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記憶の遺伝子


日ノ本 儒教 伝わったの六世紀初め
『日本書紀』
その影響 朝廷の祭祀/儀礼/制度/文物 に関わるものだけ
腹辟沼のよう日ノ本の民族の古層まで及ぶものではなかった

腹辟沼の伝承の背後にあるもの
神に祈りが通じなかった巫女の自己供養が秘められている
『日本人はなぜ切腹するのか』千葉徳爾{とくじ}

巫女は腹を辟{さ}き 生命の宿りである脾臓を引き出し
神々に捧げ 沼に身を投げた

古代の日ノ本人 命は腹の中 内臓に宿っていると考えていた
それは縄文の世からかであろうか

『日本人はなぜ切腹するのか』 図書館で見つけ手にする
図書館へ返却してからアマゾンで注文 手元にある
ひと昔前の この欄にて
縄文土器の縄でつけたような文様 あれは腸を形どったと書いた
蛇 信仰 蛇の生命力 腸と関係あると当てずっぽうした

この古層の風習が 武士の登場をもって 
民族文化における死の型の一つとなったわけであるが 
<腹>は広く メタファーとなる
<腹> 前方一致で辞書引く

⇒腹が癒える⇒腹が痛む⇒腹が居る⇒腹が大きい⇒腹が来た
⇒腹が下る⇒腹が黒い⇒腹が据わる⇒腹が立つ⇒腹ができる
⇒腹が出る⇒腹が無い⇒腹が煮える⇒腹が張る⇒腹が膨れる
⇒腹が太い⇒腹が減っては軍はできぬ⇒腹が捩れる⇒腹に一物
⇒腹に納める⇒腹に落ちる⇒腹に据えかねる⇒腹の筋を縒る
⇒腹は借物⇒腹も身の内⇒腹を合わす⇒腹を痛める⇒腹を癒す
⇒腹をえぐる⇒腹を抱える⇒腹を固める⇒腹を決める⇒腹を切る
⇒腹を括る⇒腹を拵える⇒腹を肥やす⇒腹を探る⇒腹を据える
⇒腹を立てる⇒腹を見抜く⇒腹を見られる⇒腹を召す⇒腹を読む

腹 慣用句 役割果たしているものの
切腹の記憶の遺伝子は消え果てた と思いきや
“三島事件”で立ち現れた
この古層の記憶の遺伝子
再び 立ち上がる日 くるのだろうか
2023/11/26(日) 晴れ


切腹の日


きょうは「切腹の日」
傘張り浪人 名づける
わからぬ御仁は それでよい
わかる御仁は わかる それでよい

四ノ巻
【儒教と殉死
 切腹に見る原儒の風景 
江戸幕府はなぜ殉死という生の表現を封殺したのか
はたして儒教とは本来、そういうものであったのか。
小杉英了】

概要 
日ノ本 最初の切腹 『播磨国風土記』による
(原本 はるか昔に失われ 現存するは三条西家に伝来した古写本)
巫女が怨みと怒りのあまり 腹を辟{さ}き 沼に入水
この沼を腹辟沼{はらさきぬま}と云ふ

武士の登場をもって 切腹 民族文化における死の型の一つとなる
義経の忠臣 佐藤忠信{ただのぶ}二十五歳 十文字腹の作法
末代の手本となる 『義経記』 (室町初期成立 作者未詳)

鎌倉幕府最後の六波羅探題
北條仲時の自刃に 四三二人が集団 切腹/殉死
『太平記』(四十巻 作者 小島法師説が有力
北条高時失政・建武中興から南北朝時代五十余年間の争乱の様)

戦乱 去った江戸の世
落城・討死セット 終焉 
主君が自然死したあとを追って腹を切る 追腹
家康 殉死を禁じるが あとを絶たない
四代家綱 厳罰をもって禁止 反した息子 斬首 一族 所払い
殉死 鳴りをひそめる
五代綱吉 「武家諸法度」 
ここに「弓馬の道」 儒教的 忠孝/礼儀に席を譲る
武士の内面にたぎり立つものを鎮め 新たな秩序に沿わせるて慰撫する
官学イデオロギー

けれども 果たして本来の儒教とは
そのようなものであったかのか

ちょっくら 出掛けてくる
概要 中身はあした
2023/11/25(土) 晴れ


和を以て貴し

きょうは「和食の日」とか
和食のメソッドと云うか エッセンスと云うか
その心 何か おわかりか

聖徳太子が定めたとされる
「十七条憲法」第一条
<和を以て貴しと為す> の「和」なのである

もともとは「論語」の中にある 孔子の弟子の言葉
「礼之用和為貴(礼の用は和を貴しと為す)」

呉氏 云ってます
≪「和」の本体にあたるのは「礼」「礼」の作用が「和」≫
「和」は副次的なものだ

みんな一緒 儒教では「同」
みんな均一 ということ
「同」は いわば水のようなもの どこをすくっても水
「和」は いろんなものがごった煮になって
一つの調和した味をもっている
これが対談 タイトル
【和をもって尊し 和はごった煮スープ】

が 聖徳太子の「和」は ちょっと違う
古から日ノ本人 大陸からやってきたもの
自己流にアレンジするの 得意
「論語」の<和>もしかり
仏教風に味付けした
「和」を副次的なものでなく 主 一次的なものにした

「礼」とは秩序のこと 秩序が一番
秩序を保っていくには ギスギスしないように「和」も大事

聖徳太子の「和」
「忖度する」でも「空気を読む」でもない
十分議論したうえでみんなが納得し 和合しましょう

さて 和食は ごった煮スープか
聖徳太子の和合か

さて 
あしたは何の日?
2023/11/24(金) 晴れ


孔子


《呉→今から十年前だけど、小説家の井上靖って人が「孔子」という本を出してベストセラーになったんですよ。これは内容もかなり問題があるんだけれども、外国にも三十ヵ国ぐあい翻訳されているんですよね。ところが、まともな研究者で評価している人は、誰一人いない。》
 
