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言葉にできない 躰と心がある


メール 屆く
噛み碎いて よく理解するのに
疲れるから
一日おきにしてくれ

この<日記>のことだ

讀みたい御仁だけ 讀めばよい
そのつもりで綴つてゐる

<日記>
ここ半年前ほどから
箱館戰爭
西南戰爭
織田信長
そして宮本武藏と
綴っている

死を悟つた はけではないが
いままで知りえた 
これらを
見つめなおそふと したはけだ

武士の記憶の遺傳子
二重らせん階段
下へ下へ 降りて行かうとしたのだ


武藏
身體だけが理解できたことを
無理に
言葉に置き換へようとする

真似て
心だけが知つてゐるが
言語にできいこと 
無理に言語にする

メールの御忠告
そのせいか

あま 心の隅にでも入れておかう
2021/06/07(月) 晴れ


靈巖洞 岩戸觀音


平均壽命一〇〇歳時代 なんやかや
さりとて六〇歳 還暦ピリオド 健在

武藏 六〇歳  
死を悟つて
ピリオド 打つたのが
『五輪書』

【ときに寛永二十年十月上旬のころ
九州肥後の地 岩戸山にのぼり
天を拜し 觀音を禮し 佛前にむかひ
生國播磨の武士
新免武藏守藤原の玄信 歳つもつて六十】

靈巖禪寺の奧の院
靈巖洞{れいがんどう}
天然の洞窟 岩戸
洞窟内 岩戸觀音
觀音さんに
僞りのない旨を記すと誓ふ

靈巖寺禪寺 堂内に戻り
『五輪書』書く
地ノ卷 序文 書く
『五輪書』冒頭 
『五輪書』序文に當たる

【あらゆることに師匠はない
すべて自から悟り得たものである
いまこの書を書くに當たつても
佛教や儒道の古い言葉も借りず
軍記 軍法の故事をも用ゐない
二刀一流の考へやまこと{實)の心を書き表すに就いて
天道と觀世音をかがみ(鑑)として】

天道 かんながらのみち
觀世音 佛ではない 
佛さん 彼岸にある
觀音(菩薩)さん 佛の悟る前 
佛ではない 
佛になることを敢へて拒んで
衆生の求めに応じて種々に姿を變へ
人々の近くにゐる

石の姿に變へた觀音
信長も武藏も 好きだつた
2021/06/06(日) 晴れ


武道通信かわら版 配信


宮本武藏『兵法三十五箇條』に模して
杉山頴男『編集法三十五箇條』
「その一 時代の精神のやうなものと挌鬪し 時代を讀み解く」

幕末と云ふ時代
駿河人の嫌はれ者
徳川慶喜 どう讀んだか
と云ふハナシ
2021/06/05(土) 曇り


島原ノ亂


武藏 五十路も半ば
島原の亂 息子伊織と共に出陣
伊織 二十六歳
小笠原藩 侍大將 惣軍奉行も兼ねる
兵馬の餌 武器彈藥の輸送補給

島原ノ亂の働きで
千五百石加増
オヤジ武藏
ご襃美貰へる働きなかつた

小笠原家代々の歴史書
中津藩出陣名簿
「旗本一番」
「上下十九人 宮本武藏」
初陣だつた藩主の本陣に配され
十九人を率ゐ護衞

原城 落城直後
武藏 延岡藩藩主に手紙送る
藩主から書状も貰つた返禮
せがれ伊織の功績が綴られてゐたからだ
「せがれ伊織 お役に立て」
喜んでゐる
武藏 ありきたりな親

