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街宣車


兵頭 → 敢えてインターネット選挙運動を展開されたと思いますが
有権者の反応はいかがでしたか?

【杉山 → 総論的に言えば、地方選のように立候補者の実像が明かであり、利害関係が明白での二者択一なら有効であったろうが、密室間での一対多数(有権者)へのメッセージは言語での理解、賛同は生まれるものの、投票動機が生まれる実像までは見えてこなかった。

 インターネットは短期間で無名だった杉山の主義主張を多くの人に知ってもらうことはできたと思うが、集票装置を生み出す運動体としては、まだ時間がかかる。でも選挙選にインターネットの活用が常識化したとき、今日、テレビが一番の投票動機を生み出すものになったように、有効性を発揮するのは時間の問題。

膨大な金と組織票がなければ「普通の人」は絶対当選できない。今の選挙制度を見直すためにも、ネット選挙を認めさせ、候補者の所信を知る最も便利なものがネットであり、そこで質疑応答ができるということを常識化させていくべきだ。
 しかし当然、何十年も金と組織力を使って作りあげた選挙基盤を持っている勢力は、あらゆる手段を使って妨害するだろうし、この地盤を手放したくないから二世、三世議員が続々と生まれるもよくわかった。この二世三世現象は明治初期、維新の大儀を曇らせた藩閥政治の根を同じで潰さねばならない。

 インターネットの規制について言えば、自由連合も当初、各支部の希望があればと候補者のHPを作ってくれたが、公示前日、中止となった。私的のHPでの選挙活動も止めてくれとの連絡があった。これはインターネットの認知がまだ定まっていない現状で起こりうることなので、仕方がなかろうと執着しなかった。ただ「武道通信」のHPでの参議院選挙、自由連合の名を除いて、日々日記風に綴り、これは選挙運動ではなく政治運動だ、文句あるか(笑)という範疇で続行しました。
 立候補の話があったとき自分は街宣車に乗りたくない。それでいいかと了承をとった。だから街宣車には乗らないつもりだった。】

兵頭 → 大橋巨泉候補 やはり乗らぬつもりだったが
ライバル候補からあれこれ叩かれたので 初心をひるがえし 
しぶしぶ炎天下の街頭演説に出ざるを得なかったようだ
杉山さんの場合 どんな経緯で

【杉山 → 一人だけ密室でキボードとマウスで選挙戦をやることは異端者。同じような候補者が2、3人いたら、これはこれで認知されたのでしょうが。ビルの何階かの共同事務所から駐車場に「杉山ひでお」と書かれた街宣車がポツンと一台停まっている。各候補者がライバルであると同時に自由連合としてのチームプレーはあるだから。自分も長くリーダーをやっていたからチームの中のたった一人の異端者は許されない。それはわかるから乗ることにした。
 街宣車に乗って良かった。五感で「日本の選挙」を知ることができたし、活字でなく声の言葉で訴えて生まれる「情」と、その快感も知った。】

−−−−−−★−−−−−−
街宣車初日 日比谷あたり走っていたら 大橋巨泉の街宣車とすれちがった
そのとき 吾が街宣車のウグイス嬢 「大橋巨泉候補 がんばってください」
そのとき 「えっ 応援されちゃった」と巨泉の声
2025/07/24(木) 晴れ


インターネット選挙運動


兵頭二十八の赤尾敏評
【兵頭 → いや〜。素晴らしい、赤尾さん。赤尾さんはそんな理知的な演説をする人であったのに、昔のナポレオンやヒトラーのような、政治運動員の「ルックス」に配慮ができず、庶民に理知的右翼の正確なイメージを伝達することには完全に失敗したと思います。たくさん貼ったアジビラの出来も悪かった。つまり、主張が良いだけでは、大衆時代の議会勢力とはなれないのですね。】

 ハナシはンターネット選挙運動へ
 うしろだての何も無い者の国政参加というと、私たちがこれから期待をかけたいのが「インターネット選挙運動」です。今回は民主党がそれをやろうとしたが、それは文書図画{とが}」の配布に当たる。公職選挙法違反だ――と警告され、結局、諦めたそうです。しかしこれは判例ではありませんから、法廷で争ったらならば司法の判断はわからない。でももしンターネット選挙が判例でも公選法違反になったならば、将来、超有名TVタレント以外に誰が参議院議員になれるだろか? 杉山さん今回、敢えてインターネット選挙運動を展開されたと思いますが、有権者の反応はいかがでしたか? 】

−−−−−−★−−−−−−
総務省 <インターネット等の普及に鑑み 選挙運動期間における候補者に関する情報の充実有権者の政治参加の促進等を図るため
平成25年(2013)年の法改正(議員立法)(4月)によりインターネット等を利用する方法による選挙運動が解禁されました>

平成25年7月21日 参議院議員通常選挙開票日
「インターネット選挙運動」待ち望んでいた候補者 
どのくらい いただろうか

赤尾敏の姪 赤尾由美
いまTVニュースで連呼されている「参政党」
元参政党共同代表 その躍進に貢献した「ゴレンジャー」と呼ばれる
現代表を含む五人の一人だった
2025/07/22(火) 晴れ


本日は 武道通信かわら版 配信日


本日は 参議院選挙 投票日
長男が一歳ごろ アパートの二階窓から
風船を持った親子連れ ゾロゾロ通るのが見えた
子 風船に見入っている
あの風船 ほしいのか
スパーの開店記念日か

子の手を引き 反対方向へ
スパーの開店ではなく 選挙投票所
家に戻り 選挙通知なるもの持って戻る

学生時代 <学生運動>なるもの チョコとかじり
もう 政治的なるもの係わらないと 断じた
なのに <親心>で一瞬にして 崩れ落ちた 
  
期日前投票 有権者の20.58% 過去最多
拙者も その中の一人
2025/07/20(日) 晴れ


赤尾敏


兵頭 → それでは闘いの渦中の手応えとか心境についてお訊ねしたい
活字やインターネットなど手慣れたメディアを通じて意見を述べることと
初挑戦の街頭游説で通行人へ自分への投票行動を促すこととは 
だいぶ勝手が違ったと思うんです
あの17日間で「発話言語による戦いの作法」は掴んだという実感は?
つごう4日ほど杉山さんの選挙カーに同乗して応援演説までやらせてもらった私の印象では 杉山さんは日とともに「烈錬」していくのがわかった
特に終盤の調子で初めからガンガンやっていれば イイ線にいったかも

【杉山 → 29日の投票日の夕方、これから自由連合の開票発表会場へ行こうという前、徳田代表を交え数人の候補者でお疲れさん会があった。その席で「もう三、四日あれば街頭演説は完成したのに残念だった」と話した(笑)。というのは、最後は自分が本当に言いたかったことが、自然と結晶化されてきた。】

