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神は ホトケの弟子


ホトケに武運を祈る 武家以前 朝廷周辺から始まる
蘇我馬子 早くも西暦584年 百済仏(石仏)を本尊として自宅の庭に仏殿

仏教を日本全人民の頭の中に入り込ませたのが
本地垂迹説{ほんじすいじゃくせつ}
神はホトケの弟子

たとえば「八幡大菩薩」 
仏(如来)は悟りを完全に完成させた存在
菩薩は悟りを開くことを目指して修行中の存在であるため、
悟りの深さは仏(如来)の方が深いの「菩薩」 ホトケより悟りが浅い
平安時代から鎌倉時代にかけて広まる

話を元に戻し
西暦585年 馬子 政界のライバル 物部氏を攻め滅ぼす
そのとき馬子は同盟した厩戸王子(聖徳太子)は木から四天王像をつくり 
「今若し我をして敵に勝たしめば当に護世四王の為に寺塔を起立し奉るべし」
と誓う
日本でホトケに「武運」を祈願した最初の記録

天武天皇(大海人皇子) 
壬申の乱で勝利 自身が神と同一視されるまでに豪族間で権威を高める
にも関わらず 落飾{らくしょく}(髪を落とす)入道した最初の天皇は天武天皇
このあたりから 天皇が官寺を建てさせ 死なせた敵人の怨霊が暴れないように
祭ることが ごく普通になる
朝廷の武運長久は 仏寺に勅願される

そして庶民には 新しくやってきた仏法の理念で統治するから
いいんだ 偉いんだと思わせた
「鎮護国家」とは 
こうした祭政一致の精神をひっくるめて表す言葉
奈良の東大寺のような やたら巨大な堂字や高塔は
視覚によって政敵や庶民を威圧しとようとしたものだ

平安時代 政治闘争を反映して「勝」の字が付く寺が競って建てられた
「自分を勝たせたまえ」と祈ることに他ならない
南北朝に足利尊氏と直義が全国に建てた安国寺や利生塔
それから室町時代の義満が建てた相国寺は不特定多数の戦死者を弔う施設
死者の霊を慰め 供養するのは 骨が埋葬されている寺であって神社ではない
その寺の名は「俺が日本の政治を仕切り日本国の平和を維持する」と同時に
無名戦死者にも同情しているぞと宣伝していた

−−−−−−★−−−−−−
本地垂迹説
誰が最初に考え出したのか
日本人の宗教観の柔軟さと云えば
恰好はつくが…………

古代の人々は、なぜ死者を埋めたのだろうか
その理由 まだ完全にはわかっていないが
腐敗を本能的に嫌う
腐敗した死体 病原菌や害虫を媒介する可能性がある
人々は死体を埋めて
これらの危険から身を守ろうとしたのかもしれない

兵頭二十八氏の論法 推し進めれば
死を「穢れ」と捉え 神聖な神社の敷地内に持ち込まない神社
しかし 埋葬する墓 寺にある
本地垂迹説 ここからではないか?
拙者の推論


2026 衆議院解散総選挙
その結果に推論は まだ
2026/01/27(火) 晴れ


武家が神の前で誓うのは


狩猟や戦闘で死を日常風物としていた 東北人
京都人の陰陽五行思想を信じても 何のご利益はない
源頼朝  東国(坂東)武士
五行思想の枠外で生きているという印象をことさら京都人に印象づけて
彼らに畏怖の念を起こさせようと図った

室田泰一 『鎌倉武士の精神』
源頼朝 法華経(天台宗)を信奉
石橋山合戦でも観音像と法華経念珠(数珠)を帯びていたが
日とか方位の縁起をかつぐことはなかった
(三代実朝になると公家と同じ迷信にハマる)

この頼朝や北条氏が持っていた武家の合理精神が受け継がれてかなかったら
日本が江戸時代に「近代」を準備することは到底難しいかった
しかし 武家の棟梁が 自分の死だけでなく 
一族や国家の未来の命運と常時向き合っているならば
あながち神仏祈願を捨て去ることはできない

頼朝 地元の鶴岡八幡宮に命じて
法華/仁王/最勝王などの鎮護国家の三部の経典
大般若経/観音経/薬師経/寿命経など片っ端から読誦させている
地元を離れれば 伊勢 鶴岡 鹿島 熱田 加茂別雷社などの神社に参拝を重ねる