「延岡藩藩主父子が
敵本丸まで早々に達したことに驚いた」と
倅を襃めて貰つた返禮か

この武藏の書状
軍功の證據となることから保管されてゐた

この書状 一行にかうある
「拙者も石にあたり
ずねたちかね申故 
御目見にも祗候{しかう}仕{つかまつ}らず候」

すねに一揆勢の投石の一つが當たつたのだ
だからご機嫌伺ひに行けないと

混戰の前線に出たのだらう
先の出陣名簿の中
「討死」「使番手負」とあるが
武藏の名 無い
輕傷だつたのだ

武藏 あと一人  
息子(養子)いる
宮本三木之助 
本多忠刻の小姓
忠刻 病死
三木之助 初七日
忠刻墓前で切腹

武藏の時代
殿樣の身近で仕へる者たち 近習
殉死 珍しくなかつた

戰場{いくさば}でない
疉の上の武士道
2021/06/04(金) 雨


大阪夏の陣


はや 水無月
道端のあぢさゐ 
日本原種
西洋種
色とりどり

武藏の世 六月 夏
大阪夏の陣
武藏 出陣

徳川方大和口 總大將水野勝成 
嫡男勝重 騎馬武者名簿
「宮本武藏」有り
勝重警備役 要は旗本

「兵法の知者なり」
旗指物{はたさしもの} 背負つて
武藏 目玉動かさず
左手 手綱
右手 刀 振り囘し
馬 視野 戰友にし
奮戰

折惡く
「よき覺」(兜武者)
出會はなかつたが 
雜兵相手に奮戰
譜代の藩
武藏 一目置く

水野藩 知行倍増 大和郡六萬石へ
出陣した名もない牢人ら 仕官する
水野藩から誘ひあつたらう
武藏 斷る

「兵法の知者なり」旗指物
掲げるのだから
いまさら家臣として從ふ氣なかつた

武藏 三十路も半ば

武藏
兵法{ひょうほう} 兵法{へいほう}
無意識に使ひ分けてゐる

辭書的に云へば
ひようほう→良き兵士として戰ふ方法
へいほう→兵士を扱ふ方法

『兵法三十五箇條』→ひょうほう
『五輪書』→ひょうほう へいほう 混同
行間 讀み解くしかない
<吾 大名になれる資質あり>
通奏低音 流れてゐる
2021/06/03(木) 晴れ


目の玉 動かすな


『五輪書』 水{すい}ノ卷
【兵法の目附けのこと
觀{かん}・見{けん}
二つの目附け方あり】
のあと
【目の玉を動かすことなく
兩脇を見ることも大切である】

朝 目を覺ます
目玉 右→左 斜め上→斜め下
してから クルクル囘す
目の準備體操のつもり

武藏 
そんなことやるな と云ふ

正面を見つめた儘
左右上下
周邊にも注意を拂ふ

弱いホモサピエンス
さうして生き延びてきた

目玉を動かす その一瞬
ホモサピエンス 天敵に襲はれる

新しい腦を持つことのなかつた馬 
進化の過程で
三五〇度の視野を持つことで
生き延びてきた

ホモサピエンス
新しい腦 大腦皮質持つことで
餘計なこと いろいろ考へるから
三五〇度の視野を持つことできなかつた

騎馬武者
馬 戰友だとするのは
コレである
2021/06/02(水) 晴れ


色即是空


宮本武藏
一、己の世評の評價 氣になつてしやうがない
一、周圍のムードに合はせるのが苦手
一、泣き言 弱音 絶對云はないやうにする
一、つい無理しても頑張つてしまふ
一、ヤバイと思つて逃げ出したいが我慢する

武藏
<適応障碍>になりやすい五つの性格
全部 持ち合はせてゐる
が 適応障碍 ならなかつた
武藏 含めて 古の人
適応障碍 ならなかつた

いまどきの人
テレビ スマホ畫像に映る 
人・モノ
人・モノと思ひ込んでゐる
實體でも ないのに

モノをみる とは
見る 聞く 嗅ぐ 觸れる 

武藏 沒後
武藏を「空の人」にしたかつた
『兵法三十五箇條』末尾 空を加筆し
『五輪書』末尾 空を加筆した

「空の人」にしたかつた御仁
「色即是空 空即是色」
あらゆるモノ 空である 實體はない
あらゆるモノ 常に變化し
一瞬たりとも同じモノでない
不安や苦しみなど實體はない

さう 讀み違へた
さう 讀み違へ
武藏を聖人にしたかつた

モノがある それを私は見る
これが「色{しき}」
モノゴトには もう一つの觀かたがある
それが「空{くう}」

私がモノを見る と云ふ體驗こそが
眞の實在 「空」

「色即是空」 色すなはち空
でない
「色」 即 「空」
「空」の觀かた
その體驗は一瞬
かぎりなく ゼロに近い
禪で云ふ「前後裁斷」
既成價値判斷 まつたく入らない
アッと感じるもの

