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 八ノ巻 平成11年12月刊      

前田日明編集長対談
 論客 坂井三郎

   日本人の戦争論は間違っている

坂井三郎、激白!
戦争と戦闘は違うのであって、戦争はその国の政治、経済、工業技術、そして国民の戦闘意識の高さの総合戦です。一方、戦闘は軍人と軍人の戦いです。お互いの国が戦争を選択したのであって、私たち軍人同士は戦闘部分を引き受けたのであります。決して戦争の責任者ではない。
先の戦争で軍人が勝手に始めて負けて帰ってきたなどと言われたんですが、とんでもないことで一番の被害者は我々です。
日本人は戦争に対する考え方がなってないです。
もう少し勉強してもらいたいと思いますね。


前田 
「新しい歴史教科書をつくる会」の運動や会長の西尾幹二さんの「国民の歴史」などの書が話題になり、自虐史観を見直す機運が高まる中、大東亜戦争戦争開戦は自存自衛の戦いで、やむを得ないものであり、その開戦時の責任者をいつまで責めていてもしょうがないという意見もかなり出てきています。

坂井 
そりゃよくないですね。私もよくこの問題は考えてみましたよ。
戦争はたしかに自存自衛が犯されると判断したのが第一の理由ですから開戦の大義は正しいとしても 日本人の戦争論には大きな間違いがあるんです。

特集 戦争論ってなんだ!己の戦う大義をもて 
「平和論のみ語ってきた”戦後”が二度目の敗戦を喫っしようとしている。
敵は皮肉にも自らの「戦争放棄]の謳歌だった。そのパラドックスが露呈したいま、戦争論を語ろう。
ただし先の大戦の無条件降伏の敗北を繰り返さないために、戦争論ってなんだ!からはじめよう。
日本が、日本人が死守しなければらないものは何か、それが見えくれば、おのずと戦う大義が見えて来る。

特集目次
◎武は自他の為に成●松井章圭
◎アメリカへの「報復」●福田和也
◎我が国独自の戦略を構想せよ●稲葉稔
◎人はなぜ競争(戦争)するのか●兵頭二十八
◎戦略的思考の欠除●佐久田 昌昭
◎戦争は特殊ではない●小池田忠/武道を志
す者へ●森良之祐/愛国心は偲ぶ恋●鈴木邦男
 武道家の戦争論
 武は自他の為に成す
松井章圭

 日清、日露の”武士” を忘れた大東亜戦争 ◆最悪の状況を想定して勝つ
大山総裁の思想原点は 「自分と他人は同じ」 ◆武道とスポーツの違い
 日本は負けてはならない」が日本人とは何かへの問いに ◆ナショナリズムの目覚め
大陸文化の終着点ゆえの 文化の独自性を生む日本 ◆天皇とは日本人の善、良心 
 この四つのテーマで、松井章圭が、初めて在日として自分の
生きざまと、武道と天皇について日本人論を語ります。
 
アメリカへの「報復」
福田 和也
今、最も注目されている若手・保守主義の論客が語る『戦争論』は
こんな書き出しで始まる。
 私は常々、私の最大の夢は、今一度
アメリカと戦争をして、打ち負かし、真珠湾に保存してあるミズリー号の甲板上で、
アメリカ大統領に降伏文書に調印させることだ、と公言している。
そういう話をすると、本気で怒りだすアメリカ贔屓の人もいて、
それはそれで楽しい限りなのだが、だいたい冗談ごととして受け取られてしまう。
 我が国独自の戦略を構想せよ 
稲葉 稔(明治神宮武道場「至誠館」館長)
五十余年、なお続く敗戦、占領の後遺症。真の武道とは何か?
自主独立の気概養成こそ、現代の武道修行者の使命ではないか!
と、武道家こそが真の独立運動の先陣に立てたねばと力説する。
そして、最後のこう結ぶ。
 かって、武道は、明治維新の志士たちの尊皇攘夷の運動にみられるように、
国家形成の柱となる精神気概を養うことを本務とし、思想し行動した。現代の武道が、
日本民族の真の文化伝統をなお有するとするならば、日本人としての正義を立てる
精神気概の養成に益するものでなくてはならない。
真の武道がよみがえるか否*いな*かは、現代における武道修行者の双肩にある。 
もし靖国の英霊を同志と感じ、戦友と呼べるほどの精神気概を養い得るならば、
真の武道と呼ぶことが出来るだろう。その時、迷走は止む