兵頭 → いや 実は私自身も「作戦家失格」だと反省しきり
やはり未知数の戦場での初陣は「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」
つまり戦いながら技を覚えるほか手はなかったなぁ〜と
多くの代議士の方々 初回の選挙は無我夢中だったが 二回目から選挙が好きになったと述懐されるのが常

【杉山 → わかりますね(笑)。今度やったら----と、つい思ってしまうのを
慌てて頭から振り払う(笑)

兵頭 → その昔の参院「銭酷区」 無名人なら五億円ぐらい用意しなければ全国区で当選など望めない 大仁田厚さんの談話 どこかで読みましたが
はじめ自由党から出ようとしたとき「一億円用意できますか」と言われ断念
次に自民党から誘われたときそんな話は出なかったの立つ気になる

【杉山 → まさに百聞は一見にしかず」で、立候補者の立場で選挙を見て、いや見てと言っても針の穴から見た程度ですが、我々市民感覚にない膨大な金がかかるということに驚きました。日本の政治風土、利権政治の構造が一瞬パノラマのように目の前に現れた。「知ってるつもり」だったが目の前に見せつけられ唖然とした。
 数寄屋橋交差点で街頭演説をやった。この日は自由連合のステージカーに乗り、高い所から叫んでいたら、亡くなった赤尾敏さん(大日本愛国党総裁)を思い出したんです。よくここ数寄屋橋でやっていたなぁと。いま自分が叫んでいることと赤尾さんとは日米安保条約強化と破棄の違いはあるものの、そんなに変わらないのではと(笑)。その夜、HPで「赤尾敏」を検索してら中に十年ほど前の演説内容があった。
≪今の選挙は公正選挙を偽装した不公正極まるインチキ選挙だ。権力や大政党や大組織や金力などのバックによる者は当選しやすく、そうでない者は、たとえ優秀な者でも極端に不利になっている。その上、世論を作る新聞、マスコミ等が厳選な選挙の最中に行き過ぎた予報記事等を流し有権者を誘導する。≫
自分も、この赤尾さんの言葉一字一句違えず、落選の感想として使わせていただく(笑)。】
2025/07/18(金) 晴れ


草莽!杉山奮戦日記


徳田虎雄代表 杉山さんはどんな印象をもちました?
【杉山 → 出会い頭、プロパカンダがマシンガンのように止めなく放たれた。功なりた人のバイタリティを感じた。プロパカンダがつづく中、自民党を離党して、昨年の総選挙で自由連合から出馬した栗本慎一郎氏が訪れた。栗本氏が数日前、テレビで「医療ミスは偏差値の低い医師に多い」とのコメントしていたのを偶然観た。この話に触れたとき徳田代表は「いや先生、それは逆なんです」と素人にもわかる明確さで論破した。栗本氏も、いやそのとおり。あれは失言でした。次回で訂正しますと言った。その時の徳田代表に顔は元に戻ったと言おうか、先ほどの灰汁{あく}の強さと違う清浄さが立ち現れた。ああ、これがこの人の素顔だと思った。
 病院をつくった原点が、開業医の功利的な非常さで弟を亡くして経験から貧乏人でも差別なく医療できるようにすることだと言う。徳洲会の24時間医療体制が開業医組合である医師会と対立することも理解できた。】

兵頭 → 徳田氏は議会政党の党首となることで 商売仇である日本医師会と対等に渡り合いたいだけなのか それともこの日本国の明日に対して抱くポリシー 大儀のようなものがしっかりある人なのでしょうか?

【杉山 → 西郷隆盛を敬愛し、明治維新の志士を憧憬し、いま日本は維新を起こさねばならないとい意識は強烈で、医による「世直し」という大儀を持っていると感じた。そのための病院づくりも医師会の政治力に対しての政党づくりではないかと。
 今度の選挙は「構造改革」が論点となろうが、所詮、自民党である小泉内閣のやる構造改革は、すでに既得権を有している者が、そも利権構造の根っ子は手放さず、日本人特性の自己犠牲精神を利用した「痛み」というキャンペーンでの弱者を産み出す以外の何ものでもない。
 これに異議を唱える正統性を持つのは救済の実践者である徳田虎雄の率いる自由連合ではないか。そう思い、この右も左もごった煮スープの自由連合で、一介の編集者である自分も、危機的状況に陥った日本の再生は武道精神を基軸に置くことだと言うことを読者でなく国民に向け主張させてもらおうと思った。】

ワイマールの没落の要因からはじまった兵頭さんのウンチク 最後は
兵頭 → プロレスファンが1千万人もいるから当選できるだろうと思ったんですか?

【杉山 → あり得ないこと(笑)。自由連合が比例区・選挙区合わせ92名立て、当選可能は2名という選挙の常識も知っていた。プロレスファン1千万人の主催者側の発表の類(笑)。プロレスファンが投票するなら佐山聡でしょう。
 比例区選挙で無名候補者の選挙運動は駿河湾に小石を二つ、三つ投げ込んで起きる波紋のようなもの。杉山候補に投じられる票は、その波紋の中で杉山の所信に耳を傾け、大いに賛同してくれる人。「武道通信」の愛読者、友人、知人の中のごく一部の律儀者だけだろう(笑)。むしろ確実なのは郷里の親族が駆け回って集めるだろう地元組織票だと思っていた(笑)。後日談だが、この組織票も田舎者の律儀さから「自由連合・杉山」と書いてゆえ個人票にはならなかった票が多くあったと聞く(笑)。
 でもそういっても「当選するぞ!」と自らが騎手であり競走馬であると自覚し、走ることをしなければ、朝8時から夕方8時まで街宣車に乗って17日間もの選挙運動などできなかった。
 自分は編集者を職業として、編集者の仕事の一つは、次の時代の空気をいち早く嗅ぎ分け、その空気を漂わせている人を選び、黒子として舞台装置の上に乗せ、世間様にあなた達が求めているのは実はこれなんだと差し出すことだと思っている。編集者は時代精神の陰の語り部であると自覚している。しかしこの選挙戦は、自分が確信している次の時代の空気を自分の言葉だけで語る経験をするだろう。それを一度経験してみたいという気分になったこと、またインターネットでのこの選挙運動の成果に興味があったからだ。強いて言えば立候補に踏み切らせた動機はこの二点だった。】

−−−−−−★−−−−−−
自由連合 最初はネットCM動画制作 OKした
若手がつくってくれた が 突然 NО
自民党の圧力に屈した
ジバン(地盤)/カンバン(看板)/カバン(鞄)の
既得権を持つ者たち 
<ネット>不気味な存在 恐れた

