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同じ飯を食う仲


元軍のてつほう(鉄砲)に悩まされたみたいだが?
日ノ本側の記録をよく読めば 
元軍は退却時の<めくらまし>として投げつけるだけだった
攻撃用の武器ではなかった
兵頭氏 自説 曰く
犬は花火をひどく恐れる
モンゴル人は 馬を喰いに集まってくる狼を追撃するために
あんなオモチャを作ったのではないか
狼が逃げ散るぐらいだから 馬も人も驚くと思ったのだろう
これが有効な兵器でなかった証拠に 日ノ本は輸入してはいない

話は 元に戻るが
日ノ本の馬はモンゴル馬より貧弱ではなかったか?
支那事変のとき 現地で蒙古馬と支那馬を調達したのだが
牽引力は日ノ本軍の国産馬より弱かった

江戸の世の農作馬は確かに小さい 蒙古馬/支那馬に負ける
これは妊娠した牝馬に重労働をさせてしまうから 仔馬が小さくなる
しかし 武家屋敷の馬は高さ145センチほど
「平家物語」に出てくる最大の馬「生咬{いけづき}」くらいあった
それでも英国軍の4歳馬と比べたら「ポニー」だが 
馬力は負けてはいない
モンゴル人は馬のことはよくわかる
日ノ本軍の馬を見ただけで これはヤバイと怖れたのではないか

乗馬術もうまかったか?
今の世の競馬騎手が落馬して 脊椎を損傷する事故がしばしばある
昔の乗馬も命がけ
乃木希典は成人してから馬の練習 始めた
日記を見ると 門を出たところで すぐ落馬し 頭を強打 人事不省
何度も ひどいめにあっている

これを鎌倉武士は子供にも強いた
関東武士の鑑とされた斎藤実盛の「乗るとは知れども落つる事なし」と
評したようになるまで 何人の子らが死んだか
鎌倉武士は 生涯ロデオ大会をやっていたみたいなもの
馬と同じ稗の飯を食いながら 「同じ飯を食う」仲だった
当時の者たちですら「キツイ」と感じていたはず
大河ドラマですら再現できない世界の一つ

だから 鎌倉三代たたないうちに
御家人たちは 文化的生活に慣れ 元の質素に戻ろうとはしなかった
小説家 脚本家 学者の想像を絶した世界が
日ノ本には確かにあったのだ

「弓と馬は少年時代から訓練しないとモノにならない」
は鎌倉武士の格言
そのとおり
刀は違う あとから修業しても兵法者になれた
2025/04/30(水) 晴れ


元寇の戦い


【いざ鎌倉へかえれ
日本の身の丈の旗を揚げ 一所懸命、駆け抜けた鎌倉武士たちよ
元寇の戦いと鎌倉武士 ◎勝利は神風にあらず 兵頭二十八】

元は なぜ日ノ本へ攻めてきたのたか?
GOLDラッシュ は俗説
近くに独立國がある それが皇帝 気に入らなかった
独立國だから攻められた それが真相

文永/弘安 二度の使者の首を刎{は}ねたのは?
鎌倉幕府は元の底意が日ノ本全土の占領以外無いと理解していたから

北条時宗は勝算あったか イチかバチかの賭けだったのか?
鎌倉幕府は己の「弓馬」に絶対的自信を持っていた
その上で敵の情報も集め 勝算は成立していた

歩兵が圧倒的の多い宋に元が勝てたのは
モンゴルの騎兵だった
元軍が騎兵の力を発揮できないとき勝てる

文永の役 船旅17日 波/うねりは高い 潮流もある
夏に250トンの舟に何十頭も詰め込まれた馬はストレスで痩せる
何割かは便秘で斃れる 蒙古馬の餌は大豆穀物でなく牧草
上陸後 すぐに回復できない
そんなフラフラの馬より 日ノ本の去勢していない戦闘用猛獣
甲斐の黒駒の方が位勝ち 
ちなみに 蒙古がインドを征服できなかったのも
高温多湿の地では馬の蹄が軟化して病気になり
使い物にならなかったからだ

蒙古の弓は200mも飛んだ 日ノ本の弓の二倍あったのに?
そんな凄いものだったら なぜ技術立国は模造しなかったか
これも多湿では接着剤が軟化 すぐ弾発力が劣化するからだ
歩兵の一部が弓を捨て 鑓を投げたのはそのためだ
和弓は接着剤でなく糸で巻き締めた 湿気は漆で防いでいた

そんなことより弓射る 射手の凄さ
いまの世の高段弓道家が引き絞れない弓を
当時の御家人衆は皆 遣いこなしていた
異国の矢と違い
矢先はわざわざ貫通しにくそうな 
遠射に向かない鏃{やじり} そして毒は塗らない
これは古の武士の弓勢が強すぎた証拠

