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吉田健吾


参ノ巻 論客 高橋 巌
【我ら内なるシャーマンを
呼び醒ますときがきた】

前文に こうあった
前田 高橋氏とは一年ぶりの再会
十年ほど前 著書に感動し 会いに行く
この日 高橋氏 三島/林対談集『対話・日本人論』の読後ノートを持参
生前 三島由紀夫ともゆかりのあった高橋氏 当時の述懐から始まった

高橋氏 弐ノ巻 前田の三島/林対談集 感想文 讀んでいたからだろう
八頁にも及ぶ 

中見出しだけ追ってみよう
■三島由紀夫の苛立ち
「どうしょもない日本の現状」
繁栄に覆い隠された空洞化への怒り

■大衆と民族
「国家」という壌土と「文化・伝統」の養分
人間が個人として育つのに不可解なもの

■民族としての私
民族としての自覚は歴史的自覚であり
それを失うとき、その民族は滅びる

■無限に広がる大衆社会化
すでに崩壊した知識人・文化人の基盤
知識を情報化した「大衆」が知識人となる

■日本とはなんぞや
平等や人権がエゴ的基準にすり替わった
価値観の縦のラインの再生が急務だ

聞書き 吉田健吾
単にテープ起こししただけでない
前田の云いたいこと 自分なら こう補足すると

『葉隠』 全十一巻 一と二だけ山本常朝の直談
あとは田代陣基 書き足した
常朝なら こう云うだろうと

吉田さんの出会い
奥さん シーザー武志 シュートボクシング協会のマネージャー
あるとき「ウチのダンナ わけわからないもの書いている」
で 「HUМAN BDOY」 執筆願う
ハンマー投げ 室伏重信(広治の父)のこと書いてきた
唸った 文才に長けた若きルポライター ここに居た
聞書きのほか「前田日明語録」執筆 依頼

吉田さん いま どうしている
「吉田健吾」で検索
俳優・プロ野球選手・准教授……
出てこない

吉田さん いま どうしている
書いているか
拙者 まだ駄文 書いてるぞ
2023/11/09(木) 晴れ


近代日本が受けた精神的傷の深さ


本日も 小杉英了『シュタイナー入門』
パラパラとめくる 傍線引いてある

<僧侶たちが、みずからの教えに照らし合わせて、デウス(神)の信仰を、
究極的に同じ聖なるものへの敬虔な道であると認めたにもかかわらず、イエズス会宣教師はそこに悪魔の触手しか見ず、攻撃に終始したのである。
人としてどちらがまっとうな態度であるかが、今問題ではない。道徳的糾弾が目的ではないからだ。
重要なのは、歴史的相違を明確にしておくことである。
日本には、西洋的なオカルティズムは存在しなかった。正統教会のような、非寛容的禁圧勢力が、精神の世界を支配しなかったからである。かえってオカルト的教えの内実は、隠されることなく、密教と伝統的信仰の古層にささえられて、多様なというより雑多と言っていいほどの信仰形式へと、広く、深く、浸透していった。

「多様なというより雑多」→けだし云い得て妙
この伝統がいまの世まで保持されていたら
シュタイナー思想のオカルト的側面をいかがわしく思うことなく受け止められていただろうと 小杉さん 悔恨する

パラパラとめくる 傍線引いてある
<二度にわたる斬絶が横たわっているからである。言うまでもなく、
明治以降の近代化の過程と、先の敗戦との二度の断絶である>

<もっとも基礎的な呼吸法や鎮魂法を、どのような場面でも役に立つ伝統的な
心のしずめ方として身につけていたら、麻原彰晃のような人間が教える行法など危険で、無意味で、利己的なものか、十代の少年少女にだって見抜けただろうし、突如襲いかかってくる内なる殺意を、自分の心でこらえるための備えにもなったろう。>

<学校で習う歴史の中で、かなりの部分、正統キリスト教会の正史を鵜呑みにさせられていることに気づかない。十字軍遠征を、イスラームの側から見ることなど思いもよらないし、キリシタン宣教師が日本人信者をあえて殉死させ、それを口実に軍事支配をもくろんでいたことも、また密かに日本人奴隷を売買していたことも、言及されることはない。>

米国大統領 就任するとき聖書に手を置いて宣誓する
そしてイスラエルを援護する
−−−−−−★−−−−−−
わがまち図書館 ルドルフ・シュタイナー著作 四〇冊ほど
関連書も含めると一〇〇冊ほどある

著作 二、三冊 手にした
さっぱりわからぬ 翻訳が難関すぎるのか 
拙者の頭に難があるのか

ルドルフ・シュタイナー 小杉さんの「シュタイナー入門」
で十分だ
「あとがき」にあった≪近代日本が受けた精神的傷の深さ≫
これを最初に感知した者たち
神風連の乱 秋月の乱 萩の乱の中におられる気がする
そして西郷どんも
2023/11/08(水) 晴れ