《呉→孔子の一代記ですよ。伝記なんだけどね、ところがこれがもう、今の学者では誰もこんな説はとらないという七、八〇十年前のイメージのまま、その時代の知識で固定したまま、堅苦しい求道者というイメージを作っちゃったんです。》

《呉→儒教というのはえね、英語ではコンフューシャニズムって言うんですが、これは「孔夫子」を支那読みした「コン・フー・シ」から来てるんですね。
「夫子」というのは「先生」を丁重に言った言い方ですね。だから「コン・フー・シ主義」、つまり孔子主義というのが儒教なんですよ。》

呉氏 孔子が説いたこと以外にも儒教に他の要素がいろいろと混入されているが あくまでも孔子が説いたことが中核
論語の中にも後でつくられたものも入っているが やはり原典になるものは論語と云う

朱子学も陽明学も 時代が過ぎ弊害化してとき唱えられたわけだが
原典はやはり論語なのか

呉氏 論語の中にある「天子」を語る
天命を受けて人民を治めるから天子 大和言葉 「天皇」になる
「天子」いろいろ書かれているだろうと思いきや
たった一箇所 内容はこうだ
天下が治まっている時には 天子から法令が発せられる
ちょっと乱れている時には 諸侯から 日ノ本なら大名
もっと乱れている時には 諸侯の下の下級武士から
つまり 國の法令が発令される順位のところで一箇所だけ
天子は立派だとか 敬えとか出てこない

日ノ本の「天皇」 漢字だけちょっと拝借したが大分 違う
治世の象徴との意味合いが強い
江戸の世 
水戸学 二代徳川光圀 朱子学をベースに国学/史学/神道を結び合させた
後期と称される水戸学 皇室の尊厳を説き尊王攘夷の大きな影響及ぼす
水戸学も時の流れで切り口が変わる

−−−−−−★−−−−−−
最後の征夷大将軍 徳川慶喜
大政奉還 告げる前の夜
「論語」 一節 口ずさんだやも知れぬ
しかし 王政復古の大号令に異を唱え 鳥羽伏見の戦い後
江戸に逃亡する前の夜
「論語」 一節 口ずさんだやも知れぬ
して水戸へ謹慎される前の夜
「論語」 一節 口にしたやも知れぬ

拙者も論語 口ずさんでみようか
朋遠方より来ず またせいせいするや
2023/11/23(木) 晴れ


切り口


論客対談 リード(前文)
≪◆対談日平成十一年三月十三日。三月からご両親介護のため名古屋へ引っ越された呉氏には、この日が移転初の状況となった。
リングス事務所に立ち現れたときのたたずまいが何とも言えず、「カメラマンが外で撮りましょう」と囁いた。リングス事務所の前のベランダで表紙初の室外撮影となった。
前田日明と対談すると言ったら、みんなから「ウォ〜」と言われたと、格闘技オンチを自認する呉氏の軽いジャブから始まった。≫

やはりそうか 記憶まちがいなかった
名古屋からの運賃 杉山頴男事務所で支払った記憶 まったくない
たぶん払ってない 対談謝礼は払った トントンか

リードの後に写真 岩波新書eクラシックス『論語』
「呉氏が解説用に持参した『論語』。大いに役立つ」
対談途中 頁めくり ココにと示す

【和をもって尊し 和はごった煮スープ 論客 呉智英】
はじまりはじまり

前田 『封建主義者かく語りき』讀んで感銘うけた部分
フランス革命以後二〇〇年間の民主主義体制下 かなりの戦争が起こっている
封建制時代には そんなに起こっていなかった
大半の人が事実に反したイメージを信じきってしまっている
儒教もそういう意味ですごく誤解されている
そのあたりをお聞かせください

呉氏 曰く
儒教に限らず 思想体系 切り方によっていろんな見方 切り口が出る
大抵の人 そのうちの一つの切り口しか知らない

−−−−−−★−−−−−−
『人新世の「資本論」』 2020年刊
たちまち重版 重版 50万部
マルクスの晩期を切り口に
マルクスの思想体系に一石を投じた

兵頭二十八さん 
儒教に対等な人間関係はない
儒教圏では地位が上となり得た側はそれ以後
下位者に対してどんな無体な要求もできる
下位者と約束したことなどすべて破っても許される

儒教とはシナ家族の全面肯定に他ならない
君臣関係/朋友関係は例外規定であり
標準は父子関係/夫婦関係/長幼(兄弟)関係である
それは狭い小家族のルールである
それを国家や国際にまで適用しようというのだ
軍学者 軍事からの切り口

−−−−−−★−−−−−−
前田→儒教は究極の理想的な個人主義を説いている
個人の国家に対する役割
友人に対する友人としての役割
家族に対する役割 父親 母親の役割
個人がスタートラインになっている

呉→前田さんが言ったような個人が中心になっていくのは
ずっとあと
孔子が儒教を説いたころ(紀元前479年没)は
共同体が完全に生きている時代 
個人は前面にでてこなかった
孟子(紀元前289年没)のあたりから大きく変化する
特に宋の時代(960年〜1279年)の朱子学 非常に整理された形に

朱子学 西洋哲学におけるヘーゲルみたいだと言われる
朱子学の世界観 個人があって それを基本として社会が外側に広がっていく
そして今度は 社会を内側に向かって関知するという構造

