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日本武道具さんへ一筆啓上


第二十六話 「野袴と藍染め」
http://www.budoshop.co.jp/Kiserunokemuri-3.html
2016/11/12(土) 晴れ


明日からの面倒な宿題


なにも北米大陸だけではない。
吾が列島でも
聲高な少數派(ノイジー・マイノリティ)が
物云はぬ多數派(サイレント・マジョリティ)に
あなた方も我々と同じ考へだと叫んできた。

コレの化けの皮が剥がれた。
親分(北米大陸)が壊れたから
子分(日本列島)も化けの皮が剥がれる(呵呵)。

しかし、
北米大陸と違ひ、吾が列島は
昔からの親類同士の
ドブ板をまたいでの隣近所だから
北米大陸のやうな
エスタブリッシュメント(既成秩序)への
ルサンチマン(復讐)は生まれない。

二四〇年の人工コア・パーソナリティーより
移民以前の十萬年コア・パーソナリティーの引力ははるかに強ひ。
また復讐戰がはじまる。
十萬年前なら對岸の火事で見物してゐればよかつたが
さうもいかないところが
吾が列島の明日からの面倒な宿題だ。
2016/11/10(木) 晴れ


十萬年前の東北アジアのシャーマニズム


季節は巡る。三島由紀夫の季節が來た。
三島由紀夫と林房雄の『対話 日本人論』
林は云ふ。
「日本民族としてのコア・パーソナリティー(核心性格)は
十萬年單位で考へられてゐますよね」
「十萬年單位で考へる」は日本の文化人類學者の説である。

二萬年ほど前まで大陸と日本は陸續きだつた。
十萬年單位で考へるなら
日本はシナ東北部&滿州&モンゴル&シベリア&朝鮮の
東北アジアのシャーマニズムのコア・パーソナリティー内にあつた。
日本におけるルドルフ・シュタイナー研究の第一人者は云ふ。

十萬年前の東北アジアのシャーマニズムとはなんであつたらう。
隣國の大統領糺彈の因である<靈媒師>と
十萬年のシャーマニズムはつながるのであらうか。

日本は一萬二、三千年ほど前、大陸から切り離され列島となつた。
十萬年單位がここで終止符を打たれた、としよう。

日本のオリジナルのコア・パーソナリティー[八百萬の神]は
十萬年前のコア・パーソナリティー地層の上に現れた。
これを次の十萬年單位のはぢまり、としよう。
氣が遠くなる話どころでない話だ。

多民族による人工國家USAと云ふ
人工コア・パーソナリティーはたつた、たつたの二四〇年。
USAコア・パーソナリティー「偉大なる國」は
何年單位で考へられるのか。
新大統領に聞ひてみたいものだ。
2016/11/09(水) 晴れ


云はぬが花


六枚めくりのカレンダーも、あと殘る一枚となつた。
四季折々の竹の風情の冩眞。
最後の一枚はト伴椿{ぼくはんつばき}が寒竹に寄り添ふ。
濃い紅の花瓣と葯{やく}の白との色合ひに趣きがあり
江戸の世、茶花{ちやばな}として愛好された。

椿は「首切り花」との俗名もある。
花が散るとき、あたかも首が落ちるやうに
「ポトリ」
戰國武將の家紋には椿はない。さう、櫻もない。

『葉隱』の田代陣基の「漫草」の最後の一行。
「濡れてほすまに落ちたる椿かな」 呵呵

『葉隱』の大抵のテキストには「漫草」はない。
「漫草」があるには佐賀藩主所藏のものだけで、
殘存する冩本にはないからだ。
山本家に殘された原本にも「漫草」はなかつたらう。