小杉英了 
いま どうされているのか?
十年前ほど 日本ホラー小説大賞受賞作『先導者』 
贈っていただいたきりだ

『三島由紀夫論―命の形』 
讀んで 弐ノ巻 原稿依頼したのか
二ヶ月後 参ノ巻 論客 高橋巌 
ルドルフ・シュタイナー研究 日本第一人者
小杉さん 高橋巌氏 一番弟子
前田からの推薦か なら四ノ巻 以降だろう
定かでない 記憶ない

弐ノ巻 
【三島由紀夫の声なき絶叫
深淵を飛ぶ意識 
誰かに聞き届けられる慰めを一切謝絶したところで放たれた
この声なき声の残饗は、今確実に世紀を越えている。】

三島の四著 紹介している
『行動学入門』『葉隠入門』『太陽と鉄』『北一輝論』

《三島由紀夫氏の死の一年ほど前から書き始めた『行動学入門』に、
こんな一節がある。
■ことばでもって自分を鼓舞することは常に危険である。
「十一月に死のう」というときに、そのことばでもって自分をかきたてようとすれば、行動はそれについていけなくなるのである。…………長い待機の時間はことばでないのである。行動とことばとの乖離が行動を失敗させるように、ただことばや観念で待機に耐えようとする人間は必ず失敗する。(『行動学入門』)

実際、三島由紀夫 十一月に自刃
小杉さん 決意し それを持続することと
実行することの間には深淵があると
その存在に気づくには 決意を実行に移した瞬間

『葉隠入門』
≪本気にて大業はならず。気違ひになりて死狂ひするまでなり。」
この反理性主義、反理知主義には、もっとも危険なものが含まれている。
しかし、反理性主義、反理知主義の最大の欠点は、危険に対し身を挺しないことだ。(『葉隠入門』)
 狭軌まで踏み込まなければ、数十人を相手にして我が身を投げ出す大業は成し得ない……かく言う『葉隠』を、生涯の座右の書に挙げた三島氏はしかし、単なるファナティシズム(熱狂主義)を揚げているのではない。
 一見、熾烈な心情の昇揚は、言葉や観念が紡ぎ出す意味世界の対極を指さしているように見えるが、三島氏は火の玉となって深淵を越えたのではないのである。≫

−−−−−−★−−−−−−
ホラーとオカルト ちがい どうでもいい
キリスト教文明圏のハナシだ

受賞作『先導者』 受賞時タイトルは『御役』
編集者 『御役』ではわかりずらいと

小杉さん 「霊」を書いたのだ
霊を ホラーとオカルトと十把一絡げにしている
いまの世のひとに 霊と どう関わっていくのか
それを提示したのだ
2023/11/06(月) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信


鈴木邦夫 お別れ会の折
前田日明と 久しぶりの 久しぶりに会う

「いま何してるんですか?」
「ネット配信 武道通信かわら版ってのを出して
いるよ」
元編集長 讀んでくれよ(呵々)

こちとら 家紋入り“紋付袴”
前田 相変わらずラフ
引退記念日に特注(LLL)の
野袴・胴衣 贈ったけど
一度も 袖通してないな(呵々)
2023/11/05(日) 曇り


「形」と「型」


《人間、自分一人のために出せる力なんて、たかが知れてるというか……。》
との前田の言葉に
猪瀬氏
林房雄との対談で三島由紀夫 面白いこと言っている
要するに 個人の力でやれることなんか 大したことない
オリジナリティなんて嘘だよ
つまり「伝統」というのがあって それは「形(型)」
「形」みたいなものも中に すべてが凝縮されている
「形」さえ守っていればいいんだ

前田 それに対し
《「形」ってことで言えばね、理想の日本人像っていう、儒教的なね、
エピュキリアン(人間的)なストイズムみたいなそういう「形」が、かつてあってはあったんじゃないですか?
豪放磊落であると同時に、社会との関わりを重んじて自分自身を律するみたいな理想的な日本人の「形」みたいなものが》

前田 それから戦後の変貌を語る
<戦後半世紀 無抵抗にイエローヤンキー化した>
<無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国>
前田なりに それを語る

松岡正剛 連載二
【型と稽古
 ――稽古とは「古{いにしえ}「古にとどまる」こと。
世阿弥は型の発生を‘古き姿’を見つめることから生まれたと考えていた。
型は「稽古の型」として確立した。】
《私は三島由紀夫とは一度会っただけである。……………………
それはともかく、私が会ったその三ヵ月後に、三島由紀夫は市ヶ谷で自刃した。
型通りの自刃であったと聞く。何度も自刃と介錯の練習していたのであろうとおもうと、胸がふさがれるおもいである。》

