HOME

アイコン
OLD 

只今がその時、その時が只今


先日、好天氣のもと一日中動き囘つたり、長く立つてゐたり、重い荷を上げたりした。

自己の體力認識に五年ほど誤差が生じてゐた。六十でなく六十五の躰になつてゐた。こんなことでは尖閣諸島駐屯地の防人の任は務まらぬ。鍛へ治さねばならぬ(笑)。

前囘のつづき。
山本定朝、五十歳のとき婿養子殿に奉公人道の心得である自筆の「愚見集」を與へる。
『葉隱』の中で、かう田代陣基に語つてゐる。

《權之丞殿(婿)へ話したことだが、「只今がその時、その時が只今」である。二つに別けて考へてゐるから、肝腎のときに間に合はない。只今御前へ召し出され、「これこれの件を、そこそこに云つて見よ。」と仰せ附けられたとき、たぶん當惑してしまふだらう。それは、只今とその時を二つに分けてゐるからだ。只今がその時と、一つにして置くと云ふのは、まだ御前で物を申上げる奉公人に成れてゐないが、奉公人となるからには、御前でも御家老衆の前でも、公儀の御城で公樣方の御前でも、さつぱりと云つて濟ませるやうに、寢室の隅で云ひ習つておくと云ふことだ。》

婿殿、勤め人の心得として、しごくごもつともと聞いていただらう。あたり前な教訓話になつてゐる。
西暦一七〇八年、寶永五年、大阪の陣からから一〇〇年。合戰の世は遠くなりにけり。

この「只今がその時、その時が只今」は、定朝が父親代はりに薫陶を受けた二十歳上の甥からよく聞かされた言葉だ。
甥は定朝の父の世代から薫陶を受け、この言葉が亂世の「常在死身」とセットであることを知つてゐる。

疉の上の奉公となつたとき、「常在死身」を疉の上の「端的只今」にリセットした。甥の世代は「戰{いくさ}がなくなつたとき武士と何者であるか」。病巣との苦悶の戰ひの末でのリセットだつた。
七十違ふ曾祖父の歳の父をもち、戰國の遺風を肌で知つてゐた定朝は辛うじて二十歳上の甥の云はんとすることが理解できた。

大地震、噴火、洪水の天災が突如襲つたとき、「只今がその時、その時が只今」と心で吐き行動する。

死がいつ訪れるか誰も知らない。ゆゑに日々、覺悟し、對處を想像しておく。
「ああ、いまが死するときか」と。
運よければ、この覺悟からくる冷靜さが危機一髮を逃れると軍人{いくさびと}は經驗から知つてゐた。

この先人の智慧を、まづは教へておくべきであらう。
行政とやらは商人{あきんど}の口車に乘り、これを用意しろ、あれも用意しろと、お達ししてゐる。

學校で「常在死身」を教へろとまでは云へないご時世だが、せめて疉の上の「端的只今」は教へるべきであらう。
相手は殿様でも家老衆でもなく天災樣である。
(士族は別ですぞ。元服(十五歳)を過ぎたら家で教へること)

宝永五年の前年、富士山が大噴火。郷里から仰ぐ富士の右すそに大きなコブがある。むかしむかし噴火があつたときできた「宝永山」と教はつた。

靈峰富士もいつかは形を變へる。そのときの世の人に不二(ふたつとない山)と崇められてきた歴史は殘つてゐる。どのやうな形になつてゐても新しい傳説(歴史)を生んでいくことだらう。それで好い。
2012/05/16(水) 晴れ


富士のお山がくずれるとか


「母の日」の今朝、武道通信かわら版、緊急増刊號を配信した。まづはお讀みあれ。

日本共産黨ならともかく、「地上の樂園」との自稱を鵜呑みにして北への歸國を一番大きく煽つたメディア朝日新聞。

「帰還希望者がふえたのはなんといっても『完全就職、生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。各地の在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想をつかしながらも、二度と戻れぬ日本を去って"未知の故国"へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。ところが、第一船で帰った人たちに対する歓迎ぶりや、完備した受け入れ態勢、目覚ましい復興ぶり、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へ踏みきったようだ」(昭和35年(1960)2月26日付)

加藤健さんの文中にあつた。脱北者の證言。
《「日本に帰りたい」と言ったために拷問を受けることになったという。女性は後ろ手に縛られた上、両脚のひざ裏に角材を挟まれた形で前かがみに座らされ、看守が馬乗りになって棒でたたいていた。女性が自分の母親と同じぐらいの年齢だったので動揺した。恐らく女性はその夜に死んだと思う》

敗戦ゆえの、そんな時代の風{ふう}が吹いていたであろうが、真実がわかったいま、詫びの一言を掲載すべきであろう。

江戸の殿樣がワシントンで尖閣諸島贖入を發すると、すぐまさ朝日新聞が社説で批判。「日本人が上陸しただけで反撥してくる中國のことだ。問題はいつさうこじれるだらう」

まあ、寄附をした御仁らはアカヒ新聞を讀んではをらんだらうが。

「都民の税金は暮らしのために使つてほしい」とは東京新聞だつたか。
民の思潮を見えないのか、何某の意図で見えないふりをしてゐるこれらメディア。首狩り族のDNAに目覺めた民に蛮勇を奮ふるわれますぞ。

富士山の直下に活斷層があつたとの報で、『葉隱』にある「端的只今」(只今がその時、その時が只今)を思い出し
た。

定朝さんが婿養子への教本に書いたことだが、父亡きあと薫陶を受けた二十歳上の甥から奉公道の眞髄として説かれた。

長くなる。次囘で。

2012/05/13(日) 晴れ


江戸の殿樣、感悦至極であらう


一億圓突破、二億圓突破、更にきのふまでに三億圓を突破。都が贖入資金の寄附金を募つて、まだ十二日目である。買ひ取の來春までには幾らにならう。江戸の殿樣、感悦至極であらう。

東京都防人隊の尖閣諸島駐屯地の費用も心配ないやうだ。
五つの応募條件を滿たし、応募した四十七士が持參の日本刀を腰に、岸壁から支那大陸を腕組みして睨んでゐる勇士を全國放映できる日も、さう遠くはないだらう。

『武女』を讀まれた御仁からメールをいただいた。
赤穗浪士討入りの本當の理由が歴史・時代小説モノの白眉であつたと。

これは卷頭に記したが杉山流物語書{ものがたりぶみ}である。
數多ある赤穗浪士討入りモノで、この“眞實”を綴つたものはない。
(ありましたらお知らせあれ。なにせ寡聞にして知らぬかも知れぬ)

明治維新とやらは、鎌倉以來の武門を徹底的に壞したのだと改めて吐息をつく。
わかる御仁にはわかるだらうから、これ以上は云はぬ。

「SAMURAIのいろは」を綴つてゐる日本武道具さんの主から<家で靜かに讀むことにしました。通勤電車で讀んでゐると涙が出て困る>」と、過分な評をいただいた。

兵頭二十八さんの日々のブログ「Podcast28 Mil News Blog」で<杉山穎男さんの新著『武女』(柏書房)は薀蓄滿載で感心しました。わたくし刺戟されまたので、6月配信の「讀書餘論」は、江戸時代ネタを少し多くしようと思ひます>
六月の讀書餘論が愉しみである。江戸モノの貴重な參考文獻を掘り出してくれるやも。

先日、山本伊左夫さんからまだ手にしたばかりだがと前置きし、いつもながらの卓見をいただいた。
末尾に<サヨクの階層主義反對は誠にごもつともですが、對案として出てくるのが惡平等論理であり、詰まるところが(自稱賢者)による獨裁であるのは、歴史のしめすところ。どちらへ轉んでも亡國の道であり、中庸の道が武士道であるとするものの“肩振り=エエカッコ、威勢ぶり”の武士道論は全く負け犬の遠吠えとしか節には聞こえません。杉山頴男士におかれては、どうか今後ともこの點の突破、武士道とはの眞の解明を期待申し上げる次第です>

