■スサビの心
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松岡正剛氏の項も これが最後だ
【松岡 → 茶の湯は遊芸のひとつである。芸術とはいわない。 遊芸は遊びであるが、日本で遊びというのはなかなか深い。 そもそも「スサビ」が「遊び」であった。
スサビ⇒荒び ルーツはスサノオにまでさかのぼる スサノウの「スサ」 スサビの「スサ」からきている 風が吹きすさび その景色に心が動くこと それがスサビの起源 これが遊びの発祥
スサビの心を持つことを 遊びの本懐としたからだ 誰が 紫式部 清少納言 藤原道長ら 王朝の人々 「あわれ」とか「をかし」の感覚
スサビ=遊び 次第に和歌の流行とともに 「歌数寄」と呼ばれるようになる <数寄> 平安の世の<好き> 色好み 鎌倉の世になり 歌道の風流を意味する<数寄>になる 歌数寄を中心に日ノ本の遊芸のかたちができあがっていった このかたちは連歌に継承され さらに茶の湯に受け継がれた その遊芸にも覚悟と作分があった
松岡氏 最後は「武道の中の日本」のテーマに従い 収めてくれた
【松岡 → 遊芸に覚悟と作分があるように、武芸にも覚悟と作分がある。 武芸という言葉は遊芸よりも新しいが、そこに流れるものは変わらない。 遊芸が徹底を旨{むね}としたように、武芸もまた徹底を旨とした。
−−−−−−★−−−−−− 「茶の湯」が「茶道」に 「武芸」が「武道」に 徳川家康 非武装のため スサビの心を封じた結果
『SHOGUN』 家康モデルの<虎永>には スサビの心 あったか?
2024/09/17(火) |
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