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天氣晴朗 人波高し


きのふ
全日本戸山流居合道連盟 全國大會
町田へ出向ひた

抜刀術 型 「血振り」
どの流派にもある

血振り 拂へるわけはない
籏谷嘉辰会長も云つてゐた

なぜ 芝居ががつた 
「血振り」のワンカットがあるのか
いつどこで作られたのか
血振り 血が拂へるわけはないこと
幕末の剣士 知つてゐたはず

天然理心流にも
「血振り」のワンカットある

畳表巻斬り 見てゐて
むかしのワンシーン 想ひ出す
三十年 録をはんだ社 退社
サヨラナ・パーティ
畳表巻斬り 見せた

天然理心流:師範から
試斬台と 
畳表巻 数本借りて来た
畳表巻 半日 湯船に漬けておいた

初歩の初の抜刀 見せると
お別れする社員たち 
どよめきを上げた

四:五段クラスの抜刀 観て
三十年余で抜刀術 抜群に向上
籏谷嘉辰会長の功績 大きかつた

きのふ 五月晴れ
町田 繁華街 人盛り
2022/05/23(月) 晴れ


漢字廃止論


NHK大河『青天を衝け』
こんなシーンを入れてほしかつた
越後の豪農生まれ 幕臣前島家養子となつた
前島密 
「上様 もう漢字なんぞ 破棄しませう」
漢字なんぞ書いてゐたら欧米列強に負けまする」
慶応二年(1866)
徳川慶喜に
「漢字御廃止之議」 提出
慶喜
狂気 吹き荒れること 感じた

前島密
大正八年(1919) 命尽きる 
「漢字御廃止之議」から 半世紀余

死の床で 
「漢字は生きつづけるだらう」
つぶやいたのではなからうか

薩摩藩の下士に生まれ
わがまちの一橋大學の前身 商法講習所を興した
初代文部大臣 
森有礼
明治十九年(1886)
『日本の教育』序文
日本語廃止論まで踏み込む 

その三年後 
帝国憲法発布の当日
刺客
伊勢神宮造営掛 二十五歳 
西野文太郎に襲われる
翌日 命尽きる

有礼
死の床で 
「おれは伊勢神宮不敬事件など犯してない
日本語廃止論が氣に食はなかつたんだらう」
つぶやいたのではなからうか

維新と云ふ狂気 収まつたころ
漢字廃止論
洋行帰りのコンプレックスだと氣づいた
2022/05/21(土) 降ったりやんだり


武道通信かわら版 配信


キラキラネーム
どこまで認めるか
法制審議會

大空 →すかい
騎士 →ないと
海 →まりん
宇宙 →ぴかちゅう

認めるか 認めないか
審議中

戸籍 デジタル化構想
漢字でなく
讀みかな 表記の戸籍に

希美 →のぞみ
讀み假名戸籍

親の思ひの漢字 
消える
2022/05/20(金) 晴れ


語彙認知症


武州多摩 裏店から発信する
草莽日記
旧かな・漢字にしたのは
十年以上 前からであらふか
そのわけ 当時 語つた
<己ひとりでできる
戦後レジームからの脱却>
そんなこと云つた

十年以上 
旧かな・漢字で綴り
戦後レジームからの脱却
疾うに完了して
日本語の感性に氣づいた
 
「承久の亂」は「承久の乱」とするにしても
人名・地名 新かな・漢字にしても
どうしても
旧かな・漢字に こだはる語彙がある
それらの中に
「思い」は「思ひ」に 
「国」は「國」に 
さう 「気づく」は「氣づく」

こだわる旧かな・漢字 そのままで
以後 綴るとする

日本語の危機
一度目 明治維新 直後
二度目 敗戦 直後

大正生まれの父母
『源氏物語』『吾妻鏡』 
原文 讀めなかつたらう

その息子の 草莽日記
アルハベットで綴つてゐたらう
題名
Shomin no nikki
草莽と云う 日本語も知らなかつたであらう
一億二千万 語彙認知症になつたであらふ
2022/05/19(木) 晴れ


