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いかに死ぬか


昨夜 田中光四郎氏{うじ}
短歌集『あるがままに なすがままに』
出版祝ひの宴

短歌=みじかうた
和歌の一體
五・七・五・七・七

和歌と俳句の違ひ
歌語{かご}
和歌詠むときだけに用ゐられる言葉 蛙→かはづ
俳言{はいご}
和歌 連歌などには用ゐない俗語

そんなこと云つてたら
いまの世 和歌も俳句も詠めぬ

「あるがままに なすがままに」
好い題名である
同席の編集者に あなたか と尋ねる
云へ 田中先生ご自身です

競技空手 死とは無縁
己 銃口の前 立てるか
空手家 アフガンへ
「いかに死ぬか」
あるがままに なすがままに
辭世の句 詠んできたのだらう
2021/12/10(金) 晴れ


遲咲き二刀流


高校 弓道部 一年生
的前 脇で
「當たり!」「外れ!」
ばかり 云はせられイヤになり
半年で退部 で 冩眞部へ

父 若いころから
カメラ好き
戰前の歐州のカメラ
ドイツの蛇腹式などあつた

カメラ 買はなくていいかと
冩眞部へ

シャッター切つて 
わかつた
時間 切り取るのだ

「菜の花や月は東に日は西に」
「五月雨や大河を前に家二軒」
蕪村 シャッター切つた

國寶 蕪村筆「紙本淡彩十宜圖」
蕪村 畫家でもあつた

畫は七歳から 
生家 庄屋
俳句は二十歳から 
師 芭蕉の孫弟子
師 沒したあと
畫を宿代の代はり
僧の姿で東北を巡る
芭蕉『おくの細道』行脚に憧れて

蕪村 俳句 四十過ぎて花開く
蕪村 遲咲き二刀流
2021/12/09(木) 晴れ


繰り返し 反復 リフレイン


眞珠灣大東亞の夢の跡

上・中句 違へば
十人十色の句

臨時ニュースを申し上げます 臨時ニュースを申し上げます
大本營陸海軍部 十二月八日午前六時發表
帝國陸海軍は 本八日未明 西太平洋に於て
アメリカ イギリス軍と戰鬪状態に入れり
帝國陸海軍は 本八日未明 西太平洋に於て
アメリカ イギリス軍と戰鬪状態に入れり

繰り返し 反復 リフレイン
「笛ふきて夏終はらしむ笛ふきて」 金子兜太 
「鰯雲ひろがりひろがり傷いたむ」 石田波郷
「親一人子一人螢光りけり」 久保田萬太郎
五七五 季語 無視 自由律俳句 
種田山頭火
「しぐるるやしぐるる山へ歩み入る」 

War 戰爭 
繰り返し 反復 リフレイン
2021/12/08(水) 雨


芥川龍之介 辭世の句


「感情」がAI分析できるなら
俳句もAI批評してみるか
傘張り浪人 駄句 傑作だつたりして(呵々)

芥川龍之介
漱石に『鼻』を絶賛され 作家デビュー
その漱石に俳句 送る

「春の月常磐木に水際仄なる」
常磐木は常緑樹
仄は ものぼの 水際がうすうす かすかに 見える

龍之介 命盡きるまで
五百六十句ほどつくつてゐる
本も出してゐる 
『澄江堂句集{ちようかうどうくしう}』

龍之介 『河童』で
「古池や河童飛びこむ水の音」
龍之介 『續芭蕉記』
「彼(芭蕉)は實に日本の生んだ三百年前の大山師だつた」
パラドックスの大賛辭
龍之介 作家は山師だと云ひたいのか

「水洟や鼻の先だけ暮れ殘る」
この句 龍之介の辭世の句とされるが
詠まれたのは大正十年頃の作

死の前
この句の前書 「自嘲」としたので
辭世の句とされる

龍之介 なぜこの句を選んだのか
水涕を垂らした自畫像を云ふのではない
水洟<や> とし ここで切る
鼻に飛ぶ
「鼻の先だけ暮れ殘る」
「鼻の先」とは
アノ傑作『鼻』
龍之介 『鼻』ではじまり『鼻』で終はりたかつた