−−−−−−★−−−−−−

【形】【型】
古武道は【形】 古文書 伝書に「形」ある
現代空手 【型】
広辞苑
(ふつう「型」と書く)個々のものの形を生ずるもととなるもの、または個々の形から抽象されるもの。
@形を作り出すもとになるもの。鋳型・型紙などの類。「―を取る」
A伝統・習慣として決まった形式。「―破りの人」
B武道・芸能・スポーツなどで、規範となる方式。「踊りの―」「攻めの―」

「形」と「型」 どちらをつかっても可
2023/11/04(土) 晴れ


憂国忌


「憂国忌」なるもの 参加しなかった
一水会主催「野分祭」のも
俺の三島由紀夫で 俺たちの島由紀夫でなかった

「武道通信」創刊後
十一月二十五日 多磨霊園 平岡家墓前に立つ
今日までつづく

いつだったか
平岡家 墓守と自称した小柄な老人 云った
拘束され東部方面総監
毎年 この日 墓前に立つという

今年も「憂国忌」「野分祭」 行われる
五十三回 つづけられている
一〇〇回 つづけられていたら
それは「形」になる


あすは「形」の話
2023/11/03(金) 晴れ


神慮{しんりょ}


前田日明 なぜ三島由紀夫に興味を持つようになったか
前田 高校時代 空手に熱中
空手道場の先輩 「文武両道じゃなければ駄目だ」
文学を讀め 文学って何ですか?
「太宰治だ!」
 
太宰治讀んだら体調不良に
≪なんか、自分の中にあるデキモノみたいなものを、
いちいちそれがここにあるんだって知らされて、
こうして潰してみせて、ほら汚いだろうって、
その繰り返しみたいな感じで。≫

いろいろ讀んでいく内に、
たまたま三島由紀夫の『不道徳教育講座』を讀んですごく元気になった云う
その後 小林秀雄とかいろいろ讀み進める
プロレス入りして一年間 イギリスへ
帰国後 また小林秀雄 讀み進める
小林秀雄と江藤淳対談 讀む
小林 「あれは(三島由紀夫事件)吉田松陰に繋がる系統の事件」
それが気になって

猪瀬直樹 日ノ本のナショナリズムを語る
前田 三島由紀夫が腹を切らなきゃならなかったか
わかった気がしたのは 三島が林房雄との『対話・日本人論』

猪瀬 対話に出てくる三島が憑かれた紳風連のこと語る
宇気比{ウケイ}の占いで政府軍の熊本鎮台の攻撃 「可」と出る
攻撃は成功したが 翌朝からの政府軍側で猛攻撃で首謀者大半 自刃

紳風連 神の御心 神慮{しんりょ}で決起したわけだ
前田 戦国武将も神慮を信じ切っていたんですね
猪瀬 何か背負っている力があるということなんだよね
なまじ迷信とは云い切れない
そこで 前田に質問
試合のとき前田自身 そういうこと考えませんか?
≪前田 ありますね……というか、個人を超えた絶対的な大きな力と、
どこかで繋がっていないと、人間は本当の力は出せないというか。
人間、自分一人のために出せる力なんて、たかが知れてるというか……。≫
2023/11/02(木) 晴れ


日ノ本人の潜在意識


弐ノ巻 論客 猪瀬直樹
【「形」を棄てた戦後日本人】
≪対論日10月25日、対論場所は猪瀬直樹事務所。……
カメラマンの撮影準備中、事務所内を案内してもらう。
一階から三階まで吹き抜けの書架。資料の蔵書は著者ごとに整理して
あるという。屋上に一人用のプールと展望台。麻布の夕暮れが眺められた。
恒例の表紙撮影。前田の背丈では、天上の高さかいま一つ無理と二人座ってのポーズでの撮影となった。≫

並んだ二人に白いボードを手にてもらった
ここに市ヶ谷駐屯地バルコニーから演説している三島由紀夫をはめ込んだ
(HP既刊案内  表紙 ご覧あれ)

≪前田 その(学生運動していた)猪瀬さんが、なんで何十年もたって、三島由紀夫を書こうと思ったんですか?≫
猪瀬 結局あれは何だったのかな? 学生運動っていうのは、結局、モダニズムだったんですね。……インターナショナルとか当時よく言っていたけど、じゃあナショナルって何んだ?≫

≪前田 三島由紀夫がしきりに言っていた「文化」とは何か? っていう、そんな風な問題ですか?
猪瀬 というかね。ほら、学生運動は非常に表層の、ちょっとお勉強した学生が騒いでいただけの話ですよね。つまりそれは庶民には届かなかったわけでしょう? 学生がただ騒いでいるだけだよね。
 当時、僕が思ったのはね、デモやってて、神宮外苑から青山通り通って日比谷公園に向かうだけど、途中くたびれて、ちょっと抜けたことがあったのね。
デモの隊列を抜けて、一つ隔てた通りに入ったら、もうそこはパチンコやっているわけよ、みんな。……
 もう別世界。自分たちがやっていることって、モダニズムに過ぎないって、そのとき実感しましてね。
 だから万博で一区切りついて、三波春夫がああいう唄を歌っててね。ある種の通俗性だよね。あの通俗性は、でも人の心を捉えるわけですねよ。人の心を捉えるというのは、日本人の下意識っていうか、意識の下の部分にはそういうものがあるわけでしょう。庶民がスーと入っていくような世界が。
 学生の空騒ぎみたいなモダニズムと、全然違うなと。それで、伝統とか日本的なものって何だろう? 自分のアイディンティティーって何だろうとうって、
そういうことを考えはじめてね。≫

