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武道通信かわら版 配信


近所のプール 
今年も
鐵の柵 閉まつたまま
オープン予告 無し
子等も ジジイも
「泳ぎてェ〜」

来年も 閉まつていたら
鐵の柵 よじ登つて
泳ぐぞ
2021/08/05(木) 晴れ


太田時敏{ときとし}


<田舎のバス>に乘つて
東へ30分
西へ30分
田んぼ 風景

いまの世
マイカー 乘つて10分
田んぼ 掻き消え 住宅

幼稚園 恆例イベント
谷保天滿宮 裏手 
田植ゑ
親らも交じる

生まれて初めて
田んぼ 足入れる
あの 感觸
いまも殘る

新渡戸稻造 
幼少のころ
明治天皇 巡幸中
新渡戸家で休息
天皇から
「父祖傳來の生業を繼ぎ農業に勤しむべし」
との御言葉
農學を志すやうになり
東京帝大 蹴つて 札幌農學校へ
それは 後年の表向き講釋 濃厚

稻造 九歳 東京へ
賊軍の敗者復活 
稻造に託される

叔父
東京京橋の呉服屋
父の弟 叔父 養子となる

盛岡藩 降伏 
政府軍 報復に 家老 切腹
叔父 介錯人に指名される
叔父 親友の首 討てぬと 脱藩

叔父 稻造 十一歳
東京外國語學校 英語科へ入學させる

叔父
賊軍の子 立身出世
英語に的 絞る

Bushido:The Soul of Japan
冒頭
叔父 太田時敏
獻辭
2021/08/03(火) 晴れ


感謝


藤田紘一郎
東京醫科齒科大名譽教授
曰く
免疫力
腸七割 心三割

2020 Tokyo Olympic
心 躍る
中止になつてゐたら
感染率 イギリスの三分の一まで
上がつてゐた
かも
選手諸君に感謝

Bushido:The Soul of Japan
書かれてゐなかつたら
新渡戸稻造に感謝
2021/08/01(日) 晴れ


劍道 フェンシング


三十年ほど前か
劍道九段から 直にお聞きした

日本劍道聯盟
劍道 オリンピック競技へと

「劍道をオリンピックにしたら
劍道が 劍道でなくなる」
歐州劍道聯盟 反對

フェンシング
アテネ・オリンピックから
歐州の騎士
反對した者 
いたか ゐなかつたか
知らぬ

劍道 オリンピック反對した
歐州の劍士
Bushido:The Soul of Japan
讀んでゐたか ゐなかつたか 
知らぬ

Englshで初めて書かれた
日本人とは 何者か

新渡戸稻造
札幌農學校
数学 漢学 教練
以外 ずべて英語
教科書も英語
教材 文学 歴史 論理学
特に
演説 討論 重視
Bushido:The Soul of Japan
胎芽
三人のアメリカ教師だった

