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眠っていたDNAがスイッチON


ぼんやりとした記憶 一點だけ 妙に生々しいシーンがある

一時間かけて一家總出で靜岡市の展覽會場まで
幼稚園兒だつた拙者の繪が飾られてゐたからだ
いきさつの記憶にまつたくない

額に入つた自分の繪を見上げた
たしか汽船のやうな船首が波を切つてゐる繪だ

「みんなで舟漕いだことあつたなあ」
幼稚園兒 心中でつぶやいた
生々しいシーンが記憶の引き出しにしまはれてゐる

その後 繪畫塾へ通はせられたが
繪の才能はまつたく無いことが證明されるに
時間はかからなかつた

いま流行りの<DNAがスイッチON>
眠っていた
繪力DNAがスイッチONしたのか
それも一瞬 
そして一瞬にOFFになる 

諸手船{もろたぶね}を漕いでゐる
かも知れぬ さうかも知れぬ
遠い遠い経験が 
祖先の経験が
脳神経細胞でスイッチONしたのか

オオクニヌシ 高天原の使者タケミカヅチに
出雲の國を高天原への獻上を迫られる
「アマテラスとタカミムスビの命である」とタケミカヅチ
「いま暫く」とオオクニヌシ

美保の岬で釣りをしてゐる
息子のコトシロヌシへの意見も聞いたいと

一本のクスノキの巨木を刳りぬいた諸手船{もろたぶね}
一番後ろに陣取る舵手の掛け聲に合はせ 
八人の漕ぎ手が力一杯漕ぐ 
波頭を切つて諸手船 美保の岬へ
コトシロヌシ 「マテラスに獻ずる」と一言

島根縣松江市美保關町の美保神社 
毎年十二月三日 神話が再現される
諸手船神事

美保神社 本殿を二つ持つ
ミホツヒメ(大御前)を祀る  神寶は鏡
コトシロヌシ(ニ御前)を祀る 神寶は劍

ミホツヒメ 高天原のタカミムスビの姫
オオクニヌシの后となるため遣はされた
コトシロヌシ オオクニヌシとカムヤタテヒメの男子
義理の母子を並び祀る

オオクニヌシ 浦外れの丘の上
客人{マロウド}社 別宮に祀る

それはそれとして
出雲國風土記 美保の地の名の由來は ミホススミ
オオクニヌシと越國{こしのくに}のヌナカワヒメの女子

ミホススミが消えてゐる 消されてゐる
なぜにコトシロヌシ 入水

同じ時期 同じ天皇の命によって編纂
『古事記』『日本書紀』

「出雲神話」を
『古事記』 熱く語る
『日本書紀』 さらりと

山彦 海彦の相剋はつづいてゐた
山彦 海彦 出生は同じ 關東 坂東

どこでどう 袂を分かつたか

2019/05/23(木) 晴れ


ずつとむかし ここに 來たことがある


ハバロスク・サンボツアー
一名だけ抽籤で無料とした
応募はがきの中から一枚 意図的に選んだ
整體師 サイード・パリッシュ イラン人

拙者 出版局在の折 刊行
サイード・パリッシュ著
『武道整体医法―武道医学入門』 
『活殺法の秘奥―武道医学極意 柔術整骨医法』 
『臨床武道医学―続・武道整体医法』

翻訳者の名はない
本人の日本語原稿

天然理心流道場へ通ふ仲に
三鷹驛から徒歩十分ほど 三鷹武道館へ
古風然とした道場

パリッシュ氏{うじ}の師 
中山清 日本武道醫學會設立者
師から戴いた村正をみせてもらふ
肉づき薄く 反りは淺い

自分が故國に歸るときは置いていく
日本の寶 日本から持ち出すのは邪道だと

訪日の折 丸龜城に
「ずつとむかし ここに 來たことがある
この光景 見たことがある ここに居たことがある」
コレ 在日イラン人 永住のわけ

拙者もある
一度だけでない
一度は 諏訪湖サービスエリアから諏訪湖を望む

「ずつとむかし ここに 來たことがある
この光景 見たことがある ここに居たことがある」

鹿島神宮の祭神タケミカヅチ一族の記憶の遺傳子か
タケミカヅチに投げ飛ばされ  諏訪大社に祀られた
オオクニヌシの子タケミナカタ一族の記憶の遺傳子か

書き記された 國讓り神話には
隱された もう一つの神話 傳承がある
それを解けと
二つの遺傳子が挌鬪してゐる
2019/05/17(金) 晴れ


神話の力


「武道通信」五ノ卷 卷頭對談論客 西尾幹二氏{うじ} 
小林よしのり氏に依頼した
西尾氏 『國民の歴史』執筆中 
『國民の歴史』で書きたかつたこと と表紙で謳つた

論客 支那文明と日ノ本文明の異  コレを基調に論じる
日ノ本文明の根源にあるもの それは神話
日ノ本古代權力にあるもの それは神話
武門が朝廷の上に立つことがなかつた それは神話
神話の力

一ノ卷論客 小林よしのり氏
前田と誰がよいか話合ふ中で出た
「あたらしい歴史教科書をつくる會」講演會 
前田がゲスト出演するのが承諾條件 前田 了承 

二ノ卷 豬瀬直樹氏 
一ノ卷特輯は日本刀 「日本刀を鑑ると、この日本のかたちが見えてくる」
この言ノ葉を世に問ふためであつた
一に日本刀 二に三島由紀夫 
論客 ここまでしか立ててゐなかつた
で 『ペルソナ-三島由紀夫傳』著者を招く 

三ノ卷 高橋巖氏 前田が出してきた 面識があり敬愛してゐた
高橋氏の仲介で 小杉英了氏を知る
小杉氏ほどの論客が いまひとつ世に知れわたらないのは
「正しい方向に間違へると云ふ 特別の才能に恵まれてゐた」
種の御仁ゆへなのだらう

四ノ卷 呉 智英氏 前田が愛讀してゐた
談餘 オワリ

古事記は<記> 諳誦の口調を重視したから<記>
日本書紀は<紀> 編年體で書かれたから<紀>
編纂の意図 目的の違ひ
などなどと解説された“ふるひ歴史教科書”
一度 閉ぢよう