五册目のモノ書きとなり、書評される側となつてひとつ氣づいたことがある。
著者が行間に刻んだ意図を讀み下す讀者は、讀まれた數(讀者)の何分の一だらうかと。
百分の一か。千分の一か。
2012/05/10(木) 晴れ


躑躅のあとは皐月が控へる


一昨日は憲法の記念日とか。このエセ憲法への一言は省く。

近年、改正されるであらうが、主は九條でなく天皇の位置づけである。
天皇は日本の中心{なかご}であり、母であるとの認識ができるかどうかである。が、見囘したところ改憲者は日本刀には無縁の者ばかりのやうだ。

近所宅の庭に躑躅{つつじ}が橙色の花瓣を大きく開き、咲き誇つてゐた。このあと隣にある皐月{さつき}が花、開くのだと云ふ。
庭には躑躅が二本ある。が、それぞれクセがあると云ふ。クセをわかつて世話をするさうだ。なるほど植木の趣味も、これが大變であり、愉しみなのだらう。

天(自然)の攝理は一本一本の木にもクセを持たせた。云はんや人にも。
「兄弟は他人のはぢまり」との格言がある。現代遺傳子工學は種の保存のためにクセを、性格(性質)を違へたと解いた。
一つの部族が飢ゑに苦しんだ。このままでは坐して死を待つだけだとリーダー一族の兄は新展地を目指し南に旅立つ。一方、それは危險極まりないと留まる弟。末弟は南でなく北が好いと旅立つ。ゆゑにこの一族の種は全滅することなく殘つた。

これも天(自然)の攝理。武士はこれをよく知つてゐた。
我らの天(神)は他文明の天と違つて、神の下に平等(等價)だとは云はない。
異質なもの同士が互ひに足りないところを補へと云ふ。人の男女も異質であるが、異質ゆゑに存在理由があるのだと云ふ。

さう、もうけふは五日だ。武道通信かわら版の日だ。
この「天」の話は『武女』に宣傳文を借りて話さう。
2012/05/05(土) 晴れ


みどりの日、昭和記念公園は入場料タダだつた


欝金櫻(ウコンサクラ)もあつと間に青々とした葉櫻となり、風で飛んできた種が、空き地や道端で紅や黄色の花を咲かせてゐる。春爛漫である。

昭和天皇誕生日を自稱平和主義者が、熊さん八さんに媚びたつもりで「みどりの日」と呼称改悪。
で、みどりが見たくて隣り市{まち}の東京ドーム二十七個分の昭和記念公園へ出向く。當然、孫連れである。爺婆の奮戰記は省く。

もともとは帝國陸軍の帝都防衞飛行戰隊基地。その後、航空の研究・開發・製造の一大據點となり、航空工廠ほか民間の工場が建てらた。
弓聖・阿波研造の直弟子の安澤平次郎(十段)がこの基地に教へにきてゐた。その縁で拙宅のすぐ近くに道場を持つことになるのだ。その經緯も省く。

當然、空襲の對象となり基地から外れた誤爆(?)で國立の學童も斃れた。
祖國は戰ひ破れ、ともだちの占領基地となつた。

江戸にのぼつたばかりの折、青梅線の車窓に地平線まで見渡せる基地が映つた。
手前のフェンス際でヤンキーがふたり、キャッチボールをしてゐた。背景は一、二の格納庫らしきもののほかは地と空。

昭和記念公園は昭和天皇御在位五十年記念事業の一つ。建設當時、例によつてわが市の左卷きのクルクルパーが「反對、反對!」と叫んでゐたことを想ひ出す。
昭和記念公園内に昭和天皇記念館がある。公園は過去に三、四囘行つたことがあるが、孫連れゆゑ入館したことはない。

山本定朝口述の『葉隱』は亂世と治世の狹間で、ふたつの武士道の中庸を求め、喘いでゐた武士の告白書である。

昭和天皇は神代の天子さまと、征夷大將軍(軍人の棟梁)と、(ヨーロッパ人が云うところの)近代と云ふ國家元首。この三像の中庸を得えようとして、苦しんでおられたのではなかつたらうか。

時代の風{ふう}の樣變はりの因は戰爭。人の世は戰爭で樣變はりする。人の歴史は戰爭の歴史。野蛮人は戰爭で人として賢くなり、技術工學も進歩した。

天下泰平で戰爭がないのが三百年近くもあつた。そのせゐで、その間、戰爭漬けであつたヨーロッパに負けた。
家康好きの孫の家光、大奧など作らず、その経費で海外に討つてでてゐたら好かつたものを。家康は鎖國を祖法にせよなど云つてゐない。

大阪の陣のころ、日本自前の船でシャム(タイ)までいけたのだから。そしたら英國艦隊とベンガル灣はで世紀の東西海戰。で、ベンガル灣の呼稱は「日本灣」に。いまの國際共通語も日本語となつてゐた。

まあ、これは與太話としておかう。

が、なぜ大奧がつくられたのか。財政難の折にも大奧豫算は削ることがむづかしかつたか。
熊さん八さんが知る、徳川の血筋を守るため大奧がつくられたとの通説でない、本當の事情が「葉隱の妻」の取材でタイム・スリップした折、わかつたのだつた。

元祿時代の風{ふう}に吹かれて理解したのだ。時代考證モノの通説を疑ふ傘貼り浪人は。

なるほど、亂世から治世にするには、こんな手をつかつたのかと。

定朝さんが仕へた二代藩主光茂は側室十三人、正妻も合はせて子は四十九人。ただの女好きではない。龍造寺家から“下剋上”した鍋島家(藩)の事情があつたのだ。おわかりか。

2012/05/01(火) 曇り


十三人のサムライ・ウーマンをキャスティングしてみる 


葉櫻となつた江戸櫻(ソメイヨシノ)の脇で、欝金櫻(ウコンサクラ)が重い花房を枝に垂れ、咲き誇つてゐる。

版元から著者獻本の『武女』が屆けられた。
草稿から最終ゲラ校正まで、十三人のサムライ・ウーマンたちのお附き合ひも長い。その人となりがよく見えてきた。

「もし、十三人のサムライ・ウーマンをキャスティングしたら……」

遠い記憶の底からNHK大河ドラマに出演した女優たちを想ひ浮かべる。
あんな女優もゐた、こんな女優もゐた……。

いやいや、キャスティングなど經驗がないド素人。しないはうが無難だ。
くわばら、くわばら。

脚本の出來、不出來もさることながら、脚本に魂を吹き込むのが役者。キャスティングの妙が人氣度(視聽率)の決め手とならう。

連續モノの主役および準主役は觀る者にとつて隣人・縁者になつていく。氣の合ふ隣人になるか、さうでないかは役者魂によるのであらうが、キャスティングの妙は大きい。

「平清盛」も含め、全五十一作。キャスティングから視聽率の高低を解明できるのではなからうか。

第一囘が井伊直弼の花の生涯。拙者、江戸に上つた年で歸郷した折、よく觀てゐた。なにせ江戸の學生長屋暮らしには贅澤品のテレビはなかつた。

『武女』のサムライ・ウーマンは信長、秀吉の戰乱と元祿泰平の妻たち。
大河ドラマを歴覽すると戰國時代モノは十七作。赤穗浪士モノは三作。

近年、大河ドラマを肴に罵詈増減を吐いてゐるが、大河ドラマの功績は大きいことは云ふまでもない。

いまが盛りの男女アイドルが歴史のヒーローとなり、時代衣裝に身をまとひ、役柄に感情移入する。むかしむかし、日本に棲息してゐたサムライ像が過ぎる。

劍に特別、感情移入する傘貼り浪人には見えるのである。
一年にわたる撮影の折々、腰に劍を差してゐればサムライDNAが沸き立つ。薙刀、懐剣をはじめて手にする女優も同じ。