「漫草」は江戸詰めとなつた田代陣基が晩年に書き殘した。
在野の『葉隱』読みこなし家は確信する。

呵呵。大笑ひしたのだ。
干す間に落ちたる椿を
誰かに、何かにたとへて大笑ひしたのだ。

誰だらうか。何であらうか。
云はぬが花。
2016/11/02(水) 薄曇り


カミカゼを理解できる日


テレビドラマの新番組の初囘だけをネットでのぞく。
世相の心模樣をのぞくため。

「戀とは
人生をきはめて短くするファイダーだ。
シャッターをさう簡單に切るのは止めたまへ。」
小津安二郎の日記の一節が浮かぶ。

シャッターの切りまくり。
戰前と戰後の境界線はここであらう。

シャッターを簡單に切りまくれるのは
自己本位、自己實現、本當の自分、個性の追求。
結果、
[死]との向き合ひ方がヘタになつた。

戰前の下町の爺さん婆さんでも
[死]との向き合ひ方ができてゐた。
建前と本音の調和ができてゐたからだ。

敵さんはカミカゼが理解できなかつた。
建前と本音の調和ができた特攻隊員の腦は理解不能だつた。
しかし、腦科學が大好きな敵さんは近年の實驗で氣づいた。

赤子の腦の、最初の反応は
「われ思ふゆゑにわれあり」でなく
「おかあさん、一緒に遊ばう」」だつた。
敵さんがカミカゼを理解できる日も、さう遠くはない。
2016/10/28(金) 晴れ


風が薫り立つ死


武道通信かわら版<特攻隊員の遺書>のつづき

 汝我に嫁して四箇月誠に良く仕へて呉れた
 有難く禮を言ふ何も不服はない
 四箇月にして後家となる汝が何としても可哀想なのだが
 覺悟の上なれば雄々しく第一歩を踏み出すべし
 言ふべき事は松山で言つた通り 最後に女々しく何も言はぬ
 俺も立派な軍人として死ねる
 榮吉郎兄 長三郎兄には文通の暇がなかつたが宜敷く頼む
 泣くなみつともなひぞ俺は笑つて居るのに
 元氣で暮らせ 明日は征くぞ
  二月一九日夜
  最愛の達子殿

「最愛の達子殿」へ遺書を書いた特攻隊員は原田飛曹長。
横須賀海軍航空隊から旗艦であつた空母赤城の搭乘員となる。 
機動部隊の旗艦赤城には優秀な偵察員が集められた。

眞珠灣攻撃の第二次攻撃に參戰。米軍高射砲彈の破片が太ももに刺さる。
ガソリンタンクに機銃騨が突き刺さつてゐた。

昭和十九年十月、結婚。この戰爭を生き拔くことが至難と感じる。
赤城もミッドウェー海戰で沈んだ。
家の長男とし跡取りを殘していく務めがある。
見合ひした達子さんはそれをわかつてくれた人だつた。
新婚四ヵ月、千葉香取基地への進出を命じられた。
達子さんを原田の實家に歸した。
香取基地で特攻志願が募られ、応募した。
出撃の二日前に達子さんにしたためた遺書だつた。

 
海軍士官は結婚するときは、儀禮的にも海軍大臣の認可を得らなければならない。
海軍の籍がないと遺族恩給が出ない。
原田飛曹長は失念してゐた。特攻出撃は急轉直下のことだつた。
二月十九日、特攻出撃する隊員たちの壯行會が行はれた。
壯行會最中、原田飛曹長は拔け出し、庶務主任の部屋を訪ねた。
 
妻の入籍手續きが行はれてゐない。戰死者の遺族は扶助料がもらへるさうです。
ろくなことをしてやれなかつた。死線を何度もこえてきた男は頭を下げた。
庶務主任 はどんな方法をとつても認可をとりますと云ふと、
「これで思ひ殘すはありません」と去つていつた。

庶務主任 は手續きにとりかかつた。書類を書き終へたとき夜はふけてゐた。
士官舎へ通じる渡り廊下をいく庶務主任の耳に、低い歌聲が聞こえてきた。
士官舎から少し離れた、木立の蔭からだつた。

♪夕燒け小燒けの赤とんぼ 負はれてみたとのいつに日か♪
原田飛曹長、その人だつた。

故郷{ふるさと}の風景を想ひ出してゐたのだ。
“原點”を懐かしんでゐた。
天皇教武士道は「天皇陛下萬歳!」を強制した。が、
特攻隊員の皆の最期は本音の「おかあさん!」
武士の興りの一所懸命の「ふるさと」“原點”であつた。

二月二日、出撃のときがきた。千キロ先の硫黄島を目指した
原田飛曹長の飛行服のポケットに妻「達子殿」の冩眞がしのばせてあつた。

原田飛曹長が乘る隊長機は敵航空母艦サラトガに命中。
戰後、生き殘つた戰友が達子さんに傳へた。
それはアメリカ軍の記録で證明されてゐる。

談余。
昭和十九年十月二十五日。はじめての神風特別攻撃隊がマバラカット基地から飛び立つ。

2016/10/25(火) 晴れ


風が薫り立つ男


原 節子の魅力を[エロス]と評す御仁は多い。
作家とか役者とか言語に關はる者ならば、
なぜ[エロス]と感じるのかを説明しなければならぬ。

拙者は、原節子の「エロス」を
「戰前、戰後を通じて變はらぬ矜持」表現した。(武道通信かわら版10月20日号)
銀幕でないところに原節子的[エロス]をもつた無名の子女は多くいたらう。
軍事で100%屬國になつても、芯から腐ることはなかつたのはそのせゐだ。