承久の亂


ウクライナ軍
首都キーウの北
デミディフ村  人為的に洪水を起こす
ロシア軍の首都進軍を阻む

承久の亂の戦い
後鳥羽上皇軍
尾張川を人為的に洪水を起こしていれば
北條泰時率いる主力の東海道軍の進軍を阻むこと
できたやもしれぬ

それにしても 
後鳥羽上皇の参謀 楽観的報告したのではないか
ロシア軍参謀総長がプーチンにしたように

「上皇さま
あくまで幕府のトップ(義時)の首の据ゑ買え
鎌倉幕府を倒そうと云ふのではありません
院宣に逆らつて朝敵になることありません
恩と奉公などきれいごと
坂東武者 損得で動く輩であります」

承久の乱  承久三年(1221)
歴史小説 ドラマ 
種本
『吾妻鏡』 
執権北條氏 嫡流得宗家が編纂(1180〜1266)
北條氏 擁護・顕彰 致し方ない
『玉蘂{ぎょくずい}』
九条道家の日記
當時の政界の機微と朝儀などの次第を詳述
『明月記{めいげつき}』
藤原定家の日記
公武間の関係 故実・和歌などの見聞を記す
『愚管抄』 慈円 著
神武天皇から順徳天皇までを仏教的世界観で解釈
日本の政治の変遷を解き明かす
同時代の資料だが 承久の乱 ほんの数行 

軍記物語として
『承久記』 
著者未詳
承久の乱の原因と顛末を述べる
乱後間もなく成立し その後増補・改訂
多くの異本がある
「物語」ゆゑ 嘘としか思えない脚色

あの 政子の演説
『吾妻鏡』と『承久記』
だいぶ違ふ
歴史小説 ドラマ 
すべて『承久記』
『鎌倉殿と13人』
どうする幸喜

※ きのふ UP忘れた 書き上がつていたのに
いま改めて讀むと
「承久の亂」
敗戦前までの旧漢字 「亂」 
「乳」に似ている(笑)
「承久の乳」と讀んでしまふ
當ウーブサイトへの新參者 おるやも知れぬ(笑)
「亂」は 敗戦後の新漢字「乱」にするか
2022/05/18(水) 晴れ


大和魂


二十年前 USA主要ディア
「世界の文明・文化に影響を与えた一〇〇人」
JAPANからは 二人
紫式部 葛飾北斎

『源氏物語』
北條政子
読んでいただらうか
八重 
読んでいただらうか
義母・牧の方
読んでいただらう
源頼朝の乳母・比企尼
読んでいただらう
頼朝 筋だけでも聞いていただらうか

『源氏物語』
初出 寛弘五年(1008)
およそ二〇〇年後
政子 頼朝へ “逆夜這い”

坂東武者
時政/義時親子 
三浦義村 梶原景時 土肥実平 伊東祐親ら
間違つても読んでは いまい

鎌倉→室町→戦國乱世の世
『源氏物語』 地下に潜つてゐた
江戸の世となり 陽の目みる
大名家や豪商の嫁入り道具の一品となる

「大和魂」初出 『源氏物語』
紫式部
光源氏に 
日ノ本には 大和魂があるではないかと云はせる

再來年 NHK大河 『光る君へ』 
大和魂 一言もなからう
2022/05/16(月) 雨


ロシア語の誕生日


再來年 NHK大河
『光る君へ』 紫式部

『源氏物語』 海外翻訳本
アラビア語/イタリア語/ウルドゥー語/英語/エスペラント語/
ウクライナ語/オランダ語クロアチア語/スウェーデン語/スペイン語/
セルビア語/タミール語/チェコ語/中國語(簡体字)/中國語(繁体字)/テルグ語/トルコ語/ドイツ語ハンガリー語/ハングル・パンジャビ語/
ヒンディー語/フィンランド語/フランス語/ミャンマー語/モンゴル語/
ロシア語
(五十音順:何ヵ國あった? 暇であつたら数へてくれ)

ロシアの人
日本語は千年前 紫式部がつくつたと勘違い

ロシアの小學校先生
「ロシア語はプーシキンがつくりました」
ロシアの六月六日 祝日 「ロシア語の誕生日」
プーシキンの誕生日

ノーベル文學賞(1987)受賞者
ヨシフ・ブロツキー
ロシア文學の正統を受け繼いだ「最後の詩人」と稱せられる
ソ連政府により國外追放(1972)
米國市民権獲得(1980)

ブロツキー “自由な”米国で
「ウクライナの独立」をニュース 聞く 
詩を作る
【ウクライナ人よ くたばれ
おまえたち屑はポーランド人とドイツ人に輪姦されるんだ
ドニエプル河に唾を吐いて
逆流させることができると思ふのなら、やつてみろ】
【おまえたちウクライナ人が苦しみながら死ぬときに引用する詩は
ロシアのプーシキンであつて
くそつたれのシェフチェンコ(ウクライナの国民詩人)ではない】

