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思考の瞬発力


♪おお寒む こ寒む 
こ寒むは無しで お〜う寒む
へそ曲がり コンビニでアイスキャンディを求め
暖房エアコンの下で食べる

この寒波 専門的なハナシは省く よくわからぬ
要は 北極の温暖化が非情に冷たい北の寒氣を
日ノ本に押し出し 日ノ本に強烈な寒波を到来させたさうだ
つまり 地球全体の大気の運動の変化がもたらしたさうだ
地球は一つと云ふことか

安土城落成の頃
三河徳川家 一つではなかつた

信康の武勇伝 先述した 
殿軍{しんがり}を買つて見事 任を果たす
このとき 酒井忠次 
俺 知ら〜ない さつさと退陣
忠次だけでない 三河譜代重臣たちも
信康のさうした振る舞い 冷ややかにな眼でみてゐた

勇猛は若気の至り 果断さは無分別
信康の激しい氣性 暴君とも云へた
気短/短気
要は思慮が浅いと看{み}てゐた
二世君主信康がトップになれば三河は危うい

今川の過酷な支配の下で 
ひたすら忍従と屈辱を強ひられきた
譜代重臣たち 信康に流れる今川の血を忘れてはゐなかつた
三河家臣団が やがて離散していくだらうとの危惧
 
ただし信康贔屓の石川数正はいなかつた
譜代重臣の中でただ一人 
駿府に乗り込みんだ人質交換の立役者
信康母子 帰還のとき数正が大髭をそらし
信康を肩車に乗せて 城下を歩んだ
数正 信康贔屓

信康を葬り去るシナリオをつくり始めた
信長を使はう
信長の命なら主・家康も逆らへまい
信長の命で仕方なく信康を葬った
これなら信長 非情の人
家康 同情集まる

徳姫の「十二ヶ条」などなかつた
忠次が信長に渡したのは三河重臣たちの連判状
信康 トップの資格なし
信長 即 乗った
渡り船だつた

<信康の時代になつたら
尾張と三河の上下関係が逆転するのではないか>
<家康の忠誠心を試してみよう>
この渡り船に 信長 乗つたわけ

気短/短気は ドラマ中の信長
さりとて 先のことを考える性格でもない
信長 その場その場で体当たりの決断力
瞬発力の凄さだ 
身体ではない思考の瞬発力

思考の瞬発力 日頃の想像力から來る
信長 いろんな物語つくつてきたのだらう
子供のころ
少年期 己が一寸法師に 金太郎に 桃太郎に 酒吞童子になる物語を 
思春期 “蝶”の道三への内通物語
青年期 弟の裏切り物語
2023/01/26(木) 晴れ


戰國のSNS


SNS 
虚偽/中傷/妄言/詭弁/おべんちやら そして事実
玉石混淆ならぬ 「玉」一個 「石」十個
グーグル/フェイスブック フィルタリング対策
焼石の水 
それが人の本性 ある部分
戰國の世 人の本性 吹き出る 爆発だ!

戰國の世 ネットでなく文書
偽筆/偽名/偽文書 
数こそ少ないが いまの世のSNSに引けを取らない

伝承/伝書/史書/公文書の疑問点 挙げ
<信康を殺したのは誰か> 真相に辿りつきたい

信長 なぜ 信康本人に問い詰めなかつたか?
「信」は信長の「信」 信長 名付け親の関係
家康 なぜ酒井忠次{ただつぐ}の伝言を鵜呑みにしたのか?