これは神に救済を求めるのでなく 神の前で誓う 
すなわち戦闘者兼為政者としての決意を固める儀式だった
実朝の「おすがり信仰」とも無論異なる

−−−−−−★−−−−−−
織田信長 桶狭間の戦いの直前
熱田神宮へ立ち寄り
今川義元の大軍を相手に必勝祈願と 
よく記されているが
コレ おすがり信仰ではなく
神の前で 必ず勝ちます と誓ったのだ

−−−−−−★−−−−−−
神道 肉食 少しも忌む  不吉 穢れたことではなかった
これが平安時代 突如 京都で禁止された
人民の間であまりにも優勢である原始宗教と
それをバックにした反仏教の政治勢力を 寺院が弾圧するための政略
と唱える学者もいるが
支那の道教  長生きのため肉食はしない方が良い
としていたことも無視できない

−−−−−−★−−−−−−
「近代」を準備することができなかった支那
ゆえに 日清戦争 敗北
この屈辱の心的障害(トラウマ)
いまの習近平支那共産党にも連綿と
これが「反日」の根元
2026/01/25(日) 晴れ


「ミソギ」


「ヒ(おひさま)」信仰以外
日本の土着文化として
「清浄潔斎{しょうじょうけっさい}」思想
<儀式の前 酒や肉食を断ち 沐浴{もくよく}心身を清めけがれを払うこ>

沐浴にはうってつけ 
日本の面積あたり 年間降水量 熱帯でない国として世界最多
しかも日本人は他の国と違って 森林の伐採を戒めてきた
おかげで支那のようなハゲ山の国にならず済んだ
支那の川は黄河も揚子江も泥が混じってひどい濁り水
病原菌 うじょうじょ 沸かさねければ飲めない
日本では雨がいったん地下水となって川になるために 陸水が清流
さらに日本の土地の斜面は急。島国で流路も短い
川に一時的にゴミや微生物が混入しても すぐ海に流され
ずぐに元の そのまま飲める清流に戻る

ここから
「ミソギ」「ハラエ」という発想が自然に生まれた
人も川で身を洗えば病気や悪いことは全部水が流してくれる
石器時代から考えていた
大和朝廷が何度の遷都しているのも 
人口密度による 水n穢れからくる
ミソギの発想からかもしれない

−−−−−−★−−−−−−
ローマ時代 浴場「テルマエ」
大きな人口が一箇所に密集すると
風呂の水はなかなか交換されず
下水が上水に混入して衛生が悪化
貴族までもが流行病にさらされることになった

ガンジス川での沐浴(スナン)
ヒンドゥー教徒にとって過去の罪を浄化し
魂を清める最も重要な宗教儀式
が 水質汚染が深刻 不衛生極まりない

国立市水道水
利根川・荒川水系(東村山浄水場など)の補給水と
市内の地下水(深層地下水)を組み合わせて供給されている
地下水が約5〜6割を占める時期もあるものの
地下水は硬度が高くカルシウム・マグネシウムが多い特徴があり
都からの補給水と合わせて
水質検査を年4回実施水質は常に水道法基準を満たしている
さあ きょうは 国立 水道水の湯につかろう
2026/01/23(金) 晴れ


<道教>に気をつけろ


大昔 原始の世…………
男たちの出陣 必勝祈願
「祖先の霊」 「自然の霊」に捧げた
『日本書紀』  神功{じんぐう皇后渡海征伐のとき
「東に神の国あり日本といふ…………必ずその国の神兵とならん」
半島の敵国人が降伏してきた(文献上「神国」の初出{しょしつ})

いつの頃から 他国には無い日本だけの国教としての
神が信じられるようになる

そこへ 仏教と偶像が持ち込まれる 6世紀
日本と朝鮮半島の間には 税関もビザもなく 誰っでも行きたいとき行ける
人事交流関係ができていた

この仏像という彫刻品  インドで創始されたものではない
シャカ入滅後 何百年も経ってから いまのアフガニスタンあたりで
西から来たギリシャ造形美術の影響を受けて そこで製作された

そのモロにアーリア人顔の仏像が「端厳{たんげん}」なのに驚いた天皇
これを礼すべきや と有力族長たちに詰問
蘇我氏 「この新思想 自分の権力のため利用できるな」 と導入に賛成
物部氏と中臣連鎌子 権力のある蘇我氏に宗教権威まで与えたら
天皇家は乗っ取られると懸念
「異国の宗教は<国の神>が怒るからダメ」と反対
『日本書紀』に書き残されている
西暦553年前後のこと

