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天下布武


きのふ わがまち 花見客 ごつた返す
隣まち立川 出向く
ごつた返えしてゐた先
高さ3m 頭から尾まで20m餘の恐龍 
のし歩いてゐた
中の黒子
アンドレ・ザ・ジャイアントか
ジャイアント馬場か
吠えて開けた口から 黒子 見えるかと
見えぬ

孫 リモコンだよ
恐龍 ロボットだよ

「時代遲れの男でゐたい」
キザつてゐたジィジ
カルチャーショックならぬ
ジェネレーション・ショック

戰國武士 
火繩(鐵砲) 
これ カルチャーショック

信長 カルチャーショック 
即 好奇心で受身とる
見て 觸り 撃つ

桶狹間から二年 永祿五年
齊藤義龍 死去
十三歳嫡男 龍興{たておき} 跡目相續

信長
義龍死去から二日後
西美濃 侵攻
信長
その際 己の眼で戰場 敵の陣營 
しかと眼に留める

しかと眼に留めたゆゑ
翌 永祿六年
北美濃 侵攻
永祿八年
信長の姉が嫁いだ
大山城 織田信清を 甲斐國へ追ひ拂ふ

しかと眼に留めたゆゑ
美濃の小規模 國人{こくじん}(地頭)ら 
金で動くと 黄金で味方につける

三代目・龍興{たておき} 籠もる稻葉城近くに
附城{つけじろ}築く 敵の城を攻めるため砦 
美濃三人衆と呼ばれた有力國人も投降

信長 孤立した稻葉城 攻め入る
龍興 伊勢長島へ敗走

信長 稻葉城に移り
「井口」から「岐阜」と改名
信長 吉法師の頃の家庭教師
澤彦宗恩{たくげんさうおん}
「周の文王 岐阜から起こり 天下を定む」
故事から岐阜を薦める
信長の印判 「天下布武」
これも澤彦の進言と云はれる

「天下布武」 日ノ本統一の意味でなく
畿内統一
室町幕府再興の意味だとされる

澤彦 臨濟宗妙心寺派
ちなみに 拙家菩提寺 臨濟宗妙心寺派
2021/03/28(日) 曇り


織田信長の謎


先に「“合理主義者”信長」
と題した

合理主義者に“ ” つけたのは
近代で云ふ合理主義であるからだ

信長の[合理}
[物」を見る[眼]だ
そこにある[物」
實感だけを信じる

實感だけを信じる
「刑事のカン」當たるとき
既成概念だけで物事を理解しようとする合理
「プロファイラー・データー」外れるとき

桶狹間合戰 一年前に戻して
永祿二年(1559)
信長 突然
「さうだ 京へ行かう」
京都・奈良・堺 見物

本當のわけ 征夷大將軍足利義輝に拜謁
「尾張の頭 織田信長です」とアピール

義輝 三好長慶と和睦し 五年前 京に戻つてゐた
戰國の世 征夷大將軍 放浪者
戰國の世 征夷大將軍手中合戰

天皇に殘つた權力 征夷大將軍使命權

[物」を見る[眼]
信長の[合理}
天皇 どう見てゐたか

織田信長の謎
2021/03/27(土) 晴れ


運ハ天ニアリ


今川義元 餘は滿足ぢやと
謠{うたひ}を唄ひ 陣を駐留させる

信長 義元陣を遠目から見てゐる
信長 今川最前線となる中島砦へ行け
號令 發する
「殿 いましばらく」と家老衆 
「中島への道 脇が深田で足をとられ
一騎づつ縱隊でしか進めません
二千と云へども敵方からまる見えになつてしまひます」

家老衆 信長の馬の轡に取りつて歎願
信長 「で あるか」
とは云はなかつた 

信長 中島砦から更に先へ
また家老衆 信長の馬の轡にすがりつく

信長 
馬上から あの甲高い聲で 激 飛ばす
「おのおの よく聞け
今川の武者どもは 前日の宵 飯を食ひ 
一晩中歩き通しで兵糧を運び
鷲津・丸根の戰ひでクタクタだ
こちらは新手{あらて}の兵だ
<小軍ニシテ大敵ヲ怖ルルコトナカレ
運ハ天ニアリ」
この言葉を知らないか
襲ひ掛かつてきたら引け
引いたら攻め込め
なんとしてもひねり潰せ
たやすいことだ」