朝廷内 二つの勢力があつた
それが<記>と<紀>に分かれた

山幸彦 海幸彦 
それが<記>と<紀>に分かれた

山幸彦 海幸彦 元は同じ
海神{わたつみ}を奉じる海人{あまびと}

熊野信仰
山から海ではない
海から山
海水面 いまより三十p高かつた
沿岸からすぐ山
山に住んだ山の神は本來、海の神
海と山を往還する神

熊襲も蝦夷も 元は
海神{わたつみ}を奉じる海人{あまびと}
第一次 天孫降臨族

第二次 天孫降臨族で
山幸彦 海幸彦に分かれた

2019/05/14(火) 降ったりやんだり


神の國 それでよい


右耳垢は乾式 左耳垢は濕式
綿棒をみればわかる
拙者 混血である

血液型 RHマイナスA
古ぼけた日本赤十字社獻血手帖を財布に忍ばせてある
モンゴロイド系でない血も混ざる
拙者 混血である

令和から大化まで遡り 更にその十倍
二萬年前まで遡ることができたら
拙者 何處と何處と何處の混血がわかるだろ

二萬年前まで遡ることがでない代はりに
2010年以降
古人骨のゲノム解析が可能になつた

繩文人 稻作(陸稻)もしてゐた
繩文人 彌生人
同じ混血 稀有な固有種であつた
在來繩文 渡來彌生の區分けは消えた

繩文土器 彌生土器
土器の使用目的が替はつただけ
同じ稀有な固有種が作り手

現在の東アジア集團とは
かけ離れた遺傳子
ふたたび 單一民族説が復活する
神の國 復活する

古代文明に繋がる國々は 
神の國と名乘つてゐるのであるから
それでよい
たつた一度の 異國との敗戰で
神の國を捨てるのは
ご先祖さまに申し譯ない

アングロサクソン系の一神教への恐怖からの
慌てふためいての 國家神道でない
繩文の水脈を辿る神の道
繩文人の水路を辿る神の道

アングロサクソン系 近年の
ジャパネスク熱の火種はコレ
文明の衝突にヘキヘキ
文明と衝突しない文明に戀焦がれる

神の國の出番
ゆゑに繩文の水脈を辿る神の道
繩文人の水路を辿る神の道
を辿る
2019/05/10(金) 晴れ


日本武道具さんへ一筆啓上


【天正】 
 武士モノを著わす拙者にとって一番に気になる元号がある。
 それは【天正】
http://www.budoshop.co.jp/Japan-toppage.html
2019/05/08(水) 晴れ


平岡公威氏{うじ} 新元號もニュートラルでありますか


三十一年前 「平成」をはじめて眼にしたとき この言葉が浮かんだ
【日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。】

ギアが かみ合うことなく 動力が伝たわらないニュートラル
「令和」も そうでありましょうか
「平成」と同じく
 
あの日の午 
家内から社に電話があった 縁者の訃報か?
「三島が……」 
あの日の夕暮れ
拙者と同い歳の感じの劇画家が
「締め切り日 延ばしていただけませんか」
泣きはらした後のような まっ赤な眼
「縦の会」の会員だとはじめて知る

あの日の家路
途中 学生時代通った喫茶店の奥のボックスで
身の置き場がなく うずくまっていた
給料日 ささやかなりとも近所の寿司屋が決まりだったが

大正 最後の年の1月に生まれ つまり昭和元年生まれ
昭和45年11月25日没 享年45

【玉音の放送に感涙を催ほし、わが文学史の伝統護持の使命こそ我らに与へられた使命なることを確信しました〉と送り、学習院の後輩にも、〈絶望せず、至純至高志美なるもののために生き生きて下さい。(中略)我々はみことを受け、我々の文学とそれを支へる詩心は個人のものではありません。今こそ清く高く、爽やかに生きて下さい。及ばず乍ら私も生き抜き、戦ひます】
習学習院恩師に宛てた文

某作家 『英霊の聲』を読み 「三島さんが命を賭けた……」との手紙を
三島 返信
【小さな作品ですが、これを書いたので、戦後二十年生きのびた申訳が少しは立つたやうな気がします】

空手を学んだ中山正敏(日本空手協会首席)に
【私は文士として野垂れ死にはしたくない。少なくとも日本人として、行動を通して〈空〉とか〈無〉というものを把握していきたい】

小賀正義、小川正洋、古賀浩靖 
拙者より一つ二つ 年下の
同じ敗戦後少年よ
いま なに してる
あの日の劇画家青年 
いま なに してる

あの日から五十年
自分が いるべき場所
自分が 自分でゐられる居場所を
自分だけしか いられない場所を
見つけておることだろう

きみらのことだから
2019/05/03(金) 晴れ


シベリア抑留帰還兵 あなた方の元號は「昭和」のみ


ハバロフスクの地を踏むのは二度目であつた
一度目はシベリア横斷鐵道ツアー
ハバロフスクからイルクーツク
記憶の引き出しにある

墓標らしきものが一本一本立つてゐる
黒い鐵柵で圍まれ荒地
置き去られ忘れ去られた
日本人墓地

二度目
『これがサンボだ!』のヒットからの
第一囘サンボ・ツアー
20名ほどの“遣露使”を引き連れて

ハバロフスクの國營しかないテレビ局
リホーターからマイクを突きつけられる
「サンボを學びに日本からやつてきました」
サンボの産みの親 オシチェプコフが講道館で柔道を學んだように
とは附け加へなかつた

ソ聯邦スポーツ英雄功勞賞ビクトル古賀さんの手引きゆゑ
それなり精一杯歡待してくれた
で おまけに 一人だけ
日本人墓地へ連れていつてもらふ
シベリアの地で潰えた300兵の骨が埋まる
寒さ 飢ゑ 重勞働
死するそのとき 何が思ひ浮んだであろか

