■桜=聖樹
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【刀と日本人・続 第六話 最終回 刀に寄せる五味康祐の悲願 美しい日本の姿を刀剣に見る――汚穢から清明美への回復 小川和佑】
剣豪小説巨篇『柳生稚児帖』を材に 五味 刀に寄せる想いを語る 『柳生稚児帖』の筋書きは省く
五味 藤原師定{もろさだ}という刀匠を登場させ 五味の刀剣観を語る
【刀の斬れ味もさることながら、 その姿、鎬{しのぎ}の厚味、刃文洗練された美しさと、 品格を尚{とうと}ぶべきものである。 真の名刀とは、おのずから凛冽{りんれつ}の気品を発し、 人に敬虔{けいけん}の念を抱かせるものでなければならない。 しかるに武士は、近年とみに鋩子{ぼうし}(切先)の延びを競った、 いかにも仰々しい精気を感じさせるものを銘刀と看做{みなす}。 おのが腕の未熟を棚に上げ斬れ味ばかりを要求する。 大方の刀工は、そんな武士の要求に応えることのみに汲々として、 二つの胴、四つの胴のと囚人のための試し切りに 粗雑で品下がった刀を鍛えてきた。 囚人を斬れば刀が穢れることも考えもしない そういう粗雑な精神が、つまりは今の世相の混乱を招いたのである。 (「妖気」の一節】
五味康祐 囚人を斬ることによって 刀が穢れるということを 師定に語らせる 【古代から日本人はなによりも清明美を志向の倫理としてきた。 その清明美を桜に見た日本人は桜を聖樹として、天平時代には桜を植え 「家桜{いえざくら}」とし、結界{けっかい}を作った。悪霊、物怪を立ち入らせぬ淨域を定めるためである。】 日本刀は清明美を保たねばならないと
近代に至っても この聖樹としての桜観は脈々として受け継がれている 明治五年 全国に小学校が開設されると その校門 校庭に桜が植樹された 児童たちの学ぶ学校を 桜を結界として 悪霊 物怪を立ち入らせぬ淨域化したのである
−−−−−−★−−−−−− 師定が云う「粗雑で品下がった刀」とは 「勤王刀{きんのうとう」 勤皇志士が好んで作らせた
日本刀の歴史を見れば 「勤王刀」邪道であること明白 昨今の「保守」諸君 歴史を よ〜く 振り返ってみなされ 「保守」とは
2026/01/11(日)  |
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