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生命力と死力


坂井三郎さんの「内戦思想/外戦思想」に 耳を傾けてみよう
すこし長くなるが 外は雨 内はエアコン→暖房

≪戦国時代、豊臣秀吉が勝とうと、毛利が勝とうと、どっちが負けたって内々の話。一つの財布の中で動かしてるみたいなもんです。
そうすると、そこで忠義のサムライというのは、どういうサムライかというと、
勝とうが負けようと、自分の殿様のために、死んだ者が忠義のサムライなんです。
それは内戦思想なんだ。島国の中ならそれで済んだんです。外国と戦う時は外戦思想でなければならないのに、内戦思想を適用したんです、当時の指導者たちは。彼らがよく言った。「死に場所を与える」とは、何たる事か。それが
太平洋戦争の大きな敗因の一つです。≫

≪死ぬために軍人になったのではない。軍人になったのは勝つためです。戦争に死に行くんだったらね、そもそも訓練も何もいらない。
その当時の軍国歌謡の作詞家までもがね、“夢に出てきた父上に、死んで帰れと励まされ、覚めて睨むは敵の空……”。馬鹿もん!と言いたい。
どこの世界に、自分の息子を戦地に送るのに死んで帰れと、励ます親がいますか。一生懸命がんばて、片手を落とされ、両手両足落とされ、ダルマになっても帰ってこいというのが親心じゃないですか≫

≪私はラバウル行ってからね、ある事件がありまして、それで搭乗員を集めて、
やれ体当たりするの、敵地に自爆するとか言い出した者に、とんでもないと。
ラバウルまで何しに来たんだ! 俺たちは! 勝ちに来たんだ! 死にに来たんじゃねぇぞ!  
絶対、自爆は許さんと。捕虜になっても生き残れと。たった一回の命ぞと。戦争だからこそ、命あってはじめて敵を倒すことができる。死に急ぐというのは、無責任極まる。だから上の方から何と言われても、とにかく飛行機がまだ飛べて、少々自分が傷ついても、敵地に不時着して、捕虜になっても生き残れ!
捕虜になれば、相手の監視兵を使い、宿舎を使い、食料を食らい、幾分かでも、敵の戦力を削ぐことができる。
その後、私の部隊では何名かが捕虜になり、戦後に生還してくれましたよ。
私は、上からかなり睨まれましたけど。≫

≪日本人の勝負感と欧米、特にアングロサクソンの連中のね、勝負感というのはね、全然違うんです。そういう研究を海兵陸士、海大、陸大では、なぜやらかったのか。
支那事変や太平洋戦争を戦ってみての経験からですが、多民族と戦ったとき、
日本人の勝利観と彼らの勝利観の違いに気がつきました。
日本人はね、剣道なら面、小手、胴の一本勝負。お互い戦力が同等に残っていても一本で勝ち負けが決まる。相撲だったら、膝が土についただけでも負け。柔道も一本取られたら負け。
外国人の勝負観というのは相手をノックアウトするか、完全にギブアップさせるかで決まる。100%戦力を喪失させたとき勝ったと判断するんです。
スポーツと軍隊の戦いは全く違うです。
日本は精鋭、精鋭って言いながら、太平洋戦争が始まった時、それ以前の体験として近代戦をやってないじゃないですか。近代戦をやらずして、我が日本、陸海軍は世界最強だなんてね。とんでもない。≫

所轄の腕利き刑事の本庁キャリア組 批判だけでない
心魂がこもっている
先の高橋巌氏の「外の関係」「内の関係」を借りれば
坂井さん 「内の関係」触れている

生命力と死力は フィフティーフィフティーの関係
死力を失なわないこと それが生命力
<やれ体当たりする><自爆する>のは死力ではい
体当たりを命じられただけで 死力は生まれない
死力を生み出したから 最期の言葉 「お母さん」

坂井さん 御自分が訓練した若き兵士 見てきた
生きて帰れ! 死力を尽くせ!

−−−−−−★−−−−−−
兵頭二十八 『近代未満の軍人たち』
「外の関係」で近代戦に近づけなかった軍人たち
奇襲開戦計画主義の顛末
近代国家の軍隊はどうあるべきだったのか
またその軍人たちは
いつ どのようにして「自律」を失ったのか
二十三人の軍人に見る日本の興亡
2023/11/17(金) 晴れ


山本五十六


『大東亜戦争肯定論』に喝采した元軍人たち
『大空のサムライ』愛読したが
坂井三郎 不人気だった
大勲位 功一級 正三位と元帥の称号 授与 
国葬に付された山本五十六に辛辣な批判したからだ

≪山本五十六が開戦前 近衛首相から「君の率いる連合艦隊はどうだ?」
と聞かれたとき、「半年や一年は暴れてごらんにいれましょう」と。
子供のケンカじゃないんだ。「一戦ぐらいなら勝てるが、後はどうなるかわからない。国力が百倍も違う国と戦って勝てるはずがありません」と言っていたら名将だったでしょう。≫

≪ミッドウェーなんか、あの珊瑚礁なんか取ったところで、何になるですか。
結局、そういう作戦をやってしまった。≫
実行部隊は時期尚早と反対したが山本ら連合艦隊司令部は黙殺との説

≪山本長官は、二年ぐらい、アメリカの大使館付き武官を経験した。
大使館付き武官というのは公然たるスパイなんですよ。アメリカで何を調べていたんだと言いたい≫
一回表の大量得点で 米國内 厭戦気分にさせるとの計算との説も
真逆になったが 坂井さん この説 聞き及んでいたのか

