■生かさぬやう 殺さぬやう
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寛永十九年(1642) 『徳川実紀』二月 「すべてこの月より五月に至まで 天下大に飢餓 餓莩{がひょう}(餓死した人) 道路に多し」
家光 四月 家康二十七回忌 日光社参 家康に撫民策を奉じる
日光社参を終え 江戸城へ 参勤交代で江戸に滞在してゐた 毛利らを含み 西国大名四十六名を帰國させる 所領で作毛ができない農民を 「分限に応じ 撫民{ぶみん}の計{はからひ}を 廻らすべきこと」 と命じる
地方知行の旗本や 三十五名の譜代大名にも帰國命令 田植ゑの時期 領主 直接に指図せよ
家光 黒書院で 老中 江戸町奉行 大阪町奉行らと飢餓対策 具体的対策 打ち出していく
家光 因はわからぬが 生来の質素倹約イズム
祭礼佛事・衣類など贅沢禁止 煙草 作付制限 植林の推進 酒・麺類・豆腐等の製造制限
倹約と称して需要を制限することで 価格上昇を抑える
六月 全国法令 「諸国人民草臥{くたびれ}」が緊急の課題 草臥=くたびれること 九月 諸国大名に 「農民 これ以上くたびれ果てないように するのが各々方の仕事」 不正への厳罰と倹約の徹底を促す 諸国大名 民にも同じ不正への厳罰と倹約を促す
改易され「御家」をなくした武士 この策 浪人は「生かさぬよう 殺さぬよう」
明治政府 封建制度とは 民は「生かさぬよう 殺さぬよう」
敗戦後 マル歴史観に染められた教科書 「生かさぬよう 殺さぬよう」
早朝 雨 降つたやうだ ベランダに出たら 桟 濡れてゐた 蝉も喜んでゐるだろう やっと 蝉の聲 聴ける 耳を聾{ろう}するばかりの蝉時雨 聴けなくなつたの いつごろから であらうか
2022/08/07(日)  |
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