この<国の神>とは 基本的に先祖信仰
しかし、注意せねばならぬことは
当時の有力豪族の大半は支那大陸に親戚や知り合いを持っていた
そのため既に日本の土着信仰の中にも道教の影響が及んでいた

黒坂勝美博士らによれば
『日本書記』『古事記』の劈頭部分には
もともと大昔の日本人が思い付いたはずもないような神話が書かれている
たとえば 男女の神様が国を産む
そのさいに 男の神様が柱の周りを右に回るか 左に回るか
あるいは 男女のどちらかが先に声をかけるかが問題となっているが
これは 右または女を陰とし 左または男を陽とする
道教の考え方
大昔の日本人は 右とか左のどちらが先に----
なんてことはどうっでもよく 悩まなかったはず

こうした陰陽思想だけでなく 「十干{じゆっかん}」とか「方位占い」も
みんな道教がルーツ
そして「五箇条」「五十塔」「五輪(塔)」「五常」「五色」----のように 
明治15年の『軍事勅諭』にまで影響を与えている数字の「五」の重視も
儒教や密教に混ざって入ってきた道教式「五行」の思想

道教 支那の六朝時代(西暦3〜4世紀)
大陸の民間に普及 それが大和朝廷が漢字を使って史書をまとめようとする時期にあたっていたので 日本の神話に余計な陰陽説が混入してきた
仏教よ り遥か遅れて成立した道教が
仏教以上に道教が盛行したのはなぜか?
仏教と違って露骨に長生きを願う世俗性に加え
庶民のアタマでなんとなく理解できてしまうレベルの似非科学性が
とても魅力的であった

原始時代の日本人 ただ「ヒ(おひさま)」からすべてがはじまると思っていた
伊勢神宮の「天照大神」が その人格化
*「太陽」→陰陽思想にの名称 「月」は太陰

原始時代の日本人に おてんとう様より以前の話は無い
そんな世界を考えない民族だった

口承伝説は人々が認めたストーリーしか後代に伝わりませんから
筆記史よりも古代人の考え方を推測する手がかりとして重宝だった
書き文字史料は たった一人の筆記者による意図的でいいかげんな書き加えがあっても後世まで遺る場合がある

どうも記紀に出てくる天照大神より以前の登場人物は
ずべて支那の道教思想の影響下に
渡来人が付け足したでっち上げだ

−−−−−−★−−−−−−
衆議院解散  で この選挙
与党・野党対決など関係ない
日ノ本人の
<嫌悪支那>度合が試される
2026/01/21(水) 薄曇り


明日は武道通信かわら版 配信日


≪映画監督 田中絹代≫
フランスで“発見”される

吉永小百合99本記念映画
『映画女優』(1987)
田中絹代 半生記
監督田中絹代のシーン ワンカットも無し

田中絹代 監督第一作
『恋文』( 1953 )
半生記は それ以前であったか
『月は上りぬ』(1955年)
『乳房よ永遠なれ』(1955年)
『流転の王妃』(1960年)
『お吟さま』(1962年)

フランス映画関係者
女性監督の先駆けとして評価
全六作品 フランス全土の映画館上映
上映は大反響を呼び
その上映は現地メディアもこぞって取り上げた

長澤まさみ
映画監督にならんか
2026/01/19(月) 晴れたり曇ったり


一服千考{いっぷくせんこう}


世界一の<面>をICTで分析
剣道を科学する
仙台大学付属明成高校剣道部顧問

数年前 世界選手権個人戦優勝選手 安藤翔
足に貼りつけたセンサーで
足の重心 下半身の動かし方
で 安藤の面打ちを「見える化」
安藤の面打ち
左足の重心が親指球と呼ばれる親指の付け根から親指にかけて集中

安藤談
「昔から剣道 根性論や精神部分が強く言われてきたが
ICT機器で明確にすると 指導する側もどこが悪いか 
強化していかない所が分かってくる 指導者としてもやりがいがある」

もう一題

福岡「剣道まつり」小森敏也
「剣道を外に出したい」

小森 「剣道は閉じた世界にある」
礼儀/精神力/根性
それだけで剣道のすべてが伝わるとも思っていない

剣道の本質は もっと人間臭い場所にあると感じた
剣道は経験者だけのものでない
剣道の価値は 剣道をやってない人にこそ 届くべきだ
生き方としての剣道
考え方としての剣道
人と向き合う技術としての剣道

