■特攻とは………
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【田川氏 → 戦後書かれた多くに特攻関係の書物や映画で、 特攻隊員たちの心境を純粋に伝えたものは数少ない。一部の作家が伝えている 特攻隊員の遺書が検問されいたということは事実無根である。整備兵が航空機に片道分の燃料を入れた事実もない。】
ガソリンが不足が騒がれていた当時にしてはタンクに溢れんばかりの燃料を入れていた 敵艦隊を発見できなかったり 故障したときに帰還できるように 複座航空機であれば特攻隊員と共に乗っていこうとする整備兵を皆で引きずり出すこともあった
【田川氏 → 特攻肯定論者として位置づけられいる。誤解もはなはだしい。 誰とて人間爆弾という非情な戦術に賛同するはずがない。歴史的観点や戦術面から特攻が検証されているが、私が伝えたいのは特攻の真髄、心である。 あの当時見た、目が澄んで笑っている清純な特攻隊員たちの心とそれを育てた故郷(大地)、これらを戦闘機パイロット、特攻教官と特攻員を経験した私の立場から現代に継承したいのだ。」
−−−−−−★−−−−−− アメリカ軍公式資料 1944年10月〜1945年4月 航空特攻 沈没 55隻 戦死者 2,462名 負傷者 1,009名 航空特攻 損傷 23隻 (アメリカ本土へ曳航 その後処分も含む)
水中特攻(回天) 沈没3隻 戦死者 178名 負傷者 195名 水上特攻(震洋・マルレ) 沈没11隻以上 戦死者 150名 負傷者 91名
<米国戦略爆撃調査団 日本人によって開発された唯一 もっとも効果的な航空兵器は特攻機>
軍学者 兵頭二十九 むかしどこかで書いていた 近代戦で これほどの効果をあげた作戦はなかった
−−−−−−★−−−−−− 談余: 亡父 出征記念写真 昭和十二年八月十四日 前列中央 椅子に座る父 両脇に同じく椅子に座る祖父/祖母 後列中央 一歳児抱いた姉/赤子を抱いたもう一人の姉 その両脇に三人の妹
後列の背に 出陣祝いの幟が数本 日の丸を掲げている竹竿だけが見える
前列に戻り 祖父の右隣に二人の弟 祖母の左隣に五歳児 椅子に座った二歳児らしき二人の妹
日ノ本史の中で 一番 <美しい時代>であったのではないかと彷彿させる 老若男女 穏やかに死と寄り添っている
2024/11/15(金)  |
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