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閑談


今年も あと10日を残すのみ
そうそう 年賀状 づくりだ
まあ Net配信ゆえ 大晦日まっでにつくればよい
元旦早朝 <投函>
「谷保天満宮に初詣でしてきました 配信します」
などカッコいい文言をそえて
(掲示板 ご覧あれ 去年の年賀状 UPされている 元旦に)

<墓じまい>ならぬ「年賀状じまい」 増加の一途とか
除夜の鐘ではなく カウントダウンで新年を迎える
風物詩も 諸行無常の響あり

そうは云っても
元旦 ポストに入った 頂いた年賀状 
手触り心地よい
送り主の顔 浮かぶ 

歳をとるほど 幼児体験 蘇る
木版年賀状 学校で彫らされた
ある年 み〜んな 
スプートニクに乗せられた犬 
彫っていた 俺も

“へそ曲がり”爺
もしかしたら 数十年後
生き残っている友人/知人に
手書きの年賀状 送るやも

次回
休題閑話
【軍刀の試斬】
2025/12/22(月) 晴れ


本日は 武道通信かわら版 配信日


もし この世が舞台なら
楽屋は どこに あるのだろう

楽屋など どうでもいい
客に見せる 観てもらうための
舞台だろう

客とは誰だ?!
縁者 縁類 知人友人?
違う 彼らも舞台に立っている

客とは
おてんとうさま だ!
2025/12/20(土) 晴れたり曇ったり


自衛隊入隊してみますか 若者たちよ


【ある教師の証言
 自衛隊体験のススメ
自衛隊を見、知ることで教え子は変っていった
集団生活と訓練で若者は強靭な兵士となる
井上孝司(大阪工業大学付属高校 北陽高校 滋賀高等学園で
国語教師として勤務
趣味は戦史研究 @niftyの軍事フォーラムFDRで世話人 
自衛隊の組織や制度を研究)】

井上孝司 こう記す
《現在の勤務高校では 例年 入学式を前に 二泊三日の合宿を新入生に義務付けている 学生達は風呂の入り方 食事の配膳と後片付け
布団の上げ下げなど生活の基本動作を
誰一人として完璧にできる者はいない
そんな具合だから あちこちで教師達の叱咤と注意と激励の言葉が
生徒たちの間で響き渡る
全員が15歳 こんな基本を体験したことはない
学生たちはストレスと戸惑いで 精神的にも肉体的にも追い込まれた顔になる
そんな時 自分達と同じように行動する教師達が整然と生活をこなし
ちっとした合間に休息をする姿に 次代に尊敬の念の眼差しを向けてくる
二日目になると 半数の学生は 教師たちの所作を真似ようと工夫してくる
もちろん飲み込めない者もいる 
不満の矛先は教師への反発で現れる
ここが教える側の踏ん張りどころ
最終日になると 生徒たちは見違えるほど逞しくなる
小難しい理屈よりも体験すること 困難を乗り越えるという経験が自信をつけさせる
毎夏には この復習を兼ねて より困難な目標で合宿する
登山や漕艇といったメニューを組む》

井上氏の最終目的は これだ
《若年層が二年間程度の期間 国家公務員として勤務する義務制度を検討
警察官 消防官 自衛隊など 十八歳から二十歳までの若者に
その勤務 義務化する発想を持つべきではなかろうか》

−−−−−−★−−−−−−
坂井三郎さん どこかの対談で話していた
近所の悪たれを入隊させると
二年後 見違える凛々しい若者で戻ってくる
2025/12/18(木) 晴れ


自衛隊の真実


【自衛官の武士道とは
元自衛官は語る 平成の武士道
最後まで「事に臨」めなかった自衛官たち
「死ぬこととみつけ」得ないで生き永らえる武士道
岡崎欽一 (昭和20年台湾生まれ 防衛大学校(応用物理学)卒
平成13年輸送学校副校長 陸将補で退官)】

岡崎陸将補 こう記す
《「死ぬこととみつけたり」 つまり兵士は事あるときは
「死ぬこととみつけたり」と己の命を空しくして任務に尽くし
事なき時は己の過去を空しくして黙って去らねばならない
そのとき どう処するかが武士かどうか分かれ目のような気がする
「死ぬ!死ぬ!と騒いでから死ぬのでは どうも武士道とは違いそうだし
「死ぬこととみつけたり」得ないで生き永らえる武士道もあるのではないか》

【床几
「葉隠」と自衛官  
田中華寿雄{かずお} (元海上自衛隊二等海士)】

田中二等海士 こう記す
《平成四年一月から四月にかけての僅かな期間であったが
海上自衛隊・呉教育隊に所属 海上自衛官としての訓練を受けていた
しかしその頃既に海尉・海曹級の教官達は ほぼ完全なサラリーマン化
今日では絶滅した学校体育教師といった風情で
武人という印象は全く無く その下の訓練生に至っては
大半が暴走族か少年院出身者のような手合いであり 
まるで話にはならなかった
むしろ 空手など一部の武道を修めている方々の方が 
余程「葉隠」の精神というか 
武士道の心を受け継いでおられるのではないだろうか》

【自衛官、もう一つの真実 予備陸曹の憂い
国防を任されるか
いつの日か武士の誇りを持て
真実を伝えることにより蘇生を祈るからである
神 博行 (元自衛官(機甲科)平成8年任期満了退官
現在 予備三等陸曹 柔道・戸山流合気道・柔剣道を学ぶ)】