ここで【分捕{ぶんどり}高名するな」
首を刈つてる時間はない
刀をぶんどつてゐる暇ない
狙ふは義元の首 一つ

更に鼓舞する
「合戰に勝てば この場にある者
家の面目 末代まで高名であるぞ
ひたすら勵め」

途中 熱田神宮に寄つて
必勝祈願もしなかつた信長

突然のゲリラ豪雨
信長陣 背に受ける
義元陣 正面に受ける
運ハ天ニアッタ

運とは 自分で引き寄せるものだ
待つてゐるものではない
2021/03/26(金) 晴れ


將棋


信長と違つて
お行儀の良い神童
藤井クン 
“神の一手”
四年連續 最高勝率最多勝・最高勝率

信長 
將棋 好きだつた
師匠もゐた
師匠 桂馬を巧みに使ふので
信長 旧名を改めて 「宗桂」の名 與へる

信長 家臣に將棋 勸める
「將棋 陣法を象{かたちど}つたものだ」

敵陣 飛車角 殘つてゐても
王 取れば勝負あり

鎌倉の世から
合戰 首狩り合戰
最後の止め
大將の首

桶狹間
信長
【分捕{ぶんどり}高名するな」
(敵の首 刀 奪ひ散るな)
義元の首 唯一つ

將棋の駒
はじめて 手にしたのは十歳ごろか
棟梁だつた祖父の弟子に教はる
棟梁 昭和十七年 沒
戒名 法嶽良雲

弟子 訪れた折
なぜか 棟梁の孫に將棋を教へた
「將棋 建築法法を象{かたちど}つたものだ」
どうかは知らぬ
2021/03/25(木) 曇り


“合理主義者”信長


『信長公記』
【熱田まで三里の道のりを一時{いつとき}で驅け拔け
辰の刻(七時〜九時)に
上知我麻{かちかま}神社の前から東を見ると
鷲津・丸根の城が落膽したやうで 煙があがつてゐた】
信長に從ふは 武者六騎 雜兵二百
(太田牛一 同行してたたかは定かでない)

【濱邊を通つていけば 近いけれど潮が滿ちて濱を滲し
馬の歩行には困難であるので
熱田から上手{かみて}の道を
馬をもみにもんで驅けさせ 
まづは丹下の岩へ行き 
それより善照字の佐久間信盛が居陣する砦へ出向ひて
軍兵を集結させて陣容を整へ 戰況を視察した
敵今川義元は四萬五千人を引率して 
桶狹間山に人馬の息を休めてゐた】

濱邊 潮が滿ちてゐなければ
熱田神宮 素通り

信長 熱田神宮 武運祈願
講談本のハナシ

神佛の加護
コノ手のハナシ 數多ある
“合理主義者” 信長
コノ手のハナシ 嫌ひである

信長 12チャンネル「池の水全部拔く大作戰」
より早く 池の水 拔てゐた
『信長公記』にある 年次の記載ない
桶狹間の前だらう

清州から五十町(約5.5q)東
蛇池{蛇池}あり
村の者 池の淵 歩いてゐる
一抱へもある黒い物體 目撃
顏 鹿のやう 眼 星のやうに光 輝く
舌 手を開いたやうに
身の毛よだち 恐ろしさのあまり逃げ出す

信長 この噂聞き 目撃者を呼びつけ
直にハナシ聞く

信長 「蛇池の水 全部拔け!」と號令
周邊の百姓を動員
四時間ほどかかつても七分ほどしか減らない
しびれを切らした信長
脇差を口にくはへ 水の中へ
化け物 見つからない
泳ぎ達者の家臣を潛らせたが 見つからない

蛇池と名がついてゐるから 古くから傳説があつたのろふ
信長
ハナから化け物などいないとわかつてゐた
村人にわからせたかつた

もう一つ これも年次の記載ない
當時の裁判に
「火起請{ひびしよう}」判定
神前で灼熱させた鐵片 
掌にのせ 二三歩 歩いて 棚の上まで運ばせる 
棚の上まで運べば 無罪 要は神判

信長 鷹狩の歸り
この「火起請」の場 さしかかる

無罪主張した盜みに入つた男 
鐵片を握つたが途中で落とす
もう一度 やり直しのところを
盜みに入つた男 權勢を振るふ池田勝三郎の家來
同じ池田の家來たち 
それでもういい 無罪にしようとしてゐた
信長 それを見破る
信長 「もう一度 鐵片を燒いてみろ」と
信長 燒いて赤くなつた鐵片を自ら掴み 
三歩 歩いて棚の上に置く

