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あわれ → あっぱれ


夏日 → 風日 → 雨日
空模様 移ろう

九ノ巻  論客対談 つづく
「かりそめ」  でてくる
【松岡→もう一つは、「かりそめ」ということが僕は大事だと思っているですが、
「真」なる世界に対して、いつもかりそめ、「仮」の世界というものを置きますね。
そして、かりそめから「真」をすうっと見る。我々は仮住まいであるとか仮の宿にいるんだとか、仮の命を送っているんだというふうに考えるんですね。】

前田 それに応えて
湾刀になった日本刀も中心を外したのではと
武器ゆえに 使用法から湾刀になった 

支那の青竜刀
十六世紀ごろ インド/トルコで生まれた湾刀
後年 西洋のサーベルを生む

日ノ本の湾刀  他国にない特徴がある
鎬{しのぎ}

なぜ 鎬が生まれたのか
騎馬戦で矢が尽きると 太刀での勝負となる
相手の太刀筋を鎬で外して 鎧兜の隙間 相手の喉を突く
これ籏谷嘉辰説

相手も同じだ 鎬の削り合いだ
「しのぎを削る」との言葉を生んだ
要は中心を外す戦法なのだろうか

中心を外す美学
ゆえに 日本刀の美しさを愛でた

そう 今月十九日(日)
全日本戸山流居合道全国大会 催うされる
撃劍トーナメントもある
足を向けることにする

話が外れた
あわれ → あっぱれ
次回に
2024/05/13(月) 雨


中心を外す美学


松岡氏
「能」 「いかす] 「いけどり」 「おとづれ」
語ってきた
次は 
中心をずらす
「際」「端」 「切れ」 の発見

四天王寺や飛鳥寺など 六世紀後半に建設された寺院の伽藍配置
左右対称 支那から伝わった建築法
しかし 七世紀末 建立された法隆寺西院伽藍
右手に金堂 左手に五重塔がある非対称の配置
コレ 南京大学出版社出版 『図説日本建築史』から

六世紀後半〜七世紀末  飛鳥時代〜
藤原京に遷都 平城京に遷都
このとき
「能」 「いかす] 「いけどり」 「おとづれ」「際」「端」 「切れ」 
の発見の初動があったのではないか
<ひらがな><カタカナ>の発明  つづいたのではないか

【松岡氏→それは、日本が中国的な哲学や美意識やパワーというものを受け切れなかったと見るか、中国とは違うものを作ろうとして中国のものを受け入れながら、常に中国とは違う、対称性を崩すほうに走ったか、どちらかだと思うんですが、僕は後者をとっています。】

古代ギリシャのパルテノン神殿からバッキンガム宮殿
左右対称  自然を征服した証
非対称 自然と同化した証

中心を外す   
天皇も中心ではなかった
2024/05/08(水) 降ったりやんだり


きのう 武道通信かわら版 配信


きのう 夏日
きのうは 立夏
夏の兆しが見え始めるころ 夏のはじまり
暦も 狂いはじめたか

いや 長いスパーンでみれば
むかしもあったことだ
すったもんだしても詮無い

きょうは 振替休日 
なんで きょう 振替休日?
きのう子供の日で お父さん 子供と遊んだから 
仕事したから
きょうは 振替休日 ??
2024/05/06(月) 晴れ


「詫びる」から「ワビ」生まれた


松岡氏 捨てたのは銃だけでないと
朝鮮から活版印刷 入ってきたが
家康 朝鮮戦役ごろ捨てた
これも誰も答えを出していない
これも謎だが
これに よって木版画の浮世絵 発達
書道も同じく

【松岡氏→僕はそこに「満足」と「不足」という問題が横たわっているように思うんです。
完全に満足して満ち足りていくというならアメリカンドリームとかの生き方になっていくんですが、どうも日本では必ずしも満足だけが美でもなくし、成功でもないという考えがどこかにあります。そして、足りないとか不足している、欠けている、そういうものを活かしたいというのがずっとあるんですね。
これはワビサビにもつながります。わびるとか、さびるということは、ある意味ではうまくいってない状態のことなんです。自分の持ち合わせが足りない。そこで、こんなもので申し訳ないけれどと言ってお詫びする。それがワビのスタートです。そのセンスは日本独特ですね。…………不足感というものが、その人の勇気とか手配とか取り合わせが美になるわけです。】