で 頭にきて(笑) 
HPに「草莽!杉山奮戦日記」をUP 選挙運動のスピーチした
既得権への精一杯の抵抗だった

記憶にある 立候補が発表されずぐ ある団体からメールがあった
「武道通信」のインターネット販売を知っている者だろう
「選挙におけるインターネット運動をどう思うか?」
すぐ 返答した 

各政党/候補者
X(旧ツイッター)/ユーチューブ/TikTokなどで
支持を呼び掛ける動画を数多 配信
時勢の感
2025/07/16(水) 降ったりやんだり


街宣車から見えた日本


参政党から立候補した “謎の新人”さや 候補
そのむかし 二十年前か
日本文化チャンネル桜 『週刊 武道通信TV』のMC やっていた
その女子アナ 三代目 扇さやさんだった
光陰矢のごとし

「杉山ひでお」も二十五年前 参議院選出馬した
【この国は なぜに脆弱になったか】と同巻
【杉山ひでお参議院選挙報告
 街宣車から見えた日本
――日本人の「新しい選挙教科書」はテレビだった
             聞き手 兵頭二十八】

コレ 兵頭さんからの企画だった
兵頭 → 投票日から2週間たった今 聴いてみたいと思います
突然決まった立候補という印象を受けました
ご本人は一体いかなるおつもりだったんですか?

【杉山 → 自由連合から立候補の話を受けた時、「よりによってなぜ自分が?」という驚きが真っ先にあった。一介の編集人、出版人ごときが政治の表に出るなど片腹痛いと、自分自身を笑う気持だった。かつて自分が国政選挙に立候補することになるなど夢想も、空想もしたことなかった。でもこの「なぜ自分が…………」という思いは個人差はあろうが、今回の自由連合候補者の無名の候補者の多くが思ったんではないだろうか。】

兵頭 → 「自由連合」は昔からよくご存知だったんですか?

【杉山 → 政党の名だけは知っていたという程度だった。徳田虎雄という人も、医師会の体質を批判して徳洲会を作った医師で、だいぶ前、奄美大島で壮絶な選挙戦をやった人ということぐらいしか知らなかった。ましてや前回の衆議院選に123名もの立候補を立てるなど知る由もなかった。
 だから断る理由を探そうと自由連合のHPを検索したら「党議拘束はない」と言う。「拘束するものがあるとしたら、それは自分の良心である」とある。まったく政党の体制を維持していない危うさと同時に無垢さ、面白さを感じた。でも、でも断る理由が見つかった。自由連合の石井一二幹事長(前参議院議員)が所信で憲法9条を堅持すると言っている。これは自分が立候補する政党ではない。そう言ってお断りした。
 でも、これこそが自由連合の骨頂だと言う。今回の立候補者には右御も左もいる。まさにごった煮だと。そのとき呉智英さんの対談タイトル「和をもって尊しの和はごった煮スープ」を思い出した。「普通の人」を国政に参加させるのが自由連合だと。自分に声がかかるんだから、まんざら嘘でもあるまい。まさにありえない無党派政党がここにあると知った。】

兵頭 → しかし あんな多くの「タレント候補」に ご自分が混じることについて 違和感はなかったのですか?

【杉山 →承諾した時点では、その気配はあまりなかった(笑)。それはそれ以後、タレントと呼ばれる人が多く出ることを知った。自分は長くスポーツ出版社にいたからわかるがスターの座につく人は優秀です、いまの政治家を全部ととっかえたい気分の中で、タレントと呼ばれる人の方がましであるし、<乱立>の危うさは、今のあきらめ選挙への挑戦であり、大政党につぶされないためのしたたかな戦術でもある。それがHPで感じた自由連合の無垢さであり、面白さなのだと思う。】

兵頭 → 私は週刊誌に載っているプロフィールぐらいしか知識は持ちませんが徳田虎雄代表に実際面談なさって 杉山さんはどんな印象をもちました?

今 参議院選投票日まで まだ遠い
次回につづく
2025/07/14(月) 薄曇り


紫電改


前田 → 大戦末期 今日も空襲 明日も空襲という時に及んで
陸軍 海軍 物資の奪い合い
戦闘機なら開戦前は「零戦」 
末期になったら陸軍に「疾風」とまとめてしまえばよかった 
経費の無駄と時間が省けた
海軍 陸軍とも別々に制空戦闘機 極地戦闘機とか
何だかんだ十何種類 中島 三菱 大西に発注している

兵頭 → おっしゃるとおり まあ こういうことなんです
日本は封建的で戦争に負け アメリカはリベラル体制で勝った
これはまったく事実でない
列強の中で最高度の統制体制を構築して戦争を指導したのが
フランクリン・ローズヴェルト政権
彼の地獄の統制力と比べたら ヒトラー スターリン 足元に及ばない
統制が何もない国だから 海軍系工場を陸軍の「疾風」の生産に協力させることすら不可能だった
「疾風」はフィリピン決戦から沖縄特攻までずっと活躍していたが
海軍の「紫電改」は比島には間に合わず 脚が短くて沖縄まで飛べなかった
 ※脚 → 着陸装置(ランディングギア) 着陸時や地上走行時に機体を支える役割を果たし 車輪、支柱、緩衝装置などで構成されている

前田 → 紫電改は性能が疾風にくらべ劣っていたし よく空中戦中に空中分解した

兵頭 → 紫電改 戦後 源田実さん 本に書いたから有名になった

前田 → 陸軍 「隼」の試作品の段階で海軍のナンバーワン零戦と戦闘させたがかわない じゃ 零戦に負けない戦闘機つくろうと
何考えているんだ 同じ味方同士じゃないか 零戦借りてくればいいだろう

兵頭 → 隼 零戦と同じ航続力があれば良かったが 脚も短いものだからインドシナ半島の基地から攻撃目標のシンガポールまで往復できなかった
しかたがないのでエアカバー(上空からの敵機の攻撃を防ぐための航空機の支援活動)のかろうじて及ぶマレー半島北部に部隊をいったん上陸させ 
そこから延々と自転車でシンガポールまで南下させてこなければならなかった
隼の変わりに零戦を使っていれば最初から半島南部まで上陸でき「銀輪部隊」も不要であった

前田 → 陸軍と海軍の協力体制がうまくいっていれば
あんなひどい負け方はしなかったでしょうね

−−−−−−★−−−−−−
紫電改 本がマンガになった
「紫電改のタカ」 ちばてつや
『週刊少年マガジン』(昭和38年から昭和40年
ページめくった記憶 かすかにある

ストーリー ウィキペディアから
<太平洋戦争末期 当時日本領だった台湾の日本海軍高雄基地から始まる
高雄基地駐留の帝国海軍第701飛行隊は20数機そこそこの編隊
50機以上の米海軍戦闘部隊との決戦で飛行隊長を含むほとんどが戦死
主人公の滝をはじめ紺野一飛曹 久保一飛曹、米田二飛曹の4人が生き残り
後に源田実が設立させた防空部隊の三四三空(松山三四三航空隊)
通称“剣部隊”に編入し 活躍する
主人公の滝城太郎は新戦法をあみだし やがて撃墜王となってゆくが
終戦を目前にして特攻隊員として出撃してゆく>

