■李東仁{イトンジン}
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【小杉→ 日韓併合とそれに伴う実質的な植民地支配の現実から 光を投じようとは思わない。 そのような 営みには すでに多くの論議が費やされている 私がここで、ほんの断片だけでも紹介したいと思うのは、 いわば現実されなかった歴史の一齣{ひとこま}である。 実現されなかったのだから、厳密には「歴史」に属さないことかもしれない。 しかいながら、実現されかったことすべてが無意味なことだったとは決して 思いたくない。 近代の過酷な曙に、日本と朝鮮とが手に手をとって立とうとした。その一瞬の脚力に、ささやかな光を当ててみたいと思う。】
明治十一年 師走一日 開港間もない釜山にできたばかり日本の寺に 若き朝鮮人僧侶が一人 訪ねて来る 名を李東仁{イトンジン}
朱子学のみを正統とする李朝では 仏教は弾圧/冷遇され僧侶は賤民とされていた が その若き朝鮮人僧侶 ただならぬ品格 半年の間に 幾度となく寺(東本願寺別院)を訪ねる 数日 泊まっていくこともあった 話しの内容は 仏教のことはまったくなく 国際問題であり とりわけ日本の明治維新と近代化であった
二、三ヵ月 ソウルへ行くと姿をみせなかった ふたたび現れたとき 彼は居住まいを正し こう語った ようやく時機が到来した どうか私にお力添いをお願いしたい 私はソウルの同志らと朝鮮の抜本的改革を願っている者だ 明治維新を成し遂げた日本の近代化からこそ学ばなくてはならない どうか私を日本へ連れて行き 志を遂げさせてくれまいか 李朝は鎖国を国是としていた 密航は国禁
本願寺別院の僧たちは この赤誠の願いを汲み取った 無事 長崎に上陸 東京本願寺に入った 明治十三年 福沢諭吉と会う ここに 朝鮮でもっともラディカルな改革運動家と 明治維新を推進した日ノ本の思想家との間に橋がかかった
福沢諭吉 曰はく 本当に二十年余前の自分の事を思うと、彼らには同情相憐れむの念を禁じることができない 彼らは朝鮮人として外国に留学する初めての人達であり こちらもまた外国人を留学生として迎えることで 実に奇遇というしかない (『福沢諭吉伝』岩波書店)
さて ソウルに戻った李東仁は 次回で
−−−−−−★−−−−−− 日ノ本人初のハーバード大学入学/卒業生(明治七年) 井上良一 明治十年に東京大学法学部が設立されると日本人として唯一 教授に就任 福沢諭吉とも親交のあった井上 慶應義塾にも出入りしていた 慶応義塾大学の教職員クラブ「万来社」の名は、井上の発案によるもの
いま ハーバード大学 日ノ本人留学生 260人 アノ人のせいで ハーバード大留学生 他大学に転籍しないと 米国での滞在資格を失うことになる アノ人 福沢諭吉の爪の垢煎じて飲むといい
2025/06/13(金)  |
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