松岡氏  古田織部 語る
【それまでは楽焼という長次郎が完全無欠のすばらしいお茶碗をつくってきたんですが、織部の時代、つまり武蔵の時代になると、ぐにちゃりと曲がって損なった茶碗を茶会に出すようになります。そのときに人々は驚いた。これは損ない物だろう。剽軽{ひょうげ}ものだろう。失敗作であろうと。(織部)そうだと、しかし私は今日の日のため用意したものがこれしかなかった。申し訳ないけれどもこれで一夜を楽しみにしたい。その時、それが新しい美になっちゃうんですね。】
 *剽軽→こっけい・おどけ(道化)・ふざける。「ひょうきん(剽軽)」のなまり

剽軽の茶碗が美になっていく連鎖は どのような光景だったろうか
タイムスリップするしかない

松岡氏  日本人は 物差しがポジ一つあるだけでなく 
ネガがもう一つあると云う
このネガの物差しを出されたときに 日本人は面白く反応するわけだ
そして 云う
 「でもワビサビの源流は まだ解明されていない」

古田織部の先人はいるのか 誰なのか
不完全ゆえに<完全>とする意識 どこからきた
<武蔵の時代>より はるか昔なのだろうか
2024/05/04(土) 晴れ


鉄砲を捨てた日本人


懸待一如から火縄銃の話しとなる
中見出し 鉄砲を捨てた日本人 
松岡氏  あれは世界史的な謎ですね と

【松岡氏→ノエル・ペリンというダートマス大学の先生が
『鉄砲を捨てた日本人』という有名な本を書いて、
それを川勝平太さんが訳していますが、そこではこの謎を、
単なる人殺しの鉄砲を論理性のある刀剣に回帰させた
江戸の鎖国社会のおもしろさとして綴っています。】
川勝平太  あのリニアの静岡県知事
それは さて
<鎖国社会のおもしろさ>と一言されても わからぬ
<鉄砲を論理性のある刀剣に回帰させた>
これはわかる
高山武士さん 語っていた
<江戸幕府 刀鍛冶作業場に神棚 強制した
武器ではない 神聖なものつくっているんだと
泰平の世 武士のジレンマから生まれた「武士道」
コレとセットだったんだ

欧州にも類のない優秀な火縄銃 世界一大量の火縄銃
なぜ 捨てたのか  日本人は……
この謎  異邦人 こう解いた
ノエル・ペリン 『鉄砲を捨てた日本人』(川勝平太/訳)
頁 めくってみよう

まずは日ノ本と欧州 比較論
豊臣秀吉 朝鮮への出兵 大号令の年
武士の人口 凡そ二〇〇万人 総人口8%と概算 (家族は省く)
比べ イギリス 騎士階級 家族合わせても三万人 総人口0.3%
欧州どの國とっても1%を超える國はなかった
前書きに書いた

ノエル・ペリンの 謎解き 要約してみよう
其ノ一
鉄砲は武士でない足軽が持つもの 武士は鉄砲を蔑んでいた
徳川幕府 この念{おも}い重要視し 治世を堅持するため鉄砲軽視を助長させた

其ノ二
日本の島々は自然条件によって侵略が困難  そして軍事強国
刀槍弓によっても果たすことができた
ポルトガル人 日本征服どころか その考えすら起こさなかった
スペイン人 一度日本の征服を考えたかに思われるが 
その思惑はたちどころに一蹴された
江戸幕府開闢三年後
スペイン太平洋方面の総督に対し厳命が下った
日本軍の前に「わが軍隊と国家の名誉をそこなうような危険を冒さぬように」
ただ一度  シャムにおいて日本の不正規軍(浪人)とスペイン人との間で会戦が行なわれた 勝ったのは山田長政

其ノ三
ペリン 「日本人はいまでも生活態度の堕落を『身から出たサビ』と表現する
日本刀 ヨーロッパの騎士とは比較にならないプライドの象徴「武士の魂」であった
ペリン 事例 二つ挙げている
一つ 1575年、長篠の合戦において  弱冠24歳の若武者・奥平平八郎信昌
鉄砲隊を主体に小さな長篠城を守り切った軍功により合戦後に主君徳川家康から褒美を賜った
身分の昇格 領地 最高級の火縄銃でもなく 家康が所持していた長光の刀一振であった