『大空のサムライ』坂井三郎 曰く
天皇陛下萬歳 なんて云つて死んで云つた奴はゐない
おかあさん かあちやん おふくろ 
みんなさう

赤化教育
赤化した 赤化せざるを得なかつた兵
本土の土を踏むと 
「天皇制反對」
抑留歸還兵の多くは沈默

沈默した抑留帰還兵よ
シベリアの地に眠る戰友を弔ひながら
敗戰後の
自分が居るべき場所を
自分が 自分でゐられる場所を
自分だけしか いられない場所を
見つけられたのだらうか

あなた方の元號は
「昭和」で停まつてゐたのではないですか
2019/05/01(水) 降ったりやんだり


會田昌江さ〜ん 新元號まで あと三日ですよ〜


單一雜誌として「格闘技通信」を立ち上げる
UEFファンを引き寄せる が一
二に 大票田の極眞空手ファンを引き寄せる

極真空手大會取材申し込み
レポート原稿が上がつてくる
極真会館弘報擔當から
「原稿見せてください」
えつ?
「次の號に載りますからお讀みください」
「雜誌に載る前に見せてください」
えつ?

あつ さうか
かう云ふ世界であつたのだ
メディアがない世界であつた
間に取り入つて媒介するものは 門閥のみ

弘報擔當に罪はない さう云ふ世界 それが常識
かと云つて マスではないが メディアの端くれ
「ハイ」とは云へぬ
「それはできません」
「では取材拒否です」
「ハイ わかりました」

電話口での二、三分の會話だつた
巨人も阪神も 「週刊ベースボール」に載せる前に見せろとは云はない
とは附け加へなかつた

號を重ねたころ
まち道場 まちジムの主たち 來訪
挌鬪技未經驗モン 對応にくたびれる

相撲 柔道 ボクシング 全空連(學校教育)空手以外の
挌鬪技(まだ挌鬪技との名はない)
が全國誌に載ることはなかつた
「挌鬪技通信」 まち道場 まちジムの若手までもが冩眞入り

そんなころ 大阪の空手道場主が來訪
洒落た背廣 尋常の空手家らしからぬ服裝 
「東京に出て 極眞會館と勝負したい」 道場主は云つた
「格闘技通信」に極眞空手が載つてないのは何らかの理由がある
と 踏んでのことだ

この日の出會ひが のちK1を生む 
偶然ではない 必然であつた
必然の布石は 偶然にも打たれてゐた

偶然でなく必然の出會ひが<物語>をつくる
大仰に云へば<歴史>をつくる

原 節子こと會田昌江 小津安二郎との出會ひ
偶然ではない 必然であつた

夏休み 郷里に 寢つころがつてテレビを觀てゐた
下宿にテレビなど無縁な時代 テレビに邂逅氣分
HHK 映畫再放送をやつてゐた
當時 地方えでは放映局は二つだけ 民放靜岡テレビと國營HHK

ブラウン官に 伯母たちが嫁ぐ前の 「家」があつた
幼少の 我家らしき風景

歐州映畫に魅され「映画芸術」を讀み
ATGを觀に新宿へ足を運んでゐた眼に
<小津調>が突然 飛び込んできた 

戰意昂揚映畫 進んで演じてゐた原 節子
東亞の聖戰敗れし 焦土
燒け出された親族を
燒け殘つた我が家に招く
買ひ出しにも自ら精を出す
親族が肩を寄せ合ひ 耐へがたきを耐へた

「安二郎が この家に戻つてきますから」 
三月十日 東京大空襲
疎開を拒んでゐた母も疎開
千葉・野田市に住む妹の嫁ぎ先へ
抑留生活を經て歸國した小津安二郎
映畫から離れ 野田市で借家を借り母と暮らす

「日本のセットは床に金をかけない 
床を出さない工夫にキャメラを上に向け出した」
小津安二郎 ローポジション かう説明する
結果「家」を撮る最適なアングルとなる

皆 疉の上に坐わつた 皆 疉の上から立ち上がつた 
とりとめもない日常のアングルに
立體感が生じる 奧行きが生じる
少ない會話の間に シンとした靜寂感が漂ふ

小津 敗戰前夜 シンガポール
映冩機の檢査の名目 多くのハリウッド映畫を觀る
『風と共に去りぬ』『市民ケーン』『嵐が丘』『北西への道』『レベッカ』
所詮 敵わぬ
自分が信じられる 愛しいものだけを撮らう それでいい

「家」を撮りたかつた小津安二郎
「家」を演じたかつた原 節子

<小津調>ローポジションで 映し出された
家族の
<生 出會ひ 別れ 死>
の場としての「家」

レンズに冩つたのは
スクリーンに映つたのは
意図に反して 現実が映つた
「家」が崩潰していく豫兆
 <小津調>は 終焉前夜の美

「紀子 三部作」 
當時 赤旗が席捲してゐた
「プチブル」「プチブル」と馬事雜言

大東亞戰爭 責任 呵責を描く作品群より 
敗戰の傷跡を生々しく映し出す

世界の映畫監督358人 投票
「市民ケーン」を二位に引きずり下ろした

小津が「家」の消滅の豫兆を描き切つたとき
あなたはスクリーンを去つた

原節子とも 會田昌江とも記されてはゐない
表札 
毎年毎年のオファーを遮斷しつづけた
城壁のやうな嚴重な圍ひの邸宅

享年九十五
齋場は逗子 名は伏せられ 遺影もなかつた
參列者は親族の四人だけ
納骨は
目立たつことない ごく普通の墓
兩親の墓に眠る墓

會田昌江さん
自分が いるべき場所
自分が 自分でゐられる居場所 
自分で なくてはならない場所
を知つてゐた

「東京物語」から六十餘年
東京都内 獨居老人の孤獨死 年 三千人
獨居孤獨死 増えつづける

「家」をなくした日ノ本が 
大量孤獨死社會になると 
「東京物語」は豫感させた

二つの世界大戰を經驗した歐州人 
歐州の自死を
「東京物語」で豫感した

東京都内の獨居老人
自分が いるべき場所
自分が 自分でゐられる居場所 
自分で なくてはならない場所
は ここではない
さう 思はれてゐるのではないですか 
2019/04/28(日) 晴れ