−−−−−−★−−−−−−
デモしていた 横須賀で 原子力艦船寄港 反対デモか
デモの隊列抜けた 疲れたわけじゃない
道路隔てた向こう側を歩いた
デモ隊をデモしない人として見たかった 
己を客観視したかった

向こうから 米軍制服を来たふたりの男がきた
上等な生地 仕立て 軍籍上級クラスとみた 
ふたり 脇道に入った 
デモ隊 コバエでも追い払うかのように
後を追った
子らの話でしているのかのよう 談笑し歩いている

負けた! 胸中に奔った

2023/11/01(水) 晴れ


敗戦後少年


きのう 弐ノ巻 編集後記 と記したが
編集後記「無銘刀」と題していた
壱ノ巻 めくって気づく
創刊から傘張浪人と揶揄していたのだ(呵呵)

壱ノ巻「無銘刀」 抜粋
<昭和45年11月25日、西暦1970年。就職して4回目の給料日の午後のことだった。
何とか潜り込んだ出版社からさほど遠くない市ヶ谷の自衛隊駐屯地で
三島由紀夫が切腹した、と家内から電話で知らされた。社への初めてだったので、身内の訃報かと思った。
当時、給料は現金支給で、“清貧”の日々、給料日の晩餐は格別のものであったが、この日は家路に足が向かわず、学生時代馴染みの喫茶店のボックスでうずくまっていた。
三島由紀夫は高校時代、幾つかの小説を愛読していたが、左翼学生となった頃は三島由紀夫の“振る舞い”は嘲笑すべきものと、片隅に追いやっていた。
この日の三島由紀夫の振る舞いは自分だけ生き延びている後ろめたさと、得も言われぬ寂寥感を私の体の奥に貼り付けさせた。>
 
家内 公衆電話からだ 拙宅にはで電話など贅沢品はなかった
なぜ 電話してきたか 書棚には三島由紀夫の本 一冊もなかったはずだ
手がかりは[切腹]だったか
 
弐ノ巻 三島由紀夫 特集
前田も大賛成 
【編集長対談 論客 猪瀬直樹 
三島由紀夫が 己の腹に放った刃{やいば}を 我らが胸に抱く日が来た】

猪瀬氏『ペルソナ―三島由紀夫伝』 讀んでいた
『ミカドの肖像』『日本国の研究』も讀んでいた
猪瀬氏とは同じ1946年生まれ
信州大学全共闘議長 左翼学生も同じだ
既成の左翼に幻滅したのも同じだ
橋川文三を敬愛していたのも同じだ
猪瀬氏 明治大学院で直に教えを請う

対談の依頼で氏の事務所にで向く
同じ敗戦後少年だが 事務所の立派さは桁違いだった(呵呵)
2023/10/31(火) 薄曇り


やわら


壱ノ巻
【日本伝柔術の世界 小佐野淳】
小佐野淳 ウキペディアで検索できるだろう

文中 鉛筆で棒線 引かれている部分 拙者が引いたのだ

≪日本古来の相撲・甲冑組討が、徳川時代になって
武士を武士を担い手とする教育手段として昇華した徒手武術が柔術であると考えられている。≫
≪甲冑組討の進歩は、単なる力の激突から脱皮して、いかに合理的に敵を倒せるかという「術」の要素が含有するようになる。
 そこに実戦的経験から生まれた「理論」が形成され、理論がさらに具体化された技法を導き、「事理一致」の武術形式が成立する。それが近世になると、伝授方法による武士教育としてさらに細分化され、ここに幾多の流儀が誕生した。≫

 
≪柔術は元来「やわら」と訓んだ(訓読)。しかし、今では「じゅうじゅつ」と訓む。柔の文字は、近世の徒手武術を表現するに最も適した文字だった。
やわらかく取るのが柔術の特徴であり、「柔能征剛」が柔術の基本だった。
 柔術が他の武道と決定的に異なる部分は、最終の止めの技を以て敵を殺傷しないところにある。柔術には「神武不殺」の精神が根底に流れ、殺傷は最低下劣な行為とされている。
 殺さないために武器は所持しない。瞬時に逆手を取って捻じ押さえ、あるいは当味を入れて投げて固める。これが柔術の技法である。≫

