■武芸者
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【武士も食わねば……<其ノ一> スポーツ道場の経営戦略――何がコツか? 兵頭二十八】
鎌倉時代の東国の武家 自分の家の中で子弟の武術教育をしたので 「道場」 はない そもそも「道場」 お寺の用語 しかし 室町末期 上方には武芸の達人らが出張稽古以外 武芸教育のようなものを営んでいたろう
宮本武蔵 江戸時代初期の人 武蔵 「一条下り松」で決定した「吉岡一門」は京の染物屋 染物屋業者でありながら武道で全国的に有名な一団であった これは当時でも まだ 道場専業では ビジネスとして成り立ちが難しかったと想像できる
宮本武蔵の『五輪書』 「左利き=両手利き」であった武蔵 自分の技はマニュアルでしか伝えられないと 晩年に悟って書き上げたものではないかと私(兵頭)は思う 実際は謎ながら 武蔵には確かに多数の弟子がいた そして江戸時代を通じて 一流の武芸者ならば 旅行でも他流試合でも 基本的には弟子たちにガードされていたはず
だいぶ平和になった江戸後期でも 主人持ちでない武芸者の世界には 普通の法律が適用されないことが多くて 「武者修行」といえば関所はフリーパス 師範を道場破りにやられた門弟たちが帰り道で そのカタキを待ち伏せし殺してしまい 公には「試合中の事故」として届けた お上 知ってて知らんぷり 届け出 受理
−−−−−−★−−−−−− 武芸者 泰平の世でも エリートだった それは 塚原卜伝{ぼくでん}/上泉信綱{かみいずみのぶつな} そして宮本武蔵らの 武芸者の神話がかった伝承であろう いまの世の武芸者も その末路か
2026/06/27(土)  |
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