■欠落感を生き抜くための「顔面あり」
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特集 総合格闘技と武道<其ノ二> 【欠落感とフルコンタクト…………小松直之(まんが家)】 一部抜粋
「大道塾へ行きませんか」と本誌の杉山さんから誘われた 僕が以前からの大道塾のルールに興味があったことを知っての誘いだ ……………………………………………………………… 先方の攻撃はもちろん手加減している 時々ハイキックが側頭に入る 突然 頭の横に直径30センチぐらいの丸太が現われ 当たった感じ 加減してもらってないと どういうことになるのか! 比べるとパンチの方は手加減しやすいか あまり印象は無い もっとも印象に残るぐらいのパンチを打たれていたら 記憶のほうが無くなっているだろう 「止め!」 終わった! 一分たった!
それにしても何もできなかった 最後の方は相手が顔を出してくれたが 満足に打てなかった 「さっきのワン・ツー思い出して」というコーチの声は聞こえたが 終止腰が引けたネコパンチだったと それは後からの感想
終わったときは 真っ白 イイ気持ち 楽しかった! 一分が こんなに長いとは知らなかった 一分で体験できることの多さに対する驚きだ 終わると同時にみんなが拍手してくれた 貴重な練習時間を付き合ってくださって感謝……だが 脱力したら急に息苦しいことに気付く 早くこの“潜水服”を外したい 一分で十分だった これが三分だったら地獄だ!
ロッカー室で一人 塾生の方が差し入れてくれた500ミリリットルのペットボトルを一気に飲み干し唖然としている僕に 東塾長はシャワーを勧めて言った 「体 動かすの久しぶりか? ちょっずつでもいいから毎日 やらんとダメだぞ」 ハイ ホントにそう思います ルールについては 次ページにイラストでまとめることにしました ごらんください
大道塾が「社会体育」を掲げることと「顔面ありフルコンタクト」を追求することは矛盾めいて見える その矛盾に対する答えは意外にも 東塾長その人自身にあった 道場での言葉や 事務所っでの談話を通じて 僕はある感想を抱いた 東塾長の言葉にはハッタリや説教めいた「教祖」にありがちな要素がない ムダも不足もない平易な言葉をきわめて普通のタイミングでストレートに発する 他人と尋常に会話が成り立つ東塾長を僕はまぎれもない現代人と感じた
現代人なればこそもつ欠落感 いわば真剣勝負への渇望が彼を武道家たらしめているのではないか 東塾長の執拗なまでの「顔面あり」への試行は 恐らく実際に顔面グチャグチャになる世界に身を置く人たちには理解不能だろう それは健全な社会人として生きることへの帰依{きえ}と表裏一体のものだからだ だから彼のその欠落感は 現代を生きる多くの若者に宿命的に共通する 現代の欠落感と対峙し 生き抜くための「顔面あり」
2026/06/12(金)  |
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