ロシア人のウクライナ人への憎しみ
ニュースショーは知らない

西欧で広く翻訳されているロシアの文学しか知らない者 吾等
トルストイ/ドストエフスキー/チェホフが
ロシア文学だと思い込んでいる
ロシア文学の正統は Поэзия(詩)
レーニン 愛読 サルティコフ-シェドリンの詩
他国語訳は無い
ロシア文学の神髄は詩である。小説ではない。
そしてそれは 西欧言語へは翻訳困難

ロシア文学の正統を受け継いだ最後の詩人
プーシキン
プーシキンの言葉遣いこそ
正しい近代ロシア語の権威ある基準
プーシキン以前は 「古文」
ロシア人はそれを読解できない
朝鮮半島の「漢字」と同じ

プーシキンの後継者
レールモントフ

むかしむかし ゼミの卒論 書いた
課題 レールモントフ『現代の英雄』
教材
筑摩書房『世界文学大系26 プーシキン レールモントフ』
あとがき解説:
プーシキンの『エウゲーニイ・オネーギン』の直系の小説
レールモントフ『現代の英雄』

♪真つ赤に燃えた ロシアの夕日
 あのころ 大学教授
 ロシアの真つ赤な夕日に染まつていた

プーチン
六月六日 
プーシキンの誕生日
「ロシア語の誕生日」
なにか やるか
2022/05/15(日) 曇り


義経信仰


裏店の傘張り浪人より
六歳年長であられる
現・徳川宗家 十八代
≪義経はチンギス・ハーンだつた≫
信じてはおりますまい

≪チンギス・ハーンは義経だつた≫
小谷部全一郎の「義経信仰」
だと理解してをられるだろ

[信仰]信じ 尊ぶこと
宗教はもちろん 
儀式/風習だらうが
他人様がアーダ・オコーダ 云ふものではない
害を及ぼすもの以外は

季節の變はり目 節分 立春
殺菌・消毒液 いたるところに置いてない世
細菌・病気を拂ふため さまざまな習はしがあつた
「鬼は外」 豆まきもそれだ
「鰯の頭も信心から」もそれだ

鰯の頭のようにつまらないものも
信仰する者への揶揄 迷信への揶揄
それは<近代>からのハナシ

江戸の世の人たち かう考へてゐた
≪鰯の頭も信じている人にとつてはありがたいものだ≫
≪たえどんなものでも信心次第で價値がある≫

葉には鋭い棘がある柊{ひいらぎ}の小枝と
焼いた鰯の頭
玄関や門の外に飾る
柊鰯{ひいらぎいわし}と呼ばれる

鬼(細菌・病気) 柊が目を指すので 門から中に入つてこられない
鬼 鰯を焼く煙や臭気 嫌がるから門から中に入つてこられない
信心次第で鬼は來ないのだ

千年も 次世代の脳内へ
コピーされつづけた信仰
義経信仰
「物語」となり着地する
信心次第で價値がある
害があるわけじゃない

日ノ本に
害を及ぼすだろう
プーチンの信仰の禍{わざわい}
2022/05/14(土) 晴れ


門外漢


≪ニホンオオカミは日本で誕生 
DNA解析で従来説覆す≫
共同通信 5/10(火) 13:48

日本で誕生したから
「ニホンオオカミ」では なかつたのか
意味不明な見出し

二十世紀初め絶滅した
ニホンオオカミ
かつて日ノ本にゐた巨大オオカミと
ユーラシア大陸から来たオオカミが
交雑して日本列島で生まれた――
と云ふことらしい

ユーラシア大陸にはかつて
蒼き狼{あおきおおかみ}がゐた
モンゴル人の祖とされる伝説上の獣
ボルテ・チノ (Borte Chino)
漢語經由の日本語譯
「蒼き狼」