全國調査 七割「コロナ後も着用を續けたい」
「マスク姿だと二割増しで美人に見える」
「外して幻滅されたくない」
「外で素顏をさらす勇氣がない」
「「顏を覆つて自己防衞 コンプレックスや自信のなさをカバー」
そんな若いモン
『鼻』讀んでみなされ
2021/12/07(火) 曇り


漱石と子規の差


「柿食へば 鐘がなりけり 建長寺」
に對して
「柿食へば 鐘がなるなる 法隆寺」
名刹ゆゑの名句となるのではなかつた

<鐘がなりけり>
<鐘がなるなる>
この上下には
深くて大きい差があるのだ

詠歎と斷定
漱石
「けり」 鳴つてゐるに氣づいた
子規
「なり」 鐘が鳴り渡る

「なる」「なり」とつづくことで
同音反復的な趣が生まれ
反復が秋空に鐘が鳴り渡る
餘韻を齎す

正岡子規 盜作でなく
俳句とはかうなんだと
英語は漱石にはかなはないが 
俳句は俺が上だと
推敲したのだ

俳句は十七字
説明 感情めいた文字は餘計
ゆゑに
動詞・助詞・助動詞の連携がカギとなる

<なりけり> 凡人
<なるなり> 才能あり
2021/12/06(月) 曇り


武道通信かわら版 配信


忙中閑あり 武士と俳句
大石内蔵助の【かるみ】

孫の顔紫煙たちつつ旭立つ
傘張り浪人 駄句
2021/12/05(日) 晴れ


本能寺兵どもが……


夏目漱石 辭世の句 殘してゐない
最期の言葉 「ここに水をかけてくれ」
病牀で胸をはだけながら
『明暗』執筆中だつた

漱石 詠んだ句
「柿食へば 鐘がなりけり 建長寺{けんちようじ}」
子規の盜作でない
子規が盜作した

子規 日清戰爭從軍記者
歸國途中 船中で吐血 松山へ歸郷
漱石 折しも松山赴任してゐた
子規  漱石の下宿へ
漱石 詠んだ句 机の上に
「柿食へば 鐘がなりけり 建長寺{けんちようじ}」
子規 閃いた 建長寺より法隆寺だ
「柿食へば 鐘がなるなり 法隆寺」
名刹ゆゑの名句となる

子規 奈良法隆寺 行つてない
けちよんけちよんに貶す 芭蕉と同じ

俳句は省略の文學である
ゆゑに 十人十色の受け取りができてこそ
俳句はおもしろい
某言語學者 曰く

ゆゑに 中・下句 同じでも上句一つで
十人十色の句となるのか

「本能寺兵どもが夢の跡」
2021/12/04(土) 晴れ


刀と俳句 相性が惡い


「水際對策」
英語 Border measures
支那語 邊境措施{ビンジントーシー)
 
水際 一番多いの日ノ本だらう 地形的に
「水際」 この語彙 多く使はれるの日ノ本だらう
日ノ本 水際だらけ
水際危機感 鈍くなるのはその所為か

さう 刀ふっちゃった俳句だ

「枯野行く熊坂の太刀下がりけり」
「鬼切太刀の刄文月明に立つ」
「笈{おい}も太刀も五月にかざれ帋幟{かみのぼり}」
「暑き日の刀にかかる扇かな」
「旅せよと親はかざらじ太刀兜(たちかぶと)」
オワリ
見つかつたの これだけ

下から三つ
芭蕉
武勇の譽れ高い武藏坊辨慶が使つたと云ふ笈も
義經の太刀も
紙幟のやうに端午の節句として飾ればよいのではないだらうか
『おくのほそ道』「佐藤庄司舊蹟」で詠む
源義經に從軍して討死した佐藤繼信・忠信兄弟を忍ぶ