二つ それから三十年余り後の慶長十二年 
功績があった鉄砲鍛冶年寄四人(寿斎/徳左衛門謎善兵衛/兵四郎)
駿府に召出されて家康に御目通りを許される厚遇をうけた
御褒美は 帯刀を許された
年寄四人  金銭より嬉しかったのだろうと ペリン 察している
「苗字帯刀」 武士以外の者の金字塔であった

ペリン 曰く
16世紀以前の西洋 宝石をはめ込んだ刀剣が象徴的意味合いを担ってた
しかし その後の西洋では 観賞用と実用とをはっきり区別するようになりる
審美性と実用性の分離 武器につきものであるが
日本の武士 審美的なものと実用的なものとを分けることはしなかった

其ノ四
武士が戦争で弓刀槍より実力ある鉄砲を軽視していた
なぜ軽視していたのか
鉄砲は西洋から渡来したものであり キリスト教宣教師への警戒感
欧州商人への嫌悪感と結びつくところがある
(多少 あったことはあろうが  これはいささか首をかしげる 欧州人のひがみもあろう)

其ノ五
1500年代後半から1600年代前半
日本の戦を決する主力武器が鉄砲なる
それでも武士は刀そのものや太刀さばきを美しいと感じる
しかし鉄砲を美しいとは感じられない 美醜の感覚はどうにもならない

鉄砲足軽の操作する鉄砲
目に見えない弾で練達の刀槍武士を斃す
鉄砲は武士が長くつづけて磨き上げてきた武技の鍛錬や身体作法
そして戦場作法などになじまない

ペリン 『稲富流鉄砲伝書』 1595年(文禄四年) 詳細に紹介
この『伝書』 火縄銃を撃つ姿勢をことごとく示した三十二枚の絵図
『鉄砲を捨てた日本人…』には うち七枚の絵図を掲載
各図には稲富流砲術家による注釈が付されてる
正確に標的を撃とうと思うならば 行儀作法には構わず「膝と膝との間を開くべし
そして撃て」とか
そこにはまた かなりの階級意識を垣間みることができる
この書は武士向けのものでありながら、図に描かれている男は
いずれも農民の髪型で 身にまとっているのは褌ふんどし一枚
このようなぶざまな格好をしたジェントルマンたる武士を描くのは忍びない  
とのペリンの心情が吐露されているかのようである

これが異邦人の謎解きである

武士に銃をすてさせようとした家康
家康ひとりの策ではあるまい
プレーンの僧侶 幕僚たちの案でもあろう
彼らは 戦国 乱世を知りぬいている
そんな彼らが 策を練りに練って 銃をすてさせたのだ
2024/05/02(木) 晴れ


古代から日本に生きている「いかす]


【松岡氏→剣術の場合も相手から取り出すものを非情に重視しています。これはフェンシングとかバイキングの武術論とは全然違います。相手からの情報を取り出して、それを一刀流とか無刀流とかにしたりする。それが行きつくと、真陰流の「懸待一如」になったりするんです。
世界中の武術論を読んでいても、だいたい「待つ」などという言葉がこんなに出てくるのは日本しかないんです。相撲の「待った」も珍しいですよ。これは僕はもともと「能」「芸」というものの考え方が「いけどり」というか、相手から力を引き出す、借景する、そういうものに根本思想があったからだと思うんです。
ヨーロッパの防衛、プロテクトはほとんど壁ですね。スポーツでもブロックという言葉を使う。都市や家も石垣とか壁できっちり守ってしまう。中国ですら家屋は四囲式といって全部壁で囲って、真ん中に中庭をつくるわけです。
ところが日本では神社の結界がそうですが、ずっと開いている。瑞垣{みずがき}、玉垣、透垣{すがき}、生垣みたいに、半分素通しになっている。民家や農家の多くは、よほどでないかぎり、どこも塀なんか持っていなくて、植込みがあって、覗こうと思えば中が見えます。その象徴が軒や廂{ひさし}や縁側ですね。では、どのようにして、自分のエリアと相手のエリアを分けるかというと、結局その距離感覚や気配感覚の中で相手をプロテクトする。そのためには相手の情報を自分で閉ざしたりしない。むしろ受け入れ、「いけどり」することによって関係を成立させているんです。
この、受け入れるというところに何か独特のものがありますね。そこが結局は「待つ」、あるいは「間」を大事にする、といった武術を生んだのだろうと思います。】