拙者の剣道
いや 刃引き劍法
昔に戻ったフリ できる
幕末 戦国に
相手を斬ったフリ できる
快感!!
2026/01/17(土) 晴れ


土着信仰


【現代日本が喪失した靖国
武士道と宗教と靖国
 武士道を国家の機軸とするなら我が国の「国教」は如何に……
維新政府の国民国家の装置であった靖国神社は如何に変貌したのか
                       兵頭二十八】

宗教史と武士道史の過去からの「対応」について
私見を述べます
と軍学者 前向上

して本題に入る前の前説 
土着信仰としての「柱信仰」
軍学者の旧著『日本の高塔』
五重塔のてっぺんに突っ立つている「相輪{そうりん}」
九個の輪っかが直線的に連なる意匠
他の仏教圏の卒塔婆{そとば}には見られない
あれは何なのか?
南アジアによくある「樹木の象徴」ではない
軍学者 ごく単純に「ヒトの背骨」を表していると

弥生時代以前の日本には 南洋から来た人も多く棲み着いたよう
パブア=ニューギニアでは 人が死ぬと土中に埋葬ぜず
地上何メートルかで幹が折れているような大樹の頂に遺体を乗せ
鳥葬
さらに1年以上も風雨にさらした後
すっかり白骨した遺体の頭の部分だけを家族が自宅に持ち帰って
適当な場所に安置する
これに近い習俗を持った部族が日本にいたとしても不思議でない

出雲大社をはじめ 日本の神社の御神体は木の柱
天照大神を祭ってあるはずの伊勢神宮でも 
本殿の床下になぜか太い柱がただ埋まっている
このような「柱信仰」の実際のカタチから考えると
それは「天と地を結ぶもの」とし敬われたと理屈ぽく考えるよりは
単に 昔は柱の上で先祖の遺体を骨にしていた
その記憶が仏教伝来以後も日本人の中に生きているのだと見た方は自然

興味深いことは 古い寺の多層塔の設計のなかにすら
「構造材でない芯柱{しんしら}」がある
また曽我氏が建てた飛鳥寺の塔の中心柱を支えるための重要な礎石
塔心礎{しんそ}には 匂球{まがたま}などが埋められていた
本来の寺院の塔は その基部には舎利{しゃり}(仏骨)を
納めることになっているはずなのに
日本では寺が最初から土着信仰と融合していたことは ほぼ確実
それは東西いずこの地へ行っても 必ずある
土着の古い宗教は
新しい外来宗教の理論的純粋さを
変容させてしまうだけの力を長く保持する

次号へつづく
2026/01/15(木) 晴れ


戦死者の霊


特集
【軍学者「兵頭二十八」を読む
――兵法を放棄したこの国を憂うとき――】

その一
【軍学者に問うてみた
なぜ軍学者と名乗るのか――兵頭二十八
右、質問を編集部から受けた。古来の軍学思想家の逸話を記す】
見開き二頁 二節を抜粋

《西洋の戦術、支那の兵法、本朝の軍学も、やはり生存の哲学に他ならない。
愉快でたまらぬのは、戦場の安易な秘訣は戦いの知識の独占にあるはずなのに、
古来の軍事思想家は、それを敢えて公理化し、文字に記し、巻物にしたためて、
他人に教授し、後世に伝えようとしてきた。彼らはじつは博愛主義者だ。他人と自分の不幸を見てきた人々に違いない。私はそのような人々の末席に連なりたく願う。軍学者の名乗りは、その希望に背駆{はいち}しない。》

《クセノフォンは25〜26歳の3年間、ソクラテスに師事して、後に騎兵戦術の開祖になった。プラトンは20歳から8年間、最晩年のソクラテスに師事し、その刑死をみたことから、正義の問題と、霊と死の問題で、終生悩み続けた。ミイラの伝統のあるエジプトまで旅行して、それを知ろうとした。ついにプラントすら、正義の霊は死後にどこかで酬われ、幸せを得たのだと信じた。
いま、日本では、戦死者の霊をどう祀るべきかについての定見が失われ、混乱を増そうとしている。軍学者として、これを黙って見ていることはできないのである。》

次回 【武士道と宗教と靖国】
2026/01/13(火) 晴れ


桜=聖樹


【刀と日本人・続 第六話 最終回
 刀に寄せる五味康祐の悲願
 美しい日本の姿を刀剣に見る――汚穢から清明美への回復
                      小川和佑】

