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ライフル銃 射撃姿勢


立射 膝射 伏射の三姿勢  競技では行われる
そのいずれも共通していること
銃の一部を射手の人体で支えている
マネキンと違い ある姿勢の人間がひっくりかえらないのは 
自然に起きる傾きに反射神経で対抗して反対側へ体を傾けるからだ
云うならばゆらゆらと揺れ続けることで姿勢を保っている

したがって狙点にむけて構えた銃が すなわち照準が不動のはずがない
ゆらゆらと揺動するのは当然
さらに人体の呼吸運動 心臓の拍動が加わる
両腕で銃を支えている場合 長くても4〜5秒くらい経過すると
筋肉の麻痺細動が加わる
引き金を引く ごくわずかな指先の動きも またばかにならない
腕 背中 腰から太ももまでの筋肉も連動して かすかながら抗いがたい動きをする

要するにライフルの照準はピタリと決まって
ピシリと引き金を引くなどとは虚構 不可能
映画のように銃を動かすためのは 少なくとも
数10キロの重さのある油圧制動 揺動装置を介した重厚な架台 テレビカメラが載っているようなものが必要
もちろん競技にはスコープは使えない

射手たちにとっての修練の段階は まず動かないことでなく
避けがたい動揺をできるだけ小さく かつパターン化すること
要するに 先が読めることからはじまる
狙点がゆらゆらする中で 一瞬の後に
「正照準にべりこむな」ということを読んで引き金に力を加えるタイミングを計るのが
標準をつけるということ
さらにやっかいなことには
まず「今!」と頭が感じたときから 実際に指が動きはじめるまでの時間
これは修練によって かなり短縮できるが ゼロにはならない
初心者だと30分の一秒ぐらいかかるのは ザラである

さらに雷管が 発火すると発射薬に引火燃焼して弾丸が前進を進めはじめ
銃口を離れるまでの時間が必要
「今!」と頭が感じたときから これだけの時間がかかるということ
2026/04/22(水) 晴れ


明日は武道通信かわら版 配信日


「孤独のグルメ」の松永豊さん
語っていた
最近(近年)のドラマ
わかりやさすに流れている
観る人の想像力を奪う

ナレータ-ー 出演者の一つ一つの動きまで語る
創り手たち 時代を読んでいるのでないか
視聴者 幼児化/老齢化

−−−−−−★−−−−−−
拙者 これまでの人生
幼き日 父母を殺された者 知り合い誰もいない
認知症の者 知り合いの知人(高齢者)に一人もいない
コレ すべて 
ドラマのネタづくりの フェイクニュースではないか
と疑っている(笑)
2026/04/19(日) 晴れ


鉄砲と射撃技術は迷信だらけ


今回の願い ―― これはかなり向こう見ずな試み
しかしながら 少なくとも既に諸氏がもっいいる 漠然とした
鉄砲感を もう一度あらためて考えてみようという
気運を呼びだすことができるかもしれない

アメリカ映画で しばしば 
中〜遠距離の標的に対して精密射撃を行うための光学照準器
スコープライフルを使った狙撃シーンが登場する
スコープの視野には レティクルと呼ばれる十字線が見える
これを滑るようように移動し 目標にピタリと合致すると相手の表情までが
はっきりと読み取れる
ストーリーでは大抵ここで相手が樹の陰に入ったり 狙撃者はチェと舌打ちする
ほんの数ミリ引き金を引くだけなのに…… 手に汗握るシーンである

アメリカは鉄砲天国 過半数の人はライフルがどんなものか経験済みなのに
実は このシーン大嘘
言い換えれば演劇上の約束事の虚構
日本の時代劇で着流しの浪人が右手をちょっと落とし指しの刀の柄に触れ
鍔がパチンと鳴ると しばらくあって15cmほどもあるか傍らの松が
切り口も鮮やかに倒れてくる
あるいは美人の忍者がエイと気合い一声 後ろ飛びで3mもある塀の上に飛び上がってしまう
大抵の日本人はなら虚構だと思いながらも楽しんでしまう
「浪人さんは遣い手で 伝家の名刀なんだから まあいいじゃないですか」
筆者なら「由美かおるちゃんだから 色っぽいからいいじゃない」
ということになる
しかし アメリカ人の日本史研究家 あるいは自称研究家
「日本刀はそれくらい斬れます」と云って売り歩いたり
「昔の忍者はそれくらいの体技ができた」と信じたりする

