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ヘボン博士


新渡戸稲造らが
武士道を発見できたのは
ヘボン式ローマ字 発案したヘボン博士
J・C・ヘップパーンがいたからかだ
と松岡氏 語る

八ノ巻
【明治キリスト者たちの発見
明治キリスト者こそが日本人の心情を懸命に考察し、
その思案から武士道の復活があったことが忘れさられている。】

安政六年(1859)一人の宣教師 来日
安政の大獄の翌年 開国へガラガラと音を立てはじめていた 
神奈川 成仏寺に無料の治療所 開く
幕府の役人から乞食までが連日行列 
行列ができる治療所

ローマでなく 神奈川のヘップパーン
アメリカ長老教会(プロテスタント) 医療宣教師
ヘボン博士 後年
日ノ本人の霊性を啓蒙した恩人と云われた
ローマ字の普及 キリスト教の啓蒙だけで
なぜヘボン博士が そう云われたのか

ここがわからないと近代日本の出発点も矛盾も
また長所も短所もわからない
と松岡氏 語る

明治七年(1874)キリスト教解禁
ヘボン博士 これを早々に予測し
さまざまな啓蒙の準備をしていた先駆けのひと
ヘボン博士が 日ノ本人の霊性を啓蒙した恩人となったのは
無料の治療所でもなく ローマ字の普及 福音を説くことでもなく
日ノ本人の性向 日本語の特徴の研究にとりかかったことだ

そう フカディオ・ハーン 小泉八雲もいた
ハーンの『知られぬ日本の面影』『神国日本』など
日本人が自覚していなかった心情 感性を詳細に言及している

ヘボン博士 ハーン以外にも 多くの外国人が注目した
ヨコハマの港で「YOUは何しにニッポンへ」ときいてみたら
「民衆のもつ心のやさしさ」
「盛んな知識欲」
「正直を敬愛するところ」
「恥辱や危害に過敏なところ」
「肉欲の罪に耽って恥じないところ」
「偶像崇拝に無関心なところ」
などを直に知りたくて と答えたろう

つづきは 次回に
2024/03/03(日) 晴れ


なぜ 武士道を発見したのか


誰もが知っていることだが 新渡戸稲造が
『Bushido:TheSoul of Japan』(邦訳:武士道)
書いたわけは 
遊学中 さる高名な法学者から
「Youの國の学校では 宗教教育をしないようだが
宗教なしにどのように道徳や倫理を教えているのか」
と尋ねられたからだ

松岡氏
日ノ本のキリスト者が武士道に加担したには
五つの要因があると云う
一つ
札幌農業学校や同志社をはじめとする教育活動にキリスト者が関わって
元武士の師弟の人間教育にあったこと
二つ
自由民権運動から婦人矯風{きょうふう}運動のような社会改良活動にかかわったこと
三つ
日清/日露戦争を挙国で推進するなかで 愛国的キリスト者が出現したこと
四つ
初期の社会主義の台頭が国家社会主義ふうの特色をもたらすのだが
そこに多くのキリスト者がまじって活動していたこと
五つ
当時のアメリカも社会的キリスト教や国家的キリスト教の力が大きかったこと
*松岡氏 この論 本にするとしたら二、三冊になると
 また「キリスト者」と。キリスト教徒と云わない わかる気がする

こうした近代日本の動向も知らなければならない が
そこが現代の日ノ本からは抜け落ちていると

新渡戸稲造が「どのように道徳や倫理を教えているのか」と問われ 考えた 
そうだ 少年もころ父母や大人たちから教わったこと
正直になること 高潔であること 寛大なること 勇気あること 礼なること 忠義なること
これだ! 武士の生き方だと気づいた


八ノ巻 同じく松岡氏
【明治キリスト者たちの発見】

−−−−−−★−−−−−−
明治維新の折 六歳だった新渡戸稲造 
当然 『葉隠』読んではいなかった
『葉隠』の武士の生き様 「死に狂ひ」などとは縁がない
江戸の世の末 朱子学色濃い 為政者として武士の生き方だ

もし 新渡戸 『葉隠』讀んだら どんな感想もったか
知りたいものである
2024/03/02(土) 曇り


キリスト者の武士道


山本定朝 「武士道と云うは、死ぬ事と見付けたり」
新渡戸稲造 「武士道と云うは、旧約聖書と見付けたり」
というハナシ

七ノ巻
【武道の中の日本<七>  松岡正剛
キリスト者の中の武士道
――近代日本のキリスト者たちは武士道を絶賛した。
神道、儒教、仏教を統合して日本化させた武士道こそが、
日本人の「旧約」であると。】

この前哨戦
松岡氏 語る
日本文化や日本精神をめぐる多くの論争に ある共通の問題がある 
一つ ろくすっぽ日本をしらない
二つ 先人たちが何を議論してきたかを継承していない
三つ 先人の成果を知らない

日本の保守思想の歴史を知らない
亀井勝一郎や保田興重郎が何を主張し
小林秀雄や福田恆存が何を思案したか
それらが保守主義とか反近代思想とよばれた理由も知らない
また最近の新保守主義といわれる西部邁も樋口覚も福田和也も讀んでいない

また これらの背景に 永井荷風の『新帰朝者日記』や
唐木順三の『現代史への試み』があることも
また 保守主義と歴史主義と国家主義とアジア主義は
つながっているところと はっきり袂を分かっていところがあることなど
ほとんど理解されていない