五、六年前か。源義經にキャスティングされたイケメンタレントが、いま殺陣シーンが多い歌舞伎モノの坐長として源義經や平將門など演じてゐる。
本人談。
「義經」の主役になる前まで日本の傳統文化にはまるで興味がなかつた。立ち囘りにも獨特の間がある。これは日本人の武器、財産。

それで好し。

廣告料が減り、四苦八苦の民放。カメラとマイクだけの安上がりの現場主義。被害者の遺族の心に土足で踏み込み、特ダネを競ふ。

これが己の首を絞めることになることは百も承知。ほかの手立てがないのである。かつて報道する者としてあつた矜持も捨てる。マスゴミはガレキの山となつて本社前にうず高く積まれていく。

國民からの租税でなりたつNHKよ。あきんどのやうな消費者への媚びはやめされ。視聽率など氣しないとの肝腎でいきなされ。

士族による士族のための番組をつくりなされ。「名こそ惜しけれ」ですぞ。
熊さん八さん、長屋のおかみさん連中は必づついてくる。彼らがいま一番求めてゐるのはおサムライさんであるからして。

<追記>掲示版に『武女』の表紙と宣伝文をアップ。
2012/04/26(木) 雨


“一服休題” 


けむりをふかすのをパイプから煙管に變へた。
他意はない。パイプの葉を求めにいつたら新種の刻み煙草の葉が發賣されてゐた。

唯一の煙管用きざみ葉の小粹な箱入りでなく、パイプ葉のパッケージである。
「亞米利加式混合葉使用 煙管用刻み煙草」「ベルギー王國製」と譯のわからぬ銘が打たれてゐた。
文明開化で浮かれ、舶來ものに飛びつく熊さん八さん向きのネーミング。が、商品名は「宝船」とイマイチ。


葉の刻みの目は唯一の煙管用刻み葉より粗い。ヴァージニアとかバーレーなどのアメリカのパイプ葉に似たブレンドをしてゐる。それをベルギーで作つたとのことからだとパッケージに書いてある。
JTの名は見つからない。日本の老舖のパイプメイカーがつくつたのだ。
日本製造メーカーは智慧を使ひ、この手の手法で生き延びていく。結構である。

本日は“一服休題”。葉隱、尖閣諸島は閑話休題で、また後日。
さう、本日は武道通信かわら版、宝船の味見で忘れるところであつた。

さうさう、もう一言。
立ち入り禁止の警戒區域に設定されてゐる福島縣富岡町の櫻並木が放射能を浴び、元氣一杯で滿開となつたさうだ。
縣内外に散り散りとなつてゐる町民を早く郷里に歸りさせてやりなされ。

皇室の御料牧場から原發反對派が大騒ぎする放射能汚染が判明した。 
天皇、兩陛下と皇太子ご一家は默して食してをられる。
2012/04/20(金) 曇り


源平桃が咲き誇る


見事に散つた染井吉野の脇で、今朝、紅桃と白桃の二本、その脇には白と赤の花弁が混じる源平桃が一本、見事に咲き誇つてゐた。

「源平桃」とは先人、好いネーミングしたものだ。あの日、壇ノ浦の山肌に咲いてゐたのだらうか。

定朝さん、この上ないこと、最上との意味の「至極」と、この「見事」を好んで使つた。

江戸の殿樣が都民の税で尖閣諸島を買ふと云ふ。
それをNOと云ひづらいともだち&親分の國。反支那に急カーブを切つた世界一の軍事大國。紙幣すべてに「In God We Trust」(神の御魂の下に)と印刷されてゐるの神の子の國で云ふのが洒落てゐる。 

「至極」「見事」と喝采しよう。
大阪の殿樣とはやはりり年季が、格が違ふ。

大阪の殿樣、まだ分際{ぶんざい}を心得てゐないやうだ。いまある喝采は、熊さん八さんは口には出さないが、町會談義(市議會)など無駄金を使ふだけと知つてゐるからだ。

正直者は好い。が、最後はバカを見るのが常と熊さん八さんは知つてゐる。なぜなら正直はえてして隣近所に迷惑がかかる。熊さん八さんは、まづもつて町内の平和が大事である。それを心得ておかないといつしか疎まれる。
政は、熊さん八さんと同じ血脈の正直者には務まらない。

いま、まだ民主主義の世であるならば、士農工商、それぞれの民意を汲み取つた民主主義であつてほしい。政においては士農工商が平等で善しとするではない。

定朝さん、こんな風なわかつたやうな、わからない至言を吐く。まあ、傘貼り浪人も眞似てみただけだ。

さうだ、東京都民の新しい島、東シナ海に浮かぶ魚釣島に源平桃を咲かせてみたいものだ。

江戸の殿樣、都に金がなければ裏店の傘貼り浪人が寄付しますぞ。
と、定朝さんを真似て大言壯語。
2012/04/17(火) 晴れ


失敗ニモ負ケズ


失敗ニモ負ケズ、國際世論ニモ負ケズ。それは信仰力。お爺ちやんによる二世代前の「國づくり」信仰。

三代つづいた(かのやうにみえる)キム王朝はキリスト教御法度。
「打ち上げが13日の金曜日だつたからサ」と、ともだちは溜飮を下げる。

ともだちだつて原住民インディアンを殺しまくり、西へ西へのフロンティア精神もアメリカ大陸へ移住した清教徒の「神の子」信仰。

軍事力では大人と幼稚園生。が、鰯の頭もなんとかで信仰力ではいい勝負だ。

いや、決して信仰力を貶めるものではない。
イタリアの書店で「歴史」は「物語」に分類されてゐると云ふ。
「嘘か眞か」は歴史の本質ではない。歴史は善悪の彼岸にある。人々は信仰心によつて支えられてきた。

平家物語や太平記の中に、いまでは信じられないくだり(件)がある。
定朝さんが田代陣基に云う。
首を斬られた武将は、自分の両手で落とされた首を支え、自分で穴を掘つて埋めた。

が、このやうな武邊者の作り話を武士は連綿と信じてきた。信じられたから武士道は廢れなかつたのだ。

(あの平清盛を語りたくなるのをグッと抑へる。話をかへて)
その點、南は國づくりの神話がない。だから……。云つてもせんないか。
敗戰の自虐史觀のスキを嘘八百で攻め込まれたのだから、日本人の責任である。ひとのせゐにしないのがサムライ精神。

さう、まづ「男尊女卑」の自虐史觀を「♪古い上着とサヨウナラ」と脱ぎ捨てよう。

熊さん八さんの支持率急降下中、落下寸前の與黨歴代總理の奧方も『武女』を讀めばわかる。
まづ、ここからはじめよう。日本の「絆」も見てくる。
2012/04/15(日) 晴れ


張子のミサイルより、やつぱ櫻だ


早朝の露をおびた朝櫻は好い。けふの早朝、微風に花びらが蝶のやうに舞つてゐた。

江戸櫻(ソメイヨシノ)が散ると、次に欝金櫻(ウコンサクラ)が咲く。
一橋大學寮の東脇の空き地に、江戸櫻に混じり二本のウコンサクラがある。桃色のつぼみがふくらんできた。
數百品種あるサクラのうちで唯一、黄色の花を咲かせる。ゆゑに「黄櫻」「淺葱櫻(淺黄櫻)」とも呼ばれ、色は緑色が弱く淡黄色であると事典にあるが、このウコンサクラは淡い桃色。

三角屋根驛舎があつたころ、驛前の大寒櫻が二月末には咲きはじめ、毎年、春一番を告げてくれた。
七年前か、新驛舎建設のため伐採された。その際、惜しんで接木された。某小學校の校庭で、春一番を告げてくれただらうか。