紫電改 性能が悪かろうが
紫電改モノガタリ 敗戦後少年の屈辱感を払ってくれた
2025/07/12(土) 晴れ


真珠湾攻撃


前田 → 『真珠湾攻撃の真実』 読ませていただきました
あの奇襲作戦 戦略的にすでに負けていたと

兵頭 → そうです 開戦奇襲は武道でいえば「居合斬り」
やった方がまず1ポイント上げられるのは間違いないが
問題はその後です 
「お前は相手が抜く前にいきなり斬りつけた それで許されると思うのか」という世間の批判に対する弁明が準備されていなければ
即座にヒールへ転落 相手の一族に仇とつけ狙われ 最後が斬首
日本海軍 事前に国際的根回しをぜず そういうヘマをやってしまった
日露戦争後の日本海軍 敵国の戦艦を相手に勝つことばかりを考えていた
第一次大戦の混乱を利用し 自前の石油資源 例えば北樺太やオランダ領東インドの石油をどう自国の勢力下に収めてしまうとか
米国との長期戦になったらタンカーや貨物船の海上護衛をどうするか
なんてことは「戦艦相手の開戦」と関係が希薄なものだから 
当時の海軍人は考えなかった だから
首相の要請 「オランダ領東インドの石油のことでオランダ政府と交渉するので ひとつ軍艦を出して圧力かけてくれ」に大威張りで拒否とういう阿保さ
「省益あって国益なし」
その後に アメリカと喧嘩したら 石油はないと気付いたときには
もう日本 「武装独立」しようもない立場
で 破れかぶれで「居合斬り」

兵頭さん 日ノ本が相手が仕掛けてきた技に合わせて掛ける技
「後ノ先 {ごのせん}」を選びにくかったわけを述べるが これは省略

前田 → 空手は防御から入ります 武道は「受け」「払い」から
兵頭 → そうなんです 日米戦争も「受け」から始めるべきだった
「守りに回ると弱い」国民性を政府が教育し叱咤激励すべきだった
大正〜昭和の日本のエリートは幕末武士の3割くらいの頭しかなかった

前田 → あの戦争を途中で休戦にもち込める方法はあったと思いますが
兵頭 → ありましたとも アメリカに先に手を出させたら停戦に持ち込めた
差別されている黒人や南部人にこっそり武器を渡し武闘を焚きつけたり
フィリピン反米活動家に兵器弾薬を渡す マレーでもオランダ領東インドでも同じことをする
それに激怒した米英蘭のいずれかの軍艦が先に日本の船に砲撃して
そこからズルズル戦争状態にエスカレートする
そうなれば将兵を戦場に送り出す米国の銃後の世論 
大統領の「無条件降伏要求」を支持しませんから
日本は米国と交渉しながら戦争することが可能になる
本来 軍事力は外交交渉の背景で相手に圧力をかけるためにある
しかし 日本では海軍がアメリカと戦争をすることを先に決めてしまって
政府の外交交渉はその隠れミノにされた

前田 → 軍部の上層部が大儀名分にこだわり過ぎカッコつけすぎ また
武士道を教条的にし 軍部での出世争いに血眼になってしまっていた
(これはMCの拙者の言葉だろう)

−−−−−−★−−−−−−
<敵国の戦艦を相手に勝つことばかりを考えていた>結果が
世界最大の戦艦 「大和」の建造であった

むかし観た 映画
「男たちの大和/YAMATO」
大和 沈没 北緯30度43分 東経128度04分
佳作だった
2025/07/10(木) 晴れ


自由連合


話は 食料自給率へ
前田 → ソ連が崩壊した本当の理由は食料だった
情報社会が壁を壊したんじゃない
70年代 大凶作があり やむ得ずアメリカから食料の緊急輸入
それからアメリカに頼らざるえなくなる
80年代 対立があり食料輸入を止められた
それ以降 ソ連はアメリカに急所を握られ 崩壊へ向かった
中国もそれをわかっていて我慢していたんだけど大凶作で
アメリカから輸入せざるを得なかった
日本はそこがわかっていない
アメリカは食料が世界戦略上の武器となることをよく知っている

兵頭 → そのとおり 自由貿易というのは結構だが 非贅沢品の食料に関してはやってはならない

話は 農業へ
農林通産省族議員 泥棒呼ばわり
途中からカネを抜き取って政官界の子分どもを養ってきた

話は 自由連合
前田 → 兵頭さんと一緒に出た杉山さんの決起大会のとき
代表の徳田虎雄さんが言っていました
1億円で計上された道路は実際は5,6千万円で出来ている
だから自由連合は「みかん一個買わない」政治をめざす

兵頭 → 7月に行われた参議院選挙 徳田さんの大作戦は見事に失敗したのですが あの人が身体で発しているメッセージは何かといったら 今のダメな制度の下でも「諦めることはないぞ」という 法を尊重し きまりを守って行動する遵法{じゅんぽう}闘争精神だと思う しかも「敵のシステムを逆手にとれ」という<柔術>的な計算もしているところが何とも愉快
これは何事にも闘争力を失いつつあるいまの日本では とても貴重な 良い意味の玉砕精神だと私は期待を寄せていました
ただ残念ながら 日本の全有権者は本当にТVの中毒が総身に回ってしまって動かない――という現実もわかった 
徳田戦法ではダメだったなら 今後は何をやってもダメなのだという絶望が広がることを 私は心配してます

−−−−−−★−−−−−−
<大作戦は見事に失敗>の残念会 徳之島で行う
宴で 徳田虎雄さん ちょっとグチった
そのとき 拙者 一言
徳田虎雄の本意 自由連合の意図をメッセージできた
スピーチタイターがいなかった

翌日 みやげ物屋で 徳田のさんの奥さんから一言
「杉山先生 私が思っていたことを 初めて云ってくれました」

余談:映画『国宝』監督 李相日{リ・サンイル}
在日朝鮮人三世  前田と同じ
2025/07/08(火) 晴れ


靖国神社とは何であったか


前田 → 杉山さんが先の参議院選の街頭演説で「小泉総理は8月15日に
靖国に参拝してはいけない。靖国はお墓でない。英霊に我々も死を覚悟して戦うと誓うところだ」と言ってました。