男子の戰前、戰後の落差はあまりにも大きかつた。
集團的自衞權も個人的自衞權も取り上げられた。

男子の美しさを求めた。三島の劍道は美しさを求めた。
三島由紀夫いはく。日本男兒が一番美しいのは劍道着姿。
三島は劍道着姿に[エロス]を感じた。
拙者は、[エロス]」かう表現する。
「絶滅人種[武士]をせめて化石としてだけでも殘さうとした
先人の念い。[武士]化石から匂ひ立つ[エロス]」

試し合ひが終はり、
正坐した儘で籠手、面を外し、手ぬぐひで面の汗を拭ふ。
兩籠手を竝べ、その上に面を置く。
胴を外し、垂を外し、垂の帶紐を結ぶ。
垂の表側を上下逆さにし、その上に胴の裏側が上になるやうに置く。
長い胴紐を前垂の裏側に囘し、十文字にしばり胴の裏側に囘す。
囘してきた胴紐を蝶々結びにする。
短い方の左右の胴紐で前垂帶を下から上方向に胴臺に卷き附けて固定する。
その上に籠手を入れた面を乘せる。
最後に左脇に置いた竹刀を持ち、ささくれがないか目を配る。
そしていま一度、「場」にほはす武の神に禮をし、
前に置いた垂、胴、面、小手を持ち、兩膝をついて一舉動で立ち上がる。

絶滅人種[武士]の化石でない
生身の日本男兒に一番「エロス」を感じるのはこれである。
<風が薫り立つ男>がゐる。
2016/10/22(土) 曇り


エリートが「心」の折れるとき


山本常朝は生まれながらの虚弱體質で、父から塩賣りにでもくれてやるかと云はれた。
父の羞恥である。秀吉、秀頼は五十七歳のときの子。神右衞門、七十で子をつくつたと佐賀藩侍のツイッターで大騒ぎであつたらうが、コレ、『葉隱』には一言もない。
 
常朝の二十歳上の甥の父、つまり常朝の兄は、父の躾で五歳で犬を斬り、十五歳で死罪の者の首を斬つた。『葉隱』にはないが、常朝も同じだつたらう。ゆゑに二十四歳のとき見事な介錯をしてゐる。

父の遺訓を田代陣基に語つてゐる。
「草紙や書物を讀んでゐると、すぐに取り上げられ燒き捨てられた。書物を讀のは公卿さんの仕事。中野一門は樫の木をつかんで振つてゐればよい。武邊するのが役目」
一番見込みのある男子は養子に出す、との常朝の祖父神右衞門の持論で、祖父は、父にだけ「神右衞門」の名を繼がせ中野家の分家山本家に養子に出した。
父神右衞門は、佐賀屈指の尚武の名門、中野家のプライドを八十一歳まで常朝に叩き込んだことだらう。
『葉隠』で常朝が威勢のよい吐く言の葉には中野家のプライドが圧縮されている。

幼かつた常朝、父の“鬼の十則”に心が折れ自殺しようと、一度や二度は考へたことは想像するに易い。
「家門を汚す」。幼な心にもこれが齒止めになつたと、想像するに易い。

現代のエリートは「個」でしかなくなつた。プライドのバックボーン「家門」をなくした。強度を増すはずだつた西洋流個人主義はプライドのバックボーンにはならなかつた。

「家門」にかはるプライドのバックボーンが「日本帝國」に變はつた時期もあつた。戰さに敗れ「日本帝國」が消失したとき、「日本帝國」はプライドのバックボーンでなかつたことを知り、優しい天皇(皇室)にすがつた。
後年、優しい家族にすがる後遺症が殘つた。

キーボードに指をあて<ふと、ひらめいた>「エリートが「心」の折れるとき」の言の葉から指が勝手に動くのに任せ、綴つてゐる。

「普通の人」と威張りくさる凡庸の者の戰時体驗に耳を傾けるな。
戰前、戰後を通じて變はつたものなど表層であることに氣づかない。
戰前、戰後を別物とした「戰爭で犠牲になつた人たち」と繰り返されるフレーズのカラオケボックスで育つた者たちの脆さ。