はじまりは
安土城落成 信長に騎馬献上
家康の長女亀姫の夫・奥平信昌と坂井忠次{ただつぐ}
安土城へ
このとき 坂井が徳姫から預かつたのが
信長に宛「十二ヶ条」
まずもって この「十二ヶ条」 怪しい

<徳姫書状の形式 信長の文体に似てゐた>
<後に加筆・修正された可能性がある>
戰國のSNSに載つていた
2023/01/25(水) 晴れ


戰國の世の中心で、愛を叫ぶ


同盟の証として姫が嫁ぐ
姫は密偵も兼ねてゐた 裏切りを監視
拙著『真似てみたい武士の妻の作法』
に記{しる}した

夫(若様) 百も承知ノ助
が 若い男女 肌を重ねるうちに情が沸く
映画・信長モノ そのへん しつこく描いてをるのだらう

信康 姑・築山と徳姫の確執
どちらにもつけず 悩んでゐた
そのへん いまの世も同じ
いまの一般家庭と違ふところ
岡崎城 派閥争ひ

嫁姑 争ひだけでない
家康の生母・於大が絡む
それに かつては敵であつた郷の家臣が絡む
三河譜代の家臣/織田方家臣/旧今川家臣

家康 浜松城へ築山と旧今川家臣 連れていけばよかつた
家康 連れていけないわけがあつた
家康 無類の女好き
五歳にして生母と生き別れしたのが因
そんな心理学者風分析しても 詮無い

浜松城入場 すぐまさ側室 集める
先に記した 一番に寵愛したのが お万の方 

築山殿 殺害され 信康は自害させられ 
その年 悲劇の中心人物が
阿茶局{あちゃのつぼね} 側室とする

戰國の世の中心で、愛を叫ぶ
その男 徳川家康
2023/01/24(火) 晴れ


驕れるもの 久しからず


駿河今川氏
ご先祖さん 清和源氏足利氏
駿河國守護に任じられ駿河今川氏が誕生
室町時代 駿河國・遠江國の守護大名に
戦国時代まで駿河・遠江國 支配
そして 滅亡

「驕れるもの 久しからず」
『平家物語』の一節
八百余年たつた いまの世でも口ずさまれ
故事成語{こじせいご}となつた このセリフ
今川氏滅亡の折
信長 家康 口ずさんだであらふ

週刊朝日 休刊 (要は廃刊)
全国の○○さん △△さん □□さん
「驕れるもの 久しからず」 口ずずさんでゐる

『平家物語』作者 諸説ある 要は不明
<信康を自害させたのは誰か>
諸説ある 要は不明

徳川将軍家にとつて封印したい恥辱史
『三河物語』『改正三河風土記』『松平記』
ホントの事 書くわけない 
いや 編纂者も 実はホントの事 
知らなかつたのではないか
コチとらも
推測し <ドラマ> つくり上げていくしかない
2023/01/23(月) 曇り


信康を殺したのは誰か


今季一番の強烈な寒気 流れ込むさうな
武州多摩にも雪 降るやも知れぬ

戦国の世 寒冷期であつた
「国盗り物語」の主役は寒冷化
階級闘争の主役は飢餓化 
マルクス史観の階級闘争
寒冷化の歴史 スポリ抜けてゐる

ドラマの武田信玄 
<海>海路が欲しかつた
ではない 温暖が欲しかつた
甲斐 雪は降らないものの 極めて厳しい寒さ
飢ゑた民 流民となる
ゆゑに信玄
温暖な駿河 遠江三河 尾張が欲しかつた 

そんな信玄 侵攻道中で没す
勝頼 信長/家康連合軍に大敗
武田騎馬精鋭 壊滅に瀕してゐた
家臣の動揺も激しい 裏切りもポツポツ

そんな武田の状況
築山殿 知らぬはずない

築山殿と勝頼の文のやりとり
「信康は私から説得し 味方につけますゆへ
徳川の旧領を安堵ください
家康 信長は姦計を用ゐて葬ります」

勝頼の返答
「信康殿には徳川の旧領のほか
望み通りの信長所領の一国を与え
また築山殿には最近妻を亡くした小山田信茂といふ武将の後妻にと」
こんな文交わす状況ではなかつた
徳川方の創作