神 予備三等陸曹こう記す

《昭和62年 いまから15年前 陸上自衛隊真駒内駐屯地入隊(二等陸士)に入隊
入隊前にイメージしていた自衛隊と現実の自衛隊の違いに驚いた
そんな元自衛隊官が自衛隊のついて語ると「悪口」「批判」ぐらいしか出てこない気がしていまひとつ戸惑う気持ちがありあしたが 自衛官に誇りを持つ隊員も少なからずいます
これら隊員たちの本心も知ってもらいたいと思うようになりました
それになりよりも自衛隊は 私が8年間歩んできた青春の道程です

中見出しを追う
☆泥棒天国
「盗まれた方が悪い」 上官 面倒な事件を処理するのがいや
☆サラリーマン
「安定」「技術 免許が取れる」 演習でも仕事だから“戦争ごっこ”
☆戦車に乗れない戦車隊
戦技という競技会 戦車隊は持続走 競技記録が良ければ昇進が早い
戦車に乗れない陸曹が存在してしまう
☆国防に向かい合う教育
除隊ぜす耐えられたのは十一戦車隊にいたときの大隊長
末端の一陸士相手に戦史を語ってくれ 戦史研究会という場を与えたくれた
現在 予備自衛官 有事には銃を取る
未経験者でも応募できる「予備自衛官」 
先日 北海道での予備自衛官補試験 20名枠に400名の応募
自衛隊が頼れる日が来ることを期待します
ここで真実をできるだけ伝えようと思った
自衛隊の現在の姿を広く伝えることが自衛隊自身が襟を正しことと
国民が叱咤激励することで ゆくゆくは武士{もののふ}としての誇りを持つ集団になることを祈るからです


次回 特集:自衛官の「葉隠」 最終章
【ある教師の証言
 自衛隊体験のススメ】
2025/12/16(火) 晴れ


端的只今{たんてきただいま}


「二つ目」
緊急事態に対する心構え
誰しも そんな事態になど望まないが
死に望まなければらないほど事態であっても
いざその時 どういう対応をするかということを
平常よく検討し 覚悟を決めておかければならい
武士として死ぬ覚悟や
恥ずべき行為をしない覚悟ができていない状態
「士道不覚悟」は万死に値する

『葉隠』
「端的只今の一念より外はこれなく候。一念一念と重ねて一生なり」
<端的只今> いまがそのとき そのときがいま
常朝が好きな言葉だ
祖父/父から教わったのであろう
養子に息子にもよく云い聞かせている

山本さん 話は江戸の世へ
軍事政権 歴史上 現代も 腐敗の限りを尽くして崩壊する
しかし 武士はあくまで廉潔を美徳とし 
農工商民がわが世の春を謳歌していた それが江戸二百七十年であった

最後に 自衛官諸士に捧ぐ
今日世界中で一般に社会的尊敬を受けることの僅少な軍人というのは
自衛隊だけかもしれない
さらに諸氏の先輩たちをはじめ おそらく若い自衛官たちも
自分の勤務年間に出勤の機会はおそらく無いであろうということも覚悟して勤務されていると思う
「だから自衛隊は壮大な無駄だ」というのは「自分はまだ死んだことがないから 葉隠なんて読んだって無駄だ」と言い放って人生を無駄遣いするのと同じことである
「非常事態がないのが判っているから自衛隊は気楽な商売なんだ」という説も聞いたことがある。しかしそんな理由で厳しい訓練と厳格な規律の世界にわざわざ飛び込む物好きがいる訳もない
世間にはデモカシで気楽な家業は他に幾らでもある
なによりも自分の生涯には華やかな出番や英雄になる機会も僅少であろうことを覚悟しながらな
おかつ平常の研磨を厭わず侮りの耐えて有事に備える矜持という
まさしく歴史の状況も心も葉隠武士のものである
日本が幕末時代の世界の荒波の中で倒壊せず尊厳ある国家を保ち 繁栄の今日を築くことができた基本には 連綿と生き続けた葉隠武士の心の賜物があることは云うまでもない
現代最も爽やかな風に吹かれている人達 自衛官緒士に最大の声援を贈りたい
ただこのひと言を書くために随分長い前書きになったが 
葉隠精神を継ぐ人達が現在にも存在すると思うえば 
筆者の心にも爽風の余徳を感じて幸せなのである 
敬礼

−−−−−−★−−−−−−
財務大臣 片山さつき
21年前(2004年7月)女性初となる主計局主計官に
防衛関連の予算をおもに担当
知人 曰く 
息子が通う 陸上自衛隊高等工科学校(通称:高工校)の予算 削った
片山 ケシカラン

冷戦の終結により旧ソ連の脅威が低下したことを受けて
防衛費1兆円減を打ち出す
その余波だった

防衛費 過去最大の9兆円規模に 26年度予算案
♪ かわるかわるよ 時代はかわる
2025/12/14(日) 降ったりやんだり


常朝が 死を語っている意味は二つ


そして葉隠の武士たち
山本さんの師友 鈴木直哉氏
「何故如何にして歴史は曲解誤解され歪められてきたか」
指摘解明することに尽力をつくされた
氏の著
『謎とき日本合戦史: 日本人はどう戦ってきたか』(講談社現代新書)
もっともよくかつ平易にこの事情を検証している
「こうあってほしい」
「こうであったほうが都合がいい」
「歴史はこうあるべきだ」
といった先入観「史観」のなせる業
(※「新撰組」も そうであろう)