山本五十六 評/論 余多ある  
映画もしかり 
「聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実」
山本五十六役=役所広司
開戦の火ぶたを切らざるを得なかった男

原作コミック 映画「アルキメデスの大戦」
戦艦大和の建造をめぐる数学者の戦い
山本五十六役=舘ひろし
戦艦無用論を激白 真珠湾攻撃をしたかった男

−−−−−−★−−−−−−
兵頭二十八 『パールハーバーの真実――技術戦争としての日米海戦』
2001年夏 刊行 
この夏 拙者 参議院選挙出馬(新自由連合・比例区)
この選挙出陣式  前田日明 兵頭さん 応援演説 頂戴する

宣伝カーの中で『パールハーバーの真実』 讀んでいた
連合艦隊司令長官山本五十六が指揮する空母艦隊
なぜ真珠湾奇襲作戦では大勝し 
わずか半年後のミッドウェー海戦では惨敗したのか?

坂井さん 精神面で<内戦思想⇔外戦思想>を説く
軍学者 技術戦争の敗北と説く
2023/11/16(木) 晴れ


大空のサムライ


【特集 戦記を読む】
サブタイトル
【生命力と死力の再発見】
こんなタイトル つけたの
『大空のサムライ』(坂井三郎空戦記録)
読後感から

坂井三郎 大ゞファンの前田と坂井さん宅 伺う
以後 取材兼ね 何度もお会いした
つい<坂井さん>になってしまう

特集 一番手
【坂井三郎/英霊たちの死の代償
日本は敗れたが、アジアから多くの独立国が誕生した
霊霊たちよ、あなた方の死は決して無駄ではなかった】

TVドラマ 刑事もの
所轄の刑事 本庁の刑事に云う
「現場を知ってるは俺たちだ」

坂井さん 軍キャリア組 云った
「前線を知っているのは俺たちだ」

≪台湾からマニラに空襲をかけるんですが、ゼロ戦ならマニラ周辺まで430〜450マイル。他の国では絶対にできないけど、ひと飛びの距離です。
司令部、遠距離なので航空母艦を使おうと三隻の母艦をもってきた。そこで無駄な着艦練習をなんと一週間ほどやりました。私たち下士官搭乗員たちには大変な時間ロスをした。
我々は、もう450マイル、500マイルはゼロ戦隊として実験済み。
その時の飛行隊長たちは支那事変で我々を率いて戦ってきた経験者。なぜ「そんな必要ありません」と言えなかったのか。上から言われりゃね、へいへいでね。ともかく、そんなことさえわからない司令部がね、我々の上にいたわけです。≫

いまの世のドラマ 所轄と本庁 ノンキャリアとキャリアの葛藤 
<人>は一瞬にて変わることもあるが 
<群れ>は変わらぬものですなぁ〜

−−−−−−★−−−−−−
ウィキペディア 坂井三郎 一節
<当時の彼の愛車、スカイラインGTを引き合いに出され、「自動車と零戦はどっちがいいですか?」という質問に、「そりゃあ、車の方がよいに決まっています。車はバックができますから」と答えている。>

来日していた坂井さんの次女に聴いた お別れ会の前だった
朝日新聞女性記者 取材
「車はバックできる 戦闘機もバックできれば……」の発言
が 車 平和の象徴のように仕上げられた
女性記者 上に そのようにした方が採用される 
としたか 上が そのようにディライトしたか
読者に「大空のサムライ」
戦争を反省し 平和を願っていると刷り込ませる

回り回り ウィキペディアとなる
2023/11/15(水) 薄曇り


大東亜戦争


論客対談 最終頁
写真 三島由紀夫/林房雄
『対話・日本人論』口絵(番長書房)
たしか 金 払って手に入れた
キャビネ判サイズの写真 しまっておいた
いま 捜したが見つからない
そして いつか ひょんと現われる

末尾
≪高橋 最後にひと言。この『対話』の中で、林「あなたは“喜びの琴”の中で、思想は相対的と言った……」
三島「それは外側にあるものだから……」というやりとりが出てきます。
戦後、諸価値、諸理念が普遍的な形で自立できなかったのは、民族、歴史の理想、それへの志が日常的、人間的な対立し、緊張する機会を失ったからだということです。そして、その緊張を生み出すのは愛情なのだから、「愛情以外に歴史を解釈する方法はない」、と林さんは述べています。≫

林房雄 『西郷隆盛』書かせたのは<愛情>か

−−−−−−★−−−−−−
林房雄といったら『大東亜戦争肯定論』
昭和三十八年(1963)連載開始(中央公論)
東京オリンピック(1964)
<大東亜戦争> 封印されていた名称

坂井三郎さん 曰く
死んでいった戦友 <太平洋戦争>なんて知らない
大東亜戦争を戦い死んでいった
死者に対して慰霊の念がない 

巻頭対談の次
【特集 戦記を読む】
◆坂井三郎/英霊たちの死の代償

坂井さんから直に その言葉を聴いて依頼
<太平洋戦争> 封印した
2023/11/14(火) 晴れ


英霊に殉死した三島由紀夫


きのう 誰かさんの誕生日パーティ
で 休筆
三島由紀夫 命日墓前参拝 来週末
バスが走る 中央参道 枯葉で埋まっているか
温暖化でまだか

−−−−−−★−−−−−−
《前田 激文の文章も、あれは文学的、文章的にもどうしょもないって言われてたけど、でも、そういった観点からみたら、それほど三島由紀夫って一個人がむき出しになっているものはないし、そういうことを、身をもってさらしたと思うんです。》
《高橋 今の話、同じことを僕なりに、一言で言うとね、殉死だと思ってるんです。英霊に対するね。だから彼の文学は絢爛とした衣装をまとっていればまとっているだけ、荒涼としています。だからあの荒涼とした世界をずっとひきずって、それで遅れた形で特攻隊に殉じたんじゃないでしょうか。
殉死っていうのは、死者に自分を捧げるわけです。そういう死生観の根底には、死んだらおしまいだというのではない日本人の確信が、潜在意識の中にあったんじゃあないでしょうか。
林房雄さんが言ってらした、コアのパーソナリティがあって、死んだらおしましじゃなくて、死んだ後の魂も、生きてるんだから、その死んだ後の魂に対して、生き残った人間が、どう向き合うかっていう課題がね、理想としてすごくな生々しくあったと思うんです。》