築山殿 派閥闘争で殺された
於大 今川勢を葬るため

では
信康 誰に殺された
2023/01/22(日) 晴れ


築山殿を殺したのは誰か


家康 
「殺すしかないか」
「殺してやる!」と念じて 殺した者 一万人に一人もいまい
家康
「殺すしかないか」とつぶやいても 実際 殺す気はなかつた

では 築山殿を殺したのは誰か


信康 岡崎城を追はれ 二俣城に監禁
築山殿 なぜ?
家康にその真意を確かめようと浜松城へ
岡崎城を出て 姫街道→本坂峠→浜名湖→宇布見{うぷみ}→入野川
そして佐鳴湖{さなるこ}を渡る
湖の入り江富塚に船を着けたのは出発から四日後
めざす浜松城まであと半里(2km)
築山殿 輿{こし}に乗る

気が揉める 気が急{せ}く

腰が少し進んだ 
草深い小藪{こやぶ}村にさしかかる
輿の外から一本の鑓
寸たがわず築山殿の胸板を貫いた
苦しみもがきつつ輿から転げ落ちた築山殿
そこを野中重政{しげまさ」の一刀 首を刎{は}ねた

輿の警護 野中重政/岡本時仲{ときなか}/石川義房{よしふさ}
この三人 於大{おだい}派の面々であつた
「殺すしかないか」と 
家康の生母 於大もつぶやいてゐた
於大 三人に命じた

主不在の岡崎城
一、於大と徳姫を中心とする織田方家臣
二、築山殿と旧今川方の付き人
三、信康と三河譜代の家臣団

派閥争い
一、 ここぞとばかり決着をつけた
2023/01/21(土) 晴れ


武道通信かわら版 配信


通算543号
継続は力なり
<わづかなことでも 続けて行えば成果となつてあらはれる>
結果 通算543号か
数がどうのこうのではない
欠巻 無しの無欠勤 これが成果

<小さな努力も 続けてやれば成功する>
何が成功したのかは よくわからぬ

とにかく 通算543号 武道通信かわら版 配信
2023/01/20(金) 晴れ


築山殿からの文{ふみ}


家康 浜松城に側室 囲つた
お万の方 神官の娘
築山殿 嫉妬したのでない
武門の将 側室(そばめ=側女/側妻) 
当たり前 

正妻は「奥」の要 
新しい戰い本城の「奥」は正妻が仕切るべき
名門今川家の血筋を誇りとする築山
プライド ひどく傷つけられた

岡崎から浜松の家康に宛てた文
【私こそ本当の妻であり 家督を継ぐ康信の母なのです
特にご寵愛下さるのが当然でございませう
わらはの父はあなた様のため命を失いました
その娘であれば どの側室たちより
なほお憐れんで下さるものと思ひましたのに
その想ひも叶はず 嫌はれ棄てられてるのです
ホトトギスの一声に明けやすく、短い夏の夜も
秋の夜長を重ねるように 片袖敷く うたた寝も 
夢みるほどまどろむことがございません
寝具は涙の海となり 遠い唐の大船さえ
この涙の海を渡り訪れてくるでせうに
これ以上に 疎んじされるのでしたら
怨みはやがて一念悪鬼と化して 思ひ知らすでせう】

十歳下の家康を思慕する想ひ 切々である
その恋しさが昂じて憎しみと化した

家康 その文を讀む
「殺すしかないか」
2023/01/19(木) 晴れ


星降る夜


子 できたとき
旅に出たくなつた
時間も 金もない
學生時の友の実家 長野・松本を訪ねた
友 山の温泉へ連れてつてくれた
露店風呂から夜空を見上げる
一瞬 諸手を差し上げた
星が降つてきそうだつた からだ
あの 星降る満天の星
記憶の引き出しの中で いまでも輝いてゐる