『五輪書』 水{すい}ノ卷
【兵法の目附けのこと
觀{かん}・見{けん}
二つの目附け方あり】

武藏 「色即是空」
ちやんとわかつてゐた
モノゴトには
二つの みかたがある
2021/06/01(火) 晴れ


兵法三十五箇条


一 軍人は忠節を盡すを本分とすへし……
一 軍人は禮儀を正くすへし……
一 軍人は武勇を尚ふへし……
一 軍人は信義を重んすへし……
一 軍人は質素を旨とすへし……
『軍人敕諭』
八十年前 
少年たち 前文だけなら誰も諳誦できた

武藏
スポンサー細川忠利に 病牀から勸められ書いた
『兵法三十五箇條』
【兵法一刀の一流
數年鍛錬つかまつる處
今初めて筆紙にのせ申す事
前後不足の言のみ申し分け難く候へ共
常々覺えつかまつり候兵法の太刀筋
心得以下 存じ出づるにまかせて
おほかた書き顯し候者也】

柳生新陰流 免許皆傳 忠利には  
なぜ二刀持つのか 
まづこれを云つて置かねばならぬと
第一箇條 この道を二刀と名附ける事

二年前 門下生に授けた
『兵法書附』
これと同文あり
これをベースに
己の流儀 
柳生新陰流から見て どう見えるか
柳生新陰流と どう違ふか
念頭に入れ 書いた

【此道二刀として太刀を二ツ持ツ儀 ……】
つまり こう云ふのだ
二刀は太刀を片手で使ふのに慣れるため
實戰場面の例をあまた舉げ
劍術が道場に於るだけでなく
また一人に對するものでもなく
いかなる實戰シーンでも仕へる術でなくてはならない

<實戰シーンでも仕へる術でなくてはならない>
劍術 道場だけでやるもんぢやない
劍術 精神修業でない
活人劍 シャラクサイ 
武藏 本音 云ひたかつたのでは

山尾家の藏から出た冩本を活版しにした
顯彰會本の「兵法三十五箇條」
自筆とされてゐるが
この元本 現在 行方不明
また 宮本武藏『遺墨集』も自筆とされてゐるが
書跡は異なる

それは問題ではない

奧附
「なほ御不審の處は 口上にて申あぐべき也」
忠利に實際の技を示し
具體的に説明することを前提としてゐる

じかに技を見せられない
後世のために書き遺す五輪書の書き方とは違ふ
より高度で微妙な技の心得も記してゐる
それでいい

談餘
『兵法三十五箇条』
中身 三十六箇ある
一箇 餘分
誰か たぶん線香臭ひ御仁
「空」が好きな御仁
つけ足した
2021/05/31(月) 晴れ


自然免疫力


わがまち
コロナウイルス・ワクチン接種 
豫約開始
七十五歳以上 
五月二十三日から
一週間 經つた

「拙者 ワクチンはいらない
自然免疫力があるから」
武藏なら 斯う云ふに決まつてる
武藏
己の身體能力 よく承知してゐる

誰が描いたか あの 武藏肖像畫
あの細身の太刀 どれであらう
武藏の愛刀
無銘金重{かなしげ}
大和國往國宗{やまとこくじゆうくにむね}
和泉守藤原兼重{いづみのかみふじわらかねしげ}
了戒{りようかい}