≪日本伝柔術ではまず、厳格なを伴う。単独で稽古することはない。これら(受身、体捌、当身)技術は相手と組んで、実際の形の中で稽古する。だから十回受け身の稽古をしたい場合には十回投げられる。実際に投げた感覚と投げられた感覚を徹底的に体で覚える。両者が慣れくれば、形そのものが次第に角がとれて奇麗になってくる。無駄がなくなって理に適った形となる。形の全てはこの方法で身につける。≫


日本伝柔術は形の教習が全である と云っても過言ではない
形とは<やわら>である

−−−−−−★−−−−−−
弐ノ巻 編集後記
<十歳に満たない頃であろうか。祖母が「日本の兵隊さんは一対一なら負けなかった」と語った。それを聞き、小石を戦艦 戦闘機に見立て、米艦隊、戦闘機を撃沈、撃墜させて遊んだ。この言葉は子供ながら唯一の救いだったのだろう。>

小佐野さんからハガキ 届く
落涙したと

拙者より一回り歳下の小佐野さんにも
祖母の言葉は届いた

明日からは 弐ノ巻
2023/10/30(月) 晴れ


活法 殺法

パリッシュ
日本人の知らない漢字 知っていると
たしかに
『活殺法の秘奥』『臨床武道医学』
拙者 読めない 書けない漢字
整体院 行った折
居合いの袴(野袴) ハンガーに吊るしてあって笑った
やはりガイジンだ YOUだ
畳むという日ノ本文化とは無縁だった

YOUは何しに日本へ?
ブルース・リーに憧れ アメリカへ
武道はアメリカにはない と日ノ本へ
YOUはイラン出身 母方はフランス系とか

イラン出身のYOUが
日本武道医学会二代目会長になれたか

大日本武徳会柔道範士九段 中山清との出会いだ
中山に こんな逸話がある
米國で柔術(柔道)を講習した折
米國人から「なぜ赤帯を締めているのか?」と聞かる
「日本には武医同術があり
武道の高段者であれば 
必ず応急手当の技術を身につけなければならない
応急手当の技術を出来る指導者は赤帯を締められる」と答える

パリッシュ 武道医学の道を歩ませた
《武道医学を一つの巨大な学問として創設した中山清先生は、
いつも「救急法を出来ない武道家には武道を教える資格はない」、
また「応急手当が出来ない治療家は治療院を開くべきではない」と
言っておられた。》

《殺活自在などの技法に欠かせないのは、急所という経路上に存在する
生命の活動点が使われる。急所は柔術の口伝によると、「急に」
すなわち「すみやかに」響く所で、生命の様々な活動点である。
急所には毒変じて薬となる」如く、表裏一体の作用があり、
当身で急所を打てば殺法となり、相手を救うためには「救所」を治療点として活法になるのである。これは表裏一体、殺活自在の武医学同術、すなわち武道医学の世界である。》

−−−−−−★−−−−−−
殺法=柔術で当て身で相手を気絶させる
活法=気絶させた相手を蘇生させる
東映時代劇でよく観た 背中をポンと叩くと蘇生した

パリッシュの村正
先生・中山清から譲り受けた
パリッシュ 日ノ本を去るときがあったら
村正は日本へ置いていくと
外の国へ運んではいけないと
その際 拙者にくれ と云ったら
YOU ノー・コメント
2023/10/29(日) 晴れ


武医同術


ハマス⇔イスラエル
古くて新しい宗教戦争
宗教と戦争はセット

かつて武道は 
殺法と活法のセットであった

ハバロスクサンボツアー 二回目だったか
無料招待 読者応募 一名
ハガキ どのくらい來たか記憶ない
その中から一名 選んだ
いや 故意に選んだ
ハガキの主 サイード・パリッシュ
どんな奴だ

俺は第一回 団長で充分
サメの刺身には閉口 二回目からは“代打”

パリッシュとその後 会う
なにせ同じ中央線の“お隣さん”
三鷹で整体院開業していた

出版局在の折 
活殺法の秘奥―武道医学極意 柔術整骨医法
臨床武道医学―続・武道整体医法
二冊 刊行“してやった”

居合を誘ったのはパリッシュ
三鷹に天然理心流 居合道場があった

「武医同術」 東郷平八郎の色紙コピー 頂戴
(どこかへいった 探せば出てくるだろう)
パリッシュ “妖刀”「村正」 持っていた
これはあげないと

あすは 壱ノ巻
【武道家のための 日本武道医学
かつて武道のカリキュラムに「医術」があった。
忘れられた「武医同術」】
サイード・パリッシュ
(日本武道医学会二代目会長 日本武道医学専門学院院長)
2023/10/28(土) 晴れ