そう 兵頭さんからの“入れ知恵”だった

少々 長いが“兵頭節”に耳を傾けよう
【靖国神社には、幕末から日本国を独立国家として維持するために戦場に出征して命を落した将兵が祀られています。もし「戦争で死んだ人がかわいそうだから参拝する」のであれば、戊辰戦争や台湾征討や日清戦争や日露戦争やシベリア出兵などの戦死者と8月15日とは何の関係があるのか?
歴代の首相すらこんなことがわからないのですから近代国家の宰相たる資格はもうぜんぜんありません。
 人の死を悼んだり、霊を慰める場所は、日本では通常、菩提寺ですね。もちろん非仏教の宗旨の人は別でしょうが。が、少なくとも神社は、死者を供養しる場所とは違う。ある個人の「荒御霊」を鎮めるための神社はありますけど、靖国神社には、あきらかに日本を守りたい一心で命を投げ出した。納得ずくで戦死させられた将兵が多数祀られております。
ならばいったい明治政府は、元の名前を「東京招魂社」と言いました。旧幕時代、毛利家の繁栄のために関ヶ原など幾多の戦場で命を捨てた無数の武士を藩が永遠に記念し、感謝と郷土防衛の決意を年々新たにする場としての「招魂社」という霊場を藩費で運営していたのです。
 なにしろ鉄砲導入後の大名家の浮き沈みは、無名戦士のヤル気次第で左右されるので、かつてのような大名家代々の菩提寺での祈祷するだけの儀礼では、
時代精神にマッチしなくなったのでしょう。
 その長州藩の招魂社が、維新後に発展的に生まれ変わったのが「東京招魂社」と言って良いだろうと私は思います。しかし名前が同じでは、長州藩の私物機関のような疑いをい国民に持たせかねませんから。「靖国神社」と名を改めた。
そして、戊辰戦争の朝敵だった幕府の将兵も、日本国の独立のためという志は一つであった」と、天皇の許しを得て合祀したのです。
 ですから靖国神社とは、死者の霊を慰めるところではなく、むしろ生きている現代の私たちが、日本国の武装独立の決意を新たにする場所です。先輩の戦死者の努力と願いを継承し、同じく命をなげうってこの日本国の独立を後代へ守り伝えていく、その決意を公に報告する場なのです。
 その公式報告とは、虚空に向かって題目などを唱えるのではない。目の前に証人を置いて誓うのです。証人とはどなたであるか? 全国津々浦々。戦死者のお墓があるとことから、一時的に英霊の霊にお集まりいただく。鳥羽伏見いらい、近代日本国のために一命を捧げた方々を前にして「自分も皆様方と同じように、命がけで戦争をして独立を守って参ります」と約束するのです。
 この約束は敗れない。だからその報告を聞くことで英霊も納得し、「そうか、俺たちの死も無駄ではなかった。ではお前に力を貸してやる」と、「護国の鬼」になって頂けるのではないでしょうか。もちろん、公式参拝の日取りは、年の初め1月1日こそが至当なのでしょう。
 それが小泉総理はどうだ。「皆さん、おかわいそうに。私はもう戦争はやりません」と、手を拍つ回数すら公然とケチったという。それじゃあ、「お前はここを一体どこだと心得ておるか? 日本の独立と自由を、首相のお前からして敵国や反国家分子の言うなりに、どうしてしまうつもりなのか?」と、英霊は泣いて荒ぶるだけですよ。

−−−−−−★−−−−−−
靖國」という社号 明治天皇が命名
「国を靖(安)んずる」
2025/07/06(日) 晴れ


明日は 武道通信かわら版 配信日


江戸の世の 軍記物講談本
信長 家康らトップ 一級史料を基に 脚色で色添え
他は 出自も 史料により バラバラ
そんなことより 伝えたかったこと
武士の鏡とは こうあるべき だと 
行政マンになった江戸の世の武士たちに
伝えたかった 

特に  儒学で 消された 
戦国女性武将らを 蘇られせたかった
2025/07/04(金) 晴れ


アメリカ製「日本国憲法」


編集部 → ここらで零戦の話はそろそろ終止符を打って本題に入りましょう
本日は8月17日 56年前の2日前 終戦の詔勅があったわけで 日本は無条件降伏を受け入れました。そして56年経ってもまだ先の大戦争、アメリカ占領軍から大東亜戦争と呼ぶなと云われ 太平洋戦争と呼ぶわけで、この大戦の動機、結末の国民的合意がなされていないわけです。
15日を13日に前倒しして小泉総理の靖国参拝で この大戦の是非が靖国神社に集中した感があります。お二人は この靖国神社の問題をどう考えられますか

前田 → あれが宗教だとか云うのはまったくおかしい
簡単に云えばアメリカのアーリントン墓地みたいなものです
誰がどんな立場で参拝してもおかしくないし 本来 国が運営するのが当たり前なことでしょう

少々 長いが“兵頭節”に耳を傾けよう
【アメリカ合衆国憲法には「連邦議会は、法律により、国教の樹立を規定し、もしくは宗教の自由なる礼拝を禁止することを得ない」とありまして、日本国憲法第20条はこの精神を意味不明な日本語で実に下手くそに翻訳したものです。
 西洋近代の精神なんて理解していないニセモノの大家先生が和訳をせかせれたものですから文言がヤッツケになった。もともとアメリカ製である「日本国憲法」に、内閣総理大臣であれコジキであれ、個人の公式参拝を禁止するいかなる意味もあるわけないのは当然ですね。
日本国憲法第20条「信教の自由、国の宗教活動の禁止」は、特定集団の宗派や教養解釈を個人に強いるな、という意味です。首相だろうが参院議長だろうが、一人で靖国に参拝するのに何の問題もあるはずはない。日本人で国に関係する人は無数にいるわけですがら、公的肩書を持つ公務員だけがその社会的身分を隠してこっそり参拝しなければならないとすれば、そんな国は少しも自由主義じゃないでしょう。それこそ「反国家」の信者となれと強制するものだ。
ではその初歩的な常識がなぜ日本でのみ通用せぬかと申しますと、今の日本では政界や官界やマスコミや法曹界で大きな影響力を隠然と持っている人たちの多くが、あのアメリカによる占領時代、GHQに「あいつは国家主義者ですよ」
「あいつは戦犯ですよ」等とご注進してライバルや同僚を陥れ、公職から追放してしまって、そのお蔭でノシあがった密告屋とか、その流れを汲んだ末裔たちが多いからなのです。吉田茂からして密告者だったことは今でも秘密でもなんでもありません。
 つまり戦後の日本は、旧敵国のおもねって密告者になり下がった、正真生銘の見下げ果てた裏切り者とその子孫こそが一番栄えている国なわけです。「愛国的であること」を<罪科>として密告する売国奴ほど偉くなれて、後から糾弾されることもないという、根こそぎ不正義な国なのです。だから、GHQという密告者がいなくなれば、今度は韓国、中国に密告することで偉くなれると思っている。
 「外道」の当然の習い性なのですね。法律研究とか教育の世界すらその例外ではありません。日本の社会のあらゆる分野で、一世代前のお偉いさんは皆そうやって出世してきたんですから。その下の世代だって、出世した父親の真似をするのは無理もないんですよ。
 憲法が「読めない」ということは、自分の国の自画像を持てないからで、それはつまり、西洋近代や米国、それとは異質の中国等からなる「世界」も、ぜんぜんわかっていないってことです。】
 
