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部分的な“外部”


借景 庭づくり術
説明するまでもないが
内なる庭の光景に 外なる遠景を採り入れることをいう
岡本太郎が絶賛した

西洋/支那 家・庭は「四囲式」で壁をめぐらす
日ノ本の庭 借景によって心理的な拡張をおこなう
さて 借景の思想と本歌取りと床の間の関連だ

【松岡 → 「本歌取り」という方法を思い出してもらいたい。
これは古今や新古今以降の八代集でいちじるしく発達したもので、
新しい歌に積極的に元歌を採り入れていくことをいう。
引用といえばたしかに引用だが、単なる引用ではなくて意味を重畳{じゅうじょう}する。しかも本歌としての元歌はその一部だけを響かせるのであって、
それが短いものであればあるほど面白がられた。
この「本歌取り」は、 もともと日本の和歌が、“縁語”と呼ばれる何百種類もの歌語によって張り巡らされてることにもつながっていて、日本の独自の言語感覚を育んだ。
さらにもう一つ例を出す。それは「床の間」だ。
書院とともに確立した床の間は考えてみれば奇妙なものだ。そこは四季折々に、また客次第によって、必ず掛け物や花や花器を変えるところである。あんな小さなところにも、まことに千差万別の季節や好みの変化をつくれた。
ヨーロッパの中世や近代の城館や住宅家屋では、周知のように絵画や写真やタスピストリーが掛け変えられるということは、めったにおこらない。
一定の壁に一定の絵がずっと掛けられるのが普通である。それなのに日本の床の間は可変的なのである。可変的だけでなく、そこはいわば部分的な“外部”なのである。】

おわかりか
国土の狭さを<負>とせず<勝>とする
拙者 己の<負>を<勝>としてきた----
とは云えぬか(笑)
2025/03/26(水) 晴れ


防衛感覚


米國 国防次官 日本の防衛支出
GDP(国民経済計算)比で3%超に引き上げるように要求
日ノ本の防衛感覚に米國 業を煮やしている

【武道の中の日本<十二>
 借景と鎖国  松岡正剛
 ――日本人の防衛感覚にある内外の一戦を区切らない借景の思想
 それは本歌取り、床の間、縁側に見る意外な防衛感覚なのだ。】

松岡氏 もともと日ノ本は「防衛」という問題には
めっぽう弱い歴史をもってきたと
偶然が重なり外的に対して守り抜いたという歴史 元寇の役だけ

「軍人勅諭」起草した西周{あまね}
日ノ本は「好和外交」が似合っている
互いに気脈を通じ合わないかぎり攻守そのものが成り立たないと
『日本風景論』書いた志賀重昴{しげたか}
日ノ本人は保守主義でも革命主義でもなく 「修繕」主義だと
要するに 相手と馴染みながら事を構えるのが得意であって
外側の状況を鋭く分析して攻撃を想定しない
接触がおこってから慌てて繕う気になる

夏目漱石もこんな見方していた
明治の文明開化の「開化」そのものは 
もともと外発的で西洋のような内発的ではなかったから
外からの攻撃に弱い

松岡氏 以前 防衛庁が出している『セキュリタアン』から
インタビューを受けた そのとき西周 志賀重昴 夏目漱石の
そういった答え方はしなかった

松岡氏 実は日ノ本人は防衛意識は乏しいとは見ていない
乏しいのでなく 別の言葉で防衛を考えてきたのであろうと
それを説明するのに「借景」を持ち出してきた

借景の思想は 次回に
2025/03/24(月) 晴れ


真情


【特集
民族派、愛国者たちと
民主主義を語る
――民族の魂を生きる戦闘者たれ】 

「稲葉 稔」は先に記した
他 六題
◎対話 日本再生のナショナリズム●嘉村 孝/木村三浩
◎若き民族主義者へ●鈴木邦男――民族主義が試されるとき
◎右翼よ、命と体を武器とせよ●大塚哲爾――右翼に牙はあるか
◎ナショナリズム論の再考●矢野隆三――新しい統合の原理
◎野村秋介、救国の思想●中台一雄――日本的狂気を胸に
◎オタク若者の民族主義化●山内 誠――思想と行動の暗い闇

平成十三年三月刊(2001年)
対話両者 筆者たち いま讀み帰してみたとしたら……
世相は四分の一世紀たったが
諸氏の当初の[真情]は変わらないであろうと信じる

トランプ出現で 「民主主義危うし」の声 挙がる
その一人 歴史学者 ユヴァル・ノア・ハラリ
世界的ベストセラー 
『ピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』の著者