男女平等、男女機會均等の世なら女子も「○○女子」から卒業して
凡庸でない男と均等に武士道を論じなされ。
女子にとつての武士道とは。
<風が薫り立つ女>。いまそれしか云へぬ。

原 節子は戰時映畫「決戰の大空」でも敗戰後映畫アメリカン民主主義賛歌の「青い山脈」でも
<風が薫り立つ女>であつた。
戰前、戰後を通じて變はらぬ矜持があつた。
隱遁したのは戰前、戰後を通じて變はらぬ矜持を保ちたかつたからだ。
<風が薫り立つ女>出よ。

2016/10/18(火) 晴れ


■ 「保守」「リベラル」「宗教」etcの大儀を超える大儀


「日本刀信者」になる豫兆はあつた。
二十歳を過ぎたころ、三島退社で日本刀をみて、
「光と影と沈默と……」
天來の着想のやうにひらめいた。
コレは以前、この日記でも綴つた。
以前綴らなかつたことを云ふ。
大仰に云へば、日本刀に宇宙のカタチ、サマをみた。

歳食ふと、光が反射してできる「影」ではなく、
モノがソコに見えるための「陰」ではないかと考へる。
まあ、漢字の表意など、どちらでもよい。
光と影だけの沈默と……、「光」「影」「沈黙」
それ以外にナニか、もう一つあるのだ。

語りつくされた「武士道」にも、まだ語られてゐない
ナニか、もう一つあるのではないか。
日本列島だけの“品種”だけでないナニか。
2016/10/15(土) 晴れ


地味にヤバイ! 日本刀


中世の「もののふ」「ますらお」「つはもの」の興りをおしはかるとき、
これら軍人{いくさびと}は、皆が[霊力]を100%信じきつてゐたことを
頭に叩き込んでおかないと「武士」の原像をおしはかることができない。

[霊力]をギュと押し込めた
美しいすぎる大鎧、美しいすぎる太刀の刄、拵へ。
[霊力]に恥ぢぬ行ひとせねばならぬと「武士」は背筋をピンと張つた。
「心映え」「矜持」が芽生えた。

ココんとこが見えてない
<近代洗禮>を優秀な成績で卒業された學者センセイたちが、
古文書を何度も讀み返しても「武士」の實像をおしはかることができない。
大鎧も單なる西洋騎士のブレートアーマーになつて、太刀は防げるか、矢は射通せるかに墮ちる。防具以前の事柄なのだ。武器としての太刀も同じ。

近世の、戰國の世の「武士」になつても
[霊力]を60%〜70%信じてゐたこと頭に叩き込んでおかないと「武士」の實像をおしはかることができない。

泰平の世、朱子學の「士道」に勵んだ武士とて
[霊力]を40%〜50%信じてゐたこと頭に叩き込んでおかないと
大石内藏助や山本常朝の實像をおしはかることができない。

つまり[霊力]を0%信じてない、いまの世の者が「武士」の實像をおしはかることができないのだ。
「武士とは何者であつたか」をライフワークとしてきた拙者の結論。
オシマイ。

それではあまりに寂しいからオマケ。
「武士」が消滅する前夜、幕末の武士のピンからキリまでが信じきつてゐたことがある。
「世界に類のない日本獨自の劍には魂が宿つてゐる」
ここからしか、それぞれの時代の「武士」の實像を探つていく道は殘されてゐない。
で、武士論を語る「ピンからキリ」のキリ拙者、「日本刀信者」となつた。

ゴッホの繪が七十九億圓だつて。なら正宗は一兆圓でも安い。
これがわからぬ者は相手にせず、ではない。相手にしていかねばならぬ。

『挌鬪技通信』を創刊したころ
拙者に金と地位を兼ね備へた[權力]があつたら
いまの世の<挌鬪技>の風景は變はつてゐた。
『武道通信』を創刊したころ
拙者に金と地位を兼ね備へた[權力]があつたら
いまの世の<武道>の風景は變はつてゐた。

結論を急ぐ。
まづもつて刀鍛冶&研師が儲かる世にする。
おのづから刀鍛冶&研師が増える。
21世紀後半の世に正宗らに劣らない名匠らが出現する。
金と地位を兼ね備へた[權力]を持つ者よ、これを“プログラミング”をせよ。
目に見えぬ[霊力]ではない。目に見える世界のことだ。
2016/10/12(水) 晴れ