築山殿 家康より十歳 歳上
結婚時 家康十六才 築山二十六歳
バツイチ バツニではない 
死別 合戦で討死

瀬名姫と呼ばれたのは 駿河瀬名村出身
これは江戸の世中期 創作者の創作
何と呼ばれていたか 史書に一行も無い

庭園などに山に見立てて 
土砂または石などを用ゐて築いたもの
築山と云ふ
岡崎城中 北側にある館
庭の庭園に見事な築山があつた
ゆえに築山殿

築山殿
築山の夜空 満天の星 見上げてゐる

家康 浜松城 落成すると 
岡崎城 信康に譲り
単身 浜松城へ

「わらは御簾中{ごれんじゅう}(正室)であるぞ
なぜに 連れて行かぬ」

築山 家康への憎しみ 更に燃え盛る
2023/01/18(水) 晴れ


築山 家康が憎かつた


脱マスク
もつと侃侃諤諤すればよいものを
昨年 政府発表
屋外 原則不要
屋内で会話 人との距離を確保すれば外せる
されど どつちを向いてもマスク マスク

社長 コミュニケーション力の低下 活力の低下
認知心理学 顔の學習は人間関係を築く上で重要
子どもの発育への影響も懸念
されど 登校・帰宅する小中学生 
マスク マスク マスク

家康 脱マスクでなく<脱家庭>が悲劇を生んだ

人質交換で母子を岡崎城に入つた築山・信康
母於大 築山 信康 亀姫 一家団欒 
メデタシメデタシ
このとき家康 
今川義元の「元」 ポイと棄て 「家康」に
着々と戰國大名への足場を固めていつた
岡崎城内 メデタシメデタシ
とはいかなかった
メデタイのは家康だけであつた

築山⇔於大 嫁姑の確執 鞘当て 
そんじよそこらの鞘当てではない
於大→織田方 
築山→父・関口義弘の妻は義元の妹
義元の姪で養女 れつきとした今川の血筋
於大は養父の仇

築山 もう一人 憎むべき奴がゐた
今川氏真{うじざね}

人質交換に尽力をつくしたのが
徳川方 石川数正{かずまさ」
今川方が築山 父・関口義弘
氏真 義弘は家康に計られたと
義弘 妻ともども殺された

元を正せば すべては
家康が今川から織田に乗り換へたことだ
築山 家康が憎かつた

築山 憎しみは更に燃え盛る
信康の嫁に信長の娘が来た
2023/01/17(火) 晴れたり曇ったり


どうした家康


先の土曜 観た 再放送「どうする家康」
もう 観ないであらう
脚本家  曰く
【歴史上の出来事の なぜそうなつたのか の部分は
後の人間が推測し つくり上げた創作でしかない】
であるならば
拙者も 推測し つくり上げていかう

――杉山版 「どうした家康」――

桶狭間 義元 討たれる
家康 先陣で前線基地 大高城にゐた
家康 大高城を脱出すると
築山・信康の待つ駿府城には向かはず
岡崎城へ入る
どうした家康
築山・信康 見殺しにする氣か

一、岡崎城には十三年前 別れた母於大{おだい}がゐたからか
二、今川の下で苦汁を舐めた松平家家臣団がゐたからか
三、義元の後を継ぐ氏真{うじざね}の凡庸さでは
今川再興などできぬ 一蓮托生などまっぴらだ か
四、於大の兄・水野元信が織田方の武将であつたから
  今川から織田に寝返る好機とみたのか

さう 四が正解
家康 四日間 考えに考へぬいた
まづは 
今川の家臣らしく 叔父・水野元信と一戰交へる
尾張の横根 石瀬の戰ひ
マチマチと戦つた後 和睦
その数ヵ月後 織田信長と和睦とのシナリオ
(九ヵ月後 信長と和睦)
於大から元信へ 偽装戰ひの文 届いてゐた