ハラリ曰く 過去の歴史と違うことは
さまざまな面で人間より<賢い> 数多なAIが出現したこと
SNSでは陰謀論 偽情報 ヘイトを意図的に拡散している
その編集も担いつつあるのもAI
新聞/雑誌の編集者もAIが担う日が来ている

「武道通信」 いまAIで編集したら
どんな本が出来上ってくるのか

拙者の[真情]は汲み取れるのであろうか
2025/03/22(土) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信日


きのうと 
うってかわって
本日は春日和

春日和
三月二十日ごろ 春の彼岸を過ぎてから使われることが多いそうだ
彼岸といえば
先日 菩提寺の年間供養費 振り込んだ

寺の経営もしんどくなったようだ
五、六年前までは 春彼岸 お盆 秋彼岸と別々 支払いだったが
一度に 一年分支払い
花園会費 6000円
春彼岸付届 6000円
盆付届け 6000円
彼岸付届 6000円
暮付届け 6000円
合計  30,000円

他の宗派と比べ 安いのか 高いのか 定かでないが
年3万円 ありがたや ってところか

来世紀 往年の菩提寺墓はどうなっているのか
AIは 答えられるのであろうか
拙者とか 他の者の主観的な気持ち
AI 図ることができないだろうから 無理か

いや 数年後 拙者の数値データーから
拙者の主観的な気持ちを図ることができるやも知れぬ
拙者 先祖代々の墓 といっても七代前であるが
残したいか たかが墓石なんぞ 残さなくてもいいか
AIの奴に訊いてみるか
2025/03/20(木) 晴れ


雪が ふるふる


雪が ふるふる 雪見ておれば 
で 想い出した
学生時代 観た 「2001年宇宙の旅」
当然 映画館
The end から しばらく席を立てなかった
感動したからでない
<向こう側>→ 映画を創る側に
いなかった己が悔しかった

年間600本ほどの映画が創られている 日ノ本では
近年 U−NEXT Net Netflix で
数多の映画 観る

傑作 佳作 凡作 駄作 
さりとて
創り手 念{おも}い 皆 一様であろう

雪が ふるふる 雪見ておれば
で 想いにふける
ジャンボ宝くじ 一等 当たったら
映画 創ろう
どんな 映画にしようか…………
アラにしようか コレにしようか

雪 止んだ
宝くじ など 買うことはないから 当たるわけない
過去 一度だけ買った
人生の汚点と 恥じている
2025/03/19(水) 雪


云わぬが花


第48回日本アカデミー賞優秀賞発表

映画館へ まったく足を運ばなくなり 二十余年
これでも学生時代 映画雑誌はよく読んでいた
『映画芸術』『映画評論』『映画批評』
いまの世の<エンタメ>とは無縁
友人らと回し読み
『映画芸術』は自腹きっていた記憶
これだと踏んだのは 本を古本屋へ運び
映画館へ足を運んだ

『映画芸術』 2024年日本映画ベストテン&ワーストテン
ベストテン
1位「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」(監督:井上淳一)
2位「夜明けのすべて」(監督:三宅唱)
2位「ぼくのお日さま」(監督:奥山大史)
4位「悪は存在しない」(監督:濱口竜介)
5位「Cloud クラウド」(監督:黒沢清)
6位「SUPER HAPPY FOREVER」(監督:五十嵐耕平)
7位「ぼくが生きてる、ふたつの世界」(監督:呉美保)
8位「違国日記」(監督:瀬田なつき)
9位「つゆのあとさき」(監督:山嵜晋平)
10位「ゴールド・ボーイ」(監督:金子修介)

ワーストテン
1位「正体」(監督:藤井道人)
2位「ミッシング」(監督:吉田恵輔)
3位「ナミビアの砂漠」(監督:山中瑶子)
4位「海の沈黙」(監督:若松節朗)
5位「湖の女たち」(監督:大森立嗣)
6位「碁盤斬り」(監督:白石和彌)
7位「スオミの話をしよう」(監督:三谷幸喜)
8位「あんのこと」(監督:入江悠)
8位「十一人の賊軍」(監督:白石和彌)
8位「ルート29」(監督:森井勇佑)
※「あんのこと」「十一人の賊軍」は同率8位

