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打たない拍子


松岡正剛氏 つづける
≪また、たとえば「日本の本質は拍子にある」とも言うことがっできる。
太鼓も三味線も、三三七拍子も、日本の芸の大半は拍子でっできている。
 その拍子は古来から辿れば、そもそも四拍子からできていて、
それを割ると単純な二拍子になるのでなく、そのいちいちに表と裏が出現する。
そこがおもしろい。
 打つも拍子だが、打たないときも拍子なのっである。ちなみに
柳生宗矩の『兵法家伝書』には無拍子ということさえ言及されている。≫

『兵法家伝書』 出てきた
武道通信読者 意識してくれたのだろう
出だしの 宮本武蔵といい さすがだ
  
宗矩 こう書いている
「あふ拍子をあしし、あはぬ拍子をよしとす。拍子にあへば、敵の太刀つかひようなる也。拍子がちがへば、敵の太刀つかはれぬ也。敵の太刀のつかひにくき様に打つべし。つくるもこすも、無拍子にうつべし。惣別のる拍子は悪しき也。
たとへば上手のうたひはのらずしてあひをゆく程に、下手鼓はうちかぬる也。上手のうたひに下手鼓。上手の鼓にへたうたひの様に、うたひにくく、打ちにくき様に敵へしかくるを大拍子小拍子、小拍子大拍子と云ふ也。」
あふ=合う あしい=悪し あはぬ=合わない よし=良し

宗矩 こう云いたいのだ
「拍子が合う」というのは、劍を交える二人が 
ともに同一の時間意識の中にいるということだ
同一の枠組み 骨組みの中にいるのであれば
あとは神経反射の速さ 筋肉骨格の強さで決まる
劍術の極意は 
「拍子をはず」して<相手の時間>をずらすことだ 

宗矩の云うこと こういうことではないか
三三七拍子
某日本民俗音楽学会会長 曰く
3,3,7の次に それぞれ間があるため、
実質的には 四四八拍子にあたると

要は 打たない拍子がある これが「無拍子」
拍子の拍と拍の「あいだ」に撃ち込むことだ
相手の拍子に乗り「三」「三」「七」の次の
打たない「四」「四」「八」で撃ち込む

おわかりか? 

あすは <一時多様性>
2023/10/25(水) 晴れ


仕切りは動く


松岡正剛氏
まず フランスの宮本武蔵展へ向け相談を受ける
「HIDEN」(秘伝)との言葉がフランスで流行
≪フランス人は以前からサムライという言葉に惹かれていたが、その中身は
スタイルの魅力を超えるものではなかった。(武士を)神秘化しすぎていて、誤解が多い。≫

それは日本の良さをどのように伝えるか、我々はあまり訓練していないからだ
講談社『日本美術文化全集』と企画構成したとき
美術史家たちの言葉が最もわかりにくく 日本人にさえ何もつたわらないことだったと云う

≪日本文化の本質を語るには、いろいろな視点がありうる。
たとえば「日本には仕切りである」と言うこともできえる。ただし、そう言っただけでは何も伝わらない。
仕切りは「間仕切り」という言葉であらわされているように、
空間を仕切ることでもあるが、それとともに時間も巧みに切り取っていく。
その時間の独特な切れ味が、襖一枚や屏風一双で出現したり消滅したりする。》

広辞苑 し‐きり【仕切り】
@しきること。また、しきるもの。「―を取り払う」
A取引や帳簿のしめくくり。
B相撲で両力士が土俵上に相対し、立合いの身構えをすること。
C四十九日の法事。忌明ひあき。

≪仕切りには間仕切りという言葉もあるように≫
「間仕切り」広辞苑にない 大辞林にあった
ま-じきり【間仕切り】
部屋の仕切り。壁や襖(フスマ)など。

≪が、もっと正確にいうなら、仕切りはつねに「主客の線」というものが相互に想定されていて、その線を呼吸のように互いが認識していくことが仕切りの命なのである。
それは相撲の仕切りにも端的にあらわれているし、剣道の立ち合いにも、茶道の畳の線にもあらわれている。
しかしさらに、実は見ない「主客の線」というものもあるんであって、本当は、この瞬間に現われて移りゆく仕切りの動向というものが、いちばん日本らしいところなのである。≫
うーん 難解である

竹刀剣道と激劍と<仕切り>の違いはわかる
竹刀剣道 線と線
激劍 線と点 
線を点で断ち切る とでも云おうか

あすにつづく
2023/10/24(火) 晴れ


仕切りと間合


ゆうべ 半月
拙著『武女――乱世を生きた夫婦の絆』
「人々は月を見て、ひと月の日付を確認した」
いまの世  映画/ТVなど
もっと月を出すべきと進言
その成果 天体望遠鏡で撮ったような
月のド・アップ よく見る
拙者のせいか そんなわけないか
月に ひとは感情移入できるからだろう
主人公の気持 投影できえるからだろ