山本さん 曰く
『葉隠』も その被害を受けている屈指のひとつ
「武士道というは死ぬことと見つけたり」
一行に満たない文字が これほど一人歩きをした例はない
関ヶ原から110年後 戦闘員として極めて閉塞的な状況
『葉隠』は 先祖の武勇に比するものは何か?
を追求した武士の処世覚悟を示す書であった
これをまず 理解いただきたい

常朝が死を語っている意味は二つある
一つは 
「人間 誰しも必ず死すべき存在であることを忘れるな」
武士が好きだった禅
人間 死んだらそこでオシマイ
この歯切れの良さが武士の共鳴を呼んだ
(※数多の殺生も地獄に堕ちることはない 勝っても敗けても死ぬ)

したがって平常を一瞬々々を一期一会と観じ
一刻々々を完結され充足したものであるよう生きなければ
不時に到来する死のときに人生の意義を完結する事なく
不覚悟の死を迎えることになる

この思想 
洋の古今東西を問わず思想家や宗教家がしばしば説く
テーマであるが
宗教色や来世願望を離れて
これほど明確に
「限りある人生の有意義に生きよ」
「有意義とは何か 常に自らに問え」
と簡潔に呼びかけた文章を筆者(山本)は薄学にして知らない
今日も『葉隠』が人々の心を引きつけるのは
華麗な活躍以外の場でも人生を見つめ続けようという
常朝の洞察の深さによるものであろう

<常朝が死を語っている意味は二つある>
「二つ目」は 次回で

−−−−−−★−−−−−−
映画「ジョー・ブラックをよろしく」
ラストシーン
ジョー・ブラック 「去りがたい」
大富豪パリッシュ 「“それ”が生だ」

生と死
古今東西 永遠のテーマ
2025/12/11(木) 晴れ


一所懸命


特集 自衛官の『葉隠』
【謗りに耐え、有事に備える矜持
         山本伊佐夫】

亡き山本さんの遺稿である
【歴史、史実の話は解かっているようで改めてみるとそうでないことが多い。】
との書き出しで
誇り高き平安期の武士たち との中見出しの項では
藤本正行氏の『鎧をまとう人々』
山本さん 当時の実態に迫る名著と
当時にあって 
「国境」の彼方の反抗者たちは人か鬼かも定かでなく
日暮れては都大路も夜行妖怪が横行、貴人の行列ですら錯乱されることも稀ではない 人々や社会はそう信じていた
魑魅魍魎という強力な武装をした敵軍とはまた別種の本源的な恐怖であった
武士の主要武器である弓の弦の「鳴音{めいおん}」と
矢を放つ瞬間に発する気合いの声「矢声{やごえ}」は
魔物たちを慴伏{しゅうふく}させる力があると信じられていた
それは 弦を強く引き鳴らすことで邪気や魔を祓う儀式とした現代にも伝わっている
*「人々や社会はそう信じていた」ことがわからないと わからない

そして彼らの志は「礼楽射御書数{りくげい}」
礼儀作法/音楽/弓術/馬車操縦術/文学・算術
を身に着けなければならない
平安の武官たちは現代の軍人の模範像としてなんら見劣りすることはない

武士支配が確立した鎌倉時代以降
彼らの価値観や誇りは平安の武官とは相当異なったものになった
彼らの自己存在理由 領地に対する執念 「一所懸命」
すべての動機/倫理もここからはじまる
現代の拝金主義者とは随分違う

兵頭二十八さん 「権力とは飢餓と不慮死の可能性からの遠さである」
と述べられている とし 山本さん
言い換えれば 権力志向とは「自分だけ安全で安逸{あんいつ}を貪れる地位」
を作ろうとする事という意味にもなる
武士の行動はその意味での権力志向が極めて薄いと

先天優越感から遠く存在理由が
領土を死守拡張し一族郎党を養うに尽きていることに透撤{とうてつ}した意識を持っていた人たちだからである
従って彼らは外敵に対する凄まじいまでの武勇と同時に庇護者としての
心遣いを持つことを理想としたのである

ここから「蒙古襲来絵詞{えことば}」の竹崎季長{すえなが}の触れ
侠とか意気という言葉は彼にこそ相応しいく 
殺伐たる時代の中に武士気質という
一種のさわやかさが漂うのはその故であろう
と山本さん

次回
「そして葉隠の武士たち」
2025/12/09(火) 晴れ


<人も歴史>も進歩しない


きのうも きょうも
小春日和

陽水の
♪小春おばさん 逢いに行くよ
口ずさむ

田中光四郎/兵頭二十八 対談
対談というより 兵頭さんのインタビュー
これまで8ページ分
あと24ページある

中見出し 追うと
右翼・民族派→カラシニコフ→NGOインフレ→マスード将軍→格闘技→
不二流対術→護身術の鎖分銅→宮本武蔵→自衛隊の徒手格闘→テロリズム→
杖、短刀術→山篭り→常在戦場→山本常朝→ブッシュ大統領→徴兵制