モンゴル帝国を築いたチンギス・カンに
この蒼き狼をダブらせ
井上靖 『蒼き狼』 書いた

井上靖 読んでいた
大學時代のベストセラー
『成吉思汗ハ源義経也』 
チンギス・カンに關心もちはじめる

第三の男
『成吉思汗ハ源義経也』
著者
小谷部全一郎{おやべぜんいちろう}
末松 何者かは置いておこう
いや 検索すればわかること

檢索しても でてこない事

大正十三年夏 脱稿した小谷
付けた題名
『満蒙踏査・義経復興記』
あの感動の書
末松謙澄の『義経再興記』を模した
出版社へ持ち込む

題を見て
富山房 編集者 NG
「これぢや 賣れませんよ
讀者は學者センセイでなんですよ
ズバリ いきませう
チンギス・ハーンは義経だつた
オヤベさん それが云いたかったんでしょう」

『成吉思汗ハ源義経也』
刊行 翌年 大正十三年十一月
遅れたはけは
関東大震災
組版 ずべてパー
一からやり直す

が 發賣 たちまち重版
二ヵ月で十刷

年末 華族会館
並みいる華族の前で講演

その翌年はじめ
「中央史壇」 二月臨時号
「成吉思汗は源義経にあらず」
学識界から「門外漢が何を云うか」と

門外漢 歩いた歩いた
陸軍大学教授就任のハナシを蹴って
華族 いや家族を顧みることもなく
門外漢 義経追って 歩いた歩いた

小谷
「門外漢にが 何を云う
に反論し
『成吉思汗ハ源義経――著述の動機と再論』
發賣 たちまち十刷

『成吉思汗ハ源義経也』 題字
貴族院議長 徳川家達{いえさと}

徳川宗家十六代も
義経はチンギス・ハーンだつた
と信じてゐたのだ
いや 信じたかつた
2022/05/13(金) 雨


第三の男


♪人生 楽ありゃ苦もあるさ
 涙の後には虹も出る
 歩いてゆくんだしっかりと
 自分の道をふみしめて

水戸黄門漫遊記
明治二十年ごろ 講談師の「物語」
「歴史」をなぞるのが「物語」ではない
それでいい

「歴史」
黄門さま 唯一の旅行先 鎌倉
『大日本史』編纂
鎌倉時代 資料が少ない
で 一週間ほどの旅行

プーチンさま
ウクライナ戦地 
一週間ほどの旅行なさつては


『大日本史』
【首はウルシの木箱に入れられ
美酒でもつて浸されてゐた
鎌倉到着後 
頼朝が信頼する武将 和田義盛と梶原景時が檢分に當たつた
死後すでに四十三日を經過してゐる
いかにアルコール分で腐敗防止処置をとつたと云へ
折からの暑さである
腐敗しつくし 果たして義経のものかどうかわからなかつたであらう
ましてや焼けただれた首なのだから】

この一文を發見して
小躍りして
「やったぜ」と叫んだ男がゐた

雪深い秋田に生まれ
義経物語 子守唄代わりに聴いてゐた子
慶応三年生まれの その子
五十五年後 大正十二年
『成吉思汗ハ源義経也』脱稿

シーボルト→末松謙澄 
につづいて
第三の男 現れた
2022/05/12(木) 晴れ


義経 ≪坂の上の雲≫


義経 北行伝説
ファンタジー
いや ファンタジーではないと
明治十二年 
ケンブリッジ大 留學生 英文で卒業論文
邦譯すると
『偉大な征服者成吉思汗ハ日本の英雄義経と同一人物也』
末松謙澄{すえまつ のりずみ}

末松 曰く
「当時のイギリス人 
日本を中国の属国のひとつみたいに考える人多かつた
あまりにも日本を知らないイギリス人に
日本への誤解を解きたかつた」

末松 何者かは置いておかう
いや 検索すればわかること

明治十八年 邦譯される
『義経再興記』 訳・内田弥八 題字・山岡鉄舟
『学問ノススメ』ほどではなかったが 大ベストセラー

奥州 いや 欧州コンプレックス
吹き飛ばした
明治三十八年
『吾輩は猫である』にも出てくる

義経 ≪坂の上の雲≫ だつた

司馬遼太郎『義経』(昭和四十一年)
国民的作家 義経 北行伝説 一言もない

『義経』終章
【その首は鎌倉に届けられ
検分した頼朝は「悪は ほろんだ」と口にした】

『吾妻鏡』
義経の首 鎌倉到着まで四十三日
頼朝 奥州合戦 泰衝を討伐し 鎌倉凱旋まで二十七日
をかしくない?