実は日本人の鉄砲理解は  それに近いものがある
前述のスコープライフルを使った狙撃シーンを真実だと思いた
アメリカ人と 同じ過ちなのだ

−−−−−−★−−−−−−
アメリカ映画 「ボディガード」(1992)
ケビン・コシナー&ポイットニー・ヒューストン
主人公のボディガード 黒沢明 『用心棒』を62回観た」というセリフ
そして あの有名なシーン
刃を上にした日本刀の上にスカーフを落とす 二枚になって落ちる……
2026/04/17(金) 晴れ


本当に鉄砲とは何であったか


現在ある鉄砲感 両極端 まさに股裂き状態
一つ目 「鉄砲はずべてに卓越した兵器である(あった)
したがって鉄砲を使う者 天下無敵の軍
もう一つ 「卑怯足軽の技 本来 卑しむもの」
どちらも いまの世の人の感性に同居している

果たして 前者(一つ目)であったかどうかは 比較的容易に実験検証できる
筆者の感覚では 従来の飛び道具などと比較して
それほどたいしたものでないとう感じが抜けない
大きな欠点を幾つも挙げることは容易である

多少効果が期待できるとすれば
相手が鉄砲初体験に近い 極めて限られた場合であって
武器というものは 技術革新がたちまちのうちに伝播するから
ただけたたましいものになってしまうのは 歴史の常
それでもなおかつ 洋東西を問わず かなり急速な弓矢から鉄砲への転換

いったい本当に鉄砲とは何であったか
この答えは当時の人々を墓から呼び返さない限り
完全に出すのは難しい
読者諸氏とともに出きる限り広範囲を眺めながら
鉄砲のような機械的新兵器の それを操る武術というものが
武士道精神などの高みを醸成と どうかかわっているのだろうかという
いささか分相応な試みを ともに考えてみたいというのが
今回の願いである

−−−−−−★−−−−−−
おお そろそろ 女子サッカー
日米決戦 2回戦がはじまる
つづきは 次回で
2026/04/15(水) 晴れ


射撃術という武士道


筆者 銃を初めて手にしてから 六十年近い
体力はチビてくるのだが
好きというより 鉄砲の世界は自宅みたいに感じている老爺である

前掲各氏の論点によれば
鉄砲という<飛び道具>
弓が武士の表芸であった時代から続いて抵抗もなく武士の用具として受けいれられたものであったこと
その登場が時代に少なからぬ影響をもったこと
同じ武器でも 刀劍が武士の象徴 武道精神を映す鏡として選ばれ尊重される風が
次第に醸成されていった…………
などまことに よく理解できる
さらにまた 鉄砲史も相当のレベル 良質の文献も幾つか

しかし 不満が残るのは
そのほとんどが メカニズムや化学の発展史か
形式などから 伝来経路を探そうとするものの 極端なものは骨董列伝であって
武器道具としての鉄砲というものが
実際に他のものに比較し どの程度機能性欠点を持ち
当時の人たちは それをどう使いこなしていたかが 見えないのである
つまり「すごい武器だったから登場するとたいへんだった」 というものの
「どのくらいたいへんだったか」は さっぱりわからない

したがって 鉄砲 武士に好まれたのであれば
なぜ 「武士の心の鏡」という 象徴的な位置を持たなかったのか
そこまで はっきりしないと 鉄砲とは果たして何であったか
射撃術という武士道の一部たりうるものかだったかかが 見えてこない
2026/04/13(月) 晴れ


武士道を生み出した人達の真の心象


この通説となった 三千挺三段撃ちのハナシ
一番最初の日付と
本邦初の試みではなかったが 相当数の鉄砲が使用されたこと
結果 武田勢の敗退で終わった事実
これを除いては
ほとんどが全部が間違い か 嘘
あるいは極めて怪しいハナシの羅列