−−−−−−★−−−−−−
【武道の中の日本――松岡正剛
仕切りと拍子  
―日本の文化を語るのには「仕切り」と「拍子」がある。
この語り口から武道の今日性を問うと
武道の拡張化、すなわ武道を文化や生活にするための努力が問われてくる】

松岡正剛の名
学生時代 本屋で見かけた 雑誌『遊』
ウェブ「千夜千冊」 一夜一夜 讀ませていただいた

前田日明 面識あったようだ 
で 連載 お頼みした

【「間合い」と「場」――清水 博
剣道ロボットに一言。柳生新陰流の「間合い」とは】

清水氏 どこかで「場」を論じていた
気になった御仁だった
お尋ねし 原稿お願いした次第

御両人 ウキペディァ 検索なされば
只者ではないとお判りだろう

あすから
二つの原稿 拝読してみよう
2023/10/23(月) 晴れ


日本刀の反り どこからきた


日本刀を鑑ると、この国の
かたちが見えてくる

日本刀 湾刀 反りがある
日本列島に似ているから(呵々)
冗談 冗談 日本國の自画像という意味だ
日本刀に対する 最高のキャッフレーズだ
高山武士氏 お墨付き

直刀時代 弥生→古墳→奈良・平安初期まで 凡そ千年
なぜ反りのある湾刀 出現したか
何年ごろ どこの誰が 部族が反りのある刀をつくり 使ったか
いまだ 謎である
仮説はある

高山武士氏 一ノ巻 
【日本独自の湾刀を最初に使ったは
古代東北軍(蝦夷)だった?】
仮説の根拠
私兵化する時期と湾刀化がほぼ一致する
私兵とは皇軍でない 天皇の軍ではない
反乱を起した平将門のような軍

天皇の軍 平安まで
最後は明治から昭和二十年 敗戰まで

高山氏 末尾
「いずれにせよ、資料が乏しく変化の性格な理由は明らかでなく、
謎は続きそうである。」

籏谷嘉辰 説
馬上対決 鎬{しのぎ}で 相手の剣を凌いで首を刺す
馬上対決が湾刀を生んだ

あの反りは 大きい小さいは別として
法則があるのか?
江戸の世の水心正秀の「円規法」でよいのか
否と云った御仁がいた

新潟の研師 倉島 一 
【日本刀千年の姿を 一本の鎖で解明する   
――日本刀の反りは円の一部でも、放物線でもなく、懸垂戦である】
十三頁にわたりコンピューター図と写真を交え 
長年の常識を覆す
後年 新潟大學 某教授の協力を得て
原稿をもって上京された

高山氏 「反り」には言及していなかった
剣術には興味ないせいか

反りには大別して三つ
<華表反り{とりいぞり}> *種類となると そり→ぞり と濁点つく
刀身のほぼ中央に反りの中心がある
<腰反り{こしぞり}>
棟区に近い刀身の腰の付近で強く反る
<先反り{さきそり}>
刀身全体に反りがあるが 中ほどから上部が特に強いもの
『刀剣鑑定読本』より

−−−−−−★−−−−−−
チャンバラ映画 ヒーロー
「丹下左膳」大河内傳次郎 
「鞍馬天狗」嵐寛寿郎 
「旗本退屈男」市川歌右衛門
どんな反りが好きだっただろう

拙者 <先反り>
日本列島の形に一番 近いから(呵々)
2023/10/22(日) 晴れ


火をくぐる


【日本刀が神へと
昇華してゆくために 美しくなければならない】
⇒研ぎで美しくなる

刀は御神体 熱田神宮 如く
神々しいためのに 刀の美しくなければならない
そこに研師の技術 美学が介添してはじめて
美しく 神々しくなる

【他の伝統工芸品と刀は どこが違うのか
火の中をくぐり、禊する】

神道の本髄
清く あきらめく つまり清明
火の中をくぐり穢れを払い 禊する

陶磁器も火の中をくぐる が 神にはならない
刀は武器である 命を護る
原料は鉄である また火をくぐれば再生可能 焼き物は不可

【日本刀は、常に穢れなき清明なもの
研ぐことでより洗い流す】
⇒研ぐには水を使う

砥石で表面を削ることで 中から火をくぐって焼入れされた
清明が現われる 研ぐことで清明が現われる 
人を斬ったときの穢れも 研ぎで洗い流し 清明さ取り戻す

【先祖は“いのち”がテーマ
ゆえに日本刀は邪悪をはねのける役割】
⇒いまでも残る枕刀 

古墳の石棺に残る 剣
生命力の強いものを棺にいれることで
その生命が移動して いつか死者が蘇ってほしいとの祈りである

−−−−−−★−−−−−−
亡父の棺桶の上に 己が焼入れした短刀を置いた

むかしむかし 村の祭りで「火渡り」あった
行者が念じている間に村人たち 焚き火を上 渡る
ガキの小生 怖くて一番最後 渡る
どおりで 穢れを払い落ちてない(呵々)
2023/10/21(土) 晴れ


