■大川周明
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石井サトリア いや 石井淑普{よしなみ}が なぜ インドネシアに出兵 されたのか
石井サトリア氏の言葉に耳を傾けてみよう 海軍 大學出 元大學生集め 予備学生つくる それを陸軍 真似る 飛行機操縦 乗り物運転経験ない者 難しい 米國若者 自動車 乗り回している しかし日ノ本では
そこでインテリの大學生集め 訓練教育 ところが訓練が終わらないうちに ガソリン不足 本土決戦のためガソリン 訓練教育には使えなくなる
それで現地調達で訓練となりインドネシア ジャワ島に 当時 訓練學生 三千名 やっと 飛べるようになったら 米軍 フィリピン上陸 練習機まで全部 前線に 一度も戦場で飛行機に乗ることはなかった
――では 一度も戦場で飛行機にのらなかったわけですね? 【大川 → ええ、僕らは空に憧れていて、同じ戦場で戦うにはね、 当時のお金で何万円もする戦闘機に乗って戦死すれば、ただ陸の上で虚しく死ぬより華々しいし、戦闘機を一人で乗り回し戦って空に散った方が、男の誉だと思って飛行兵に志願したわけですよ。】
ところが志願の夢は虚しく消え それ以降 もっぱら雑用 ジャワは占領以来全く平和 ――そこで終戦になった---- 【大川 → 僕ら学生時代に、大川周明が当時、大アジア主義というものを唱えておって、岡倉天心が最初に唱えた“アジアはひとつ”という流れを受けて、ひとつの体系を作っておったわけだ。 大川先生の塾に通って、その学説の読書会をやっておった。今のゼミと同じで、それを僕らは受け取ったから、若い頃の僕の思想はいうのはやっぱり“アジア解放”というのが心の柱になってたわけだね。それが日本は敗れるわ、かた やインドネシアは独立しようとする。この時代の大きなシフトが、これまでの植民地での被支配者が自ら独立しようとする潮流だった。人間で云えば誕生の時のやね。 若い頃の思想が動機となって、独立戦争に参加しようという気になって、日本の部隊が引き上げる前に、僕はインドネシアの軍隊に飛び込んだ。】 −−−−−−★−−−−−− 大川周明 東京裁判 あのシーン 前に座っている東條英機の頭を後ろから音がするほどの力で叩いた 東京裁判においては、唯一、民間人としてA級戦犯の容疑で起訴 GHQ 大川の大アジア主義 影響力 大きかったとの判断だったろう 精神障害と診断され 訴追免除 入院中 以前より念願であった イスラム教の聖典「クルアーン」 全文の翻訳を完成 東京裁判終了後 まもなく退院 東京裁判で起訴された被告人の中では 裁判終了時に存命していて有罪にならなかった唯一の人物となった
“大川周明ファン” 精神障害は大川のフェイクだと噂した
2024/12/10(火)  |
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