小林秀雄→福田恆存→西部邁
と進む矢印の意味が こんにちの伝統派に理解されているか
福田の「私たちの生き方や行為の基準は 必ず過去からやってくる」
の意味も
「保守思想は理想を語らない」の意味も
わかるはずがない

松岡氏 
西尾幹二『国民の歴史』 がっかりした
どこかの新聞の小さなコラムに書いていた

松岡氏
2000年から ネット配信「千夜千冊」 毎夜1冊ずつ批評
『国民の歴史』 1999年 発売
文庫上下 72万部ベストセラー
「千夜千冊」 『国民の歴史』素通り
<言語政治の醜さ>を避けたのか

長くなった
本題は次に
2024/02/29(木) 曇り


消えた……


連続企業爆破事件  死刑囚
獄中で病死
辞世の句となった一句
<捨てし世を未練と思ふ遠花火>

定朝の辞世の句 なんだったけ

きのうUPしようとした稿
保存せず消えた
消えたもの 再度 書き起こすの
かなりの気力がいる
明日 気力回復後 綴るとする
本日は これまで
2024/02/28(水) 晴れ


自由とは


■選択的夫婦別姓
法的に別姓で結婚できないのは 世界で日本だけ
選択的夫婦別姓 「賛成」「やや賛成」 83%

諸行無常−−<法にも常はない>
で むかしの人 バランスをとってきた
女紋 
妻 嫁いでも 嫁ぎ先の紋でもなく
実父の紋ではなく
母から 女系から女系へと伝えられてきたる紋
冠婚葬祭 女紋のついた紋付
いまの世の どうバランスとるのか

七ノ巻
【シュタイナー教育と吉田松陰
「飛ぶが如し」
吉田松陰が見せた生死の姿そのものが一個の強烈な「教育」となって
同志と弟子たちの胸に眠っていた自由の鐘を打った】

アメリカ大統領ウィルソンの云わんとするところ
あらゆる諸条件を検討し どんな環境にも適応できるようになってこそ
自由を実現できる
これに対し シュタイナー 真っ向から反論
私は ただひとことだけを云おう
このような環境への適応の正反対を行うときのみ
人間の自由が語れるということを

さて「賛成」の未婚の女子
あなたは ウィルソン派 シュタイナー派

−−−−−−★−−−−−−
『葉隠』 山本常朝 折々にふれて感興{かんきょう}(興味を感ずること。面白がること)のいたるままに語った語録  短いのは一行 二行
その一行
「(妻は)良人を君主のように思って仕えるべき」(一ノ三十一項)
その意味は
「忍ぶ恋」のような夫婦が良いということ
<私>を捨てた(常朝の)奉公道と同じ 相手に負担をかけない
自由なふたり
2024/02/25(日) 降ったりやんだり


両輪でバランス


■天皇陛下64歳誕生日
■刑務官ら使用 35の俗語を禁止
■島田事件 再審無罪 赤堀さん死去
■ホテルのゴミ箱から赤ちゃん 死亡
■宮台信司を懲戒免職処分 都立大
■はだか祭り 女性 着衣で初参加

吾ら いま どんな時代 生きているのか

−−−−−−★−−−−−−
【福田→明治時代というのは西洋化した時代なんですけど、同時に日本の歴史の中であんなに漢籍が読まれた時代なんですね。要するに漢文を書いたりしているんです。それから内藤湖南から宮崎市定{いちさだ}に至るような大支那学者がいっぱい誕生するわけです。明治期は両輪だった。それでバランスをとっていたと思うんですね。】

教室では「脱亜入欧」しか教えられてこなかった
海が開け 支那からも“輸入”していたんだ 漢籍をしこたま
このバランス いかに生まれたのか

【福田→明治ぐらいまでの人は、やはり前田さんがおっしゃるみたいな感じで東洋的なものを自分たちが見失いつつあることか、なくなってしまったということを非常に痛ましく思っていたし、その不安を感じていたと思うんです。】

そうか だからバランスをとったのか

【福田→漱石が書いているけど、自分は英文学を勉強したときに、最初、漢文みたいなもんだなと。で、これなら一生やるに値すると思ってやったら(漢文と)全然違う。漱石、騙されたって怒っているんですね。だから彼は、本当の自分の本質は漢詩にあると思っていましたね、漱石の漢詩というものはなかなかいい漢詩なんですね。それをずっと書きながら小説を書いていた。やはり両輪として明治世代まではあったんですね。】

吾ら 両輪 もっているか
吾らの来た道に
二輪の跡 轍{わだち} ついているか
2024/02/23(金) 降ったりやんだり


武道通信かわら版 配信日


時代劇映画 昨今 無慈悲で残忍なシーンが大うけらし が 
北野武監督「首」 興行収益 散々らしい
最近封切り「室町無頼」 いかがなものか
忙中閑あり 室町の世のこと一筆