元寇の役でも鉄ヘルメットに革製の乗馬指揮官を
鎌倉武士は弓で狙撃して殺せた
それで弘安の役では敵の上陸船は
宗像{むなかた}海岸の防塁に近づくことができなかった

談余:蒙古軍の歩兵鑓を導入して 後年 「馬と弓箭{きゅうせん}」の時代を終わらせた
利用できないものは利用しなない 利用できるものは利用する
技術立国の基本

次回 てつほう(鉄砲)に悩まされたみたいだが?
などなど

−−−−−−★−−−−−−
故・山本伊佐夫氏から頂戴した鏃
ディスプレイに前に
室町乱世を生きぬんた短刀と並んで置いてある
PC バグ/ウイルス お払いのオマジナイ

鏃の種 鎧通しだろう
先 長さ3センチ 4面 一面幅1センチ 
竹矢に差し込む部分17センチ 元から先端が先細に

弓の引きの強さ 弓力測定ハカリで
一般男性は11〜12kg  拙者の弓は13kg
鎌倉武士は40〜50kg程度とされる
三人張りの弓(男衾三郎絵巻)のアノ絵図だ

確かに こんな鏃が40〜50kgの威力でスッ飛んできたら
元寇の兵 ビビッたことだろう
2025/04/28(月) 薄曇り


古賀不二人{ふじと}


田中光四郎さん 「巻頭談言」で書いている

【五・一五、昭和維新の志士・古賀清志の武魂伝承】
五・一五の檄文からはじまる
≪日本国民に檄す――日本国民よ! 刻下の祖国日本を直視せよ
政治、外交、経済、教育、思想、軍事、何処に皇国日本の姿ありや
政権党利に盲ひたる政党と之に結托して民衆の膏血を搾る財閥と更に之を
擁護して圧政日に長ずる官憲と軟弱外交と堕落せる教育と腐敗せる軍部と悪
化せる思想と塗炭に苦しむ農民、労働者階級と而して群拠する口舌の徒と…
日本は今や斯くの如き錯騒[綜]せる堕落の淵に死なんとしてゐる
革新の時機!今にして立たずんば日本は滅亡せんのみ。(後略)≫

田中光四郎さん → いまの日本に そのまま通じるですね
対談 平成13年(2001) 四半世紀前
いまの日本に そのまま通じるか
通じない <怒り>の度数/密度が違う

当時の政党政治の腐敗に対する反感から
クーデターの将校たちに対する助命嘆願運動が巻き起こる
将校たちへの判決は軽いものとなった
古賀清志 禁錮15年 4年9ヵ月で仮出所
戦後 「不二人{ふじと}」と改名し
「不二流体術」を創始

田中光四郎さん 古賀不二人との出会い
九州に植芝盛平・合気道開祖の初期の頃の直弟子の一人がいた
田中光四郎さん 昭和40年生まれ 福岡・田川出身
八木不動の「柔気武徳流」道場があった
居合もやり「今武蔵」と云われるほど強かった
田中光四郎さんの兄弟付き合いをしていた者が八木不動の一番弟子

某氏が 八木不動/古賀不二人/田中光四郎 合同講演会を開く
この縁で田中光四郎さん 古賀不二人と出会う

毎週 古賀不二人を訪れる
田中光四郎さん 曰く
一言で云えば 古賀不二人「清廉潔白」「仁の道」の人
<先生の宅を訪れ帰るとき 全身をクリーニングされたような気分
古賀先生に会ってから 「俺が 俺が」の俺 人の話を聞くようになる>

古賀不二人から<大地塾→大地社>と不二流体術をやってくれないかと
田中光四郎さん 大地社は若いモンに譲り
不二流体術だけを継ぐ

前田 → 古賀先生にしろ田中先生にしろ 誰もやらないことを
一番はじめにやってこられたんですね

前田 お前も 誰もやらないことを一番はじめにやってきたんじゃないか
2025/04/26(土) 晴れ


南条直子さん


田中光四郎さん
戦場カメラマン 南条直子さんにこと話すとき いつも目が潤む

南条直子さん アフガン入りは田中光四郎さんがアフガン入りしてから四年後
タギンという谷を下って行くとき地雷を踏んだ
一行は12人いた
そのときの様子を詳しく聞きたくて11人には会ったが
一人だけ会えない者がいた
彼の名は ワルジ・アフマドというジャーナリスト
南条直子さんの後ろを歩いていた
人が歩く道幅しかないところで ワルジがバッテリーを見つけたと
で ワルジは南条直子さんに脇へ避けろと云う
すでに何十人も通っているから安全なはず
でも 南条直子さんは脇へ避けて 片足が飛んで死亡