「バカ者は相手にせず」つづき


先の武道通信かわら版の拙文、
「バカ者は相手にぜず」と誤字があつた。
「地味にスゴイ! 校閲ガール」でなくとも
小學生の校閲マンにも「せず」と赤入れされる。

いつも締め切りギリギリでの書きなぐりで、校閲は無頓着。
締め切りギリギリにならないと<書く氣>が起こらないのだ。
この習性、死ぬまで直らないであらう(呵呵)

云ひ譯を一つすると、「自動筆記」
シュルレアリスムのオートマティスム(自動筆記)。
何を書くか、はじめから決めてない。
キーボードに指をあて<ふと、ひらめいた>言葉から指が勝手に動くのに任せる。
考へてもゐなかつた、この上なく適切に言ひ表しが飛び出してくる。
おまけに考へてもゐなかつた見解も飛び出してくる。
コレ、靈力だと勝手に信じ込んでゐる(呵呵)。

さて、本題。
三年連續のノーベル賞。USAに後追ひする世界二位の日本の基礎科學力。
この因は、この列島の風土が生んだ、類まれな自然觀察力である。
劍に雲、波、草花の刄文を入れるのもソレの流れである。
この意味がわからぬバカ者は相手にせず。

「お城女子」が城に憧れるのは、城は戰場を想定してつくられた。ゆえに美しいからだ。
戰場を忘れた周圍の男どもに愛想をつかしてゐるのだ。
この意味がわからぬバカ者は相手にせず。
2016/10/09(日) 薄曇り


日本武道具さんへ一筆啓上


股立{ももだち}を取る

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2016/10/07(金) 晴れ


朱子學、君の名は。


『葉隱』の常朝は、赤穗浪士の討ち入りを「計算づく」と罵倒した。
吾が鍋島藩の長崎ケンカを見ろ、思ひ立つたら即、斬り込む。これが武士だと。
幕府は喧嘩兩成敗で仕置きし、発端人は切腹、御家取り潰し。他は島流し。
御家大事の常朝、この矛盾の解決法を田代陣基に語つてゐない。

赤穗浪士が長崎ケンカ式で討ち入りをしたら一夜漬けのテロ。幕府はこれを歴史から封印したらう。「十二月十五日」物語はなかつた。

大石内藏助は「計算づく」で成功した。
幕府に「法」(理)をもつて立ち向かつた。一方、「情」(氣)を貫くことを策し準備した。

朱子學は儒教にもともとあつた[理氣]を集大成した學門だ。八百年前、朱子が唱へた。
[理氣]は社會、また人の生理であるからしてChina、Kore、Japanとて同じだ。材料は同じだか、仕組み、組み立てが違ふ。

China、Koreは[理]の組み立てが一枚岩。
Japanは[理]の組み立てが一枚でなく、幾つもある。
これも日本列島の風土だらう。ゆゑに[家]が生まれ、家風が生まれ、[理]となり幾つもある。幾重にも重なる。

自然、[氣]の發露も異なる。
China人、Kore人のアノ感情の發露はおなじみだ。

China人、Kore人からすれば[理氣]の温度差から日本が腹立たしい。感情でなく[理氣]として反日なのだ。
嫉妬、嫉みからの反日ではない“まともな”反日感情はコレだ。これは腹の底に收めておくべき。
マスメディア&ネットの反China&Koreでおバカにならぬよう。

日本に渡來し、日本の風土(日本人)と附き合ひはじめると、その違ひに氣づくChina人、Kore人は少なくない。

物覺えがめつきり惡くなつた前、前、前東京都知事がそのむかし、まだ健忘症のケの字もなかつたころ、うまいことを云つた。
「損得勘定ができる道徳が必要だ」
盛土ゴタゴタも、この「損得勘定ができる道徳」で解決すればよい。

大石内藏助は「損得勘定ができる道徳」を選び勝ち取った。
祖父・父の戰國武士に憧れる『葉隱』の常朝。青春時代、一生懸命學んだ佛教・儒教・禪がこんがらがり、
戰國武士のモットーだつた「損得勘定ができる道徳」わけわからなくなり、
大石内藏助が讀めなくなつた。