<いのち>


清水 博 【「間合い」と「場」】

≪柳生新陰流の間合いというものを柳生(延春)先生が語られているところを伺うと、間合いには身体的、直観的に創出された場としての空間の中でこそはじめて成立する関係であって、その場としての時空間には、自己と相手の心理や運動性を含めて様々な暗在的存在している様です。
 それは斬り合いの状態にある双方を自己限定的に包摂する場としての空間と時間の中で距離を意味するものでも、また物理的な意味でのスピードを意味するものではありません。この「場」としての時空間の創出ということがなければ、剣道は外的的世界の因果率にしたがうゲームとなってしまいます。≫

清水氏 剣道家ではない
氏の「間合い」と「場」を解説するのに柳生新陰流を出してきた
剣道が外的的世界の因果率にしたがうゲームとなれば
それはモグラ叩きでしかないと

≪「場」としての時空間の創出≫
これが清水氏のエッセンスである

二十五年ぶりに讀んで
ふと 空海を想い出した いや
司馬遼太郎の『空海の風景』を想い出した

人は死ねば すべて宇宙の塵となる
この一節 いや 本文の一節ではなく
司馬が空海はそう考えている とのことだったか

塵はほこり ごみではない
<いのち>だ
<いのち>として昇華していく そんな意味合いだ

清水氏 いま こんなこと云っている
「人間が自分自身の〈いのち〉を空洞化して
仮想空間に住む人工物に置き換えていくという信じられない
変化が世界的に進行しています。
これは「他の人より多くを 独占したい」という、
「この私」の独占欲から生まれてくる心の病です。
私たちがこの不幸から解放されるためには、
「この私」という概念そのものがすでに 〈いのち〉のない仮想モデルであることに気づいて、「誰もが主役」という〈いのち〉本来のドラマを共創していく実践が必要です。」

千二百年前の空海の言葉に変えたら
「生の謳歌を肯定し 後には その当然の属性である愛欲すらも
宇宙の真理のひとつの表現」
とでもなるのか
2023/10/27(金) 晴れ


見立て


松岡正剛氏 つづける
≪このように仕切ったり、割ったりしていくと、そこに新たな関係が見えてくることを、日本人は昔から「コトワリ」と言った。
 コトワリを漢字にあてはめれば「理」であるが、もともとは「言割り」であって、また「言割り」であって、また「事割り」で、目の前の事態をただちに割ってみせることをいう。簡単なような拍子にしても、それを割っていくと意外に複雑になるものなのだ。
 戦前の天皇制のように象徴化しすぎることも、戦後民主主義のように個人に帰着させることも、コトワリではなかったのである。コトワリはもっと変異するものなのである。
 日本の文化や伝統の本質を伝えることは、説明が進むにつれてしだいに多重的なっていった方がいいということだ。日本は以心伝心の国だから、単純な本質用語だけで説明しようとしたり、欧米向けにロジカルにしようとしすぎたり、個人の自由意思に結論を委ねようとすると、何も伝わったことにならない。
 日本文化は逆なのだ。一点、一線、一所作に向かってたくさんなことが静かに襲来しているわけで、その多様な襲来を言い当てる“一時多様性”ともいうべき説明力が必要なのである。≫

−−−−−−★−−−−−−
日本のアニメ 世界を席巻しつづけている
なぜ?
「見立て」である 
松岡氏の造語 “一時多様性”「見立て」ではないか

神に見立てる依り代{よりしろ}といもの 古くからある
神霊が招き寄せられて乗り移るものである
大木とか巨石とか 神霊の代りとして祭る

能 神を「翁{おきな}」に見立てる
対象を別の物になぞらえ 実在しない物をあるように思い描く
対象をそのまま描くのではなく 他の何かによって表現する

日本のアニメのキャラクター 
皆 「見立て」である

日本庭園 「枯山水」 白砂や小石「水の流れ」の見立て
落語 噺家の持つ扇子 蕎麦を食べるときの箸の見立て
お母さんがつくるキャラクター弁当  これも見立て
日本のアニメ 神道をはじめとする
能であり 日本庭園であり 落語であると
なぜ 世界に発信しない
説明責任 アカウンタビリティを放棄するな

松岡正剛氏 曰く
≪われわれは日本について説明を怠ってきた。
大げさなものでなくてもいい
目の前の鏡餅ひとつ、帯ひとつ、鼓ひとつから日本を語り尽くしてみようという語り口がない。そのような勇気が欠けている。≫

あすは 清水 博 【「間合い」と「場」】
2023/10/26(木) 晴れ


打たない拍子


松岡正剛氏 つづける
≪また、たとえば「日本の本質は拍子にある」とも言うことがっできる。
太鼓も三味線も、三三七拍子も、日本の芸の大半は拍子でっできている。
 その拍子は古来から辿れば、そもそも四拍子からできていて、
それを割ると単純な二拍子になるのでなく、そのいちいちに表と裏が出現する。
そこがおもしろい。
 打つも拍子だが、打たないときも拍子なのっである。ちなみに
柳生宗矩の『兵法家伝書』には無拍子ということさえ言及されている。≫

