■一向一揆(一)
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<敵対 服従 和平>の繰り返し はじまりは 家康 二十歳のとき 三河一向一揆 一向宗(浄土真宗)信徒が一揆 起こす
なぜ 信徒が一揆 起こしたか
家康の父・広忠の代 守護使不入の特権を与えられてゐた 課税 外部からの立ち入りを禁じる 守護使不入{しゅごしふにゅう}の特権 家康 これを「オヤジはもう古い」と 兵糧を無理やり徴収 寺にも警察権を行使
家康 やつぱり若かつた 歴史を知らなかつた 予測できなかつた家臣団の分裂
三河守護家や地侍との古くからの 一向宗の固い結びつきを 本多正信/正重兄弟 蜂屋貞次 渡辺守綱 夏目吉信らら重臣 一向一揆に加担 それでも家康 踏ん張つて 一揆勢 ギブ・アップ寸前 一向宗側 蜂屋貞次を窓口に 和議を持ちかけてきた 「寺を焼き払ふことなく これまでどおりにしてください また一揆を企ては者もお許しください」
家康 かう返答 「わかつた 和議を結ぼうとする者の命は助け 寺も前のままにしておく ただし 一揆を企ては者は処罰する」
一揆側からすれば 許される者 許されざる者 できる 和議 まとめること むずかしい 「私たち以外の者もお助けください」と食ひ下がる 和議は難攻 つづく
2023/03/02(木)  |
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