長さから云へば
了戒
鍔 海鼠{なまこ}透か どうかわからぬ
いや よく見ると違ふ
畫家 鍔など どうでのよかつたか 適當に描いたか

二刀 落とし指{さし}
帶はせず 腰紐らしきもの
本身が鞘に收まつてゐたら 重さで落ちつかないであらう
繪描きの注文で 咄嗟にポーズしたのだ

了戒 刀身85.4p
からすると 武藏身長 185〜6p

長身である リーチ長い
柄まで入れて120p
身を乘り出し 片手で振つたら
2メートル四方 近づけぬ
一對多數戰 眼一杯 片手で振り囘しただらう

吉岡一門との決鬪
洛外 下松{さがりまつ}の決鬪
武藏 片手で振り囘しただらう
いや 二刀使つてゐたやも

吉岡一門が殘した『吉岡傳』
【無敵流の武藏 吉岡憲法直綱と戰つて引き分け
再試合を逃げ出す】
アレ 下松の決鬪 無い

養子が書いた『小倉碑文』
一對一で二度 勝ち
多勢對一でも勝つた

どちらかが嘘 ついてゐる
いや 兩方が嘘 ついてゐる
それは問題ではない

武藏 己の
身體能力 よく承知してゐる
暗默知{あんもくち}よく承知してゐる
刀は身體能力の手助けだけ

ワクチン 自然免疫の手助けだけ
最終的に勝ちを決めるのは
自然免疫力
2021/05/30(日) 晴れ


暗默知{あんもくち}


新撰組 
新選組
近藤勇 土方歳三
あるときは新撰組
あるときは新選組
と書いてゐた
撰も選も セン
大して氣にしてない

十手術
當初は實手術
十手と書かれても
大して氣にしてない

實手
折りたたみ式 
懐 帶に隱し持つてゐた
忍者 考案
常理流 繪卷に殘されてゐる
それが大型になり
新免無二 使つたのか わからぬ

それは問題ではない
武器を工夫したと云ふことだ
大工が道具を工夫するやうに

無雙流 二刀劍法 繪卷 殘されてゐる
當世 古流劍技を復古する
天然理心流 皆傳書
賊軍の汚名から逃れるため燒却
藏から發見されたわづかな文言から
かうではなかつたかと 復古する

どこまでできるか
身體で得た 會得したもの
復古すること

自轉車のこぎ方 
言葉で どう傳へる
どう書いて傳へる
直觀的・身體的・技能的な智識
暗默知{あんもくち}
子供 何度も轉んで 會得する

もう 人は斬れぬ
眞劍勝負はできぬ
から 型がつくられた
2021/05/29(土) 晴れ


講釋師 見てきたやうな嘘をつき


先にハショつた 
『沼田家日記』
巖流島ノ決鬪の顛末

【怒つた岩流門下の追撃から武藏 遁走
沼田延元に保護を願ふ
延元は武藏を城内に保護した後
鐵砲隊で警護し
豐後國に居住する無二のところまで送つた】

新免無二
十手術 使つた
無二の十手
江戸の世
八丁堀 岡つ引きの十手ではない

鉤{かぎ}が十字に延びた
かなり大きなものだつたのではないか
兩手で扱つたのでないか
はたまた 二本を兩手で扱つたのか

武藏 畫が巧いのだから
スケッチしておいてくれよ

一、
武藏の二刀流
無二の十手術から
二、
武藏の養父 無二に非ず
三、
武藏 根つから百姓の子
諸説ある

講釋師
一番 面白い説 選ぶ

講釋師 
時代の精神みたいなものと挌鬪し
時代を讀み解き
喝采を浴びる 講釋をする
見てきたやうに フィクションする

カンテレ(關西テレビ放送)
「大豆田とわ子と三人の元夫」
講釋師(脚本家)
時代の精神みたいなものと挌鬪し
時代を讀み解かうとしてゐる

武藏
あの時代 何と挌鬪してゐたのだらう
武藏
戰國の世 終焉の時代の精神と挌鬪し
時代を讀み解けたか

ちなみに
講釋師 見てきたやうな嘘をつき
コレ 講釋師の辯
2021/05/28(金) 晴れ


秀吉が<宮本武蔵>をつくつた


宮本武藏の天性 
磨がいた よき指導者 
誰であつたであらう

「小倉碑文」 
武藏の父
新免無二 十手術の兵法家
室町幕府將軍・足利義昭に召され
將軍家師範で扶桑第一兵術者の號を持つ吉岡某と
三本試合
一本目
吉岡某 勝ち
二本目 三本目
無二 勝利
將軍から
「日ノ下無雙兵法術者」號を賜る
武藏の父
將軍 お墨附きの日本一