信長と和睦
今川氏真の居る駿府城に残された築山・信康
どうした家康
築山・信康 見殺しにする氣か
2023/01/16(月) 雨


五徳 十二ヵ条訴状


「どうする家康」
観た 観た きのう午後 1週間遅れの再放送 
何をか言はんや

歴史上の<事件>というもの 
ほとんど謎また謎 真相 藪の中

その原因
歴史書 特に<事件>に関して
信憑性が欠けるものが多い
伝承/通説も 話を面白くするために事実を膨らませる
または歪曲する
敵方 味方 いずれかの見方 正反対

築山殿/信康<事件>も
極論すればデッチ上げ
三河系からすれば築山殿は悪妻
今川系からすれば築山殿は良妻
真相らしきものと云へば
信康の妻 五徳が信長に宛てた信長への十二ヵ条の訴状

信康に関する主なものを挙げると
一、町人の盆踊りに立腹し 踊り手を弓で射殺す
二、鷹狩りの帰り 罪もない僧侶を嬲{なぶ}り殺した
三、徳姫(五徳)の侍女を虐殺した
四、武田方の女を呼び寄せ色情に溺れた

次 築山殿
一、かかり付け医者と密通
二、医者を通し 武田勝頼に内通 信康も寝返りを謀つてる

これぢや 二人とも殺されても仕方がないか

信康
勇猛な武将であつたことは 史家の一致するところ
十五歳で初陣以来 その精悍さは徳川諸武将に伍して遜色なく
天賦の才を発揮
大正三年 小山城で武田勝頼との戰ひ
家康が退却を命じると 信康自ら殿軍{しんがり}を買つて出る
家康 引け!と命じると
「戰陣に父子の情けは御無用 困難こそ望んでもない幸せ」
武田軍を大井川を渡らせず 見事な撤収を演じ一躍注目
勝頼 曰はく
「家康は家宝者よ これで成長が思いやられる」
信康 初陣から四年間 合戦に明け暮れた

そんな若武者 十二ヵ条にある愚行 しただらうか
2023/01/15(日) 雨


キラキラネーム


伝統的でない当て字 キラキラネーム 花盛り
読めやしない 
男→アダム 心姫→ハート だつてさ
いい加減にせい 

さう云へば あの頃 「アトム」あつたな
親父 GHQ ローマ字表記にさせると踏んだのであらふか
いやなに ひと様に云へた分際ではない
五十一年前 息子に
当て字 (キラキラネーム)つけたなあ〜

キラキラネーム付けと云へば
織田信長 極め付き
長男「奇妙」
次男「茶筅」
三男「三七」
四男「於次丸」
五男「御坊」
六男「大洞」
七男「小洞」
八男「酌」
九男「人」
十男「良好」
十一男「縁」
次女「五徳」
六女「振」

さて 五徳{ごとく}の事だ
五徳 なんの当て字か
炭火などの上に置き 鉄瓶などをかける三脚の輪形の器具

五徳 
築山殿 夫・信康を
殺させた
2023/01/14(土) 雨


しかみ像


築山殿 肖像画 一枚もなかつたが
家康 たくさんある
豊頬肥満 二重瞼 大きな鼻筋 福耳
ゆつたりとした長者の相

一枚だけ 異様な形相の家康がある
あの有名な 徳川美術館の「しかみ像」
顰{しかみ}とは顔を<しかめる>の意味
能面の一ジャンル
大江山/羅生門/紅葉狩などのシテがつける
鬼形の面

ホラー映画を見過ぎた今の世の者には滑稽にさへ見へる
左手を顎に当てゐるのは 
首が胴につながっているかどうか たしかめてゐるのだ

三方ヶ原で武田信玄に惨敗
乱戦の渦中からだだ一騎だけで逃げ帰つた
九死に一生を得て戻つてきた 三十一歳の家康
家康 敗戦の苦汁 自らを戒める
絵師に「しかみ像」を描かせ座右に置ゐた