世相を讀み解く プロフェショナル
世相 十把一絡げにできなくなったのではないか
個々が<顔>を持ち始めた昨今
2024/02/20(火) 晴れ


「天皇」止まりのナショナリズム


建国記念の日も過ぎ
天皇誕生日を迎える

天皇誕生日というものも 西洋風の<誕生日>の移植
明治からの天皇 西洋風の皇帝 とのハナシ

−−−−−−★−−−−−−
前田→脱亜入欧 天皇も同じで無理やり英国の王室に当てはめようとする
天皇は神道の最高神官 
福田→江藤淳の祖父 山本権兵衛の懐刀 祖父の遺品から大正天皇晩餐会招待状 なんて書いてあるかというと「日本帝国皇帝晩餐会」
やはりその皇帝の部分を取らないとまずい そこが問題
前田→天皇の声は祖先の声であり いろんなインスピレーションの源
福田→折口信夫 大嘗祭って何か 解き明かしていくと
天皇自身は神ではない 人間
人間だけど<天皇霊>が乗り遷{かわ}る  
天皇とはそれが乗り遷るメディア(媒体)であり 身体が死ぬと
また メディアは次の天皇に受け継がれていく
祖先霊の集合が天皇にずっと受け継がれていく
前田→福田さん 天皇抜きのナショナリズムということ云ってましたね
福田→天皇制の本質的な形 後鳥羽院の承久の変 以降の
権力と権威が分散される形の権威
近代以降 皇室が持ってきた蓄積したエネルギーをかなり放出してしまった
むかし「天皇」を「陛下」と人格化される部分もあったが
大御心{おおみごころ}というものがあって
大御心は皇室を超えるもので 八紘一宇{はっこういちう}といったとき
西洋人がいう天皇による世界制服でなく もっと大きい 日本的王道
天にそった道が実現される
これは北畠親房の『神皇正統記』
天皇が天意を実現するから天皇が正統
天皇を超える存在がある
近代の狭い捉え方でしてしまうと
結局 天皇止まりのナショナリズムになってしまう
ゆえにナショナリズムが狭いエゴイズムになってしまう

−−−−−−★−−−−−−
愛子内親王殿下 日本赤十字社に就職
ひらかれた 現代の皇室
2024/02/18(日) 晴れ


春一番


きのう 春一番
すごかった 風速12、3メートルはあったろう

一日置きとなった この日記
きのう 春一番のせいで忘れたわけではない
老人の新人賞狙いの
次作の構想はできあがったが
シメ トジが決まらぬ
考えあぐんでいた
シメ トジで 作品の充足度は決まる

老人の新人賞狙いと 先に記したが
市販されている自著 四冊 あった
で どこかの文学賞を狙うことにする

−−−−−−★−−−−−−
きのう
小川寛大さんから 自著
『池田大作と創価学会
 −−カリスマ亡き後の巨大宗教のゆくえ』(文春新書)
贈られてきた
2024/02/16(金) 晴れ


切腹


兵頭二十八 切腹に一言
【福田→兵頭二十八氏が言うには、切腹というものはものすごく合理的だったと言うんです。日本的な不立文字の論理の中だと。西洋的にこれが悪いと責任体系というものは貫徹できない。で結局、切腹という制度があって、何か不祥事がありました。じゃあ上役はパッと腹を切ますと。でもそれは、切腹ということでとりあえずそこで決着が着く。
 切腹というのは常になにかあったら、お家断絶、お家断絶はしなくても切腹というのが、かなり厳密な規範としてあるから、それが結局、規範になっていく。ところが近代以降、切腹ができなくなったんで、切腹の代わりになるような合理的な責任規範もないから、日本の組織が愚かなことになっちゃったというのが兵頭さんの説なんです。】

裏金づくりの責任追及ということをしていくと
「私は知らなかった」が通用する

戦国の世 籠城戦 もうこれまでというとき
「私が悪かった」 で 城主 切腹
で 家臣は放免というシキタリ
部下を守るのが主の美徳

籠城戦 戦闘部隊の家老のミスで敗れたとしても
城主 あれは家老が戦闘を強硬したからだ
ワシは責任 無いなどいわない

むかし 西洋 某国 敗戦
その皇帝 あれは部下がやったこと ワシは責任 無い
ダグラス・マッカーサー
昭和天皇 同じこと云うと思っていたら
「すべて私の責任」

切腹
儀式として制度化される前 
西洋の合理でなく
<理にかなった>心の作法としてあった
そのエートス/メンタリティー/アイデンティティ
生に未練を残さない 
残すと結果 敗ける 
戦国の世の武士の戦場での合理があった
それを いまに伝えるのが
『葉隠』の「武士道といふは 死ぬことと見付けたり」
定朝の父/祖父の言葉だ  
2024/02/13(火) 晴れ


不立文字{ふりゅうもんじ}


七ノ巻から兵頭二十八 登場する
【中学生にわかる「兵法」
其ノ一 「多対一」で勝つ
「兵法」の基本は「多対一」で必勝するパターンをまず学ぶこと。
中国人はそれを知ることで「少対多」で人を支配できたのだ】

奇しくも 論客対談で兵頭二十八 登場していた
【福田→僕がいろいろ教わってもらっている兵頭二十八氏という軍事評論家がいるんだけど、彼なんかやはり不立文字は駄目だというんです。不立文字でやっているうちは結局アメリカ的なバネスティクスの、完全にマニュアル化されていて誰か一人死んでも他の奴をパッと入れれば軍隊、組織的に全部動いていくというシステム、それでなければ絶対的に勝てないと。】

