■松陰の「国」
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江戸期の儒学適武士道 山鹿素行/室鳩巣の流れの「朱子学的武士道」と 中江藤樹/熊沢番山にはじまり 横井小楠/佐久間象山/勝海舟/吉田松陰/坂本龍馬/山田方谷/河井継之助 というふうに継承されていった「陽明学的武士道」
しかし 松陰の陽明学は 「越境」によって得たもの 越境とは 自分を越えることであり その自身とともに「国」を跨ぐことである
山鹿流兵法者になる宿命だった松陰 朱子学的武士道から陽明学的武士道に渡っていくために あえて日本の国境を越えアメリカへ渡ろうとした 自身の内なる国境を越えようとしていたのだ
十一歳のときにアヘン戦争があって このことにいち早く憂慮して鋭い思索と大胆な行動がはじまったと思えば わかりやすいことであるものの 松陰は三十歳で斬首されるのだから その思索と行動は すべて青年期のものだったわけで それにしてもあまりに視野が充実していて かつ自身の内なる「越境」が加速的なのである
このことが見えないでは 松陰はわからない 松陰の「国」というものがわからない
−−−−−−★−−−−−− 赤穂浪士の討ち入り 山鹿素行の影響大と の通説 秩序と知識を重んじる朱子学 忠誠と家名 主君への忠義 親孝行 家名の存続が重視
陽明学 知行合一{ちこうごういつ} 知識と行動は一致すべき 幕末の志士たち 変革期における能動的な行動力の源泉
大石内蔵助の「国」とは
2026/05/02(土)  |
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