前田さんが言った個人 まさに朱子学の個人で
朱子学 八条目の中の「修身」の<身>に当たる
個人がうまくいって 家族がうまくいって それで国が治まる
さらに世界も治まる

で この個人の内側 さらに何かと云うと
「誠意・誠心」であり さらにその内側にはあたるのが
格物致知{かくぶつちち}→ものの本質を理解して知を致す(成す)
人間の心のあり方を云う
そのことによって 個人の中の「意」が誠になり
心が正しくなる 
その個人が自ずと世界に広がっていく

−−−−−−★−−−−−−
幕府 湯島聖堂{ゆしませいどう}(孔子廟)建て
朱子学 推奨
湯島聖堂が建って十二年後
大石内蔵助ら討ち入り 亡き主の仇討つ

仇討は朱子学に反するのか
幕府お抱え儒者たち 即刻 打ち首
世相 大喝采
で 儒教でなく 政治的判断 尊厳死 切腹

大石内蔵助
個人の中の「意」が誠になりと
討ち入りしたのか
 
2023/11/22(水) 晴れ


物差し


四ノ巻
編集長敬白 前田日明
≪アレキサンダー・カレリンとの引退試合は「強さ」の物差しといったものが、自分の中に持てたことが一番の収穫だった。自分の強さ、いままで戦ってきた選手やリングスの選手の強さが測れる、狂いのない物差しを与えてくれた。≫

前田の<いまを生きる>物差しは儒教
前田が考える儒教とは 
個人のあり方を追及する生活哲学
個人と社会に対してどうあるべきか 
個人は社会に対してどうあるべきかを追及している
天国も地獄もない 生というものを正面から捉えている
宗教にならなかった儒教

前田 たっての推薦
論客 呉 智英{くれ ともふさ/ご ちえい}

呉氏 著 『封建主義者かく語りき』 慌てて讀む
拙者と同じ歳
部活 社研(社会科学研究会)も同じ 大学は違うが

この対談の折り 
親の介護で実家に戻っていたころだったと記憶する
愛知から わざわざ来ていただいたのか

後年 書籍/インタビューで 
「支那」を差別語とする風潮 批判 支那は世界共通語

支那そば屋の看板 共産党系 差別だ 降ろせと脅す
メニューからも外せ
日ノ本 ずっと「支那」  支那事変とか

支那人の自称 「支那」  英国人 チャイナ(China)と聞こえた
これ 兵頭二十八さんから聴いた 「中国」 世界の中心 中華の美称語
で 拙者 「日本」の美称語 「日ノ本」→日づる國

死刑制度 
人民が本来持っていた自然権であるところの「復讐権」を国家が奪う
仇討ち制度の復活を唱える
同じ社研から“転向”した者
仇討ち制度の復活 大いに賛同  

−−−−−−★−−−−−−
拙者の「物差し」とは いかに
十代/二十代/三十代 
年代ごとにあったような気がする
己が「何者」か が見えたとき
物差しは消えた気がする
2023/11/21(火) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信日


きょうも いい天気だ
きょうは 武道通信かわら版配信日だ
きょうは 102回全国高校サッカー選手権大会 
組み合わせ抽選会の日だ

21日は
世界テレビ・デー/世界ハロー・デー/歌舞伎座開業記念日/早慶戦の日インターネット記念日/フライドチキンの日/かきフライの日
22日は
いい夫婦の日/大工さんの日/ボタンの日/回転寿司記念日/ペットたちに感謝する日だそうだ

さて 23日は何の日でしょうか?
 
2023/11/20(月) 晴れ


雑兵{ぞうひょう}


いい天気だ 青天 19℃
気合かけて 木劍 振るうと 汗 びっしょり

高校サッカー選手権大会 各都道府県 代表校 決まる
そして勝者/敗者が決まる
<勝者・敗者>でないところの 
ドラマに <勝者・敗者>もない

参ノ巻(平成十一年)から二十四年たった
讀み返す
【「戦争論」は戦後庶民の戦記  小林よりのり】
【「戦艦大和の最期」を読む――
  今ダ「大和」ノ教訓ヲ学ビ得ズ  原 勝洋】
二十四年たって 検証/反証 後を絶たぬ

【武士の潔さともののあわれ
盛者必衰のことわりをあらわす 笹間良彦】
『将門記』『平家物語』『太平記』『保元物語』『平治物語』
古の戦記 検証/反証はない

【近世の戦記――リアリズムの誕生
庶民の記録『雑兵{ぞうひょう}物語』『戊辰物語』 
江戸期の双璧、言語録『常山記談』と庶民の語り『雑兵物語』 東郷 隆】
東郷氏 末尾
《戦記は「国家」が記録するもの、という認識のもと、「合戦録」のごとき個人的な物語は不用となったのである。そして、戦記にリアルさが欠けた瞬間、日本の軍事機構は非現実的な宗教的集団に変貌していくのである。》

近代 個人的な物語 多様になった
それでいい 真実は一つでない
事実も 多角的に視ることで多様になる
残るには「自分」が見たもの 聴いたもの

英霊はいるか いないか 
「自分」が信じるか 信じないの

−−−−−−★−−−−−−
『雑兵物語』 面白かった
戦国の世 終ってすぐのころ編纂される
リアルさ丸だし 
雑兵 戦略 戦術には無縁
目の前にあるのは敵

坂井三郎さん 目の前の敵に
自分は負けなかった雑兵
2023/11/19(日) 晴れ


生命力と死力


坂井三郎さんの「内戦思想/外戦思想」に 耳を傾けてみよう
すこし長くなるが 外は雨 内はエアコン→暖房

≪戦国時代、豊臣秀吉が勝とうと、毛利が勝とうと、どっちが負けたって内々の話。一つの財布の中で動かしてるみたいなもんです。
そうすると、そこで忠義のサムライというのは、どういうサムライかというと、
勝とうが負けようと、自分の殿様のために、死んだ者が忠義のサムライなんです。
それは内戦思想なんだ。島国の中ならそれで済んだんです。外国と戦う時は外戦思想でなければならないのに、内戦思想を適用したんです、当時の指導者たちは。彼らがよく言った。「死に場所を与える」とは、何たる事か。それが
太平洋戦争の大きな敗因の一つです。≫