剣豪小説巨篇『柳生稚児帖』を材に
五味 刀に寄せる想いを語る
『柳生稚児帖』の筋書きは省く

五味 藤原師定{もろさだ}という刀匠を登場させ
五味の刀剣観を語る

【刀の斬れ味もさることながら、
その姿、鎬{しのぎ}の厚味、刃文洗練された美しさと、
品格を尚{とうと}ぶべきものである。
真の名刀とは、おのずから凛冽{りんれつ}の気品を発し、
人に敬虔{けいけん}の念を抱かせるものでなければならない。
しかるに武士は、近年とみに鋩子{ぼうし}(切先)の延びを競った、
いかにも仰々しい精気を感じさせるものを銘刀と看做{みなす}。
おのが腕の未熟を棚に上げ斬れ味ばかりを要求する。
大方の刀工は、そんな武士の要求に応えることのみに汲々として、
二つの胴、四つの胴のと囚人のための試し切りに
粗雑で品下がった刀を鍛えてきた。
囚人を斬れば刀が穢れることも考えもしない
そういう粗雑な精神が、つまりは今の世相の混乱を招いたのである。
(「妖気」の一節】

五味康祐 囚人を斬ることによって 刀が穢れるということを
師定に語らせる
【古代から日本人はなによりも清明美を志向の倫理としてきた。
その清明美を桜に見た日本人は桜を聖樹として、天平時代には桜を植え
「家桜{いえざくら}」とし、結界{けっかい}を作った。悪霊、物怪を立ち入らせぬ淨域を定めるためである。】
日本刀は清明美を保たねばならないと

近代に至っても この聖樹としての桜観は脈々として受け継がれている
明治五年 全国に小学校が開設されると
その校門 校庭に桜が植樹された
児童たちの学ぶ学校を 桜を結界として
悪霊 物怪を立ち入らせぬ淨域化したのである

−−−−−−★−−−−−−
師定が云う「粗雑で品下がった刀」とは
「勤王刀{きんのうとう」
勤皇志士が好んで作らせた 

日本刀の歴史を見れば
「勤王刀」邪道であること明白
昨今の「保守」諸君
歴史を よ〜く 振り返ってみなされ
「保守」とは
2026/01/11(日) 晴れ


国益


トランプ 「国益(national interes)にならない」
31の国連機関を含む
66の国際機関から脱退に文書署名

「国益」とは 
何ぞや
2022年閣議決定「国家安全保障戦略」
安全保障/経済/普遍的価値)
日ノ本の国益定義

ChinaにもChinaの「国益」
南/北 KoreaにもKoreaの「国益」
その他 同じく

諸々の「国益」を統合しようと「国際益」
この「国際益」
瓦解の兆し
さて 日ノ本 どうする
憲法改正 急がねばならぬ

次回
【刀と日本人】最終回
2026/01/09(金) 晴れ


脳幹トレーニング


【戸塚ヨットスクールを支援する会」に聞く
脳幹トレーニングと武道教育
命がけの真剣な行動が人の能力を100%活かす――
戸塚宏校長が提唱する「脳幹トレーニング」に武道教育をみた
「支援する会 延武眞美 横田建文】 

チャンネル桜の拙者の番組で
佐山聡と戸塚宏氏の対談 放送した 
2006年12月 (全4回)

武道通信のこの記事 2002年6月
当時 戸塚氏 裁判中
2006年4月 刑務所を満期出所
で 対談が実現できた

「戸塚ヨットスクール事件」省く (
経緯を知りたければ検索で)
ゆえに 本稿 最初の延武/横田氏の裁判の経緯も省く

横田 → 脳幹トレーニングの基本的考えは「生命の緊張感をもって
真剣に行動することで 
本来人間が持っている精神と肉体の可能性が発現される」
生か死かの対峙する状況に追い込むことで 
の人がもっている能力を最大限に引き出す
ヨットやウインドサーフィンの訓練には 大自然の中で直結する恐怖感が伴う
この恐怖感が大脳の基にある脳幹部に刺激を与え
脳幹がしまり 生命力というか 身体の五感が刺激される
いまの子供たちは小さい頃から親たちに危険を回避され
脳幹が緩んでいる

なぜ危険な状態の体験が大事かというと
「真剣になる」から
スポーツ医学のメンタルトレーニング
記録をいかに伸ばすか目的
脳幹トレーニングは違う
スポーツと無縁な芸術家にも効課がある
その人の能力を100%活かすトレーニングだから
つまり「教育」なのです

