■武士道DNA
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【葦津珍彦{あしづうづひこ}の民族主義と武士道 武の源は民族の心 葦津珍彦<今様、北畠親房{ ちかふさ}の「武士道―戦闘者の精神」>に学ぶ ――時代の潮流に流され、徒に偉大なるものに服従することを欲しない者は、 おのれの本心を見定め、英知と勇気をもって、本心のままに進退せよ。 おのれの本心が民族の心と一致するとき、武士道はそこに生まれる。 稲葉 稔(明治神宮武道場「至誠館」館長 】
【稲葉 → 葦津は日本精神の言論人としても、その言論に責任を持った。 昭和五十二年の経団連事件でヤルタ・ポツダム体制打倒を唱え、その一翼を担う経団連の本部を急襲した野村秋介被告に対する弁護のため出廷したのは、自らがヤルタ・ポツダム体制打破を主張したからでもあった。 また、もしもその言論が不適切と判断すれば、修正撤回し誤解のないように処置した。そのこちから察すれば、葦津が現に生きて思考力を失わなかった平成四年六月の死の直前まで、日本武士道は脈々と生きつづけてきたということができよう。】
稲葉氏 葦津珍彦 死すとも 武士道DNAなるものあると信じておられるようだ
原稿依頼の際 「至誠館」へ伺う 以後 弓道場で弓を引かせてもらった記憶 稲葉氏の あの温厚さは 武士道DNAなるものあると 信じておられるのではないか
2025/03/15(土)  |
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