田代陣基が山本定朝をアポ無しではじめて訪ねたとき、山櫻が咲き誇つてゐたらしい。

ときは寶永七年(1710)3月5日(旧暦)。
「浮世から何里あらふか山櫻」と、定朝殿の發句。
「しら雲や唯今花に尋ね合ひ」と、陣基の附句{つけく}。

定朝は浮世を離れた山里の山櫻に自分を託し、陣基はしら雲に御役目拂ひ(クビ)の自分を託して、はじめての出會ひのシーンを詠んだ。

ときは八代將軍吉宗の世の享保四年(一七一九)十月十一日。ところは佐賀城下から北に三里(約十二キロ)ほどの山里、春日村大小隅{だいしようぐま}。草庵の前の小い丘を野邊{のべ}(火葬場)にして、常朝の亡骸の野燒きがおこなれようとしてゐる。

この前、タイム・スリップしたとき、かいま見た光景だ。

窪みに割木、炭が敷かれ、坐棺がおかれてゐる。山本家菩提寺の寺男らしき人夫が坐棺の周圍を藁と柴木で包み込んでゐる。
常朝の奧さんであらう、剃髮し、黒染めの衣に包んだ徒顏{ただがお}(化粧してゐない素顏)の老婦人と、田代陣基らしき四十歳ぐらゐの小男が竝んで、寺男の作業を見守つてゐる。ほかに誰もゐない。

木立に隱れ、樣子をうかがつた。

奧さん、火が移つた坐館をぢつと見てゐてが、顏だけ向け、陣基らしき小男の脇顏を見て云つた。
「田代殿、火の中に投じるのではなかつたのですか。それが神右衞門(常朝)の本意でありませう」

やはり、出家名を相玄と云ふ奧さんと、小男は田代陣基だつた。

「さ、さ(いざ)、早く火の中に投じなされ」
相玄さんがせかせる。
さうか、風呂敷包みの中身は、常朝が必ず燃やせと遺言してゐた『葉隱』だ。

田代が手にした風呂敷包みに目を落しながら、しどろもどろに云ふ。
「手にしてをりますのは定朝殿直筆の夜陰の閑談と、それがしが口述筆記した聞書。閑談のおこしと聞書きの閉ぢに發句を竝べようと云はれたのは定朝殿。他人の目にふれることを承知だつたのではないかと思はれるのです」

さうか、陣基は燃やせと云つたのは定朝の本意でないと云ひたいのだ。

「どのやうな句ですか」
と、相玄さん。
「定朝殿の發句、浮世から何里あらふか山櫻につづいて、しら雲や唯今花に尋ね合ひと、それがしが附句しました。また閉ぢには、手ごなしの粥に極きめよ冬籠ふゆごもり。それがしの朝顏の枯葦燃かれづるもゆる庵かな」

それを聞いた奧さん、
「なんとも思い入れの深い句。そのはぐれ雲がようやく神右衞門と云ふ花にめぐり會へたと云ふのですね。山櫻から枯葦とは、まさに老いていく神右衞門を云ひあらはしてゐますなあ」
と、口邊に笑みを浮かべ陣基に云つた。

ハイ、ここまで。
『葉隱の妻』の序章の冒頭のシーンである。
ホントにアッと驚く構成も固まつた。
序、一、二、三章に多少、筆を加へ、四章からスタートである。

『武女』は、もう印刷所に囘つただらうか。表紙カバーが樂しみだ。
『葉隱の妻』もサムライ・ウーマン相玄さんへの詫び状とならう。

武藏嵐山の杉山城跡にも櫻木はあるだらう。行かずぢまひになつた。もう、散りはじめたか。

張子のミサイルでも戰時想定訓練にはもつてこい。
が、まづもつての敵は北でない。

日本を攻めたくて攻めたくて仕方がないのは、ソメイヨシノの起源は朝鮮だ!と、日本がうらやましくて、うらやましくて、どうしようもない韓國。
總選挙、張子のミサイルのせゐで野黨、豫想に反し慘敗。
2012/04/12(木) 晴れ


春になれば櫻は咲く。植物は正直だ


植物は規則正しき正直者だ。なれど、去年の櫻木より一年、歳を食つてゐる。下から見上げる人と同じである。

けふの産經新聞に軍學者の『日本人が知らない 軍事學の常識』の書評が載つてゐた。“デキてる”書評である。

《70年前に戦場の塹壕(ざんごう)のなかの兵士たちが握りしめた手榴(しゅりゅう)弾を、いま私たちが手にしているように説明できるのは兵頭氏だ。そして現在、アメリカの軍事専門家が騒ぎ立てる中国の中距離ミサイル、東風21を冷静に評価できるのも兵頭氏である。》(新かな漢字のまま)

さう、十年來の讀者である拙者は云ふ、「兵頭氏だけだ」

《このため、軍事専門家(兵藤二十八)はごくごく限られた人たちを相手にしてきた。エネルギッシュな兵頭氏は数多くの著書を持つが、その読者はその取り組み方とその分析とその感性を愛する人たちだった。》

さう、拙者は、その感性を愛する人たちの多くをよく知つてゐる。金にかなり不自由してゐる二十、三十代。もう四十代になつてゐるか。「讀書餘論」の塾生のほとんどがさうだ。

《この『軍事学の常識』ははじめて一般の読者に説いたものであり、適切な構成となっている。》

さう、軍學者、熊さん八さんにも、話せばわかるときが來たとの“危機到來”を感じてゐるのだらう。

軍學者が凾館に移り住んで、もう十年。凾館の櫻木も十年、軍學者と同じく歳食つたはけだ。

二〇〇二年、浜松町の世界貿易センタービル三十八階にて壮行会が行なわれた。

十人のサムライが集った。その一人に適菜収さんもいた。軍学者の一番弟子を自認していた。
選挙の折、軍学者は選挙カーに同乗しての応援演説をしてくれた。その礼も兼ね、郷里に接待した。その折、適菜さんも同行した。

『正論』の今月號の特輯卷頭で適菜さんがB層をキーワードに健筆を揮{ふる}つてゐた。
「橋下徹は保守ではない」。表紙文字に大きく謳はれてゐた。

適菜さんの哲學モノの著作、『キリスト教は邪教です! 』は十九刷の六万部突破。『いたこニーチェ』『ゲーテに学ぶ 賢者の知恵』も二万部突破だと云ふ。

編輯屋の拙者も、著述業らしきことをはじめ、二〇〇八年から増補本を含めれば五册目になる。
季節が廻れば人も移らう。

五册目の『武女』、本書も杉山流ならではの構成。そして示唆と着眼が滿載。

《文中に使われる日本語の素晴らしさは「江戸しぐさ」にも匹敵し、読み進むうちに学べるというのも類書にはありえない構成になっている。》(柏書房HP新刊案内から)

「江戸しぐさ」とは江戸の町方の商人道、生活の規範であらう。拙著は武士の目を通しての江戸も見える。

さう、本書の中心{中心}、刀身の根つ子、中心{なかご}にあるのは、自虐史觀「男尊女卑」を斬り捨てる一太刀。
泉下のサムライ、その妻子ことサムライ・ウーマンへの無禮を、もういい加減にやめよう。
「政略結婚」とのステレオ・タイプのイメージを着せられたサムライ・ウーマンへの詫び状でもある。

宣傳をしつこく、もう一言。帶のコピー。
《鮮やかに、したたかに。戦国の世には男を凌ぐ妻たちの戦法があった。歴史ドラマに埋もれていたサムライ・ウーマンの真の姿を見事なまでに再現する!》

2012/04/08(日) 晴れ


「絆」――これもこれで最後だ!


