■武士たるダンディズムの正体
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【ナポレオンとの戦争の真っ只中に生まれたボー・ブランメルが追求したダンディズムは、美意識の洗練を追求したにはエレガンス(elegance)も含まれている。金閣寺を造った室町幕府第三代足利義満にも通じる。
ブランメルの時代のダンディズムもブルジョアジーの台頭で形骸化していった。日本でも徳川時代になり前田慶次郎の時代もおわった。徳川政権はかぶき者を許さなかった。 かぶき者を排除するため儒教の内の朱子学を取り入れた。陽明学は入れたがらなかった。かぶき者が一番重要視する大儀を導くものとしての知識、知性を行動力とする陽明学は体制を覆すエネルギーになるからだ。
しかし、武士の中から大久保彦左衛門のようなアンチテーゼが出る。山鹿素行もその一人である。素行の「身分論」は、武士は世の中の生産に寄与しない者。なぜかというと、それが天が武士に与えたもうた役割があるからだ。それは農工商に模範となる生き方をするためであり、国の存亡のときは真っ先に命を賭けて戦う者である、と説く。その教えのもとに赤穂浪士は徳川政権へのアンチテーゼとなった。山鹿素行がいわんとしていることは武士たるダンディズムの正体だ、 いま人気のプロ総合格闘技における武士性を問われれば大いに疑問である。グレーシー柔術のヒクソンが意味もわからず武士を気取り、それを専門誌、メディアが何の知識もなく反応し、またそれを日本選手が真似る。そして団体興行にブラックマネーが入ってくるのも許している。プロという部分では金は不可欠であるが、電波に乗る公共性がある以上、最低限の品格がなければならない。 武士道の「文武両道」は文も武も同じであるということ。武が秀でていれば文も秀でる。それでなければ武ではない。 平成十七年 五月吉日 】
2026/05/31(日)  |
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