≪死ぬために軍人になったのではない。軍人になったのは勝つためです。戦争に死に行くんだったらね、そもそも訓練も何もいらない。
その当時の軍国歌謡の作詞家までもがね、“夢に出てきた父上に、死んで帰れと励まされ、覚めて睨むは敵の空……”。馬鹿もん!と言いたい。
どこの世界に、自分の息子を戦地に送るのに死んで帰れと、励ます親がいますか。一生懸命がんばて、片手を落とされ、両手両足落とされ、ダルマになっても帰ってこいというのが親心じゃないですか≫

≪私はラバウル行ってからね、ある事件がありまして、それで搭乗員を集めて、
やれ体当たりするの、敵地に自爆するとか言い出した者に、とんでもないと。
ラバウルまで何しに来たんだ! 俺たちは! 勝ちに来たんだ! 死にに来たんじゃねぇぞ!  
絶対、自爆は許さんと。捕虜になっても生き残れと。たった一回の命ぞと。戦争だからこそ、命あってはじめて敵を倒すことができる。死に急ぐというのは、無責任極まる。だから上の方から何と言われても、とにかく飛行機がまだ飛べて、少々自分が傷ついても、敵地に不時着して、捕虜になっても生き残れ!
捕虜になれば、相手の監視兵を使い、宿舎を使い、食料を食らい、幾分かでも、敵の戦力を削ぐことができる。
その後、私の部隊では何名かが捕虜になり、戦後に生還してくれましたよ。
私は、上からかなり睨まれましたけど。≫

≪日本人の勝負感と欧米、特にアングロサクソンの連中のね、勝負感というのはね、全然違うんです。そういう研究を海兵陸士、海大、陸大では、なぜやらかったのか。
支那事変や太平洋戦争を戦ってみての経験からですが、多民族と戦ったとき、
日本人の勝利観と彼らの勝利観の違いに気がつきました。
日本人はね、剣道なら面、小手、胴の一本勝負。お互い戦力が同等に残っていても一本で勝ち負けが決まる。相撲だったら、膝が土についただけでも負け。柔道も一本取られたら負け。
外国人の勝負観というのは相手をノックアウトするか、完全にギブアップさせるかで決まる。100%戦力を喪失させたとき勝ったと判断するんです。
スポーツと軍隊の戦いは全く違うです。
日本は精鋭、精鋭って言いながら、太平洋戦争が始まった時、それ以前の体験として近代戦をやってないじゃないですか。近代戦をやらずして、我が日本、陸海軍は世界最強だなんてね。とんでもない。≫

所轄の腕利き刑事の本庁キャリア組 批判だけでない
心魂がこもっている
先の高橋巌氏の「外の関係」「内の関係」を借りれば
坂井さん 「内の関係」触れている

生命力と死力は フィフティーフィフティーの関係
死力を失なわないこと それが生命力
<やれ体当たりする><自爆する>のは死力ではい
体当たりを命じられただけで 死力は生まれない
死力を生み出したから 最期の言葉 「お母さん」

坂井さん 御自分が訓練した若き兵士 見てきた
生きて帰れ! 死力を尽くせ!

−−−−−−★−−−−−−
兵頭二十八 『近代未満の軍人たち』
「外の関係」で近代戦に近づけなかった軍人たち
奇襲開戦計画主義の顛末
近代国家の軍隊はどうあるべきだったのか
またその軍人たちは
いつ どのようにして「自律」を失ったのか
二十三人の軍人に見る日本の興亡
2023/11/17(金) 晴れ


山本五十六


『大東亜戦争肯定論』に喝采した元軍人たち
『大空のサムライ』愛読したが
坂井三郎 不人気だった
大勲位 功一級 正三位と元帥の称号 授与 
国葬に付された山本五十六に辛辣な批判したからだ

≪山本五十六が開戦前 近衛首相から「君の率いる連合艦隊はどうだ?」
と聞かれたとき、「半年や一年は暴れてごらんにいれましょう」と。
子供のケンカじゃないんだ。「一戦ぐらいなら勝てるが、後はどうなるかわからない。国力が百倍も違う国と戦って勝てるはずがありません」と言っていたら名将だったでしょう。≫

≪ミッドウェーなんか、あの珊瑚礁なんか取ったところで、何になるですか。
結局、そういう作戦をやってしまった。≫
実行部隊は時期尚早と反対したが山本ら連合艦隊司令部は黙殺との説

≪山本長官は、二年ぐらい、アメリカの大使館付き武官を経験した。
大使館付き武官というのは公然たるスパイなんですよ。アメリカで何を調べていたんだと言いたい≫
一回表の大量得点で 米國内 厭戦気分にさせるとの計算との説も
真逆になったが 坂井さん この説 聞き及んでいたのか

山本五十六 評/論 余多ある  
映画もしかり 
「聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実」
山本五十六役=役所広司
開戦の火ぶたを切らざるを得なかった男

原作コミック 映画「アルキメデスの大戦」
戦艦大和の建造をめぐる数学者の戦い
山本五十六役=舘ひろし
戦艦無用論を激白 真珠湾攻撃をしたかった男

−−−−−−★−−−−−−
兵頭二十八 『パールハーバーの真実――技術戦争としての日米海戦』
2001年夏 刊行 
この夏 拙者 参議院選挙出馬(新自由連合・比例区)
この選挙出陣式  前田日明 兵頭さん 応援演説 頂戴する

宣伝カーの中で『パールハーバーの真実』 讀んでいた
連合艦隊司令長官山本五十六が指揮する空母艦隊
なぜ真珠湾奇襲作戦では大勝し 
わずか半年後のミッドウェー海戦では惨敗したのか?

