■<右翼>というレッテル
|
田中光四郎 話つづく
バーミアンの石仏 タリバンが爆破すると予告 あのとき 俺が止めると言ったのが松波 彼は国境まで行った そのとき五億円持っていった しかし 石仏 爆発される パキスタンで噂が流れる 「あの金はどこへいったのか」 田中 衆議院外務委員長・吉田公一を訪ねる その金の出所を明らかにしてください 最終的には外交機密費は探しようがない
田中さん 松波さんへの嫌悪のはじまり 松波さん アフガンとの縁 1975年から3年 国際交流基金の支援によりアフガニスタン カーブル大学にレスリングおよび体育の指導者として派遣される 後年 日本でのアマレス大会の折 田中さん アフガンから4人の選手を自前で連れてく来る アジア大会のときも選手・役員30人 自前で呼ぶ そのとき田中さんへ挨拶も 選手たちへの杓子定規の対応に立腹
さて 次は中村哲 何かしゃべってくれと頼まれた ある若手議員の集まり 中村がこう言った ああ言った ばかり 田中さん 「中村は医者じゃないか 彼は戦う人間ではない 私は兵士として戦った」
田中 → 【私と中村哲は同じ福岡県出身です。彼は徳洲会の医師だったんです。人がやらないことをコツコツとこなすいい男ですよ。私の足も切ってましてね。でも脳神経医です。それなのに足を切ったり、脱臼した肩を入れたり、何から何まで18年間やってきたわけです。年齢は私より下ですから呼呼び捨てにしますが、兵士だった私より、彼の方が高い社会的信用得ているわけです。 たしかに私は単に戦うだけの人間です。人前に出ておしゃべりすること事態が居様です。「俺は!」と手を挙げてしまえば私らの存在価値はないですよ。でも去年『武道通信』で前田日明さんに会わせていただき本当に嬉しかったですすね。そのとき極真会館の大山館長が私の写真を見て、「彼は武道家の誇りだよ、 同じ武道家として誇りに思う」とおっしゃっていたことを前田さんから聞いたのです。あれだけの人が、草の根の稽古だけしてきた私を思ってくれているのかと、嬉しかったですよ。】
兵頭 → 武道家としてやってこれた田中さん どうやって民俗派とつながり 田中 → 皆さん私のことを右翼という(笑) 日本青年社の錬成塾をつくり塾長やっていた 兵頭 → 日本青年社 そもそも世間からは右翼と思われている 田中 → 右翼ですよ 会長が小林楠扶 住吉会の跡取りで本部長 小林 「田中には構うな 田中は自由にさせておけ」と言ってくれたので 何をしようが誰も文句 言わなかった 党役員会の出て来い とか日教組に抗議に行くぞとか言われても行かなかった
−−−−−−★−−−−−− 後年 オウム真理教 麻原彰晃 逮捕 田中さん 身辺整理し 遺書書き 暗殺 企てる 住吉会 各々も 麻原 暗殺 企てる 小林楠扶 「田中に任せろ 他の者 手を出すな」
まあ 失敗に終わったが
2025/12/03(水)  |
|