■倭{やまと}から 大和へ
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前田 → 編集部から聞いたんですが この三月末に 木村三浩さんの 『右翼は終わってねーぞ! 新民族派宣言』が刊行されるんですが 出版社が新民族主義にするか 新ナショナリズムにするか 悩んだそうですが ナショナリズム イコール 民族主義とは云えないですね
【松本氏 → ええ、本来的に民族派と云わなればいけないですね。 右翼、左翼が出来たのが1910年だというのと同じで、ナショナリズムは たかだか明治維新の頃の150年前にできた概念です。 つまりネイションというもの自体が民族であり、国家であり、国民であるという この三つの要素から成り立つもので、一つの民族が独立国家を持って、 その国家体制は国民主権でありという思想です。 訳語としてナショナリズムとは、民族主義と国家主義と国民主義と大きく分けて三つを含むものです。 民族主義に限っていえば、蒙古襲来のとき日蓮が「我、日本の柱にとならん、我、日本の船とならん」と言ったのは、ナショナリズムというより、民族主義であったと言えます。】
前田 → 蒙古襲来以前にも民族主義的な思想 発想 あったんですか 松本氏 「倭」からの脱皮が民族主義であったと
日ノ本は支那から夷狄{いてき}と扱われていた 東に住む野蛮人 北に住む野蛮人は北狄{ほくてき} ほかに南蛮 西戎{せいじゅう} 支那の東方に住んでいる諸民族について書かれた『東夷伝{とういでん』 では日ノ本人のことを「東夷{あずまえびす}」 「夷」は人が弓を射ってる象形文字 つまり野蛮人 南蛮の「蛮」は蛇と同じ草むらに住んでいる野蛮人 北狄の「狄」は けものヘンに火だから 火で獣を追う野蛮人(モンゴル人) 支那以外はすべて野蛮人 これが中華思想
日ノ本 初めての国名 倭{やまと} 支那からつけてもらう ゆえに 倭建命{やまとたけるのみこと}
倭 → 人偏に禾{のぎ}を書いて女 収穫物を女が頭の上にのせる様を云う 俗称 → チビ 女が収穫物を頭の上にのせ かがんでいるからチビ 漢字の意味がわかってくると 頭に来て 倭{やまと}と「大和」に そして 聖徳太子 「日いずる國」から 「日本」とした これ民族主義 拙者 支那が「中国」と云う美称を使うので 同じく美称 「日ノ本」と使う これも民族主義
−−−−−−★−−−−−− 米國に民族主義はない 民族主義が欠けたナショナリズム
独立戦争から始まる国家の団結 言論の自由/武器の保持の自由/資本主義経済 ナショナリズムの思想 必然的に白人の人達に限られる アメリカのナショナリズム=白人至上主義
わかりやすく云えば トランプ 先祖返りを標榜したのだった
2025/02/26(水)  |
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