■生命力と死力
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坂井三郎さんの「内戦思想/外戦思想」に 耳を傾けてみよう すこし長くなるが 外は雨 内はエアコン→暖房
≪戦国時代、豊臣秀吉が勝とうと、毛利が勝とうと、どっちが負けたって内々の話。一つの財布の中で動かしてるみたいなもんです。 そうすると、そこで忠義のサムライというのは、どういうサムライかというと、 勝とうが負けようと、自分の殿様のために、死んだ者が忠義のサムライなんです。 それは内戦思想なんだ。島国の中ならそれで済んだんです。外国と戦う時は外戦思想でなければならないのに、内戦思想を適用したんです、当時の指導者たちは。彼らがよく言った。「死に場所を与える」とは、何たる事か。それが 太平洋戦争の大きな敗因の一つです。≫
≪死ぬために軍人になったのではない。軍人になったのは勝つためです。戦争に死に行くんだったらね、そもそも訓練も何もいらない。 その当時の軍国歌謡の作詞家までもがね、“夢に出てきた父上に、死んで帰れと励まされ、覚めて睨むは敵の空……”。馬鹿もん!と言いたい。 どこの世界に、自分の息子を戦地に送るのに死んで帰れと、励ます親がいますか。一生懸命がんばて、片手を落とされ、両手両足落とされ、ダルマになっても帰ってこいというのが親心じゃないですか≫
≪私はラバウル行ってからね、ある事件がありまして、それで搭乗員を集めて、 やれ体当たりするの、敵地に自爆するとか言い出した者に、とんでもないと。 ラバウルまで何しに来たんだ! 俺たちは! 勝ちに来たんだ! 死にに来たんじゃねぇぞ! 絶対、自爆は許さんと。捕虜になっても生き残れと。たった一回の命ぞと。戦争だからこそ、命あってはじめて敵を倒すことができる。死に急ぐというのは、無責任極まる。だから上の方から何と言われても、とにかく飛行機がまだ飛べて、少々自分が傷ついても、敵地に不時着して、捕虜になっても生き残れ! 捕虜になれば、相手の監視兵を使い、宿舎を使い、食料を食らい、幾分かでも、敵の戦力を削ぐことができる。 その後、私の部隊では何名かが捕虜になり、戦後に生還してくれましたよ。 私は、上からかなり睨まれましたけど。≫
≪日本人の勝負感と欧米、特にアングロサクソンの連中のね、勝負感というのはね、全然違うんです。そういう研究を海兵陸士、海大、陸大では、なぜやらかったのか。 支那事変や太平洋戦争を戦ってみての経験からですが、多民族と戦ったとき、 日本人の勝利観と彼らの勝利観の違いに気がつきました。 日本人はね、剣道なら面、小手、胴の一本勝負。お互い戦力が同等に残っていても一本で勝ち負けが決まる。相撲だったら、膝が土についただけでも負け。柔道も一本取られたら負け。 外国人の勝負観というのは相手をノックアウトするか、完全にギブアップさせるかで決まる。100%戦力を喪失させたとき勝ったと判断するんです。 スポーツと軍隊の戦いは全く違うです。 日本は精鋭、精鋭って言いながら、太平洋戦争が始まった時、それ以前の体験として近代戦をやってないじゃないですか。近代戦をやらずして、我が日本、陸海軍は世界最強だなんてね。とんでもない。≫
所轄の腕利き刑事の本庁キャリア組 批判だけでない 心魂がこもっている 先の高橋巌氏の「外の関係」「内の関係」を借りれば 坂井さん 「内の関係」触れている
生命力と死力は フィフティーフィフティーの関係 死力を失なわないこと それが生命力 <やれ体当たりする><自爆する>のは死力ではい 体当たりを命じられただけで 死力は生まれない 死力を生み出したから 最期の言葉 「お母さん」
坂井さん 御自分が訓練した若き兵士 見てきた 生きて帰れ! 死力を尽くせ!
−−−−−−★−−−−−− 兵頭二十八 『近代未満の軍人たち』 「外の関係」で近代戦に近づけなかった軍人たち 奇襲開戦計画主義の顛末 近代国家の軍隊はどうあるべきだったのか またその軍人たちは いつ どのようにして「自律」を失ったのか 二十三人の軍人に見る日本の興亡
2023/11/17(金)  |
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