アメリカ教師
フェンシング やっていたか いなかったか
知らぬ
2021/07/31(土) 晴れ


時代の精神


編集人 本分
時代の精神のやうなものと
挌鬪し
時代を 讀み解く ことにある

挌鬪技の時代 來る
週プロ編集長 讀み解いた

ご先祖さん
西南戰爭 參戰
時代 どう讀み解いたのか

新渡戸稻造
ストレートで東京帝國大學 進まず
札幌農學校へ

新渡戸
時代 どう讀み解いたのか

いまの
コロナ禍の
時代の精神
傘張り浪人
讀み解いてゐる
つもりだ
2021/07/30(金) 晴れ


アルハンブラの想ひ出


2020 Tokyo Olympic
音 消し
PC觀戰
「アルハンブラの想ひ出」
聽きながら 

作曲者
誰かと 檢索
F. Tárrega(タレガ)だつた

アルハンブラ
行つたことない
アルハンブラの想ひ出 無い

「アルハンブラの想ひ出」
聽いても
想ひ出 
ひと それぞれ

「アルハンブラの想ひ出」
聽きながら 
郷里 千本松原 千本濱
想ひ出してゐる

新渡戸稻造
千本松原 千本濱
想ひ出すこと あつたらうか

札幌農學校 教授時代 
多忙極め 病牀に
療養に 沼津へ
牛臥山(うしぶせやま)にある三島館
千本松原 千本濱 展望できる

沼津に療養 勸めたのは
渡瀬寅次郎 
元幕臣の子
沼津兵學校附屬小學校 入學

札幌農學校(現北大農學部) 入學 第一期生
新渡戸 第二期生

稻造の兄・昌邦
沼津兵學校 資業生
後年 陸軍少將まで昇りあがる

ご先祖さん
沼津兵學校で 
昌邦と
袖振り合ふも多生の縁
だつたやも知れぬ

元賊軍
ご先祖さん
千本濱 波音 聽きながら
何を想ひ出して
いたであつたらうか
2021/07/29(木) 晴れ


椛ヤバいつすね!


颱風の季節
到來と云ふのに
紅葉(椛)とは
ヤバいつすね!

『葉隱』 佐賀藩 禁書の烙印
定朝死後 百年も經つと
藩校・校長
「儒學を輕視し
狂氣に走るの ヤバいが
軟弱になつた いまの世
警告の書と讀むなら
ヤバくはなからう」

佐賀藩上屋敷
田代陣基 
文机に肘つき 何やらつぶやいてゐる
【あのとき 火の中に投じた】

そのシーン 振り返つてみよう
常朝の妻・相玄{さうげん}と陣基 
ふたり 常朝亡骸 野燒き 默して見守る
窪みに敷いた炭や太い割木に火が移る
煙が坐館を包み込む
そのとき 相玄尼 云ふ
田代殿 投入れよ  
それが神右衞門(常朝)の本意でありませう

【相玄尼僧 自ら冩本し 殘してをられた
山本家菩提寺 龍雲寺に居を移される
龍雲寺の僧 冩本  
それが 誰かの手に
常朝和尚 沒してから三十年
いくつかの冩本 藩中で讀まれてゐた
相玄尼僧 後世に殘さうとした
後世に問うたのだ】    

幕末、藩校弘道館
『葉隱』もとに
葉隱聞書校補{かうほ} 編まれる
陣基 加筆した
全卷に登場する
人物の家系や家祿 知行などを調べる
それをもとに
十代藩主鍋島直正{なほさま}
『葉隱』讀書會 「葉隱會」を開く
異國の船の襲來 風雲急を告げてゐた

佐賀藩も他藩と同じ財政緊迫
直正 葉隱會を開いたのは
戰國の世を知る藩祖、初代らの教へ
學ばうとするためであらう
直正 歳出を減らし 藩政機構を改革
出自に關はらず有能な家臣たち
積極的に政務の中樞へ登用
手明槍の江藤新平もその一人

大東亞戰爭 前夜
津々浦々 葉隱色に染まる
敗戰
『葉隱』
禁書の烙印

2021
日ノ本 リベンジの
聖火 ともるか

『葉隱』の項
ここらで
筆を擱く
2021/07/27(火) 雨


武士夫婦と馬のハナシ


一ヵ月前ほどか
すぐ表通り たまらん坂をいく
裏店まで響いてくる
「オリンピック反對!」
こじんまりとしたデモ隊
だが 聲 憎惡がこもつてゐる
「オリンピックは戰爭だ!」
こんなオマケもついてゐた