特攻隊に殉じたと思うと 三島由紀夫の心に近づいたような気がする
高橋氏 そう語った

この話の前に 前田 三島由紀夫の愛読書『葉隠』を出してきた
死に 犬死もなにもない 死は死
良い死 悪い死 評価する事態があさましい
前田 そう解釈した そして特攻隊の死
良いも悪いもない もっと別次元の死だと
そういうこと 彼らも知っていたんだろうな と

前田の直観力には舌を巻く

≪高橋 日本民族のそういう死生観は大変なものです。死ぬことにこれだけ道徳的な高い意味を与えた国は珍しいですね。それは右翼とか左翼とか、そういう問題とは違うような気がします。≫
≪高橋 理想と、人間的な欲望との葛藤の有様の中だけに、道徳があると思います。例えば、その理想が毛沢東主義であろうと、天皇主義であろうと、その
理想そのものは道徳とは関係なくて、私情と、そういう理想との間に、その都度現われるくる何かが道徳だと思うんです。
そういう道徳が一番はっきり現われるのは、死の瞬間じゃないでしょうか?
かつての日本人は、この点がすごく意識的で、それを踏まえて生きていたような気がします。≫

−−−−−−★−−−−−
二代藩主鍋島光茂に御側に仕えた 山本定朝 
光茂 亡き後 殉死できなかったことを理由に出家 死んだフリをした
そこへ田代つらもとが訪ねてきたことから『葉隠』が書かれた
佐賀藩 幕府の殉死禁止令より一年前に出している
佐賀藩 他藩に比べ 殉死 多かった
奥方が死んだあとも 御側用人 殉死 

初代勝茂の四男・鍋島直弘(白石邑主)が死去した際
家来三十六名が殉死を申し出たのを光茂は許さなかった

光茂 なぜ許さなかったか 所説ある
幕府 なぜ殉死禁止令出したか 所説ある
殉死の理由も所説ある
それはいい
死ぬとき いまが死にどき としたことは確かだ
それでいい
来世も 同じ<とき>を共に生きよう
2023/11/13(月) 晴れ


理想的な国家形態


前田日明 リングスの「血の繋がらない家族(ファミリー)を語る

グルジア ロシア オランダとか選手と出会う
それぞれキックボクサーだ サンビストだ レスラーだ
それぞれのプライドを持ち 対決姿勢
一個のリングの上で一個のルールでの体験を何回も何回も
繰り返している内に どんどん気持と気持の距離が近づいてくる
人間って本来 同じ共有体験の積み重ねの中で 
相手の中にあるものを自分の中に見つけたり
自分の中にあるものを相手の中にみつけたり
そういう体験の度に同一化していく
それが本当はある意味での共同体の原型で
それが膨らんでいけば それが理想的な国家形態の原点

YOUは何しに日本へ?
YUO 忍術を 空手を 居合を
はたまた酒づくりを 盆栽を 陶芸を
YOUと日本が同一化していく
血の繋がらない家族(ファミリー)へ進展していく
逆もまた然{しかり}

「外の関係」でなく「内の関係」
介添えするのは霊
ルドルフ・シュタイナーが云いたいこと
三島由紀夫が云たいこと

−−−−−−★−−−−−−
零ノ巻から執筆願った
風柳裕生子{ゆきこ}氏
初対面 
社に著作『リングス』(1990刊)持参
前田 リングス立ち上げ 1991年
後年 前田に問う
リングス 『リングス』から?
前田の返答 記憶にない

『茶聖山上宗二』 1993/4/1
『吉良さま御味方』1993/12/1
拝読
風柳さん いま どうしている
書いているか
2023/11/11(土) 晴れ


内の関係 外の関係


参ノ巻 高橋 巌 前田日明 対談
前田 口火を切った
自分が弐ノ巻で語った三島由紀夫
語りつくせていないところを語ってください

高橋氏 『豊穣の海』刊行されるたびに三島由紀夫から贈呈されてきた
本人の署名と高橋氏の名を添えて

『対話・日本人論』を久しぶりに讀む
弐ノ巻の前田の文 讀んだせいだ

高橋氏 あの当時(『豊穣の海』刊行さている頃)
自分は何をやっていたんだと悔やむ
『豊穣の海』への感想など送っておくべきだった
あれは三島からのメッセージだった

≪今回、(『対話・日本人論』を)読み返してみて、
キーワードは「内と外」だと思ったんです。
三島さんはそういう言葉を使っていませんけれど、
人間関係でもね、物と人間の関係でも、言葉と人間の関係でもね、
今はみんな互いに内側でなく、外側を見ているんですね。だから人と向き合っているように見えても、実際はみんな背中合わせになっています。言葉もそうですね。
例えば「愛」だとか「信」だとか、「誠」だといってもね、向こうを向いた言葉になっているじゃないですか。だから「外の関係」にとどまっています。こちらを振り返ってくれた時に、はじめて「内の関係」になるんですけど。
「内の関係」を林さんも三島さんも求めている。そんな感じでしたね。≫

