■「心で射る弓」弓禅一如
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ヘリゲル 九時ごろ 阿波宅へ 阿波宅と隣り合っている道場へ 阿波 細長い一本の線香に火をともし それを的の前の砂に立てる それから阿波 ヘリゲルら(通訳ら) 射場へ
【先生は光(射場の電球)をまともに受け立っているので、まばゆいほど明るく見えました。そして線香の微かに光っている点は、極めて小さいので、やっと見えるか見えないくらいでした。先生は相変わらず、ものも言わず自分の弓と二本の矢を取りました。先生は一本目の矢を射ました。 それは音で命中した事がわかりました。二本目の矢も音を立てて打ち込まれました。第一の矢は見事に真ん中に立っていて、第二の矢は第一の矢の根に当たって、それを二つに裂いていました。 私はそれを射場へ持っていきました。先生はそれを見て、考え込んいられましたが、やがて次のように言われました。 「私は、この道場で三十年間この方稽古していて、暗いときでも的がどの辺にあるかは知っているはずだから、一本目の矢が真ん中に当たったのはさほどたいした出来栄えでもない、と貴方は考えられるかも知れない。しかし、二本目の矢はどう見られるか。これは「私から」でたものでも、「私が」当てたものでもない。そしてこんな暗さで一体狙うことが出来るものかどうかよく考えてご覧なさい。それでもまだ貴方は狙わずに当てられないと言い張れるのか。まあ、私達は、的の前には仏陀の前と同様に頭を下げようではありませんか。】
これが アノ有名なシーン
ヘリゲル この講演から七年後に書いた 『Zen in der Kunst des Bogenschiesens(弓術における禅) 『弓と禅』には こうある
「阿波に弟子入りした。しかし、狙わずに中てる事という阿波の教えは合理的な西洋人哲学者に納得できるものではなく、ヘリゲルは本当にそんなことができるのかと師に疑問をぶつけた。 阿波は、納得できないならば夜九時に自宅に来るよう、ヘリゲルを招いた。
真っ暗な自宅道場で一本の蚊取線香に火を灯し、三寸的の前に立てる。 線香の灯が暗闇の中にゆらめくのみで、的は当然見えない。 そのような状態で、阿波は矢を二本放つ。 一本目は、的の真ん中に命中した。 二本目は、一本目の矢の筈に中たり、その矢を引き裂いていた。 暗闇でも炸裂音で的に当たったことがわかった。 二本目の状態は、垜(あづち)側の明かりをつけて判明した。
この時、阿波は、「先に当たった甲矢は大した事がない。 数十年馴染んでいる垜(あづち)だから的がどこにあるか知っていたと思うでしょう、しかし、甲矢に当たった乙矢・・・・・・これをどう考えられますか」
これを“禅語”で云えば 「心で射る弓」弓禅一如
後日談は次回
2025/11/09(日)  |
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