男 戰爭好き
女 それを知つてゐた

東京下町 池上本門寺の裏の石段を上がつたところ
向田邦子ドラマ劇場の女たち
それを知つてゐた

綺麗ごと お好きなマスメディア
國別メダル表記 文言 やめよう!
キャッペーン はつてみなされ

『葉隱』 
常朝沒 百年もすると
冩本 藩中に廣がる
侃侃諤諤

たとへれば かうだ
武士老夫婦 
馬を連れながら
一緒に歩いてゐる

某氏 云ふ
「馬に乘らないのか?」
武士の老夫
馬に乘る 

別の某氏 云ふ
「自分だけ乘つて 奧方だけ歩かせるとはナンダ」
武士老夫婦 揃つて騎乘

また別の某氏
「馬が可哀想だ」

武士夫婦 
馬を連れながら 
歩きはじめる

開會式 
あーだ こーだ 
四の五の云ふ
言論の自由
だと勘違ひしてゐる
マスメディアも
勘違ひしてゐる
2021/07/25(日) 晴れ


聖火臺


父から
「出て行け!」
ハイ! 
待つてましたと
不動産屋へ驅け込む

案内されたマンションの窓から
歡喜に溢れた國立競技場
確かな足取りの階段を登る青年
聖火臺に燈がともるのをみてゐたら
わけけのわからない涙が溢れてきた

向田邦子 
エッセイで こんなこと云つてゐた

原爆投下の日 廣島市で生まれた若者が 
聖火臺を登つていきます
あの日
テレビアナウンサー
こんなこと云つてゐた

戰後は 終つた
時間<過去・現在・未來>
一つのだけの時間軸でない

戰前も戰後も 終つてない
時間軸 <いま>がある

向田邦子
戰前
東京空襲
戰後
聖火臺に燈がともるのをみてゐたら
<いま>
溢れてくる
2021/07/24(土) 晴れ


玉音放送



高三だつたか
先生 「家に歸つてテレビ觀ろ」
家に歸つてテレビつける
三宅 バーベル 持ち上げてゐた

昭和天皇
開會宣言
敗戰後少年
初めて聽いた
<玉音放送>

敗戰後
初めて世界に發した
日ノ本の自己主張 

1900年 明治三十三年
英語で
日ノ本の自己主張
Bushido:The Soul of Japan
2021/07/23(金) 晴れ


海邊の光景


振替え「海の日」

日傘の中 祖母 
海邊の孫 見ながら
何が過つたらう

一つの事から
次々と思念 過つてゐたらう
過去 <いま>となつて過ぎる
歳 食ふとわかつてくる

歳は食ひたいものだ
時間 
過去から未來に流れるだけでなく
<いま>にリターンする
と氣づく
2021/07/22(木) 晴れ


慈悲心


『愚見集』と題した
三十六ヵ條からなる
奉公人の心得 
要は 定朝 疉の上の武士道 
養子・山本吉三郎へ
山本家 託す

『葉隱』の文中
≪この事 愚見集に委し≫などの文言も
『愚見集』
陣基が訪ねてきた二年後のこと

愚見 謙讓語
血反吐を吐いて掴んだ奉公道
定朝 氣色ばむのを抑へる

定朝 一番に云ひたいのコレだ
武士 蠻勇さへあれば 
主君への忠義も充分に果たし得たるかのやうに思はれてゐる
が それは誤つてゐる
勝負は時の運
だから昔から武勇だけを尊重する御家 さうさうに運が續かず
つまりは 君も臣も上下とも滅亡してしまふ
運を強くするには 慈悲の心によるしかない
慈悲心が運をつづけさせてくれる
だから武士は表向き 大勇氣をだすものの
内心には大慈悲心を持つことが大切
さうすれば武運強く 子孫も榮えて家も滅亡することなく
つづいていくものだ
私の若き日 折にふれて湛念{たんねん}和尚がお話くださつたので
ようやく私も納得できたのである

湛然和尚
鍋島家菩提寺 高傳寺住職

常朝 二十一歳
主君光茂の勘氣に觸れ 欝状態
「名利」(立身出世)捨て 出家しようかと
常朝 湛然和尚の元へ
佛法の血脈{けちみやく}を受ける
師から弟子に戒を授け その保證として師が與へる
血のつながりに喩(たと)えた血脈相承(さうじやう)
ついでに
下炬念誦{あこねんじゆ}(生前葬儀)も

大方 二十歳前後
生きようか 死なうか 人生とは 
迷ふ
己 イメージする大人と
いまの己のギャップに惱む

師 ゐなかつたが
生前葬儀 濟ませた
二十歳のとき
2021/07/21(水) 晴れ


武道通信かわら版 配信


けふも暑つふなるぞ
冷水 かぶるか

「忙中閑あり」
水垢離{みずごり}のハナシ
2021/07/20(火) 晴れ


夏の想ひ出


五つの輪のオープニング・セレモニーで
祝日 移動しようが
本日は「海の日」である

低學年生
海水浴 保護者見守り
明日から夏休み
先生から
通信簿と一緒に通知書

波打ち際で 一人 興じる
ふと 振り返る
日傘の中 祖母 
こちらを見てゐる

遠い 夏の想ひ出
2021/07/19(月) 晴れ


諫言{かんげん}

和歌好きな“文弱の徒”常朝
介錯 二度してゐる
ひとつ
常朝 二十四歳で結婚 その五ヵ月後 
二十歳上の從兄弟 賭博の罪で切腹

≪一門の外聞を取り候≫
從兄弟 家老の中野數馬より お襃めの書状
從兄弟の子 中野將監{しようげん}からもご襃美もらふ
餘程上手くいつたのであらう
これもご襃美か 書物役に出世