「内の関係」「外の関係」 イマイチわからない
このあと 前田が
「この本で一番感じたのが 民族と大衆って部分ですね」 と云う
高橋氏 それに応えて
民族の原理と国家の原理 楕円形の二つの焦点みたいなもの
日本の社会 二つの焦点の回りを楕円形を描いている
社会的な関係が二つある
一つは「内の関係」 基本は個人 履歴書を必要としない個人
その個人を支えているのが 親子 兄弟 ファミリー
そのファミリーを支えているのが民族
その上には地球という母なる大地がある
この関係は全部「内なる関係」で繋がっている

もうひとつは「外の関係」 
一番基本の単位は市民 いつでも履歴書がつきまとう
国籍 学歴 賞罰 という評価に支えられている市民
その市民を支えているのは法人
その法人を守っているのが国家
国家は法人を守るわけだが 個人 ファミリー 民族を守るわけではない
どこまでも「外の関係」を守るだけ
『対話・日本人論』ではテクノクラシーと呼んでいる

高橋氏 テクノクラシー こう云う
簡単に云えば 専門知識の豊かな人が社会のリーダーになるという思想

ウィキペディア
科学技術や経済運営 社会政策などの高度な技術的専門知識によって
政策立案に参画し その実施に関与する官僚 管理者のこと
技術官僚によって経済・行政が支配される社会体制や思想は
技術家主義{ぎじゅつかしゅぎ}またはテクノクラシーと呼ぶ

−−−−−−★−−−−−−
彼らは帝国(国家)のために
体当たり したのではない
ファミリーのために体当たりした
ファミリーのシンボル 母
彼らの最期の言葉
「お母さん!」
2023/11/10(金) 雨


吉田健吾


参ノ巻 論客 高橋 巌
【我ら内なるシャーマンを
呼び醒ますときがきた】

前文に こうあった
前田 高橋氏とは一年ぶりの再会
十年ほど前 著書に感動し 会いに行く
この日 高橋氏 三島/林対談集『対話・日本人論』の読後ノートを持参
生前 三島由紀夫ともゆかりのあった高橋氏 当時の述懐から始まった

高橋氏 弐ノ巻 前田の三島/林対談集 感想文 讀んでいたからだろう
八頁にも及ぶ 

中見出しだけ追ってみよう
■三島由紀夫の苛立ち
「どうしょもない日本の現状」
繁栄に覆い隠された空洞化への怒り

■大衆と民族
「国家」という壌土と「文化・伝統」の養分
人間が個人として育つのに不可解なもの

■民族としての私
民族としての自覚は歴史的自覚であり
それを失うとき、その民族は滅びる

■無限に広がる大衆社会化
すでに崩壊した知識人・文化人の基盤
知識を情報化した「大衆」が知識人となる

■日本とはなんぞや
平等や人権がエゴ的基準にすり替わった
価値観の縦のラインの再生が急務だ

聞書き 吉田健吾
単にテープ起こししただけでない
前田の云いたいこと 自分なら こう補足すると

『葉隠』 全十一巻 一と二だけ山本常朝の直談
あとは田代陣基 書き足した
常朝なら こう云うだろうと

吉田さんの出会い
奥さん シーザー武志 シュートボクシング協会のマネージャー
あるとき「ウチのダンナ わけわからないもの書いている」
で 「HUМAN BDOY」 執筆願う
ハンマー投げ 室伏重信(広治の父)のこと書いてきた
唸った 文才に長けた若きルポライター ここに居た
聞書きのほか「前田日明語録」執筆 依頼

吉田さん いま どうしている
「吉田健吾」で検索
俳優・プロ野球選手・准教授……
出てこない

吉田さん いま どうしている
書いているか
拙者 まだ駄文 書いてるぞ
2023/11/09(木) 晴れ


近代日本が受けた精神的傷の深さ


本日も 小杉英了『シュタイナー入門』
パラパラとめくる 傍線引いてある

<僧侶たちが、みずからの教えに照らし合わせて、デウス(神)の信仰を、
究極的に同じ聖なるものへの敬虔な道であると認めたにもかかわらず、イエズス会宣教師はそこに悪魔の触手しか見ず、攻撃に終始したのである。
人としてどちらがまっとうな態度であるかが、今問題ではない。道徳的糾弾が目的ではないからだ。
重要なのは、歴史的相違を明確にしておくことである。
日本には、西洋的なオカルティズムは存在しなかった。正統教会のような、非寛容的禁圧勢力が、精神の世界を支配しなかったからである。かえってオカルト的教えの内実は、隠されることなく、密教と伝統的信仰の古層にささえられて、多様なというより雑多と言っていいほどの信仰形式へと、広く、深く、浸透していった。

「多様なというより雑多」→けだし云い得て妙
この伝統がいまの世まで保持されていたら
シュタイナー思想のオカルト的側面をいかがわしく思うことなく受け止められていただろうと 小杉さん 悔恨する

パラパラとめくる 傍線引いてある
<二度にわたる斬絶が横たわっているからである。言うまでもなく、
明治以降の近代化の過程と、先の敗戦との二度の断絶である>

<もっとも基礎的な呼吸法や鎮魂法を、どのような場面でも役に立つ伝統的な
心のしずめ方として身につけていたら、麻原彰晃のような人間が教える行法など危険で、無意味で、利己的なものか、十代の少年少女にだって見抜けただろうし、突如襲いかかってくる内なる殺意を、自分の心でこらえるための備えにもなったろう。>