このハナシ
ほとんどは この数年以内 それぞれの名のある先生方の発表公刊された
文章の内容を拾い集めたもの

「歴史の検察官」 名高い
藤本正行氏  鈴木眞哉氏
また三千挺三段撃ちには 名和弓雄翁の精密な考証がある
なおそういうでっち上げ いつ 誰によって何のためになされたかのかまで
調査されている

これら書冊の見落としを一点
「鉄蹄が火花を散らす」との描写
当時の馬は軍馬といえども 鉄蹄なんどというものつけていなかった

読者の便のため この問題の代表作を挙げておく
戦国時代というもの
想像や願望のなかのそれでなく
全くリアルな時代状況風景とは どんなものであったかを理解できのであるから
ぜひ一読の機会を そして なおその中から
武術や武士道の源泉が生まれてきたことで
きれいごとではないの所産ではなかったことを理解して
はじめて武士道を生み出した人達の真の心象に迫ることができると思うからである

名和弓雄 『長篠設原合戦の真実』(雄山閣)
藤本正行  『信長の戦国軍事学』(洋泉社)
鈴木眞哉 『鉄砲と日本字』(ちくま文庫)
同     『謎解き日本合戦史』(講談社新書)
2026/04/11(土) 晴れ


三千挺三段撃ち


まずは 「長篠の戦い」の嘘八百
そう 後世の創作 誇張 嘘

時は天正三年(1575)五月二十一日 
皐月晴の長篠平原に時ならぬ地響き黒雲が沸くような動きが起こった 
ぱぱん・ぱぱん(張り扇の音)
*長くなるゆえ 多少 省く

「やあやあ 我こそは武田にその人有りと知られたる××××××である
織田徳川に我と思わん腕覚えあるもののふはなきか いざ勝負に及ばれよ」
対する織田徳川陣の反応は 実に意外なものであった
名乗りに対する応酬の変わりに指揮官の声高の号令が響いた
「鉄砲隊 撃て―っ!」
この瞬間日本史上空前の大音響が長篠平野に響き渡った

一列に並んだ一千挺もの火縄銃を構えた銃兵が号令一下一斉射撃
最前列にいた人馬たち もんどり打って倒れ 一瞬にして屍山血河の酸鼻
「ぐわ! 飛び道具とは何たる卑怯 おのれ織田め それでも武士か!」
一度発射すると再装填に時間がかかることぐらいは武田武士 知っていた
「なんの 足軽卑怯な技の鉄砲ごとき」
今度は竹束などの防弾具もそろえ 第二回の突進
再び「撃て―っ!」
の号令とともに千挺の鉄砲が火を噴く
「しゃっ 卑怯者どもめ それっ いまじゃっ! 押せ 押せ!」
危うく防具の陰で弾筋をかわした人馬がどっと繰り出して柵に殺到
あわてて再装填している鉄砲兵たちは 
あっという間もなく柵ごと押し潰された…………
筈であった しかし現実は意外な展開を見せた
「第一列下がれ! 第二列前へ 撃て―っ!」
なんと一斉射撃を終えた並列が整然と後退すると
その後に装填準備を完了して控えていた第二列が前列に進出し一斉射撃
つづいて第三列が交替し その後に再び第一列が進出

当時の鉄砲の欠点
再装填に時間がかかる
発射すると大量の黒煙と火の粉が噴出
複数列に並んだ前列の射手 後列が発射すると黒煙で手元の標準が見えなく
火の粉は降りかかって火傷をする危険
各列交替方式 後に三千挺三段撃ち と呼ばれた技法
この戦いは信長の天才性の証明そのものであった

さらに刮目{かつもく}すべきは
一斉射撃は命中率のみに依存するものでなく 
騎馬軍団の馬を狂奔させ能力を殺ぐことができる
世界史上 この戦法が見られたのは数十年後 三十年戦争(1618〜1648年)
プロテスタントとカトリックの 最後にして最大の国際的な宗教戦争であった

放った者も知れぬ弾丸で斃すという思いは武士の心の陰となり
その後長く 鉄砲は足軽雑兵の技 卑怯な道具とする心象が焼き付くことになる
ぱぱん・ぱぱん(張り扇の音)
2026/04/08(水) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信日