【前田→武道で言う「後の先」というものになったんすね。】
松岡氏 同意 
松岡氏 前田に問う 格闘技でも 向こうに技を出させて抑え込んだほうが強いと思いますね
【前田→ええ、カウンターが一番実利的で効果的です。いい技というのはほとんどカウンターです。投げでも何でも。
相手の出方を見て、それに対して自分の力を合わせていく。自分の身体を動かそうとする力はすごいエネルギーを使う。だから相手にそれを使わせてしまう。でも攻めるときは反対に、相手の力をうまく利用すると自分の力が活きてくるんです。】

松岡氏 相手の力をいかす 「いけどり」も「いかす」
この「いかす」が古代から日本に生きている
前田 生け花 本当は「活花」 蘇生術は「活法」

【松岡氏→「いけどり」というのは、相手が自然であれ現象であれ人であれ、それがどういう状態の動向を受けて、それを活かしながら何かをやることです。
これは万葉集などにたくさん出てきます。花見、雪見、月見というものも日本独特な世界的にも珍しい遊芸ですが、これは全部向こうにあるものを活かしながら楽しむ。
月見でもいっぺん盆に水をはって活けるとか、雪見も雪の盆をつくって、雪をそこにもってきて、それを通しながら本来の雪を感じる。
 日本文化はそういうインターフェースにあたる仲介装置をたくさんつくったんですね。それが屏風や襖に絵を描くことになり、障子や御簾{みす}(すだれ)、 几帳{きちょう}や暖簾になったわけです。】
前田 日本人は仲介装置というものをつくる達人であるわけですね
【松岡氏→では、どういうふうにこちら側に引き寄せてくるか。何を最初の情報として掴むかという問題があって、中国の禅語録と日本の禅語録を読み比べて」も、そこに違いが出てくるのですね。
(中国の禅は)つまり向こうからやってくるものを先に捨てるなり使うなりして、ぱっと悟りを開く。(日本の禅は)一休などの場合は、たとえばカラス「カァ」と鳴くまで待つわけです。その瞬間にそれを使って、それを禅機というんですが、一挙に自分で入っていくということをやりますね。
 それを僕は「おとづれ」と言っているのですが、その訪れるもの、向こうからやってくるものの何かをきっけけに、自分の方のトリガー(引き金)を引くのです。
「おとづれ」というものはもともと「音を連れる」と書くわけすが、何かがやはりインフォメーションとしてあるということですね。まあ、気配のようなものでしょう。そのキャッチウェーブ感覚、それが非常に研ぎ澄まされているのではないでしょうか。】

−−−−−−★−−−−−−
「おとづれる」 キーボード打つと 「訪れる」と漢字変換 でてこない
辞書 「訪れる」 <おとずれる>と読ませる 
敗戦後国語政策 
「音を連れる」 語源が消された

福田恆存{つねあり} 『私の國語ヘ室』 讀み
敗戦後国語政策に憤り
二十数年前から
この奮戦日記  旧かな旧漢字(歴史的仮名遣)で綴った

格通や週プロのハナシとなり 当時の時代色に合わず
旧かな旧漢字 止めた
ただし 「讀む」「云う」「國」などは使っている
国名は美称語で「日ノ本」
2024/04/30(火) 薄曇り


パイプのけむり


パイプ 新調
Butz Choquin (ブッショカン)
Made in France since 1858
唾液を乾かす白い塗料らしきものが内側に貼られている
確かに唾がたまらない 
Ça me plaît (いいね) 
買い求めたのは
そのむかし わがまち 国立 大学通り沿いにあった
いま 国立郵便局支店となり その横道
紀伊国屋国立支店を曲がった すぐそこへに移る
店名 「さえき」

主が存命だった二十年近く前からパイプ葉を求め通う
一番下の孫を抱っこして行った記憶も
娘さんから飴玉を貰う
いま 大学一年生 遠い記憶

パイプ 初めて吸ったのは 大学二年
アメ横で求めたコーンパイプ
葉は近くの煙草屋のガラスケースに入っていた「桃山」
唯一の国産モノ
そのうち 海老茶と緑のパッケージ
米國産HALF and HALF

四半世紀前 
生前の叔父から頂戴したパイプ  ダンヒル
手入れ道具も入った皮の もち歩きパイプケース
ZIPPOだったか パイプ専用オイルライター 
どこかへ消えた
叔父が あの世へ連れて行ったか
パイプのけむり 目で追い 天を仰ぐ

