■弓との縁
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著者名の横に肩書/履歴 著者名といっても 拙者がゴーストライター
北島芳雄{きたじまよしお} 大正元年生まれ。国立弓道場「射徳亭」「修倫亭」道場主。 教士八段。著書に『射道―我が師の教え』『道ひとすじ―弓と事業』 『宮大工を志して』など。
国立駅南口からの電車沿いの道すがらに弓道場があったとのは知っていた 駅から三、四分のところだ
帰郷した折 床の間に二張(二本)立てかけてあった 「一本 もらっていくわ」 国立の弓道場がチラついたからだ
亡父 旧制中学から弓道やっていた いまの世で云う 高校インターハイ弓道 試合会場は京都 大日本武徳会 武道の殿堂 (敗戦後 GHQによって潰される)
16歳か17歳の父 大日本武徳会弓道場 的に向かって弓を引き絞る とのとき 太鼓の音 皇太子(現・上皇)がお出ましになったからだ 「太鼓の音で外した」と父 それが予選か 決勝戦かは不明
国立の弓道場には「北島道場」との看板があった 道場主 稽古をつけることはなかった すぐ脇の私邸にいた 門下生は 入るとき挨拶し 帰りにも挨拶だけ 本業は大工さんだった 敷地は広く 奥に材木置き場と作業場 息子二人も大工さん 長男は六段 三男は弓は取らず 若いときやめたと云う 父の指導に反発したのか そんな話を 本人から聞いた記憶 次男は別の職に たまに高級車に乗って 弓を引きに来る
いま 懐かしんで書いている だから余計なことも そう 父から弓がけ(かけ)ももらってきた 大日本武徳会で引いたかけだ そう 退職し 巻藁{まきわら}を 隣の大工さんに つくってもらい 射ていたらしい
弓愛好家の屁理屈 「かけ」との名称は「かけがえのない」から 一生 使うもの 人には貸さない 他人{ひと}のかけを使うと当たらない 拙者 一度 経験がある 確かだ 変な方へ飛んでいく つまり 自分の<手クセ>がつくのだ だから「かけがえのない」のか
出版部にいたとき 弓との縁から 弓道の本を出そうとした ある日の新聞記事 小さな欄 <全日本選手権3回優勝(最多記録) 弓史に残る決勝戦24射の射詰めを成しえた村川平治>
村川さん宅へ 本を出すことをお願いにいった 断られた
つづく
2025/05/24(土)  |
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