■狭間
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【床几 武士というもの 弥七郎 (歴史HP「古今夢想」管理人】
一枚の肖像画 源頼朝 白い顔を描く柔らかな曲線と 黒の束帯を描く鋭い直線が あざやかに対照的で印象に残る京都神護寺所蔵の肖像画 別人との説もある(足利尊氏の弟である足利直義)
私の頭の片隅に「源氏」がひっかかり続けたのは この肖像画のせいと云ってもいい と弥七郎氏
東国の武士たちの生活や願望も充分に理解したからこそ 東国武士団の棟梁として鎌倉幕府を興すに到った だが 彼自身は都や貴族文化への憧憬との 狭間で 常に揺れ動いていたのではないかと 一個の人間としての頼朝を見たとき どこからが武士なのかという疑問にとらわれる と弥七郎氏
で 拙者も考えた 鎌倉武士のモチベーションは《御恩と奉公》 将軍が御家人い与える恩賞 具来的には 領地の安堵 戦功によっての新たな領地 奉公とは 合戦に一族を率いて戦う 平時には番役を勤めること
これは<道理> 坂東武者から生まれたものだろう 朝廷と貴族の<道理>では生まれない こと 頼朝は知っていた 坂東武者のリアリズムを知っていた 「頼朝の妻」から感化されたか 定かでない
頼朝は知っていた 京(都)に戻れば 朝廷の手に乗るだけだ 都や貴族文化への憧憬 断ち切っていた だから 京の武辺を鎌倉へ呼び寄せた 坂東武者にプライドを持たせるために
義朝の父・義朝 義朝の幼名 鬼武者とつけた 坂東平氏率いて勢力を伸ばし 再び都へ戻り下野守 東国武士団を率いて保元の乱で戦功を挙げる 頼朝 武士と貴族の狭間から 父・義朝の陽が差してきた
2025/05/11(日)  |
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