馬場正平さ〜ん 新元號 まであと一週間ほどで〜す


ジャイアント馬場 訃報
共同通信社から原稿依頼あり

馬場さん 記者會見
いつも葉卷 プカ〜プカ〜 煙に卷く
初めて露わにして怒つた 記者會見
新日本のブッチャー引き拔き
馬場さんの そんな人柄を書いた

字數が少なくて書けなかつたこと
當時 獨壇場の東スポが仕切る 
全日本と新日本のソフトボール試合 西武球場
編集長 近場ゆゑ出向く

新日本のダグアウトで弘報担當のFさんと
談笑してから
多少 敷居が高い 全日本へ 一壘側だつたか 
そこに転がつてゐたソフトボールに手が伸びる
自然 馬場さんの前に持つていつて
「サイン お願ひします」

「プロレス」に來る前 馬場さんと一度 會つてゐる
巨人軍多摩川合宿OB會の取材 
「鬼寮長」武宮二軍コーチを圍んで

開催時間に遲れ 某ホテルの會場ドアを慌てて開けた
そこに山があつた 山がそびえ 奧が見えなかつた

ジャイアント馬場の背中 
末席の 末に坐つてゐた
先輩に混じり 末席で身を屈めてゐたが
ドダイ 無理

會もたけなは 酒も入り歡談 そのとき
「おーい 馬場 冩眞撮らうぜ 
娘がオレが巨人にゐたと信じてないんだ」
オレもオレも……
ジャイアント馬場<一緒冩眞會>と化した

そのシーンが過り
「サイン お願ひします」
元巨人投手に差しだした

大きな手に中 野球ボールに見える
ソフトボールに サラサラと
元巨人投手から 元週刊ベースボール編集員へ
渡されたサインボール
それを見てゐた弘報担當のIさん
貴重ですヨ 「馬場正平」のサインは 契約書だけです

遺体の献体契約書に「馬場正平」とサインした
一軍時 視力の急激な低下 「腦腫瘍」
東京大學醫學部手術 奇蹟的成功
恩義を感じ 献体を申し出る

立つてゐるだけで プロレス
ジャイアント馬場に敵うプロレスラーはゐなかつた
アントニオ豬木が掲げた プロレス市民權
ジャイアント馬場に挑んだ挑戰状
アントニオ豬木 プロレスの對岸を見てゐた 立身出世

馬場さん 百も承知ノ助
馬場さん 誰よりもプロレスを愛しんだ
馬場さん 誰よりもプロレスに恩義を感じてゐた

馬場さん プロレス入團
自分が いるべき場所
自分が 自分でゐられる居場所
自分で なくてはならない場所
を見つけた

2019/04/23(火) 晴れ


納治五郎閣下 申し上げます 新元號が決まりました 


ベースボール・マガジン社から徒歩15分ほど講道館へ足を運ぶ
資料館に足を踏み入れた
嗚呼! 空手界には加納治五郎がゐなかつたのだ
腦が さう つぶやいた 
「挌鬪技通信」三號? 柔道特輯の取材であつた

たしか三號だつたと記憶する ネット檢索したが出てこない

餘談 ハナシの腰を折るよで恐縮
「週刊ベースボール」「週刊プロレス」「挌鬪技通信」
ベースボール・マガジン社で 自分が擔當した雜誌を 
一度たりとも自宅に持ち歸つたことがない

さう、一度あつた 「週刊ベースボール」
何かの理由で 連載記事を書いてをられた
佐々木信也氏の自宅(三鷹)に明日屆けるためだ
が カバンからは出さなかつた 出したくなかつた
遠い 些細なことが記憶にしまはれてゐる 
家に持ち歸つてしまつた 
忸怩たる思ひがあつたのだらう

入社時の履歴書「動機」の欄 「生活のため」 一言
先の『週プロ 熱狂とその正體』 で初めて告白した(笑)

食ふための仕事であり 
自分が いるべき場所
自分が 自分でゐられる居場所
自分で なくてはならない場所
ではないと 斷じてゐたのだらう


本題に戻る
黒澤明の「姿三四郎」のスチール冩眞を映畫會社から借り 表紙に
柔道着姿の加山雄三が表紙となつた

嘉納治五郎 昭和十三年 カイロでのIOC總會からの歸國途上 
横濱到着の二日前 船内で肺炎により死去 萬延元年生まれ 享年七十七
萬延/文久/元治/慶応/明治/大正/昭和
七つの元號を生きてこられた 

「日本が遠いと云ふ理由でオリンピックに來なければ、日本が歐州のオリンピックに出る必要はない」
と毛唐を叱つた嘉納閣下
昭和15年(AD1940)東京オリンピックを見て死にかつたでせうな

昭和11年ベルリンオリンピック 
金メダル6
田島直人 前畑秀子らに
また金メダルをとらせたかつたでせうな
銀メダル4 
原田正夫 遊佐正憲らに今度は金メダルををとらせたかつたでせうな
銅メダル8 
南昇龍  大江季雄らに 今度は金 銀を狙はせたかつたでせうな

昭和15年東京オリンピック 中止 そして敗戰

東京オリンピックに出られなかつた敗戰後青年
自分が いるべき場所
自分が 自分でゐられる居場所
自分で なくてはならない場所
見つけられたのだらうか
2019/04/17(水) 晴れ


山田風太郎さ〜ん 新元號が決まりましたゾ


プロレスリングから降りた佐山聰が
サンボを研究してゐると云ふ
サンボつてなんだ? 
サンボを「格闘技通信」で取り上げた
ベースボール・マガジン社圖書目録に『サンボ』があつた
長い間 在庫倉庫で假死状態であつた『サンボ』
瞬く間に在庫ゼロ。増刷に次ぐ増刷

で 緊急制作
『これがサンボだ!』ビクトル古賀 技術協力 佐山聰 
賣れに賣れた 時代は挌鬪技へ奔りだした

日本サンボ聯盟主催のサンボ選手權 
例年 地味な會場 關係者のみの觀客
「挌鬪技通信」と手を組みませんかと 
で 佐山聰 ビクトル古賀さん愛弟子のサンボ選手とサンボ對決 
後樂園ホールにて開催 ベースボール・マガジン社事業部が仕切る
「格闘技通信」で廣告を打つ