ふたつ
常朝 三十一歳
ご襃美くれた中野將監
將監 二代光茂の世の年寄役
君徳忌憚の罪で切腹
殿樣に遠慮のない諫言{かんげん}を申した罪

田代陣基
あらぬ疑ひからの罷免 
主君に諫言しなかつたのか
しなかつた
できなかつた

佐賀藩 主君に諫言できるのは家老と年寄役だけ
主君にへつらふ家臣の
事實を曲げ 同僚を貶める御注進
殿樣のお氣に入りがはびこることを防ぐため
他藩も同じであつた

家老と年寄役 
諫言ができると云つても
主君が「わかつた」と云ふとは限らない
主君をして「見しらせ」(一目置かし)める
人物でなくてはならない
人物になることが不可缺

常朝 疉の上の武士道の頂點
この 一目置かれる家老職

切腹した將監の祖父・將監
≪諌{いさめる}と云ふ言葉には 既に私心がこもつてゐる≫
將監 主君に數々の換言をしたが
人目のつかぬ時と場所を選び 理詰めでなく納得させた
私心を捨てた

先の家老の中野數馬の父・數馬も
≪一生の間 「御用あるのでお目通りを」など云つて參上し
ご意見を申したことはない
それとなくこつそりと申し上げたのでお聞き入れになられた≫
換言 こつそりとだ

切腹した將監
人目につくところで理詰めで云つたのだらう
己の才覺をひけらかすかのやうに

國民だれでも
ときの政府に換言できるやうになる
己の才覺をひけらかすかのやうに
2021/07/18(日) 晴れ


葉隱と 誰がつけた


幕末 佐賀藩立役者
「維新の十傑」「佐賀の七賢人」の一人
江藤新平も手明槍
新平 
友が持つてゐた葉隱冩本
自ら冩し 大事にしてゐた
新平の友
誰からの冩本 借りたであつたらう

<堅く火中仕るべき由 御申し候也>から
凡そ 一五〇年後
冩本 幾册あつたらう


陣基の訓{よみ}
「つらもと」のほか「のぶとも」との讀む説
「つらもと」は皇紀二六〇〇年(昭和一五年)刊行
『校註 葉隱』の著者・栗原荒野{あらの}の説
栗原 數多の冩本から 
これは信用できるとの冩本を基に比べ合せ
内容項目 手を入れて正し 語彙の統一など 根氣よくした
この著がなければ 葉隱 全國區にならなかつた
同年 これを基に岩波文庫
『葉隱』(和辻哲郎・古川哲史校訂)刊行

いま吾らが讀む 葉隱
栗原荒野の『葉隱』と云つても過言でない

多くの冩本 表紙
「聞書」とだけ
なかに「葉隱」と書かれた冩本があつた
栗原 では 葉隱にしようとなる

ともかく<原本>はない
定朝 陣基がつけたとの確證
ひとつもない

誰か 冩本した者 つけたのか
佐賀城 葉隱城と呼ばれてゐた
語り手 口述者 
ふたりに                       
御城 戀しさを讀み取つたのだらうか