田中光四郎さん これはワルジの策だとする
なぜなら ワルジにとって取材の初日だ
なのに すぐ 南条直子さんが片足が飛んで倒れている場面を
写真に撮り そのフィルムを持ってパキスタンのぺシャワールまで飛んだ
そして そのフィルムをフジテレビに売った

アフガニスタン日本大使館へ行き 
ワルジを呼べ どう考えてもおかしい 調べろと
だが結局 何もないまま

田中光四郎さん たまたまぺシャジワールへ帰ってきた
すぐ大使館へ行き 南条直子さんが死んだこと
大使館に遺体を持ってくるから人を出せと
結局 国交のない戦場だから行けないと

日本政府 田中光四郎さんがアフガンで戦闘していること気に入らない
仲良かった大使館駐在員にお前も来いと だが行かないと
だから 遺体を包むビニールシーツのロールを買い お前 これを払え
日本政府から領収書をつきつけ金をもらえと
それが南条直子さんが死んだ証にもなりますから

ロールをもって 埋めて一週間目に掘り起こす
遺体はもうふくらんでいて 爪をとってやろうとしたが 痛んでダメだったから髪の毛を切って 下着からカメラからみんな持ち帰って渡したとき
母親から聞いた話

髪を切った同じ日に
娘が家の廊下を走って来たと云う
田中光四郎さんが最後に見た 南条直子さんの姿で

そのとき
「たとえどんな姿になっても 娘に晴れ着を着せてやりたい」
という親の情の深さに打たれた

それから一年十ヵ月して 両親を連れ骨を拾いに行く
人の体を焼くのはイスラムでは犯罪
弟子ら十人を連れ 掘り起こし別のところでミイラになっていた遺体を焼く

南条直子さん 享年三十二
このニュース 世界へ
田中光四郎さん ワシントン ペンタゴンに招待される
ボストン タフツ大学で講義
タナカ お前を理解できる日本人は少ない
アメリカに残れとも云われる

田中光四郎さん アフガンに入れた元自衛隊員 
カレン民族解放軍に参戦 いま タイにいる
一昨日 弟子が帰ってきた
カレン民族解放軍で戦って死んだ日本人が三人いる
「自由戦士の碑」を建て祈って帰って来た
そして きのう五・一五の記念追悼式に参加
(この対談は5月16日であった)

田中光四郎さんのお師匠
五・一五の首謀者だった

次回 
田中光四郎さんのお師匠のこと
2025/04/24(木) 晴れ


地雷


田中 → 大きな体が ぶつかり合うのっていうのは やはりすごいことだと
前田 → 大きい小さいはパッと目に入って誰にもわかるもの
でも まったく違った現実に即対応できる精神力は 
いままで培ったものを一度壊して 
そしてルールのない現実に対応する中で周りをよく見て 
自分を抑えながら次の行動の選択をすることだと
アフガニスタン人 怠け者といわれるくらい何もしないけど
それは後で考えてわかった 体力を温存するため
何もしないところで次の動作を選択している
田中 → これからリングへ というのでない
生活の場が戦場 生活しながら戦っている

田中 → ベトナム戦争 たとえアメリカが百万の軍を投入しても
その地で生活しながら根ざしながら生きている方がやはり強い
アフガニスタンの人たちも同じ
ヒンズークシェの高い山が 深い谷が天然の要塞
戦車は入ってこれない  だから空から地雷をまくだけ
けど岩の上にポコン ポコン当たり効果ない
結局 日露戦争の二〇三高地じゃないが 丘の上に砦をつくり
その周りに地雷をまく
ソ連は兵隊が集まりませんから 人さらいのようにして集める
だから彼らは逃げ出す
我々ゲリラのところに逃げてくる
でも 埋めた地雷は以前に埋められたものだから
彼らにはわからない 十人逃げてくれば三、四人は必ず被爆死
たどり着くのは半分

前田 → 旧ソ連の対人地雷って すごく残酷な地雷で
足とか手だけを飛ばすそうですね

田中 → ええ残酷なものです
ちょうどこのくらい(と云って両手で15センチほどの円をつくる)
上にゴムが貼ってあって振り子になっている
それでボッコといくわけです
私がアフガンに入れた南条直子というカメラマンが対人地雷を踏んで
死にました

次回 死んだ女性カメラマンの話

−−−−−−★−−−−−−
フランシスコ教皇 没す
2019年 フランシスコ教皇を被爆地・長崎と広島へと導いたのは
1枚の写真
長崎で原爆が落とされた後のこと
米軍の従軍カメラマンが撮った 「焼き場に立つ少年」
弟の亡きがらを背負って火葬場の前で順番を待っている
凛とした立ち姿

フランシスコ教皇
この写真をポストカードにし
全世界の教会に配っていた
そのそばには「戦争がもたらすもの」いうメッセージを書き添えた
フランシスコ教皇
「この写真は、1000の言葉よりも、人の心を動かし得るものです」