信長 その後 盜みに入つた男を死罪とする
盜みに入つた男
信長の乳母の息子 池田勝三郎の家來
依怙贔屓が嫌ひな信長

それだけでない
要は<神判>などが嫌ひなのだ

比叡山燒き討ち
信長しか できなつたこと
信長だから できたこと
2021/03/24(水) 晴れ


“途中下車”だつた熱田神宮參拜


戒名 
賊名を捨て 佛樣の弟子となる名
ありがたや ありがたや

もう ありがたがる者 いない
呼ばれたい名なるもの
つけたければ 自分でつける

明治維新 
西歐のマネ
してはいけないこと していいこと
してはいけないこと その一つ
夫婦別稱 西歐のマネ

歸蝶さん 結婚しても
苗字 家の名 齊藤

信長
「敦盛」 舞ひ唄つたあと
具足を寄こせと云ひ
物具{ものぐ}を身に着けさせながら
立つたまま茶漬け喰らひ
白米ではなからう 麥と粟の混ぜご飯
兜をかぶつて出陣

「草薙神劍」が祀られた熱田神宮へ
必勝祈願のために 
立ち寄つたのではない
熱田神宮 “途中下車”だつた

それは あした
2021/03/23(火) 晴れ


謠{うたひ}


今川義元
首 討ち取られる前
謡 唄つていた

織田軍中島砦の三百人
信長 熱田で出陣したと聞き
義元 居る本陣へ斬り込んだ
今川軍 これをあつさりと討ち取る

義元
「我が矛先 天魔鬼神であつても防ぐことできないわ」
とご滿悦
謠 式三番 唄う
「高砂」「鶴龜」「難波」

謠 
能の台詞 それのみを謡うこと
桶狭間の頃 もう猿楽に近くなり
今流で云へば流行唄

♪ありのままの
 姿見せるのよ
 ありのままの
 自分になるの


今流で云へば何であらう
容易にはかり知ることのできない
幽玄など どこにも見つからない

戰國武將
能の どこが氣に入つたのだらうか
公家への對抗文化でなかつたか
2021/03/22(月) 晴れ


リーモート法事


緊急事態宣言 解除
と云ふわけでなく
土曜から 一泊小旅行

岸に寄せる波の音
諸行無常の響あり

松林 吹き拔ける風の音
彼岸と此岸{しがん}
行き交ふ響あり

コロナ禍 流行るであらう
リーモート法事なるもの
先祖供養の理{おとわり}あらはすか

「桶狹間」つづきは 明日
2021/03/21(日) 晴れ


武道通信かわら版 配信


武士の道。 隨神の道{かんながらのみち}→ 佛教→神佛混淆→禪
→儒教と、その旅姿は變はるが、中身の躰の、その一枚一枚剥いいでい
くとができるものならば、變らぬものが見えてくる。
2021/03/20(土) 曇り


Mind You


信長 側近
弓・鑓の「六人衆」を控へる
弓 三張 淺野長勝 太田牛一 堀田孫七
太田 『信長公記』著者
鑓 三本 伊藤長久 城戸{きど}小左衞門 堀田左内{さない}

信長公記 卷首
クライマック 桶狹間
六人衆 信長に附き添つたらう

今川義元 上洛し天下に覇を唱へることでなく
鳴海(名古屋市)近邊 織田勢を退け
三河國 完全領地化
あわよくば尾張を今川傘下に
二萬五千の兵 今川方發信 水増しあり

ときは永祿三年 五月十九日 夜明け
今川勢 鷲津砦・丸根砦 攻撃開始

前日夕 兩砦から明日 攻めてくるに違ひない
信長に注進
信長 風に柳 雜談にふけり作戰會議も無し
家老衆 
「運が傾くときは 智慧も曇ると云ふが それだ」
家老衆 歸る

近習は別として家臣團
いざとなれな 今川に附けばよい
それが亂世 戰國の世

朝明けたころ 兩砦 攻められたと注進

『信長公記』
【此時 信長敦盛の舞を遊ばし候
人間五十年 下天の内をくらぶれば
夢幻のごとくなり
一度生を得て滅せぬ者のあるべきかと候て
螺ふけ 具足よこせと仰せられ御物具召され、立ちながら御食をまゐり
御甲めし候ひて御出陣なさる】