不立文字 この節に前に出てくる
『近代の超越』 小林秀雄/林房雄/中村光夫
どうすれば西洋に勝てるか
林房雄 ふたりに異論
やはり不立文字
個人の名誉 武士道みたいなものがあってはじめて戦える
西洋のものを入れてしまってそれだけで闘えるものではない

【福田→兵頭さんなんかそういう風におっしゃていて。それはたぶん合理的には正しいですよ。でもやっぱり日本人が不立文字をなくしちゃったら、じゃあ、ほんとうに闘えるの?っていうものがあると思うんですね。
 それは福田恆存先生が司馬遼太郎の『坂の上の雲』を批判した「乃木将軍と日露戦争」という有名な論文があるんです。その中で要するに司馬さんが乃木は馬鹿だ愚将だと攻撃するわけじゃないですか。でも司馬さん旅順に行ってらっしゃらないですね。福田恆存先生は戦前、旅順に行って、その旅順の要塞を見て来られた。
 僕もこの間、行って来たんですけど、もう洒落にはならないですよ。ロシア人は要塞を造らせると世界一というけど、この部屋(リングス事務所)の高さ位の厚さのコンクリートがガッン、ガッンと並んでいて、二百三高地というと、こういう勾配ですよ(と、手のひらほぼ50度傾斜にして示す)。
 ここを攻撃するのに合理性とかでなくて、そこにあるのは日本人の“近代西洋の壁”ですよね。それに渾身の力で闘っていかなければならなかった日本人の苦しさと、その意気というものがはやり大事なんで、それを合理性だけで叩いてしまっては、日本の近代が日本人にとってどういう時代だったか、近代に対してどういう風に対したかということが分からないではないか、という批判をしたんです。そこが難しいところですね。…………
 いやあ、とにかく普通に歩くのだってしんどいような勾配ですよ。この上から機関銃を撃たれながら登っていったのかと思うと、日本の兵隊さんっていうのは、すごかったんだという気になりますよね。】

次頁にまた兵頭二十八 登場
切腹というもの すごく合理的だった という話
これは 次に

−−−−−−★−−−−−−
『明治天皇と日露大戦争』 
昭和三十二年 封切り
拙者 小学六年生
祖母 映画館へ連れていってくれた
日本兵 かく闘った と男子の孫にみせたかったのだろう
2024/02/11(日) 晴れ


公と私は 天があっての公と私


【福田→やはり西南戦争を西郷と共に戦ったという気はするんですけどね。】
次ページに出てきた

【福田→松蔭の場合、いろいろな論議があると思うんだけど、たぶん松蔭が考えていた維新というには、具体的な近代国家とは全然違う意味だったと思ったんです。だから攘夷が来るということと藩自体が腐っていくという状況をまのあたりにしたときに、天にかなう行動とは何かということが一番最初の問いとしてあったと思うし、その確信があったから、ああいうことができたと思うんですよ。戦略論とか政策論とか以前の、もう身体一体の感覚として。で、その確信を説いたから若い人達にあれだけ強い影響力があったんで、やはり天というものの感覚は一番、大事だったかなと、この頃思うようになってきたんだけど。】

この節の前に ≪天≫を語っている
【福田→ここ二、三年、論語をちょこちょこ読んできて、公と私の話で僕が一番思ったのは、公私というものの他に大事な大きなもとして天というものがあるですよね。……天とは要するにユダヤ教みたいな絶対神ではなく、また森羅万象とか大宇宙というものでもない。でも東洋的な感覚からするときわめて大きなものとして天という一番大きなものがあって、それが我々の精神の広がりと呼応するように存在している。そう考えると、要するに天にかなえば心の不安はなくなるし、天に適うというのが正しい道だよというのがあって、で、公と私は天があっての公と私なんですよ。】

松陰の「近代国家」とは どんなイメージだったのだろう
建国の大儀 西洋に対して東洋の天の王道を貫くべきであったのに
西欧の帝国主義の模倣でしかなかったことへの憤りではなかったか
2024/02/09(金) 晴れ


<不平士族>


積もった雪 スケートしにいった箱根で はじめて見た 
中学の学友と雪合戦
十八歳 東京に出てきた年 はじめて雪 降るのを見た
二十三歳ごろ
東京 大雪降り 三十センチも積もった

武州多摩で二年ぶりに 雪 降るの見る
雪がふるふる雪見てをれば  ←傘貼り浪人
(山頭火 作 盗作)

−−−−−−★−−−−−−
七ノ巻 論客 福田和也
【松陰の行動原理は 天にかなう行動とは 何か? 】
編集部口上
吉田松陰の情熱の源から始まり、国学、英霊の遺骨収集、乃木将軍と二百三高地、皇室観、そして終着は現代若者論。話題は多岐に及んだが論客の博識が凝縮された各論に二時間半の対談は一刻であったような時空を味わった。

【福田→やはり西南戦争を西郷と共に戦ったという気はするんですけどね。】
最初の一頁目に出てきた
吉田松陰 寛政六年(1859) 没
西南戦争 十八年後
松陰 生きていたら 西南戦争に参戦していた 

当時 この一言 気にかけなかった のだろうか
なぜ 松陰 西郷と共に “不平士族”の“乱”に参戦したのか
もっと 「気がする」部分を 問うておきたかった 悔やまれる