第48回日本アカデミー賞
優秀作品賞 『侍タイムスリッパー』
優秀監督賞 藤井道人『正体』
優秀脚本賞 野木亜紀子『ラストマイル』
優秀主演男優賞 横浜流星『正体』
優秀主演女優賞 河合優実『あんのこと』

「あんのこと」「ルート29」
U−NEXTで配信された
観た
云わぬが花 とでも云っておこう

−−−−−−★−−−−−−
ネット配信で観た
「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」
「夜明けのすべて」
「ぼくのお日さま」

三作とも傑作
とくに「ぼくのお日さま」
突き 刺さった
2025/03/17(月) 晴れ


武士道DNA


【葦津珍彦{あしづうづひこ}の民族主義と武士道
 武の源は民族の心 
葦津珍彦<今様、北畠親房{ ちかふさ}の「武士道―戦闘者の精神」>に学ぶ
――時代の潮流に流され、徒に偉大なるものに服従することを欲しない者は、
おのれの本心を見定め、英知と勇気をもって、本心のままに進退せよ。
おのれの本心が民族の心と一致するとき、武士道はそこに生まれる。
            稲葉 稔(明治神宮武道場「至誠館」館長 】

【稲葉 → 葦津は日本精神の言論人としても、その言論に責任を持った。
昭和五十二年の経団連事件でヤルタ・ポツダム体制打倒を唱え、その一翼を担う経団連の本部を急襲した野村秋介被告に対する弁護のため出廷したのは、自らがヤルタ・ポツダム体制打破を主張したからでもあった。
また、もしもその言論が不適切と判断すれば、修正撤回し誤解のないように処置した。そのこちから察すれば、葦津が現に生きて思考力を失わなかった平成四年六月の死の直前まで、日本武士道は脈々と生きつづけてきたということができよう。】

稲葉氏 葦津珍彦 死すとも
武士道DNAなるものあると信じておられるようだ

原稿依頼の際 「至誠館」へ伺う
以後 弓道場で弓を引かせてもらった記憶
稲葉氏の あの温厚さは 
武士道DNAなるものあると 信じておられるのではないか
2025/03/15(土) 曇り


武士道DNA


【葦津珍彦{あしづうづひこ}の民族主義と武士道
 武の源は民族の心 
葦津珍彦<今様、北畠親房{ ちかふさ}の「武士道―戦闘者の精神」>に学ぶ
――時代の潮流に流され、徒に偉大なるものに服従することを欲しない者は、
おのれの本心を見定め、英知と勇気をもって、本心のままに進退せよ。
おのれの本心が民族の心と一致するとき、武士道はそこに生まれる。
            稲葉 稔(明治神宮武道場「至誠館」館長 】

【稲葉 → 葦津は日本精神の言論人としても、その言論に責任を持った。
昭和五十二年の経団連事件でヤルタ・ポツダム体制打倒を唱え、その一翼を担う経団連の本部を急襲した野村秋介被告に対する弁護のため出廷したのは、自らがヤルタ・ポツダム体制打破を主張したからでもあった。
また、もしもその言論が不適切と判断すれば、修正撤回し誤解のないように処置した。そのこちから察すれば、葦津が現に生きて思考力を失わなかった平成四年六月の死の直前まで、日本武士道は脈々と生きつづけてきたということができよう。】

稲葉氏 葦津珍彦 死すとも
武士道DNAなるものあると信じておられるようだ

原稿依頼の際 「至誠館」へ伺う
以後 弓道場で弓を引かせてもらった記憶
稲葉氏の あの温厚さは 
武士道DNAなるものあると 信じておられるのではないか
2025/03/15(土) 曇り


武士道DNA


【葦津珍彦{あしづうづひこ}の民族主義と武士道
 武の源は民族の心 
葦津珍彦<今様、北畠親房{ ちかふさ}の「武士道―戦闘者の精神」>に学ぶ
――時代の潮流に流され、徒に偉大なるものに服従することを欲しない者は、
おのれの本心を見定め、英知と勇気をもって、本心のままに進退せよ。
おのれの本心が民族の心と一致するとき、武士道はそこに生まれる。
            稲葉 稔(明治神宮武道場「至誠館」館長 】

【稲葉 → 葦津は日本精神の言論人としても、その言論に責任を持った。
昭和五十二年の経団連事件でヤルタ・ポツダム体制打倒を唱え、その一翼を担う経団連の本部を急襲した野村秋介被告に対する弁護のため出廷したのは、自らがヤルタ・ポツダム体制打破を主張したからでもあった。
また、もしもその言論が不適切と判断すれば、修正撤回し誤解のないように処置した。そのこちから察すれば、葦津が現に生きて思考力を失わなかった平成四年六月の死の直前まで、日本武士道は脈々と生きつづけてきたということができよう。】