幸若舞曲『敦盛』
下層の天 下層の四王天 四王天の一晝夜は人間界の五十年
人の一生など 夢まぼろし 
生をうけて滅せぬ者はゐない

信長 どうせ死ぬさ 一か八かだ
で『敦盛』舞ひ唄つたのでなない
心 靜めたのだ

Mind You
いいか よく見ろ

いま自分の立つてゐる處はどこか
足元を冷靜に見つめるために
目の前にあるものをきちんと見るために
信長 『敦盛』 舞ひ唄ふ

「桶狹間」つづく
2021/03/19(金) 晴れ


信玄と敦盛


武田信玄
天澤{てんさわ}から さらに信長のこと聞く

鷹野に行く際
二十人の鳥見の衆と云ふ役目を從へる
二里三里 先へ出向かせ
あそこの村に雁がゐる
ここの在所に鶴がゐる
一人は その鳥の見張りに番
あとの一人は信長のもとへ知らせに走る
信長獨自の鷹野の方法も聞く

信玄
「鷹野 遊びと同時に戰鬪訓練 武士の嗜みよして當然よ」
だが 苦りきつた顏つき
信長より十三歳上の信玄
心中 手ごわい奴と

同盟を契つた今川義元が
信長に討たれるとは
信玄 思ひも寄らなかつたらう
信玄 義元に尾張攻め 急かせたに違ひない

信玄 
三方箇原の戰ひで家康を敗退させたとき
信長の首 あと一歩 力んだはずだ
信玄 
喀血で軍を甲斐に引き返す三河街道上
♪人間五十年 下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり

信玄 敦盛 唄つてゐたらうか
2021/03/18(木) 晴れ


信玄が聞いた信長像


講談本でない『信長公記』から

天澤{てんさわ}と云ふ天台宗の僧
武田信玄に挨拶に行つた際 
信玄に問はれる
「上方{うえつかた}はどこに住んでおられる」
信玄 名僧の譽れ高い僧ゆゑ敬語を使ふ
信長の居城清洲から550mほど東と答へる

信玄 信長のありのままを聞かせよと
同盟を契つた今川(駿河)の敵 信長を知りたかつた
天澤 聞き及んでゐること ありのままを話す
≪毎朝 馬を乘りこなす 師匠の下 鐵砲の稽古に勵んでゐる
同じく師匠の下 弓の習練  兵法の師匠をいつも身近に置いてゐる
たびたび鷹野(鷹を使つた狩)にでかける≫

信玄 なにか道樂はあるのか
≪舞を樂しんでゐます≫
師匠はゐるのか と信玄
≪清洲の町人を召し寄せて舞つてをります
「敦盛」の一番しか舞ひません これを口ずさみながら舞ひます≫
ほかに小唄を好んでゐます≫
信玄 變なものを好むよなと で どんな唄だと聞く
≪死のふは一定{いちじやう} しのび草には何をしようぞ
一定かたりをこよすよ≫

現代語譯
「人間はだれでも死ぬもの
生きたときのことをしのぶものとして
生きてゐるあひだになにをしておかうか
人は きつとそのことを想ひ出として語つてくれるだらうよ」

人間はだれでも死ぬもの
人が想ひ出す 生きた證 殘しておく

目の前の そこにある[死]と
日々 對峙してゐる戰國武士
[死]の恐怖に打ち勝つ唄
2021/03/17(水) 晴れ


主君との家臣の[絆]


♪十八 十九 二十と
オレの人生 戰さばかり

主だつたもの舉げると
天文二十一年 四月
父・信秀 死去 で 鳴海城主 今川を味方し尾張に亂入
同年 八月
清州の四人衆が謀議 深田・松葉兩城に襲撃
天文二十三年 一月
駿河勢が立てこもる村木{むらき}城 攻め 
天文二十三年七月 
柴田勝家らは弟・信勝を擁立すべく舉兵
永祿元年
信行 再び謀叛を企てるが 柴田勝家の密告
同年
信長は病と僞り 信勝を清洲城にて殺害


村木城 攻め
城の北は難所であるが手薄
東は表口 西は裏口
南 大堀をかめのやうに掘り下げた鞏固の構へ
信長 南方を受け持つ
若武者  我先にと攻め上がり 
突き落とされ 這ひ上がる
繰り返す 
よつて死者 負傷者 數多