下から二つ
蕪村
炎夏の日 戰陣の武將は太刀を扇に持ち替へ
その扇一つで戰場のしきを執るのだ
祇園會の武者行列で詠む


一茶
旅をしなさいと親が飾つたはずはない
端午の節句の太刀や兜
端午の節句のふるさとを想ふ

夏目漱石が友正岡子規へ送つた句
太刀佩て戀する雛ぞむつかしき 
これも節句

血塊がこびりついた刀と俳句 
相性が惡いらしい
2021/12/03(金) 晴れ


刀ふつちやつた俳句


喜多條忠 命盡きる
拙者より一つ下
「神田川」作詞
<二人で行つた横丁の風呂屋>

三鷹 四疉半一間の下宿から
横丁の風呂屋へ行つた 二人で
いまの ばあさんと

上村一夫 「同棲時代」青林堂ガロ
引越しの際 捨てたのだろ

<戰後>は遠くなりにけり
<戰國>は遠くなりにけり
芭蕉→蕪村→一茶
遠くなりにけり の順で
俳風もかはる

さう
『猫ふんぢやつた俳句』 模して
≪刀ふつちやつた俳句≫
探してみるか
2021/12/02(木) 晴れ


蕪村と一茶


四十年も前になるか
若造 二年間 世界 貧乏旅行
『何でも見てやろう』
俺にも できるかも
行く前に
『地球の歩き方』賣れに賣れる

江戸の世 享保元年ごろ
五街道 整備される
『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)刊行
賣れに賣れる
天保になると
『東海道五十三次』『道中案内記』(歌川廣重)刊行
賣れに賣れる

元祿の世に戻して
『おくの細道』 刊行されると
俳諧師 旅に出ないと俳人でないとなる

俳諧師 
歌枕 なんでも詠んでやらう 
吾も吾もと<おくの細道>へ

俳諧師 皆 旅姿は僧形
僧形であれば修行と看做され喜捨を受けた
かつ旅の身を守ることとなる

懐工合もさまざまだ

與謝蕪村
「春の海 終日のたり のたりかな」

一方 小林一茶
「通して給へ蚊繩の如き僧一人」
東海道の某關所で詠んでゐる
乞食坊主の恰好だつた

蕪村も一茶も
<おくの細道>旅してゐた

蕪村にとつて
一茶にとつて
芭蕉とは 蕉風とは
2021/12/01(水) 晴れ


發句の獨立宣言


芭蕉の蕉とよく似た字
蕪{かぶ}
原産地 地中海沿岸から西アジア
世界に廣く分布する

いま世界に廣く分布中
南アフリカ原産のコロナ臭{しう}株

蕪 季語は冬
芭蕉 京で千枚漬け 食べただらうか
京の蕪は聖護院かぶに代表される

芭蕉 京都から江戸の曾良へ手紙
「上方で≪かるみ≫好評を博してゐる」

蕉風開眼とされる≪かるみ≫
芭蕉 
「高く心を悟りて俗に歸す」との一言だけ

力を拔いて ふつと息吐くやうに詠む
その方が深慮老熟の境地から發せられる
和歌傳統の≪風雅≫から≪かるみ≫へ
五七五 發句の獨立宣言

旅に病で夢は枯野をかけめぐる
連句を拒否
日ノ本流 [近代]の萌芽
2021/11/30(火) 晴れ


イマジネーション


俳句 疎い人でも知つてゐる
ひとつ
夏草や兵どもが夢の跡
も ひとつ
閑さや岩にしみ入る蝉の聲

『おくの細道』「平泉」原文 現代譯
【藤原清衡・基衡・秀衡と續いた奧州藤原氏三代の榮光も
邯鄲一炊の夢の故事のやうにはかなく消え
南大門の跡はここからすぐ一里の距離にある
秀衡の館の跡は田野となり その名殘すら無い
ただ秀衡が山頂に金の鶏を埋めて平泉の守りとしたと云ふ
金鶏山だけが形を殘してゐる
まづ義經の館のあつた高臺(高舘)に登ると
眼下に北上川が一望される
南部地方から流れる大河である。
それにしてもまあ
義經の忠臣たちがこの高舘にこもつた
その巧名も一時のことで今は草むらとなつてゐるのだ
國は滅びて跡形もなくなり
山河だけが昔のままの姿で流れてゐる
繁榮してゐた都の名殘もなく
春の草が青々と繁つてゐる
杜甫の『春望』を思ひ出し感慨にふけつた
笠を脱ぎ地面に敷いて、時の過ぎるのを忘れて涙を落とした】

