■四畳半
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「覚悟と作分」 その前に 「一客一亭」 辞書 → <一人の客と亭主だけの茶事> 茶室に 亭主と客の二人だけのイメージ 違う 四人 いるときもある 亭主は その一人一人の客の心をもてなして その客の心に従ってふるまう これ 「茶振舞い」
茶を出すだけではない 当日の茶席をどのように用意するか あれこれ考える 道具の取り合わせ 茶花や掛軸を選び 懐石の茶菓を組み立てる 当日は当日で その日の気象によっては 水の撒き方も変わってくる 寒ければ 湯の具合も変わってくる こんな風に 気分をしだいに昂揚させ そして当日の客に対峙する
【松岡 → このような一客一亭の心は利休が茶の湯を大成する前に、 すでに武野紹鴎{たけのじょうおう}によって確立されていた。 紹鴎はもともとは連歌師で、その後は茶の湯に精通して、村田珠光{じゅこう}が発案した草庵をさらに「侘び茶」までつきつめた。四畳半という極小のスペースをつくりだしたのも紹鴎である。 のちに利休は究極の二畳台目を考案したが、紹鴎の四畳半という大きさこそ その後の茶の湯のスペースを決定づける画期的なものだった。茶の湯のリングはここに決まったのである。それが茶の湯の「埒」だった。 武野紹鴎は一客一亭の心構えについて、「覚悟と作分」を説いた。 「胸の覚悟」と「景色の作分」である。 覚悟とは亭主の用意がそこまで徹底しているか、仮に徹底してなくとも、どこまで踏み切るか、そのことを迷わぬことをいう。 たとえば、床の間の茶掛け(掛軸)を本阿弥光悦なら光悦の消息(手紙)にするか、 それとも一休禅師の黒跡にするか、迷ったとしても、どこかでどちらかに踏み切らねばならない。それによって茶釜が決まる。茶釜が決まれば茶花も決まる。いや、茶花は決めないで当日を迎えようというのでもよい。………… いずれにしても、そのような覚悟が決まれば、ついで景色をつくる作分もおもしろくなってくる。 元来、茶の湯というものは、その次第の全体が景色の連続でできている。景気というのは、露地の風景だけでなく、茶碗の形や色も景色であり、茶杓の一本にも景色があるというふうにとらえる。それら景色が連動していなければならない。それをつくるのが作分になる。このように紹鴎は「覚悟と作分」を亭主に求めたのである。】
ちょっとでも茶道 いや茶の湯をかじった者にしかわからぬなぁ
次回は「荒ぶる」が「遊び」になる話だ
−−−−−−★−−−−−− 実家が区画整理で東へ15mほど移動する際 老いた父母が新築した その折 嫁いでいた姉が 四畳半の茶室をつくらせた 姉 茶道の師範していた “出張先”の出稽古用であった 二畳ほどの物置には茶道具が詰め込まれていた
そういえば 子供ころ六畳間の床の間に掛けられていた 能楽に出てくるような爺さんが描かれていた掛軸 どこへ いったんだろう………… あの掛軸にしたら 姉 どんな「覚悟と作分」するの やら
2024/09/15(日)  |
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