明治七年(1874)佐賀の乱
二年後 神風連の乱(熊本)
同年 秋月の乱(山口)
して 翌年 西南戦争

<不平士族>の乱 その因
秩禄処分/廃刀令/征韓論
学校で教わった

<不平士族> コレ 勝者が歴史をつくる

<不平士族> との矮小化
勝者がつくった言葉
明治政府の要職 江藤新平/前原一誠
不平分子に担がれたとのハナシ
勝者がつくった歴史

讀み進めめれば
松陰 西南戦争
西郷と共に戦ったという気はする
そのわけ 福田氏 語っているやもしれぬ
2024/02/07(水) 晴れ


武道通信かわら版 配信日


春先の木々への積雪
木々の“害虫”の卵を殺す
いいことだ
いまは亡き ご近所のご老人にお聞きしたいことがあった

天気予報 「湿雪」
積るだろうか
2024/02/05(月) 雷


香が移り沁むように


♪鬼はソト 福はウチ
最後にやったのは いつだったか
翌朝 豆が床に落ちていた記憶

旧暦では 大晦日
邪気を払う行事
そう 歳の数だけ食べるんだった
Chinanoの古い鬼追いの行事「追儺{ついな}」
日ノ本に伝わり 
♪鬼はソト 福はウチの豆まきのアレンジされた

■――――――――――――
「在日」は日本人の問題
薫習が生む独自性

 電話での長い会話は往々にして話の岐路が幾多にも分かれます。2時間近い小林氏との電話での会話も要約するのも至難な技であり、そして3時間ほど前の会話ですら文章にするとなると、自分が主張したことと、相手の話で特に印象に残ったことしかできないものです。しかし、肉声は身体から発せられます。語尾の余韻に、一時の沈黙に、驚きの声に、その人の長年蓄積された内的なものが感じられます。
 
 小林氏が現在、本来の仕事以外に「つくる会」のこと、著作権侵害訴訟での一審敗訴による控訴等の多忙の中にいることが、その肉声で十分伺い知れます。その最中、我々の“試し合い”を受けていただいたことへの、まず感謝の意を伝えました。
 そしてファックスには書かなかった、前田日明の肉声を伝えました。「日本人・前田日明という言葉は失礼だと思います」
 小林氏は驚きの声を挙げました。それは誤解であり、前田への率直な賞賛であったと。その内容をここで私が記憶を頼りに述べても、小林氏の真意を説明できるとは限らず、新たな誤解を生むことにもなりかねません。小林氏には別の機会に、ご自分で誤解を解いていただいた方が良いかと思い省きます。それゆえ小林氏の話されたことは省き、私が小林氏に伝えた内容のあらますを述べますが、下記のように流暢に話させたかどうかわかりませんし、言葉不足だったところは補足させていただきます。
「日本人・前田日明」に関して、「在日」の問題は、在日韓国、中国人、また他国の「在日」二世、三世の問題でなく、日本人のすべての問題であることの認識の希薄さから出た言葉ではないのか。
 日本の精神史を考えると中国、朝鮮の文化に影響されたことは明白である。「影響」には基本適に三つある。一つは朱に染まれば赤くなるという影響。二つ目はある意思を人が人に与える、刻印するというもの。中国、朝鮮が自分たちの文化を意図的に与えようとしたが、日本はそれを拒んだ、というような。
三つ目は前田が言う共感です。文化が薫習{くんじゅう}するんです。尊敬して受け入れること。当時の日本は中国、朝鮮を大変、尊敬していました。香りが染み込むように交流し、同じ香りが移っていく、そういう影響です。それゆえ、そこからオリジナルなものが生まれるのであって、「徹底して応用利用した」というような、はじめからこれはいらない、これは必要という選別してきたのではない、と。
 教育とは元来、そうであったのではないでしょうか。高杉晋作ら松下村塾の弟子たちは吉田松陰の薫習を受けたのです。
 そして最後に、この論争を言った、言わないの泥仕合的なものにぜす、将来、有意義なものであったと思えるものにするために、今回はお互い、主張するべきところは主張し、読者の意見にも耳を傾けることにしましょうと確認し合い、お互いに受話器を置いたのでした。
 我々は、当初より小林氏から大変良い刺激を受けています。氏が「つくる会」
に対し「私」として抱いている志に関して敬意を払っています。また西尾氏の諸説からも学ぶべきものは多々ありあす。小林氏のように多くの方々の胸を借り、今後も勉強していこうと思っています。
2024/02/03(土) 晴れ