いま まぐまぐ に配信
今号 加藤健の稿   休載

人には事情というものがある
「一身上の都合」
「諸般の事情」

國にも事情はある
イスラエル&USA ⇔ イラン
國の事情は 世界を巻き込む
2026/04/05(日) 晴れ


坂井三郎 逝く


【坂井三郎二年忌 追憶
坂井分隊長の声がする
坂井三郎中尉に帽振れ帽振れ!
中山志郎(元海軍航空隊戦搭乗員 昭和19年甲種予科練)】

坂井教官の下 一ヵ月半 
離着陸から編成隊飛行までの教程を指導受ける
ある時は横滑りの緊急着陸 また編隊では戦隊宙返りを
昭和19年6月24日
坂井機一機で敵グラマン6F15機と交戦
4機撃墜の後 生還されたこと聞き驚愕

中山氏の戦後の邂逅
昭和40年夏 坂井分隊長が両国の香文社という印刷所を経営していると知る
再会する 身内の弟のように可愛がってもらう
平成9年 負傷された右眼と左眼の白内障の手術
退院された日 空を見上げ
「日本の空はこんなに蒼かったのか」
その言葉と笑顔が未だ脳裏から消えない

平成12年9月22日 
日米海軍航空隊厚木基地司令官の交替式パティーの席で倒れる
午後11時40分 綾瀬市立病院で急性心不全のためなくなられたと
奥様からの悲報

そのお顔は慈母観音の像のごとく  
かるく目と閉じてよく眠っているよう
「分隊長 総員起こし五分前です」
と耳元でささやけば
「オーッ」と返事して起きてこられるようであった

−−−−−−★−−−−−−
十三ノ巻 【現代のサムライ  杉山頴男
 訃報、密葬儀、お別れ会と過ぎゆく日々、我が心の坂井三郎を追想す】
十三ノ巻  品切れ 編集用在庫版もない
電子本もサーバーから見つからない
こんなこと書いたと 断片的記憶

身内と戦友だけの葬儀に
前田日明 招かれたが 仕事で渡米
拙者に 変りに出てくれと

元零戦搭乗員も何十名か参列
棺を囲んで「ラバウル海軍航空隊」 唱和
♪ 銀翼 連ねて 南の前戦〜
ゆるがぬ護りの海鷲達が
肉弾砕く 敵の主力
栄えある我等 ラバウル航空隊

談余:
「ラバウル海軍航空隊」 歌われるだろうと ネットで検索
それが小川寛大さんとの出会いであった
2026/04/03(金) 晴れ


エイプリルフール


4月1日 新年度である
入学式をまじかにした ピカピカの一年生
入社式を迎えた “ピカピカの一年“
彼らの将来に幸あれ 後期高齢者 祈る

あっ そうだ
自転車  罰金制度 今日から
老人も罰せられる

70歳以上 歩道を走っていいそうだ
13歳未満も
お上も情けはあるようだ

拙者 4月1日から 
キックボードに乗ることにする
エイプリルフール
罪のない嘘やいたずらで笑い合う日
2026/04/01(水) 晴れ


漢{おとこ}


【坂井三郎の漢{おとこ}ぶり
    終戦後の身の処し方
           前田日明 】

【坂井さんは終戦直後の困難な時期、運送業を糧にささやかに生活していた。
その頃、海軍中将大西瀧治朗の未亡人も家族として同居していた。大西中将は神風特攻作戦の指導者であり終戦の玉音放送後に自裁した。
あるときその当時の話を坂井さんに聞いたことtがある。坂井さんは、めずらしくばらく黙していた。そして言った。
「特攻隊員に「特攻立案者としての筋目を通し、のうのうと生き恥を晒す事を潔とせずただ一人、西瀧治朗は割腹自決し遺書の中で無謀な作戦を詫び、英霊を讃え深謝した」
大西未亡人が(坂井さんの)第二の戦友である笹井中尉の叔母にあたる偶然があるものの、終生面倒を見られたことが、この一言で理解できた。
戦後も自らの武人としての矜持を貫いた、坂井三郎の漢ぶりである。】