残るのは
二本置く木製パイプスタンドと 
葉入れ 周りに皮が巻かれ 蓋は木製
かなり高級品といった佇まい
ぽっぽ屋の給金取りだったが いいもの好きだった

また 話しが逸れた
次回 懸待一如 
2024/04/28(日) 晴れ


生きている英霊


松岡氏 平成十二年(2000)の二月
『日本流』 著す 刊行
対談は その一ヵ月前ごろか

『葉隠』
<芸は身を助けるというが それは他藩の侍の事であって
御当家の侍にとっては 芸は身を滅ぼす基だ
何事でも一芸に堪能な者は 芸者であって侍ではない>

松岡氏  『葉隠』の芸者に反論
【武芸・武術を英訳するとマーシャルアーツですね。技術イコール芸靴であって、つまり芸なんです。本来、日本人は芸を決して見下していなんです。】

松岡氏 芸能の「能」を語る 
「能」は ひとに備わっているものではない

【日本の芸能という言葉の「能」という字はアビリティのことです。
そのアビリティがあることを「才能」と言いますが、この「才」は人に備わっているのっではないんです。物とか石とか木とか鉄に備わっていて、それを取り出して仏像や刀や庭石にするのが「能」なのです。
だから能楽の「能」もそうなのですが、何をどのように取り出せる力があるかが問題で、
その取り出したものを見せ合うわけっです。】

松岡氏  初対面の折 剣道をやっていたこと 話された
連載 二ノ巻
【私は三島由紀夫とは一度だけ会っただけである。
船坂弘の剣道場であった。】
稲垣足穂や泉鏡花の話しの中で山中鉄舟の話しが出た
まあ、長くなるからやめておこう 松岡氏も云っているから
【それはともかく、私が会った三ヵ月後に、三島由紀夫は市ヶで自刃した。】

船坂弘  「本のデパート・大盛堂書店」 主{あるじ}
介錯に使った関の孫六(後代)  船坂氏が三島に贈ったもの
この御仁 <伝説>のひとである
「勇」つく言葉 すべて持ち合わせた御仁であった
また
アンガウル島に鎮魂慰霊碑を建立することに生涯を賭けた
「鎮魂」のひとでもあった
 「生きている英霊」と称された

話しが逸れた
次回 懸待一如 

−−−−−−★−−−−−−
子供のころ <生きている英霊> 見た
軍帽 白い服  片足 松葉杖
祖母 その人の胸の前の箱に銭を入れた
2024/04/26(金) 晴れ


戦さのない世が 武士道を生んだ


九ノ巻
【特集 宮本武蔵
たった一人の戦争論。現代に問う武蔵の戦争論】
 論客対談 松岡正剛
タイトル こんな風になった
【武蔵は二刀流  正剛は日本流】

【松岡→関ケ原のときはまだ十代後半で、自分の剣法を完成したときには
もう戦争がなくなったいた。遅れてきた青年ですね。だから自分で一つ一つの試合をティピカル(典型的)な戦場にするしかなかった。相手の情報を集めて戦略戦術を立てる。一人で戦争という状況を作ろうとしたのではないですか。それがすごいのですね。卑怯だ、何だと言われようと必ず勝つ一人の戦争をやるわけですから。】

松岡氏云う
いまでいう武士道 そもそも集団的なものから生まれてない
集団的なものは大阪城と島原の乱が最後 それは武士道とは関係ない
信長/秀吉の時代も武士道では ない
それでは 何が重要だったかというと「手柄」

大阪城と島原の乱以降  戦争がない世
「もののふ」の道は閉ざされた
徳川幕府の完璧なシビリアンコントロールで 武士はイニシアティブをとられた
これが武士道を生んだ
当時の武士  一人一人が死を恐れず戦場で戦う姿をどこかに残したい
この念{おも}いが浮上して出来上がった思想が「武士道」