高度成長期 成功者の戒めの逸話として絶賛
さすが家康 信長や秀吉とは違う
政治家 社長 己の「しかみ像」座右に置ゐた

事実
家康が描かせたのでなく
家康の九男坊 
尾張家初代 徳川義直
父・家康の苦難を忘れないようにと狩野探幽に描かせた
尾張徳川家十九代 徳川美術館を開いた徳川義親 語る

事実は 伝承/通説よりつまらない

床の間のある部屋に
祖父の肖像画 飾られてゐた
後年 祖母の遺影 隣に飾られた
肖像画 写真にとつて変わられて 久しい
して いま霊前でも遺影はスナップ写真に変はる
それでいい

さて 葬式用の写真 撮つて於かうかな
笑はうかな
息子ら 父の苦難を忘れないように
「しかみ像」にしようかな
2023/01/12(木) 晴れ


初恋


♪好きだよと 云えず 初恋は〜
若き日の家康 初恋の人誰であつたらう

築山殿
「肌の白い超美人」との伝承
この伝承もとに昭和の世 描かれたのが
いまある肖像画
肖像も木像も残ってない 
伝承を元にした想像の産物

若き日の家康 初恋
お田鶴の方[{おたづのかた} との伝承
今川義元の妹 幼名亀姫

築山との間の一男一女
その一女の名 亀姫
男は娘に初恋の女{ひと}の名をつけるとの通説から
築山殿 それ以来 家康の仲 悪くなつたとの伝承

今川義元 姪を格下家康に嫁がせた
三河懐柔策との通説
しかし 幼女だつたとの説も
嫁に格をつける よくある事例 
すると 実の格上・格下結婚ではなかつたことになる
相思相愛もあり得る
築山殿 悪女説も薄らぐ
でも
築山殿 殺されたのは事実
道中での殺され方 二説あり
片方 見苦しい
片方 潔し

浜松に残る伝承
築山殿 かかり付け医者と密通
家康 怒つて殺させた

さて 事実は
事実は
伝承/通説より奇なり
だつたりして
2023/01/11(水) 晴れ


築山{つきやま}殿


大物男優/女優 信長モノ
相思相愛の夫婦との設定
新しくもなく 昔からある説

「どうする家康」
築山殿
悪妻説 払拭 相思相愛の夫婦
新しくもなく 昔からある説

夫婦生活 子らとの家庭生活
冷えつ切つてゐた
築山殿 今川一族
信長を仇とし憎んでゐた

家康が築山殿を見殺しにした
との結果からの想定 創作

映画/テレビドラマ
相思相愛 いいではなか

合戦 武士 生死は宿命
武士だけでない 
当時の武家男女のメンタリティー
恨みは残るが それを振り切つてゐかなけば
あしたは 生きてはいけぬ
悲しくても 腹はへる

築山殿 [あした]を選んだ 
その創作で いいではないか

【歴史上の出来事の なぜそうなつたのか の部分は
後の人間が推測し つくり上げた創作でしかない】
「どうする家康」脚本家 云つてゐた
2023/01/10(火) 晴れ


成上{なりあが}り


家康の父・松平広忠の「松平」どこから来た
松平親氏{まつだいら ちかうじ}から來た
それはたしか

「松平太郎左衛門 初徳阿弥{はじめとくあみ}と号す」との記述あり
徳阿弥と号す諸国遊行の僧
三河國に腰を落ち着け 松平郷の有力者・太郎左衛門の婿に
松平太郎左衛門親氏と名乗る
応永一年(1394)に没したとされる
その年 金閣寺の棟上げ式 二年後に応仁の乱はじまる

親氏から九代目の家康
七代目 清康の憧れてゐた で「康」をとり
織田傘下になると「元康」
織田傘下で力をつけると
義元の「元」も捨て「家康」

「家」はどこからきた
清和源氏の英雄 八幡太郎義家の「家」
松平を源氏の流れとしたかつた
「徳川」はどこからきた
親氏 遠祖は新田義貞の第四子 義家
義家から名字を「徳川」としてゐたから