包丁の謂れ 包という所に丁という料理の達人


カレンダーの月が変わった
(太陽暦)太陽の運行のズレと
(太陰暦)月の運行のズレ
補正する月 閏年 
一日 多い

小林/時浦⇔杉山/前田のズレのつづき
補正することできるか

−−−−−−★−−−−−−
 この拙文をここまで書き終わった16日の午後5時頃、小林氏から電話をいただいた。それは、ある程度予期していた電話でした。
 開口一番、「先の会見で前田さんが、「小林さん、それは枝葉の事ですよ」の一点張りだったんで、もう一度、話し合っても無駄だと思い、原稿で答えることにした。自分で原稿を書くゆとりは到底なく、スタッフの時浦に自分の考えを述べ、まとめてもらった。あれは、わしの原稿だと思ってもらって結構です」というものでした。
             ※
 よしりん企画から原稿が届いた翌日の9月15日、後楽園ホールでリングスの試合があり、前田日明と二人で小林氏、時浦氏のへの対応を話し合いました。西尾氏との対談、小林氏と(よしりん企画)事務所での会見、そして小林―前田会見の三つの場に、常に同席していたのは私、杉山一人であり、その場にいた人間の声で伝えることが一番と、私が『返答』に答えることにしました。
 その折、前田日明は『返答』の項目への異論として自分の意見も入れて置いてくれと、手短に語ってくれました。
 社会道徳の基本は隣(の人)に関心を持つことで、そこから己と他人との関係を計っていくことであり、それは千年経っても変わるものではなく、「時代によって次々に変更される」というものでもない。『返答』の「儒教は秀でた聖人君子が寓者を治めるというのが理想」という認識は一面しか見ておらず、本質的なものではない。また、「一芸に秀でる」者を尊敬するのは日本独自のものとあるが、「史記列伝」に包という所に丁という料理の達人がおり、その神業を人々は褒め讃えたという話しがある。このような話しをあげたらきりがない。これらは何千年前の中国の話。「一芸に秀でる」者を尊敬するのは日本の独自のものとは言えない。そして「将来、アメリカへ行くことを考えている」との発言は、自分の好きな日本が、どんどん壊れていく、いたたまれない気持を言ったんだ、ということでした。
 そして開場の時間となり腰を上げかけたときです、「この『返答』、本当に小林さん、掲載されていいと思っているんですかね。本人、本当に読んでいるのかな。前田がそう言ったと、小林さんに伝えてくれませんか」と。そんなことはあり得えるはずがないのですが、とにかく前田の意を汲み、翌朝、よしりん企画に、この前田の伝言をファックスしました。電話は、その件でした。

■――――――――――――
「在日」は日本人の問題
薫習が生む独自性
次に 最終編

−−−−−−★−−−−−−
ファックス あったな その昔
卓上電話 家と事務所の二台 破棄する際
NTTの人 もう一台 ありませんか と
その 番号 云う
記憶にございません と
NTTの人 ファックスではないでしょうか?
そうだ ファックスだ 
ファックス あったな その昔
2024/02/01(木) 晴れ


独自性を生かすこと 排外に非ず


■――――――――――――
「私」の心意気で開く歴史、民族関係

 確かに一冊も読んでなく、また海外の権威ある説も知らぬ日本人でありますが、日本が中国、朝鮮文明とは「似て非なるもの」とも「日本はアジアの一員でなく」とも思っていません。
 前田が西尾氏との対談で、問題提起したのは「徹底的に応用利用しているんであって、ちゃんと学んでいないといえば学んでない」というところに「日本文化の独自性を強調する西尾氏の歴史観にある種の危険性を感じた」からで、
西尾氏の独自性の強調は結果的に、その独自性ゆえ「国を守る」意識だけが強く感じられ、日本の若者たちが将来に向け持たなければならない、「攻めていく国」に必要な民族間の共感、交流を切ってしまう排外主義の危険性を前田は直感したのです。
 西尾氏の国を思う気持、憂国の情はよくわかります。我々とて同じですから、その気持の表現として、日本は昔からオリジナリティがあったんだ、他の国に学んで(影響されて)国造りをしたんではないんだ、と言われるのはわかるのですが、日本のこれから育っていく若者たちに、伝えたいという前田の気持ちに答えてくれてないのです。ここを直接、西尾氏に聞いてみたかったのです。
 先の小林氏との私的な会見で前田が「自分の子供が読むかもしれない教科書ですから」と言い、在日の存在と、その心情を語ったことで、小林氏は前田の言わんとする「民族の共感」を理解してくれたのではないでしょうか。
 しかし小林氏、時浦氏の組織は負けるわけにはいかないのでしょう。明確な目標があり、実現させるべき課題があり、そこへ向け一歩、一歩、実績を積み上げていかなくてはならないのですから。失うべきものがあってはならないのです。
 だからこそ失うものがない「私」の心意気によってこそ開かれる歴史や民族関係といったものがあると思います。自分の独自性を生かすことで、少しでも相手を排外することにならず、かえって相手固有の独自性を刺激し、それを解き放たせる、そのようなオリジナリティの表出というものが、人間には可能だと、前田日明と『武道通信』は信じているのです。この技に関しては、組織は5苦手で、個は得意なのです。ゆえに「オリジナリティと排外主義は表裏一体」には異議申し立てをいたします。
 なぜなら、独自であるということが、一人一人が排外的と感じ、敵愾心を煽るだけで終わってしまいます。それゆえの戦争でしたら、体を張って反対します。小林氏も再三、戦争は国家政策の延長での策だといわれています。そのとおりです。それゆえ私も戦争肯定論者です。
            ※      
この拙文をここまで書き終わった16日の午後5時頃、小林氏から電話をいただいた。それは、ある程度予期していた電話でした。

つづきは次回に 

−−−−−−★−−−−−−
そう 小林氏からかかってきた電話
杉山頴男事務所の電話  今月末日をもって遮断
メールの御時勢 かかってくるのは
選挙やらアンケートやらセールスやら