稲葉氏 葦津珍彦 死すとも
武士道DNAなるものあると信じておられるようだ

原稿依頼の際 「至誠館」へ伺う
以後 弓道場で弓を引かせてもらった記憶
稲葉氏の あの温厚さは 
武士道DNAなるものあると 信じておられるのではないか
2025/03/15(土) 曇り


武士道DNA


【葦津珍彦{あしづうづひこ}の民族主義と武士道
 武の源は民族の心 
葦津珍彦<今様、北畠親房{ ちかふさ}の「武士道―戦闘者の精神」>に学ぶ
――時代の潮流に流され、徒に偉大なるものに服従することを欲しない者は、
おのれの本心を見定め、英知と勇気をもって、本心のままに進退せよ。
おのれの本心が民族の心と一致するとき、武士道はそこに生まれる。
            稲葉 稔(明治神宮武道場「至誠館」館長 】

【稲葉 → 葦津は日本精神の言論人としても、その言論に責任を持った。
昭和五十二年の経団連事件でヤルタ・ポツダム体制打倒を唱え、その一翼を担う経団連の本部を急襲した野村秋介被告に対する弁護のため出廷したのは、自らがヤルタ・ポツダム体制打破を主張したからでもあった。
また、もしもその言論が不適切と判断すれば、修正撤回し誤解のないように処置した。そのこちから察すれば、葦津が現に生きて思考力を失わなかった平成四年六月の死の直前まで、日本武士道は脈々と生きつづけてきたということができよう。】

稲葉氏 葦津珍彦 死すとも
武士道DNAなるものあると信じておられるようだ

原稿依頼の際 「至誠館」へ伺う
以後 弓道場で弓を引かせてもらった記憶
稲葉氏の あの温厚さは 
武士道DNAなるものあると 信じておられるのではないか
2025/03/15(土) 曇り


武士道DNA


【葦津珍彦{あしづうづひこ}の民族主義と武士道
 武の源は民族の心 
葦津珍彦<今様、北畠親房{ ちかふさ}の「武士道―戦闘者の精神」>に学ぶ
――時代の潮流に流され、徒に偉大なるものに服従することを欲しない者は、
おのれの本心を見定め、英知と勇気をもって、本心のままに進退せよ。
おのれの本心が民族の心と一致するとき、武士道はそこに生まれる。
            稲葉 稔(明治神宮武道場「至誠館」館長 】

【稲葉 → 葦津は日本精神の言論人としても、その言論に責任を持った。
昭和五十二年の経団連事件でヤルタ・ポツダム体制打倒を唱え、その一翼を担う経団連の本部を急襲した野村秋介被告に対する弁護のため出廷したのは、自らがヤルタ・ポツダム体制打破を主張したからでもあった。
また、もしもその言論が不適切と判断すれば、修正撤回し誤解のないように処置した。そのこちから察すれば、葦津が現に生きて思考力を失わなかった平成四年六月の死の直前まで、日本武士道は脈々と生きつづけてきたということができよう。】

稲葉氏 葦津珍彦 死すとも
武士道DNAなるものあると信じておられるようだ

原稿依頼の際 「至誠館」へ伺う
以後 弓道場で弓を引かせてもらった記憶
稲葉氏の あの温厚さは 
武士道DNAなるものあると 信じておられるのではないか
2025/03/15(土) 曇り


武士道DNA


【葦津珍彦{あしづうづひこ}の民族主義と武士道
 武の源は民族の心 
葦津珍彦<今様、北畠親房{ ちかふさ}の「武士道―戦闘者の精神」>に学ぶ
――時代の潮流に流され、徒に偉大なるものに服従することを欲しない者は、
おのれの本心を見定め、英知と勇気をもって、本心のままに進退せよ。
おのれの本心が民族の心と一致するとき、武士道はそこに生まれる。
            稲葉 稔(明治神宮武道場「至誠館」館長 】