武藏のY染色體 
實父 よくわからない
それは問題ではない
なぜ 養子に出されたか

武藏のY染色體  
生家 田原家 赤松一族
織田軍 羽柴秀吉に敗れる
田原家 體{てい}のよい地侍
要は百姓になる

養父 新免家 
同じ赤松一族
唯一 織田勢に加擔 宇喜多配下
武士として生き殘る

豐臣秀吉 天正十六年
刀狩り 兵農分離

武藏 生家に戻れば 百姓身分
親族 武藏を武士にしたかつた
で 新免家 養子へ

想定すれば 武藏 五、六歳
面構へ 身體能力 
竝々ならぬものがあつたのだらう
で 十手術の兵法家の下へ

刀狩り
多くの“宮本武藏”を生んだことだらう
2021/05/27(木) 晴れ


アッと驚く『沼田家日記』


その昔
どのTV局も見向きもしなかつた
實業團サッカー中繼
テレビ東京 
セッセと 實況中繼してゐた

Jリーグ 興きて
おいしいところ 多局に全部 もつていかれる

テレビ東京
近年 精彩を放つ

[間合]を掴んだのだらう
狙ふ視聽者と[拍子]を合はせたのだらう

いままでの アラサーものと一味違ふ
「ソロ活女子のススメ」
「生きるとか死ぬとか父親とか」

宮本武藏の[間合][拍子]
いづれのちほど

さう きのふの日記のハナシだ
細川藩・門司城代 沼田延元の日記
『沼田家日記』
【そのころ小次郎と申す者
岩流の兵法やつてゐて】

≪試合の發端 
武藏も豐前で 二刀兵法の師やつてゐてた

雙方の弟子
うちの兵法の方が強ひ
では 師同士で試合をしよう となる

場所 豐前と長門の間の「ひく島」
舟島がひく島となる

雙方 弟子は一人もいかないと決める
試合結果 
小次郎 打ち殺される

小次郎方 約束どほり弟子 一人もゐなかつた
武藏側 弟子たち數名 隱れてゐた

その後 小次郎 蘇生した が
武藏の弟子たち 打ち殺した≫
そのあとの状況 省く

『沼田家日記』公開される
宮本武藏ファン 時代劇ファン
驚いたの なんの

<(武藏)細川家客分に その一年前 行方知らず>
武藏 岩流門弟からの報復に逃げ囘つた
との臆測も ここから

『沼田家日記』 延元 直筆はない
あくまで末裔が編纂 
細川藩への忖度も 風説も聞いてゐたらう

佐々木小次郎 
出生地 年齢も實證できない
あくまで諸説

そんなこと問題ではない

小次郎 武藏と勝負し 敗れた
それでよい

談餘
小學六年生からスケボー はじめ
十八歳で世界チャンピオン
天性と よき指導者がゐれば有り得る
小次郎も
さうであつたのだらう
2021/05/26(水) 晴れ


巖流島ノ決鬪


映畫 よく觀たなあ〜

宮本武藏:三船敏郎
佐々木小次郎:鶴田浩二
はたまた
宮本武藏:萬屋錦之介   
佐々木小次郎:高倉健

大河ドラマ 武藏 あつたな
巖流島ノ決鬪
覺えてゐないな

細川忠利の父 
あの 細川忠興{ただおき}
忠興が劍術指南役にしたのが
佐々木小次郎
忠利が劍術指南役にしたのが
宮本武藏

武藝の縁
男女の縁と同じ
異なもの味なもの

巖流島ノ決鬪
『五輪書』 
一言もない
あれほど有名な勝負 
[間合] [拍子]
書いてほしかつた

巖流島ノ決鬪
初出は
小倉碑文{こくらひぶん}
【小倉に兵術の達人 岩流と名乘る者がゐた
武藏 試合申し込む
岩流 「眞劍でやろう」
武藏 「貴殿は眞劍 拙者は木刄」
長門と豐前 接する境目 舟島で兩者 相對する
岩流 三尺の眞劍
武藏 木刄 一撃で殺す
電光もなほ遲いと思はれる早業
そこで 俗に舟島 改め巖流島と云ふ】

佐々木小次郎の名 ない 
岩流と のみ

『二天記』 
小次郎の名 出てくる
岩流{がんりう}小次郎 越前生まれ   
小太刀流儀の富田勢源 弟子となる
小太刀嫌つて 大太刀使ふ
腕を上げ 富田門下 敵う者無し
一流を立て「岩流」と稱した
諸國遍歴 豐前小倉にて細川忠興の食客となる