信長 お堀にて 鐵砲で狹間三つに分け
鐵砲を連射させる
信長 自ら鐵砲 撃つ
それを見て
兵らは我も我もと堀へ取りつき
つひに突き崩した

若武者とは馬廻・小姓ら命知らずの旗本ども
死者 負傷者の名を聞く
信長
「あいつも死んだか こいつも討ち死にしたか」
涙流す

美濃に歸つたレポーター
道三に報告
道三
「恐るべき男だ 隣國にゐてほしくない男だ」
このネタ 講談本だらうが
信長がカリスマ性を表した一戰であつた


<我も我もと堀へ取りつき>
死に急ぐわけではあるまい
死は恐しだらう
生に未練はあらう

主君との家臣の[絆]
どう言葉にすればよいのやら
2021/03/16(火) 晴れ


經典


信長と道三 會見地
美濃と尾張の國境い 富田
美濃と尾張 兩守護から諸役(税)を免除されてゐた
暗默の中立地帶 

美濃 <樂市・樂坐> 
道三との會見地 この富田がヒントだつたやも知れぬ

會見寺 聖徳寺 親鸞を宗祖とする眞宗派
父 葬儀 萬松寺{ばんしようじ} 曹洞宗
信長建立 平手政秀の菩提寺 政秀寺{せいしうじ} 臨濟宗

大名の息子 家庭教師 多くは禪僧
信長 家庭教師 臨濟宗 澤彦宗恩{たくげんさうおん}
臨濟宗 特に經典は無い
釋迦の悟りは言葉にできないと シャイである
どほりで 信長の戰術
經典は無かつた
2021/03/15(月) 晴れ


三つに一つは嘘


平手政秀の腹切
『信長公記』
【さて 平手政秀は信長公の實直でない性格を悔やみ
これまで後見してきたが その效果が表はれないので 
生きながらえも無益であると云つて 腹を切つて果てた】

コノ<さて、>の前節が
父の葬儀 抹香投げつけ事件
父が織田家の菩提寺とし建立した萬松寺
尾張中の僧侶ばかりでなく 巡禮修行僧が集まつた
嚴肅な弔ひの場
信長
いつもの アノいでたちで現れ
抹香を佛前に投げつけ さつさと去る
「大馬鹿者」の大合唱
その中で筑紫國から來た僧一人だけ
「いや あれこそ國持ち大名になるお人」

信長 抹香を父信秀に投げつけてのではない
信長 瀕死の父が恢復するやう 萬松寺の僧侶に祈祷を頼む
僧侶ら曰く 「必ずや治します」
信長 抹香は
そこに居竝ぶ萬松寺の祈祷した僧に投げつけたのだ
コレ 伴天連ルイス・フロイト『日本史』
伴天連 佛教は邪教と傳へる

インドから來たパール判事のやうな
筑紫國から來た僧
平手政秀さへ見拔けなかつた
「大馬鹿者」の素質 
なぜに見拔いたのだろか

信長 政秀の菩提弔ふため寺を建立 政秀寺
佛教 嫌つてゐたはけでない

講談本『信長記』
政秀の嫡子の駿馬 信長 欲しがる
嫡子 斷る 
信長と平手家 不穩になる
政秀 惱み切腹 

兄から沼津藩領主を讓られたが斷つた
意地つ張りな大久保彦左衞門 曰く
『信長記』 三つに一つは嘘 

例の「會食」會見
嘘は幾つに一つであらうか
2021/03/14(日) 晴れ


「であるか」


「大うつけ者」の次の條 
後見役 平手政秀 腹切

その次の條
卷首 ハイライトシーン
齋藤道三との會見

齋藤道三から
【聖徳寺まで來てくれたら慶賀の至り
對面願ひたい旨を云つてよこした】
道三からの申し出
トップ同士の會見 當時では異例中の異例
道三 道理の道 
理より實を取る大したタマ(玉)である

道三の實
家臣どもが婿殿を大戲{おおたわ}けだと
口々に云ふのであるから
じかに會ひたい

<息女>からの知らせ屆いてるが
道三 じかに確かめたかつた
<息女>からの知らせ
<たはけでもあり さうでもなく>
なんて意味ではなかかつたか

この會見 圧卷シーン 『信長公記』にある
【髮は生まれて初めて折曲{おりわけ}に結ひ
いつ染めておいたか知る人がゐない 褐色{かちいろ}の長袴を着け
小刀 これも知れず作りおいたのを腰に差した】
【この出立{いでたち} 美濃の衆が見て取り
さては日頃も戲けぶりは故意に作つてゐたことよと びつくり仰天】
ココではない