拙者 涙した
軍国少年の<見事>さに
★無銘刀(掲示板)に写真アップしました
ご覧あれ

2025/04/22(火) 晴れ


本日は 武道通信かわら版 配信日


田中光四郎短歌集『あるがまま なすがまま』より

天を仰ぎ 地を踏みしめて 観る先は
        横一文字に 天とも地とも
*右に山並みを望み 左に地平線を見る

傷つきし 友の名呼べば 谺{こだま}して
       石落つ音の 渇き軽{かろ}やか
*モハマド・アンジャ 19歳

死の顔の 白きに哭{な}けて 草枕
       抱き起こす身の 未だ温かさに
*ふと気がつくと隣りの岩陰で撃っていた友が死んでいた

引き金や 千尺先の 敵の胸
        空虚{うつろ}なるかな 絞りし後は
*カラシニコフの狙いの先にいる敵も我も人 何か空しさを憶える

2025/04/20(日) 晴れ


ルールのない 本当の強さ


前田 ルールのない本当の強さを
<アフガンのサムライ>田中光四郎に問い 自問す

前田 うちの選手に ヴォルグ・ハン
生家 グルジアの南 ダキスタンの首都から軍用ヘリで行く
見下ろすと日本の山とまったく違う
山のかたまり 山の大地 山そのものが大地
そういうところをいくつも越えて二時間ぐらい
その山並の風景を想い出して 
やあ ああいうところで戦闘してたんだと
アフガニスタンの山地ですから 2千、3千メートルでしょう
すごい精神力ですね
戦場のほんとうのすごさってわからないです
強さって そういうところでしか育たないんではないですか
安全で 快適なところで覚悟するとは まったく違うと思います

アフガンへ行かれて 単純に「強さ」って一体何だとおもわれましたか
たとえば自分が行ったとして高さ2メートルで自動小銃やロケット砲を担いで戦闘して夜になったら もうマイナス10度とかでしょう。
そういう所に毛布一枚で寝ちゃうわけですね。

羊のスープというものを飲んだことがあるんです
ハンらイスラム教圏ですから 自分がいったとき 御馳走という意味でか
具を一杯入れてくれるわけですが すごいですよ 
もう羊の目がはいったりするんです ワァーで思っちゃんですけど
頑張って まあ一応 残さずに食べたんですけど。
戦場では具がないのがあたり前で 
そういう中で30キロ 40キロの装備を担いで 
足元がガレキの山でしょう
それを考えたとき 自分らプロで格闘技をやっているといっても戦う前に
つぶれるだろうなって思います
では一体、自分らが云っている「強さ」って
しょせんひ弱なものでしかないんではないか
本当の強さってなんだって考えると 
一体 いままで自分は何をやってたんだって ほんとに考えてしまいます
環境に守られ リングの中ではルールに守られて
強さを競い合ってきただけであって 
これは本当の「強さ」でないではないではないかと…………

田中光四郎さん フォロー
「ルールに縛られて動くっていうのは これは大変なことだと思います」
2025/04/17(木) 晴れ


武魂伝承


前田 アフガンの養子はどうなりましたか
田中 もらえませんでした

【田中 → というのはですね。五つ、六つの子供がね、石を飛ばす、パチンコですね。それで遠くへ行ってしまう羊を追っているんですよ。立派な大人です。子供たちは大人の脇に座って必ず話を聞いておりますから、ソ連兵から見ればスパイだと思われても仕方がない。だから子供でも殺されます。私が一緒に戦った仲間で一番小さかった子が12歳でした。】
前田 日本でいえば小学生

【田中 → でも大人の顔してますよ。相手に向かうときは実に冷徹な顔をしている。感心しました。ですから五つ、六つの子供であっても、そういう状況の中で誇りを持って育っていくのです。それに彼らは自然の中で生きているのが幸せだと思います。ああ、これは私の思い上がりだな、と思いましたのですから養子の件はそれから出しませんでした。
ひとつ経験したんですが、難民を日本に帰化させようと思っていたとき、外務省にかけあったり労働省にかけあったりしたんですが、もし難民がロシア大使館へ殴り込みでもされたら困ると言うんです。日本の外務省は結局、ことなかれ主義ですね。まあ私の力不足もあったんですけど(笑)】

−−−−−−★−−−−−−
田中光四郎さん 2021年12月 短歌集を出した
『あるがまま なすがまま』
その一年前か 拙者のところに膨大な紙の束が届いた
数多の歌集が
短歌集を出したいので 銓衡してくれないかと
とんでもない 拙者にそんな才はない ご無礼とお断り

表紙を開くと 一ページ目 扉
武魂伝承
飛び交う弾丸{たま}の中を歩けるか
振りかかる白刃{やいば}の下に飛びかかれるか
いざ死ぬる時に死ねるか
此処を死に場所として
アフガニスタンの戦場を選んだ