定朝さん、「死に狂ひ」「思ひ死に」「常在死身」「常在討死」と、死のバリエーションをよく語る。十九歳年下の陣基に。
父は祖父の歳、二十歳下の甥たちの薫陶を受け育つたから、十九違ひと云つても定朝さん、陣基には隔世の感がしたらう。まさに新人類だつたのでないか。

この新人類に戰國を生き拔いた武士は、いくつもの死のバリエーションをもつてゐたことを語りたかつた、説教したかつたのではないか。

なぜ、殉死、追腹をしたのかも、現代人の我らにもわかるやうに語つたかもしれない。
『葉隱』には、そんな文言は見當たらないから、話したとしても陣基が理解できなかつたか、新人類にわかりやすく云ふ藝が定朝さんになかつたかであらう。

それは今度、タイム・スリップしたとき取材してくるとして、多分、かう云ふことであらう。

「城を枕に討ち死に」とか、戰國の世では共に死ぬ場面が多くあつた。
この共に死ぬには、共に生きるが表裏一體となつてゐる。
つまり、現代人が好きな言葉、「共生」には「共死」がセットになつてゐる。
ここがわからなければ、武士とは何者かもわからない。

地球にやさしく、みななかよく共生――は商人のコマーシャル。
みな共に死ぬ覺悟をもつてこそ、共生できるのだ。AはBを食い、BはCを食う、AはCに食われる。この永劫の摂理である。

死ぬ覺悟をどこかへ捨ててしまつてなにが共生だ。
敗戰前までの下々、熊さん八さんはわかつてゐた。これが日本人の「絆」には編まれてゐる。

ガレキ處理に、どいつもこいつもNO! NO! NO!

この絆、いまの世ではメッキでしかなかつたことが露呈した。
「絆」を連呼してきたメディアは、つまるところ「絆」の正體が見えてゐなかつた。見えてゐないから、ごくごく一部のプロ市民の「子供たちの命を守らう」などの見え透いた反對ポーズを叱れない。お前たちこそ、日本の子供たちの命を危險にしてゐるだと、叱らなければならない。

平清盛も、前回で最後にした。
「共死」の覺悟がない輩が叫ぶ「絆」も、これをもつて最後とする。

先の土曜、武道通信かわら版で告知してゐた籏谷さんが主催する撃劍大會(町田戸山流誠斬會)に出向ひた。
http://members2.jcom.home.ne.jp/gekken/video.html ←撃劍大會の動畫が見られます。

會場で、卒業式を濟ませたばかりの鎖帷子劍士と久しぶりにお會ひした。劍士、國際線パイロットを卒業し、若人たちに交じり航海術を學んだ。
かつての社に初の女性機長が誕生したことを振ると、女性は「よきにはかれ」ができないからなあ〜と溜息をついた。

今月の二十五日に發賣される「武女――亂世を生きた夫婦の絆」の“語り部”の淺田篤が奧屋敷の家老格の老女によく云ふセリフがある。
「よきにはかられよ」
時代劇でよく使はれる、この一言にも「共生」「共死」が祕められてゐるのだ。
大仰に云へば、もし、お前が失敗しても一緒に死ねばよい。だから、お前に任せる。
武士の主從の情誼(情愛)のエートスはここにある。この瞬間、身分、上下關係は霧散する。
だから殉死ができた。共生の証として。

さう、あすの武道通信かわら版で、近刊の拙著を詳しく宣傳しておかう。このつづきは「忙中閑あり」で。
2012/04/04(水) 晴れ


「平清盛」――これが最後だ


定朝さん、劍術の極意は「肉を切らせて骨を斷つことだ!」と勇ましく云つてゐる。
熊本と佐賀は一つ隣り。宮本武藏の箴言は屆いてゐたらう。父や二十歳上の叔父たちから聞かされてゐた。たぶん。

いや、この肉を切らせて……も、まつたく武藏のオリジナルとは云ひ切れまい。
先人が似たやうなことを云つてゐたことは想像に易い。
武士道とは死ぬことと……も同じだらう。
虎の口(最前線)で戰つてきた<もののふ>たちの共通理念の至言だらう。
畳の上の奉公しかできなくなつた江戸の武士たちは、定朝さんの同じに、やはり、これを心棒として「武士たらん」とした。

その人の言葉として、後世に殘るかどうかは書物として殘存するかにかかる。また、誰もが口にしてきた文言を至言にする才だ。

「武士道とは、死ぬ事と見附けたり」で、「武士道とは、死ぬ事である」ではない。
「見附けたり」であつたから至言なのである。『葉隱』の現代譯で、「死ぬ事である」の譯文はパス。幾ら高名なる學者さんの譯でも。

「見附けたり」であるから山本定朝の人となり、あの時代が見えるのだ。
これもタイム・スリップして現場取材をしてきたから、淺學の傘貼り浪人も確信をもつて云へる。

一度、完成したはずの「葉隱の妻」の構想に、また變更ができた。
タイム・スリップすると、新たな事例が判明する。すると、新たな疑問點が生じる。いま四章まできたが、ここで構想を練り直す。

前口上がながくなつた。<「平清盛」――これが最後だ>を語りたかつたための前口上である。
TVドラマの制作陣にとつて、拙者のタイム・スリップしての新たな事例とは視聽率ではないか。

拙著『サムライと日本刀』の「まゑがき」にはじまりにかう書いた。
「筆者には日本刀が、この國のかたちに見える。公家と武家の調和と相剋の歴史を祕めてゐるやうに思へるからだらうか」
「JAPANISM」で<公家と武家の劍の奪ひ合ひ>の項でも書いた。

「日本刀をみると、この國のかたちに見える」は平成十年創刊號の「武道通信」の特集タイトル。
この文言、拙者のオリジナルである。この文言を世に問ひたくて、清水の舞臺から飛び降りる氣分で「武道通信」を創刊したやうなものだ(笑)

日本刀をみると、日本が一國一文明であるとわかる。口角泡を飛ばさなくも。「JAPANISM」で云はんとしたことだ。

日本刀ブームの兆しは過去、何度もあつた。が、「刄文の美しさ」「折れにくく、斬れ味滿點」「武士の魂」etcの文言だけ。
これではだめだ。「一國一文明の證{あかし}」と謳はなくては。

日本刀信仰を連綿と語り繼ぐ時代小説の作家たちは、これを云はない。
なぜか。日本刀を見ても見えないのか。武士は好きだが、日本刀に興味がないのか。

時代小説の作家は政治家と同じ、最大公約數を相手。偏狹的ナショナリズムと敗戰後の思潮から糺彈されるだらうから腰が引けるのか。
(日本刀=世界平和の敵・軍国主義。日本刀=百人斬りの首斬り兇刃。ともだちと支那の宣伝工作からいまだ抜け切れない)

保守派と稱せられる、また自稱する御仁も日本刀には無縁とみえる。
いや、また話がそれた。(これだから老いは困る)
疲れた(笑)。本題をズバリ。

清盛の支那の劍を捨てさせろ。
清盛を刀鍛治のところへ行かせよ。
刀鍛治から作刀の心を聽かせけよ。
公家の番犬の首輪を斷ち切る太刀(灣刀=日本刀)を打つてもらへ。
その太刀から見た眼で、腐つた公家を糺彈しろ。

清盛の福原遷都は、支那大陸からの防衞が第一の目的だつたと史實を傳へよ。清盛は日本初の(國防)海軍をつくろうとしたさむらいだつた。國防を最初に危惧したさむらいだつたと。
構成、筋書きを手直しせよ。

支那のハニー・トラップ&土地買占めなど數多な間接侵掠や、北朝鮮の核彈道ミサイルテストに怒りをあらはにしだした熊さん八さんに受けること間違ひない。

それにつけても、準主役的な役囘りが多すぎる。大筋が見えにくいなり主役の影が薄くなる。主役を數段上囘る藝達者が多い。

熊さん八さん、平安後期の歴史通でない。目が廻わり、疲れる。休日の夕げのあとの最大公約數を相手とする大衆娯樂ドラマであることをお忘れか。
支那の工作員の仕業で、娯樂とは何ぞやを失念したか。
また、時代考證と云ふ魔物の罠に落ちた好い例である。