定朝の草生す庵
葉隱の中にあつたと
想像したのだらうか

定朝 陣基に語る
西行も兼好も 武士になれなかつた輩
くだらん奴らだ

定朝 西行を敬愛してないわけはない
冩本した者 
西行の一首
葉隱れに散りとどまれる花のみぞ 忍びし人に逢ふ心地する

江藤新平 持つてゐた冩本 表紙
なんとあつたか

定朝 陣基に云ふ
嘉瀬刑場 別に移したはうがよい
街道を往く旅人からまる見えだ

オランダ商館員ケンペル「江戸參府紀行」(元祿三年)
<嘉瀬刑場の近くを通る 八名の首が晒されてゐた>

定朝 ケンペル 讀んでゐたはけではない
晒し首
佐賀藩の世間體 惡いと思つたのか
死の尊嚴 傷つけるとでも思つたか

江藤新平
嘉瀬刑場で斬首
首 晒される
2021/07/16(金) 晴れ


命の尊さ


スパコン富嶽 シミュレーション
觀客1萬人でも 「感染ゼロ」
スパコン
命の尊さ 試算できない
死の尊さ 試算できない

いまの世の人
命の尊さ しか 計らなくなる
天秤にかけえれば
命の尊さ 
死の尊さ 
同じ重さ であること
常朝 陣基の世
わかつてゐた

『葉隱』 讀んだ 讀まされた
學徒出陣兵
それが戰意昂揚 「突つ込め!」
の仕掛けであると知つてゐても
命の尊さ 
死の尊さ 
同じ重さ であること
納得したかつた

東京下町 池上本門寺の裏の石段を上がつたところ
向田邦子ドラマ劇場
女學生
命の尊さ 
死の尊さ 
同じ重さ であること
かすかにわかつてゐた

スパコン富嶽
いまの世の人の卑しさ
試算できぬものか
2021/07/14(水) 曇り


裏街道からの逆襲


俳諧 
いや 俳句ブームださうだ
過去に
伊藤園「おーいお茶・新俳句大賞」
松山青年會議所 「俳句甲子園」
いま テレビ番組ださうだ
イケメンだけが取得と思はれる
若い衆 好い句を詠むと云ふ

おどけ たわむれ 
から はじまつた俳諧
和歌の力に搦{から}め捕られた
武士道の裏街道から生まれたのか
市井の和歌へのカウンターカルチャーか
それはわからぬ

ときは寛延元年
佐賀藩上屋敷
田代陣基 
文机に肘つき 何やらつぶやいてゐる

【松尾芭蕉 奧の細道 
近松門左衞門 曾根嵜心中
だれもかれも 伊勢御蔭參り 
市井の民 意氣盛んであつた
手明槍分際も 發句{ほつく}に興じてゐた】

俳句 明治の世からの言葉
芭蕉 蕪村の世は發句

俳句のはぢま 連歌{れんが}
和歌 五七五(上の句) 七七(下の句)に分け
大抵十人以上
百句になるまでの俳諧連歌會

戰國武將 戰勝祈願に大流行
完成した百句 百韻連歌(ひやくいんれんが}
神社に奉納
明智光秀
ときは今 あめが下なる 五月哉
これである

俳諧連歌 發句(一句目)のみ 取り出し
和歌の花鳥風月 削いだ俳諧の發句
古池や 蛙飛び込む 水の音
禪の<いま>である
武士道の裏街道からの逆襲か

陣基 
つぶやいてゐる
【手明槍分際も 俳諧連歌會
拙者の句 評判となる
近習の耳に屆き
筆も癖ないとのことから
祐筆役 舞ひ込む】

奧の細道 刊行 三年後
曾根嵜心中 初演 二年後
陣基 切米[きりまい}十五石で
武士に取り立てられる

陣基 十九歳
陣基 いまどきで云ふ
イケメンであつたらう
泰平元祿
江戸大名屋敷 
競つてイケメン 募集したさうだ
三田村蔦魚{えんぎよ}本で知つた

【妬みとは怖いものだ
島送りされたいた
赤穗浪士遺兒 大赦
御政道も
下々の赤穗義士人氣に阿つて
つい 言葉にしたら】
御政道に背くと 讒言{ざんげん}】

手明槍分際が
三代綱茂 四代吉茂 二代にわたる祐筆役
妬みがもとの罷免だつたのだらう

罷免が『葉隱』を殘す
朽ち果てた墓 見つかり
田代陣基の名 後世まで殘す
2021/07/13(火) 薄曇り


無觀客


物書き 執筆中 無觀客
本となつて觀客(讀者) 現れる
とて 讀者の顏 見えぬ
數だけ 
版元から知らせされる

田代陣基
讀者 
山本常朝だけと 
想定していただらうか

岩波文庫『葉隱』 大ヒット
十試合 連續ホームランのやうなもの

地元佐賀 田代陣基とは何者か
山本常朝 墓あるが
陣基の墓 探しても見つからなぬ
常朝の墓 殘つてゐる手前
陣基の墓 建てようとなる

田代家の墓の側が好い 
工事に取り掛かる
倒れて朽ち果ては陣基の墓石 見つかる
碑面
松盟軒期醉{しようめいけん きすい}之碑
法名(戒名)でなかつた
浪花節語りと間違へられてゐた
松盟軒も 
期醉も 
陣基の俳號