で あとは省略
田中光四郎/兵頭二十八 対談 終了

田中光四郎という人
<人も歴史>も進歩しない
人は 同じこと繰り返す 歴史も同じこと繰り返す
そう 考えていたのではないか

歴史は進歩する 繁栄するとの
あの時代の
日ノ本の世に 一石を投じた人であった
2025/12/07(日) 晴れ


本日は かわら版配信日


松浪さん 田中さんを避けたのは
<右翼>のレッテル 貼られていた人だった からか
人は 人にレッテルを貼る
人は人を 区分けをしたがる
人は 己を守りたいために
2025/12/05(金) 晴れ


<右翼>というレッテル


田中光四郎 話つづく

バーミアンの石仏 タリバンが爆破すると予告
あのとき 俺が止めると言ったのが松波
彼は国境まで行った そのとき五億円持っていった
しかし 石仏 爆発される
パキスタンで噂が流れる
「あの金はどこへいったのか」
田中 衆議院外務委員長・吉田公一を訪ねる
その金の出所を明らかにしてください
最終的には外交機密費は探しようがない

田中さん 松波さんへの嫌悪のはじまり
松波さん アフガンとの縁
1975年から3年 国際交流基金の支援によりアフガニスタン
カーブル大学にレスリングおよび体育の指導者として派遣される
後年 日本でのアマレス大会の折 
田中さん アフガンから4人の選手を自前で連れてく来る
アジア大会のときも選手・役員30人 自前で呼ぶ
そのとき田中さんへ挨拶も 選手たちへの杓子定規の対応に立腹

さて 次は中村哲
何かしゃべってくれと頼まれた ある若手議員の集まり 
中村がこう言った ああ言った ばかり
田中さん
「中村は医者じゃないか 彼は戦う人間ではない
私は兵士として戦った」

田中 → 【私と中村哲は同じ福岡県出身です。彼は徳洲会の医師だったんです。人がやらないことをコツコツとこなすいい男ですよ。私の足も切ってましてね。でも脳神経医です。それなのに足を切ったり、脱臼した肩を入れたり、何から何まで18年間やってきたわけです。年齢は私より下ですから呼呼び捨てにしますが、兵士だった私より、彼の方が高い社会的信用得ているわけです。
 たしかに私は単に戦うだけの人間です。人前に出ておしゃべりすること事態が居様です。「俺は!」と手を挙げてしまえば私らの存在価値はないですよ。でも去年『武道通信』で前田日明さんに会わせていただき本当に嬉しかったですすね。そのとき極真会館の大山館長が私の写真を見て、「彼は武道家の誇りだよ、
同じ武道家として誇りに思う」とおっしゃっていたことを前田さんから聞いたのです。あれだけの人が、草の根の稽古だけしてきた私を思ってくれているのかと、嬉しかったですよ。】

兵頭 → 武道家としてやってこれた田中さん どうやって民俗派とつながり
田中 → 皆さん私のことを右翼という(笑) 日本青年社の錬成塾をつくり塾長やっていた
兵頭 → 日本青年社 そもそも世間からは右翼と思われている
田中 → 右翼ですよ 会長が小林楠扶 住吉会の跡取りで本部長
小林 「田中には構うな 田中は自由にさせておけ」と言ってくれたので
何をしようが誰も文句 言わなかった
党役員会の出て来い とか日教組に抗議に行くぞとか言われても行かなかった

−−−−−−★−−−−−−
後年 オウム真理教 麻原彰晃 逮捕
田中さん 身辺整理し 遺書書き 暗殺 企てる
住吉会 各々も 麻原 暗殺 企てる
小林楠扶 「田中に任せろ 他の者 手を出すな」

まあ 失敗に終わったが
2025/12/03(水) 薄曇り


重版出来!


師走である
スズメ 電線にとまっている
いま早朝 4℃ 寒くないのか
スズメ 曰く
汗腺はないが 
冬は羽毛を膨らませて空気の層を作り断熱性を高める
夏は口を開けてパンティング(開口呼吸)したり
羽毛の少ない足指から熱を放散したりして体温を下げる

「草莽」読者からメール いただく
<フレデリック・クレインス著『戦国武家の生死観 なぜ切腹するのか』
最近 評判ですが  杉山さんのこれまでの発言やコメントの 
焼き直しのようで ちょっと腹立たしい気もしました>

『使ってみたい武士の作法』 2008年 9月25日発行
<たちまち重版>
同著読者からメール
<いまニューヨークに住んでます きのう読みました
日本人であることに自信を持ちました>

更に 2010年 9月25日 再度重版できないので
増補版として発行 

この著 書いたときから
英語版/スペイン語版等
翻訳されること希望していた 
杓子定規でない 熱き心を持った
日本外務省/日本文化科学省 キャリアがいたなら
英語版/スペイン語版等
遠に 翻訳されていたろ

−−−−−−★−−−−−−
田中光四郎/兵頭二十八 対談
タリバン バーミアン石仏 爆破
止めるため 松浪 行く
そのとき持っていった金 5億円
外交機密費 五億円の出所 行方の謎