<学校で習う歴史の中で、かなりの部分、正統キリスト教会の正史を鵜呑みにさせられていることに気づかない。十字軍遠征を、イスラームの側から見ることなど思いもよらないし、キリシタン宣教師が日本人信者をあえて殉死させ、それを口実に軍事支配をもくろんでいたことも、また密かに日本人奴隷を売買していたことも、言及されることはない。>

米国大統領 就任するとき聖書に手を置いて宣誓する
そしてイスラエルを援護する
−−−−−−★−−−−−−
わがまち図書館 ルドルフ・シュタイナー著作 四〇冊ほど
関連書も含めると一〇〇冊ほどある

著作 二、三冊 手にした
さっぱりわからぬ 翻訳が難関すぎるのか 
拙者の頭に難があるのか

ルドルフ・シュタイナー 小杉さんの「シュタイナー入門」
で十分だ
「あとがき」にあった≪近代日本が受けた精神的傷の深さ≫
これを最初に感知した者たち
神風連の乱 秋月の乱 萩の乱の中におられる気がする
そして西郷どんも
2023/11/08(水) 晴れ





小杉英了 
いま どうされているのか?
十年前ほど 日本ホラー小説大賞受賞作『先導者』 
贈っていただいたきりだ

『三島由紀夫論―命の形』 
讀んで 弐ノ巻 原稿依頼したのか
二ヶ月後 参ノ巻 論客 高橋巌 
ルドルフ・シュタイナー研究 日本第一人者
小杉さん 高橋巌氏 一番弟子
前田からの推薦か なら四ノ巻 以降だろう
定かでない 記憶ない

弐ノ巻 
【三島由紀夫の声なき絶叫
深淵を飛ぶ意識 
誰かに聞き届けられる慰めを一切謝絶したところで放たれた
この声なき声の残饗は、今確実に世紀を越えている。】

三島の四著 紹介している
『行動学入門』『葉隠入門』『太陽と鉄』『北一輝論』

《三島由紀夫氏の死の一年ほど前から書き始めた『行動学入門』に、
こんな一節がある。
■ことばでもって自分を鼓舞することは常に危険である。
「十一月に死のう」というときに、そのことばでもって自分をかきたてようとすれば、行動はそれについていけなくなるのである。…………長い待機の時間はことばでないのである。行動とことばとの乖離が行動を失敗させるように、ただことばや観念で待機に耐えようとする人間は必ず失敗する。(『行動学入門』)

実際、三島由紀夫 十一月に自刃
小杉さん 決意し それを持続することと
実行することの間には深淵があると
その存在に気づくには 決意を実行に移した瞬間

『葉隠入門』
≪本気にて大業はならず。気違ひになりて死狂ひするまでなり。」
この反理性主義、反理知主義には、もっとも危険なものが含まれている。
しかし、反理性主義、反理知主義の最大の欠点は、危険に対し身を挺しないことだ。(『葉隠入門』)
 狭軌まで踏み込まなければ、数十人を相手にして我が身を投げ出す大業は成し得ない……かく言う『葉隠』を、生涯の座右の書に挙げた三島氏はしかし、単なるファナティシズム(熱狂主義)を揚げているのではない。
 一見、熾烈な心情の昇揚は、言葉や観念が紡ぎ出す意味世界の対極を指さしているように見えるが、三島氏は火の玉となって深淵を越えたのではないのである。≫

−−−−−−★−−−−−−
ホラーとオカルト ちがい どうでもいい
キリスト教文明圏のハナシだ

受賞作『先導者』 受賞時タイトルは『御役』
編集者 『御役』ではわかりずらいと

小杉さん 「霊」を書いたのだ
霊を ホラーとオカルトと十把一絡げにしている
いまの世のひとに 霊と どう関わっていくのか
それを提示したのだ
2023/11/06(月) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信


鈴木邦夫 お別れ会の折
前田日明と 久しぶりの 久しぶりに会う

「いま何してるんですか?」
「ネット配信 武道通信かわら版ってのを出して
いるよ」
元編集長 讀んでくれよ(呵々)

こちとら 家紋入り“紋付袴”
前田 相変わらずラフ
引退記念日に特注(LLL)の
野袴・胴衣 贈ったけど
一度も 袖通してないな(呵々)
2023/11/05(日) 曇り


「形」と「型」


《人間、自分一人のために出せる力なんて、たかが知れてるというか……。》
との前田の言葉に
猪瀬氏
林房雄との対談で三島由紀夫 面白いこと言っている
要するに 個人の力でやれることなんか 大したことない
オリジナリティなんて嘘だよ
つまり「伝統」というのがあって それは「形(型)」
「形」みたいなものも中に すべてが凝縮されている
「形」さえ守っていればいいんだ

前田 それに対し
《「形」ってことで言えばね、理想の日本人像っていう、儒教的なね、
エピュキリアン(人間的)なストイズムみたいなそういう「形」が、かつてあってはあったんじゃないですか?
豪放磊落であると同時に、社会との関わりを重んじて自分自身を律するみたいな理想的な日本人の「形」みたいなものが》

前田 それから戦後の変貌を語る
<戦後半世紀 無抵抗にイエローヤンキー化した>
<無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国>
前田なりに それを語る

松岡正剛 連載二
【型と稽古
 ――稽古とは「古{いにしえ}「古にとどまる」こと。
世阿弥は型の発生を‘古き姿’を見つめることから生まれたと考えていた。
型は「稽古の型」として確立した。】
《私は三島由紀夫とは一度会っただけである。……………………
それはともかく、私が会ったその三ヵ月後に、三島由紀夫は市ヶ谷で自刃した。
型通りの自刃であったと聞く。何度も自刃と介錯の練習していたのであろうとおもうと、胸がふさがれるおもいである。》