誰が建てたのか
「人に云へない佛があつて」
てな 譯有りな死でもなかつたらう
碑面 遺言してゐたのか

陣基 武士ではない 正しくは半分武士
出自 手明槍{てあきやり}
初代藩士勝茂 つくる
士(侍)と徒士{かち}の間
住む區域 武家屋敷群ではなく 農民や町人と同じ區域
通常 農民や町人と同じ仕事
いざ合戰のときの豫備軍

元和偃武 合戰は無しとの宣言
で 徒士で功勞があつた者{家)を
武士階級と庶民の間の身分とする
平時は暇 で「手明き」 無役の意味
元和偃武と云つても いつまた合戰が
そんな時勢であつた
で 戰時になつたなら槍を持たせる
で 手明槍

その手明槍 陣基 
一九歳で
三代綱茂 祐筆に
綱茂の聞書き役
近習である 手明槍がエライ出世

『葉隱』研究書 百とある
一つも この譯 書かれてゐない
史料文獻 無し

陣基 なぜ御側役罷免となつたか
譯 わからない
史料文獻 無し

陣基のつぶやきに耳を傾けてみよう

この「草莽!杉山奮戰日記」
無觀客でない
さりとて 何人いるか定でない
何人いるか さりとて關心なし
2021/07/11(日) 晴れ


言葉は世につれ 世は言葉につれ


東京下町 池上本門寺の裏の石段を上がつたところ
向田邦子ドラマ劇場
主題曲 テーマミュージック サウンドトラック
どちでもよい
作曲家 小林亞星

小林亞星
向田邦子ドラマ劇場 
脚本家から役者 頼まれる
その理由
デブだから
「寺内貫太郎一家」
ちやぶ臺ひつくり返し
樣になつてゐた
頑固おやぢ 異名とる

頑固おやぢ 流行らなくなつた
いや もう不在 
ドラマ仕立しても陳腐
頑固おやぢ 演じる役者 不在

『葉隱』
≪父は常々 武士は曲者と云はれる一種類でよいと 申されてゐた≫
定朝の父 口癖の一つ 「曲者は信頼できる」

「曲者」
「平家物語」 異常な能力をそなへた人
「徒然草」 ひとくせある人物
 
言葉の意味 時代 時代で移り變はる
いまの世 用心すべき奴  得たいの知れない奴 
言葉 生モノ
それでいい

定朝の父 曲者とは
≪首尾よき時は入らず 人の落ち目になり 難儀する時節 
くゞり入りて頼もしするが頼母しなり 左樣の人は曲者なり≫

人の調子が良い時には隱れて姿を見せないが
一旦調子が惡くなつて落ち目になつて困つてゐる時
他の者を押し分けてでも現はれて
力を盡して助けてくれる、本當に頼りになる者だと云ふ

定朝の殿樣 若樣のとき 落ち目になつた
「歌道一篇に御熱心」
祖父・初代藩主から激しく叱生{しつせい}
和歌の書 燒かれ 
二度と詠むなと誓書 書かされる

定朝の父 訓誡九條 その五條
「書物見るは公家の役
中野一門 樫木握りて武篇する役也」

若き主從 落ち目になつたとき
曲者 現れたかは知らぬ

殿樣 隱居後 和歌狂ひ
祕傳『古今和歌集』解釋マニュアル「古今傳授」
常朝に命ずる
常朝 京の公家衆を訪ね歩き
箱に入つた免許目録 持ち歸り
最後の御奉公

殿樣 そのために
公家の子女 後妻にしてゐた

源實朝から はじまり
武士
和歌の力に搦{から}め捕られる
武士道の裏街道
『葉隱』 封印

江戸の世
「二刀流」と云つたら「二天一流」のこと
熊さん八さんも知つてゐた常識
いつから
酒と甘い物との 兩方を好む者とか
になつたのか

宮本武藏
大谷の「二刀流」
なんと云ふか
2021/07/09(金) 雨


OLD 


Colorful Diary Falcon World