■<道教>に気をつけろ
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大昔 原始の世………… 男たちの出陣 必勝祈願 「祖先の霊」 「自然の霊」に捧げた 『日本書紀』 神功{じんぐう皇后渡海征伐のとき 「東に神の国あり日本といふ…………必ずその国の神兵とならん」 半島の敵国人が降伏してきた(文献上「神国」の初出{しょしつ})
いつの頃から 他国には無い日本だけの国教としての 神が信じられるようになる
そこへ 仏教と偶像が持ち込まれる 6世紀 日本と朝鮮半島の間には 税関もビザもなく 誰っでも行きたいとき行ける 人事交流関係ができていた
この仏像という彫刻品 インドで創始されたものではない シャカ入滅後 何百年も経ってから いまのアフガニスタンあたりで 西から来たギリシャ造形美術の影響を受けて そこで製作された
そのモロにアーリア人顔の仏像が「端厳{たんげん}」なのに驚いた天皇 これを礼すべきや と有力族長たちに詰問 蘇我氏 「この新思想 自分の権力のため利用できるな」 と導入に賛成 物部氏と中臣連鎌子 権力のある蘇我氏に宗教権威まで与えたら 天皇家は乗っ取られると懸念 「異国の宗教は<国の神>が怒るからダメ」と反対 『日本書紀』に書き残されている 西暦553年前後のこと
この<国の神>とは 基本的に先祖信仰 しかし、注意せねばならぬことは 当時の有力豪族の大半は支那大陸に親戚や知り合いを持っていた そのため既に日本の土着信仰の中にも道教の影響が及んでいた
黒坂勝美博士らによれば 『日本書記』『古事記』の劈頭部分には もともと大昔の日本人が思い付いたはずもないような神話が書かれている たとえば 男女の神様が国を産む そのさいに 男の神様が柱の周りを右に回るか 左に回るか あるいは 男女のどちらかが先に声をかけるかが問題となっているが これは 右または女を陰とし 左または男を陽とする 道教の考え方 大昔の日本人は 右とか左のどちらが先に---- なんてことはどうっでもよく 悩まなかったはず
こうした陰陽思想だけでなく 「十干{じゆっかん}」とか「方位占い」も みんな道教がルーツ そして「五箇条」「五十塔」「五輪(塔)」「五常」「五色」----のように 明治15年の『軍事勅諭』にまで影響を与えている数字の「五」の重視も 儒教や密教に混ざって入ってきた道教式「五行」の思想
道教 支那の六朝時代(西暦3〜4世紀) 大陸の民間に普及 それが大和朝廷が漢字を使って史書をまとめようとする時期にあたっていたので 日本の神話に余計な陰陽説が混入してきた 仏教よ り遥か遅れて成立した道教が 仏教以上に道教が盛行したのはなぜか? 仏教と違って露骨に長生きを願う世俗性に加え 庶民のアタマでなんとなく理解できてしまうレベルの似非科学性が とても魅力的であった
原始時代の日本人 ただ「ヒ(おひさま)」からすべてがはじまると思っていた 伊勢神宮の「天照大神」が その人格化 *「太陽」→陰陽思想にの名称 「月」は太陰
原始時代の日本人に おてんとう様より以前の話は無い そんな世界を考えない民族だった
口承伝説は人々が認めたストーリーしか後代に伝わりませんから 筆記史よりも古代人の考え方を推測する手がかりとして重宝だった 書き文字史料は たった一人の筆記者による意図的でいいかげんな書き加えがあっても後世まで遺る場合がある
どうも記紀に出てくる天照大神より以前の登場人物は ずべて支那の道教思想の影響下に 渡来人が付け足したでっち上げだ
−−−−−−★−−−−−− 衆議院解散 で この選挙 与党・野党対決など関係ない 日ノ本人の <嫌悪支那>度合が試される
2026/01/21(水)  |
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