ペシャワールの医師 中村哲のこと
次回で
2025/12/01(月) 晴れ


日本アフガニスタン協会


兵頭 →田中のアフガンでの今年の難民支援活動を訊く
田中 → ペシャワールで中高生の弁論大会を催す
12,3校が参加 
英語で「日本とアフガニスタンを語る」
9歳から18歳まで    
(同ヘージに掲載された写真を指さし)
この子は広島・長崎で亡くなった人達に黙祷を捧げたいということで
来ている人全員を起立させた

田中 16年前から「日本アフガニスタン協会」をつくる
英語名 「ジャパン・アフガニスタン・アソシエーション」
国連からの委任状 仕事依頼書も この名称

日本に社団法人 「日本アフガニスタン協会」がある
理事長 松浪健四郎
この20数年理事会が開かれた形跡がない
なのに理事長を名乗っている

兵頭 → 弁論大会を47万円で開催できたのに
外務省は5億円の予算をどこで使ったのか不明と
田中さん 最近講演会で発言されたそうですね

田中 → その不明金のことは後で話しますが
私が一番怒るのは 松波は私がやったことを自分がやったように話すこと
カメラマン南条直子 アフガンで地雷を踏み死ぬ
南条が死んで一週間 ペシャワールへ帰ったその日 無線が入る
すぐ大使館に連絡し 駐在武官をイスラマバードからペシャワールまで
引っ張り出す
国境まで来たところで「許可がなければ行くことはできません」
日本の大使館の 熱き心がない杓子定規さに絶望
ビニールのロールを買い 南条の体を持って帰ろうとしたが
埋められて一週間 10月7日 掘り起こす
体がガスで膨らんでいたので
髪を切り カメラから皆 持ち帰り
日本のご両親に渡す
そのときお母さん 夢で娘が真っ黒な顔して廊下を走ってきたと言う
親というものは有り難いもの
自分が親を一生懸命想っているつもりでも
親はその何十倍も子を想っているということ
ところが昨年9月23日毎日新聞朝刊
松波が「南条直子のバラバラになった死体をムジャヒィデンが埋めた」と
南条の体はバラバラになんかなっていない
松波は何も知らない 南条にも会ったことない
それなのに親の想いを踏みにじった
だから毎日新聞に抗議謝罪させます

−−−−−−★−−−−−−
松浪健四郎氏とは多少縁がある
「格闘技通信」で書いてもらっていた
ビクトル古賀さんを紹介してくれた
<サンボブーム>のきっかけをつくった

松浪氏の著作 何冊か刊行した
「杉山さんのお蔭で教授になれました」と冗談を
チョンマゲ議員として話題に
たしか 田中さんから「松浪に抗議する」と連絡
その場に居合わせた
2025/11/29(土) 晴れ


「国軍」とは


兵頭 →
【15世紀末から18世紀に、ヨーロッパの軍事組織も「ゴシック」から「バロック」へ移行したと言われます。つまり、都市に篭る歩兵や騎兵の小部隊では、もう大砲を有する大部隊には勝てなくなり、国王絶対下での巨大な常備軍が整備された。日本の自衛隊もこの延長線上の「国軍」なのだろうと私は思いましが、田中さんは今の自衛隊についてはあまり好感を持たれていないようですね。】
田中 →
【自衛隊は国軍と言ってもですね、彼らは志士ではないのです。職業で、飯を食うための就職です。失業対策事業でしょう。最初は公安隊や警察予備軍だとか。それがそのまま今に続いているに過ぎないということであります。自衛隊の予算が5兆円、その半分は人件費ではないですか。--------
 いまの自衛隊が良い悪いのではなく、公安隊や警察予備軍、失業対策から続けているのが大前提でしょう。】
兵頭 →
【自衛隊は、上から下までダメですか?】
田中 →
【そう思うますね。私は昔、東部方面隊の会計隊長とやり合ったことがあります。この人の弟の嫁が肉屋を切り盛りしていて自衛隊に肉を収めていた。旦那が倒れてしまい未収が出て困り果てた。--------
 その時に三島由紀夫が割腹した建物に入って会計隊に行って考えました。「こいつらの国を守るという感覚では日本には国軍はないものと同じだと。】
兵頭 →
【私も「戦車マガジン」の記者の頃、市ヶ谷に関してはつまらない想い出があります。おそらく島国日本の公的組織ずべてに共通なものが防衛庁にもある。「ソツのない対外庶務」の必要性を解さず、律儀に正面から門を叩く者は、外人であれ邦人であれ、厭な目に逢うのです。しかし「通用門」から覗けば、出世競争」から外れた凄い男達が生きていますよ。F86からずっと乗ってきて、50歳過ぎても体力では20代にも少しも負けないと言い切れりF15で飛んだりする、防府の航空教育隊の名物司令の一佐とか----それは列挙仕切れません。
北海道の部隊をご覧になったことは?】
田中 →
【ありません。】
兵頭 →
【北海道師団と習志野の空挺団は、まだ軍人らしいところがあるはずです。自衛隊は募集難に陥った平成4年からひどく弛んだ時期があったんですが、不況を背景に数年前から規律が復活して、茶髪にピアスは追放。市長で結婚しても営外住居させないとか。当たり前の事態が戻っています。】
田中 →
【習志野には私の弟子がおりまして、自衛隊内で何度も優勝したそうです。確かに中にはまだまともな兵士がいるのですね。】

−−−−−−★−−−−−−
支那には「国軍」はない
共産党の「党の軍隊」
総兵力が約203万5千人 世界最大級の常備軍
核弾頭 600以上
「日本ごときが」とのセリフも出る
2025/11/27(木) 晴れ