自害したとされる四月三十日
鎌倉に到着したのが六月十三日
日付は旧暦
新暦では八月
密封された箱の中 一ヵ月半 道中 揺られつづけた
頼朝 この首 
義経のものだと わかつたのだろか
2022/05/11(水) 晴れ


ファンタジー


きのふ 冷え込んだ
窓に夜露 

♪窓は 夜露に濡れて
 都すでに遠のく
 北へ帰る旅人 ひとり
 涙 流れてやまず

敗者 なぜか 北へ向かふ

義経一行
北へ 
束稲山
 ↓
観福寺
 ↓
弁慶屋敷
弁慶 そのむかし住んでゐた
いまの岩手県奥州市江刺田原
「弁慶洗足の池」もある
  ↓
玉崎神社(江差市玉里)
五日間滞在
宝物殿に「源氏の槍」
  ↓
源休館跡(江差市伊手)
  ↓
姥石峠(江差市住田町)
  ↓
判官山(住田町大股)
姥石峠越えの一行 野宿
  ↓ 
葉山(住田町葉山)
五葉川に「弁慶足跡」 くぼみがついた岩
対岸には「判官手掛けの松」

岩に足跡つくわけない
ゴジラならともかく
義経 北行伝説
ファンタジー

義経は成吉思汗{チンギス・カン}も
ファンタジーか
2022/05/10(火) 晴れ


西行と芭蕉


さて 義経 北行伝説

♪匂いやさしい 白百合の
 濡れているよな あの瞳
 想い出すのは 想い出すのは
 北上河原の 月の夜

身銭切つて 若いもん
社の近くの
カラオケ・スナックへ よく連れていつた
岩手県出身者
必ず歌つた 「北上夜曲」

義経一行
北上川を渡り
束稲山{たわしねやま}へ
ふもとの佐藤基冶の館を経て峠越え
観福寺に宿泊
家臣・亀井六郎 残した矢を入れる箙{えびら} 伝わる

談余 はなしのついで
あの 西行
束稲山を京の東山になぞらえ
「聞きもせず たわしね山の 櫻ばな 
吉野の外に かかるべしとは」
(束稲山の櫻を見て
奈良の吉野山以外にこれほど
櫻の見事な山があらうとは思ひもよらなかつた)

衣川の戦ひ 旧暦四月三十日
北行伝説 義経 
「たわしね山の 櫻ばな」
見ていたのではないか

西行 大好きな芭蕉 
中尊寺金色堂で詠んだ
「夏草や兵{つわもの}どもが夢の跡」
「五月雨{さみだれ}の降{ふり}のこしてや光堂」
「笈{おい}も太刀も五月(さつき)にかざれ紙幟{かみのぼり}」

『奥の細道』
旅の終わり
越前にて木曽義仲を回想して詠む
「義仲の 寝覚めの山か 月悲し」
芭蕉の墓 義仲の墓の隣

芭蕉
兵{つわもの}敗者 大好きだつた
束稲山に分骨したかつたのでは
2022/05/09(月) 曇り


義経は成吉思汗


義経 死なせたくなかつたの
日ノ本人だけでなかつた
あのシーボルト博士
それにトンでもない 
オマケ つてゐた
義経は 成吉思汗

成吉思汗
讀み
ジンギス・カン
チンギス・カン
ジンギス・ハーン
チンギス・ハーン
人 それぞれに呼ぶ
どれでもよい
本名 ミナモト・ヨシツネ
いやこれ シーボルトが云つてゐること

オランダ語でもスペル 
Chingis Khan
オランダ語發音
チンギス・カン と聴こえる
シーボルトに敬意を表して
「チンギス・カン」にしておかう
ジンギス・カン 焼肉屋にしておかう

シーボルト
成吉思汗の生涯を描いた
モンゴルの伝説的歴史書『元朝秘史』
出自 信用してない
後世のつくりばなし
出自 生年月日 不詳
突然 モンゴル草原に出現した
義経 死んだとされる 数年後に

シーボルト 曰く
チンギス・カン 得意の弓
Chinaやモンゴル草原にはなかつた 
日本独特の弓

シーボルト 曰く
チンギス・カンの「カン」
遊牧民の君主や有力者が名乗る称号であり
日ノ本の役職名を示す「守{かん}」に由来
義経を指してゐる

シーボルト 曰く
チンギス・カン 二十八歳で大汗に即位した年
義経が三十二歳で自害したとされる年
同じ1189年であつた

シーボルト 曰く
チンギス・カン 即位の礼の際
九つの纓{えい}のついた白旗を立てた
源氏も同じく白旗

シーボルト
追放處分から三十年後 再び來日(1861年)
幕府の顧問になる
あの 西周に
「義経=ジンギス・カン説」
國定歴史教科書に載せろ と迫る

シーボルト
なぜに「義経=ジンギス・カン説」 押すのか
シーボルト 日ノ本 大好き
欧州列強に
お前たちが恐れ慄いた
あのジンギス・カン 
日ノ本人だつた
歐州列強に
「日ノ本をナメルな」と云ひたかつた
とも云はれる
2022/05/08(日) 晴れ


