■神は ホトケの弟子
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ホトケに武運を祈る 武家以前 朝廷周辺から始まる 蘇我馬子 早くも西暦584年 百済仏(石仏)を本尊として自宅の庭に仏殿
仏教を日本全人民の頭の中に入り込ませたのが 本地垂迹説{ほんじすいじゃくせつ} 神はホトケの弟子
たとえば「八幡大菩薩」 仏(如来)は悟りを完全に完成させた存在 菩薩は悟りを開くことを目指して修行中の存在であるため、 悟りの深さは仏(如来)の方が深いの「菩薩」 ホトケより悟りが浅い 平安時代から鎌倉時代にかけて広まる
話を元に戻し 西暦585年 馬子 政界のライバル 物部氏を攻め滅ぼす そのとき馬子は同盟した厩戸王子(聖徳太子)は木から四天王像をつくり 「今若し我をして敵に勝たしめば当に護世四王の為に寺塔を起立し奉るべし」 と誓う 日本でホトケに「武運」を祈願した最初の記録
天武天皇(大海人皇子) 壬申の乱で勝利 自身が神と同一視されるまでに豪族間で権威を高める にも関わらず 落飾{らくしょく}(髪を落とす)入道した最初の天皇は天武天皇 このあたりから 天皇が官寺を建てさせ 死なせた敵人の怨霊が暴れないように 祭ることが ごく普通になる 朝廷の武運長久は 仏寺に勅願される
そして庶民には 新しくやってきた仏法の理念で統治するから いいんだ 偉いんだと思わせた 「鎮護国家」とは こうした祭政一致の精神をひっくるめて表す言葉 奈良の東大寺のような やたら巨大な堂字や高塔は 視覚によって政敵や庶民を威圧しとようとしたものだ
平安時代 政治闘争を反映して「勝」の字が付く寺が競って建てられた 「自分を勝たせたまえ」と祈ることに他ならない 南北朝に足利尊氏と直義が全国に建てた安国寺や利生塔 それから室町時代の義満が建てた相国寺は不特定多数の戦死者を弔う施設 死者の霊を慰め 供養するのは 骨が埋葬されている寺であって神社ではない その寺の名は「俺が日本の政治を仕切り日本国の平和を維持する」と同時に 無名戦死者にも同情しているぞと宣伝していた
−−−−−−★−−−−−− 本地垂迹説 誰が最初に考え出したのか 日本人の宗教観の柔軟さと云えば 恰好はつくが…………
古代の人々は、なぜ死者を埋めたのだろうか その理由 まだ完全にはわかっていないが 腐敗を本能的に嫌う 腐敗した死体 病原菌や害虫を媒介する可能性がある 人々は死体を埋めて これらの危険から身を守ろうとしたのかもしれない
兵頭二十八氏の論法 推し進めれば 死を「穢れ」と捉え 神聖な神社の敷地内に持ち込まない神社 しかし 埋葬する墓 寺にある 本地垂迹説 ここからではないか? 拙者の推論
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2026/01/27(火)  |
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