スティンガー


兵頭 → 【冷戦の真っ只中で、ソ連が負けそうだとは思えなかった時期ですね。】
田中 → 【当時は戦いそのものがのんびりしてましてね。私たちは夜しか攻撃できませんでした。昼間はヘリコプターやミグが飛びまわっておりました。昼間は移動するだけでヘリコプターが来ても皆座って見過ごすだけ。】
兵頭 → 【スティンガー(歩行携帯式対空ミサイル)の援助はまだ無し?】
田中 → 【ジャーナリストが来て「スティンガー見たか?」と言われ探し回ったのが1987年、翌年になりますと、どこに行ってもありましたね。射手を訓練・指導したのがパキスタンで最終チェックはアメリカ軍がしたそうです。】
兵頭 → 【それは実は変装したCIAだったんでしょうね。】
田中 → 【そうですね。私、アメリカのペンタゴンに呼ばれてまして話させてもらったんですが、上議員の部屋にアフガニスタンで使われた第一号のスティンガーのランチャーが壁に飾ってあるのですよ。いつ誰が撃ったかのリストがありまして、確立が97%ですよ。あれではソ連はたまらんですよ。だからスティンガーが戦いを終わられたと私は思っています。担いでも軽く、そんなに難しいものでもありません。操作も簡単なサイト制御がありまして、横には強いと思うんです。ただ上下サイトには弱いです。上下合わせるには大変な努力が必要です。】
兵頭 → 【スティンガーのIFF(敵味方識別電波送受機)の操作はどうしましたか?】
田中 → 【自衛隊をはじめ、近代国家にはIFFがあるそうですが、このときにはついていません。でも3,4つのスティンガーは持っていました。補給の時にパキスタン国境でスティンガーが渡されるのです。武器庫にはあらゆる武器が一杯ありました。その武器庫を作った時、サウジアラビアのサヤフというグループが200人ぐらい義勇兵としてきていたのです。その中にウサマ:ビン・ラディンがいたというのです。】
(次頁に田中さんがスティンガーの発射訓練をする写真)
兵頭 → 【その「義勇兵」と「傭兵」との区別、全共闘崩れが70年代にすり込んだ日本の青年向けエログロジャーナリズムでは、いまだにできていません。
 傭兵について興味本位に肯定的に取り上げらたりするのは、傭兵はカネ次第で祖国にすら銃を向けるかもしれない「人間のクズ」に他ならなず、国際法上も義勇兵とはまるでことなった扱いを受けることが分からないでしょうね。】
田中 → 私も日本テレビでのニュースに出させてもらったんですが、その時「雇い兵といして戦った日本人がいる」と言われたので日本テレビには二度と行かないと思いました。その時代の先端を走っているジャーナリストがその程度の認識ですから語るに足りません。】

−−−−−−★−−−−−−
米国がウクライナにトマホーク巡航ミサイルを給与したらどうなるだとうか
アフガンのスティンガーとなるのだろうか
プーチン大統領 新たな段階のエスカレーションにつながると恫喝するからには
アフガンのスティンガーとなるのだろう

支持率 凋落していくトランプ大統領
人気挽回にトマホーク巡航ミサイルを給与するんじゃないか
2025/11/25(火) 薄曇り


義勇兵


自衛官 基本給 全世代引き上げへ 
自衛隊の階級名変更検討 諸外国の軍隊に準拠
1佐→大佐/1尉→大尉
新政権 自衛隊にテコ入れ

十八ノ巻
【特集 自衛官の『葉隠』
 自衛官に捧ぐ――国軍たりうるか、武士たりうるか】

◎対談 自衛官殿 特集の前に読んでいただきたく候
田中光四郎/兵頭二十八

兵頭 → 【現代史を論ずる「国際派」。日本人の中に第一次世界大戦のとき、日本人は無理しても地上軍をヨーロッパに派遣して、英米との協調を深めておくべきだった、との高説を垂れる人が多いですね。なら、あんた方は1979年にソ連のアフガン侵攻が起きたときアフガンへ義勇兵として赴こうと考えたかい? そう発想して故・マスード将軍の反ソ部隊に身を投じたのは田中さんだけでした。
 じつは第一次世界大戦のとき、多くの米国人が、政府の参戦を決める前から、どんどん個人で義勇兵になるためフランスに渡っていたんです。当時の日本政府にも義勇兵の出国を止める権限はなかった。しかし日本からはごく少数の金持ちパイロットが駆けつけただけ。要するに、昔も今も、日本人大衆に決定的に欠けている発想が「義勇兵(voluntere)」なんだろうと思ういます。
 残念ながらソ連なきアフガンは自ら混迷状態に陥っているようです。】
田中 → 【それはラバニがタジク人、マスードもタジク人、ヘラートのイスマル・ハンもタジク。それでタジクが大きな力を持って安定され一番困るのがパキスタンですね。そのパキスタンがシュウトゥをたててタリバンを作り上げてひっくり返したわけです。それが原因です。
 私は1984年に日本でアフガンの2組の難民に会って決意し、生きて帰れるとは思いませんでしたので、身の回りを整理してアフガニスタンへ行きました。1985年の2月に向こうに行って、ずぐ戦い始めました。】
兵頭 → 【そもそもの決心のきっかけは?】
田中 → 【私は武道家の端くれでございますから、最後のギリギリのところで「いざ死ねる時に死ねるか」というのが私のテーマなんですね。
 44歳の時に武道の最後のステップにかかっていたような気がするのです。
いま振り返ってみますと、「いざ死ぬ場所で本当に死ねるのか」という自分自身の存在確認がありまして、「ここなら死ぬる」と思ったから行ったわけです。
飛んでくる弾に向かい、ここまで来たのをかわしてみたいとか。武道家というものは欲が深いものでありまして、ギリギリまで見たいというものがあるのです。】