2025/07/02(水) 晴れたり曇ったり


堀越二郎


零戦のハナシはつづく
前田 零戦コックピットに乗る
ロサンゼルスの博物館 
兵頭 → 前田さんの体で入りました?
前田 → 入りました

零戦座席 高低 上・中・下 三段階
一番下げた状態 前田に頭と天井 5、6cm
以外と広かったと前田

兵頭 → つまりタキシング(地上滑走)のとき座席位置でも
キャノビー(庇{ひさし})を閉じることができ 
しかもヘッドルームに余裕があった
これはドイツのメッサーシュミットMe109とは対象的な設計
ひょっとして設計者の堀越二郎さん 
日本のパイロットも将来190cmくらいになってアメリカ人と対等になるんだと信して座席の図面を引いていたのも知れん

前田 → 驚いたのは零戦のそばにヘルキャットがあって
大きさ的には零戦は小型トラック F6Fヘルキャットはダンプカーの違い
(補:F6Fヘルキャットと零戦は両國海軍の代表的な艦上戦闘機同士
 ヘルキャットは零戦の性能を分析しその弱点を克服するように設計された)

兵頭さん 軍学者らしい発言
【馬力は二倍位違いますからね 先代のワイルドキャットと零戦ならば馬力は同じで機体も同じ大きさですが ヘルキャットになって馬力が倍増 ところが形はワイルドキャットと似ている だから戦場でも錯覚を起こすものが出た
日本の軍艦の高角砲が当たらなかった理由の一つにも 初見参の米軍機の見かけの大きさに幻惑され うろたえ者の高射指揮官が側高係が示した数値より低いサバ読みの高度を算定具へ入力させていた
それをやると連動して速度の値も小さく出てしまい いくら正確に未来位置を計算して撃とうが 我が高角砲弾は敵機のはるか後方かつはるか低いところで爆発するだけ
デカくて力が強くてスピードも速いヘルキャットは 例えるなら宮本武蔵とか相撲取りみたいなもの 零戦などが尋常の空中戦ではとても太刀打ちできないことになった
それを切り抜けてきた酒井三郎さんは 昔の柔術家のようなものだと思います】
−−−−−−★−−−−−−
堀越二郎 79歳没
死亡記事 ニューヨーク・タイムズ等 世界の新聞に載る
堀越氏のご息女 吾が息子らが通った幼稚園の先生だった
散歩の折 「堀越」と書かれた表札を見た
2025/06/30(月) 晴れ


零戦


(論客)兵頭二十八 ⇔ 前田日明(編集長対談)
 
テープレコーダーをセットしているとき
兵頭さん 某週刊誌から切り取ったグラビアページを前田に見せた
川口湖畔 自動車博物館に零戦が展示されたとのページ
前田 身を乗り出し 食い入るように読む
しばし 零戦談義となった
 
兵頭さん 先週 その博物館を見学
この日の対談のためであろう
写真を撮りまくった同行者 漫画家/イラストレイタの小松直之さん
写真を撮りまくった その写真 前田に見せる
零戦の胴体の骨構造だけの復元展示
前田 → この零戦提供者の名前知ってます
    (グラビアに載っている零戦を指さし)
    この零戦 だぶん飛べますよ
    アメリカ飛行機再生工場に零戦二一型を出しているという話 
    5年前に聞いた これ それかな
    スミソニアン博物館の収納庫に日本のありとあらゆる航空エンジンが
    完璧な状態で一機種につき3基のエンジンがあるそうです

兵頭さん 軍学者らしい発言
【アメリカの航空博物館、あるいは軍事博物館の中には、「敵国の技術を過去から現在まで現物で保存し、かつ調査し尽くす」という国家的な使命を帯びているところがあります。これはスミソニアンの他にもありますし、ソ連にも西欧にも他にもありますし、ソ連にも西欧にもカナダやオーストラリアにもむ勿論ある。日本だけです。そういった機関が、官にも民にも見当たらないのは。   
格闘技だって、たとえば柔術をはじめ各国の徒手格闘技の膨大な調査と比較見研究があって、はじめてそれらを統合した「コマンド・サンボ」が工夫され得た。過去のデーターの蓄積があれば、試合で相手する敵の癖もより深く予想できる。
つまり、本番で機先を制させられることがないのです。
スミソニアンで過去の日本機なんかを大事にレストアしているのも、そこから日本流の発想とか独特の技術的な「癖」を知っておいて、将来また日本と戦争をするときに、絶対に慌てないようにしたいという、武人の奥ゆかしい嗜みなんですよ。】

−−−−−−★−−−−−−
兵頭さん 近刊『世界の終末に読む軍事学』
「戦争はなぜ起こるのか?」という中学生の素朴な疑問の問いかけは始まる
「権力」とは何かが わかってないから かわらない

いまの話 台湾とウクライナ
台湾を占領するは簡単にできる なのになぜ
台湾全土征服はできない 米國がでてくる 長期戦になる
台湾近海 支那沿岸すべて<戦争海域>となる
*軍学者 曰く 欧語は物事を<価値中立>で表現して
「China」には称賛の意味も侮辱の意味もない
漢字で書く「中国」→「世界の中心の国」 近代精神に反してしまう
ここで談余
「中国」の語源である中華の「中」は「中央」
「華」は「礼文さかんなこと」を意味 中華は「世界の中央にある文明の地」
*拙者の「日ノ本」 御陽様の國 美称 「中国」も美称

欧州で使われた最初の国名 サンスクリット語のCina-s から
欧州人には“現地人”が云う
自国名Cina-s が「チャイナ」と聞こえたからとの説もある

さて <戦争海域>となると 商船に船舶保険が効かなくなり
原油タンカーは支那沿岸に近寄れない 
支那製品を輸出するコンテナ船も近寄れない
結果 支那のトラックは走れなくなり 
鉄道や工場を運転する電気も不足
都市市民に必要な大豆 小麦も市場から消える
この状態で支那共産党が権力を維持できるとは誰も請け合わない
ゆえに その作戦(台湾占領)の選択権そのものを論じることを封印している

ロシア・ウクライナ戦争はいかに
「新三十年戦争」になるやも
2040年代の後半 世界の人々 一神教に愛想をつかしている
1618〜48年の旧・三十年戦争では 
教会勢力が表舞台から退場を促され 「近代」の幕開け
新・三十年戦争は 現代西洋人の乾いた精神を一層 干からびさせる
そこに「AIの麻薬」が注入されたときが怖い
近代の終わりとなる
私(兵頭)が予想するより早く 「人類の終わり」が到来するかも知れない

