■「柔道」は造語だった
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講道館柔道は 千葉道場がやったことをさらに洗練している 柔道という呼び名も、「これは昔からある乱暴な柔術とは違いますよ 新しい別な紳士的スポーツですよ」 と強調した 「柔道」 嘉納治五郎の造語であった
戦場での組み打ち技術であった古来の柔術は サブミッションですぐ関節を破壊してしまったり 急所への打撃技を多様するので 愚連隊の喧嘩テクニックだと世間から思われていた もう文明開化の時代なのだから そんな野蛮な柔術はなくなってしまえば良いと 明治初期の日本人は皆 思っていた そのバッドイメージを払拭したいと 東京帝大の秀才であった嘉納治五郎は考えた
まず 女や子供まで含めて「誰でも安全にマネできる格闘スポーツ」にすること そうしないとポピュラリティは得られない それは手加減ができない技があってはならない 一秒で手首や膝や足首がポキリといくような技は入門者には教えない
嘉納の もうひとつの営業作戦は まず社会的地位の高い人にならってもらって その人たちを広告塔として利用して柔道を世間に認知させること 嘉納は最終的には 帝大人脈を活かし 柔道を学校体育に昇格させることにも成功した
それでも 危険な技は 昭和の時代まで残っていた 昭和55年(1980) 全日本選手権 遠藤純男が密かに練習してい「蟹挟み」で 絶頂期の山下泰裕選手の片足を骨折させてしまう これは 「山下にも勝てる技が柔道にはある」という宣伝よりも 「山下でも大怪我をしてしまう技が柔道にはある」という悪評判の方が 深刻な大問題だと考えられた
で 1990年 全日本実業柔道個人選手権大会は蟹挟禁止 翌年1991年 世界柔道選手権大会から男女において 「蟹挟み」は「警告」の禁止技となった
−−−−−−★−−−−−− 「柔道」 嘉納治五郎の造語 おだやかな やさしい との意味を持たせたかったのか それはともかく 嘉納 時代の精神と格闘していたから生まれたのだろう 拙者も 時代の精神と格闘していたから 造語「格闘技」が生まれた
2026/07/03(金)  |
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