本日 武道通信かわら版 配信日


イスラム組織ハマスとイスラエル軍の戦闘
ガザ側の死者が3785人
イスラエル側の死者と合わせ死者は計5100人以上

鎖帷子剣士
石器時代のままに止まってしまった、
恐るべき宗教認識の大衝突

一筆 記している


「あと四つ 明日に」
訂正 明後日に
2023/10/20(金) 晴れ


刀の前に二品なし


中見出し あと四つ 訂正 あと五つ

【「刀の前に二品なし」
刀は貴賤貧富を選ばず すべての人のもの】
⇒二品なし とは一品である つまり平等
刀の前では皆 平等

文政六年(1822) 『刀劍性教録』
当時 鑑賞会が盛んに行わていたことがわかる
参加者 武士とは限らない。あらゆる階層が参加している
いまの世と同じ
「刀の前に二品なし」と云う筆者 岡崎信實
岡崎 当時の刀劍の世相 義憤してる
刀の参考書 みんな燃やしてしまえ
あれがあるから悪徳商人が偽物をつくる
押形{おしがた}→(刀剣に薄い和紙をあて、釣鐘墨で紙の上から刀の輪郭
茎の銘、切先の形状などを写し、ついで刃文などをうす墨で書き入れた絵図)
なんて燃やしてしまえ とも云う
矛先は鑑定者にも及ぶ
鑑定の見極めは後世の礎になるのだから 
極書{きわめがき}=折紙{おりがみ}(鑑定書)を信用するな 自分で見極めよ

さらに矛先は武士へ
なにがゆえに二本の刀を腰にさすか忘れている
刀には劍徳というものあり 劍徳に負けない自己を築き上げていくことであるが
それをすっかり忘れている。

高山氏が驚いたのは「刀劍道」
若き日 刀剣を鑑賞してゆくことで人格が向上する刀剣道を構築したいと考えていたが すでに岡崎は文政の世 刀劍道という言葉つかっていた

刀のことで岡崎は「生きた地金で刀は十分なんだ」と云う
どういうものを生きた地金というのか書いてない
生きた地金が何をさしているかわからない
ぜひ知りたい

−−−−−−★−−−−−−
拙者より三つ上 刀匠 吉原義人{よしんど}
二十四歳の折り 史上最年少で「無鑑査認定」
(主に芸術分野において、ある特定の展覧会や団体・同人から
過去の実績を元に「(主催者側の)審査・鑑査なしで出品が可能」

二十九歳で新作名刀展最高賞である特賞と文化庁長官賞を受賞
翌年 新設された新作名刀展最高賞である高松宮賞の初代受賞者

吉原刀匠 「鉄の質感」と云う
職人の腕ひとつで「鉄の質感」に大きな違いが出る
折り返し鍛錬で不純物を出して 純粋な鉄の層だけにしてから刀にするから
作り手によって質感がまるっきり違う

岡崎信實の「生きた地金」とは これではないか

吉原義人 「古刀偏重主義」への反発
古い刀は骨董品として貴重だが
その作り自体を見れば技術的に拙いものもあるという
刀は平安時代ぐらいに作られたものも残っているけど
その頃は鉄の作り方も幼稚で 今の刀と比べたら見られたもんじゃない
それなのに世の中では古いだけで味がある
素晴らしいと評価されていて刀鍛冶にも同じようなものを作らなきゃいけないと勘違いしているのが多い
冗談じゃないよ そんなことだからいい刀ができないんだ
骨董的な価値と本当の美しさを混同しているんだよ

あと四つ 明日に
2023/10/19(木) 晴れ


この國のかたち


司馬遼太郎 国民的作家と称される前
昭和六十一年(1986)『月刊 文藝春秋』で連載開始
司馬 急逝(1996)するまで毎月連載
『この国のかたち』
単行本 拙者の書庫 積まれている

連載開始 以来
自画像を描けない日本
そんな風潮 生まれる

零ノ巻 特集 
【日本刀を鑑ると、
この国のかたちが見えてくる】
この文言 いつ 天来の着想あったか
想像するに 零ノ巻 発刊した際ではなかろうか
日本刀⇔日ノ本の自画像

まだ勤め人だったころ
寝室に まあ出来の良い方の模擬刀 刀掛けに
居合をはじめたころだ 居合道場で使った
師範に借りた本身(真剣)で 巻いた畳表を斬っていたころだ

特集 巻頭
【なぜに日本刀は日本人の魂なのか
敗戦後、GHQの日本刀接収に、多くの国民は抵抗したのか?
日本刀に秘められた日本人の精神史を語る。
高山武士・談  聞き手:杉山頴男】

中見出し 追ってみよう
≪霊魂は大和言葉で“たま” 
“たま”は生命{いのち}そのもの日本刀はいのちだった ≫
⇒つまり 刀を渡すことは生命を渡すことと同意語なのだ