−−−−−−★−−−−−−
坂井さんの葬儀の日
前田と 準備中の斎場へ
棺桶が置かれていた

拙者の頭に上の方から 
クックッ 小鳥にさえずりみたいなものが聞こえた
振り仰ぐと 前田が眼を押さえ嗚咽していた
2026/03/30(月) 晴れ


坂井三郎 追憶


【坂井三郎二年忌 追憶
英霊の伝達者、坂井三郎
ここに掲載した稿は戦前、二ヵ月前と一ヵ月前の
坂井三郎の「声」である。インターネット上に掲載した
最後の声を誌上にてお伝えする。】

《坂井三郎さんに会いたくなった
武道(杉山)  この国が内側から崩れていく音を聴いて久しい。ここにきて、それが耳鳴りと昼夜、鳴り止まない。いっときでもいいから、この耳鳴りから逃れたくなったとき、坂井三郎さんの顔が浮かんだ。
坂井さんのお宅の応接間に神棚がある。坂井さんの戦友たち英霊が祭られている。
それだけではない。敵として戦ったパイロットも祭ってある。

「戦争と戦闘は違う。戦争はその国の経済、国民の戦闘遂行能力の高さの総合戦。
一方、戦闘は軍人と軍人の戦い。互いの国が外交の最後の手段として戦争を選択したことで、私たち軍人同士は戦闘部分を引き受けたのだ。日本人は戦争と戦闘を混同している」

坂井さんの持論が、この神棚に現われている。坂井さんの話の中で、「英霊の伝達者」という言葉がふと浮かんだ。坂井さんに今、語っておいていただきたいことが山のようにある。それを武通に残しておこうと、掲載をお願いした次第である。》

少年の凶悪犯罪は なぜ生まれるのか
坂井さん 語りはじめる
(今巻 二年前 平成十二年七月 聞書>からである)

−−−−−−★−−−−−−
いまも 少年(青年)たちの凶悪犯罪 ニュースを賑わす
いまも坂井さんの言葉で耳底から離れない言葉がある
「戦友たちは大東亜戦争を戦った
大東亜戦争など知らない
大東亜戦争などと云ったら 彼らを弔うことはできない」
2026/03/28(土) 晴れ


アレクサンダー王


アレクサンダー王子 父王 暗殺される
二十歳でマケドニアの王となったアレクサンダー
当時の大帝国ペルシャと戦うことになる

アレクサンダーは後に大王と呼ばれる英雄
彼の兵法の巧みさは世界史上ナンバーワンかもしれぬ
どの戦闘においても 敵軍より劣勢にもかかわらず
一度も負けてはいない

ここでは紀元前333年 現在のトルコ南部で行われた
「イッソスの戦い」を見てみよう

七万を超えるペルシャ軍に 約二万のマケドニア軍
勝利するするという信じがたいことをアレクサンダーは成し得た
それは 先のデーバイ将軍の戦術を学んだ父王からの大きな影響であった
まず デーバイ将軍同様の戦列の配置があった

アレクサンダーは戦列を二つに分け
自分は右翼 強力部隊を直接指導 
左翼は信頼する将軍に任せた  右翼に比べると兵力は弱かった

戦闘開始 ペルシャ軍はここに襲い掛かること必然
ここを破られれば 敵はマケドニア軍中央の背後に回りこむことができる
アレクサンダーの敗北はまちがいない
が アレクサンダーは承知の上 この戦列をつくらせた

戦場 東にロマノス山脈 走り 西には地中海が広がる狭い平野
両軍の間には 山から海に向かってビロナス川が流れている
この川に沿って両軍の戦列」が作られる
ペルシャ軍 川の北側で強力な戦列をマケドニア軍よりはるかに長く伸ばしている

海側になるペルシャ軍の三万もの騎兵大部隊が
マケドニア軍の最左翼にいる弱弱しい騎兵部隊を狙っている
アレクサンダー 敵の配置を確認すると 戦闘開始直前
自軍の右翼の強力な騎兵部隊 敵にわからぬよう 左翼に移動
戦闘はマケドニア軍右翼が川を渡って開始された