坂井さん 精神面で<内戦思想⇔外戦思想>を説く
軍学者 技術戦争の敗北と説く
2023/11/16(木) 晴れ


大空のサムライ


【特集 戦記を読む】
サブタイトル
【生命力と死力の再発見】
こんなタイトル つけたの
『大空のサムライ』(坂井三郎空戦記録)
読後感から

坂井三郎 大ゞファンの前田と坂井さん宅 伺う
以後 取材兼ね 何度もお会いした
つい<坂井さん>になってしまう

特集 一番手
【坂井三郎/英霊たちの死の代償
日本は敗れたが、アジアから多くの独立国が誕生した
霊霊たちよ、あなた方の死は決して無駄ではなかった】

TVドラマ 刑事もの
所轄の刑事 本庁の刑事に云う
「現場を知ってるは俺たちだ」

坂井さん 軍キャリア組 云った
「前線を知っているのは俺たちだ」

≪台湾からマニラに空襲をかけるんですが、ゼロ戦ならマニラ周辺まで430〜450マイル。他の国では絶対にできないけど、ひと飛びの距離です。
司令部、遠距離なので航空母艦を使おうと三隻の母艦をもってきた。そこで無駄な着艦練習をなんと一週間ほどやりました。私たち下士官搭乗員たちには大変な時間ロスをした。
我々は、もう450マイル、500マイルはゼロ戦隊として実験済み。
その時の飛行隊長たちは支那事変で我々を率いて戦ってきた経験者。なぜ「そんな必要ありません」と言えなかったのか。上から言われりゃね、へいへいでね。ともかく、そんなことさえわからない司令部がね、我々の上にいたわけです。≫

いまの世のドラマ 所轄と本庁 ノンキャリアとキャリアの葛藤 
<人>は一瞬にて変わることもあるが 
<群れ>は変わらぬものですなぁ〜

−−−−−−★−−−−−−
ウィキペディア 坂井三郎 一節
<当時の彼の愛車、スカイラインGTを引き合いに出され、「自動車と零戦はどっちがいいですか?」という質問に、「そりゃあ、車の方がよいに決まっています。車はバックができますから」と答えている。>

来日していた坂井さんの次女に聴いた お別れ会の前だった
朝日新聞女性記者 取材
「車はバックできる 戦闘機もバックできれば……」の発言
が 車 平和の象徴のように仕上げられた
女性記者 上に そのようにした方が採用される 
としたか 上が そのようにディライトしたか
読者に「大空のサムライ」
戦争を反省し 平和を願っていると刷り込ませる

回り回り ウィキペディアとなる
2023/11/15(水) 薄曇り


大東亜戦争


論客対談 最終頁
写真 三島由紀夫/林房雄
『対話・日本人論』口絵(番長書房)
たしか 金 払って手に入れた
キャビネ判サイズの写真 しまっておいた
いま 捜したが見つからない
そして いつか ひょんと現われる

末尾
≪高橋 最後にひと言。この『対話』の中で、林「あなたは“喜びの琴”の中で、思想は相対的と言った……」
三島「それは外側にあるものだから……」というやりとりが出てきます。
戦後、諸価値、諸理念が普遍的な形で自立できなかったのは、民族、歴史の理想、それへの志が日常的、人間的な対立し、緊張する機会を失ったからだということです。そして、その緊張を生み出すのは愛情なのだから、「愛情以外に歴史を解釈する方法はない」、と林さんは述べています。≫

林房雄 『西郷隆盛』書かせたのは<愛情>か

−−−−−−★−−−−−−
林房雄といったら『大東亜戦争肯定論』
昭和三十八年(1963)連載開始(中央公論)
東京オリンピック(1964)
<大東亜戦争> 封印されていた名称

坂井三郎さん 曰く
死んでいった戦友 <太平洋戦争>なんて知らない
大東亜戦争を戦い死んでいった
死者に対して慰霊の念がない 

巻頭対談の次
【特集 戦記を読む】
◆坂井三郎/英霊たちの死の代償

坂井さんから直に その言葉を聴いて依頼
<太平洋戦争> 封印した
2023/11/14(火) 晴れ


英霊に殉死した三島由紀夫


きのう 誰かさんの誕生日パーティ
で 休筆
三島由紀夫 命日墓前参拝 来週末
バスが走る 中央参道 枯葉で埋まっているか
温暖化でまだか

−−−−−−★−−−−−−
《前田 激文の文章も、あれは文学的、文章的にもどうしょもないって言われてたけど、でも、そういった観点からみたら、それほど三島由紀夫って一個人がむき出しになっているものはないし、そういうことを、身をもってさらしたと思うんです。》
《高橋 今の話、同じことを僕なりに、一言で言うとね、殉死だと思ってるんです。英霊に対するね。だから彼の文学は絢爛とした衣装をまとっていればまとっているだけ、荒涼としています。だからあの荒涼とした世界をずっとひきずって、それで遅れた形で特攻隊に殉じたんじゃないでしょうか。
殉死っていうのは、死者に自分を捧げるわけです。そういう死生観の根底には、死んだらおしまいだというのではない日本人の確信が、潜在意識の中にあったんじゃあないでしょうか。
林房雄さんが言ってらした、コアのパーソナリティがあって、死んだらおしましじゃなくて、死んだ後の魂も、生きてるんだから、その死んだ後の魂に対して、生き残った人間が、どう向き合うかっていう課題がね、理想としてすごくな生々しくあったと思うんです。》