≪生命力を強くするための 十種の瑞宝{ずいほう}
その中に刀が含まれていた≫
⇒朝廷の“オウタマフリ”の儀式
領巾{ひれ}(天女の襟巻みたいなヒラヒラする薄絹 これが三種類
鏡が二種類 剣が三種類 玉が四種類 計十種
揺らすことで十種の瑞宝の生命力が移動し 病を治したり
ときには死者を甦らすとの云い伝え
その中で特に重要なのが三種の神器となった

領巾{ひれ}は後年 女性の袂に代用
はためくことから幡{ばん}も同じ
強い生命力を宿している
合戦の戦旗 背につける指物{さしもの} 目印だけっではない
生命力を吹き込むものであった
江戸の世 端午節句の吹き流しとなる

≪強い生命力で害を避ける
古墳時代から刀は“守り刀”だった≫
⇒「兵」が人となったのは平安中期移行 
ともと「兵」とは武器のこと
「辟レ百兵」 刻まれた剣が出土 
百人の兵ではない 多くの剣の意味
辟=害を避ける 退治する刀は害を避ける つまり護り刀
刀には霊力がある  

≪日本刀二千年の歴史
先祖伝来の意識がGHQから刀を守った≫
商家 農家の家でも一振か二振りはあった
武器としてでなく護り刀として
高山氏 云う
「私の父 四人に息子のために四振隠し、残してくれた。
山奥の農家に頼んで瓦葺に隠してもらった。
さほど親しくない者が刀を隠してくれと頼みに来て
それを黙って了承する農家の人がいた。
日本刀の文化の深さを感じないわけにはいかない」

中見出し あと四つ 明日に

−−−−−−★−−−−−−
「武装解除」 すべての兵器は没収された
刀剣は武器の何ものでもないとし 私有財産であるにもかかわらす
家の蔵にしまわれていた刀も没収令を出す

GHQ 日本刀が怖かった 復讐が怖かった
彼らは見ていた
日本刀を振りかざし 銃撃の中に斬り込んで来たのを
日本刀を持つと 日ノ本人は命知らずになる
2023/10/18(水) 晴れ


儒教


前田の<個と公>に耳を傾けてみよう

≪東洋のものってのは、みんな生活哲学とか、生活的な実戦の倫理観とか、そこに結びついてるんですね。たとえば中国の思想をどんどん辿っていくと、どこにあたるかっていうと宗教じゃなくて、具体的な史実としての史書に行き着くわけですよ。
歴史の中で、誰もそれはこういいう時に、こういう行動をした。それに対して、こういう評価がっできる。それは人間の真理にとって、良いもんじゃないか、悪いもんじゃないかって。個人が他人や社会や国家と、どう関わり繋がっていけばいいかってことの真理が、具体的な生きた実戦哲学として、そこに示されている。

 西洋の場合はそうじゃなくて、バァーっていきなり神とか宗教とかにいって、突然、抽象的になっちゃてね。そこであやふやになっちゃうんで、西洋の哲学はそこから、さあ、どうしようかていうんで、哲学者が一個一個、生とは何か? 死とは何か? ってね、個別単位洗い出しから始まって、そうやってますよね。

儒教的な東洋思想って、生活学ってところから始まってけど、さらにもっと複雑で、基本的にいうと、人間っていうのは一人で暮らせないものだから、集団とか、国家だとか組織だとか、友人関係だとか、その中にある自分の役割っていうのをどう果たすべきか。
その積み重ねが人間本来の人生っていうものであるし、その関係性の中に自分の人生があるから、それをちゃんと律して、考えながら、誠実を持って生きるのが人の道ですよって。
だからまた別の側面で言うと、儒教っていうもの自体が、究極の個人の理想の個人の姿を謳った、一個の人間として、そう友人、家族、国家、そうしたものにつながっていくか、そのための自分の役割をどうするか、自分を律するには、どうやっていくかっていう、
そういうことの指標となる理想的な哲学でもあるわけでしすね。個人と国家の関係とか、戦争というものとの関わりとか、そういう高度な思想的問題とも連なっていくような。≫

−−−−−−★−−−−−−
前田 儒教は日本も含めた東洋思想

『論語』は 仏教より早く
百済を経て三世紀に日本に伝わった
日ノ本人が手にした最古の書物とされている

儒教 大本は孔子さんの『論語』であろうが
後世 いろんな切り口で 多様な儒教 発生する

前田が四ノ巻で選んだ論客は云った
和をもって尊し の和はごった煮スープ
2023/10/17(火) 晴れ


壱ノ巻から四半世紀


そう タイトル 云うの忘れたいた
【俺の、わしの「戦争論」】
(そう 目次はHP「既刊案内」にある ご覧あれ)

全17ページ
最初の見開きページからは 
各見開きページ 右端4行分
生活哲学から始まる東洋思想の核こそ中庸の精神……前田
自由、個人主義からの脱却が「戦争論」を書かせた……小林
両者の一言を大きな文字で入れた
サッとページを捲ると対談にあらまし わかる
次めくる
大東亜戦争は損得でなく、プライドの戦いだった……小林
欧米列強の中の唯一、弧塁の日本の立場が見える……前田
次めくる
己の命と引き換えに「天に」姿勢をみせる生きざま……前田
欧米の合理主義で欠落した自分の気持ちへの内反省……小林
次めくる
マルクス史観とアメリカニズム合体の戦後教科書……小林
正しい歴史とは、どこからはじまるかが興味ある……前田