急遽 佐山聰 試合でなくエキビジションマッチとなる

社長「杉山、大丈夫か 僞りにならんか」「大丈夫です」
とは云つたもの 仕掛け人 大丈夫でなかつたら 
辭表の一つも出さねばなるまい

酒は苦手なプロレス連には聲をかけず
同階の柔道 ラグビー ボクシングらに聲をかけ
靖國神社に夜櫻見物の宴をはつた
「社の連中と酒を飮むも これが最後か」 夜櫻を見上げた

東京大空襲
昭和二十年三月十日(AC1945) 夜間空襲 罹災者百萬人
この夜 靖國神社の櫻の木の下で 無數の男女のカップルがまぐわつてゐた
死の豫感が 人をさうさせるのだらう
それを知つたのは 山田風太郎の『戰中派不戰日記』

【2月21日・晴午後曇の一節。われらは死なん。死は怖れず。しかも日本の滅ぶるは耐へ難し。白日の下悵然として首を垂れ、夜半獨り默然として想ふは、ただ祖國の運命なり。自らの死生如何にあらず。】
【3月10日(土)・晴、米軍の激しい空爆を受けての一節。「焦げた手拭ひを頬かむりした中年の女が二人、ぼんやりと路傍に腰を下ろしてゐた。風が吹いて、しよんぼりした二人に、白い砂塵を吐きかけた。そのとき、女の一人がふと蒼空を仰いで、『ねえ・・・また、きつといいこともあるよ。・・・』と、呟いたのが聞えた。自分の心をその一瞬、電流のやうなものが流れ過ぎた。】
【8月15日 帝國ツイニ敵ニ屈ス】
【8月16日・晴・夜大雨一過の一節。「日本が負けた。嘘だ! いや、嘘ではない。臺灣、朝鮮、滿州、樺太はもう日本のものではない。日清戰爭、日露戰爭、滿州事變、支那事變、これらの戰役に流されたわが幾十萬の將兵の鮮血はすべて空しいものであつたのか。】

山田風太郎さん
徴兵檢査で體格不適格 最下位の丙種。で 國民豫備兵
帝國兵士になれなかつたゆゑの不戰
『戰中派不戰日記』
敗戰後、不戰だつた あなたの居場所は「列外の者」

敗戰後青年 
敗戰後の自分の居場所
敗戰後の自分が 自分でゐられる居場所を
見つけられたのだらうか

山田風太郎 晩年の作品
『半身棺桶 』『死言状』『人間臨終図 』『あと千回の晩飯』
「列外の者」だつた あなたが晩年 辿り着いた居場所だつた
2019/04/13(土) 晴れ


日本武道具さんへ一筆啓上



http://www.budoshop.co.jp/Japan-toppage.html
2019/04/10(水) 雨


大石どの〜 新元號が決まり候ふ


通勤の車内刷りの雜誌廣告に
「挌鬪技」が頻繁に眼につくやうになつた
柔道家 空手家を「挌鬪家」とも呼ぶやうになつた
あの當時 辭書に「挌鬪技」「挌鬪家」はなかつた 「挌鬪」はあつたが

週刊プロレスで 編集長が無署名で書いてゐた
一ページコラム「挌鬪技通信」
創刊雜誌となつてから數年してからのことだ 

さもない一編集者が
時代の精神みたいなものと挌鬪して
時代に投げかけた言葉だつた

普通の五歳兒でも知つてゐた「元祿」
「ときは元祿十五年〜♪」
稀代の元祿武士 大石内藏助が率ゐた赤穗浪士が因である
大石内藏助が後世に投げかけた言葉だつた

大石内藏助 萬治二年(AD1659)
山本常朝もこの年生まれ

萬治はたつた三年で終はり
萬治の前 明暦も三年で終はり
改元の因はなにか

江戸城天守も燒け落ちた江戸の世 最大の大火
明暦の大火

では萬治の改元の因はなにか
萬治三年 伊達騒動 佐倉の藩主の幕政批判
五十年たつて 家康さんの土臺が搖るぎはじめた

いまの世 治世 武士といかにあるべきか……
津々浦々の武士が思案しはじめた

山本常朝が沒する數年前 享保元年(AD1716)ごろ
田代陣基が 常朝直談の『葉隱』一 二を脱稿
『葉隱』三〜十一は陣基が 常朝死後 晩年までかかつて書き足した

常朝より二十歳上の大道寺友山
『武道初心集』を晩年の享保十年(AD1725)に出した

武士だけの居場所 武士が 武士でゐられる場所
武士だけしか いられない場所を
津々浦々の武士が摸索した

大石内藏助殿
貴殿は 軍人{いくさびと}こそ
武士だけの居場所
武士が 武士でゐられる場所
武士だけしか いられない場所
と談じたのでせうな
いや 願ふ浪士の望みをかなえてやつたんでせう

