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武道通信十七ノ巻
アフガンとサムライ 
田中光四郎 アフガンで生き残った者の使命

前田日明編集長対談 論客 徳田虎雄  
弱きを助け 悪しきを挫く ――前田さん、僕はね、このメジャーで政治改革、アフガンもすべてを計る


まずは対談のはじまり……

■前口上
 弊誌発行人が先の参議院選挙に自由連合から立候補した折、前田日明編集長は応援演説を買って出た。それが今巻論客との初めての出会いとなった。その豪放磊落さに魅了され、論客候補として、前田編集長は、この日を秘していたのだった。
 



前田日明編集長対談  ほんのさわり 
前田 15、16年前、徳田代表の書かれた『徳洲会の挑戦』を読んで徳田虎雄という名をはじめて知ったんです。初めてお会いしたのは、杉山さんの参議院選挙の決起集会でした。日本の「政治家、官僚大泥棒論」を聞かせていただき、大いに喝采したんです。自分もいろいろな政党から立候補の話はいただいたこともあって、杉山さんの応援演説をとおして自由連合という政党の面白さと同時に徳田代表に興味を持っていました。  10月に杉山さんがフィリピンへ神風特攻慰霊祭に出かけけると聞き、その慰霊祭ツアーの牽引役が徳田代表と聞き、ますます<わからん人だな>と思いまして(笑)、一度、論客として対決してみようと機会を伺っていたのです。

徳田 前田さん、僕はね、格闘技のことは詳しくないので、前田さんの輝かし戦歴はよく知らないのですが、初めて会いしたとき、たしかに強そうな人だなと関心しました(笑)。格闘技音痴でも武道精神には一言持っているつもりですよ(笑)。

前田 9月11日のテロを日本のカミカゼや真珠湾攻撃と同一視するアメリカの報道は、相変わらずですが、パレスチナのテロリストは命令されるのでなく、自分でかってに自爆していくんだそうです。

徳田 らは特攻隊以上に追い込まれいると思いますよ。家族、同胞がむちゃくちゃに殺されているのだから……。

前田 アフガンも多くの被戦闘員、民間人が殺されています。

徳田 いまのアフガン攻撃は崖っぷちに追い込まれた人を、崖っぷちに追い込まれていない人が作戦を立てている。これは大変な悲劇ですよ。日本は安易に追従してはいけません。正気になって弱い立場の人の身になってあげないと。テロはいけない――誰もそう思っています。でもね、そこまで追い込むことの方がもっと悪いと思いますね。強者が弱者を追い込むのだから。




二人が語り合ったテーマ

◆10月26日マバラカット慰霊祭―神風特攻隊
◆自分しかできないこと―関行男ホスピタル
◆強きが弱きを追い込む―アフガンの悲劇
◆弱き者を殺す国家テロ―指導者のモラル
◆今も昔も織田信長の楽市楽座―減税で景気回復
◆順番を間違ったパフォーマンス――小泉構造内閣




対談の前に、まず一読を。
<論客断言>徳田虎雄 「正義」を計るものさし(メジャー)
――――自由連合の党議拘束は、このものさし


<アフガンのサムライ難民救援活動奮戦記>
アフガンの地で生き残った者の使命

[付]手記・アフガン国境にて 9月25日〜10月11日
     
「いざ、死ねる時に死ねるか」――44歳の私は、この命題を自分に突きつけた。身辺の整理に半年かけ、翌年の昭和60年2月、アフガニスタンに骨を埋めるつもりで、アフガンゲリラといわれたムジャヒディン(聖なる戦士)の一兵士としてこの地の立った。17年経ったいまでも一瞬一瞬忘れることはできない。アフガン、パキスタンは私の第二の故郷であり、そして共に戦った戦友が眠る地である。
アフガンと我ら

◆虐げられる側は武器を取る
アラブの呻吟(しんぎん)に誰が耳を傾けているのか――木村三浩    
国際的「対米自立」ネットワークを構築する一水会代表、木村三浩氏は米軍のアフガン空爆の中、イラクへ飛んだ。虐げられる側の論理とは。