慶長十七年 武藏 小倉に來る 二十九歳
ちなみに 小次郎 十八歳
父 新免無二の門人宅へ
武藏 「岩流と手合はせしたい」と
忠興の元へ話が 忠興 ОK

向島 舟島とも云ふ
長門と豐前の境
小倉からも 下ノ關らからも海上 一里

前日 御觸れ
勝負の応援も 觀戰も禁止する

が 武藏 その夜 行方不明
ここからはテレビ・映畫でご存じであらう

舟島 
藩と藩の境界線 つまり 
排他的経済水域
微妙な海域

武藏 勝つたのだから 武藏島でよいのでは
いや 佐々木小次郎を弔つたのだ
いや 武藏 ヒールで
小次郎 ベビーフェイスだつた

そんな史書 いや日記 現れる

巖流島ノ決鬪 つづく

むかし あつたな
アントニオ豬木VSマサ齋藤
巖流島ノ決鬪 あつたな
報道陣 上陸禁止

週プロ 上空から撮影
請求書 上がつてきて 經理部おつたまげた
二代目編輯長 山口県出身
思ひ入れ あつたらう
初代編輯長もやつていただらうなあ
巖流島 やつぱ 思ひ入れがある
2021/05/25(火) 晴れ


柳生新陰流


天気晴朗で 土、日
UP 失念

「枯木鳴鵙図」 二点ある
一点は武蔵 
もう一点 武蔵でない
はたまた二点とも 
武蔵 描いてないか

それは問題ではない

武蔵 
武芸家にしては 画 巧かった
それは確かだ
あの愛嬌のある「正面達磨図」
武蔵が描いた
それでいい

加藤家改易後 肥後国熊本藩主
細川忠利{ただとし}
武蔵 <御客分>とする

忠利 剣術大好き大名
柳生宗矩に師事 優等生
あの「兵法家伝書」相伝

『二天記』 こうある
【武蔵が客分になるまでは柳生新陰流 盛んであった
忠利 柳生流師範と武蔵 立ち合わせる
木刀で三本勝負 武蔵 勝つ
今度は忠利 武蔵と立ち会う 武蔵 勝つ
忠利 感嘆し 二天一流を学ぶ】

あの柳生新陰流より 
二天一流 強い
『二天記』 それ 云いたかった

『二天記』 書いた人 
熊本藩細川家 筆頭家老
二天一流兵法師範
著者の祖父も二天一流師範
祖父 武蔵の晩年の弟子ら
武蔵を語ったこと
覚書 残していた

武蔵に敗けた 細川家柳生流師範
云う
【武蔵が江戸にいたとき
二人の柳生家の者 武蔵と勝負
二人とも敗けた】

武蔵 江戸へ行ったとの実証はない
そんな事 問題ない
武蔵は強かった

武蔵の弟子たち
武蔵の言葉尻から
柳生新陰流・柳生宗矩への
嫉妬的対抗意識
感じていたのだろう

ゆえに
二天一流 柳生新陰流より強い
後世に残そうとした
武蔵
島原の乱 出陣
その二年後
細川家 客分に
その一年前 
行方知らず
2021/05/24(月) 晴れ


小倉碑文から吉川・宮本武藏まで


あの武藏肖像畫
誰が描いたのか
不明 
筆使ひから○○派の流れを汲む とだけ

武藏の死 看取つた
寺尾求馬助{もとめのすけ}
某畫家に 武藏の姿見を語り 描かせたのか
寺尾家に傳はつたものとだけある

宮本武藏物語 ネタ本
『五輪書』ほか
武藏自筆本 現存するもの
『五輪書』 二年前の
『兵法二十五箇條』
武藏 死 七日前の
『獨行道{どつかうどう}』

ネタ本 その二
「小倉碑文{こくらひぶん}」
養子・宮本伊織{いおり}
武藏沒後 九年後建てた 
身贔屓あり
何パーセントか引いておかねばならぬ

武藏沒後 七〇年後
『本朝武藝小傳{ほんちようぶげいしようでん}』
武藏の弟子の弟子からの聞書き

武藏沒後 八十四年後  
『丹治峰均筆記{たんじほうきんひつ}』
武藏の初期の決鬪シーン

武藏沒後 一三〇年後 
最大ボリュームの『二天記』 
吉川英治『宮本武藏』のネタ本に

吉川『宮本武藏』 ベストセラー

軍学者
『五輪書』が戰前、正しく讀解されてゐたら
大東亞戰爭のあのやうな敗戰もなかつたであらう
傘貼り浪人
『信長公記』戰前、正しく讀解されてゐたら
大東亞戰爭のあのやうな敗戰もなかつたであらう
2021/05/21(金) 降ったりやんだり