ペルシャ軍左翼はこの攻めにたちまち壊滅
左翼を崩したアレクサンダー しかさず左へ方向を変え
ペルシャ軍中央の後方にいるペルシャ王ダリウス三世に向かって突撃
臆病なダリウス三世 遂に戦場から逃走
最高司令官が戦場から離脱したことを知ったペルシャ軍 
全軍が士気を失いやがて敗走
アレクサンダー率いるマケドニア軍 大勝利

−−−−−−★−−−−−−
鳥羽・伏見の戦いの最中
十五代将軍・徳川慶喜は大坂城から敵前逃亡
幕府軍の士気を粉砕 徳川家の復権に終止符が打たれた

いつの世も 最高司令官が戦場から離脱は敗北き喫す

2026/03/26(木) 雨


デーバイ将軍


凡そ2500年前 地中海ギリシャ 栄えていた
この時代の戦い 3mほどの長い槍と丸い楯を持ち
眼のところだけ穴があいた青銅製兜を頭からすぽっり被った歩兵たちが主役

彼らは縦一列に十人ほどが並び
横方面にはこの列が何百列も続く巨大な密集隊形を作った
何千名もの兵士たちがつくった何百mも続く人の壁は
びっしりと並んだ楯の間から 3mほどの長い槍を突き出すと
整然と前進して敵の正面にぶつかって行く

敵も同じように密集隊形をつくるから まさに押し合いになる
互いに相手の密集隊形を崩そうと 
長い槍を敵の楯の間にグイグイと突っ込んで隙間を開けようとする
また楯の下に出ている相手の足を傷つけようとする

崩されないようにするには 人の壁を厚くして
前の列が倒されても すぐ後ろの列が前に出ればよい
このような戦闘では 兵士の数が多い方が有利

紀元前371年 都市国家の一つである
デーバイ将軍のエバメイノンダス
「レウクトラの戦い」のおいて
敵軍よりずっと少ない軍勢で
軍事国家スパルタの優秀な軍勢を見事 打ち負かした

スパルタ軍 鮮烈の端から端まで 兵士を縦に十二列並べる
対してエバメイノンダス  戦列の左側だけに縦五十列も並べた
戦列は できるだけ敵と同じぐらい伸ばしておかないと
側面から敵に回りこまれてしまう

デーバイ将軍 中央と右側の列には ほんの数列しか並べることができない
それでもスパルタ軍に比べ随分短いものとなった
当然ながらここを攻め込まれたら デーバイ軍 完敗することに

これはバメイノンダスの戦術
自軍の弱点に敵を誘い込むことにあった
バメイノンダス  強力にしておいた左側の前面の兵を動かし
自軍が有利に戦える戦列の左側だけで戦闘を展開することに成功
一万一千名の敵に対して七千足らの兵力で勝利できたのだった

−−−−−−★−−−−−−
桶狭間の戦い
織田信長 今川義元の本陣を
桶狭間の「沓掛(くつかけ)」と「鳴海(なるみ)」の間にある
周囲を丘陵や深い森に囲まれた狭い谷間(桶狭間)に誘い込んだ
いや 義元 自ら弱点をさらした
信長 地形の弱点(狭さ、隠れやすさ)を突いて奇襲した

地政学
地形がことなる文化 戦術も異なってくる
2026/03/24(火) 晴れ


戦術()タクティクス


【西洋戦術史の天才たち
世界の戦史に光輝く兵法の天才たちには共通した戦術があった
それjは自軍の弱点に敵を誘い込むことである
    横山栄一 (HP「戦術の世界史」ウェイブ・マスター)  】

サッカーの戦術にもある
弱点に敵を誘い込む
自軍の弱点(あえてスペースを与える 対応の弱いサイドなど)に敵を誘い込み 
そこを潰してカウンターを狙う
この戦術 「トラップ(罠)」や「ストーミング」の要素を含んだ
非常に高度な守備戦術

きのうの日本⇔豪州戦
ともに正攻戦
豪州 攻め際が甘かった


◆「レウクトラの戦い」
スパルタ同盟軍対 デーバイのエバメイノンダス
◆「イッソスの戦い」
ペルシャの大軍を破った マケドニアのアレクサンダー
◆「カーネーの戦い」
ローマ軍対 カルタゴのハンニバル
◆「アウステルリッツの戦い」
オーストリア・ロシア同盟軍対フランスのナポレオン