大阪城/島原の乱から 凡そ 一〇〇年
『葉隠』
「武士道というは 死ぬことみつけり」の武士道

ときは流れて
一人一人が死を恐れず 敵艦に体当たりする姿をどこかにとどめたい
敗戦後の「武士道」
敗戦後少年の武士道
2024/04/24(水) 雨


武道通信かわら版 本日 再配信


かつて 一度か二度
配信日 一日遅れがあった
失念のひと言

今回は
「手違い」のひと言
「順序」「手順」「手はず」「(物事の)運び・道筋」
の間違え

日々の手順は決まっている
アクシデントはめったにない平穏無事の日常

世の中 いろんなアクシデントがある
拙者も世の中のひとりであるが
みたところ ご近所も平穏無事の日常のようだ

事もなき我家の庭や青木の実   菊竹典祥
2024/04/21(日) 薄曇り


武道通信かわら版  本日は休刊


御免!
2024/04/20(土) 晴れ


二天道楽


軍学者 『五輪書』から斬り込んだ
“本のひと” <遊び>から斬り込んだ
八ノ巻
【宮本武蔵の遊び――二天の道楽   松岡正剛】

武蔵は どうしても どのようなことをしても
遊べない男 と松岡氏

だからこそ 僅かな遊びを剣の動向(術)に発見できた
「その剣は武蔵ならではのもの  余人が学べるものではない」
柳生利厳 そう云った
松岡氏  それをこう云いかえる
余人 一人ずつが継承するにたりるだけの
<ゆるみ>がなかった

武蔵には「宮本二天」との画号による書画が残っている
水墨画には
一に気韻生動{きいせいどう}
二に骨法用筆(こっぽうようひつ}
三に応用象形{おうぶつしょうけい}
四に髄類腑彩{ずいるいふさい}
五に経営位置{けいえいいち}
六に電位模写{でんいもしゃ}
がある
武蔵は一と六に意図が集中し 
二、三、四、五を飛ばす
 
途中の試みの絵な残したくなかった
たとえて云えば
子供の喧嘩にも真剣を使う

しかし その武蔵も自分の位牌には
「道楽」」という名をつけた
二天道楽宮本武蔵

武蔵 遊びたかったのである

−−−−−−★−−−−−−
物書きの端くれの拙者
書くことで 遊んでいる
草莽奮戦日記で遊んでいる
2024/04/19(金) 晴れ


蔵書


松岡正剛氏の事務所に前田日明と伺う
ふたり 蔵書の膨大さに驚く
ふたり 書庫の背表紙  見て回る

その昔  植草甚一氏の自宅 伺う
ベースボー・ルマガジン社/武道通信 以前の話しだ
書庫 見せていただいた
二階建ての家中 本だらけ 
階段の幅 半分まで本 積み上げていた
玄関の靴箱の上まで積んである

別れ際 靴箱の上まで積んであった
その年  ベストセラーだった 米國某女性評論家の本
(作者/本題名 忘れたな)
「つまらなかった」と 云うと
「そう つまらない」と植草氏の返答
欧米文学/ジャズ/映画の評論家/神田神保町古本街の常連に
同意され 嬉しかったこと  記憶の引き出しにしまってある

−−−−−−★−−−−−−
九ノ巻
【特集 宮本武蔵
たった一人の戦争論。現代に問う武蔵の戦争論】
前田日明編集長対談 論客 松岡正剛

巻頭頁の「論客談言」
<本のひと> 何を語ったか
次回へつづく
2024/04/17(水) 晴れ


火縄銃


今夏も猛暑 酷暑との予報
国際情勢も猛暑 酷暑

内戦論と外戦論の混同→ 坂井三郎
戦略的思考の欠除→ 佐久田昌昭
日ノ本 大丈夫か

兵頭二十八  連載頁あるので
本名 斎藤 浩で かけもち執筆

【武術史の空白・砲術 「砲術」盛衰記】

足軽鉄砲隊の火縄銃
泰平になると 鋳なおされ農具の実用品になった
剣と違い家宝にならない

武士は
足軽用の銃口 三匁五分(13mm)でなく
十匁(19mm)  大筒
馬への殺傷力が まるでちがったからである
馬上武者の首より 
敵陣に大きな損害を与えることが手柄となる
寛永の世   大筒の砲術師現れる 書 できる

軍学者 そこのところ詳しく書いているが省く
専門的過ぎる

結論を急ごう
日本の個人的な砲術は 西洋の集団火力運用に敗れ去った
ゲベール銃が火縄銃より優れていたわけではない
ゲベール銃の肩に当てる「銃床」
ナポレオン以来の集団一斉射撃から
未熟者でも狙い打ちができるようになった