HPトップの 杉山頴男事務所 電話番号 削除するの
サーバーに入ってトップページ探したが みつからない
や〜めた そのまま 悪しからず
2024/01/30(火) 晴れ


試し合い


青天 雲一片もない
空気は乾燥 風も適度に
洗濯日和だ
道着 野袴 筒袖上着 洗濯

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【薫習{くんじゅう}が育{はぐくむ}独自性がある
『くる会」がめざすこと』への返答
杉山頴男(『武道通信』発行人】

■――――――――――――
組織防衛理論優先への寂寥感
 一読、見事な批判文ながら、人の魂を縛りつける、硬直した意図が感じられ、
寂寥感を禁じ得ませんでした。小林よりのり氏と筆者・時浦兼氏は、やはり「私」よりも「公」を優先させる立場に立つのだと、痛感させられた文章だからです。
 友情の上になおかつ批判が成り立つと信じての、小林氏と前田日明との《私的》な会見でした。前田日明は私に、こう言いました。「小林さん、この『返答』、本当に掲載されていいと思っているんですかね。本人、読んでいるのかな。この前(『返答』文中、二回目は前田氏本人も加わりの項)、今まで誰にも話したことがなかったこと(在日の心情)を胸襟して、まごころで話したつもりなのに、それに対して返ってきたものが、これではがっかりですよ。あの時、小林さんは何度も頷いてくれた。その感想が聞けるかと思ったのに。ましてや、この問題提起に、これまで何の関わりもない人間に代弁させたりして、がっかりですよ」
 私と同じ寂寥感を前田日明も感じたのでしょう。その起因は、この批判文が小林、時浦両氏が「新しい歴史教科書をつくる会(以下略称・「つくる会」という組織運動の一環を担う立場において、「つくる会」という組織防衛の論理を極力優先させたものであり、そのスタンスに清明心を感じられなかったからです。
 このような態度に徹するのは、組織運動の一翼を担おうと決意した人間として当然のことでしょう。その意味では組織特有の緻密な批判方式、たとえば、
一、どこまで事前に意識していたか、勉強していたかでもって優位に立とうとする姿勢。
二、相手の論理の矛盾を探り、その論理が自壊するまで、そこを徹底的に突く批判方法。
三、最後に、結局のところ賛成か反対か、敵か味方かを迫る、二者択一な追求。
 以上をすべて、組織防衛の理論として理解できます。この三点は右であれ左であれ、組織に特有な防衛本能です。ですから、このような主知主義的な態度をとるのです。組織にどう関わるつもりなのか、という一点を、組織運動体は突いてくるわけです。
 『返答』文中、現状のサヨク教科書〜/新しい教科書をつくる〜/自分で新しい〜と、言うように。
 そして「つくる会」の独自性「オリジナリティ)を強調するためには、文中にあったとおり、戦略的に「排外主義的な」態度をとろとします。ですから前田日明、「武道通信」が「つくる会」に問題提起(異議申し立てでなく)をした場合、排外的に批判するわけです。
 でも前田日明と『武道通信』は、「つくる会」と同じ志を感ずるところがあって、自分たちの志の“技術”がどれほどのものか、会長である西尾幹二氏にお話をお聞きしたいと、胸襟を開いて前田日明の言うところの試合、すなわち
“試し合い”を挑んだわけです。
 前田日明が「人類最強」と形容されるアレキサンダー・カレリンに試し合いを挑んだのです。オリンピック三連覇という世界の権威「カレリン」を定規として、一匹狼の自分自身の実力を計ってみる試し合いでした。
 一匹狼には、元来、たくさんの弱点があります。たとえば組織的に情報を集めて、理論武装したりする余裕はないし、事前に意識できないこともたくさんあります。それは、その場に身をさらしてはじめて湧く直感を信頼して率直に胸を開けば、必ず相手が用意周到な理論武装をして、しかも主知主義を戦略として来られた場合、盲点を突かれます。間違いなく、一本取られます。

■――――――――――――
「私」の心意気で開く歴史、民族関係

この項 次回で
2024/01/27(土) 晴れ


日本人・前田日明氏への返答


七ノ巻
【「つくる会」がめざすこと
 日本人・前田日明氏への返答
監修/小林よしのり 筆/時浦兼(よしりん企画)】
――― 本誌前巻「つくる会」への歴史観を問う―
日本、日本人とは何か?」への反論掲載

【本一冊くらい 読んでください】
古代、中国文化圏から日本が独立して独自の文化圏を持っていた過程
『新・ゴー宣』69章 『古代史―国のはじめ・天皇のはじめ』
に書かれれてる
あなた方は 読んでないのかと
まずは左ジャブ 攻撃

【儒教が根付かなくて 本当によかった!】
白川静/加地伸行/ひろさちや/陳舜臣
誰ひとり 「日本に儒教が根付いた」など云っていない
『醜い韓国人―われわれは「日帝支配」を叫びすぎる』の
朴 泰赫{パク・テヒョク}も
(儒教)黒から白まで色合いに分けたとすれば
中国と韓国は全くの黒 日本は限りなく白い近い薄い灰色
次は左ストレート

【オリジナルとは排外主義だ】
≪帝国書院 中学歴史教科書P15
「儒教は中国だけでなく、漢字が使われた東アジアに広まりました。
朝鮮、日本、ベトナムなどです。これらの国々でも、儒教は政治や生活に大きな影響をあたえました。」
これなら現在の歴史教科書を守れと、主張なさったほうがいのでは?≫