−−−−−−★−−−−−−
むかし 拙宅のマンションの隣 一ツ橋大学 東校舎 
木立が茂っていた
次男坊 よく遊んでいた
「やぁ 死にそうだった」 と帰ってきた
木立によじ登っていたのだろう

刃引試合
終わって防具を脱いだら 油汗
「真剣」だったからだろう
2026/01/07(水) 晴れ


1986年


昔は 正月で一つ歳をとる
数え年
傘張り浪人 八十歳となった

過去にタイムスリップしたら
いつがいい? と問われれば
四十年前 昭和61年か 1986年か
「格闘技通信」 創刊した年だ

「技{わざ}」で体重を捌く
この一点に絞って編集しておけば
日ノ本主導の総合格闘技がつくれたはずだった
2026/01/05(月) 晴れ


「書け!」


5日配信 「武道通信かわら版」も年を越す
ローカルディスクに残されている一番 古い号
2001年 12月31日 vol.40

【◆平成十三年、最後、大晦日の「かわら版」
        あと1時間で今年も終わる。
 本年、かわら版、また弊誌、ご拝読、ありがとうございました。
先の25日は、忘年会特別版をお届けしました。通常の25日版を大晦日
 にお送りします。
 来る年も、よろしくお願い申し上げます。
 年賀状はHP掲示版で<配達>させていただきます。】
 ※25年前は 月イチの25日配信だったのか

【◆40号目次
1 お知らせ
2 田中光四郎手記 第二部 11月12日
3 表現者は死して何を残す?《二十六》……吉田翰玄
4 異国で会ったサムライたち《十六》……佐々木 建
5 勝負列伝《十五》……松下大圭
6 軍歌考《十四》……小川寛大
7 忙中閑あり……杉山頴男】
 ※小川寛大さん 書いていた 懐かしいな

■お知らせ――――――――――――――――――――――――――――――
1 『武道通信』次巻十七ノ巻は来春1月12日発刊
※いま 「草莽奮戦日記」十八巻を綴っている

老人 感慨にふけるのが得意だ
が 孫たちに混ざると 未来が垣間見れる
そして 必ず 死ぬことも
武士が禅に惹かれたのは
「死んだら終り 極楽も地獄もない」
仏教の因果応報からの離脱

「自分の葬式で弔辞を述べるとしたら
どんなものになるか」
も書き終えた
死ぬ その日まで
「武道通信かわら版」配信
「草莽奮戦日記」綴れたら幸い
「書く」しかないのだから
「書け!」
2026/01/03(土) 晴れ


命日を祝う


本日 年の初め 元旦
本日は産みの母の命日
拙者を昭和二十一年十二月に産み 
翌年一月一日に逝った

「命日を祝う」
息子/孫を集めてて 元旦祝賀
産みの母への供養である
何年もつづけてきた
産みの母 草場の陰で さぞ喜んでいることだろう
息子/孫 知らないこと
初めて語った

昔の人 誕生日など眼中になかっかった
日にちなど覚えていなかったが
故人の「命日」だけは覚えていた

そう 息子ら孫ら
もう すぐ来るころだ

−−−−−−★−−−−−−
杉山頴男事務所年賀状 掲示板(無銘刀)にUP
零時を回ったところで
年賀状 LAIN/メール配信

さて 今年 はがきの年賀状 何通 届くか
2026/01/01(木) 晴れ


ゆく年 くる年


ゆく年(2025)の年賀状 文言
「逝く人の
鍔音{つばおと}響く
新しき年」

多くの著名人 逝った
著名人ならではの 足跡を残して
で 一句 詠んだ

今年も ゆく年も
仲代達矢も 逝った
昭和三十七年(1962) 『切腹』 
主人公 半四郎の台詞
「たしかに奴は血迷うた
よくぞ血迷うたと褒めてやりたい
いかに武士とはいえ血の通うた人間
妻子ゆえによくぞ血迷うた
しょせん武士の面目などと申すものは単にその上べごと」

「しょせん上べのこと」と知りながら
仇討ちは果たす 武士の矜持

武士の記憶の遺伝子を持つならば
納刀する際(死するとき)
鍔音 いい音 響かせたい

「自分の葬式で弔辞を述べるとしたら
どんなものになるか」
こんな言葉に触発される

くる年
自分で自分の弔辞
書いてみるか
2025/12/30(火) 晴れ


即死させる斬突


きのう 床屋へ行く
散髪代400円 値上がっていた
30年以上 この駅前の散髪屋に通っているが 
4000円だった
時勢か でも 400円で大丈夫か
「良い御年と」声をかけ ドアを閉じた
帰りの道すがら 花屋で
門松 正玄関用 雄雌一組とそれに掛けるお飾りを買う
大晦日 夕暮れ 門柱に括りつける
その昔 孫らが大晦日から来ていたとき 手伝わせた 
お正月になると神様が天から この松を伝わって来て
この家を守ってくれる
そう云うと しごく納得していた