朱子學などクソ垂れとのたまつて幕府に睨まれ
赤穗に“島流し”された山鹿素行
山鹿流の薫陶を受けてましたから赤穗藩士は
内藏助殿も たしか山鹿素行の門人でしたな

2019/04/07(日) 晴れ


木村せんせ〜い 新元號が決まりましたヨ


小學五、六年生のとき 教室でのこと
一番後ろの席の デカイのあいつが
「ハイ!」と手を舉げた 
が 痙攣し倒れた
癲癇{てんかん}だ

先生 教壇から飛び降り
あいつの口の中に 先生 自分の指を差し込んだ
齒で舌を噛ませないためだ
つぎに あいつの鉛筆を差し込んだ

そのあとの記憶はない
數日後 先生の指に
スゲ〜 齒の痕が殘つてゐたの見た

もう一つの記憶
先生 昔話をした
「みんなで覺えたものです」 
何かを諳誦しはじめた

大化/白雉/朱鳥/大宝/慶雲/和銅/霊亀/養老/神亀/天平/天平感宝/天平勝宝/天平宝字/天平神護/神護景雲/宝亀/天応/延暦/大同/弘仁/天長/承和/嘉祥/仁寿/斉衡/天安/貞観/元慶/仁和/寛平/昌泰/延喜/延長/承平/天慶/天暦/天徳/応和/康保/安和/天禄/天延/貞元/天元/永観/寛和/永延/永祚/正暦/長徳/長保/寛弘/長和/寛仁/治安/万寿/長元/長暦/長久/寛徳/永承/天喜/ 康平/治暦/延久/承保/承暦/永保/応徳/寛治/嘉保/永長/承徳/康和/長治/嘉承/天仁/天永/永久/元永/保安/天治/大治/天承/長承/保延/永治/康治/天養/久安仁平/久寿/保元/平治/永暦/長寛/永万/仁安/嘉応/承安/安元/治承/養和/寿永/元暦/文治/建久/正治/建仁/元久/建永/承元/建暦/建保/承久/貞応/元仁/嘉禄/安貞/寛喜/貞永/天福/文暦/嘉禎/暦仁/延応/仁治/寛元/宝治/建長/康元/正嘉/正元/文応/弘長/文永/建治/弘安/正応/永仁/正安/乾元/嘉元/徳治/延慶/応長/ 正和/文保/元応/元亨/正中/嘉暦/元徳(持明院統)元弘(大覚寺統)【南朝】建武/延元/興国/正平/建徳/文中/天授/弘和/元中/【北朝】建武/暦応/康永/貞和/観応/文和/延文/康安/貞治/応安/永和/康暦/永徳/至徳/嘉慶康応/明徳/(南北朝合一後)応永/正長/永享/嘉吉/文安/宝徳/享徳/康正/長禄/寛正文正/応仁/文明/長享/延徳/明応/文亀/永正/大永/享禄/天文/弘治/永禄/元亀/天正/文禄/慶長/元和/寛永/正保/慶安/承応/明暦/万治/寛文/延宝/天和/貞享/元禄/宝永/正徳/享保/元文/寛保/延享/寛延/宝暦/明和/安永/天明/寛政/享和/ 文化/文政/天保/弘化/嘉永/安政/万延/文久/元治/慶応/明治/大正/昭和

何を云つてゐるのか まつたくもつてわからなかつた
ボケつとして聞いてゐた

先生 病缺した
仕切り屋の女子のあいつが云ひ出し 見舞ひに行くことになつた
ガンつけられ シブシブついていつた
大映映畫館の前の 沼津で一番有名な和菓子屋の菓子を持つて
先生の家に行つた

驚いた
布團の上の 寢卷着の先生 普通のオバサンだつた

先生 ある日 トンでもない宿題を出した
一萬(?)までの數字を あしたまでに書いてこい

五十人中 一人だけ いた 
いつもは目立たない女子だつた

あいつ いま なにしてゐる

自分だけの居場所
自分が 自分でゐられる場所を
自分だけしか いられない場所を
見つけられたのだらうか
2019/04/01(月) 降ったりやんだり


高天原は 富士山だつた


日々 仰ぎみてゐた富士山に初めて登つた 
高校のとき 校歌に
「靈峰富士」が何度も出てくる高校の
夏休みの科目 と云つても自由參加
そのとき金剛杖 實家の納屋にまだ一人佇んでゐる
眼下に見た雲海を 金剛杖はいまでも記憶してゐるだらう

一萬年前までの富士山
坂東の
一萬年前から住み着いてゐた定住者
日々 眺めてゐた
形は圓錐形なくなだらかな山頂
まさに「原」があるやうに見える
高天原の光景がそこにあつた

一萬年後の富士山 
更なる噴火でいまの高さに
美しい圓錐形の山體を形作つた

現在の一都六縣にまたがる日本で最大の平野
關東平野からならどこでも見ることができる山
繩文人は 祖先の記憶の遺傳子を末裔に傳へた 
高天原を神の住處と傳へた
タカミムスビを祀る鹿島神 拜殿したとき正面直角右方向に富士山が望める
フツヌシを祀る香取神宮 正面直角左方向に富士山が望める

イザナミが火の神カグツチを産んだことから生まれた神 
タケミカヅチ
イザナギ イザナミを死に追ひやつたカグツチの首をはねる
その劍に就いてゐた血が飛び散つて生まれた神のうちの一柱が
タケミカヅチ
火の神カグツチは 火山から吹き出る火柱
タケミカヅチは噴火をシンボライズされた神
フツヌシは國津神(土着の神)に國讓りを迫つた
劍をシンボライズされた神


「古事記」は記す
高天原には火山があり 
神々の會合した天の安の河があり
天の香具山があつた

それはどこか

火山活動が激しい山嶽地帶の高原
河があり  急流の箇所があると記してゐる
河は山を崩すことでせき止められる河

坂東の 一萬年前から住み着いてゐた定住者が見てた
富士山とその山麓であつた

タケミカヅチ フツヌシ イザナギ イザナミ アマテラス
これら呼稱は
富士山が望める坂東での
リーダーたちの家系の記憶
2019/03/30(土) 晴れ


世界一豐穣な古代文明 奇蹟の日ノ本列島


青森 三内丸山遺蹟で發見された土器
放射性炭素年代測定法 
凡そ一萬六千五百年前 繩文時代初期

同じ三内丸山遺蹟で發見された 
十棟以上の大型竪穴住居 八百軒近い一般的竪穴住居
繩文時代中期
つまり定住してゐた 一萬年も

同じ時代
大陸も狩獵・採集 
が 移動しなければ充分は食料を確保できない
日ノ本列島の住人は 農耕する必要がなかつた
農耕が文明のスタートとの文明と異なる

舊石器時代から繩文時代へ 繩文時代から彌生時代へ
奇蹟の日ノ本列島ゆゑの恵みが 定住させた
自然と共生 
自然は戰ふ<敵>との他文明と異なる
自然と共生する文明を生んだ
奇蹟の日ノ本列島