『兵法家伝書』 出てきた
武道通信読者 意識してくれたのだろう
出だしの 宮本武蔵といい さすがだ
  
宗矩 こう書いている
「あふ拍子をあしし、あはぬ拍子をよしとす。拍子にあへば、敵の太刀つかひようなる也。拍子がちがへば、敵の太刀つかはれぬ也。敵の太刀のつかひにくき様に打つべし。つくるもこすも、無拍子にうつべし。惣別のる拍子は悪しき也。
たとへば上手のうたひはのらずしてあひをゆく程に、下手鼓はうちかぬる也。上手のうたひに下手鼓。上手の鼓にへたうたひの様に、うたひにくく、打ちにくき様に敵へしかくるを大拍子小拍子、小拍子大拍子と云ふ也。」
あふ=合う あしい=悪し あはぬ=合わない よし=良し

宗矩 こう云いたいのだ
「拍子が合う」というのは、劍を交える二人が 
ともに同一の時間意識の中にいるということだ
同一の枠組み 骨組みの中にいるのであれば
あとは神経反射の速さ 筋肉骨格の強さで決まる
劍術の極意は 
「拍子をはず」して<相手の時間>をずらすことだ 

宗矩の云うこと こういうことではないか
三三七拍子
某日本民俗音楽学会会長 曰く
3,3,7の次に それぞれ間があるため、
実質的には 四四八拍子にあたると

要は 打たない拍子がある これが「無拍子」
拍子の拍と拍の「あいだ」に撃ち込むことだ
相手の拍子に乗り「三」「三」「七」の次の
打たない「四」「四」「八」で撃ち込む

おわかりか? 

あすは <一時多様性>
2023/10/25(水) 晴れ


仕切りは動く


松岡正剛氏
まず フランスの宮本武蔵展へ向け相談を受ける
「HIDEN」(秘伝)との言葉がフランスで流行
≪フランス人は以前からサムライという言葉に惹かれていたが、その中身は
スタイルの魅力を超えるものではなかった。(武士を)神秘化しすぎていて、誤解が多い。≫

それは日本の良さをどのように伝えるか、我々はあまり訓練していないからだ
講談社『日本美術文化全集』と企画構成したとき
美術史家たちの言葉が最もわかりにくく 日本人にさえ何もつたわらないことだったと云う

≪日本文化の本質を語るには、いろいろな視点がありうる。
たとえば「日本には仕切りである」と言うこともできえる。ただし、そう言っただけでは何も伝わらない。
仕切りは「間仕切り」という言葉であらわされているように、
空間を仕切ることでもあるが、それとともに時間も巧みに切り取っていく。
その時間の独特な切れ味が、襖一枚や屏風一双で出現したり消滅したりする。》

広辞苑 し‐きり【仕切り】
@しきること。また、しきるもの。「―を取り払う」
A取引や帳簿のしめくくり。
B相撲で両力士が土俵上に相対し、立合いの身構えをすること。
C四十九日の法事。忌明ひあき。

≪仕切りには間仕切りという言葉もあるように≫
「間仕切り」広辞苑にない 大辞林にあった
ま-じきり【間仕切り】
部屋の仕切り。壁や襖(フスマ)など。

≪が、もっと正確にいうなら、仕切りはつねに「主客の線」というものが相互に想定されていて、その線を呼吸のように互いが認識していくことが仕切りの命なのである。
それは相撲の仕切りにも端的にあらわれているし、剣道の立ち合いにも、茶道の畳の線にもあらわれている。
しかしさらに、実は見ない「主客の線」というものもあるんであって、本当は、この瞬間に現われて移りゆく仕切りの動向というものが、いちばん日本らしいところなのである。≫
うーん 難解である

竹刀剣道と激劍と<仕切り>の違いはわかる
竹刀剣道 線と線
激劍 線と点 
線を点で断ち切る とでも云おうか

あすにつづく
2023/10/24(火) 晴れ


仕切りと間合


ゆうべ 半月
拙著『武女――乱世を生きた夫婦の絆』
「人々は月を見て、ひと月の日付を確認した」
いまの世  映画/ТVなど
もっと月を出すべきと進言
その成果 天体望遠鏡で撮ったような
月のド・アップ よく見る
拙者のせいか そんなわけないか
月に ひとは感情移入できるからだろう
主人公の気持 投影できえるからだろ

−−−−−−★−−−−−−
【武道の中の日本――松岡正剛
仕切りと拍子  
―日本の文化を語るのには「仕切り」と「拍子」がある。
この語り口から武道の今日性を問うと
武道の拡張化、すなわ武道を文化や生活にするための努力が問われてくる】