さうだ、盛土計劃を變更した責任者よ。
おぬし、何者だ! 名を名なのれ! 堂々と正論を述べよ。
コレ、武士の作法。
2016/10/01(土) 降ったりやんだり


神武天皇、君の名は。


神武天皇の名はカム ヤマト イワレ ヒコ。
「天皇」の称号がつかはれたのは七世紀後半。
實在の天皇は何代目からだとの推察はどうでもよい。學者センセイにまかせておけばよい。「天皇」の實體とは無關係。

カムとは「神々しい」「神聖」と云つたところ。
ヤマトは大和盆地でなく日本列島のこと。
イワレとは岩から生まれたとのこと。尋常な人ではないとのこと。
ヒコは靈力をもつた男。
岩から生まれた日本列島に住む神聖な靈力をもつ男

カムヤマトイワレヒコは何者だつたか。
天上の高天原にほはすアマテラスオオミカミの子孫が、地上に降り立ち、
山を支配する神の娘、海を支配する神の娘と二重結婚して生まれた。
高天原の神の血統と海の神、山の神の血筋がトイワレヒコの體の中で一つになつた。ゆゑに初代天皇。

この日本の神話は、天皇による日本列島統治の由來を説き明かし、
その正統性を證明する國策プロパカンダでない。
日本列島が誕生した古代からの傳承。

日本列島の住人の素、祖は
南方からの渡來人と北方からの渡來人の愛の子、いや合の子、混血兒。
拙者の血の中に海ヒコ、山ヒコがゐる。

海彦山彦神話は海ヒコと山ヒコの手打ち式であつたが、
海ヒコが山ヒコの軍門に下るとの筋に書き換えられた。
七世紀あたりに大陸の儒教(儒學)の影響があつたのだ。

天下泰平の願ひからChinaからの借り物の「士農工商」の看板を掲げた。
合の子の片方、海人(漁人)は無視され「農」に組み込まれた。

昔からインテリが好きだつた儒教(儒學)と云ふシロモノを
一度、ふわけ(解體)してみなくてはならぬ。
<右や左のダンナさま>のイデオロギーのリーダーは、
おおむね儒教(儒學)に染まつてゐる。

わかりやすいところで、
赤穗浪士討ち入りはアンチ朱子學であつたと云ふところから。
ChinaとKoreの反日の元は朱子學であつたと云ふところから。
2016/09/28(水) 晴れ


すめらみこと(天皇)の名は。


正しくは「スメラ・ミコト・モチ」
スメラ(最高・最貴)・ミコト(御言)・モチ(執チ=傳達者)
すなはち<最高最貴の聖語傳達者>
神々のことばを人間に傳へるところの最高にして最貴の存在が<天皇>

天皇の祭祀の儀式の場は時空を超え<高天原>へ飛び、<高天原>の神々を祀る。
天皇は祭祀者。

西洋の脅威にさらされ、彼らの宗教に陵駕されないため、
天皇は神々を祀る存在から
民から祀られる存在となつた。
[現人神]になつた。
一夜にして<藩>から<國>へ變容させるため先人たちは苦勞した。

横井小楠が下書きした「五箇條の御誓文」までは新進氣鋭に滿ちてゐたが、
横井が暗殺され、繼いだ弟子の元田永孚{ながざね}は朱子學から拔けきれず「教育敕語」で天皇を<師>とし、師と弟子。父と子の関係にした。
師曰く……の儒教色となつた。

一夜にして<藩>から<國>へ變容させるため、先人たちはドタバタといろいろ苦勞した。
先の戦さ、敗れてしまつた祖父・父を持つ吾らが責めてもせん無い。

これからは吾らの仕事だ。
高齢者社會はボーナスなのだから。
2016/09/23(金) 降ったりやんだり


「老孃」の時代


百七十年前のハナシだ。
江戸市中の下々には九十歳以上の後期高齢者が三十四人いた。
「御襃美」として米七俵が將軍家から下賜された。
一番の高齢者は麻布本村町の治平衞(姓はない)で百二歳。

武士では九十五歳の現役御留守役の土屋讃岐守以下二十五名ゐた。
一番の高齢者は林奉行の井上元七郎で、なんと九十九歳。

江戸人は長生きが多かつた。
江戸後期の平均年齢三十台後半とは
幼兒の死亡率、疫病、自然災害での死亡率も込みの平均値。

「中風のおとつさん」劇でつくられた例外的イメージでなく、
カクシャクとした老人たちであつた。
なぜなら、寢たきりの老人になる前に、
半病人は江戸の世の醫療力現状では<淘汰>されていつた。
<淘汰>されずに生き殘つた元氣な後期高齢者であふれてゐた。