次回につづく
2026/03/22(日) 晴れ


明日 武道通信かわら版 配信日


WBC決勝戦 ベネゼエラ USA 破る
首都カラカス攻撃の恨み晴らす

前回WBC決勝戦  日ノ本 USA 破る
敗戦後 青年/少年
空襲 原爆投下の恨み晴らした
と溜飲を下げた
さりとて それを口にする者はいない

武士の末裔
黙って仇討ちのときを待つ
2026/03/19(木) 晴れ


師弟 


【床几】
兵頭師との旅
適菜 収{てきなおさむ) (マンガ家・紀行家)】

【ここ数年の間 兵頭師と私は日本の海岸線を中心にして旅行をしています。】
<師>ではなく<師>
適菜さん 兵頭さんの弟子を自任
四谷ランドの編集員だった そこで兵頭二十八に出会った

お二人 拙者の実家へも来た
レンタカーで伊豆半島を廻った

適菜さん
『脳内ニーチェ』(朝日新聞出版)2011
『ニーチェの警鐘 ―日本を蝕むB層の害毒―』講談社+α新書 2012
で 一躍 人気作家に

その根に やはり兵頭二十八がいた

【兵頭師はこれまで常に日本の古層を…………とこの後、大風呂敷を広げるつもりでしたが、浅学菲才の私がそのようなことを言うのもおこがましいので、ここで兵頭ファンのために数点のメモを残しておく程度にしておきます。
兵頭師が以前ジャズ歌手を目指しておられたというのはファンには有名な話ですが、私の車に持ち込んだ音楽の中ではFunkadlicの『Ancle Jan』に特に興味を示されたというのは、コアなファンの方には有益な情報かも知れえません。
いずれせよ、兵頭師との旅の記憶はたくさん残っております。
兵頭師と旅することによって盲を開かされた経験は一度や二度ではありませんでした。日本でただ一人の軍学者の背中には汲んで尽きる事のない魅力があったことをご報告しておきます。】

−−−−−−★−−−−−−
兵頭さん 適菜さん
その後 疎遠に
そのわけを拙者は知らない
2026/03/17(火) 晴れ


勝ちには 不思議の勝ちはない


WBC
日本⇔ベベネズエラ戦 10時試合開始
13時  試合終了
日ノ本 敗れる

江戸の世 剣術家 松浦静山  『劍談』
「勝ちには不思議の勝ちあり
負けには不思議な負けなし」
後世 「負けるには負ける理由がある」と

日ノ本の負けた理由は何か?
ベネズエラ 不思議な勝ちとは何か?

いや <不思議な勝ち>ではない
米国に首都カラカスを軍事攻撃される
この恨み WBCで米国に勝ち 晴らしたい
その怨念

−−−−−−★−−−−−−
そのむかし むかし 拙者 小学六年生
日本シリーズ巨人⇔西鉄
西鉄連敗からの4連勝 大逆転で日本一
この日 先生たち ラジオを聴きに職員室へ
生徒たちも 家に帰ってラジオ
嗚呼! 昭和
2026/03/15(日) 晴れ


平法学 後世の「形」の源流


【兵法とは何か<一>現代日本が失いしもの
兵法と武道
多くの兵法家が修業の果てに得た人間の道が武道
         加藤花当斎(HP「兵法塾管理人)】

花当斎氏の記述 簡潔に
《兵法の起源 約2500年前 孫武によって書かれた『孫子の兵法』
孫武は斉い生まれ 春秋時代末期 呉王・闔閭{こうりょ}に仕えその覇業に貢献
兵法 百済国から渡来人によって日本に伝わる 
日本人として遣唐使 吉備 真備(きび の まきび)によって日本へ伝わる
その後 朝廷の秘書 大江家に伝承され 大江匡房{おおえのまさふさ}から源義家へと伝わり 源氏の系譜から武田信玄が現れた
また大江家の分派 中国地方に土着した毛利氏から毛利元就が現れ
戦国時代に伝承された兵法 大いに活用された