狩獵・採集・漁撈の日々
豬 鹿 鴨 雉の山の幸
日本近海は暖流
カツオ 眞鯛 スズキの海の幸
鮭 鱒の川の幸

福井縣で發掘された土器 凡そ一萬一千年前 
加熱調理の痕跡が發見 世界最古の文明のはぢまり

栗 くるみ どんぐり 栃の實の木の實の幸
澁みのあるものは水にさらしてアク拔きをし
粉にしてお粥 ダンゴにして食べた

つまり 世界一豐穣な文明が 日ノ本列島にあつた
定住でき 住居を建て 先祖を祀り 村が生まれた

いや 村と云ふより都市
凡そ五千年前〜四千年前にあつた都市
世界四大文明と同じ時代 いやインダス文明より二千年以上も早い
直徑一メートルの六本の栗の木の柱
祭祀のための大型建造物
古代エジプトに似た祭祀の都市

前置が長くなつた 
二十日の武道通信かわら版の補足となつた
次囘 高天原があつた場所を語る
2019/03/25(月) 晴れ


高天原は 本當はどこにあつたか?


佐山聡の興義館 道場開きに參列 二〇〇六年だつたか
鹿島神宮 香取神宮の掛軸を掲げ 神籬{ひもろぎ}が祀られて
鹿島神宮が祀るタカミムスビ(高御産巣日神)と
香取神宮が祀るフツヌシ(經津主神)が降臨されてゐた

タカミムスビは この世界のはぢまりに 
天(高天原)に現れた最初の三神の一柱 
アマテラスより古い神
フツヌシは 國讓りの折 タカミムスビが出雲のオオクニヌシのもとへ派遣した神

タカミムスビは 
天孫降臨以前からこの國土を治めてゐたとされる國津神(土着の神)
諏訪大社に祭られてゐるタケミナカタノカミと力比べして勝つた剛の神
フツヌシのフツは 劍でものを斷ち斬るときの音 つまり劍の神

平安時代 「神宮」の稱號を持つ神社は 
伊勢神宮と鹿島神宮 香取神宮の三つだけ

<平安>も危うくなり 京の治安が惡くなる
坂東に若い衆に京の警護する命を出す
坂東人は強ひ もののふ(武人) 京の人の常識

坂東の原野 牛馬の牧場地 農耕兼狩獵生活地
馬に乘り弓矢を使ふことが巧みであつた

坂東人も 開拓した土地を公家からイチャモンつけられないため
京の用心棒となる これがサブロウ 侍と呼ばれた

京に上る者を集め 武術の鍛錬をさせて兩神社から送り出した
これがのち「鹿島立ち」

坂東の侍は氣性が激しく 開拓地を中心とした結束が固く 主從の關係も強い絆で結ばれてゐた
これが武門の興り

本題は 高天原 本當はどこにあつたか?
古事記は記す
「降りた」所が「筑紫の日向の高千穗の靈じふる峰」
と工合的に記す
對し 天孫降臨のスタート地點 高天原はどこにあつたかは記してない

舊石器時代の遺蹟が發見された一萬一五〇遺蹟は
殆ど東北 關東
繩文時代の村の遺蹟の多くは 東北 關東
その中でも分布濃度の高さは
現在の東京山の手 千葉 茨城 埼玉南部
更にその濃度の濃さは千葉

鹿島神宮 香取神宮は
伊勢神宮よりはるかに古く創建されてゐる
つまり人口密度は 近畿より關東が上であつた
これがヒント
2019/03/19(火) 晴れ


古事記 歴史的事實の記憶


東京五輪の前年 大河ドラマ第一作目の年
高度成長路線を走りはじめた年
擔ひ手の男たちを堪能させた
白覆面の魔王(デストロイヤー) 來日
 
それから十年
少年たちを魅了させた
黒い呪術師(ブッチャー)が來日してゐた
 
ブッチャーとは英會話したことはなかつたが
リング下乱鬪で血だらけになつて 控へ室に戻つてくると
記者に笑顏で挨拶
實に愛くるしい笑顏であつた
 
「プロレス」の四文字に振り向きもせず
<天の聲>を<人の語>と僞つてゐる大手新聞が
ブッチャー・ブーム 世相を讀み解かうと
プロレス會場へやつてきた

ブッチャーが控室に戻るとき
額に色紙を押し附け“血拓”を取つた少年がゐたとの
記事が載つた
行間から せせら笑つてゐる聲が聞こえた

非暴力 平和を賣れ筋とする大手新聞 その記者には
少年らが血に飢ゑてゐることが見えなかつた
<非暴力と仲良しゴッコの檻>に閉ぢ込められ
毆り合へば血が出ることに羨望してゐた
その光景が見えてゐなかつた

古事記は 
天皇家の血で血を洗ふ戰ふ復讐劇 陰謀 暗殺
斬り殺し 切りきざみ 生き埋め
そんな實話がぞろそろ

武烈天皇の惡事も ぞろぞろ
民の姙婦の腹を割いて胎兒を見たり
民の生爪をはがし山芋を掘らせたり
桶に民を流し三つの刄で刺し殺したり
惡事を これでもかと誇張された傳承

大東亞戰爭 皇國史觀の罪 
記紀は 天皇家の正當性が目的 政治的脚色され編纂された
と 學校は教へた
學童に 墨で教科書に線を引かせた

石器 繩文 彌生 文字はない 傳承だけ
コンピューターが戰爭から生まれたやうに
文字も戰爭から生まれた
日ノ本列島自身は 文字が必要としなかつた
佛教聖典 律令制を學ぶために必要とした

編集者は 傳承を<神話>とし
天皇の惡事も殘した

古事記は 歴史的事實の記憶である

2019/03/16(土) 晴れ


繩文人の物流ネットワーク 村から國へ


力道山vsデストロイヤー戰は見てなくて
「世界」「展望」 隅々まで讀んでゐた 
受驗勉強するために出かけた図書館で

大學へ なぜ行くのか 
親の道理ではない
自分の道理が見つかつた

デストロイヤー 後年 バラエティの前進のやうな番組でみた
はじめて目の前にしたのは どこかのホテルの喫茶室
通譯擔當スタッフが來るのを待つ間 なんとなく會話してゐた
拙者が英語を話せたかと 
遲れで驅けつけて來たスタッフ驚く 