−−−−−−★−−−−−−
私たちの生き方や行為の基準は
必ず過去からやってくる
記憶は遺伝するからだ
学習行動も子孫に遺伝する
これは生物学的なDNAでない
言語や習慣のように脳の長期記憶に
蓄積される<遺伝子>である。
この<遺伝子>から発せられた一言が
「武士道と云うは 死ぬことと見付けたり」

武魂伝承も そう
2025/04/15(火) 晴れ


遠くは見えますけど 足元は見えません


田中光四郎さん アフガニスタンに行ったのは44歳のとき
前田 いままだ42歳 その行動力に驚かされますと
前田 極真会館 大山館長に会ったとき 
アフガンへ行った空手か家がいるそうだ
これが本当の武道家だと云っていたと前田に

【田中 → とんでもありません。それだけわがままに生きてきたということだけのことです。ですから自分に一番身近な女房ですとか、子供ですとか親とか兄弟を踏みつけにして「俺は」と手を挙げると、やっぱり遠くは見えますけど足元は見えません。一番身近な人達を踏みつけているわけです。今日、娘がね、来たかったんですよ。前田日明さんのファンでして、ぜひ、お会いしたいということで。38歳になりましてね。】
前田 えっ と驚く 奥さんもお子さんのいたんですか
前田 さらに驚く
【田中 → いやいや、お恥ずかしいことですが、私、いまの女房、五人目でございます。最初の女房に女の子が二人おりまして、二番目の女房に女女男の三人で、最後は男なんです。
最初の女房と別れましてから、もう三十年たってましてね。で先月、三十年ぶりに最初の子供たちが親の了解をもらったからと連絡をくれましたね。その後もあったりしてます。
アフガニスタンへは死ぬ覚悟で行ったんですが、あの子らに会わないで死ぬことが、たったひとつの心残りでしたね。】

この対談から 歳月は流れた
三、四年前お会いしたとき 新しい奥さん もらったと聞いた
そのときか 確かな記憶はないが こう云った言葉が心の隅に付着した
「自分は自分しか愛せない男なんです」
遠くを見よとうとすると 足元が見えなくなる
の これも 田中光四郎さんの 一つの表現なのだろう

拙者も 「週刊プロレス」「格闘技通信」「武道通信」を創刊したとき
必死に遠くを見ていたが 足元は見ていなかった

そう 「アフガンのサムライ」
和歌の人(詩人)でもある
2025/04/13(日) 晴れ


田中光四郎


十五ノ巻 特集
【いざ鎌倉へかえれ
日本の身の丈の旗を揚げ 一所懸命、駆け抜けた鎌倉武士たちよ】
元寇の戦いと鎌倉武士 ◎勝利は神風にあらず  兵頭二十八
鎌倉武士の法観念 ◎御成敗式目にかえれ 嘉村 孝
信濃の鎌倉武士 ◎海野幸氏の名誉 西川かおり
武士は何の為に死す ◎義仲と四天王 三好桂子

上記は 以後 お楽しみに
まずは 巻頭対談
前田日明編集長対談 [論客]田中光四郎
【いざ、死ぬる時に死ねるか】

田中光四郎さん アフガンニスタンに入り
アフガン・ゲリア「ムジャヒディン」(聖なる兵士)となったわけは
<いざ、死ぬる時に死ねるか>であった
拙者も若き日 大仰に云えば<いざ、死ぬる時に死ねるか>が胸中にあった
ゆえに 田中光四郎さんとは“馬が合う”(笑)

編集部前口上
特集を鎌倉武士とした。論客対談に鎌倉武士を彷彿させる人物はいないか。
いやいや半世紀に及ぶ平和ボケした日本に道場の達人はいるだろうが、
戦場の匂いを漂わせるような武人はいない、と思いきや、おりました。

【前田 → 田中先生には高校時代、すごい印象を受けお会いしたいと思っていた方でした。発行人の杉山さんが『格闘技通信』をやっていた頃、田中先生と対談させてくれと頼んだんではないかな。以前、十二ノ巻で対談させていただいた古岡勝先生もそうでしたが評論家や小説家の方とも会うのは自分にいい刺激になりますが、武術を実践している方は、やはり格別です。】

【田中 → 古岡先生の対談を読ませていただき、水を満杯にした瓶を日本刀で斬っている写真がまだ頭の中から離れません。杉山先生から前田さんとの対談のお話いただいたとき古岡先生のような方が出られている本に、私ごときが出るというのは服を一枚ずつ脱いでいって人前で裸になると同じことですから。】