ところで 兵法とは何か
戦争においての兵士の動かし方 計略・戦術を思い浮かべる方が多い
しかし 日本の兵法 それに剣 鑓 薙刀などの武術をも含む
非情な乱世を生き抜く武士の心得るべき法はすべて兵法と言った
それが平和な世になるにつれ 個々の軍学 武術へと分かれていった

今日 総合格闘技が脚光を浴びている
異種格闘戦 打撃や寝技だけが得意な選手では 
勝に勝てないこと 如実に明らかになった結果
いかに相手の得意とするところを防ぎ
相手の不得意とするところに優るかが重要になってきた
異種格闘技戦出場選手が
総合的な格闘技の道を進むのは自然な成り行き
ましてや生死がかかった戦場で違う兵法なると
あらゆる術を含むのが当然の成り行き

では 武術としての兵法はいつ生まれたのか
それを辿っていくと 平法学に辿りつく
平法学 支那古代の武術 応神天皇の世 百済国 王仁によってもたらされた
二人相対して主客となり 或る動作をなす
後世の「形」の源流ともみられるとあり
日本武術の原点 ここにある気がしてならない
武術はさらに武道へ発展し 相手に勝つ技術よりも心の修養を重視するようになる
多くの兵法家が修業の果てに得た人間の道が武道にはある。》

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『格闘技通信』 創刊する
いつしか 「格闘技」 常用語となる
いつしか 辞書に載るようになる
それまで 「格闘」しかなかった
 「格闘技」を辞書に載せたには 拙者である
2026/03/13(金) 薄曇り


『地獄のX島で米軍と戦いあくまで持久する方法』


【昔は昔、今は今。それぞれの時に及んで最も優れた人間の英知とはどういうものであるか。それを極めていく透徹した冷静、かつ風潮やタブーにとらわれない独立不覇{ふき}の精神こそが現代の武士道であると氏は観んじているのであろう。

もちろんこれは(兵頭著作)完全な実用学である。これらの問題に意気高く取り組もうとする読者が他にもいないわけではない。しかしながらこれだけ歪み手垢がついたテーマを清澄{せいちょう}に語ろうとすれば、それは膨大な資料調査と提示による論破しかない。

その思いに対する氏の比類なき誠実さが周辺にある武器学をも、前例の見ない高みに結果として押し上げてしまったのであろう。
氏の著作をお勧めするにあたって、兵器関係の著作がたいへん価値高いものであるこを語るのはいささか悲しみに似た感情を添えざるを得ないが、しかしなおこれらが貴重資料であることは間違いない。不幸にして時流に乗りがたいこのような出版物は、刊行されたちまち絶版、図書館でも閲覧困難な物が多い。
幸いにして『武道通信』でその一部がネット上での覧読を可能にしたのはせめてもの喜びである。

氏の主張を最も集大成している近刊は『軍学考』(中央叢書)。さらに通説さを感じるのは『地獄のX島で米軍と戦いあくまで持久する方法』(四谷ラウンド)といういささか奇妙な表題の本であろう。
後者は実際に当時南方の日本軍が持っていた兵器兵装、その量までを精密に論究し「もっとまともな戦い方」がどこまでできた可能性があるかを検証した本である。
歴史に「もし」はないし過去を仮定に託して語るのは単にオモシロイハナシに過ぎないかもしれない。しかし氏がここで論考しているは「例えそれだけの戦力であっても、なぜもう少しましな結果を選択できなかったか」、その「なぜ?」
これは現代の我々が相変わらず、ズルズルと持ち続けている「なぜ?」と問われる愚公の病根に対する強烈な指弾である。

氏の不幸はこれらの極めて中庸、ある種素朴ですらある論説が、世上兵器マニアの仮面によってしか知られてることがなかったり、奇妙な表題によってしか営利を保ち得ない現状であろう。
あえて奇妙ととれる表題、兵器オタクとも見られる著作。武道家は袖すりあった相手の格を知るという。氏の眼は桁外れた知性者の持つ光を宿しているが、同時に理解されざる者の悲しみを見る思いを避け得ない。】
2026/03/11(水) 晴れ


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