對馬海峽 東シナ海を渡つた 繩文人
大陸 半島沿岸の住人と なんとなく會話してゐた
互ひに何を話したいかを共有してをれば なんとなく會話できる

鋭利な刄ができる黒曜石
北海道白瀧村の黒曜石 いまでも有名
標高千メートル赤石山に後期石器時代の遺蹟が殘る
 遺蹟調査から 「切り出し地」「中繼地」「聚落」を分かれてゐた
中繼地で加工された黒曜石器は
交流のある地へ運ばれた そしてまた その地から交流のある地へ
繩文人は物流ネットワークを持つてゐた

日ノ本列島だけでない
日ノ本列島の黒曜石 サハリン Korea半島 Chinaで出土してゐる
繩文人の日ノ本列島外との物流ネットワークが 
自分の自畫像を描かせはじめた

太古から 日ノ本列島は村と村のコミュニティー
家族意識でつながつてゐた 
繩文人は物流ネットワークは<外>を知ることで
一つの島國 一つの國との認識を持つやうになる
國家體系へつながつていく

繩文と彌生を時代區の線で引く
學校で永く教へてきた
定住してゐた繩文人が 彌生人に以降しただけ
大陸 半島からでなく
地中海 中近東からの移民もゐた
難民ではない<移民>
日出る方角に移動してきた
陸路で 海路で

「渡來人」との名の
政治的<難民>が定住したのは ずつと後世

そのまた後世
大和{にほん}朝廷は 
隋 唐 壓倒的文明力に羨望 
同時に 脅威 國防の危機を感じ取つた

「日出づる處(東)の天子、書を日沒する處(西)の天子に致す」
の聖徳太子が編纂した『天皇記』は消失してしまふ

日沒する處(西) Chinaよりはるか昔に
日ノ本列島には 國があつた
民は 一つの島國 一つの國との認識を持つてゐた
このことを知つておかねばならぬ 
後世に殘しておかねばならぬ
皇紀二六七九年の 
武州多摩の傘貼り浪人にも 傳へておかねばならぬ

して「古事記」を編纂することを天武天皇に發案した

2019/03/13(水) 晴れ


太安萬侶は 時代を讀み解いた


週刊プロレスを 社長に發案 OK
自らを“ホテルに罐詰”
通常業務PM8時ごろ終了し
「プロレス」「デラックス・プロレス」「プロレス・アルバム」
編集長の顔を一旦閉じて
近くのビジネスホテルに直行
“記憶の遺傳子”がさうさせたのだらう

長嶋茂雄現 役引退記念號製作の際 
このビジネスホテルは まだ旅館であつた
週刊ベースボール編集部にある長嶋の冩眞 スクラップを
旅館の大廣間に 年代ごと區分けし 並べ置いた
通常の仕事を終へてから 一同ここへ集合 泊り込みで作業した

ホテルになつたが バスタブは錢湯であつた 最上階にあつた
湯に使つてゐると ガラス窓に赤い大きなネオンサインが見えた
小學館

「よくもオレを落としたな 後悔させてやる」
湯船の中で笑ふ
就職試驗は小學館 お隣の集英社 音羽町の講談社  皆 落ちた
身丈に合つた徳間書店も受けてゐた
試驗日當日 眼が覺めたのは晝過ぎ で これも落ちた

時代の精神のやうなものと挌鬪し
週刊プロレス→格闘技通信→武道通信
時代を讀み解き、そこへ讀者を引つ張つていつた
もし 小學館 集英社 講談社にゐたら
どこへ讀者を引つ張つていつたらう

「週刊プロレス」初代編集長の肩書きも忘れ 
プロレスの四文字も頭から消えたころ
初代編集長に取材が舞ひ込んだ

*以下 原本書き写しのため旧漢字・かな遣いにあらず。
その一
「武道通信」で前田日明引退試合の寄稿願った御仁からだった。編集者の義理で断れない。チャンネル桜の「週刊武道通信TV」収録後、東中野駅前の喫茶店へ足を向けた。
『(生前)追悼 ターザン山本!』 2008年4月刊(P63)
「私は編集者であって、素材は野球でもプロレスでもなんっでもいいんだ。時代の精神みたいなものと格闘し、時代を読み解き、そこへ読者を引っ張っていくことにあった」

その二
えっ、UWF まだ売れるの? とびっくり
鼎談のお二人は了解いだいているとのこと。断れば二人に無礼。高田馬場駅近くの談話室へ足を向けた。
『証言UWF 最後の真実』 20017年5月刊 (P96)
「時代が格闘技を求めていたということですよ。虚と実が入り混じった強さでなくて、杉山流の認識で「実際に自分が痛い思いをして強くなろう」という欲望が世の中にあると思った。自分自身は、「格闘技はそれほど好きでもない。「空手をやろう」とか「ボクシンやろう」なんて思ったことは一度もないが、心は時代の精神と格闘していた。日本の格闘技の源流には武士の武術があると気づき、四十の手習いで剣道、居合、弓道を始めました」

その三
週刊プロレスの本を出すので歴代編集長にインタビューしたい
週刊誌にしようと発案した初代編集長が顔を出さなければ本にならんだろう
地元ならばと国立駅前の茶房へ足を向けた。
『週プロ 熱狂とその正体』 2019年2月刊 (P24)
「(全日本プロレス取材拒否解除)完全に業界誌から脱却したと実感したし、それまでになかったプロレス・ジャーナリズムができたとファンにもわかってもられたと感じたから、自分の役目は終わったなと。奇しも取材拒否の内容証明が届いた時から「格闘技通信」というコラムを1ページで連載して、次は格闘技の時代へ引っ張っていこうと思っていたしね」

「古事記」の編纂者(編集者)太安萬侶
八世紀はじめの時代の精神みたいなものと挌鬪し
時代を讀み解き そこへ讀者(國民)を引つ張つていかうとした
それが「古事記」 
つづく
2019/03/10(日) 晴れ


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