■打たない拍子
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松岡正剛氏 つづける ≪また、たとえば「日本の本質は拍子にある」とも言うことがっできる。 太鼓も三味線も、三三七拍子も、日本の芸の大半は拍子でっできている。 その拍子は古来から辿れば、そもそも四拍子からできていて、 それを割ると単純な二拍子になるのでなく、そのいちいちに表と裏が出現する。 そこがおもしろい。 打つも拍子だが、打たないときも拍子なのっである。ちなみに 柳生宗矩の『兵法家伝書』には無拍子ということさえ言及されている。≫
『兵法家伝書』 出てきた 武道通信読者 意識してくれたのだろう 出だしの 宮本武蔵といい さすがだ 宗矩 こう書いている 「あふ拍子をあしし、あはぬ拍子をよしとす。拍子にあへば、敵の太刀つかひようなる也。拍子がちがへば、敵の太刀つかはれぬ也。敵の太刀のつかひにくき様に打つべし。つくるもこすも、無拍子にうつべし。惣別のる拍子は悪しき也。 たとへば上手のうたひはのらずしてあひをゆく程に、下手鼓はうちかぬる也。上手のうたひに下手鼓。上手の鼓にへたうたひの様に、うたひにくく、打ちにくき様に敵へしかくるを大拍子小拍子、小拍子大拍子と云ふ也。」 あふ=合う あしい=悪し あはぬ=合わない よし=良し
宗矩 こう云いたいのだ 「拍子が合う」というのは、劍を交える二人が ともに同一の時間意識の中にいるということだ 同一の枠組み 骨組みの中にいるのであれば あとは神経反射の速さ 筋肉骨格の強さで決まる 劍術の極意は 「拍子をはず」して<相手の時間>をずらすことだ
宗矩の云うこと こういうことではないか 三三七拍子 某日本民俗音楽学会会長 曰く 3,3,7の次に それぞれ間があるため、 実質的には 四四八拍子にあたると
要は 打たない拍子がある これが「無拍子」 拍子の拍と拍の「あいだ」に撃ち込むことだ 相手の拍子に乗り「三」「三」「七」の次の 打たない「四」「四」「八」で撃ち込む
おわかりか?
あすは <一時多様性>
2023/10/25(水) |
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