【稲葉 → 葦津は日本精神の言論人としても、その言論に責任を持った。
昭和五十二年の経団連事件でヤルタ・ポツダム体制打倒を唱え、その一翼を担う経団連の本部を急襲した野村秋介被告に対する弁護のため出廷したのは、自らがヤルタ・ポツダム体制打破を主張したからでもあった。
また、もしもその言論が不適切と判断すれば、修正撤回し誤解のないように処置した。そのこちから察すれば、葦津が現に生きて思考力を失わなかった平成四年六月の死の直前まで、日本武士道は脈々と生きつづけてきたということができよう。】

稲葉氏 葦津珍彦 死すとも
武士道DNAなるものあると信じておられるようだ

原稿依頼の際 「至誠館」へ伺う
以後 弓道場で弓を引かせてもらった記憶
稲葉氏の あの温厚さは 
武士道DNAなるものあると 信じておられるのではないか
2025/03/15(土) 曇り


熾火{おきび}


「床几」 
【民族の狂おしき火なりや
    橘 薫(礼楽研究家)】


【橘 → 程度の差こそあれ、ともかくも民族主義、というからには、
民族というものを何らかの実態と考えているはずである。
ところが、観念遊戯に長けた、ニューアカ(ニュー・アカデミズム)
以後のインテリたちは、民族を何らかの実態をみなす考え方は、素朴、
稚拙とこき下すのがうまい。
民族など近代になって作られた政治的・経済的な、観念上のこしらえもであって、
実態は虚妄にすぎない、と宣{のたま}うのである。----------------
私に言わせれば、もしも「民族」が虚妄なら、この御仁が信奉する
「世界」も「地球」も「人類」だって、皆、虚妄である。
それらの概念は、非植民地下の諸民族が立ち上げた民族解放闘争の嵐から、
西洋社会の独善性を思想的に防御するために作り出された諸観念に他ならないからだ。
いわば、先に人を殴っておいて、殴られた相手が、正当に殴り返そうとしたときに「君、暴力はいけません。人類は皆、兄弟です。愛と平和を尊重しましょう」と、説教をたれるのと同じある。
その上、この説教に耳を傾けない相手には、再度、しこたま殴りかかるのだ。
今、国連が紛争地域でやっていることはこれに近い。
人の人たるゆえんは、理論整然とした知性の振舞えにあるのでなく、それを知って尚、狂おしく、みずからをかき立てる熾火を、腹の内に起こせるか否かにかかっていると信じる私は、正真正銘、狂っているで、賢明な御仁のおっしゃることなどわかりません。それで私は、虚妄をこそ信じて生きようかと、かたく心に誓ったのである。】

−−−−−−★−−−−−−
パレスチナ紛争
先に殴ったのは どっちだ
民族の狂おしき火で 考えよう
2025/03/13(木) 晴れ


らしさ


目が覚める 枕元 スマホ
yahoo!ニュース<すべて> 
スルーしていく

田嶋陽子 
「らしさとは 人を支配するための道具」
「らしさとは 支配者が人を都合よく動かすためにつくった規範」

田嶋陽子 昭和三十五年 県立沼津西高卒業 
お首さんのある本光寺 西側に隣接した女子高
静岡県東部の頭の良い いや 訂正 試験の成績の良い女子が入る
姉もココ 田嶋陽子と四つ違いだから 顔を合わせることはなかった
田嶋陽子 中学校 一中というから 家までの通学で
俺の家の前 通っていたやも知れぬ

安保の年だ 六つ違いだから 俺 中二
先生ら 東京へ 「アンポ ハンタイ」デモ
授業 無し で 俺たち
「アンポ ハンタイ」 おしくらまんじゅうゴッコしていた

そのむかし 
地元新聞「沼津朝日」(アノ 朝日新聞ではない)
読者欄に投稿した 十五、六歳だったか
掲載された 
「らしさ」とタイトルがつけられていた
そこまでの記憶

数年前 実家の亡父の机の引き出しを空けたら
その切抜きがあった
田嶋陽子と似たようなこと 
六十二、三年前 俺 書いていた

<選択的夫婦別称>
日ノ本らしさ か 否か
「維新」 → 「これ新たなり」で考えあれ
本質は どこにあるか 
2025/03/11(火) 曇り


維新


対談 つづくよ
「永遠のいま」から 「維新」へ

<首都移転>から「維新」の意味へ
要は 皇室をどこへもっていくか 諸説 侃々諤々
戦前も戦後も 誰も云わなかった
「維新」の意味 →「これ新たなり」
古いものが その時代に応じて変化 変容しただけ
だから時代に合うように「これ新たなり」にしていかねばならない
でも 皇室の本質は変わらない
松本氏 「これ新たなり」de
移転場所はどこでもいいとでもいいたげ