武道通信かわら版 配信


「忙中閑あり」
天下泰平 二百餘年つづいても武士が腐らなかつたはけ
それは劍術の理と云ふハナシ
2021/05/20(木) 曇り


百人百様


『五輪書』 正しく讀むために
劍技のモデルが必要
軍學者から依頼

聲かけた
佐山聰 田中光四郎 鎖帷子劍士
快く承諾

撮影終了後 宴 兼ね
『五輪書』談義
モデル諸氏
解釋で侃侃諤諤

軍學者 「まゑがき」にかう記す
「各氏の五輪書の解釋は
本書の兵頭の解釋とは一致してをりません
冩眞のポーズは あくまで兵頭の振り附に
從つていただきました」

『五輪書』の解釋
武藏 死後
侃侃諤諤だつたらう
生前の愛弟子
どう會得していただらうか

武藏贔屓の藩主 沒し
武藏 沒し
二天一流 熊本で影薄くなる
一番弟子 武藏遺像 小倉に建てる
一番弟子の その一番弟子 熊本去る
それは問題でない
二天一流
武藏 一代限り
武藏しか使へない

それでも いまの世でも
『五輪書』解釋本 數多ある
『五輪書』 世界で飜譯されてゐる
あと百年たつても 解釋本 刊行されてゐるだらう
不思議な書である
2021/05/19(水) 晴れ


五輪書{ごりんのしよ}


織田信長 本能寺で斃れた
その年 天正十年 
宮本武藏 生まれる
との説

武藏自身 
生まれた年 書いて 殘してない
武藏沒  九年後
養子が建てた 武藏の顯彰碑
生年 享年 書いてない
生年
天正十年説 /天正十二年説
決着つかず

生地も
美作・説/播磨・説 決着つかず

過ぎる年
軍學者に かう問うた
宮本武藏 書いてみませんか
版元へ賣り込みます

『宮本武藏の戰鬪マニュアル
 精解 五輪書』
2005年刊 新紀元社

若き日の軍學者 齋藤 浩
初對面
「名刺がわりに」と手渡せれた小册子
≪『五輪書』にあらはれた日本語的軍事理性を見直す≫

『精解 五輪書』
「あとがき」
【『五輪書』が戦前、正しく読解されていたら
大東亜戦争のあのような敗戦もなかったであろう】
2021/05/18(火) 降ったりやんだり


是非に及ばす


天正十年六月二日 未明
太田牛一 本能寺に居なかつた

小姓衆二〇〜三〇人ほど
あとは信長に附き添ふ女房衆(女中)十人ほどか

厩から出て明智勢を防いだ
五人 討死
仲間の二十四 厩で討死

御殿で討死した小姓衆
森三兄弟ほか二十九人

「女はくるしからず 急ぎ罷り出でよ」
仰せられ 追ひ出させられ
生き殘つたのは女房衆だけ

牛一 後日 女房衆から取材
某女房 耳にした
信長
「如何なる者の企てぞ」
森成利(蘭丸)
「明智が者と見え申し候」
信長 
「是非に及ばず」
云ひ放ち
信長 弓矢 薙刀で応戰する

槍ではない薙刀
信長 肩の傷 矢でなく鐵砲
牛一 あとで訂正する
傳本に殘る

『信長公記』 文脈からして
明智だらうと誰であらうと關係ない 戰へ!
信長 謀叛おこす者 
光秀よりほか よぎつた者 一、二 いたらう

安土城 火附け人 誰だ
『秀吉事記』 秀吉に忖度し
安土城を占領した光秀の娘婿 秀滿
小瀬甫庵 それを丸冩し
秀滿でない

ハ見寺 燒けず 殘る
「盆山」 行方不明
だれかが 持ち去つた

住職 堯照か
秀滿 坂本城へ持ち歸つたか

いま どこかにある筈だ
信長云ふ
「是非に及ばず」

「盆山」自身
いまの日ノ本
どこに 置かれたいか
誰に 祀つてもらひたいか
聽いてみたいものだ
「オーイ 盆山」

これにて
『信長公記』編
筆を擱{お}く
2021/05/17(月) 薄曇り


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