さてさて はじまりはじまり

−−−−−−★−−−−−−
第一次世界大戦中 「義勇兵」として参戦した日ノ本の人々がいた
カナダに移住していた約200名の日ノ本人
人種差別に苦しむ中で カナダ軍の義勇兵として参戦し
フランスの西部戦線などで勇敢に戦った
また たった一人の日本
「日本人初のエースパイロット」滋野清武
フランスに渡り義勇兵としてフランス軍の空を守った
2025/11/23(日) 晴れ


憂国


相矛盾する二人の武蔵
新免武蔵(キャリア)/岡本武蔵(ノンキャリア)
日本浪漫派の最後の二人
三島由紀夫と五味康祐にも 見ることができる

三島由紀夫(本名平岡公威{きみたけ}
祖父→初代樺太庁長官 父→農林省局長
公威 学習院〜東大〜大蔵省キャリア

五味康祐
大阪灘波の映画館の息子
明治大在学中 陸軍に召集 
その後 辛苦をなめながら筆一本で生きてきた

さて 本題 『柳生稚児帖』
三島の死から三年後に書かれた

五味は多くの時代小説を書いてきたが
刀そのものに強い執着をみせたのが『柳生稚児帖』
攘夷と開国
いい変えれば伝統と近代の相克を踏まえて
日本浪漫派の命題 「日本とはなにか」の問いに対する答えを
この小説で示そうといた
しかし この面白すぎる長編小説に仕上げてしまったため
五味の読者には届かなかった
三島の死から三年後に書かれた

長編五十一章 十九章に当たる「侠客」
慶応四年 品川沖から脱走した旧幕府軍隊 房総沖で台風に遭い
威臨丸は清水港に漂流 駐屯の官軍に攻撃され搭乗員は敗死
その屍体は海に投げ捨てられ葬る者はいない
清水の侠客次郎長 旧幕府軍の死者を収容し 手厚く葬った

五味 次郎長に こう云わす
「(幕府から明治維新)それで本当にまっとうな世の中になったと言えるのか
そんな疑念がふと次郎長の胸の中をかすめた」

1945年 敗戦
戦後民主主義を唱える文化人から保田与重郎『日本の橋』 伊藤静雄『わがひとに与える哀歌』も
一切が否定され 抹殺されたことへの思いが重なるのであろう

五味の内なる思いを憂国といわずしてなんと呼ぼうか

−−−−−−★−−−−−−
『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』
(原題: Mishima: A Life In Four Chapters)
先の「第38回東京国際映画祭」にて日本初上映
2025/11/21(金) 晴れ


明日は武道通信かわら版 配信日


高市総理の台湾有事「存立危機事態」
チャイナ共産党 これ幸い

若者の“日本化” 中高年にも浸透
チャイナ共産党 恐怖心 持っていた
“日本化” いつしかアンチ共産党となる

訪日自粛要請
日ノ本留学 検討要請etc
すべて因はコレ

チャイナ 共産党独裁体制だから
人民 従うそぶり見せているが 
本音は「不{フー}」
チャイナ留学生 皆 本国に戻りたくない
日ノ本で就職したい が本音

訪日自粛要請とやら 長くは持たない
放っておけばよい

−−−−−−★−−−−−−
中央大法科大学院教授 野村修也

日本が『台湾を守るために』武力行使する話だと思って批判している人がいるらしい。これは全くの誤解。台湾有事に伴って『中国が米軍に武力行使し』日本に存立危機事態が生じた場合に、『米軍を守る可能性』の話」と説明。
 
そして17日の更新では「『台湾が国ではないことを知らないのか』と罵倒する反論が来る。恐らくこの人は、存立危機事態の第1要件である『我が国と密接な関係にある他国』に『台湾』を当てはめていると誤解しているのだろう。しかし、この『我が国と密接な関係にある他国』は同盟国アメリカ等を指していて台湾ではありません」と改めて記した。
 
さらに野村氏は続くポストで「『中国の内政に干渉するな』との批判も受けるが、全くのお門違い。日本政府は、自国の防衛の話をしているのであって、『中国は一つだ』という主張に何ら口を差し挟んでいません。にも関わらず、我が国の防衛論議に反感を抱いて、『汚い首は斬ってやる』などと発言する方が、よほどの内政干渉です」とつづり、「『日中共同声明や平和友好条約に違反するつもりか』との批判も来るが、全くの的外れ。中国側が条約を破って先に武力行使をした場合の話をしているだけ。この場合でも日本は防衛ないなどと馬鹿な約束はしていない。それでは尖閣や沖縄は取られ放題になる。勿論、日本は中国に先制攻撃をすることはない」と述べた。

