■同朋衆{どうほうしゅう}
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茶室といえば “一般教養” 安土桃山時代 だが 茶室空間 いつごろできあがったか 正確なところはわからない 博学のひと 松岡氏が云うから そうであろう 鎌倉 平安まで 遡るのか それはともかく
【松岡 → 茶の湯の発達につれて登場してきたことははっきりしているが、 まだ空間的な変遷の細部はあきらかになっていない。 が、この茶室空間が興味深いのは、そこに数々の道具立てとともに、 作法のようなものが付着し(茶礼)、そこに従来にはまったくなかった 「もてなし/しつらい/ふるまい」の完成がしくまれていったというこである。 これを仕上げたのは、室町将軍のかたわらにいた同朋衆たちだった。 とくに有名なのが足利義政時代を前後した 能阿弥 芸阿弥 相阿弥の“三阿弥”である。】
<三阿弥> 能阿弥{のうあみ}/芸阿弥{げいあみ}/相阿弥{そうあみ}の父子三代の称 代々唐物の鑑識・管理や座敷飾りの指導などを職としたが 水墨画家としても著名である 能阿弥 「白衣観音図」 芸阿弥 「観瀑図」 相阿弥 「山水図襖絵」
彼らは もともと将軍の身辺をめぐる雑役に従事していた者たちだが、 その中には絵師/工芸師/庭師/能/狂言師など 特技を持った芸能人の一団であった 将軍の近侍として仕える同朋衆と呼ばれる者たちも 独自のサークルを作っていた 彼らにはこの時代の芸能をリードする者が多く 能楽の観阿弥、世阿弥父子や 連歌師の頓阿弥/琳阿弥/庭師の善阿弥などがあらわれた
【松岡 →同朋衆はともともは道具立てのための目利きの役目をもっていた者たちであるが、すぐさまスペース」・デザインのいっさいを取り仕切っていった。 床の間のデザインから作庭のデザインまで、かれらがもたらした才能は、今日の日本の美の多くの原型をつくっている。のみならず、かれらは絵師としても茶の宗匠としてもすこぶる有能だった。同朋衆は日本の最初のアートディレクターなのである。】
覚悟と作分 まだ 出てこない 次回へ
2024/09/13(金) |
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