づづけて
「武道」を掲げ 「武道精神ヲ以テ今日ノ日本を生キル」……
「日本」「日本」を連発する雑誌なのに
日本文明の独自性を主張したら途端に「排外主義」
だったら「日本」という語はすべて「アジア」に書き替えるべき
次は左フックのボディーブローだ

オリジナルとは排外主義だ こう書いてある
「リングス」のオリジナリティを主張するには
「新日本」でも「全日本」でも「パンクラス」でもなければ
K−1でもないと強調
これは排外主義
他団体と「共感」しますなどと云わないでしょう
「排外主義」との非難 オリジナリティを認めないと主張すると同じ

「他民族への共感」 他でもない
人間の自然性にまったく根ざさない薄っぺらな人権派的理念にだけ支えられた
左翼なのだ
アジアで戦争したからとの左翼の自虐史観
続けざまに 左ストレート連発

【学説にこだわって何が悪い】
前田が再三「学問と教育は違う」から「学説云々なんか」にこだわるなと
発言している
一口に学説と云ってもピンからキリ
が 教科書をつくる以上 学説の優劣にこだわるのは当然
トンデモ歴史観への傾向と対策
文明史家・偽史研究家 原田実氏を講師として招いてる
「正論」で書いている(平成十年五月号)
勉強する気があるなら読んでください
<本一冊くらい 読んでください>と
右フック

【歴史は道徳の道具じゃない】
前田 「歴史教科書は道徳教育につながる」何度も主張
対談で「どういう人間を育てたいのかという理念が根底にな いといけない」
西尾氏が反論 「歴史は道徳教育の場にならないし またそれをすると間違いが起こる」
相当 不満のようであったが
戦前の「皇国史観」に前田 批判的であったが
昭和十六年 「初等科国史」で尽忠報国{じんちゅうほうこく}の理念
歴史教科書が道徳教育につながったではないか
最後は KO狙った左アッパー

KOした選手を慰めるように
【前田さは 日本人ではないのですか?】
≪日本独自の価値観があればこそ、新日本からUWF、そしてリングスへの深化もあり得たのです。ここまで日本独自の恩恵を受てけヒーローになった前田日明氏は、誰よりも日本人であることの誇りを誇っていいはずだと私は思います。……小林は「前田は日本人だ」と言い張っております。≫

次ページで拙者がしゃしゃり出ている
ここは 「武道通信」発行人の出番だと

−−−−−−★−−−−−−
ミス日本 グランプリに
昨年 日本国籍の異邦人
彼女の日本人としてのアイデンティティー いかに

日本国籍取得の
韓国人/朝鮮人/中国人/台湾人」
だけでなくなって 久しい 昨今

生粋の日ノ本人としてのアイデンティティー いかに
じっと 日本刀 みる
2024/01/26(金) 晴れ


在日の日本人としてのアイデンティティー


山本周五郎/藤沢周平らの時代小説
跡目争い/藩の財政再建策での派閥争い
こちとら 暗殺などの物騒なこともおこるが
要は見解の相違

「つくる会」と めざすところは同じだが
要は見解の相違

六ノ巻
【思考のリングス
エールとしての警告。「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史観を問う
日本、日本人とは何か?】
編集部企画・構成 筆・吉田健吾


五ノ巻
儒教は日ノ本に定着しなかった←西尾氏
≪西尾→≫日本の場合の儒教は学問で終わっているんじゃないかと。≫
≪前田→えっ、儒教が学問だけで……≫
同巻で この一言に前田、反論
【儒教は日本に根づかなかったか? 】
コレ 先に記した

リード
≪ 五ノ巻、西尾幹二―前田日明対談における
前田日明の問題提起をめぐって
日本は、他文化の影響を受けたのでなく、独自の力で独自の文化を築いた……。この日本文化の独自性を強調する西尾氏の歴史観にある種の危険性を感じた。自分は文化とは、民族的共感の蓄積だと考えるからだ。」
この前田日明の問題提起の重大な意味を、そのとき、まだ本当に理解していなかった。しかし、この問題提起の意味を問う過程で、「日本、日本人とは何だ?との問いに≫

全十三頁 解説していけば長すぎる
中見出しだけを追う
≪プロローグ パンドラの箱≫
「在日韓国人/在日朝鮮人な/在日中国人/在日台湾人」という日本人と
「日本人のアイデンティティー」を探す新しい歴史教科書が入った
パンドラの箱を前田日明と一緒に開けて見なければならない」

≪パイロット版ゆえの問題提起
教育理念への疑問≫
≪「武道通信のヴィジョン
生き方を探る「試合」≫
≪中国とは別の文明圏である日本
純正日本文明圏とは≫
≪日本の歴史究明の動機
歴史教育は道徳教育≫
≪西尾氏への長文の手紙
ニーチェ的苛立ち≫
≪前田日明の“正しさ”の一点
誰のための教科書か≫
≪エピローグ 西尾、小林氏の誠実さ≫

次号 七ノ巻
【「つくる会」がめざすこと
 日本人、前田日明氏への返答
監修/小林よしのり 筆/時浦兼(よしりん企画)】

これには拙者が受けて立った
2024/01/24(水) 曇り


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