とは云へ、大衆視聽者を小バカにするのではない。
「平清盛が何者かであつたか」が軸ならば、公家(王家)に對抗した武家の興り、公家と武家の相剋が舞台囘しならば、これを視聽者に眞劍勝負で、胃を痛くしても傳へよ。

「武士道とは、死ぬ事と見附けたり」を「武士道とは、死ぬ事である」と譯すやうな視聽者を愚民、撫民扱ひしてはならない。

これを傳へるのが、平安末期、武家の興りと同時に生まれた、世界に類のない太刀。
刃鉄{はがね}の折り返し鍛錬。湾刀で鎬があり、意図的に刃文をいれ、銘を刻んだ中心がある日本刀。
この認識、智識は歴史モノ大河ドラマを擔當する者としての常識であらう。

クリエイターなら前任者とは違ふ、斬新なことをやりたいのは當然であり、さうあるべきだ。
ならば、かつて大河ドラマになかつた日本刀の刄文を見事にカメラでとらへてみることに挑戰してみろ。
清盛の世、山城(京都)伝の小丁子乱れの刄文などは完成してゐた。宋の蛮刀など比べものにならない。
カメラ技術の進歩、進歩と口角泡を飛ばしてゐるではないか。
おのづから、平清盛が武家の興りのヒーローであつたことを、熊さん八さんに端的に傳へることができる。

國民から視聽料をいただく、國民放送NHKの看板番組であらう。
製作者たちよ、裏店の傘貼り浪人程度の知性と教養を持て!

と、大言壯語(自分の力以上の大きなことを云う)と箴言(いましめとなる短い句)を繰り返す定朝さんの眞似をして、「平清盛」に物申すのは、これを最後とする。
2012/03/30(金) 晴れ


“弓馬”の人、また曰く


ツアー・コンダクターの御仁の話しで、書きそびれていたことがあつた。

地元の小學校をアポなしで訪問したさうだ。入口にチェ・ゲバラや最初の蜂起で戰死した二十數名の革命烈士の冩眞が飾つてあり、周りの壁にはカストロの箴言が。
「革命とは?自主獨立!」「キューバに自由を」「勝利か死か」
それに「ゲバラのやうな人間になりなさい」と「まじめによく働きなさい」がならぶ。
“弓馬”の人は、これに「≒」(ほぼ等しいのネット用語)をつける。
カストロさんも、怠け者が多くて頭が痛いとの「土地柄」が、現地に足をつければ見えてくるのだらう。

“弓馬”の人、また曰く。
「キューバは、たまたま成功した<革命>いう神話のある國ですが、日本は
神話のない國となつてしまひました。いまはアメリカの植民地だと實感します。日本も特攻隊員の手記とかを掲示すべきだと思ひました」

無償化適用の是非で、熊さん八さんにも怒りを買つてゐる在日朝鮮學校。
教室には金正日親子の肖像畫が掲げられてゐる。
御國柄、國家觀、思想的心情は違つても國家・民族の心の架け橋である神話は必要だ。

何千萬人餓死させようと、何萬人の政敵を獄死させようと、毛澤東の神話がなければ、まだ六十年の歴史しかない中共は成り立たない。

ともだちの國だつて、リンカーンの奴隸解放の神話を小學生に教へる。リンカーンは特に奴隸解放者ではなかつたことは、武道通信かわら版で小川さんが綴つてゐた。

江戸の世の人は、天子さまの御影{ぎよえい}に頭を垂れるなどとは思いもしなかつた。もしも、熊さん八さんが天子さまを想い出したくなつたら、京の方角の空(天)を仰げばよいと知つていた。

西洋歸りの明治の元勳が西洋の國王も模したのだらう。「天皇」と「国王」のゴッチャはNHKだけでなく、明治の元勳にも責任あり。

特攻隊員の手記が學校の廊下にならぶのは、いつの日だらう。
手記は言靈であるからしてよい。

「武士の夫婦の絆」の正式タイトルが決まつた。柏書房さんのHPをご覽あれ。          http://www.kashiwashobo.co.jp/index.html

「もしも、熊さん八さんが『葉隱』を讀んだら」
役立つことは、オリジナリティを持て! と云つたことぐらゐか。
いや、それと、もう一つ、氣づくかも知れない。

世の中とは、いろんな奴がゐてこそ「人の世」。心優しい熊さん八さんは「盜人にも三分の理」がよくわかつてゐる。
が、ともかくも、おサムライさんは「卑怯」って奴が一番に嫌つたんだな氣づくだらう。

旧ソ連式革命をいまでも夢見ても好い。北のミサイルを人工衞生だと云ふのも好い。ともかくも綱領を掲げ、熊さん八さん、長屋のおかみさんらに拡声器で叫んでゐる。「こつちの水が甘〜いぞ」と。

サムライ定朝さんが一番嫌ふのは、何をめざす政黨なのかの綱領を作れず、作らずして、頬被りを決めこんで政黨政治の坐にアグラをかいてゐる政治家たち。ただ、政治家でゐたいだけの輩だと。
2012/03/27(火) 晴れ


梅の花びらが舞ひはじめた


過日、當日記の一訪問者のキューバからの便り(メール)を紹介した。同じ御仁から、また弓馬、いやキューバからの便りがあつた。御仁、旅行會社のツアー・コンダクターであらう。

キューバでは1時間、日本圓約500圓で『武道通信』が讀める。ただ、いま流行のフェースブックでは、アメリカに亡命した知人のキューバ人ガイドのフェースブックを見ようとすると、即坐に接續がダウンださうだ。

むかしむかし、社會主義啓蒙の本か雜誌でカストロの言葉を讀んだ。いまでもその言葉が脊椎に張り附いてゐる。(これは以前、つづつたか)
その國の最良の精神の持ち主が教師になるべきだ。そんな意味だ。

NHKの大震災一周年記念番組をみた。NHKが、この大震災をどう報じたかとの内容だつた。ジワ〜と、全身が寂寥感に包まれた。

「有り顏」=いかにもさうあるやうな顏つき。
「教へ顏」=教へるやうな顏つき。
「御爲顏」=主人(視聽者)の利益をはからふやうな顏つき。(視聽者に)忠義ぶつた顏つき。
「心得顏」=いかにもわかつたやうな顏つき。
「事知り顏」=物事をよく知つてゐるやうな顏つき。
「賢し顏」=自分でかしこいと思つてゐる顏つき。
「手柄顏」=手柄を自慢する顏つき。
(以上、武邊(軍事)には關心度が低い広辞苑より)

3・11から一ヵ月したころ「原發殿、さう、いぢけるな。ゴジラになる覺悟をしてゐる者もゐる」と題して一筆した。

ゴジラになる覺悟、被爆を共有する覺悟。ゴジラになる覺悟なのだ。これが絆である。
この心立てが、この國の最良の精神の持ち主である。分別ではない。定朝さんの好きな言葉、「無分別」「死に狂ひ」である。

拙者、教師になつておけばよかつた。
熊さん八さん、十一年前、泡沫候補の傘貼り浪人を當選させてやればよかつたのに。さすれば、いまごろ總理大臣になつてゐて……。

けふの西風で、梅の花びらが舞ひはじめた。武州多摩の櫻の開花豫想は今月末日から。

武門は櫻の家紋を嫌つた。櫻の家紋はないに等しい。おわかりか。
これがわかないと「武士が何者であつたか」はわからない。櫻吹雪は頭山の金さん。これは江戸、元祿以降の下々の芝居小屋の話。

元祿が鎌倉武士からの分水嶺であつた。拙著(三著)の通奏低音に流れてゐるものだ。

四著目の「武士の夫婦の絆」(假題)の著者校正も濟み、「葉隱の妻」の草稿に、また取り掛かつた。

この分水嶺に焦點をあわせ、ふたつの武士道がどうせめぎあつたかを、おサムライさん待望論の熊さん八さんにもわかりやすく書いてみたい。

「武士の夫婦の絆」の正式タイトルも決まつたやうだ。
また、宣傳させていただく。武士モノでは、もう男尊女卑の自虐史觀は止めにしようと宣告してゐる。
2012/03/25(日) 晴れ


