い 「後を頼む」の遺言を残して出撃していった彼らの心境は 特攻教官であり また実際に特攻命令を受けた者にしかわからない
特攻教官 田形氏の言葉に耳を傾けよう 田形 → 私は教官として年齢二十二歳から二十五歳の学徒と 十七歳から十八歳の少年航空兵五十名に特攻訓練を指導した それまで私は幾度もの航空作戦に参加し 夜間不時着による昏睡状態 航空機離陸中の爆撃等で幾度もの苦しみを味わった また二機の飛燕戦闘機で三十六機のグラマンを相手に死闘を演じて生還したが特攻教官としての八ヶ月は、それ以上に苦しいもので自分が最も惨めな時期だった。 特攻隊員の心理は通常戦闘の決死隊のものとは比べものにならない より崇高なものである 教官をはじめとした決死隊は恐怖感 疲れ 死の恐怖を持っているが 特攻隊員たちにはそれがない 目が澄み 頬が笑っていた そのために教官の私が八ヶ月間 精神訓話をやる必要がなかった いや 特攻が決まっている隊員の方が精神性が高く 精神訓話など必要ないのである 彼らは死ぬつもりで志願して目前に死があることを自覚している しかも航空隊では戦況情報がいち早く べて入るので いよいよ自分たちの死ぬ時期が近いことを悟るのである 当時私は 八ヶ月間特攻隊員の兵舎を巡察していた 一部屋に20名ずつの寝室を見回るのだが 特攻隊員はほとんど熟睡している これは訓練で疲れているのではなく すでに生死を超越しているからだ 逆に教官や助教を見ると死の恐怖を感じてか無意識に寝返りを打っている 出撃前夜の特攻隊員は今生最後の睡りを噛みしめるように熟睡していた
昭和十二年十月、私の初陣前夜とは大違いである 生身の人間がこのような心境に達することは並大抵なことではない ましてや十七歳から十八歳・二十二歳から二十五歳の若者たちは 先々五十年は生きることができる しかしそれでも十人に一人 五十人に一人の難関を志願し死んでいく この心境は死の意識が身近にない普通の宗教家や哲学者が理解できる心境ではない だから指揮官が特攻指導をすることは無意味だ 私はこの形式的な指導に腹を立て 部隊長に文句を言ったことがある 私は十年間飛行機に乗っていながらも死の恐怖だけは越えられなかった 心の中に「助かるかもしれない」という意識があって観念的な生死観しか確立していなかった 決死隊として私は戦い 教官として彼ら特攻隊員を訓練したが それでも必死隊の心境がわからなかった しかし昭和二十年八月十四日 特攻命令をもらってようやくわかったのであった。 (2024/11/23(土) 再録)
2025/10/22(水)  |
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