六十九年前のハナシだ。
「ろうじやう」と聞けば、城女子は「篭城」と勘違ひするだらうが、「篭城」にあらず「老孃」である。
六十九年前の、まだGHQに逆らつてゐた朝日新聞の記事。
「もんぺ姿の老婆の變屍躰が發見された。歳は五十歳ぐらゐ」と書かれてゐた。
1966年生まれの三田寛子さん、「びつくりポンや」であるが、コレ、當時の常識。

同じ年の朝日新聞投稿記事。題して「老孃の日記」
「三十歳の娘が家の中でくすぶつてゐる」と。
六十九年前、三十歳の未婚の女性は「老孃」であつた。コレ、當時の常識。
親にせかされるまでもなく、自ら進んで二十代前半で嫁いで云つたのがよくわかる。
「泣く泣く」も演出效果でのつくられた例外的イメージ。

和製英語「アラサー」はまだ久しい。で、歳は三十前後から四十前後に繰り延べされた。
江戸の世、四十代は「初老」。
「日本刀」との造語をつくつた『日本外史』の頼山陽は四十歳で自らを「翁」と稱した。要は隱居でき、自分の好きな道に沒頭できた。
徘徊師・芭蕉、繪師・若沖もこの手だつた。

「結婚できない」でなく「結婚しない」アラサー、いや「老孃」、
自分の好きな道に沒頭なされよ。
少子化問題は國の統治活動の範疇。御國の問題。
私人が非難される覺えはない。
ましてや社會のしくみは、日本國家のしくみは、そんなヤワなものではない。
安心なされよ。
子供を生まなくとも平成の芭蕉、若沖をめざせ。
その方が世のため、人のため。
2016/09/19(月) 降ったりやんだり


ケルト人の神道


ケルト音樂ブームは久しい。この「久しい」は「相變はらず」の意味合ひ。
「ひさしい」には「久しい」と「尚しい」の當て漢字があるからややこしい。

ケルト音樂は「螢の光」をはじめ、明治期の小學校唱歌から日本人には馴染みが深い。
先のウヰスキーの朝ドラでは效果音としてうまく使つてゐた。
イギリスのEU離脱で、アイルランド&北スコットランドの獨立が騒がれた。
遲かれ早かれ獨立するだらう。

西歐文明の源は、ギリシャ・ローマの地中海地域の文明だと西歐の文化人は強調する。その方がカッコいいからだが、内陸でのケルト文明も西歐文明の源流である。

ケルト人は文字を殘さなかつた。口承文化であつた。爺さん婆さんが口語りだけで傳統文化を傳へたのではない。祭祀の儀式で部族の絆や死生觀、自然觀などを傳へた。かつての口承文明はみなさうだ。
天皇家に傳はる祭祀の儀式の一部始終を國民に、子らにもわかるアニメをつくらんか。題して『すめらみこと(天皇)の名は。』

本題に戻る。
ケルト人の歴史は敵側のギリシャ人、ローマ人によつて書かれた。
それによるとケルト人は紀元前十世紀中ごろからライン河沿ひに住み着いてゐた。やがていまのフランスにも廣がり、紀元前五世紀以降は、ブリタニア、イングランド、アイルランド、スコットランド、北イタリア、ドイツの一部へ移住していつた。
さらにゲルマン民族大移動についていつて南下し、地中海とエーゲ海・黒海に挾まれた西アジアの半島地域まで及んだ。

ボヘミアの地名はケルト人の一部族ボイイが由來。イタリアのボローニャも、フランスのリヨンもケルト人が先につけた名に由來する。

その後はローマ帝國支配におかれ、ゲルマン人に凌駕されケルト人は終焉したかに思はれたが、どつこい、島のケルト人は殘つた。
アイルランド、スコットランド島などで文化は繼承された。言語も習俗も殘つた。

ケルト人は、神々を表すのに人體を模すことはなかつた。佛教傳來以前の古代日本列島の住人に似てゐた。
泉、岩、樹木などの自然物の中に精靈がゐて、それをそのまま崇める。
萬物はさまざまな樣相を持つてゐるとし、渦卷文、組紐文、植物文の文樣を持つてゐた。佛教傳來以前の古代日本列島の住人に似てゐる。

ケルト音樂が日本人の心に響くのはそのせゐか。
<西洋近代>の樂譜の津波が襲つたとき、見事に受身をとり、子供たちにケルト音樂を選んだ先人に拍手。
2016/09/18(日) 雨