まあ こんな具合ではじまった
2025/04/11(金) 曇り


云ってはいけないこと 云わなければいけないこと


言葉はキミの武器になるが
云ってはいけない言葉もある 戦場では

負けて引き退がろうとしている敵を馬鹿にして
背中からののしってはいけない
黙って見送るがよい
古い兵法が教えている
なぜかって?
敵は最大限に理性的になって立ち去ろうと努めているのに
そんな言葉を投げつけられたら
もとの憎らしい感情が爆発して 我を忘れ 死に物狂いで
猛攻撃してくる
これが人情というものさ

だから 武士は日頃から人の失敗を嘲{あざ}ってはいけない
人の失敗を見たら 何も見なかったフリをするのが嗜みだ

逆に 必ず口にしなければ名誉を守れない一言もあった
無礼なことをして その場を立ち去ろうとした奴がいたら
その後ろからでも
「逃げるな卑怯者」 とか 「臆したか」など
声をかけないといけない
もし そのたった一言が出ないままでやり過ごせば
結果的に その武士の方が ただ不様{ぶざま}さをさらけ出してしまう
口喧嘩も 命懸けでしなければならない

−−−−−−★−−−−−−

トランプ関税 した方も された方も
命懸けでしなければならない

トランプ 真の狙い 支那潰し とか
白人VS有色の戦いのはじまり とか
SNS 騒がしいだろう SNSなんぞ見てはないが

武士なら 鯉口を そっと切って
云ってはいけないこと 云わなければいけないこと
思案し ジッと待つ 
USA全州がデモで溢れかえるまで
2025/04/09(水) 晴れ


講釈 浪花節 又旅物


なぜ 言葉は キミの武器になるか のつづき

江戸の世の寺子屋では いまえいう国語の授業の一番初歩のテキスト
「往来物{おうらいもの}を筆写させた
これは手紙の例文集
これさえみっちり やっておきさえすれば 
商人になったとき すぐに大名に「ツケを払ってほしい」
と堂々請求できたからだ

どの世界も その世界での伝統的な形式の挨拶ができなければ
安全な世渡りはできない
武士も口下手では長生きでいなかった
とっさの一言をいいそびれて 不名誉なことになれば
切らずともすんだ腹を切る羽目になる
だから武士も自分より身分が高い人の家を訪問するとき
しっかり口上の練習をしてから出かけた

江戸の世 「講釈師」というのが現れ いまで云う講談を
にぎやかな場所で人に聴かせ金を取った
その話の中には 実にいろいろな階級の武士の向上がでてくる
それがどれも カッコ良くきまっている
日頃 あまり偉い人と付き合いのない 地方の貧しい下級武士なんかは
そういう講釈を聴いて 江戸で使われてるフォーマルな「外交用語」を学んだ

古典落語や講談には 洗練された日本語の挨拶がいっぱい出てくる
明治の世になると 浪花節の「又旅物」が庶民の間で人気があった
これもやはり 登場人物の台詞が 
もっとも教養のない大衆にすら「カッコイイ」と感じられたからだ
つまり 挨拶も武器や鎧になるという証拠だ
中学生諸君 おわかりか

−−−−−−★−−−−−−
新入社員の研修盛りであろう
いまどきの若いモンの今様言葉
徹底的に治されていることだろう
新入社員諸君 
武器や鎧になる挨拶を徹底的に覚えさせらている
2025/04/07(月) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信日


トランプの相互関税
NYダウ急落 2200ドル超安 下げ幅史上3番目
日経平均株価は4日も下げ止まらず 下落幅は2日間で2000円近く
何のことやら さっぱりわからん

高校時 新聞 よく読んだ
株式相場 一頁 なんだこれ
もったいない 記事面にしろ

『武道通信』創刊時
バブルはじけて“焼け野原”景気
関係ない
『武道通信』 買う者は買う
景気など関係なく

景気など関係なく過ごすのが
愉しい老後
2025/04/05(土) 晴れ


プロトコル


近々 『世界の終末に読む軍事学』を刊行する軍学者の
【中学生でもわかる「兵法」
其ノ七 言葉遣いがヨロイ】

身を守るのは防具だけか? と軍学者
中学生に問う

身を守るのは「プロトコル」だと 軍学者云う
プロトコル → コンピュータでデータをやりとりするための
手順や規約
それは本来の意味ではない

元の意味は「外交儀礼」
儀礼と云っても お辞儀の仕方 握手の仕方とかのレベルでない

プロトコル → どの國も、外国の外交官には 
これだけの待遇をしたら良い そういう決まり事のことだ
外国の外交官は それ以上の待遇を相手国に要求できない
が 外交官も 最低限のプロトコルさえ守って行動しさえすれば
身分の安全は保証される

プロトコルは あらかじめ細かく決まっている
二つの國が トラブルで戦争に発展していまうことが防がれる
道徳とは 別の「礼法」なんだ

中学生諸君
田舎の結婚式や葬式 いまでも
「これはずべし」 「これはすべからず」という決まり事がある
これと一緒なんだ
人間は感情の動物だから 誰も不愉快にせず 不必要なトラブルなトラブルを未然に回避したい 社会的な合理性から
プロトコルは出来上った

