■諱{いみな}
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年賀状 宛名 杉山頴男 中に「穎」もある 間違ひではない 「穎」正字 「頴」略字
「穎」の「禾」篇 穀物の總稱 特にイネ 「頴」 實つた稻穗に旭が當たるとの意味 ゆゑに「穎」が正字 ヒの下に禾を書くと 生來の惡筆 禾が大きく書いてしまひ バランスが惡いので 示篇の 略字の「頴」にした ただし 戸籍は「穎」
「穎」の名を持つ歴史上人物がゐる 知る限り ただ一人 伊庭八郎 諱{いみな}は秀穎{ひでさと}
もう一つ 縁がある 伊庭八郎 慶応二年 遊撃隊で上洛 敗れ江戸へ そして轉戰 沼津へ來た 遊撃隊を再編成する して 蝦夷へ渡る
新政府軍 蝦夷地上陸 三隊に分れ侵攻 一つ 江差から海岸戰を松前へ 二つ 江差から内陸部を通り松前と箱館をつなぐ 福島街道の中間點 木古内へ 三つ 江差と箱館をつなぐ山道を二股口へ 二股口を下れば箱館平野北西にある大野村 凾館は喉元に刄を突き附けることになる
伊庭八郎 木古内戰 胸部に被彈 船で箱館病院へ 入院 土方歳三 見舞ふ ときは明治二年五月十日
翌 十一日 歳三 一本木關門附近で戰死 享年三十五 その五日後 十六日 八郎 病者搬送斷り 病院から五稜郭へ 榎本武揚 差し出すモルヒネ 飮み干して自決 享年二十六
その二日後 蝦夷共和國 降伏
土方歳三 伊庭八郎は試衞館時代からの友であつた 歳三 諱 義豐{よしとよ}
諱とは死後の諡 {おくりな} 源流は佛教
歳三 山本常朝でなく 常朝の父・祖父と同じ 「死んだらどうなるか そんなの氣にしない」 タイプ 八郎も同樣ではなかつたか
2021/01/06(水)  |
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