 −−−−−−★−−−−−−
 武道通信HPトビラ サムライの絵 小松さん
いまは消えた 20年前ほどあった 良いサムライと悪いサムライの
決闘シーン あれも小松さん
拙著『使ってみたい武士の作法』『使ってみたい武士の妻の作法』の
表紙カバー 本文イラストも小松さん
並木書房→兵頭二十八→小松直之って関係
地べたの交流が「人類」を救う
2025/06/28(土) 晴れ


番外地と番外地の遭遇


兵頭さん 「論客対談」で
前田の零戦への思い入れに 愛好家を遥かに超えたものがある
こちらがつい 恥じ入ってしまうくらいだと

そう 「プロレスは八百長だ」で 想い出した
想い出したと云っても 先の五月中旬のハナシだ
週刊プロレス同窓会なるもの行われる 出席乞うの速達
神保町だと云う 都心まで面倒だ ヤメタ!

そしたら前日 デザイン部からプロレス編集部に入れたスタッフから電話
このS君 退社 デザイン事務所立ち上げた
事務所開きの折 飯田橋坂上に出向き 近くの寿司屋で祝いだと御馳走した

杉山頴男事務所立ち上げた際 祝いだと名刺をつくってくれた
「武道通信」イメージとは程遠い どこかのデザイン事務所のような名刺
S君に「武道通信」創刊号から二、三号の表紙デザインを依頼した記憶

S君 拙者が認知症なるものになっていないか 危ぶんでいた気配
ならば 行かなければなるまい
週プロの“震源地”なる者は いまだ健在だと示さねばならぬ

開演時間 三十分ほど遅刻
挨拶を乞われた

家紋入りの陣羽織 羽織/袴 姿
「サムライタイムスリップしてきたわけではない 電車で来た
電車の中で考えた 週刊プロレスとは 週プロとは 何であったか
入社の際 社長に手渡した履歴書
入社の理由の欄 生活のため のひと言
野球が好き スポーツ誌の編集がしたい など 嘘は書けなかった
スポーツ総合出版で番外地の編集者であった
スポーツ総合出版の社員 誰もプロレスがスポーツだと思っていない
スポーツ総合出版番外地の編集者と
スポーツ総合出版番外地のプロレスとの遭遇
それが週刊プロレスを生んだ」

番外地の編集者 なぜ業界誌から脱皮できたのか
編集者の本分は 時代の精神みたなものと 格闘して時代を読み解く
コレは 云わなかった プロレスファンに嫌味になるから
2025/06/26(木) 曇り


 梶原一騎

 
十六ノ巻
【この国は なぜに脆弱になったのか ――対談特集】
 
米國のイラン空爆に
日ノ本政府 YES NO はっきりいわない
「この国は なぜに脆弱になったのか ――米國 イラク空爆」
このタイトル 二十三年後のいまでも 使える
 
兵頭二十八 ⇔ 前田日明
松本健一 ⇔ 木村三浩
嘉村孝 ⇔ 戸部アナマリア
 
【論客対談 兵頭二十八
遅れてきた「格闘技ファン」
――分かりかけてきた「前田キャラ」の引力】
こんなはじまりだった
【私は他人様のドメスティック・マター(家の中の事情)を聞くことを生理的に好まない。男同士、家庭環境や育ちなんて関係ない。現在の生身の品質で勝負すればいいじゃないかと思ってきた--------】
これは前振りであった
兵頭さんの父親は「プロレスは八百長だ」と云って家族のTV観戦を禁止した
そのくせ兵頭さんが小学五、六年生頃始まったキックボクシングの録画放映は大好きで その理由は訊くと「これは八百長ではない」
まあともかくもこんな事情で 私の記憶体系にはごく最近まで
「プロレス」は空白であった
これも前振りであった

兵頭さん 本誌に連載記事を書いている以上
力道山の伝記もの ベースボール・マガジン社『日本プロレス全史』くらいは一読しておかないと 日本文化を真に理解できないのではないか
 
そして結論はこうだ
【故・梶原一騎氏を再評価することにもなった。彼がその著『劇画一代(梶原一騎自伝)』の中で、日本人の好みが吉川英治版の宮本武蔵キャラに戻ると分析している下り、すなわちあの<武蔵>は将来の日本の格闘技シーンにおいてもライトモチーフであり続けるだろうという示唆を書き遺していることに、私は改めて驚かされた。またこの謎多き作家が今の日本の「ケンカ総合格闘技マッチ」の流行を定着させた最重要な仕掛け人であったことも、私は行間から推察しないわけにはいかなかった。「吉川英治のやろうとしたことをどのくらい引き継いだか」で比べたら、司馬遼太郎よりむしろ梶原氏の方が「正統」だったかもしれぬ。】
 
2025/06/24(火) 薄曇り


脱亜論


『脱亜論』 明治十八年三月 『時事新報』 無署名の社説
諭吉 なぜ 無署名にしたか
朝鮮近代化を熱き心で支援した諭吉にとって
いまの世で云う <切り取り報道>されることを危惧した
<支那朝鮮とは絶好しよう> などのヘイトスピーチになることを
これは小杉さんでなく 拙者の推察である

本文は片仮名漢字表記、長さは400字詰原稿用紙 約六枚

無名の執筆者 曰く
西洋文明の伝播を「文明は猶麻疹{じんましん}の流行の如し」と表現
これを防ぐのではなく「其蔓延を助け」「早く其気風に浴せしむる」ことこそが重要であると唱える
その点において日本は文明化を受け入れ 「獨り日本の旧套を脱したるのみならず 亞細亞全洲の中に在て新に一機軸を出し」
アジア的価値観から抜け出し脱亜を果たした唯一の国だと

「不幸なるは近隣に國あり」として支那(清)と朝鮮(李氏朝鮮)を挙げ
両者が近代化を拒否して儒教など旧態依然とした体制にのみ汲々とする点を指摘し「今の文明東漸の風潮に際し、迚も其獨立を維持するの道ある可らず」とそして、甲申政変を念頭に置きつつ[4]両國に志士が出て明治維新のように政治體制を變革できればよいが、そうでなければ両国は「今より數年を出でずして亡國と為り」西洋列強諸国に分割されてしまうだろうと推測する

このままでは西洋人は清・朝鮮両国と日本を同一視してしまうだろう
間接的ではあるが外交に支障が少なからず出ている事は「我日本國の一大不幸」であると危惧

そして結論部分において
東アジアの悪友である清国と朝鮮国とは
隣国という理由で特別な関係を持つのではなく
欧米諸国と同じような付き合いかたにして
日本は独自に近代化を進めて行くことが望ましいと結んでいる