特攻隊に殉じたと思うと 三島由紀夫の心に近づいたような気がする
高橋氏 そう語った

この話の前に 前田 三島由紀夫の愛読書『葉隠』を出してきた
死に 犬死もなにもない 死は死
良い死 悪い死 評価する事態があさましい
前田 そう解釈した そして特攻隊の死
良いも悪いもない もっと別次元の死だと
そういうこと 彼らも知っていたんだろうな と

前田の直観力には舌を巻く

≪高橋 日本民族のそういう死生観は大変なものです。死ぬことにこれだけ道徳的な高い意味を与えた国は珍しいですね。それは右翼とか左翼とか、そういう問題とは違うような気がします。≫
≪高橋 理想と、人間的な欲望との葛藤の有様の中だけに、道徳があると思います。例えば、その理想が毛沢東主義であろうと、天皇主義であろうと、その
理想そのものは道徳とは関係なくて、私情と、そういう理想との間に、その都度現われるくる何かが道徳だと思うんです。
そういう道徳が一番はっきり現われるのは、死の瞬間じゃないでしょうか?
かつての日本人は、この点がすごく意識的で、それを踏まえて生きていたような気がします。≫

−−−−−−★−−−−−
二代藩主鍋島光茂に御側に仕えた 山本定朝 
光茂 亡き後 殉死できなかったことを理由に出家 死んだフリをした
そこへ田代つらもとが訪ねてきたことから『葉隠』が書かれた
佐賀藩 幕府の殉死禁止令より一年前に出している
佐賀藩 他藩に比べ 殉死 多かった
奥方が死んだあとも 御側用人 殉死 

初代勝茂の四男・鍋島直弘(白石邑主)が死去した際
家来三十六名が殉死を申し出たのを光茂は許さなかった

光茂 なぜ許さなかったか 所説ある
幕府 なぜ殉死禁止令出したか 所説ある
殉死の理由も所説ある
それはいい
死ぬとき いまが死にどき としたことは確かだ
それでいい
来世も 同じ<とき>を共に生きよう
2023/11/13(月) 晴れ


理想的な国家形態


前田日明 リングスの「血の繋がらない家族(ファミリー)を語る

グルジア ロシア オランダとか選手と出会う
それぞれキックボクサーだ サンビストだ レスラーだ
それぞれのプライドを持ち 対決姿勢
一個のリングの上で一個のルールでの体験を何回も何回も
繰り返している内に どんどん気持と気持の距離が近づいてくる
人間って本来 同じ共有体験の積み重ねの中で 
相手の中にあるものを自分の中に見つけたり
自分の中にあるものを相手の中にみつけたり
そういう体験の度に同一化していく
それが本当はある意味での共同体の原型で
それが膨らんでいけば それが理想的な国家形態の原点

YOUは何しに日本へ?
YUO 忍術を 空手を 居合を
はたまた酒づくりを 盆栽を 陶芸を
YOUと日本が同一化していく
血の繋がらない家族(ファミリー)へ進展していく
逆もまた然{しかり}

「外の関係」でなく「内の関係」
介添えするのは霊
ルドルフ・シュタイナーが云いたいこと
三島由紀夫が云たいこと

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零ノ巻から執筆願った
風柳裕生子{ゆきこ}氏
初対面 
社に著作『リングス』(1990刊)持参
前田 リングス立ち上げ 1991年
後年 前田に問う
リングス 『リングス』から?
前田の返答 記憶にない

『茶聖山上宗二』 1993/4/1
『吉良さま御味方』1993/12/1
拝読
風柳さん いま どうしている
書いているか
2023/11/11(土) 晴れ


内の関係 外の関係


参ノ巻 高橋 巌 前田日明 対談
前田 口火を切った
自分が弐ノ巻で語った三島由紀夫
語りつくせていないところを語ってください

高橋氏 『豊穣の海』刊行されるたびに三島由紀夫から贈呈されてきた
本人の署名と高橋氏の名を添えて

『対話・日本人論』を久しぶりに讀む
弐ノ巻の前田の文 讀んだせいだ

高橋氏 あの当時(『豊穣の海』刊行さている頃)
自分は何をやっていたんだと悔やむ
『豊穣の海』への感想など送っておくべきだった
あれは三島からのメッセージだった

≪今回、(『対話・日本人論』を)読み返してみて、
キーワードは「内と外」だと思ったんです。
三島さんはそういう言葉を使っていませんけれど、
人間関係でもね、物と人間の関係でも、言葉と人間の関係でもね、
今はみんな互いに内側でなく、外側を見ているんですね。だから人と向き合っているように見えても、実際はみんな背中合わせになっています。言葉もそうですね。
例えば「愛」だとか「信」だとか、「誠」だといってもね、向こうを向いた言葉になっているじゃないですか。だから「外の関係」にとどまっています。こちらを振り返ってくれた時に、はじめて「内の関係」になるんですけど。
「内の関係」を林さんも三島さんも求めている。そんな感じでしたね。≫

「内の関係」「外の関係」 イマイチわからない
このあと 前田が
「この本で一番感じたのが 民族と大衆って部分ですね」 と云う
高橋氏 それに応えて
民族の原理と国家の原理 楕円形の二つの焦点みたいなもの
日本の社会 二つの焦点の回りを楕円形を描いている
社会的な関係が二つある
一つは「内の関係」 基本は個人 履歴書を必要としない個人
その個人を支えているのが 親子 兄弟 ファミリー
そのファミリーを支えているのが民族
その上には地球という母なる大地がある
この関係は全部「内なる関係」で繋がっている