「渡來人」から「歸化人」へ


『風土記』の世、諸國には諸國の方言があり、話し言葉ではなかなか通じなかつた。
いまの世の民族紛爭、いま視線が注がれるシリアの内戰。
獨自の國家を持たない世界最大の民族集團、クルド人の獨立宣言の火蓋が切られたからだ。

イスラム以前からの先住民族。固有の民族を定めるクルド語は方言が多く、話し言葉では意思の疎通は困難であつた。
二つの代表的な方言のみが文字をもつてゐたが、兩者は異なる文字を使用してゐた。いまの世もつづく。

『風土記』の世、諸國には諸國の方言があり、話し言葉ではなかなか通じなかつたが、同じ文字を使用してゐた。
『古事記』の重要性は、なにより漢字を當て字とした日本語文字が成立してゐたことの證明。
唐風から和風への挌鬪のすゑ、平安のはぢめにはひらがな、カタカナの音節文字、假名が現れた。

大陸・半島からの「渡來人」は、この優れ者の國に喜んで「歸化人」となつた。
いまの世、ユーラシアの西方からの「歸化人」の流れも大きくなつてゐる。

日本に敗戰が決定的となつたとき、フランスのパリで晩餐會。
詩人であり駐日フランス大使のポール・クローデルは云つた。
「Je(ジュ=私)がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。あれほど古い文明をそのままに今に傳へてゐる民族はありません」
「日本人は貧しい。しかし高貴である」

貧しくならうよ、平成日本人。高貴にならうよ、平成日本人。
2016/09/16(金) 薄曇り


アメリカ時間で「9・11」

「9・11」は、<世界の民族地圖>に疎かつた吾らの目を醒ませた。

[民族]と云ふのは厄介だ。
紀元前までたどらねば、その素性はわからぬ。
オリンピックを何囘やつても[民族]の諍ひはやまない。

天皇の詔によつて、諸國に命じて郡郷の名の由來、地形、産物、傳説などを書かせた『風土記』(713年=和銅六)は、
大和朝廷が諸國の[民族]を知るために必要とした「日本の民族地圖」であつたらう。

古代日本列島は孤島ゆえ共通した[民族]性を保つてゐた。
2016/09/12(月) 曇り


映畫祭受賞で平將門が浮かんだ


武州多摩町田の刀劍商「はたや」の主から餅鉄{もちてつ}のことをお聽きした。
全日本戸山流居合道聯盟の宗家でもある刀劍商は、そのむかし刀劍の師匠から聽いた。
古代の東北地方には餅鉄は無盡藏にあつた。

特に多く拾へるのは岩手縣釜石市。川原や山中にころがつてゐてゐる。形は川原の小石と變はらない。大きさは碁石の二〜三倍からジャガ芋ぐらゐの大きさ。が、手に持つと石より重い。磁石につく。つまり磁鉄鉱塊。
「もちてつ」の語源の説はどうでもよい。要は砂鉄より不純物が少なく、砂鉄のたたらより良い鋼がつくれる。

「前九年の役」「後三年の役」の東北の豪族の劍は餅鉄からつくられた。
朝廷の討伐軍が奧羽地方の豪族制壓に何十年もテコずったのも、敵の良質な劍のせゐだつたと納得できる。

モントリオール映畫祭でサムライ映畫が賞をとつたの報を知り、餅鉄を思ひ出した。
サムライが玉鋼復活にかける情熱は、それはそれで好い。
が、それが新しいサムライ像でもなければ、サムライの原像でもない。
サムライの原像とは……。

武士は、なぜ、反りがあり、鎬{しのぎ}のある劍を刀鍛冶に發注したのか。
これがサムライの原像。
異國のサムライ・ファンの御仁たち、よ〜くご承知あれ。

世界文明史での固有の劍。反りがあり、鎬{しのぎ}のある日本刀が、
最初に出現したのは下總だとの説。前九年の役、後三年の役より前のこと。
平將門が馬上で「ススメ!」と振るつてゐたのは反りがあり、鎬のある日本刀。

朝敵として平安京に首を晒された平將門を
江戸城の鬼門に遷坐したのは、徳川幕府が<天皇家と武家の水面下での相剋>の歴史をよ〜く知つてゐたからだ。が、それだけではない。
平將門が日本刀を使つた“最初の武士”との尊敬のまなざしがあつた。さう、おしはかつてみると愉しい。
2016/09/11(日) 曇り


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