【斎藤→四ヵ国連合艦隊 馬関に海兵隊を上陸させてきたとき、
日ノ本の個人技的砲術 西洋の集団火力運用に敗れ去った。
長州軍は、その武器と戦術を、今度は幕府軍に対して用い、
農民兵が武士を逐{お}い返した。
この時点で、寛永以来の「砲術」文書も、紙屑と化したのだ。】

兵頭二十八こと斎藤 浩 最後にこう結んだ
【日本人の戦術的欠点
評論家の兵頭二十八は、一九九七年の『ヤーボードン』 という単行本の中で、
宮本武蔵の 『五輪書』を評注し、武蔵野太刀筋が「馬上片手刀術」の徒士立ちへの転用であることを明らかにするとともに、日本史上、近代以降も読むに堪える戦争論を日本語によって構築できたテキストはこれのみであると絶賛している。
ところが、その日本兵学の最高峰という 『五輪書』の中には、多数の兵をいかに指揮するか、具体的な方法は何も書かれていない。そして宮本武蔵は、この著作を除いた面での世評が高いのだ。
各流の砲術書も、「速射」は巻末でわずかに触れているだけである。日本の砲術は、なぜか火力の大量運用ではなく、個々の人の武士の手柄のための狙撃手引きに堕ちてしまった。
私にはこのことが、武蔵のいたずらな「剣聖」扱いと同じく、日本人の戦争適性の限界のようなものを示唆しているように、思われてならない。】

−−−−−−★−−−−−−
種子島伝来 鳥撃ち銃  頬に当てる 
鎧を被っていたから 肩には当てらぬ  好都合であった
それが後年 アダになった
2024/04/16(火) 晴れ


世情


良寛さん 辞世の句
「散る桜 残る桜も 散る桜」

残る桜 散っても
薔薇  
菜の花 
チューリップ 
藤(フジ)
ツツジ  
タンポポ
と あとにつづく

最終巻二十四ノ巻から
あとに つづいたのは 何だったろうか

−−−−−−★−−−−−−
八ノ巻 
【ホームページ掲示板「思考の無銘刀」
◆前巻七ノ巻での小林よしのり、時浦兼両氏の「日本人・前田日明への返答」に対する本誌発行人・杉山の返答。この二つ返答を“ジークさん”に他の読者意見を交え、論じていただいた。
其ノ一
二つの「返答」の誤解と不快
佐々木健(HPネーム:ジーク)】
6ポ活字で二頁半に及ぶ論

其ノ二
日本、日本人が守るべきものは何か?
守るべきものが見えてこそ、戦う意味が持てる
八人の読者論客が掲示板に書き込んだ論
二頁半

<世情>と 一口にいっても 
<世情>を 感知するのは ひと 一人
数多のひとの<世情>がある 
して ひと 一人が<世情>を生み出すこともできる
2024/04/13(土) 晴れ


日本人より日本人


八ノ巻
【対話  『国民の歴史』から『民族の歴史』へ
前田日明  杉山頴男】
この対話も 前田と拙者の間にテープレコーダーを置き 対話

五ノ巻までの論客対談のテープおこしを願っていた御仁が降り
最終チェックだけしていたが
以後 拙者がおこすことになったが
まず某編集プロダクションに一字一句洩らさず綴ってもらう
それを割愛/推敲/校正/念校する

サブタイトル こんな風に書かれている
襟を正して読むべき民族の哀しみ、憤{いきどお}りへの偽らざる心情の本
である。しかしアジアを切り捨て、欧米を断罪する先には孤立した日本がある

これが この対話の総論というところだ

この巻 発刊した年から何年たったろう
最終巻二十四ノ巻からも 何年たっだろう

チャンネル櫻の年末特番 収録で
西尾幹二さんと同席した
帰り道 一献
西尾さん この巻の話した
拙者が 弁護してくれたと
西尾さん  前田日明の反論 気にしていたのだ

対話で前田 云う
「西尾さんの中国感はいまの共産党氏支配下の中国への反感を古代・中世の中国に投影しているだけだと思う。儒教と法律の思想を建前と本音という俗論を盾にして、
これが中国人の特性の二枚舌で、これがすべての中国人であるかのように云っている。
韓国・朝鮮への態度も同じ。…………『国民の歴史』はかつての渡来人であり、多くの文化を共有してきた一番親しい隣人を愚かな民族という扱いをしている。自分が在日であることから、特にそう思うと云われそうだが。」