もうひとつは「外の関係」 
一番基本の単位は市民 いつでも履歴書がつきまとう
国籍 学歴 賞罰 という評価に支えられている市民
その市民を支えているのは法人
その法人を守っているのが国家
国家は法人を守るわけだが 個人 ファミリー 民族を守るわけではない
どこまでも「外の関係」を守るだけ
『対話・日本人論』ではテクノクラシーと呼んでいる

高橋氏 テクノクラシー こう云う
簡単に云えば 専門知識の豊かな人が社会のリーダーになるという思想

ウィキペディア
科学技術や経済運営 社会政策などの高度な技術的専門知識によって
政策立案に参画し その実施に関与する官僚 管理者のこと
技術官僚によって経済・行政が支配される社会体制や思想は
技術家主義{ぎじゅつかしゅぎ}またはテクノクラシーと呼ぶ

−−−−−−★−−−−−−
彼らは帝国(国家)のために
体当たり したのではない
ファミリーのために体当たりした
ファミリーのシンボル 母
彼らの最期の言葉
「お母さん!」
2023/11/10(金) 雨


吉田健吾


参ノ巻 論客 高橋 巌
【我ら内なるシャーマンを
呼び醒ますときがきた】

前文に こうあった
前田 高橋氏とは一年ぶりの再会
十年ほど前 著書に感動し 会いに行く
この日 高橋氏 三島/林対談集『対話・日本人論』の読後ノートを持参
生前 三島由紀夫ともゆかりのあった高橋氏 当時の述懐から始まった

高橋氏 弐ノ巻 前田の三島/林対談集 感想文 讀んでいたからだろう
八頁にも及ぶ 

中見出しだけ追ってみよう
■三島由紀夫の苛立ち
「どうしょもない日本の現状」
繁栄に覆い隠された空洞化への怒り

■大衆と民族
「国家」という壌土と「文化・伝統」の養分
人間が個人として育つのに不可解なもの

■民族としての私
民族としての自覚は歴史的自覚であり
それを失うとき、その民族は滅びる

■無限に広がる大衆社会化
すでに崩壊した知識人・文化人の基盤
知識を情報化した「大衆」が知識人となる

■日本とはなんぞや
平等や人権がエゴ的基準にすり替わった
価値観の縦のラインの再生が急務だ

聞書き 吉田健吾
単にテープ起こししただけでない
前田の云いたいこと 自分なら こう補足すると

『葉隠』 全十一巻 一と二だけ山本常朝の直談
あとは田代陣基 書き足した
常朝なら こう云うだろうと

吉田さんの出会い
奥さん シーザー武志 シュートボクシング協会のマネージャー
あるとき「ウチのダンナ わけわからないもの書いている」
で 「HUМAN BDOY」 執筆願う
ハンマー投げ 室伏重信(広治の父)のこと書いてきた
唸った 文才に長けた若きルポライター ここに居た
聞書きのほか「前田日明語録」執筆 依頼

吉田さん いま どうしている
「吉田健吾」で検索
俳優・プロ野球選手・准教授……
出てこない

吉田さん いま どうしている
書いているか
拙者 まだ駄文 書いてるぞ
2023/11/09(木) 晴れ


近代日本が受けた精神的傷の深さ


本日も 小杉英了『シュタイナー入門』
パラパラとめくる 傍線引いてある

<僧侶たちが、みずからの教えに照らし合わせて、デウス(神)の信仰を、
究極的に同じ聖なるものへの敬虔な道であると認めたにもかかわらず、イエズス会宣教師はそこに悪魔の触手しか見ず、攻撃に終始したのである。
人としてどちらがまっとうな態度であるかが、今問題ではない。道徳的糾弾が目的ではないからだ。
重要なのは、歴史的相違を明確にしておくことである。
日本には、西洋的なオカルティズムは存在しなかった。正統教会のような、非寛容的禁圧勢力が、精神の世界を支配しなかったからである。かえってオカルト的教えの内実は、隠されることなく、密教と伝統的信仰の古層にささえられて、多様なというより雑多と言っていいほどの信仰形式へと、広く、深く、浸透していった。

「多様なというより雑多」→けだし云い得て妙
この伝統がいまの世まで保持されていたら
シュタイナー思想のオカルト的側面をいかがわしく思うことなく受け止められていただろうと 小杉さん 悔恨する

パラパラとめくる 傍線引いてある
<二度にわたる斬絶が横たわっているからである。言うまでもなく、
明治以降の近代化の過程と、先の敗戦との二度の断絶である>

<もっとも基礎的な呼吸法や鎮魂法を、どのような場面でも役に立つ伝統的な
心のしずめ方として身につけていたら、麻原彰晃のような人間が教える行法など危険で、無意味で、利己的なものか、十代の少年少女にだって見抜けただろうし、突如襲いかかってくる内なる殺意を、自分の心でこらえるための備えにもなったろう。>

<学校で習う歴史の中で、かなりの部分、正統キリスト教会の正史を鵜呑みにさせられていることに気づかない。十字軍遠征を、イスラームの側から見ることなど思いもよらないし、キリシタン宣教師が日本人信者をあえて殉死させ、それを口実に軍事支配をもくろんでいたことも、また密かに日本人奴隷を売買していたことも、言及されることはない。>

米国大統領 就任するとき聖書に手を置いて宣誓する
そしてイスラエルを援護する
−−−−−−★−−−−−−
わがまち図書館 ルドルフ・シュタイナー著作 四〇冊ほど
関連書も含めると一〇〇冊ほどある