わが市{まち} 一ツ橋大学法学部教授
何と答えているのだろか
2025/11/19(水) 晴れ


キャリア ⇔ ノンキャリア


五味康祐 それまでの時代小説 一変させる
歴史小説でなく 
珍しい話/奇談/逸話に剃った物語
ひと口で云えば 伝奇小説
次々に世に問い そのいずれもベストセラー

いままでの時代小説 
『大菩薩峠』机竜之介 → ニヒルなアウトロー
吉川栄治 『宮本武蔵』 → ストイックな求道者
ではない 

五味康祐 長編 『二人の武蔵』
1956年8月〜1957年8月 読売新聞 掲載

相矛盾する二人の武蔵
新免武蔵(キャリア)/岡本武蔵(ノンキャリア)

武蔵の出身地 作州(美作)/播州かの出身地争い。
そこからヒントに
作州出身武蔵/播州出身武蔵という
<二人の武蔵>の共存という設定

吉岡一門を相手にする戦い/一乗寺の決闘などで
心ならずも二人の武蔵は協力し 勝利を得る
そこに女性主人公の千珠、江戸の剣豪、夢想権之助、
老剣豪の佐々木岸柳 将軍師範の柳生宗矩という登場人物
それらが入り乱れる展開
キャリア ⇔ ノンキャリア この対立構造
五味の人生からしての五味のテーマ

『踊る大捜査戦THE MOVIE』興行収入 101億円
『国宝』 170億円突破(11月現在)
キャリア ⇔ ノンキャリア 対立
永遠のテーマやも知れぬ

次回 晩年最高の未完傑作
『柳生稚児帖』

−−−−−−★−−−−−−
大映映画 1960年 安保の年 
長谷川一男 → 平田  市川雷蔵 → 岡本 勝新太郎 → 佐々木小次郎 
大映オールスター
実家から一番近い映画館 沼津大映 徒歩 20分ぐらい
観にいった記憶はないが
沼津大映の館主の娘がやる英語塾 通っていた

小学生のとき 書道塾/絵画塾も通ったなぁ〜
何 一つ モノにならなかったなぁ〜
2025/11/17(月) 晴れ


追悼 五味康祐{やすすけ}


松本清張 『或る「小倉日記」』
昭和二十七年(1952)二十八回芥川賞 よく知られているが
もう一作 同時に受賞した『喪神{そうしん}』
隠棲した剣客から妖剣の奥義を授かる若者を描く
作家は五味康祐

『喪神』につづいて
『柳生連也斎』『桜を斬る』など 
従来の芥川賞作家には見られない 物語性に富んだ江戸初期を
背景にした数奇な時代小説であった

『喪神』は人間 誰しも持っている臆病な自己保全本能を描き
『柳生連也斎』では影を踏む瞬時が生死の別れ目となす二人の剣豪の勝負を
『桜を斬る』では講談の寛永御前試合の想定を得て
二人の剣士が吹上御苑の八重白花の「氷室の桜」を斬って争う

難解な観念小説 イデオロギー小説に飽きた純文学読者に
他愛もない通俗時代小説に満足できない読者に
五味康祐の出現は 小説を讀む喜びを見出した

【刀と日本人・続 小川和佑 第五話 
日本浪漫派作家・五味康祐
憂国に見る日本の心と刀 
――五味康祐の未完の傑作 『柳生稚児帖』
   武道の真髄と憂国を説く】

次回で
2025/11/15(土) 晴れ


追悼 室戸半兵衛


「椿三十郎」 
あのラストシーン 一昨日 観た U−NEXTで
室戸半兵衛(仲代達也)/見守る若侍たち
血飛沫が舞い上がる 
こと知らされていなかった

黒澤の台本
<勝負 一瞬に決まる 血飛沫 >
それだけ

担当の技術者 血飛沫が舞い上がるシーン 
準備するのに1ヵ月 
あ〜だ こ〜だ 試行錯誤
代役を使ってのリハーサル 何度も

殺陣師 あ〜だ こ〜だ 試行錯誤

撮影当日
室戸半兵衛 自分が斬られ死ぬ 何らかの形で血がでること知っていた
胸にパイプをつけられたから 
当の技術者 「心配しないで ちょっと血が出るだけだよ」

室戸半兵衛 椿三十郎 両者 
袂から両腕を出し 睨み合う
両者 抜刀までの25秒 カウントダウン
担当の技術者 25秒 カウントダウン後 
液体の圧力 かける

大量の血飛沫が舞い上がる 
室戸半兵衛 演技でなくホントに驚く  
見守る若侍たちも 演技でなくホントに驚く

1秒にも満たない一瞬の衝撃
当時 スローを早送りする技術などない

殺陣師 後日 云う 「逆抜き不意打ち斬り」
椿三十郎の劍 早く抜くため 五寸(15cm)短くした
椿三十郎(三船敏郎) 何度も何度も練習したそうだ

天然理心流 居合形にもあった
向こうから歩いてくる敵 間合いに入った瞬間
片膝をつけると同時に 鞘をひっくり返す 上の刃を下に
して抜刀 柄は逆手に握り 下から斬り上げる

椿三十郎も 柄は逆手に握っていたな

きのう
U−NEXT Netflix で
「用心棒」 「切腹」「影武者」も観た
2025/11/13(木) 曇り


OLD 


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