「維新」から 「私」の意味へ
「私」 → のぎへんに「ム」
収穫物を俺のものだと争いを起こし 独り占めする様を字にした
戦後 「私」 大声で主張される
戦後 「公」 廃れる
「公」の意味 →独り占めをなくする
日ノ本人は 「私」を主張しない 悪徳だから
西郷隆盛 →「無視とか無為とかは日本人の美徳であり 人間のあり方だ」

昭和三十年も過ぎ 今上天皇 外人記者会見
外人記者 → 日本に民主主義を与えたのはアメリカですね
今上天皇(昭和天皇)
民主主義というものは五箇条の御誓文にあると返答
「万機公論に決すべし」

敗戦後少年 曰く
アメリカ民主主義 → 「私」大声で主張
2025/03/09(日) 晴れ


ブラッシュアップライフ


きのう 一番下の孫が訪ねてきた
『ブラッシュアップライフ』 何度も観たといった
ネット配信をスマホで
『ホットスポット』 観てるかと聞いた
ジイジ ネット配信で観ている
観てないと テレビ 観ないと
ジイジも テレビ 昼/夕の飯のときのNHKニュースだけ
民法 CМ 鬱陶しい

「兵頭二十八ファンサイト」 3月6日

《海兵隊が新型の揚陸艇を使って、2月27日に沼津海岸にビーチングして荷卸ろしにかかったが、
それは途中で不具合に見舞われた。……………………
このサプライ船は『Resolution』という名前で、全長254フィート。……………………
 露天デッキの面積は6000平方フィート以上。
 天候・海象は、落ち着いていた。……………………
 海岸では、海兵隊の第3戦闘補給連隊が待ち構えていた。
 ※沼津海岸はなつかしい。2017-6-26にそこで米陸軍のLCUのビーチング手順を拝観した。
静岡県の危機管理部の方も臨場していらしたが、お元気でしょうか? 
あれから8年も経とうとしているのか! 
そして8年あれば、わが国の造船所は、LCU相当艦をゼロから新造してしまえるのだ。》

2017-6-26 軍学者 たしか沼津海岸に来ていたな
1947−某月 米軍海兵隊 沼津千本浜海岸で訓練していたな
叔母/姉ら 赤子の俺を叔母車に乗せ見物していたな
突然 指揮官が近づいてきた 叔母/姉ら後ずさり
指揮官 赤子の俺にチョコレート 手渡した
分厚かった記憶 指揮官 若い奴だった記憶

俺の人生 最初の記憶
『ブラッシュアップライフ』しても
何度も このシーンからはじまるのだろう
人生をリフレッシュしたり 磨き上げたりしても
敗戦後少年に変わり
2025/03/07(金) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信日

早朝 配信手配前 窓を開けると
隣家の屋根 薄雪化粧していた

徳川幕府 儒教を選択
上下関係 厳しくし 騒乱を押さえた
男女の上下関係 はっきりさせた
法は定めても 乱世の生き残りDNI
そう簡単に消えない
武門 表は男 中は女が守る と決めた
男 中の女に指図はできぬ
男子血統維持のための妾 妻が決めた

拙著 『真似てみたい武士の妻の作法』『武女』
戦國の世 江戸の世の女の<威>を綴った
2025/03/05(水) 雨


永遠のいま


雪が ふるふる 雪見ておれば  三頭火
三月の雪 木々の害虫を殺してくれるが
小鳥 餌なくなり 困ったもんだ

<コメ5キロ販売価格値上がり平均3939円>
<政府の備蓄米放出で10日から12日まで初の入札 
新潟県産コシヒカリなど対象で落札業者選定 
店頭には早くて3月下旬か>
巷 騒々しい

【松本 → 去年、衆議院の憲法調査会に出た折り、ある議員から質問がありました。私なりにその質問を整理すれば、天皇制のあり方として、昭和天皇のような古いワイシャツを着て、ゴム長靴をはいて国内で田植えをしている、そういう天皇の姿がいいか? それとも今上天皇のように、外国へ出て行って積極的にロイヤル外交を展開するのがいいか? 
私は昭和天皇のあり方が良いと答えました。
天皇は国事、外交に係わらず、日本国民が米作りをしているときには、米の出来具合はどうかと心を配る天皇像。
昭和天皇が言いましたね。今年は長雨が続いたので、米の出来具合はどうだと。あのとき、政府の担当者、宮内庁の役人は答えられない。官僚のやる農政と天皇が国内を回り、米の出来具合を心配することは次元が違う。】

