■「皇国武士道」
|
ときは明治に 幕末に並びたった武士道と士道に 日本的キリスト教から新たな視点を見出す 新渡戸稲造/内村鑑三 その視点には もはや葉隠/陽明学の区別 なかった 江戸期の武道精神はまとめて日本人の道徳 美学 そのものと見なされた そしてそれ以降 これら多様な武道のすべてをひっくるめて 「武士道」と呼ばれるようになる
田村直臣/松村介石/内村鑑三と共にキリスト教界の四村と呼ばれた 植村正久 「我輩が欲するところの者は洗礼を受けたる武士道である」 「洗礼武士道」である
この考え 明治のグローバリズムのなかで 右も左も 軍人も政治家も商人も社会主義者も受け入れた なうなると 右も左も その勝利に結びつく精神 ずべて武士道という風潮となる
東京大学 日本人初の哲学の教授井上哲次郎 明治三八年『武士道叢書』 <日清日露の戦果は「壮烈なる武士道精神」>
それだけではなかった 大東亜戦争前夜 武士道は皇国思想とも直結されていく 陽明学者 大橋健二 「皇国武士道」と名づけた
このような傾向に警告を鳴らす者もいた 和辻哲郎 『日本論理思想史』 武士道における忠君思想を天皇への忠誠にすりかえた
−−−−−−★−−−−−− 兵頭さん 初めて拙宅を訪ねてきたとき 開口一番 「天皇教武士道」と吐いた 「武道通信」は天皇教武士道になるな と云いたかったのあろうか 「皇国武士道」より名づけて 妙である
2025/09/22(月)  |
|