日本刀に魅入られる前田日明
たしかどこかでみた 一振りにであったとか
保持する短刀  何時間みてても飽きないと
日本人より日本人と  前田を表する者
日本人より日本人と評される異国の御仁 数多いる 
2024/04/11(木) 晴れ


大東亜戦争


陸上自衛隊 某連隊 公式X「大東亜戦争」
例によって 巷 侃侃諤諤
「大東亜戦争」 誰が最初に使ったか
アジア 欧米植民地からの解放
いや 自治権を与えない自給圏の獲得

その意図 とりあえず置いておく
坂井三郎さん
我々は大東亜戦争を戦った
戦友は大東亜戦争で斃れた
だれも「太平洋戦争」なんて知らない
「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と云い換えたら
彼らの霊に失礼だ
−−−−−−★−−−−−−
岸田総理 国賓待遇でUSAへ 
日米同盟を一層深化させる意向とか
安全保障を巡っては自衛隊と在日米軍の統合運用強化について話し合うとか
半導体など重要物資の安定先端技術など幅広い分野で協力を打ち出すとか
けっこう毛だらけ 猫 灰だらけ

市議会のウラはわかっても
国際政治のウラなどわかりようがない
七十七になった敗戦後少年
“仇討ち”は まだ終わってないと思っている

そうだ 坂井三郎さん 云っていた
“ヤンキー” そういう奴を信用するんだと
2024/04/09(火) 雨


この國のかたち


「日本刀をみると この國のかたちがみえる」
こう 変えなくてはならぬ
「巨大蛇行刀剣をみると この國のかたちがみえる」

二〇二二年一二月  奈良市の富雄丸山古墳から発掘
巨大な蛇行剣 
曲がりくねった剣の全長は2m37cm 重さ16k
あまりの長さ 当初は複数の剣がつながっているのでは が
X線検査  一本の剣だとわかる


翌年 春からはじまった保存処理 
およそ一年間にわたる 六月に表面のクリーニング 終了
なんと  突く 斬る
 「剣」と「刀」両方の特徴兼ね備えていた
そして つくられたのは
凡そ 一六〇〇年前 
前方後円墳が各地に築造されるなどしていた時代
支那の書物などに記録が無く 
わかっていないことが多い四世紀

四世紀 大和ノ國 奈良盆地に暮らしていた日ノ本人
なぜ このような技を持ちえたか

在日の某親日学者
日ノ本のひと 日ノ本の独自性向を強調しずぎると苦言

一六〇〇年前 地球上 ずべての民族が持った剣
このような剣はなかった

「日本刀をみると この國のかたちがみえる」
「巨大蛇行刀剣をみると この國のかたちがみえる」
2024/04/08(月) 薄曇り


武道通信かわら版 配信日


大学通りも 桜並木 開花
外からの見物人 ちらほら

中和寮 東側 空き地の右近桜も
「右近桜」と教えて教えてくれた 隣接していた 
ご近所さん 逝ってから七、八年 経つか
いま 娘さんご夫婦 お住まい
天から右近桜 見下ろしておられるだろう
2024/04/05(金) 曇り


二つの思考回路 


「昭和」 
巷では 不適切に弄ばれているようだ

元号 明治から天皇の即位で 新元号となり リセットされる
崩御で その元号は終焉
次期天皇即位で  新元号となり ふたたびリセットされる

明治以前なら
関東大震災で改元
コロナ禍で改元  などなど
ゆえに
初代元号「大和」から二三三個あった
明治/大正/昭和/平成/令和とつづいて 二四八個

異国による占領という前代未聞の元号 「昭和」
天皇 退位なく 
<戦前> <戦後>
二つの異質な思考回路

−−−−−−★−−−−−−
八ノ巻
【次世代に継ぐ戦争論
戦略的思考の欠除
――「未来世界戦略研究会」の回想的私記
己の行動の最大の欠陥は戦略的思考の欠除であった。
それは敗戦後の各界の責任者にも通じ、
現代日本国全体にも通じるものである。】
佐久田 昌昭  昭和4年生まれ

いつごろだろうか
昭和十九年生まれ以前の論客しか 信用できなくなった
戦後を生きた論客 信じられなくなった

思考は 時代がつくる 時代に つくられる
連綿とつづく 何千年もつづく思考はない
武士道も
思考回路は 時代によってカーブする

ふたつの“真逆” な時代を生きた論客しか
信じられなくなった
2024/04/03(水) 降ったりやんだり


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