ネーイションススーテイト(国民国家)になって たかだか百年
それを二千年以上の皇室を規定することには無理がある
皇室自体も生き抜くためにやってきた
それが皇室の本質
建前として最初に牛肉を食べたのは明治天皇
日本が生き抜くため近代国家をつくり西洋風の国家体制を作らなければ
ゆえにライフスタイルも西洋風にしていく
天皇 肉も食べ 洋服を着 皇室の晩餐会正式メニュー フランス料理

天皇 日ノ本民族が この島国で生きて生きやすいよう
異国の文明/文化で必要と思うものは手に入れておかねばならぬ
天皇のスタイル 永遠普遍でない
新年 最初の行事 万民安寧を祈る四方拝は道教五行説
その後は仏教 戦後はキリスト教も

【松本 → 日本の思想を哲学し、明確にしたのが西田幾多郎の東洋哲学で
「歴史には始めも終わりもない」と言うです。ある時代を切ると、そこには織田信長や徳川い家康、伊藤博文の顔が現れ、時代によって顔は変わるが、天皇という存在自体は不変である。生きているときは昭和天皇も平成天皇もない。ただの天皇です。
これは どこから来ているのか?
自然、もっと言えば米です。今年の米の中には去年の米の命がある。
去年の米の命の中には百年前の、千年前の米の命がある。そして今年の命には
百年後の、千年後米の命がある。
だから「いま」と言っても、それは「永遠のいま」という考えです。
これは西田幾多郎が言葉として取り出した日本人の歴史観ですけど、後に宗教体系として仏教の影響を受けて神道になっていくが、自然崇拝という日本人の考え方の根源的なものです。
神道はもともと自然崇拝ですから神社など絶ててない。古代杉に注連縄を張るだけとか、石自体が神になる。
髪を<かみ>と言うのも、川上を<かわかみ>と言うのも、上にあるもの、かしこきものは全て<かみ>で、そこに神道というより、日本人の原初的な信仰心がある。
生きている者が死んだら全て神になるという八百万神{やおろずのかみ}で、
唯一神のキリスト教とも、修行して成仏するという仏教の信仰観とも別のものです。
日本人とは何か、となるとタマネギの皮むきではないが、そこまで生き着く。
それを我々の文化という言葉を「民族の生きるかたち」と考えたい。】

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仏教伝来 仏教が国家的な支援のもとに発展し
地方豪族の信仰を得て数多くの寺院が建てられた
百年後 持統天皇 これはヤバイ
<かみ> 忘れさられてしまう
注連縄だけでは弱い
仏教の仏殿のような <かみ>を奉る社殿が必要
伊勢神宮の始まり
2025/03/04(火) 雨


誰も 天皇になろうとしなかった


水戸藩 会沢正志{あいざわせいし} 『新論』
吉田松陰 佐久間象山ら憂国の士に大きな影響

1820年代来 イギリス捕鯨船 水戸へ
寄り木(岸などに流れ寄った流木) 薪 生鮮食料 売ってくれ
金を払ってもらったので庶民は喜んで売った 藩 見て見ぬふり 
会沢正志 曰く
外国人を上陸させてはいけない法があるのに
これでは國が守れなくなる
そして「國を守る」という 最後の最後は何を守るか?
これをはっきり させておかねばならぬ

領土を守るか 産物を守るか 武器か 火とか
でも それらは外国にもある
では 外国になくて日本にしかないものは何か
それは 天皇だ

新井白石にいわせると
たとえば 年号が元禄から宝永へ変わったとき
幕府から こういう年号になりましたと 天皇に報告
天皇は この年号でよろしい ハンコを押す役だと

前田 → 開闢百年ぐらいまで徳川幕府は磐石だったんですね

【松本 → 天照大神に対して東照神君のわけで、日本全体の神は徳川だったわけです。それが会沢正志が「日本の究極の本質は天皇だ」と言った瞬間に、
徳川の御世という考えが全部ひっくり変える。このカテゴリーは、正しい大義名分を言った瞬間に、それまでのものは虚だったとわかる。それがいま前田さんが言った藤田幽谷の正名論というのです。イデオロギー的、思想的に徳川時代はもう終わったという革命的イデオロギーが出てきた。】