改まった手紙の文章とか
挨拶の向上 あれも無意味に発達してきたわけではない
そいつを正しく使っている限りは
Z村の貧乏な無知の若造が A市の大金持ちの見ず知らずの大人物に
いきなり頼み事だってできる
逆に 頼まれたことを安全に断ることもできる

これが敬語の効能であり「礼儀」の真のメリットなんだ
キミがもし それを覚えるのを面倒くさがっているとしたら
大きな間違いだ
改まった口のききかたを一度 覚えてしまえば
それが「防弾ベスト」のように
キミの身体を一生守ってくれるようになる
言葉はキミの武器になる
2025/04/03(木) 雨


エイプリルフール


YAHOO!ニュース
《血液が五滴あれば、その人の生物学的な本当の年齢が判明することが分かってきた。AI技術によって、わずかな血液サンプルを採取するだけで、その人の体が老化のプロセスにどの程度対応しているのかを調べることが可能となった。大阪大学で研究を進める王梓さんは、ある人が同年齢の人々より若く見える理由の解明に繋がるとして話した。》

拙者 王梓さんに五滴の血液 提供
拙者の体が老化のプロセスにどの程度対応し
生物学的な本当の年齢を計ってもらう
五十六歳  
七十八歳だから 二十歳ほど若く見える理由 
わかった

『四月は拙者の嘘』
きょう エイプリルフール
2025/04/01(火) 晴れ


ソーシャルキャピタル(Social Capital)


日ノ本列島
櫻 満開 まだだが
インバウンド(inbound) 盛り
海外からの客で溢れ返ってるそうな

彼ら 異口同音するは
治安がよく 清潔
公共交通が整備され、時間通り来る
上下水道/道路/電気などのインフラ 完璧
食 和洋折衷 多様で旨い

この因は 古代から 
世界で類のない戦争の少ない國だった
島国のお蔭
徳川の太平 その頂点を極めた

國の総合力を計るGDPなどがあるが
人々の信頼関係や人間関係などの
社会的ネットワークを資本とみなす概念がある
ソーシャル・キャピタル
人々の協調行動を活発化させることで
社会の効率性を高めることができる

信頼/規範/ネットワーク 三要素を
独特の計測手法で計る

このソーシャル・キャピタル 
日ノ本は世界一
ちなみに
二位オランダ/三位フランス/四位アイスランド/五位ノルウェー
六位/スロベニア/七位デンマーク/八位ベルギー
九位スエーデン/十位スイス

この順位
どこからくるのか
お花見でもしながら考えましょうか
2025/03/30(日) 晴れ


「鎖国」→自給自足経済を確立への策


<そこはいわば部分的な“外部”なのである>
もっと わかりやすい例
「軒」「厠」「縁側」
外部であって内部である
内外の一線をはっきりさせないことが 日ノ本的

このこと 日ノ本人の防衛感覚にも結びつく
「内につくれば外に通じる」という思想

アノ 評判悪い「鎖国」という方策
単に内に籠るだけのものであったか
実は そうではない
鎖国は当時の積極的ば“外交”であった
ゆえに 優れた“内政”だった

当時 ヨーロッパ諸国 大航海時代を背景に
ポルトガル/スペイン 軍事力にものを云わせ世界制服 もくろむ
いよいよアジアに標準
軍事&宗教を抱き合わせた侵略
これに対抗したのが イギリスとオランダ
両国 それぞれ東インド会社設立 
植民地に木綿/茶/生糸を生産させ 交易を優位に運ばる経済戦略
ちょうど 日ノ本 徳川幕府に突入したころであった

日ノ本 そこで大胆な防衛戦略 打ち立てた
一、キリスト教禁止
二、鎖国 しかしオランダだけを出島で交易確保

さらに木綿 国内生産し 米/茶/生糸 それに砂糖さえ
自立生産できるようにした
また 通貨として金銀の産出に開発を進め
銀は世界一の保有国になる

これがまんまと成功
日ノ本 世界で珍しい自給自足経済を確立
あまつさえ 鉄砲保有国第一の地位を捨て
いわば“軍縮”へ向かった
メデタシ メデタシ

−−−−−−★−−−−−−
いまいちど「鎖国」し
自給自足経済をめざそうか
核弾頭を保有国世界第一になって
2025/03/28(金) 晴れ


部分的な“外部”