判官贔屓{ほうがんびいき}


けふは「博士の日」
博士のハナシ

♪ごらんあれが竜飛岬 
 北のはずれと
 地元の人が指をさす
 雪の中 かすかに見えるだけ
 さよなら 奥州
 わたし(義経) 蝦夷へ渡ります
 風の音が胸を揺する
 蒙古まで行くぞ
 ああ 津軽海峡冬景色

津軽半島 つけ根
JR津軽線 三厩{みんやま}駅から竜飛岬にかけての 
本州北端の村 三厩村
「厩石公園」

恐竜のような奇形で巨大な岩礁 横たわつてゐる
大きな洞窟 三つ開いている
その小山の上
「龍頭山義経寺」
その名の謂れ 

義経一行
浪高く 蝦夷地へ渡れない
一心に観音菩薩に祈る
白髪の老人現れる
三匹の龍馬を与える
義経一行 これに乗り 蝦夷地へ

渡った蝦夷地 
北海道沙流郡平取町
「義経神社」
蝦夷地が幕府直轄地になった年 建てられる

「判官贔屓」
庶民の心情的 空想の産物
と云つてしまえば それまでだが

江戸幕府官学 朱子学の権威
林羅山 『続本朝通艦』
≪義経 衣川の役で死んでゐない
逃れ蝦夷地へ渡つたようだ≫

水戸光圀
『大日本史』
≪伝承では 義経 蝦夷へ逃れ
蝦夷の人の尊敬の的となつた≫

新井白石
『読史余論』
≪義経 死すべき人に非ず 死んだとは思へない
いまも蝦夷地に義経の子孫の家あり
義経 さらに奥へ行ったらしい≫

庶民だけではなかつた
当代一級の学識者たち
義経 死なせたくなかつた
義経 死なせたくなかつたの
日ノ本人だけでなかつた

オランダの博士
シーボルト
2022/05/07(土) 晴れ


どこへ行つたのだらう


息子たち
孫たち
通つた幼稚園
きのふ
鯉のぼり 泳いでゐなかつた

築二十年つてとこの ボロ屋
庭に 鯉のぼり 泳いだ
實家から ドでかい 鯉のぼり 屆く
上げ下げ ひと苦勞
あの鯉のぼり どこへ行つたのだらう

戰前の家
燒夷彈で丸燒け
敗戰後誕生 男子
母の實家から 五月人形
あの五月人形 どこへ行つたのだらう

衣川の戰ひ
最期を遂げたはずの
義経 どこへ行つたのだらう

シベリア横斷鉄道の旅とやらのツアー
ホテル近く アムール川の岸邊 
ジョギングまがいなことした
後年 サンボ研修 ハバロスク・ツアー
シベリアには多少の縁

大正五年(1918)
前年 起きた社會主義革命
ロシア國内のチェコソロバキア軍捕虜救出 
名目に 日ノ本 “西側”に組して
アメリカ イギリス フランスと連合
シベリアに軍を派遣
日ノ本 一部軍隊
アムール川河口 ニコライエスク(尼港) 駐屯
丸亀歩兵聯隊第十二連隊 兵士
ジョギングまがいなことし
公園 見つけた
その公園内 とんでもないもの 見つけた
「おげちやら{嘘だらう}」
方言が出た
そこに あつたのは
「源義経の墓」

義経
北行傳説
はじまり はじまり
2022/05/06(金) 晴れ


武道通信かわら版 配信


初囘 サンボ研修 ハバロスク・ツアー
好評で 繼續された
申し込み者の中に
某民族派團体會長 いた

ツアー事業部の者
編集部へ スッ飛んできた
「大丈夫ですかね」
その後の經緯 失念
挌鬪好きの民族派團体會長
ハバロスクへ行き
入國禁止にならず
サンボを滿喫したやうだ