ここで いったん休憩 PM8:50
赤坂のレストランへ全員で移動
食事後 レストランで再開

次めくる
「戦争論」出したら、叩かれるなって不安ありました?……前田
オウム、エイズ、今度こそ、これで終わりかもって(笑)……小林
次めくる
戦争は嫌い、の「私的な言葉」と「公的な言葉」……小林
「本音が正しい」が、若者からの公の部分を欠如させた……前田
次めくる
将来、アメリカの51番目の州になってしまう日本……前田
戦後は反権力、反権威が正しいという価値観生む……小林

壱ノ巻から四半世紀
右VS左 から 保守VSリベラル  
ゴーマニズム宣言 「公なき個は ただのエゴ」では計れない
民族/国家 <公>にもエゴがある事件多発

<東洋>の人と社会の関係
前田 こんな風に語っていた
2023/10/16(月) 晴れ


東洋思想


『戦争論―新・ゴーマニズム宣言SPECIAL』
零ノ巻 発刊と同じ月に刊行
前田編集長 この作者 対談相手にと
よしりん企画 出向く
条件が一つある
「新しい歴史教科書をつくる会」 九月大会にゲスト出演すること
前田に告げる 前田 承諾

対談日8月29日、対談場所、リングス事務所。前田編集長、PM6時半から待機。PM7時、小林よりのり氏、到着。【ゴーマニズム宣言】読者にはおなじみの、秘書の金森さんも同伴。
前田編集長、金森さんに「漫画とそっくりですねぇ」と感心した口調で挨拶。
「小林さん、『ゴー宣』どんどん過激になるなんて、びっくりしましたよ」。
小林よしのり氏は苦笑。表紙撮影終了後、さっそく対論の開始。
前田編集長、それまでの雰囲気とがらりと変わる。いったんうつぬき、真剣な表情。対論内容を、しばし自己確認。『武道通信』発刊の意図を東洋思想の負現在的意義をからめながら一気に語りはじめる。

上記はリードだ
『武道通信』発刊の意図を東洋思想…………これは対談内容 前田の発言から記したのだろう。

前田 在日三世 二十代のとき日本国籍取得
その折 野末珍平さんに動いてもらったのを記憶している
在日朝鮮人の心 拙者にはこれぽっちもわからぬ
前田 このハンディキャップを<東洋>で括ることで補う
ことは察していた

前田 口火を切った
《東洋人が何千年もかかって培った東洋哲学というのは、西洋の抽象哲学じゃなくて、生活哲学なんですよ。》
2023/10/15(日) 降ったりやんだり


聞書{ききがき}


「武道通信」 
表紙 前田日明 小林よしのり
<武道通信 壱ノ巻 表紙>
検索して見なされ

前田に巻頭の論客対談 誰がいい?
編集長 唯一の権限
編集長に台割など見せたことない
見せてなどとも云わない
前田 勘のいい男だ 自分の役目は論客対談
対談相手を指名できるだけ

壱ノ巻 開いて気づいた
真っ先に「編集長敬白」あった
【正気苟使奮匹夫敵萬軍
―いやしくも正気をふるわしめれば匹夫も萬軍にあたる―】

これは拙者の聞き書き
前田 文章書き 悪戦苦闘して あきらめたようだ
読書好きの前田 おかしなものだ
よい文章を多く讀んでいるから それに等しいものをと
そのギャップがあるのか 謎だ

正気苟使奮匹夫敵萬軍
藤田東湖の「正気論」からの引用

前田が零号の松田刀匠にリングス・ラストマッチを記念して
注文打ちした三尺三寸の太刀に刻まれた銘
高山武士氏に命名してもらう

前田が日本刀に魅入られた過程 
「古刀は何回鑑{み}ても飽きない。あれ、こんなところに、こんな映りがあったのか、と鑑るたびに新しい発見がある。刀を鑑ると、心が鎮まるということはこういうことだろう。無心じゃないと見えてこない。その内、刀一本、一本の雰囲気が解ってくる。
アンティックで何が良いかと言えば気配がする。造った人、使った人、はたまた修理した人の気配かもしれない。人は気配によって感覚を動かされ、その中にある品格を察知したり、醜さを感じとったりする。
それは自分にとってものを見る前提となる。昨今、気配を無視したところで人を物事を批評するようだ。相手を察するという感覚は、ましては格闘家にとって欠くことができないものだ。そのことを日本刀に教えてもらった。」

例の早口で こう云ったのだろう
前田の日本刀との出会い 
三尺三寸の太刀のこと
刻まれた銘のこと すでに聴いていた
書きはじめ いや キーボードに打ちはじめ
これを四百詰め原稿用紙 五枚ほどにまとめた