−−−−−−★−−−−−−

【形】【型】
古武道は【形】 古文書 伝書に「形」ある
現代空手 【型】
広辞苑
(ふつう「型」と書く)個々のものの形を生ずるもととなるもの、または個々の形から抽象されるもの。
@形を作り出すもとになるもの。鋳型・型紙などの類。「―を取る」
A伝統・習慣として決まった形式。「―破りの人」
B武道・芸能・スポーツなどで、規範となる方式。「踊りの―」「攻めの―」

「形」と「型」 どちらをつかっても可
2023/11/04(土) 晴れ


憂国忌


「憂国忌」なるもの 参加しなかった
一水会主催「野分祭」のも
俺の三島由紀夫で 俺たちの島由紀夫でなかった

「武道通信」創刊後
十一月二十五日 多磨霊園 平岡家墓前に立つ
今日までつづく

いつだったか
平岡家 墓守と自称した小柄な老人 云った
拘束され東部方面総監
毎年 この日 墓前に立つという

今年も「憂国忌」「野分祭」 行われる
五十三回 つづけられている
一〇〇回 つづけられていたら
それは「形」になる


あすは「形」の話
2023/11/03(金) 晴れ


神慮{しんりょ}


前田日明 なぜ三島由紀夫に興味を持つようになったか
前田 高校時代 空手に熱中
空手道場の先輩 「文武両道じゃなければ駄目だ」
文学を讀め 文学って何ですか?
「太宰治だ!」
 
太宰治讀んだら体調不良に
≪なんか、自分の中にあるデキモノみたいなものを、
いちいちそれがここにあるんだって知らされて、
こうして潰してみせて、ほら汚いだろうって、
その繰り返しみたいな感じで。≫

いろいろ讀んでいく内に、
たまたま三島由紀夫の『不道徳教育講座』を讀んですごく元気になった云う
その後 小林秀雄とかいろいろ讀み進める
プロレス入りして一年間 イギリスへ
帰国後 また小林秀雄 讀み進める
小林秀雄と江藤淳対談 讀む
小林 「あれは(三島由紀夫事件)吉田松陰に繋がる系統の事件」
それが気になって

猪瀬直樹 日ノ本のナショナリズムを語る
前田 三島由紀夫が腹を切らなきゃならなかったか
わかった気がしたのは 三島が林房雄との『対話・日本人論』

猪瀬 対話に出てくる三島が憑かれた紳風連のこと語る
宇気比{ウケイ}の占いで政府軍の熊本鎮台の攻撃 「可」と出る
攻撃は成功したが 翌朝からの政府軍側で猛攻撃で首謀者大半 自刃

紳風連 神の御心 神慮{しんりょ}で決起したわけだ
前田 戦国武将も神慮を信じ切っていたんですね
猪瀬 何か背負っている力があるということなんだよね
なまじ迷信とは云い切れない
そこで 前田に質問
試合のとき前田自身 そういうこと考えませんか?
≪前田 ありますね……というか、個人を超えた絶対的な大きな力と、
どこかで繋がっていないと、人間は本当の力は出せないというか。
人間、自分一人のために出せる力なんて、たかが知れてるというか……。≫
2023/11/02(木) 晴れ


日ノ本人の潜在意識


弐ノ巻 論客 猪瀬直樹
【「形」を棄てた戦後日本人】
≪対論日10月25日、対論場所は猪瀬直樹事務所。……
カメラマンの撮影準備中、事務所内を案内してもらう。
一階から三階まで吹き抜けの書架。資料の蔵書は著者ごとに整理して
あるという。屋上に一人用のプールと展望台。麻布の夕暮れが眺められた。
恒例の表紙撮影。前田の背丈では、天上の高さかいま一つ無理と二人座ってのポーズでの撮影となった。≫

並んだ二人に白いボードを手にてもらった
ここに市ヶ谷駐屯地バルコニーから演説している三島由紀夫をはめ込んだ
(HP既刊案内  表紙 ご覧あれ)

≪前田 その(学生運動していた)猪瀬さんが、なんで何十年もたって、三島由紀夫を書こうと思ったんですか?≫
猪瀬 結局あれは何だったのかな? 学生運動っていうのは、結局、モダニズムだったんですね。……インターナショナルとか当時よく言っていたけど、じゃあナショナルって何んだ?≫

≪前田 三島由紀夫がしきりに言っていた「文化」とは何か? っていう、そんな風な問題ですか?
猪瀬 というかね。ほら、学生運動は非常に表層の、ちょっとお勉強した学生が騒いでいただけの話ですよね。つまりそれは庶民には届かなかったわけでしょう? 学生がただ騒いでいるだけだよね。
 当時、僕が思ったのはね、デモやってて、神宮外苑から青山通り通って日比谷公園に向かうだけど、途中くたびれて、ちょっと抜けたことがあったのね。
デモの隊列を抜けて、一つ隔てた通りに入ったら、もうそこはパチンコやっているわけよ、みんな。……
 もう別世界。自分たちがやっていることって、モダニズムに過ぎないって、そのとき実感しましてね。
 だから万博で一区切りついて、三波春夫がああいう唄を歌っててね。ある種の通俗性だよね。あの通俗性は、でも人の心を捉えるわけですねよ。人の心を捉えるというのは、日本人の下意識っていうか、意識の下の部分にはそういうものがあるわけでしょう。庶民がスーと入っていくような世界が。
 学生の空騒ぎみたいなモダニズムと、全然違うなと。それで、伝統とか日本的なものって何だろう? 自分のアイディンティティーって何だろうとうって、
そういうことを考えはじめてね。≫