前田 → ハンコを押す役でしかなかった天皇 結局 日ノ本からなくならなかったのは何でしょう
松本 → 足利義満も織田信長も天皇のお墨付きを必要とせず武力で天下統一
秀吉 「我 帝たらんとすれば帝 王たらんとすれば王」 何にだってなれる
家康 皇室を生かさず殺さず
前田 → でも結局 誰も天皇にはならかった やはり なれなかった

【松本 → 古代の天皇 武力も権力も持っていたからなろうとした人はいたが、いつしか軍事権も財政権も外交権も、姓さえ放棄していく。それを与える役になり、ただひたすら権威のみとなり、日本の文化としての大和歌(和歌)の守り手が皇室であると、
天皇は何も持っていないから奪うものがない。京都から一歩も出られない。極単に言えば御所からもでられない。天皇になってもしょうがない。】

戦後の象徴天皇制 日ノ本人が長い歴史の中で伝統的に作ってきたものだと云えると 松本氏
しかし 木村三浩氏と同じく 
天皇を憲法に謳うべきではない 憲法とは別格

大正天皇の生母 側室(柳原愛子)
明治天皇 軍服で軍馬に乗り陸軍大演習を観閲
これを知り 
軍事/財政/外交/行政は下々の男がやる仕事と
おいおい泣いた との逸話
柳原愛子 公家・柳原光愛の御息女
それが公家衆のイデオロギーだったのだ

明治二十年から昭和二十年まで 天皇 “下々の男”となったわけだ
長い歴史からみれば特異な体制
しかし 異国のネーイションススーテイト(国民国家)に
対抗するには仕方ないことだった

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五ノ巻 西尾幹二氏の論客対談 終わったあと
拙者 西尾氏に質問した
天皇制が長くつづいた理由が何ですか といったものだった
西尾氏 帰り支度しながら云った 「神話です」

義満も信長も秀吉も アノ記紀の「神話」を信じていたのではないか
家康 やっつけの「神話」を重ね塗りした
だから『新論』で一気に剥げた
2025/03/02(日) 晴れ


白地に赤く 日の丸染めて


国旗「日の丸」の前に ナショナリズム おさらい
アヘン戦争 清朝を守る軍はあるが
国民を守るには支那軍というものはない
国民が略奪 殺されても王朝が倒れなければ関係ない

日ノ本も似たようなもの
王朝 皇室には軍隊はないが 各藩はもっている
しかし 薩摩藩がイギリスに攻められれば薩摩藩だけが抵抗
ロシアが対馬半島を占領しても対馬藩だけが抵抗
他藩は助けない
これじゃ 西洋の国民国家に勝てない
寄せ集めでなく 一つの民族が統一国家を持って
日本国民となる国民国家形態にしなければ
これがナショナリズム 

前田 → 日の丸 イコール 日本というイメージ
古くからありますね
松本 → 日の丸の形 日本を象徴し 日本を統一するイメージ
源平の世から幕末まで連綿と流れる

【松本氏 →  昨年、国旗国家法案が出来たとき
私は積極的に意見を述べた。
――国家指導者たるもの、日の丸を日本の国家とする伝統が生まれ、
それが国民に定着したのは、いつごろからわかっているかと。
それを説明しないで、これが日本の国旗だ、わかっているだろと言われても困ると。戦後、日の丸がなぜ国旗になったか一切説明されていないし、戦前も説明した人はいないのです。】

笠張り浪人 曰く
牛若丸 弁慶と戦ったとき 日の丸の扇 持っていたの庶民 知っていた
壇ノ浦で那須与一 日の丸の扇を射たの 子ら絵本で知っていた
木曽義仲 京へ攻めいったとき日の丸の扇を持っていた
長篠の戦い 織田/徳川連合軍も 武田連合軍も 日の丸 掲げていた
朝鮮出兵のとき 日ノ本の連合軍という意味合いで日の丸 掲げていた
知識人 知っていた
わざわざ 日の丸を国旗にするだと説明しなくても
みんなわかっていた

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♪白地に赤く
 日の丸染めて
 ああ美しや
 日本の旗は

 朝日の昇る
 勢ひ見せて
 ああ勇ましや
 日本の旗は

(戦後改訂版)
♪白地に赤く
 日の丸染めて
 ああ美しい
 日本の旗は

 青空高く
 日の丸揚げて
 ああ美しい
 日本の旗は

ここまで GHQに忖度したのかよ
文部官僚 御上{おかみ}よ
2025/02/28(金) 晴れ


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