これを前田に讀ませてない
前田も讀ませてくれとは云わない
前田 巧くまとめること信じている
前田 UWF立ち上げから拙者の原稿 読んでいる
前田 自分の気持 わかっている 自分の気持を巧く書いてくれる

−−−−−−★−−−−−−
【刃隠】 籏谷嘉辰さんからの聞書
であり拙者の論も交えた
当然 ゲラは送り 
籏谷さん 讀んでいる 
籏谷さん 時 場所 人など だけチェック
聞書 双方の信頼があって成立する
2023/10/14(土) 晴れ


朝風呂


19インチ ディスプレイの向かって左下端
退社送別会 引き出物のカード 縦9cm 横6.3cm
トレンディ・カードと同じ寸法
BBMスポーツカード 印刷 共同印刷
ご苦労様と 印刷料 無料

野袴に紺の筒袖 居合胴着
諸手握り下 1センチから頭先端 写っている
竹刀剣道 上段の構えと対するときの平青眼の構え
より 刄を上向きに 剣先 右目端まで届く
メガネは外している 眼光 鋭い ポーズとったのだ
右端 杉山頴男 杉山と頴男の間に小さく ローマ字表記

撮影 ご近所の写真屋
当然 いまはない 12,3年前 廃業
ご近所の風呂屋
三年前ほど壊しはじめた 廃業かと思いきや
新装開店 サウナもあり 人気だと云う

古{いにしえ} 神社を参拝する前 
川や海で身を清める禊が行われた。これが入浴の起源とか
もっともらしい説 違うだろ

日ノ本人の風呂好き その効能 所説ある
風呂は好きな方だ たぶん嗜好度平均的
朝風呂がいい
腹から下 浸かり 15分ほど
心臓には負担かけない
じわじわと額 肩 背から 汗垂れる 

雑念にふける
今日の草莽奮戦日記 何 書くか
さあ 明日は
「武道通信」 創刊壱ノ巻 書くか
2023/10/13(金) 晴れ


命を張る


高倉健 任侠映画 
<ヤクザ>を沸騰して濾過し 蒸留水にしたようなヒーロー
義理と人情に 命を張った男 

命を張ったものが
幻影でしかなかったと知った全共闘くずれ
<革命>を沸騰して濾過し 蒸留水にしたようなエチュードを聴きたくて
高倉健 任侠映画に喝采した

数年前 「刀女子」なるもの話題を呼ぶ
きっかけはオンラインゲームだったかも知れぬが
女子たちは 生の日本刀に命を張った男たちをみた
命を張る男たちが消えたから

「格闘技通信」創刊
命を張った

♪平穏と大志を 秤にかけりゃ
 平穏が重たい サラリーマンの世界
 幼なじみの お地蔵様にゃ
 俺の心は お見通し
 背中(せな)で吠えてる
 週プロ 格通 ロゴマーク
2023/10/12(木) 晴れ


特有の文化


トルストイ『戦争と平和』 大昔 讀んだ
筋書 忘れたが
戦争の残酷さ 平和の大事を訴えたわけではあるまい

戦争をなくすことはできないことは
トルストイ 百も承知ノ助
戦争になる前に双方の責任者が交渉し 妥協すること
人間が人間たる所以は
困難が立ちはだかった時には心をひとつにできること
集団をつくらない 個と個の闘いのチンパンジーとは違う
大きな危機が目の前にある時は同じ状況を共有する人間たちが
大きな愛でつながることができる
トルストイ そう云いたいのではないか

−−−−−−★−−−−−−
零ノ巻が出たころ
第二次コンゴ戦争
エチオピア・エリトリア国境紛争
國と國 民族間の争い いまなお絶えたい
報道ニュース番組の主役

日ノ本文化 大好き 
在日の日本研究家の外国人 曰く
文化は素晴らしいが
日本人は己の文化の特有性を強調過ぎると 苦言を呈する

某日本研究家に云いたい
剣 古代から 地球上 どの部族 種族にもあった
あなたの民族 お国にもあった
凡そ 八百年前に完成された日本刀
どの民族 種族も考えもつかない剣 
日ノ本は やはり特有な民族であることがおわかりだろう

自殺方法 切腹 これも特有である
ハラキリ 激しい痛み苦痛 まさに断腸の思い
こんな自殺方法 なぜやるのか
開国して西洋人 唖然 愕然 仰天
ゆえに 日ノ本三大シンボル
「フジヤマ」「ハラキリ」「ゲイシャ」

日本刀の斬味も特有である
映画「椿三十郎」「ボディガード」でプロパカンダされた
シーンは つくりものであるが 
斬味は伝播されていたから 作る方も観る方も納得した