柔道を基に作られたのがサンボ
軍隊挌鬪技となり普及
ソ連 國技と稱される

全日本サンボ選手權(2022・9成田市)大會名から
「プーチン大統領杯」の名稱を取り除く
2022/05/05(木) 晴れ


御成敗式目


島崎藤村 “不朽の名作”「破戒」
六十年ぶりにリメイク
昭和二十三年 “巨匠”木下惠介監督
昭和三十七年 “巨匠”市川崑監督
主人公青年 被差別部落出身

いまの世 新たな差別 噴出
リメイクの理由か 
わからぬ

尼将軍・政子 臨終の床
弟・義時に云ふ
「武士の法に男女差別はなりせぬ」
義時
「わかりました」

御成敗式目 

第十一条
「夫の罪によつて妻の財産が没収されるかどうかの判断について」
謀反・殺害ならびに山賊 海賊 夜討ち強盗などの重罪の場合は
夫の罪であっても妻の領地は没収される。
しかし 夫が口論によつて偶然(に相手を傷つけたり
殺害してしまつたような場合は
妻の領地は没収されない

第十八条
「女子に相続した後の所領を返還させる場合のことについて」
男女の違いはあっても親の恩は同じである
これまで女子(娘)には返還の義務はなかつたが
今後は相続したあとであつても所領を取り返すことが出來る
これは 後の争いを恐れて女子に相続することをためらつたり
女子が親に対して不道徳な行いをすることをおさえるためである
このことが保障されていることによつて
相続した女子が親に孝行をし 親は安心して女子を養育し
土地を与えることができる。

第二十一条
「妻や妾に相続した土地の離別後のあつかいについて」
離別した妻や妾に大きな落ち度があつた場合
前夫から譲り受けた所領を持つことは
契約書があっても知行することはできない
前夫が新しい妻や妾のことだけを大切にし
なんの落ち度もない前妻や前妾に与えた土地を取り返すことはできない

第二十七条:「未処分の財産の分配」
御家人が相続のことを決める前に死亡した場合は
残された財産を働きや能力に応じて妻子に財産を分配すること

昭和天皇 
御成敗式目
愛讀されては おられぬだろうが
側室制度 廃止
もし男子 生まれなければ
三笠宮 高松宮 秩父宮
いずれの男子 天皇を繼げばよい
そう思われたのではなかろうか
畏れながら
2022/05/04(水) 晴れ


摩免戸{まめど}の戦ひ


ロシア軍の占領時 処刑されたとされる
キーウ州民間人 一一五〇人の遺体 
埋葬跡にどんな慰霊碑たつのだろか
どんな文言 刻まれるのであろか

承久の乱 
東(幕府)vs 西(朝廷)
天下二分する戦ひ
木曽川 挟んで
両軍の主力 激突
摩免戸{まめど}の戦ひ

幕府軍 圧勝
美濃の武士たち 多くは朝廷軍に
矢熊山仏眼院に供養塔 五輪塔建てられる
後年
木曽川の氾濫により
寺は流され供養塔も埋もれたままに

凡そ七百年後
昭和初年に発掘
いま 兩軍の慰靈塔との解説看板

尼将軍・政子 臨終の床
弟・義時に云ふ
「朝廷の法ではなく
武士のための 武士の法をつくりなさい」

御成敗式目 
それから七年後 發布

さう けふ  
マッカーサー憲法記念日
2022/05/03(火) 晴れ


琵琶法師


學生時代 歸郷し 映畫 觀た
『怪談』
芳一 兩耳 もがれるシーン
記憶の引き出しにある

琵琶法師 元祖
玄清法印
若くして眼病を患ひ失明
インドの高僧を眞似
盲僧琵琶の一派 開く

鎌倉の世になると
經文を唱へる盲僧琵琶と
『平家物語』を語る平家琵琶に分かれる
平家坐頭と呼ばれ格下
盲目の流浪の藝能民
路上ライブで“投げ錢”稼ぎ

平家座頭
『平家物語』讀んではゐない 讀めない
師の琵琶法師から口移しで覺える
それが それぞれに
アレンジされるのは云ふまでもない

琵琶法師 
とくに 斃れた將兵たちの鎭魂の物語
熱を入れ語つた
“投げ錢” 増える

「木曾最期」など
いくつものアレンジから
特に心搖さぶる口上が
琵琶法師から琵琶法師へ廣がる

それが『平家物語』として 新たに記述される
それがいまの『平家物語』
2022/05/02(月) 晴れ


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