■韮山代官 江川太郎左衛門
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猛暑も いっとき 去ったようだ <武士>に 戻ろう
【武士も食わねば……… <其ノ二>】 嘉村氏 武士談義 武家政治 始めた鎌倉武士から始めるのがよいと思うが 江戸時代の代官の待遇について考える 代官と現代官僚を比較したいようだ で 出てきたのが あの反射炉築造の 幕末の韮山代官 江川太郎左衛門英龍{ひでたつ}
嘉村氏 博物館で江川太郎左衛に出会う 博物館に こんな説明書き 一八四九年 浦賀 そして伊豆の下田に英国船マリナー号がやってきて測量などを行った これに対し江川太郎左衛 自費で 蜀江錦{しょっこうきん}(高級な絹織物) のキラキラの袴を作り 英国人のところに出向き 日本では長崎でしか外国に対応しないのが法度 そちらへ回航せよと 退散させた そして博物館には 太郎左衛が日頃着ているボロボロの袴と蜀江錦の袴とが陳列してあった
嘉村氏 なぜ太郎左衛 自費で袴をこしらえてのか? 思案 本来なら幕府の担当者が対応すべきところ 「ペリーが太平の眠りを覚ました」など嘘 一八四九年といえば 外国船来航 頻繁
『葉隠』研究家の嘉村氏 徳川綱吉あたりからの日本型儒教主義国家ができあがるころから 官僚の責任 というより自己犠牲に依存する社会が出来上がっていた 綱吉 「条々」を発する 一、民は国之本也 御代官之面々 常々民之辛苦をよく察し 上寒等愁無之様可被中付事 その実 「現場」の代官に厳しい責務を課した また 民が上を疑ったりしないよう万事につけ心を配れと命じる 正に中間管理職である
明治憲法下における今で云う「公務員」もしかり 官僚国家がつづく現代にもしっかりと引き継がれている
新渡戸稲造『武士道』式の公務員による「先祖や天へ」の責任では 現代に合わない 嘉村氏の自説 そして 旧憲法下の軍部は崩壊したが 同じく「部」と名づく司法部は温存されている ので 相変らず裁判官はそれなりに尊敬される一方 司法全体の予算は国家予算全体の0,数パーセント つまり 現代の代官に対する待遇の源は 到底三権分立には程遠い 正に 自己犠牲の精神で毎日仕事をこなしている
役人を勲章で遇するなどというさわやかでない方法は放棄し 国民にわかりやすい政治 つまり 鍋島直茂のいう「実」の理念に合った処遇が必要なのである
2026/08/30(日)  |
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