この記述の後に この句が續く
夏草や兵どもが夢の跡

曾良の『旅日記』によると
五月十三日 一關⇔平泉を往復
平泉 見物二時間程度 當然車ではない徒歩
秀衡の館の跡で感慨無量となり
そんな時間的餘裕あつたらうか

義經の館でも 時の過ぎるのを忘れ感慨無量
高舘 登つてはいまい

見えないものを見る でなく
歴史物語からの
芭蕉のイマジネーション

もうひとつ
【山形藩の領内に立石寺と云ふ山寺がある
慈覺大師の開基で特別景色がよく靜かな場所だ 
一度は見ておくべきだ 人々がかうすすめるので尾花澤から引き返した
その間、七里ばかりである まだ日暮れまでは時間がある
ふもとの宿坊に泊まる手はずを整へて山上の堂にのぼる
多くの岩が重なりあつて山となつたやうな形で
松や柏など常緑の古木がしげり、土や岩は滑らかに苔むしてゐる
岩の上に建つどの寺院も扉を閉ぢて 物音がまつたく聞こえない
崖から崖へ、岩から岩へ渡り歩き、佛閣に參拜する。
景色は美しく、ひつそり靜まり却つてゐる。心がどこまでも澄み渡つた】
この句が續く
閑さや岩にしみ入る蝉の聲

現地では 閑さや石に<しみつく>蝉の聲
推敲 <しみ込む>
また推敲 <しみ入る>

蝉 鳴いてゐなかつた
見えないものを見る 
芭蕉のイマジネーション
2021/11/29(月) 晴れ


猫の句 犬の句


村松友視さん
俳句 疎い人 自ら詠むことはない
だが猫好き 愛猫アブサン
猫好きが高じて猫の俳句だけ集めた
『猫ふんじゃった俳句』

芭蕉 その一つ
猫の戀やむとき閨(ねや)の朧月(おぼろづき)
蕪村 その一つ
巡礼の宿とる軒や猫の戀
一茶 その一つ
猫の子のちよいとをさへる落葉かな

猫好きと犬好き 性格判斷よくある
幼兒體驗の好し惡しであらう

生家 雌猫がゐた 三毛猫だから「ミケ」
美人だと評判だつた
目覺め 布團が重い ミケが上で寢てゐる
一番遲くまで寢てゐる奴 ミケ 知つてゐる

隣家 雄犬がゐた 「ジョン」
ゴザの上で よくふたりでターザンごつこする
おれ ターザン
おまへ ライオン
犬語は話せたが 猫語は話せなかつた

芭蕉
行く雲や犬の逃げ尿村時雨
蕪村
御火たきや犬も中々そぞろ顏
一茶
春風や犬の寢そべるわたし舟

芭蕉 蕪村 一茶
犬と猫 どちらが好きだつたか
想像すれば
蕪村 犬
一茶 猫
芭蕉 うむ…… わからない
 
さう 『おくのほそ道』の二句 忘れてゐた
2021/11/28(日) 晴れ


猫も杓子も


『おくのほそ道』の二句
その前に
版元井筒屋
『おくのほそ道』 初版何部刷つたか
編集子 氣になるところ

俳諧師 自作や一門の作を一册にまとめる
大方 一〇〇册ほど 多いものでも三〇〇册

井筒屋の『おくのほそ道』
肉筆の筆つきをそのまま活かす木版刷りだつたらう
芭蕉のスポンサー 大店屋や地方の豪農
さて 何部刷つたか 
史書にはない

『おくのほそ道』刊行の十九年前 
井原西鶴 『好色一代男』からはじまり 
たてつづけに『好色一代女』『日本永代藏』
ベストセラーだつたに違ひない 何千部か

しかし 俳諧書 總點數での部數は拔群のはづ
俳諧書總數なら井原西鶴も 近松門左衞門も曲亭馬琴 十返舎一九
齒が立つまい
だつて 江戸の世
俳諧から 五七五の發句だけの俳句となり
猫も杓子も 俳句 詠んでゐた

さう 芭蕉も蕪村も一茶も 
「猫」詠んでゐた

餘談:
元祿以降 木版刷り 大はやり
江戸の世の瓦版(ニュース) 大はやり
あやふやなニュースソースで
讀む者にわかりやすいストーリーに仕上げる
あつ コレ いまの世も同じか
2021/11/27(土) 晴れたり曇ったり