◆アフガン兵士はなぜ戦うのか 
イスラム精神とサムライ――S ・パリッシュ    
イスラム精神とサムライ精神の共通点をイラン生まれの武道医学学会代表が語る。

◆テロは一夜にして世界を変えうるか?
爆弾テロの史的考察――兵頭二十八    
テロに爆弾が使われたのはいつからか? 現代の軍学者が爆弾テロを歴史をひもとく。



■オイゲン・ヘリゲル講演

――ベルリン、昭和11年2月「日独協会」にて

「射」における武士的芸術


日本の弓道はオイゲン・ヘリゲル博士によってヨーロッパへ、世界へ伝えられた。東北帝国大学講師として来日し阿波研造師範の元で弓道を学び、東洋の精神の神髄を知り、そしてかつてヨーロッパにもあった武術の精神、騎士道精神が、東洋の国、日本の武道に連綿と継がれていることを知る。

――「幸い私の手元に、昭和11年、ベルリンで行われたヘリゲル博士の講演が紹介された『季刊・日本』がある。それで主に柴田治三郎氏の当初訳により、更に岩波文庫の改訳も参照させていただいて、私が気付いた点をわかりやすく書いてみることにした」――北島芳雄・著『射道―わが師のおしえの』より。


■マバラカット神風特攻慰霊祭
  昭和19年10月25日7時25分、神風特攻隊は飛び立った。その57年後のそのとき、フィピリン、マバラカット飛行場跡に「海行かば」が流れた。

我らに託された歴史の事実
――杉山頴男
 
 昭和19年10月21日、第一次神風特攻隊初出撃以来、2ヵ月半、400余の特攻機が出撃した。 昭和19年10月上旬の大本営海軍部の作戦会議で特攻作戦を意見具申したのが、その数日前、第一航空艦隊司令長官になった大西瀧治郎中将であった。

 大西第一航空艦隊司令長官はマニラの第一航空艦司令部に実働戦闘機30機を知り、特攻の実施を決意したとき、側近の小田参謀長にこう言った。
 「停戦の結果がどうなろうと、日本民族が滅びんとするとき、命を賭(と)けてこれを防いだ若者たちがいたという事実が歴史に残る限り、百年、千年のち日本民族は必ず再興するであろう」
 本土決戦を最後まで主張した大西瀧治郎中将は、昭和20年8月16日、午前2時、南平台の軍司令部舎で割腹自決した。苦しい中、介錯を拒み、最後に「これでいいんだ。部下達との約束が果たせる」と言った。

――以上は『神風特攻の記録』金子敏夫・著(光人社)から拾い、抜粋また要約した。

手持ちのカバンに入れて成田空港へ向かうリムジンバスの中、また機内で開いた。このトンネルと書かれた洞窟が、あの司令部跡だったのかと、その夜、ホテルで再び開いた。
 特攻の父と称せられている大西瀧治郎中将の「……という事実が歴史に残る限り……」――自分の中にどのようなかたちで残っているのかを確認しに、神風特別攻撃隊が初出撃したフィリピン共和国、ルソン島、マニラから北へ100キロのマバラカット飛行場跡に、“その日、その時間”に立ってみようと思ったのだ。



 つづくレギュラー陣の力作

◆刀と日本人・続〈第五話〉――小川和佑
東日本浪漫派作家・五味康祐 憂国に見る日本の心と刀
五味康祐の未完の傑作『柳生稚児帖』――武道の神髄と憂国を説く

◆日本の美意識――風柳祐生子
証――しるし    
日本人は「証」にこだわってきた人たちだ。往古は志留志とも書く。 甘えを排し、真実や美を立てるものが証(しょう)であった。(最終回)  

◆侍の作法と嗜――名和弓雄
侍と乗馬    
戦国時代、騎馬の戦闘はなかった。徒歩の足軽の槍に勝てなかったのだ。(最終回)

◆中学生でもわかる兵法――    兵頭二十八    
君は今、「大きな判断」をしているか? それとも「小さな判断」?
大事悪しくば、小事を善くするとも空し。小さな決定を間違っても、大きな決定が正しければ、恥を逃れ、失敗もカバーされる。しかし……

武道格闘技事典(十三 )編集部・構成    
[さ行]手刀受け →捨て稽古 まで



【床几】
テロリスト育成法――篠田大輔(大学院生)*アフガン難民救援活動で見たもの
葉隠論考――嘉村 孝(葉隠フォーラム主宰)
矛を止める勇気――廣木道心(躰体道連盟宗家)

無銘刀――杉山頴男
  国家テロが戦争ならば独りの軍隊となり、使苟正気奮匹夫敵萬軍――世界東端のサムライは、いかに戦うか、真の敵は誰か、自分の分の武器を取れ。