借景 庭づくり術
説明するまでもないが
内なる庭の光景に 外なる遠景を採り入れることをいう
岡本太郎が絶賛した

西洋/支那 家・庭は「四囲式」で壁をめぐらす
日ノ本の庭 借景によって心理的な拡張をおこなう
さて 借景の思想と本歌取りと床の間の関連だ

【松岡 → 「本歌取り」という方法を思い出してもらいたい。
これは古今や新古今以降の八代集でいちじるしく発達したもので、
新しい歌に積極的に元歌を採り入れていくことをいう。
引用といえばたしかに引用だが、単なる引用ではなくて意味を重畳{じゅうじょう}する。しかも本歌としての元歌はその一部だけを響かせるのであって、
それが短いものであればあるほど面白がられた。
この「本歌取り」は、 もともと日本の和歌が、“縁語”と呼ばれる何百種類もの歌語によって張り巡らされてることにもつながっていて、日本の独自の言語感覚を育んだ。
さらにもう一つ例を出す。それは「床の間」だ。
書院とともに確立した床の間は考えてみれば奇妙なものだ。そこは四季折々に、また客次第によって、必ず掛け物や花や花器を変えるところである。あんな小さなところにも、まことに千差万別の季節や好みの変化をつくれた。
ヨーロッパの中世や近代の城館や住宅家屋では、周知のように絵画や写真やタスピストリーが掛け変えられるということは、めったにおこらない。
一定の壁に一定の絵がずっと掛けられるのが普通である。それなのに日本の床の間は可変的なのである。可変的だけでなく、そこはいわば部分的な“外部”なのである。】

おわかりか
国土の狭さを<負>とせず<勝>とする
拙者 己の<負>を<勝>としてきた----
とは云えぬか(笑)
2025/03/26(水) 晴れ


防衛感覚


米國 国防次官 日本の防衛支出
GDP(国民経済計算)比で3%超に引き上げるように要求
日ノ本の防衛感覚に米國 業を煮やしている

【武道の中の日本<十二>
 借景と鎖国  松岡正剛
 ――日本人の防衛感覚にある内外の一戦を区切らない借景の思想
 それは本歌取り、床の間、縁側に見る意外な防衛感覚なのだ。】

松岡氏 もともと日ノ本は「防衛」という問題には
めっぽう弱い歴史をもってきたと
偶然が重なり外的に対して守り抜いたという歴史 元寇の役だけ

「軍人勅諭」起草した西周{あまね}
日ノ本は「好和外交」が似合っている
互いに気脈を通じ合わないかぎり攻守そのものが成り立たないと
『日本風景論』書いた志賀重昴{しげたか}
日ノ本人は保守主義でも革命主義でもなく 「修繕」主義だと
要するに 相手と馴染みながら事を構えるのが得意であって
外側の状況を鋭く分析して攻撃を想定しない
接触がおこってから慌てて繕う気になる

夏目漱石もこんな見方していた
明治の文明開化の「開化」そのものは 
もともと外発的で西洋のような内発的ではなかったから
外からの攻撃に弱い

松岡氏 以前 防衛庁が出している『セキュリタアン』から
インタビューを受けた そのとき西周 志賀重昴 夏目漱石の
そういった答え方はしなかった

松岡氏 実は日ノ本人は防衛意識は乏しいとは見ていない
乏しいのでなく 別の言葉で防衛を考えてきたのであろうと
それを説明するのに「借景」を持ち出してきた

借景の思想は 次回に
2025/03/24(月) 晴れ


真情


【特集
民族派、愛国者たちと
民主主義を語る
――民族の魂を生きる戦闘者たれ】 

「稲葉 稔」は先に記した
他 六題
◎対話 日本再生のナショナリズム●嘉村 孝/木村三浩
◎若き民族主義者へ●鈴木邦男――民族主義が試されるとき
◎右翼よ、命と体を武器とせよ●大塚哲爾――右翼に牙はあるか
◎ナショナリズム論の再考●矢野隆三――新しい統合の原理
◎野村秋介、救国の思想●中台一雄――日本的狂気を胸に
◎オタク若者の民族主義化●山内 誠――思想と行動の暗い闇

平成十三年三月刊(2001年)
対話両者 筆者たち いま讀み帰してみたとしたら……
世相は四分の一世紀たったが
諸氏の当初の[真情]は変わらないであろうと信じる

トランプ出現で 「民主主義危うし」の声 挙がる
その一人 歴史学者 ユヴァル・ノア・ハラリ
世界的ベストセラー 
『ピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』の著者

ハラリ曰く 過去の歴史と違うことは
さまざまな面で人間より<賢い> 数多なAIが出現したこと
SNSでは陰謀論 偽情報 ヘイトを意図的に拡散している
その編集も担いつつあるのもAI
新聞/雑誌の編集者もAIが担う日が来ている

「武道通信」 いまAIで編集したら
どんな本が出来上ってくるのか

拙者の[真情]は汲み取れるのであろうか
2025/03/22(土) 晴れ


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Colorful Diary Falcon World