推敲


推敲の筆休めし金魚賣り
芭蕉ではない
傘張り浪人 駄句
原稿は打つ 筆使はない
いまどき金魚賣りいない
コレ 想像 フクション
蕉風 眞似てみた

『おくのほそ道』 脱稿してから
決定稿になるまで五年間
芭蕉 推敲に推敲を重ねた
四百詰め原稿用紙にすれば三十枚ほど
實際には三〇〇枚以上の控へ帖と句

芭蕉の企み その一
句と文章を一つにした旅行案内記
五代綱吉の世 旅行案内書 ブームとなる

古歌に詠まれた諸國の名所(歌枕)を
新たに俳句に詠まれる名所とする
とんでもない旅行案内記をつくろうとしてゐた

芭蕉の企み その二
風景を詠みつつ故人を偲ぶ新古今的な技法を使ひ
敬愛しる歌聖 古典の幽玄をすべて
この一作に注入しとうとする

芭蕉の企み その三
仙臺藩密偵の旅をカモフラージュ
「風狂の旅」に昇華させた
先の大戰のさ中 曾良の『旅日記』發見される
『おくのほそ道』 隱密の旅と判明
芭蕉 忍者・隱密説はココから 
だが芭蕉 隱密の任務 コレが唯一の旅だつた

版元井筒屋 芭蕉隱密 薄々知つてゐた
刊行 芭蕉 命盡きた年から八年後
計算ずく

俳句 疎い者でも知つてゐる
『おくのほそ道』の二句
2021/11/26(金) 晴れ


『おくのほそ道』刊行


木曾路旅 二度行つた
二度とも檜笠 買つた
夏の日除けに持つてこい
小雨降る日 自轉車乘るのに持つてこい

「木曾路はすべて山の中である」
見事な散文である
山の中だけで暮らしてきた者の心情も傳はる
『夜明け前』の豫感

尾張から木曾路を經て
西行の
「くまもなき月の光をながむればまづ姨捨の山ぞ戀しき」
マネ 更科の姨捨山の月見をし
「俤{おもかげ}や姥ひとり泣月の友」
亡き母を偲ぶ

江戸に歸つた芭蕉
杉山三風{さんぷう}から
そろそろ日光東照宮補修工事がはじまるやうだと聞く
三風 幕府御用達の日本橋小田原町の魚問屋
市中諜報活動も幕府御用達

江戸の俳諧師
芭蕉一門 三風 曾良{そら}路通{ろつふ}宗波{さうは)
の後ろ 江戸城があること知つてゐた
云はぬが花

日光東照宮 三代家光の造營から五十年
その間 地震 洪水の濁流 出火で本宮喪失
ボロボロ オンボロロ
普及のメドたたず

五代綱吉 修復工事 伊達家に命じようとしてゐた
芭蕉庵の芭蕉 幕府御用達の仕事
仙台から送られてくる米を見張ること
江戸庶民のほとんどの米は仙台からの米
芭蕉庵 江戸深川伊達藩藏屋敷に近い小名木川口
これも幕府御用達の弟子たちの配慮

