■上下東西 前後左右
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松陰 二十一歳で平戸長崎に 最初の旅行 このときすでに 横井小楠{しょうなん}をはじめとする 後の幕末志士となる連中を訪ねている(『西遊日記)
二十三歳で江戸へ遊学し 東北へ進んだときは 金沢正志斎から佐久間象山まで 水戸の時習館の森田哲之助から来原良蔵まで 目ぼしい人物に 片っ端から会っている ( 『東遊日記』 『東北遊日記』 )
また 実にたくさんの読者をしている それも四書五経や陽明学ばかりでない 兵学書はもとより 頼山陽も室鳩巣{むろきゅうそう}も 蒲生君兵{がもうくんぺい}も佐藤一斎も さらに高野長英 会沢正志斎 葉山佐内 大塩平八郎 三宅観斎も つまり国家や世界の歴史 人倫(人間が社会生活を営む上で守るべき 秩序 道徳 または人間関係の絆に関するもの および国防や技術に関するもの ほぼすべて読んでいる
のちに萩に蟄居{ちっきょ}を命じられて獄舎に入った十一ヵ月では 和綴の小冊子が多かっただろうといえ なんと一五〇〇冊 読破する
こうしたことえを知っていくうちに 私(松岡)は松陰を上下東西 前後左右から眺めるようになっていった ※上下東西 前後左右 (三次元空間における全ての方向や広がり または「四方八方」)
−−−−−−★−−−−−− 「週刊ベースボール」に入りたての頃 小生意気だけは100点満点だった若造 試合前の後楽園球場へ出向く こいつらロクに本など読んでは いまい そう思い 肩慣らしのキャッチボールを見ていた その早いこと 驚いた とてもバッターボックスには立てないと恐怖した
五歳で山鹿流兵学の師範・吉田家の養子に入りし 山鹿流兵学の教育を受けた松陰 実の武術の稽古 どのくらいやったのだろうか
2026/04/30(木)  |
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