−−−−−−★−−−−−−
さて 本題
三、実施法の概要
一、斬突要領 特に奥旨{こつ}の習得
*奥旨{おうし}をコツと読ませている
物事の奥底にある深い意味や本質、極意って意味だ

1 力の方向と刃筋の一致
足の開き方 両手の握り絞め 臂力を活かせ
要は リキむな 
2 斬突量を大にすること
両肘の運動量を大きくし 斬るためには振り被った力を利用て斬りおろす
その力は遠心力を利用し 単に肘力だけでなく 下腹部の力
すなわち脚・腰の力を利用し 更に気力を加え刃先までに及ぶこと
要は 気合だ!

二、刀取扱法の慣熱{かんねつ} (なれること)
刀の抜き方 納め方 …………
自他共に不注意による危害を無くすと共に
刀の手入れの取り扱い法を会得し…………
*具体的なことは書かれていい それは誰かに習えとのことか
あくまで概要のみ

三、気迫の充実
 一太刀で斬撃刺突する気迫…………

四でやっと具体的記述
四、撃突部位
実戦 身体のどの部位を斬突すべきか
1、医学上の致命傷
イ、斬る場合
首―頚椎を切断すれば即死 内外頚脈を切断すれば即死
頭―脳髄に達すれば即死 脳髄に達しなくとも脳震盪により即死することも
胸部重要臓器―心臓上行大動脈 肺動脈を切断すれば即死
腹部重要臓器―肝臓 胃腸 腹部大動脈 膵臓 膀胱 肝臓等を切断すれば
即死せざる場合にも必ず死に到る
ロ、突く場合
喉―気道 頚動脈 頭部特に延髄
胸部―心臓 肝臓 上行大動脈
腹部―胃腸 腹部大動脈 膵臓 膀胱
2、撃突成果方面より観察
イ、斬る場合
首 
左肩部より袈裟懸け
腹部 
顔面 ただし鉄兜をかぶっている場合を除く
ロ、突く場合
左胸部
腹部

顔面

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正月になるというのに
物騒なハナシだ
ここらで止めておこう
2025/12/28(日) 晴れ


竹刀は捨てろ 真剣を持て


一、試斬の必要 <竹刀剣道は忘れろと説く>
競技的試合に堕落した者は 相当の自信を持っているのに
軍刀を振っては十分にその成果を挙げられる者は少ない
軍刀は 重量 長度 構造 重心位地など竹刀と異なる
用法においても刃筋 速度 力の方向 
肉体に斬り込む気持 突き刺す気持など異なる
竹刀剣道での臂力{ひりょく}(腕の力)で軍刀を操作しても
わずかに敵の被服を裂き 皮膚に傷をつける程度である
居合 抜刀術は敵を相手としないが 自己反省を行いつつ
練習を重ねれば効果は大きいが
実物(肉体)に対し斬り込み 突き刺しなどの実感を体得できない
試斬は軍刀を持って斬撃刺突し はじめて掌中の感覚を体得しなけばなぬ

人を斬ってみなければ会得でないと
では 戸山学校では馬/犬を斬っていたのか

二、試斬の目的  <自己の技量への自信>
実物に対する衝突を行う際の下腹部の充実
軍刀の握り締め 臂力の用法 刀突{せんとう}(剣先) 刀刃の方向など会得し
自己の技量への自信力を得て
また軍刀の斬味 抗堪力{こうたんりょく}(敵の攻撃に耐えうる力)を試し
自己の軍刀に対する信頼を度を深め 
格闘における必勝の確信を得なければならない

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きのう クリスマス
古い映画 『戦場のクリスマス』
所長(坂本龍一)が部下と 真剣で掛かり稽古をやっていたな
あのシーンだけ 覚えている
あとは 忘れた

十五、六年前になる
(武道通信かわら版)鎖帷子剣士 
突然 国立へ尋ねてきた 初対面である
いきなり こう云った
「刃引きの真剣で試合しませんか」
拙者 心の中で膝を打った
やりたかったのは 剣道でなくコレだった