「平清盛」、文句云う氣もしなくなつた


きのふ、かわら版で一筆啓上した。が、日が空いたので一筆。

さう、平家と源氏の違ひに就いて書くはずであつた。
國民放送の「平清盛」、後日のYou Tubeでも見る氣がなくなつた。文句を云う氣もしなくなつた。で、どうでもよくなつた。
(頑張つてゐる役者諸氏には申しわけないが)

ひと言。天皇は女性、と云ふより母性か。天皇は兩性を宿してゐる。これが異文明の「王」との違ひ。
平家はこれを忘れてしまつた。源氏は片時も忘れなかつた。この差である。この差が貴族の次の爲政者、武士なれるか、なれないかの大きな差だつた。

「平清盛」の仕掛け人は、「天皇」と「王」の區別もつかない。いや、支那の侵掠者ならわかつてゐるはず。日本人の無意識の腦の「天皇」は、父性と母性を兼ね備へてゐる。この無意識の「天皇」から母性を剥ぎたいのであらう。
が、無駄である。支那中共のたかだか六十年の歴史に比べ、天皇の歴史は二千餘年ある。歴史の格が段違ひ。

兵頭二十八さんの新刊、『日本人が知らない 軍事学の常識』。國防より生活が大事な熊さん八さんにもわかりやすく、日本がいま置かれてゐる、いまそこにある危機が書かれてゐる。

支那はわかつてゐる。アメリカの軍事力に比べれば小學生であることも、支那兵の戰鬪機、戰艦の運用技術などの技倆は日本の自衞隊からすれば、出來の惡い中學生。
  
だからサイバー攻撃と、移民による間接侵掠。
熊さん八さんは知らない。みなさんのNHKの中枢部に支那の間者が入り込んでいるを。

NHK「平清盛」スタッフに自力更生力がまつたくないことはなゐだらう。
まづもつて、清盛に太刀を語らせること。
そのむかし、「雨あがる」で主人公の牢人の刀を殿樣がみて云ふセリフがあつた。あんなセリフを清盛に語らせることだ。
2012/03/21(水) 晴れ


版元から屆いた二册の本


「つはものどもの夢のあと」へ行く電車の中で讀まうと、文庫本を懐に。
西尾幹二さんが卷末の解説を書いてゐる。昭和五十年、文庫本で刊行され、その十七年後に新裝版として出されたである。
版元から贈られた。西尾さんの手配だらう。西尾さんが手配してくれたはけはかうだらう。

以前、草莽日記に綴つたが、もう消えてない。で、簡潔に。
チャンネル桜の大晦日番組?の收録のあと、西尾さんと居酒屋へ。

西尾さん、畑違ひのうへ著者の綱淵謙錠とはまつたく面識はなかつたが、この著の解説文を頼まれたと云ふ。わからないが、自刄した三島由紀夫のことを書いた文でも讀んだのだらうかと。それしか見當がつかないと。
それと、解説の中で重要な登場人物(美貌の人妻)の扱ひに異を感じたとの意味のことを書いたが、果たして正しかつただらうかと。どう、思ひます? 
と。

で、後日、アマゾンから中古本を求め、何十年ぶりかに讀んだ。
で、西尾さんが氣にしてゐた登城人物のくだりなどを草莽日記に綴つたのであつた。西尾さんにも送つた。そのことからであらう。

この著が直木賞を受賞したのは昭和四十五、六年。ならば拙者はベースボール藩で給金取りであつた。が、なぜか學生時代に行きつけの喫茶店で讀んだ記憶が鮮明にあるのだ。終生、手にすることはないと思つてゐた、直木賞發表とある大衆文藝誌を買つたのだから。

『斬』と云ふ題目と、首斬り山田淺右衞門がモデルと云ふことを新聞の廣告記事から知り、手にしたのだらう。
「ウム」と、喫茶店のボックスで唸つた。血しぶき、血の匂いが“満載”。拙者が首狩り族の末裔だと、はじめて自覺させたくれた本であつた(笑)。
 
江戸から遠く離れた佐賀の山本定朝も介錯を二度、成功させてゐる。初代山田淺右衞門と山本定朝は同世代と云へる。

いま草稿を綴つてゐるのが、定朝さんが介錯する場面。
蒲柳の質(虚弱體質)の子で、二十歳までは生きられないと云はれが定朝さん。それに和歌を詠むのが好きだつた文弱の徒であつた定朝さんが、元祿の世となり、首斬り役人も失敗を恐れ、嫌がる介錯をなぜ見事、成功させたか。

それにはある秘伝の伝授があつた。そのくだりに『斬』の山田家に傳はる首斬りのコツを使はせてもらふ。そのために文庫本を懐に入れておいたのだ。

『斬』では斬首のさい、首の皮を一枚殘して斬るのは、斬られた瞬間、後ろへのけぞるから皮一枚殘すことで首が錘の役目をさせると、幕末の与力が編んだ「江戸町奉行所問答」から引用してゐる。

庶民の處刑の場合は、ガタガタ震へる處刑者の肩を抑へる、牢番の非人の抑へ役がゐる。これは抑へ役がゐない場合のときを云ふ。ただし武士の場合は当然、ゐない。吉田松陰の斬首のときも抑へ役はゐなかつた。
松陰の土壇場は「実に立派な往生だつた」と、山田家の回顧録にあるという。

片や『葉隱』は、首の皮を一枚殘すのは昔風で、當世ではスッポリ、打ち落した方がよいとされる。
皮を一枚殘す昔風は、斬られた首が飛ぶこともよくあり、檢死役に血がかかるからである。要は武士の最期として美しくない。

さてさて、ここが時代考證の“落し穴”である。

巻き藁一枚も切ったことのない、首のひとつも打ち落してみたいと夢想だにしない文獻重視家は、この穴にはまる。
拙者、タイムスリップで現場檢證してゐるから、このへんの食ひ違ひの意味はわかつてゐる。

もう一冊。
兵頭二十八さんの新刊『日本人が知らない 軍事學の常識』がきのふ、版元の草思社から贈られてきた。

著者の謹呈しおりに版元からの傳言が手書きでメモられてゐた。
「よろしく」と。宣傳してくださいとにことだ。

早速、宣傳しておきました。「掲示版」をお讀みあれ。カバーもUP。
2012/03/16(金) 晴れ


紅梅や つはものどもが 夢のあと


きのふ、東武東上線に乘る用事があつたことから、足を伸ばして“終點”の森林公園の二つ先、武藏嵐山に降りた。そのむかしの木曾街道(中山街道)六十九次の菅谷宿である。

鎌倉幕府の有力な御家人であつた畠山重忠の館跡が殘る。
鎌倉街道が走つてゐて、ここから一刻半も馬で驅ければ、拙者の日々の野稽古場の下の鎌倉街道を通りすぎるだらう。

畠山から足利へ。上杉家の山内と扇谷、それに太田道灌の嫡男・資康らが、この地で夢見る戦さを繰り広げた。
その後、この館は松山城跡、杉山城跡、小倉城跡となり、つはものどもの夢を食ひつづけた。

つはものどもの夢のあとが見たくなつたのだ。
が、着いたころに陽も陰り、ゆつくりと夢のあとの感慨に耽るには時間が足りない、この次にするかと、驛前の居酒屋で“風邪ワクチン”を飮むことにした。

店には例のフルベッキ冩眞が飾つてあつた。居酒屋の亭主、これが維新後に撮影されてゐることは承知の歴史通であつた。
亭主、甲斐の士族の末裔で、三代前が蝦夷地函館(箱館)に開拓民として移り住んだと云ふ。
「薩長の足輕どもにアゴで使はれるより、嚴寒の地で苦勞した方がよいとのサムライの意地ですよ」と、表富士側の同じ天領地の末裔は云ふ。