諭吉 金玉均が殺され 改革派に最期を予感していたのだろう

福澤諭吉 明治三十四年没 享年六十六歳
昭和八年 石河幹明編『続福澤全集』第二巻(岩波書店)に収録される
それ以来 福澤諭吉が執筆したと考えられるようになった
<身内>は誰も 諭吉の論だと知っていたのだろう
諭吉も<身内>も他界し
李東仁 金玉均を知る諭吉が
断腸の思いで書いたことも忘れさらたのであろう
2025/06/21(土) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信日


通算557号
思えば よくここまで 来たもんだ
残されている 最初の号
<12/31-2001 vol.40>  月イチとして
1号 40ヵ月前か

■「忙中閑あり」―――――――――――――――――――――――――――

 29日、義理の姪の葬儀が済み、この一年が終わったという実感がした。家内
はなおさらのことだろう。この一年、小輩の選挙運動などもあったが、我家で
姪の乳飲み子を二度ほど預かったりしたことから、姪の闘病生活が通奏低音に
あった我家の一年であった。
 
 葬儀の中、預けられている父方の祖母に抱かれていた子が飽きはじめたの見
て、寺の隣の公園に連れ出した。晴れ渡った陽差しの中で鳩の群がエサを摘ん
でいた。
 1ヶ月ほど前から歩きはじめた子は鳩を追った。生母の記憶を持たない、こ
の子の不憫さは遠に、胸の内に納められていたが、まだおぼつかない足取りを
見て、我が身が、この子と似た境遇であったと云う想いが再往した。

 敗戦翌年の12月に小輩を産んだ母親は1ヶ月も経たず大晦日に逝き、元旦が
葬儀であった。それはずっと後年に知った。
 幼き記憶にある元旦の朝。床の間に鏡餅を飾った部屋で、まだ嫁ぐ前の叔母
たちも居て、朝風呂の後、賑やに雑煮を食べた。元旦の式の登校があるのに、
屠蘇(とそ)を飲み酔う子に皆が囃し立てた光景の中で、この子の不憫さを想
った者もいたろう。そんなことに気が巡ったのは、そう昔でもない。いい歳に
なっても暢気な輩であった。
 この子も、そんな暢気な男になってもいい。それも生母への供養なのかもし
れない。                              

 来る年も、様々な事が巡ってくることだろう。それにどう身を挺していくか、
己の身の挺し方が、身近な人の人生観に、何某の影響を与えるのだろう。
                               
(杉山)
2025/06/20(金) 晴れ


クーデター


李朝 財政圧迫の原因
守旧派のボズ 閔{ミン}氏とその追従分子らの積年の財政私物化
財務/税務/造幣を一切仕切っている閔氏らの手から国家財政を取り戻す

金玉均が打った手 改革路線を支持してくれる諸外国――
特に日ノ本・フランスから外国債権を募る
要は日ノ本・フランスの投資家からお金を借りる

ところが 閔氏ら 支那清朝から送り込まれたドイツ人顧問の威を笠に
悪貨鋳造増発をもって危機を隠ぺい
さらに諸国に裏から手を回し 起債失敗に追い込む

悪貨が増発された結果 インフレは300% 
閔氏とドイツ人顧問はその責任を金玉均に着せ 政府から追放
さらに その命まで奪おうとしていた

ついに 金玉均らは決意する
諭吉らと語りあってわずか三年して
クーデターという非常手段しか残されていなかった

しかし クーデター 三日天下
袁世凱と組んだ閔氏が
国王奪還の名目 清朝軍一三〇〇名を王城内へ引き入れてた
清朝軍の攻撃がはじまるや 日ノ本政府は早々の離脱を表明
駐留軍を王宮から引き上げさせた

改革派は二手に分かれる
一つは 再起を期すため日ノ本へ亡命 金玉均ら九名
一つは 国王を守るため死ぬまで王城に残る士官学生の七名

閔氏の反動粛清 凄惨を極めた
参加した本人のみならず その家族三等親まで極刑
閔氏一派の復讐は クレージーともいえる規模に拡大
その後 十年に渡る彼らの最大の政治目標にまでになり
国政は無為無策 
困窮を極めた民衆 一八八〇年代末から九〇年代にかけ 各地で反乱・一揆
そうした中 金玉均 最後の賭けに出る
上海へ渡り 清朝の近代化 中心人物・李鴻章{りこうしょう}と直談判しようとした 閔氏の放った刺客の凶弾に倒れる
遺体は朝鮮に送られ さらにその故郷の地で切り刻まれるという恥辱を受ける

福澤諭吉に「朝鮮半島の近代化の父」と呼ばれた
金玉均 三四歳の生涯を閉じた
2025/06/19(木) 晴れ


李東仁 暗殺される


李東仁 数ヵ月滞在
諭吉をはじめとする日ノ本の政治家 思想家と親交結ぶ
明治政府の諸政策 近代化を実現するための資料を購入に専念

その年のうちに帰国
ソウルで改革派の若き英才たちに日ノ本で見聞きしたことすべてを語り
膨大な資料を託す
その文献 歴史 地理 政治学から物理 科学までの自然科学までも
いずれも李朝では夷狄{いてき}の邪学
所持しているだけで懲罰

当時 弱冠十六歳 科挙試験の勉強を縫って この読書に没頭した
徐載弼{ソチェビル} 云う
この読書体験を通して はじめて世界の体勢がつかめるようになり
なにがなんでも 朝鮮に人民の権利をうち立てなければならないと考えた
李朝にあって賎民と蔑まれてきた僧が 身を投げ出して日ノ本から招来した
邪学の思想から 先鋭的な朝鮮改革派の芽が吹いた

李東仁がもたらした諸成果は
たちまち王宮に達することになった
王宮改革派の中には 優れた見識を用いるべきとする者も表れた
しかし 大半は旧弊に固守し 改革そのものを敵視
しかし 国王高宗{コウソウ} 李東仁の上奏分に感銘
密航の罪を許し 日ノ本の近代化に学ぶべく
密かに視察団を組み 日ノ本へ送るように命じた
王も このとき二十九歳と若かった

総勢六十二名 視察団 地方の民情視察という名目
極秘裏に日ノ本へ向かう
李東仁が一人密航を企ててから二年後のことであった

視察団出発に際し 李東仁に国王から内命
日ノ本政府から 武器と軍艦を購入すべし
いよいよ出発を目前とした ある日
最後の打ち合わせに王宮に参内した李東仁
そのまま行方不明に
暗殺される
守旧派 客を放った 死体さえ見つからなかった
李東仁の志 日ノ本に渡った若者たちに託された
2025/06/15(日) 曇り


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