零ノ巻
つづくは
【切腹の作法】 名和弓雄
【切れ味 伝説】 深海信彦
つづいて
【日本刀はどこへ行く】 土子民雄
【日本の武具 馬】 風柳祐生子

有給休暇を消化し よくつったものよ
2023/10/11(水) 晴れ


鑑定とか 古刀とか 刃文とか


前田が聞き役の対談であるからして 
話は飛び飛びになる で 拙者が要約してみた

《刀の鑑定のはじまり》

工芸品専門家 曰く 
刀の世界だけは価値感が一定している
専門家も勉強した素人も 同じ刀をみせると同じことを云う
これは我々の分野にはないことです

それは刀の鑑定のはじまりが古いということ
ひとつの解き明かされたツールができあがっているから
こういう刀は いい刀と云う
こういう刀は いい刀とは云わない
室町の世あたりに完成している 

『増鏡』に後鳥羽上皇 刀剣をよく鑑賞したと
だが その道の者にも勝とも劣らないと
鑑定の専門家いたのだ

刀の参考書は鎌倉の世からあったが 客観的に見えるものしか表現してない
室町になって「匂い」とか「映り」とかの言葉できる
表現しようもないものに用語をつけた
いろいろな用語ができただろうが 淘汰された
            
鎌倉 武士の世 弓矢と同じ剣は武器
が そこに美 精神性をみた

室町の世に完成したものに 江戸の世になり
徹底して肉付きをしていった
それが明治→大正→昭和と いまの吾々まで伝わってきている

父は娘が嫁ぐとき 短刀を譲った
辛いことがあったら独りで これをじっとみなさい
何か力を与えてくれるはずだ
大正の世に そんな逸話がある
父親 刀の意味を知っていた
武器としての機能性 そして美しさ 
そしてスピリチュアリティ 霊性を

《古刀》
 (平安末期から鎌倉末期を云う)
鎌倉=平安につくられた刀が一番上というには動かせない
だからいまの世の刀匠も いかにいい刀をつくるかと云うと
そこへ 鎌倉=平安に行くしかない
もちろん 室町にも江戸にもいい刀ってのはある
でも 美については到底 及ばない
機能性 使い方 切れ味はべつだが
とにかく<美>は鎌倉=平安のものと比較される
これは他の世界にないこと
絵画の世界で 昔のものと比較することはない

そりゃそうだ
『源氏物語絵巻』と浮世絵を比較することはない
ダビンチとピカソを比較することはない

《刃文》
刃文は基本的に五つしかない
それは南北朝の世までに確立してしまった
でも挑戦した刀鍛冶もいた
富士山に三日月とか
月とか山とかの形にしても 所詮 好まれなかった
刃文に 日本人は その形の中に森羅万象を見るのかも

ここで前田が云う
「森羅万象を具現化してみたら日本刀になった、
そんな風に言えるのかな。」
前田 巧いことを云う
前田 読書家だ が 本からの引用でない
独自のセリフを発する

五つの刃文
直刃{すぐは} 小乱{こみだれ} 丁子乱{ちょうじみだれ}
互の目乱{ぐのめみだれ} のたれ乱れ
2023/10/09(月) 降ったりやんだり


正解


オダギリジョー 監督デビュー作 脚本も 
「ある船頭の話」
艪を漕ぐ音 昭和の 匂い 音がした
いまどき こんな映画つくる若い奴がいたのかと

石井裕也監督/脚本 『月』
オダギリジョー 出演している
公開を気にインタビューされる

昔の発言
「芝居のよしあしは単に観る人の好みに過ぎない」
に対してし
オダギリジョー 
「(芝居には)正解があるわけではないし」
そう 観る者には それぞれの正解がある
芝居に限らず 世の中 正解などないのやも知れぬ
唯一 例外がある
日本刀の「美しさ」には正解がある
零ノ巻 編集長対談 そんな話だ
2023/10/08(日) 晴れ


日本刀好き


いい天気だ
秋晴れだ

あなたの好きな花はなんですか
俺は野菊
♪遠い山から 吹いてくる
 小寒い風 ゆれながら
 けだかくきよく 匂う花
この歌のイメージからだ

菊一文字 
後鳥羽院 壇ノ浦に沈んだ神器 草薙剣の再生を祈って
備前一文字派の祖である則宗{むねのり}に打たせた刀 
後年 一文字派の刀工が十六葉の菊紋を入れている刀 そう呼んだ

菊御作
刀工に刀を作らせて 後鳥羽院が焼入れだの作
拙者も焼入れだけ体験した
(刀の話しなので<俺>は使わない)
ジュー と云う音 耳底にある
菊の話 おわり

−−−−−−★−−−−−−
零ノ巻  編集長対談 
*まだ「論客対談」とはなってなかったんだ
「第一回目の対談に先生をお招き出来、うれしいです」←前田
*身代わり編集長の権限 巻頭の対談の相手を希望できる それだけ
                                                                                                                                                                                                                                                                             『日本刀講座』という二十巻からの本があって、それを古本屋のオヤジに薦められたんです。
…………読んでみたら本当に面白くて、そうなると実物がみたくなり、展覧会に行ったり…………」←前田
*前田 日本刀好き 本からだったか
拙者 小学生の頃 二階の物置部屋で刀をみつけた「道中差」 
ご先祖さんのものだろう
墓石に刻まれた戒名のご先祖さんの刀 どこへいったのだろう
田原坂で朽ちたか
拙者の日本刀好き  チャンバラ映画
正義のサムライの劍はよく斬れた