【(信長)御堂へするすると御出ましがあつて
縁側を上がつた所に 春日丹後守 堀田道空が向かひ合ひ
早くも御出でくださいましたかと申し上げたが
知らぬ顏で 諸侍が居竝ぶ前をするりと通り拔け 
縁の柱ににもたれ坐つた】
春日丹後守は武者頭(侍大將) 堀田道空は家老

【暫くして屏風を押しのけ 道三が出てきた】
道三 遠目から見てゐてカッカしてゐたらう
【堀田道空が近寄り 
こちらが山城守殿(道三)でございますと申すと
「であるか」とおつしやり
敷居のうちに入り 道三に挨拶あつて
そのまま坐敷に着坐した 】

このハイライトシーンのオチ
家臣が道三にむかつて
どうみてもアイツはバカですなと云ふと
【道三が云ふには 
さうであるから口惜しく思ふのだと
この山城の子供は 
あの戲け者の門外に馬を繫ぐことになるのが
必定であるとのみ云ひ放つた】

權謀術數で勝ち殘つてきたマムシ
眼力はさすが
六年後 信長 美濃を支配下に置く

「であるか」
コレ 信長の口癖でない
『信長公記』に「であるか」 ここにしか出てこない

さうか アンタが舅とか 美濃の國盜りか
の「であるか」であつた

「美濃の國盜り」 道三一代でない
父と道三の二代だつた

信長
オレも父と二代で尾張を國盜りする 
の「であるか」であつた

國民的作家も云つてないから 云つておく
2021/03/13(土) 雷


大うつけ者


織田信長キャラクター
決定づけた一條
卷首の七箇條にある

♪十六、十七とボクの人生 暗かつた
ではなく 遊び呆けてゐたはけでもなく
特別これと云つた趣味はなく
【乘馬の稽古をを朝夕行ひ
また 三月から九月までは川に入り
水泳の術に達者であつた】

運動神經 拔群だつたやうだ
それだけでない
戰鬪腦も活溌だつたやうだ

【竹槍で叩き合ふ實地訓練をやつてみて
短くては合戰には不利であると云ひ
柄の長さを三間 また三間半に定めた】
一間は1.82m  三間半で6m
頼もしい若殿だ

【湯帷子の袖を外し 半袴を履き 
火打袋など雜多なものをぶら下げてゐた
髮型は茶筅髮で 紅絲や 萌黄絲で髻を卷立てて結つてゐた
太刀は朱鞘を差し 御供の者にも悉く朱色の裝束を着用させた】
あれあれ 風變はりな若殿だ

だが よく學んだ
【市川大介を召し寄せ 弓の稽古をし
橋本一巴を師範にして鐵砲の稽古
平田三位を常時呼ぶ寄せ兵法の稽古を積んだ
鷹野(鷹狩)もよく行つた】

武家の棟梁になるには 頼もしい若殿であるが
風變はりでは濟まされぬ奇行があつた
【それから 見苦しい振る舞ひがあつた
町を通行してゐるとき
人目も憚らず 栗や柿は云ふに及ばず
瓜を歩きながら かぶりつき 立つた儘で餠を食ひ
人に寄りかつたり 人の肩にぶら下がつたりして歩く
その當時は 世間一般では
禮儀作法が求められてゐた時機であつたので
大うつけ者と呼ばれてゐた】

信長 
自領民に敵に内通する因間
いること百も承知
尾張の嫡子はバカだと
反間で 僞情報を流させた

齋藤道三 耳に入つてゐた
道三 「大うつけ者」に嫁ぐに娘に
うつけ者か うつけのマネしてゐるか
見屆けよ

權謀術數で生き殘つてきたマムシ
反間 百も承知
道三の息女
見破れる眼力 持つてゐたか

マスク 日常の習慣作法となる
眼力 鍛へよう
2021/03/12(金) 曇り


儒教プロパガンダ


九日 十日と
日記には記してゐたが
HPに
UPするの失念
春めいた暖かのせゐか


『信長公記』
卷首の六箇條にある
尾張の情勢
美濃齊藤道三に大垣城にじりじりと攻め込んでくる
父・信秀 意を決し 美濃へ攻撃開始 
戰鬪状態となるが なんとか一時休戰
戰國の世 津々浦々 
戰爭⇔和平 繰り返し 
昨日の敵は今日の友  今日の友は明日の敵