「家」も「徳川」 すべて詐称{さしょう}
成上り戦国大名 家系 ほとんど詐称
履歴詐称通せる
生き生きとしていた時代だつた
だから戦国モノはおもしろい

杉山家Y染色体血筋
三河の一豪族 
徳川幕府開闢で成上つた
2023/01/09(月) 晴れ


元服


成人式
そんなモン 出るか
十把一絡げ{じっぱひとからげ}の元服など
出るものかと 五十六年前 出なかつた

家康
今川義元の御前で元服
義元 烏帽子{えぼし}親だつたか定かでない
たぶん違うだらう
人質 格下であつた 烏帽子親 史書から消された
徳川筋 義元=烏帽子にしたかつたのだらう

諱{いみな}
「忌み名」の意味 死後に云ふ生前の実名
義元の「元」字が与えられ「元信{もとのぶ」
幼名 竹千代 返上
十五歳であつた

松平家当主 代々 二郎三郎である
徳川二郎三郎元信と称した
「松平」「徳川」
どこから来たのであらう

「杉山」
どこから来たか わかつてゐる
狩野川の上流 山城 杉山城あつた辺り
白隠慧鶴{はくいん えかく}の父親も
「杉山」から沼津に婿に來た
2023/01/08(日) 晴れ


吉法師{きつぽうし}と竹千代


「クリスマス休戦」
最初に聞いたのベトナム戦争か
家康 手を焼いた
三河一向一揆
親鸞命日休戦あつたか
そんなモン あつたわけないか

織田信長 長島向一揆
二万人の老若男女 虐殺
家康 信長の仕打ち どう見たか

家康と信長の最初の出会い
同盟を結んだ直後 正式に対面したとの記述
家康二十歳 信長二十八歳
正式の対面 以前 ふたりは会つてゐなかつたか
会つてゐたはずだ 会わせたかつた
そこで創作者 考える

父・三河岡崎{みかわおかざき}城主 松平広忠
信長=吉法師{きつぽうし}の父・尾張清洲城主 
織田信秀に攻撃されようしてゐた
そこで 駿河今川義元に応援を求め
竹千代を人質に差し出す

竹千代 家臣に伴われ三河港から船に乗って渥美半島田原へ
田原に上陸 したところを
三河田原城主・戸田康光の家臣が待ち受けてゐて
「陸路より海路が安全」と再び船に乗る

戸田康光 竹千代の義理の母の父
安心して船に乗る が 船 駿河に向かわず 尾張熱田へ上陸
竹千代 織田信秀に渡される
康光 織田方に内通してゐた

竹千代 一年間 尾張那古野{なごや}万王寺で監視生活
そこに吉法師 訪ねた可能性あり
との創作者
十四歳の吉法師 八歳下の竹千代 慰めた
との創作者

好奇心塊りの吉法師 
竹千代を訪ねたはずである
訪ねないわけがない

このときの竹千代の吉法師の印象
家康 終生 記憶の引き出しにしまわれてゐた
はずである
2023/01/07(土) 晴れ


切つ掛け


芸能人 事務所退社 独立
なんでこんなこと 大きなニュースになるのか
<エンタメ>に疎い者 不可解だつた

つまり[家]を飛び出し 独歩すると云ふことか
なにか 切つ掛け あつたはずだ

「元信」→「元康」と改名した家康
 [家]を飛び出し 独歩する 切つ掛け
桶狭間 

桶狭間の戰ひ
信長の作戦 諸説 さんざん語りつくされたきた
「どうする家康」
どれを取るかは どうでもよろしい
大河ではじめて
バーチャルプロダクションなるもの使われるさうだ
人手 日数 計費 節約の切つ掛けとなる

切つ掛け 一言で片付けても
事前の準備の仕込みがある
家康の切つ掛けの仕込み
なんであつたらう
2023/01/06(金) 晴れ


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