「高山武士{たけし}というすごい先生がいるという話も聞いたりして、藤森将平さんという方の紹介で勉強会に参加させてもらったんです。それが高山先生との出会いですね。」←前田

拙者も 高山さんの勉強会 出たことある 
前田から これが一番いいですと『刀剣鑑定読本』(著・永山光幹)を貰った
読んで 焼き付けばで 出向いた

『刀剣鑑定読本』
『使ってみたい武士の作法』『サムライと日本刀――土方歳三からの言伝て』
大いに参考にさせてもらった

「そう、藤森君がね、前田さんが展覧会にきて、かなり長時間、地鉄を見ていたって言う。…………藤森君が彼は本物ですよ、と言ってたんです。」←高山
                                                    
刀剣鑑定の両巨頭
本間薫山/佐藤寒山
日本美術刀剣保存協会会長/副会長 に鑑定学 叩き込まれた
高山さん 日本美術刀剣保存協会を辞め 刀剣文化研究会 開設

[森羅万象を具現化したら日本刀になった]
高山さんが云ったのだろう

先を読み進めよう
つづき 明日

[補]武道通信 創刊準備号 画像
検索で表紙 見れる
2023/10/07(土) 晴れ


日本刀を視よ


前田の先に 佐山から電話あったら
「武道通信」身代わり編集長 
佐山になっていたろうか
それはない
創刊号特集 日本刀と決めていいた

「武道通信」創刊準備号 零ノ巻
前田日明編集長

表紙写真
前田 作法に則って日本刀鑑定
【日本刀を視よ、
我らが滅ぼさんとする
魂を凝視せよ!】
前田日明編集長対談 [論客] 高山武士
森羅万象を具現化したら日本刀になった

投込み付録
リングスラストマッチ 記念カード

高山武士  前田の刀剣鑑定の師

記念カード
表面 ベースボー・ルマガジン社主催
 「夢の架け橋」 リングに登場する前田 
裏面  表紙の別カット 前田の簡単なプロフィール
前田の自筆で
志定マレバ 氣盛ンナリ  
前田日明 座右の銘 吉田松陰の言葉

中身は あした

−−−−−−★−−−−−−
 「夢の架け橋」(1955/4・2 東京ドーム)
ターザン山本 よくここまできた
新編集長 初動 苦労したろうが

『証言UWF 最後の真実』
俺と山本さん更科さんの鼎談
終わって編集スタッフと雑談最中
山本さん 俺に
「怒っていませんか?」
俺 「別に」
山本さん 「よかった」
山本さん 俺が何か怒っていると思っていたらしい

新日に取材拒否されたことか
俺の週プロでなくなっていたから
なんも 関心無い 怒りようがない

『証言UWF 最後の真実』 巻頭 前田の証言
前田はターザンに怒っていた
佐山聡著『ケーフェイ』  
「これはターザン(山本)が書いたんだなって すぐわかった
だから俺はターザンに怒ったんだよ
人の名前を使って、他人を貶めるんじゃないって」
            
「週プロであったり、あの辺のフォーマットを作ったのは杉山さんで、
ターザンはその敷かれたレールの上を脱線せず上手く走っていたという感じだったね。
で、最後はスピードがつき過ぎて止まれなくなって脱線したんだよ。いつも間にか下り坂になっているのに、それでもブレーキを踏まずに行っちゃったからさ」
2023/10/06(金) 晴れ


前田と佐山


「武道通信」創刊準備号
零ノ巻 平成十年七月とある
退職 平成十年七月である

想い出した
七月十日  ボーナス支給日 
ボーナスと退職金をいただいて バイバイ
とすると
六月ごろから創刊準備号 つくり始めていたのだ

そう想い出した
たまっていた有給休暇とった
そのとき リングス事務所へ出向き
前田日明に
俺の身代わり編集長 やってくれと頼みに行った

事務所の入り口で待っているとき
携帯が鳴った
佐山聡からだった
「いま リングス事務所にいる」と応えると
「あっ ダメだ」と切れた
    
佐山 俺に何の用事であったろう
俺が社 辞めたと知って 何かコンタクトしてきたのだろうか
前田に会っては ダメと云うのは
俺と組んで何かやろうとしていたのか

たぶん そうだろう
が 俺は前田と組んだ
「ダメか」であろう

佐山 俺と何をやろうとしていたのか
俺が出来るのは 本の編集だけ
佐山 どんな本をつくろうとしていたのか

後年 会うことになるが
このときのこと 一言もなし 俺も聞かない

−−−−−−★−−−−−−
佐山からの電話 偶然と云えば片付く
必然といえば スピリチュアリズムになる
佐山と前田がいたから
俺は「格闘技通信」を生んだ

やはり この偶然 何かある
それが何かは 人智ではわからぬ
2023/10/05(木) 晴れ


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