サイトからダウンロードしたとの江戸の世の、この近邊の地圖もはつてあつた。
拙者が地圖を食ひ入るやうに見てゐると、江戸の地圖はおもしろいですね、上が南で、下が北ですねと云ふから、歴史通ぶつて、これは幕府の京(天皇)封印の風水によるものですと云ふ。

櫻が滿開になつたころ、つわものどもの夢のあとを訪れよう。
「桜散る つわものどもが 夢のあと」との駄句を詠むために。

そう、箱館と云えば、兵頭二十八さんの新刊「新解 函館戦争――幕末箱館の海陸戦を一日ごとに再現する」が三月末か、四月頭に出る。拙者が口ききした、毛利元就の元就、「元就{げんしゅう}出版社」から。
*後日訂正。勘違い。四月末予定が五月連休明けに

函館戦争を経験したから、“薩長政府軍”は日清、日露戦争ができたとの、またまた、鮮鋭な書。
2012/03/12(月) 晴れ


『平家物語』にみる平氏、入水。源氏、ハラキリではない


谷保天滿宮の梅林まで“馬”で驅けた。
七分咲きの寒梅が一割。あとは三分咲きと云つたところか。やはり今年は大寒氣。

『葉隱の妻』の構想の中心{なかご}が決まつた。これでよしと、筆が動きはじめた。で、平家と源氏の違ひを説くと綴つたが、間が空いてゐる。

かわら版で告知した『武士の夫婦』(假題)の校正ゲラも出てきさうだ。平家と源氏の違ひは、また落ち着いてからにする。ただ一言。

『平家物語』にみる平氏、入水。源氏、ハラキリではない。冥土へ旅立つ區切りの問題だ。
公家の手の中に入れられ、貴族化した平氏でなく、源氏が朝廷を抑へ、武士政權を確立できたのは、これが因だつた。當時、世界最高の文明國支那からグッド・バイし、喪失した天叢雲劍を武士が担ひ、この國のかたちをつくつた。

さうさう、「平清盛」、觀る氣がしなくなつた。
拙者の云はんとすることを實直に聞き入れ、脚本に手を入れなされ。
熊さん八さんに見捨てられるだけで濟まなく、また、HNK門前に武士の戰さ旗、日の丸ひるがりますぞ。
2012/03/08(木) 曇り


また「平清盛」の罵倒になつてしまつた


寄稿した「JAPANISM」が版元から屆いた。
そのむかし、「ガロ」をかかさず讀んでい若造には懐かしい版元だ。
版元の「上村一夫」「滝田ゆう」の個人本も藏書印を押して持つてゐた。人にあげ、いまないが。

週刊ベースボールの最年少の編集部員だつたとき、「ガロ」編集部にゐた、
おにぎり頭の南伸坊さんにイラストを頼んだ。
毎週、歩いて三分の神保町信号の下で原稿を受け取つた。何のイラストだつたか記憶にない。週刊ベースボールの色合ひとは合はないことは驅け出し編集者にもわかつてゐたが、たぶん「ガロ」への熱き思ひだつたのだらう。

「JAPANISM」への拙文は、夜半すぎ目が覺め、陽が昇る前までに一氣に脱稿した。原稿枚數からして頭にあるデーターで充分であつたからだ。
が、讀んでみてやはり、もうひと言、み言、云つておくべきかなと思つた。

すでに「JAPANISM」を讀んだと想定する御仁への傳言とする。
一つ。
草薙劍、三種の神器の天叢雲劍は海中に沒してはゐない。あれは皇位繼承の折の儀式用の劍との説がある。神劍・天叢雲劍は熱田神宮に奉られてゐたと。
院(後白河法皇)の使ひが、屋島の平家本陣へ出向き、一谷の戰で捕虜となてゐた清盛の子、平重衡と三種の神器との交換條件を出した。契約成立はしなかつたが。
單なる儀式用の劍ならば代用品で良いはずだ。交換條件には使わないはず。後白河法皇は自分の劍を神劍にしたとの説もある。

平家物語にも吾妻鏡にも、平清盛の妻(二位殿)が幼い安徳天皇を抱き寄せ、神劍(天叢雲劍)を腰にさし、神璽(八咫鏡)を抱へた海に身を投じたとある。
鏡は見つかつたが神劍は見つからなかつた。
これが當時の人々の通説だ。
熱田神宮に奉られてゐた……は、天皇家のあとからの“仕業”ではないか。
眞實は置いておく。恐れ多いから。

二つ。
さむらいが天下人の證として名刀を集めたことが、いま殘る名刀傳説を生んだと述べた。
明治維新で天皇が天下人も兼務するとなつたとき、徳川家をはじめ各大名から天皇の元へ名刀が集つたと。
その中に「天下五劍」の一つ、鬼丸國綱があつたと一筆、入れたかつた。
鎌倉幕府の主權者北條時政〜足利將軍家〜織田信長〜豐臣秀吉〜徳川家康〜明治天皇。
この一、ニ行で、この列島の統治者にとつて日本刀がいかなるものであつたか、讀み手にもわかりやすかつたらう。

三つ。
鉄の製鉄方法、冶金を發明したのは古代オリエントの遊牧民ヒッタイ族。鉄器を武器にアジアを東へ東へ侵攻したが、いつしか地上から消えた。紀元前二千年前の話だ。
日本は冶金を最初に發見はしかつたが、日本刀は純國産。日本のオリジナル。
紋切型の「大陸から傳はつた」ではない。

「日本刀」との呼び名は幕末、敵艦襲來の危機、頼山陽が「蒙古、來る」で詠んだ造語だと思つてゐるだらうが違ふ。これは拙著『サムライと日本刀』で書いた。
唐人の詩人だ。宋の前が唐。當時、世界最高の文明國。その文明國の詩人が「日本刀歌」と云ふ詩集をだした。宝の刀が日本國より出た。百金の値打ちがあると絶賛してゐる。この時代だから儀杖用の飾太刀である。
世界最高の文明國が絶賛するほどの技術は更に磨かれ、源平の世の太刀となつてゐた。

あの「平清盛」。宋から輸入品にあんなに涎を流すなら、支那人が涎を流す「日本刀」の輸出のシーンも冩せばよいものを。時代考證にこだはりたいならば。やはり媚中派が潛んでゐる。
餘談。清盛が持つ支那大陸の劍は、いま流行りのチャンバラ・ゲームとかの荒唐無稽の劍をイメージしたのでないか。食事中に無頓着に流れてゐたTVCMを見て氣づいた。
さては若者ウケを狙つたのか。ならばバカ丸出し。それで時代考證に忠實で「王家」とは腹で湯が沸く。

司馬遼太郎が、支那に大量に輸入された日本刀が、なぜに消えたかとの書いてゐたのをご存知か。みな疱丁などになつてしまつたのではとの推測。
司馬さん、『燃えよ劍』で日本刀信仰を知らせ召したが、司馬さん、卷き藁を斬つてみたり、刃引きした日本刀で剣術稽古したらばわかつたことだろう。

日本刀を使ひこなすには相當な技術がゐる。つまり支那人の劍は、骨を打ち碎き、肉を裂けばいいのだ。西洋の劍と五十歩百歩。映畫「坐頭市」はつくれない。斷ち斬る技術を習得する技倆はなかつた。
ましてや、刄文、地肌(地鐵)の美しさにも無縁。一義的な問題として自然感が違ふ。支那は佛教は結局、素通り。神道と佛教を編み合はせ「草木國土悉皆成佛」の日本人と異なる。

平家と源氏の違ひを己の後始末から説くと、たしか記した。
長くなる。また後日。
梅が咲き始めた。眞下ではなく、下を過ぎて三間ほど(約五m)すると香が立つのはなぜだろか。
2012/03/04(日) 曇り


OLD 


Colorful Diary Falcon World