偶然にも鎖帷子剣士 
拙者の“週一”剣道クラブの師範格は大学剣道部の後輩であった
ゆえに 「刃引き試合」が実現した
(といっても拙者と鎖帷子剣士の二人だけ)

2005年 刊行
兵頭二十八:著
『解五輪書: 宮本武蔵の戦闘マニュアル』
兵頭さんから 写真撮影用にモデルを頼まれた
そこで 佐山聡/田中光四郎 
それに 刃引きの真剣で試合の
元日本航空国際線パイロット某氏に登場願った
そのとき 某氏 鎖帷子をつけてきた
で 「鎖帷子剣士」 拙者 名づけた

『解五輪書: 宮本武蔵の戦闘マニュアル』
Amazon レビュー
[重い真剣でかつための方法を記した章を最初に取り上げ
佐山聡氏らをモデルに
著者の解釈による構えを実際に写真で見ることができる
お陰で竹刀による剣道ではない当時の真剣勝負で狙っていた場所がよく判る]
2025/12/26(金) 晴れ


虚と実


マンガの実写映画
『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』
『イクサガミ』
世界的にヒットらしい
劍の流儀 荒唐無稽

まあ 下々はそれでいい
実の話をしよう

【陸軍・戸山学校編  
 昭和十九年刊行『軍刀の操作法及試斬』から」
 軍刀の試斬】

「剣を学ぶ者竹刀のみの修行を以て足りるとするときは、実戦に用を為さざる小手先の技術に堕し--------」と、大東亜戦争開戦一年前の昭和15年、「時局の要望に応え」、陸軍戸山学校は『軍刀の操作法及試斬』を発表した。
17年には『短期速報教育軍刀(一撃必殺)訓練要綱』を発表。そしてまさに時局、風雲を告げる19年に二冊を併せたものが編まれた。
陸軍・戸山学校編『軍刀の操作法及試斬』である。一般向けの教本として國防武道協会から刊行された。
これはまさに軍刀の使い方マニュアル本である。
この著の一部「軍刀の試斬」を抜粋し旧漢字を新漢字に、また言い回しは現代風にしてご紹介する。」
          ↑
長いリード(前置き)である

「武士」が消滅 人斬りも消滅 「剣」は竹刀に変わった
竹刀剣法 つい 無意識に面打ちとなる
敵兵 兜被っている 
たしかに竹刀剣法の「面」「小手」「胴」のルールは実戦向きでない
袈裟斬りの「肩」が一番の狙い目 膝も狙い目 
実戦剣法 竹刀剣法のスポーツではダメだと気づいたわけだ

次回から目次を追って
「試斬の必要」「試斬の目的」

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某京大生 学徒出自で軍刀つくる
その軍刀 拙宅の刀掛けに掛かっている
某京大生 『軍刀の操作法及試斬』 
讀んでから戦場へ赴いたのであろうか
知る由もなし
2025/12/24(水) 降ったりやんだり


閑談


今年も あと10日を残すのみ
そうそう 年賀状 づくりだ
まあ Net配信ゆえ 大晦日まっでにつくればよい
元旦早朝 <投函>
「谷保天満宮に初詣でしてきました 配信します」
などカッコいい文言をそえて
(掲示板 ご覧あれ 去年の年賀状 UPされている 元旦に)

<墓じまい>ならぬ「年賀状じまい」 増加の一途とか
除夜の鐘ではなく カウントダウンで新年を迎える
風物詩も 諸行無常の響あり

そうは云っても
元旦 ポストに入った 頂いた年賀状 
手触り心地よい
送り主の顔 浮かぶ 

歳をとるほど 幼児体験 蘇る
木版年賀状 学校で彫らされた
ある年 み〜んな 
スプートニクに乗せられた犬 
彫っていた 俺も

“へそ曲がり”爺
もしかしたら 数十年後
生き残っている友人/知人に
手書きの年賀状 送るやも

次回
休題閑話
【軍刀の試斬】
2025/12/22(月) 晴れ


本日は 武道通信かわら版 配信日


もし この世が舞台なら
楽屋は どこに あるのだろう

楽屋など どうでもいい
客に見せる 観てもらうための
舞台だろう

客とは誰だ?!
縁者 縁類 知人友人?
違う 彼らも舞台に立っている

客とは
おてんとうさま だ!
2025/12/20(土) 晴れたり曇ったり


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Colorful Diary Falcon World