松岡正剛の名
学生時代 本屋で見かけた 雑誌『遊』
ウェブ「千夜千冊」 一夜一夜 讀ませていただいた

前田日明 面識あったようだ 
で 連載 お頼みした

【「間合い」と「場」――清水 博
剣道ロボットに一言。柳生新陰流の「間合い」とは】

清水氏 どこかで「場」を論じていた
気になった御仁だった
お尋ねし 原稿お願いした次第

御両人 ウキペディァ 検索なされば
只者ではないとお判りだろう

あすから
二つの原稿 拝読してみよう
2023/10/23(月) 晴れ


日本刀の反り どこからきた


日本刀を鑑ると、この国の
かたちが見えてくる

日本刀 湾刀 反りがある
日本列島に似ているから(呵々)
冗談 冗談 日本國の自画像という意味だ
日本刀に対する 最高のキャッフレーズだ
高山武士氏 お墨付き

直刀時代 弥生→古墳→奈良・平安初期まで 凡そ千年
なぜ反りのある湾刀 出現したか
何年ごろ どこの誰が 部族が反りのある刀をつくり 使ったか
いまだ 謎である
仮説はある

高山武士氏 一ノ巻 
【日本独自の湾刀を最初に使ったは
古代東北軍(蝦夷)だった?】
仮説の根拠
私兵化する時期と湾刀化がほぼ一致する
私兵とは皇軍でない 天皇の軍ではない
反乱を起した平将門のような軍

天皇の軍 平安まで
最後は明治から昭和二十年 敗戰まで

高山氏 末尾
「いずれにせよ、資料が乏しく変化の性格な理由は明らかでなく、
謎は続きそうである。」

籏谷嘉辰 説
馬上対決 鎬{しのぎ}で 相手の剣を凌いで首を刺す
馬上対決が湾刀を生んだ

あの反りは 大きい小さいは別として
法則があるのか?
江戸の世の水心正秀の「円規法」でよいのか
否と云った御仁がいた

新潟の研師 倉島 一 
【日本刀千年の姿を 一本の鎖で解明する   
――日本刀の反りは円の一部でも、放物線でもなく、懸垂戦である】
十三頁にわたりコンピューター図と写真を交え 
長年の常識を覆す
後年 新潟大學 某教授の協力を得て
原稿をもって上京された

高山氏 「反り」には言及していなかった
剣術には興味ないせいか

反りには大別して三つ
<華表反り{とりいぞり}> *種類となると そり→ぞり と濁点つく
刀身のほぼ中央に反りの中心がある
<腰反り{こしぞり}>
棟区に近い刀身の腰の付近で強く反る
<先反り{さきそり}>
刀身全体に反りがあるが 中ほどから上部が特に強いもの
『刀剣鑑定読本』より

−−−−−−★−−−−−−
チャンバラ映画 ヒーロー
「丹下左膳」大河内傳次郎 
「鞍馬天狗」嵐寛寿郎 
「旗本退屈男」市川歌右衛門
どんな反りが好きだっただろう

拙者 <先反り>
日本列島の形に一番 近いから(呵々)
2023/10/22(日) 晴れ


火をくぐる


【日本刀が神へと
昇華してゆくために 美しくなければならない】
⇒研ぎで美しくなる

刀は御神体 熱田神宮 如く
神々しいためのに 刀の美しくなければならない
そこに研師の技術 美学が介添してはじめて
美しく 神々しくなる

【他の伝統工芸品と刀は どこが違うのか
火の中をくぐり、禊する】

神道の本髄
清く あきらめく つまり清明
火の中をくぐり穢れを払い 禊する

陶磁器も火の中をくぐる が 神にはならない
刀は武器である 命を護る
原料は鉄である また火をくぐれば再生可能 焼き物は不可

【日本刀は、常に穢れなき清明なもの
研ぐことでより洗い流す】
⇒研ぐには水を使う

砥石で表面を削ることで 中から火をくぐって焼入れされた
清明が現われる 研ぐことで清明が現われる 
人を斬ったときの穢れも 研ぎで洗い流し 清明さ取り戻す

【先祖は“いのち”がテーマ
ゆえに日本刀は邪悪をはねのける役割】
⇒いまでも残る枕刀 

古墳の石棺に残る 剣
生命力の強いものを棺にいれることで
その生命が移動して いつか死者が蘇ってほしいとの祈りである

−−−−−−★−−−−−−
亡父の棺桶の上に 己が焼入れした短刀を置いた

むかしむかし 村の祭りで「火渡り」あった
行者が念じている間に村人たち 焚き火を上 渡る
ガキの小生 怖くて一番最後 渡る
どおりで 穢れを払い落ちてない(呵々)
2023/10/21(土) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信日


イスラム組織ハマスとイスラエル軍の戦闘
ガザ側の死者が3785人
イスラエル側の死者と合わせ死者は計5100人以上

鎖帷子剣士
石器時代のままに止まってしまった、
恐るべき宗教認識の大衝突

一筆 記している


「あと四つ 明日に」
訂正 明後日に
2023/10/20(金) 晴れ


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