日光東照宮修復工事 仙臺藩 表向きはOKしたが
藩内にくすぶる幕府への謀叛の動き
幕府 ピリピリしてゐた
これが「奧の細道」の目的

「奧」とは みち の おく 「みちのく」のこと
「みちのく」とは伊達家の仙臺領のこと

芭蕉 命盡きた年から八年後
『おくのほそ道』刊行 元祿十五年

赤穗浪士の討ち入りに驚く幕臣たち
『おくのほそ道』を手にして
芭蕉 訪れた地 わかつた
さうか 芭蕉 密偵だつたのか

*打ちおわり たまには推敲でもしてみるかと
置いておいたら その日 UPし忘れ
一日 空いた
2021/11/25(木) 晴れ


蕉風{しようふう}


新嘗祭 季語である
初冬 冬の行事
籾すりの新嘗祭を知らぬかな
正岡子規

三島由紀夫 五十一囘目の命日も近い

十四歳のとき金閣寺炎上を目撃した
金閣寺の徒弟僧 八十五歳で命盡きる
三島由紀夫 四十五歳で命盡きる

芭蕉 四十五歳で「おくの細道」の旅に出る

「夏草や兵どもが夢の跡」
平泉 五月十三日 新暦六月末
夏の陽射しで繁る草のイメージではない

平泉の心象風景
「兵どもが夢の跡」 
の中・下句が先にでき
「夏草や」はあとから
夢の跡には夏草がよく似合ふ
これも芭蕉の心象風景

「荒海や佐渡に横たふ天の川」
同行した弟子曾良「旅日記」には
この夜は雨が降つてゐた

「古池や」と同じ芭蕉のフィクション
蛙 水に飛び込んでも 音はしない
スルつと水の中に入つていく
「水の音」
芭蕉のフィクション

見えてないものを見る
コレ 蕉風
2021/11/23(火) 晴れ


芭蕉の葉


放浪家と稱された立松和平 本名・横松和夫
プロレスラー木村健吾 本名・木村聖裔{せいえい}
二人をリングに立たせた
「挌鬪技通信」だつたらう

立松和平 ボクシング好き ジム通ひ
木村健吾 對キックのためボクシング練習中
と聞く
二人のスパーリング 記憶の一滴にもない

取材後 横松和夫と喫茶店で談じた
放浪癖 よくわからない

芭蕉 よくわかっていた

『葉隱』題名の由來
西行
「葉隱れに散りとどまれる花のみぞ しのびし人に逢ふ心地する」
からだとの説もある
常朝も田代陣基も 西行への敬愛の念あるとの前提

芭蕉を嫌ひなフリしてゐる正岡子規も
「西行庵 花も櫻も なかりけり」
西行を敬愛してゐる

芭蕉の好きな句
西行
「風吹けば あだに破れゆく 芭蕉葉の あればと身をも 頼むべきかは」
風が吹くと破れてしまふ芭蕉の葉のやうにはかなひ身を
生きてゐる者が頼みすることができるだろか
芭蕉の葉は はかなく破れやすいものの譬へ

深川の庵に植ゑられた芭蕉の葉
芭蕉の葉見つめながら 西行を想ふ

西行は號 本名 佐藤義清{のりきよ}
鳥羽上皇の親衞隊 北面の武士

天皇家の内亂(保元の役)を豫期した義清
出家 西行となる
出家とて俗事を離れることはできない

西行 旅にでる 「歌枕の旅」
奧州藤原氏の動向視察旅
金色堂建てたり その威 奧州と云へ侮れない

芭蕉
わが身を西行に置き換へる
俳號 芭蕉とする
2021/11/22(月) 雨


ペンネーム


そのむかし 赤川次郎に
分厚いステーキ 食はせた
藤波辰巳冩眞集 制作の折のこと
いきさつの記憶 あいまいだ
序文か何か書いてもらふことになつた
「プロレス」が週刊になつたころか

打ち合はせの折 紹介者
赤川次郎 肉しか食はない
ステーキをご馳走してくれとの由
赤川次郎 ステーキ食べてゐるワンカット
記憶の一滴にある

そのむかし 
「野生時代」讀んでゐた
角川書店から 創刊 三十歳前だつた
表紙アートディレクター:石岡瑛子
ジャンルを問はない執筆陣 
いま風に云へばエンターテイメント文藝誌

B5版 デカくて 分厚く重く 
通勤電車 立つて讀むのはしんどかつた 
♪あのとき ぼくは若かつた〜
赤川次郎『夜』 
「野生時代」で讀んでゐた

赤川次郎 本名である
殆どの作家 ペンネーム
芭蕉もペンネーム
蕪村も一茶も子規もペンネーム
俳號

「芭蕉」俳號の由來
みな 知るところ
江戸深川の庵に植ゑた芭蕉の木
弟子ら この庵を「芭蕉庵」と呼ぶやうになる
戲れに自らを「芭蕉」と號するやうなる

嘘ではないが
戲れに號にしたのではない
本名 宗房 
「芭蕉」でなくてはならなかつた
わけがあつた
2021/11/21(日) 晴れ


武道通信かわら版 配信


ゆふべ 部分月蝕

<月蝕 月が地球の影に入ることによつて>
むかし 先生 言つてゐたが いまだわからぬ
どうでもうよい
滿喫した

ゆふべの まぐろの刺身
うまかつた
2021/11/20(土) 晴れ


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Colorful Diary Falcon World