末尾 
【ところで 平手政秀の才覺で
織田三郎信長公を齋藤道三の婿に取り結び
道三の息女を尾張へ迎へられた
それやこれで 何方も靜謐{せいひつ}となつた】

とき
信長十五歳 道三の息女十四歳
十六歳 十五歳との説も
それは どうでもよい 
つまりは中學生同士と云ふことだ
當時は數え歳
當時では常識な年齢

一時休戰なら
嫁は間者 
講談本『信長記』
間者歸蝶のハナシ
 
新枕(初夜)からひと月もたたぬと云ふのに
信長 毎夜 寢牀を拔け出す
歸蝶
信長を問ひ詰める
信長 曰く
「齋藤家の重臣 道三に謀叛をおこすことになつてゐる
首尾よくことが運んだら狼煙があがる手はず
だから毎夜 狼煙が上がるのを待つてをるのぢや」

歸蝶 織田家に忍び込んでゐる間者を美濃へ
父道三に知らせる
歸蝶 道三 
信長の罠にはまる
嫌疑をかけられた二人の重臣 梟首{けふしゆ}となる

戰國の世はじめ 
講談本 賣れに賣れた
合戰なくなり 合戰バナシに飢ゑてゐた
だけではない
じわじわと 締め附けてくつる
儒教プロパガンダ
息苦しさを<ツワモノどもの夢のあと>
で晴らした

幕府 儒教武士道を規範
儒教 下々にも染み込んでいく
染み込みはじめたとき
幕府が云ふテロ集團
赤穗浪士 
闇夜にまぎれての吉良邸出陣

下々 喝采
信長 桶狹間 彷彿

津々浦々の武士
戰國武士道 儒教武士道 
狹間で悶々
『葉隱』 その好例
2021/03/11(木) 晴れ


老益


月並みだが
歳 重ねると
むかしのこと よく想ひ出す
腦學者の説明 聞くまでもなからう

「武道通信」ノ卷 論客對談
對談後 閑談
論客 一言
西洋の個人主義より
日本の個人主義 強靭
論客 なにをもつて判斷下したか
聞きそびれた

耳底に殘りつづける
後年 自分流解釋みつけ納得

撃劍試合 試合後 汗拭つてゐたら
閃いた

もののふ 出現から
武士の道 はじまり
朝廷・公家のボディガードマン
ボディガードマンから成り上がって
朝廷・佛門を押しのけ權力を持つ 武門に
乱世の世
一番鑓 功名を競つた戰國武士
「戰國の世」 出典 公家さん
隣の大陸 春秋戰國時代の乱世になぞつた

関ケ原合戦終わつて
天下泰平 儒教武士

「天下泰平」 出典 『礼記{らいき}』
儒教 根本の経典である「経書」の一つ

武士の道 いろいろあれど
據るべき心映え
撃劍試合 試合後 汗拭つてゐたら
閃いた
「潔さ」

昨今の
腦科學者 云ふ
經驗多い老人の方が 閃き 生む

明日から また 『信長公記』
2021/03/08(月) 晴れ


生裝束{いきしようぞく}


『信長公記』
卷首 卷頭
【さて 尾張は八郡である】

織田信康を頭に
織田一門が仕切る各郡を解説
して
尾張の西 三河
その隣の遠江は駿河の今川の支配下
「海道一の弓取り」 今川義元 仕切つてゐる
京へ上りたい今川勢と小競り合ひ

信長の父 信秀
那古野{なごや}に築城
のち 吉法丸(信長)に讓る

吉法丸 十三歳で元服
その翌年 初陣(武者始め)
平手政秀が身支度係り
紅筋入りの頭巾 羽織 馬鎧{うまよろい}
駿河の今川勢駐留の三河國吉良 大濱へ打つて出る
火を放ち その日は野陣 翌日 那古野へ

さてさて 武士は出陣の際 目一杯 着飾る
死に裝束と云つてしまへばそれまでだが
月竝みに云へば 死生感

西洋の個人主義
Godと對峙した
一對一の  
Godとの契約の個人主義

戰國の世の武士 
いまそこにある<死>と對峙した
一對一の
潔く 死を受諾する個人主義

死を受け入れ 生を勝ち取る
生裝束に非ず
生裝束{いきしようぞく}
2021/03/07(日) 晴れ


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