著作 二、三冊 手にした
さっぱりわからぬ 翻訳が難関すぎるのか 
拙者の頭に難があるのか

ルドルフ・シュタイナー 小杉さんの「シュタイナー入門」
で十分だ
「あとがき」にあった≪近代日本が受けた精神的傷の深さ≫
これを最初に感知した者たち
神風連の乱 秋月の乱 萩の乱の中におられる気がする
そして西郷どんも
2023/11/08(水) 晴れ





小杉英了 
いま どうされているのか?
十年前ほど 日本ホラー小説大賞受賞作『先導者』 
贈っていただいたきりだ

『三島由紀夫論―命の形』 
讀んで 弐ノ巻 原稿依頼したのか
二ヶ月後 参ノ巻 論客 高橋巌 
ルドルフ・シュタイナー研究 日本第一人者
小杉さん 高橋巌氏 一番弟子
前田からの推薦か なら四ノ巻 以降だろう
定かでない 記憶ない

弐ノ巻 
【三島由紀夫の声なき絶叫
深淵を飛ぶ意識 
誰かに聞き届けられる慰めを一切謝絶したところで放たれた
この声なき声の残饗は、今確実に世紀を越えている。】

三島の四著 紹介している
『行動学入門』『葉隠入門』『太陽と鉄』『北一輝論』

《三島由紀夫氏の死の一年ほど前から書き始めた『行動学入門』に、
こんな一節がある。
■ことばでもって自分を鼓舞することは常に危険である。
「十一月に死のう」というときに、そのことばでもって自分をかきたてようとすれば、行動はそれについていけなくなるのである。…………長い待機の時間はことばでないのである。行動とことばとの乖離が行動を失敗させるように、ただことばや観念で待機に耐えようとする人間は必ず失敗する。(『行動学入門』)

実際、三島由紀夫 十一月に自刃
小杉さん 決意し それを持続することと
実行することの間には深淵があると
その存在に気づくには 決意を実行に移した瞬間

『葉隠入門』
≪本気にて大業はならず。気違ひになりて死狂ひするまでなり。」
この反理性主義、反理知主義には、もっとも危険なものが含まれている。
しかし、反理性主義、反理知主義の最大の欠点は、危険に対し身を挺しないことだ。(『葉隠入門』)
 狭軌まで踏み込まなければ、数十人を相手にして我が身を投げ出す大業は成し得ない……かく言う『葉隠』を、生涯の座右の書に挙げた三島氏はしかし、単なるファナティシズム(熱狂主義)を揚げているのではない。
 一見、熾烈な心情の昇揚は、言葉や観念が紡ぎ出す意味世界の対極を指さしているように見えるが、三島氏は火の玉となって深淵を越えたのではないのである。≫

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ホラーとオカルト ちがい どうでもいい
キリスト教文明圏のハナシだ

受賞作『先導者』 受賞時タイトルは『御役』
編集者 『御役』ではわかりずらいと

小杉さん 「霊」を書いたのだ
霊を ホラーとオカルトと十把一絡げにしている
いまの世のひとに 霊と どう関わっていくのか
それを提示したのだ
2023/11/06(月) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信


鈴木邦夫 お別れ会の折
前田日明と 久しぶりの 久しぶりに会う

「いま何してるんですか?」
「ネット配信 武道通信かわら版ってのを出して
いるよ」
元編集長 讀んでくれよ(呵々)

こちとら 家紋入り“紋付袴”
前田 相変わらずラフ
引退記念日に特注(LLL)の
野袴・胴衣 贈ったけど
一度も 袖通してないな(呵々)
2023/11/05(日) 曇り


「形」と「型」


《人間、自分一人のために出せる力なんて、たかが知れてるというか……。》
との前田の言葉に
猪瀬氏
林房雄との対談で三島由紀夫 面白いこと言っている
要するに 個人の力でやれることなんか 大したことない
オリジナリティなんて嘘だよ
つまり「伝統」というのがあって それは「形(型)」
「形」みたいなものも中に すべてが凝縮されている
「形」さえ守っていればいいんだ

前田 それに対し
《「形」ってことで言えばね、理想の日本人像っていう、儒教的なね、
エピュキリアン(人間的)なストイズムみたいなそういう「形」が、かつてあってはあったんじゃないですか?
豪放磊落であると同時に、社会との関わりを重んじて自分自身を律するみたいな理想的な日本人の「形」みたいなものが》

前田 それから戦後の変貌を語る
<戦後半世紀 無抵抗にイエローヤンキー化した>
<無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国>
前田なりに それを語る

松岡正剛 連載二
【型と稽古
 ――稽古とは「古{いにしえ}「古にとどまる」こと。
世阿弥は型の発生を‘古き姿’を見つめることから生まれたと考えていた。
型は「稽古の型」として確立した。】
《私は三島由紀夫とは一度会っただけである。……………………
それはともかく、私が会ったその三ヵ月後に、三島由紀夫は市ヶ谷で自刃した。
型通りの自刃であったと聞く。何度も自刃と介錯の練習していたのであろうとおもうと、胸がふさがれるおもいである。》

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【形】【型】
古武道は【形】 古文書 伝書に「形」ある
現代空手 【型】
広辞苑
(ふつう「型」と書く)個々のものの形を生ずるもととなるもの、または個々の形から抽象されるもの。
@形を作り出すもとになるもの。鋳型・型紙などの類。「―を取る」
A伝統・習慣として決まった形式。「―破りの人」
B武道・芸能・スポーツなどで、規範となる方式。「踊りの―」「攻めの―」

「形」と「型」 どちらをつかっても可
2023/11/04(土) 晴れ


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