−−−−−−★−−−−−−
デモしていた 横須賀で 原子力艦船寄港 反対デモか
デモの隊列抜けた 疲れたわけじゃない
道路隔てた向こう側を歩いた
デモ隊をデモしない人として見たかった 
己を客観視したかった

向こうから 米軍制服を来たふたりの男がきた
上等な生地 仕立て 軍籍上級クラスとみた 
ふたり 脇道に入った 
デモ隊 コバエでも追い払うかのように
後を追った
子らの話でしているのかのよう 談笑し歩いている

負けた! 胸中に奔った

2023/11/01(水) 晴れ


敗戦後少年


きのう 弐ノ巻 編集後記 と記したが
編集後記「無銘刀」と題していた
壱ノ巻 めくって気づく
創刊から傘張浪人と揶揄していたのだ(呵呵)

壱ノ巻「無銘刀」 抜粋
<昭和45年11月25日、西暦1970年。就職して4回目の給料日の午後のことだった。
何とか潜り込んだ出版社からさほど遠くない市ヶ谷の自衛隊駐屯地で
三島由紀夫が切腹した、と家内から電話で知らされた。社への初めてだったので、身内の訃報かと思った。
当時、給料は現金支給で、“清貧”の日々、給料日の晩餐は格別のものであったが、この日は家路に足が向かわず、学生時代馴染みの喫茶店のボックスでうずくまっていた。
三島由紀夫は高校時代、幾つかの小説を愛読していたが、左翼学生となった頃は三島由紀夫の“振る舞い”は嘲笑すべきものと、片隅に追いやっていた。
この日の三島由紀夫の振る舞いは自分だけ生き延びている後ろめたさと、得も言われぬ寂寥感を私の体の奥に貼り付けさせた。>
 
家内 公衆電話からだ 拙宅にはで電話など贅沢品はなかった
なぜ 電話してきたか 書棚には三島由紀夫の本 一冊もなかったはずだ
手がかりは[切腹]だったか
 
弐ノ巻 三島由紀夫 特集
前田も大賛成 
【編集長対談 論客 猪瀬直樹 
三島由紀夫が 己の腹に放った刃{やいば}を 我らが胸に抱く日が来た】

猪瀬氏『ペルソナ―三島由紀夫伝』 讀んでいた
『ミカドの肖像』『日本国の研究』も讀んでいた
猪瀬氏とは同じ1946年生まれ
信州大学全共闘議長 左翼学生も同じだ
既成の左翼に幻滅したのも同じだ
橋川文三を敬愛していたのも同じだ
猪瀬氏 明治大学院で直に教えを請う

対談の依頼で氏の事務所にで向く
同じ敗戦後少年だが 事務所の立派さは桁違いだった(呵呵)
2023/10/31(火) 薄曇り


やわら


壱ノ巻
【日本伝柔術の世界 小佐野淳】
小佐野淳 ウキペディアで検索できるだろう

文中 鉛筆で棒線 引かれている部分 拙者が引いたのだ

≪日本古来の相撲・甲冑組討が、徳川時代になって
武士を武士を担い手とする教育手段として昇華した徒手武術が柔術であると考えられている。≫
≪甲冑組討の進歩は、単なる力の激突から脱皮して、いかに合理的に敵を倒せるかという「術」の要素が含有するようになる。
 そこに実戦的経験から生まれた「理論」が形成され、理論がさらに具体化された技法を導き、「事理一致」の武術形式が成立する。それが近世になると、伝授方法による武士教育としてさらに細分化され、ここに幾多の流儀が誕生した。≫

 
≪柔術は元来「やわら」と訓んだ(訓読)。しかし、今では「じゅうじゅつ」と訓む。柔の文字は、近世の徒手武術を表現するに最も適した文字だった。
やわらかく取るのが柔術の特徴であり、「柔能征剛」が柔術の基本だった。
 柔術が他の武道と決定的に異なる部分は、最終の止めの技を以て敵を殺傷しないところにある。柔術には「神武不殺」の精神が根底に流れ、殺傷は最低下劣な行為とされている。
 殺さないために武器は所持しない。瞬時に逆手を取って捻じ押さえ、あるいは当味を入れて投げて固める。これが柔術の技法である。≫

≪日本伝柔術ではまず、厳格なを伴う。単独で稽古することはない。これら(受身、体捌、当身)技術は相手と組んで、実際の形の中で稽古する。だから十回受け身の稽古をしたい場合には十回投げられる。実際に投げた感覚と投げられた感覚を徹底的に体で覚える。両者が慣れくれば、形そのものが次第に角がとれて奇麗になってくる。無駄がなくなって理に適った形となる。形の全てはこの方法で身につける。≫


日本伝柔術は形の教習が全である と云っても過言ではない
形とは<やわら>である

−−−−−−★−−−−−−
弐ノ巻 編集後記
<十歳に満たない頃であろうか。祖母が「日本の兵隊さんは一対一なら負けなかった」と語った。それを聞き、小石を戦艦 戦闘機に見立て、米艦隊、戦闘機を撃沈、撃墜させて遊んだ。この言葉は子供ながら唯一の救いだったのだろう。>

小佐野さんからハガキ 届く
落涙したと

拙者より一回り歳下の小佐野さんにも
祖母の言葉は届いた

明日からは 弐ノ巻
2023/10/30(月) 晴れ


活法 殺法

パリッシュ
日本人の知らない漢字 知っていると
たしかに
『活殺法の秘奥』『臨床武道医学』
拙者 読めない 書けない漢字
整体院 行った折
居合いの袴(野袴) ハンガーに吊るしてあって笑った
やはりガイジンだ YOUだ
畳むという日ノ本文化とは無縁だった

YOUは何しに日本へ?
ブルース・リーに憧れ アメリカへ
武道はアメリカにはない と日ノ本へ
YOUはイラン出身 母方はフランス系とか

イラン出身のYOUが
日本武道医学会二代目会長になれたか

大日本武徳会柔道範士九段 中山清との出会いだ
中山に こんな逸話がある
米國で柔術(柔道)を講習した折
米國人から「なぜ赤帯を締めているのか?」と聞かる
「日本には武医同術があり
武道の高段者であれば 
必ず応急手当の技術を身につけなければならない
応急手当の技術を出来る指導者は赤帯を締められる」と答える

パリッシュ 武道医学の道を歩ませた
《武道医学を一つの巨大な学問として創設した中山清先生は、
いつも「救急法を出来ない武道家には武道を教える資格はない」、
また「応急手当が出来ない治療家は治療院を開くべきではない」と
言っておられた。》

《殺活自在などの技法に欠かせないのは、急所という経路上に存在する
生命の活動点が使われる。急所は柔術の口伝によると、「急に」
すなわち「すみやかに」響く所で、生命の様々な活動点である。
急所には毒変じて薬となる」如く、表裏一体の作用があり、
当身で急所を打てば殺法となり、相手を救うためには「救所」を治療点として活法になるのである。これは表裏一体、殺活自在の武医学同術、すなわち武道医学の世界である。》

−−−−−−★−−−−−−
殺法=柔術で当て身で相手を気絶させる
活法=気絶させた相手を蘇生させる
東映時代劇でよく観た 背中をポンと叩くと蘇生した

パリッシュの村正
先生・中山清から譲り受けた
パリッシュ 日ノ本を去るときがあったら
村正は日本へ置いていくと
外の国へ運んではいけないと
その際 拙者にくれ と云ったら
YOU ノー・コメント
2023/10/29(日) 晴れ


武医同術


ハマス⇔イスラエル
古くて新しい宗教戦争
宗教と戦争はセット

かつて武道は 
殺法と活法のセットであった

ハバロスクサンボツアー 二回目だったか
無料招待 読者応募 一名
ハガキ どのくらい來たか記憶ない
その中から一名 選んだ
いや 故意に選んだ
ハガキの主 サイード・パリッシュ
どんな奴だ

俺は第一回 団長で充分
サメの刺身には閉口 二回目からは“代打”

パリッシュとその後 会う
なにせ同じ中央線の“お隣さん”
三鷹で整体院開業していた

出版局在の折 
活殺法の秘奥―武道医学極意 柔術整骨医法
臨床武道医学―続・武道整体医法
二冊 刊行“してやった”

居合を誘ったのはパリッシュ
三鷹に天然理心流 居合道場があった

「武医同術」 東郷平八郎の色紙コピー 頂戴
(どこかへいった 探せば出てくるだろう)
パリッシュ “妖刀”「村正」 持っていた
これはあげないと

あすは 壱ノ巻
【武道家のための 日本武道医学
かつて武道のカリキュラムに「医術」があった。
忘れられた「武医同術」】
サイード・パリッシュ
(日本武道医学会二代目会長 日本武道医学専門学院院長)
2023/10/28(土) 晴れ


<いのち>


清水 博 【「間合い」と「場」】

≪柳生新陰流の間合いというものを柳生(延春)先生が語られているところを伺うと、間合いには身体的、直観的に創出された場としての空間の中でこそはじめて成立する関係であって、その場としての時空間には、自己と相手の心理や運動性を含めて様々な暗在的存在している様です。
 それは斬り合いの状態にある双方を自己限定的に包摂する場としての空間と時間の中で距離を意味するものでも、また物理的な意味でのスピードを意味するものではありません。この「場」としての時空間の創出ということがなければ、剣道は外的的世界の因果率にしたがうゲームとなってしまいます。≫

清水氏 剣道家ではない
氏の「間合い」と「場」を解説するのに柳生新陰流を出してきた
剣道が外的的世界の因果率にしたがうゲームとなれば
それはモグラ叩きでしかないと

≪「場」としての時空間の創出≫
これが清水氏のエッセンスである

二十五年ぶりに讀んで
ふと 空海を想い出した いや
司馬遼太郎の『空海の風景』を想い出した

人は死ねば すべて宇宙の塵となる
この一節 いや 本文の一節ではなく
司馬が空海はそう考えている とのことだったか

塵はほこり ごみではない
<いのち>だ
<いのち>として昇華していく そんな意味合いだ

清水氏 いま こんなこと云っている
「人間が自分自身の〈いのち〉を空洞化して
仮想空間に住む人工物に置き換えていくという信じられない
変化が世界的に進行しています。
これは「他の人より多くを 独占したい」という、
「この私」の独占欲から生まれてくる心の病です。
私たちがこの不幸から解放されるためには、
「この私」という概念そのものがすでに 〈いのち〉のない仮想モデルであることに気づいて、「誰もが主役」という〈いのち〉本来のドラマを共創していく実践が必要です。」

千二百年前の空海の言葉に変えたら
「生の謳歌を肯定し 後には その当然の属性である愛欲すらも
宇宙の真理のひとつの表現」
とでもなるのか
2023/10/27(金) 晴れ


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