  
西尾幹二著「国民の歴史」を読む
前田日明・杉山頴男
国民の歴史から民族の歴史へ
 襟を正し読むべき民族の哀しみ、憤りの偽らざる心情の本である。
しかしアジアを切り捨て、欧米を断罪する先には孤立した日本がある。

杉山 
『国民の歴史』が仮死状態になった民族の魂に火を付け、揺さぶり目覚めさせると思いますね。またそれによって、新たな歴史観論議を呼ぶことは確かだと思います。

前田 
そうあるべきですよ。日本の歴史学者は、西尾さんが歴史学者ではないからと無視するとか、とおり一編の批評、批判で済ませるんでなく、徹底的に論議してもらいたい。我々一般好きも,それぞれのレベルでみんなで「試し合い」をやればいい。自分も自分なりに賛辞だけでなく、危惧を感じるところもあるし……。 

  襟を正し読むべき民族の哀しみ、憤りの偽らざる心情の本である。
しかしアジアを切り捨て、欧米を断罪する先には孤立した日本がある。
杉山 
『国民の歴史』が仮死状態になった民族の魂に火を付け、揺さぶり目覚めさせると思いますね。またそれによって、新たな歴史観論議を呼ぶことは確かだと思います。

前田 
そうあるべきですよ。日本の歴史学者は、西尾さんが歴史学者ではないからと無視するとか、とおり一編の批評、批判で済ませるんでなく、徹底的に論議してもらいたい。我々一般好きも,それぞれのレベルでみんなで「試し合い」をやればいい。自分も自分なりに賛辞だけでなく、危惧を感じるところもあるし……。 

  世に問う二題

  武術史の空白「砲術」盛衰記   齊藤 浩  
何十万と製造されたはずの戦国時代の火縄銃が無い。
そして「砲術書」も無い。
それは弾道性が良く素人でも百発百中だったからだ。
では、江戸時代の砲術家とは?
「砲術家」が成立したのは、徳川三 代将軍家光の頃らしい。
  幕末にただひとり高島流(西洋式) への切り換えを拒み、そのため現在ま で最多の伝書が残る「関流」砲術のテ キストも 寛永年間にまでしか遡るこ とができない。
 資料がなければ実物を調べればいい と思われるかも知れないが、「これぞ 間違いなく元亀〜天正の合戦で使われ た物」といえる火縄銃も無い。何万、 何十万と製造されたはずの鉄砲だが、 実用的兵器であるがゆえに原型のまま家宝として保存されることはなく、 使 えるものは張り立て直し等をされて元 の姿を留めず戦場の土にうずもれたものは錆びて痕跡もないのである。しかし初学者の私にもようやく分ってきたことがある。
昭和天皇の御製 梅香る力   小杉英了  
 社頭寒梅(昭和二十年)
 風さむき霜夜の月に世をいのる
 ひろまへきよく梅かをるなり
正直に言って、二十歳代の頃の私なら、この歌に反感こそ覚え、心の琴線(きんせん)を共鳴させることなどなかったろう。
人々はもはや戦う術(すべ)もなく、空襲に焼け出されているというのに、境内に匂う梅の香を歌える心境など、私には、想像の埒外(らちがい)であったからだ。
けれども、そのような私の感性もまた、戦後に生まれ育ったものの一典型だったのであり、その感性が、あらたまった価値観の中であらたに見出す真実もあれば、一方で、そのような感性ゆえに、見失ってしまう感情の水脈もあるのである。
まさにそのような水脈を、ずっと訪ねてきた桶谷氏は、この歌に添(そ)えて次のように述べる。

  ホームページ掲示板「思考の無銘刀」
其ノ一二つの「返答」の誤解と不快 佐々木 建
其ノ二 日本、日本人を守るべきものは何か?
前巻の小林よしのり氏側の「日本人・前田日明への返答」と、
それに対する編集部から発行人・杉山頴男の「返答」を読んでの
一読者の論を掲載。また、編集部からのテーマに対しての
読者の各論を掲載しました。
次巻九ノ巻論客・編集工学の達人
松岡正剛
連載 武道の中の日本は前巻に続き、明治キリスト者たちと武士道
知れれていないが、明治になり武士道を復活させたのは明治期の新渡戸稲造、内村鑑三らキリスト者だった。
これが意味するところに、真の武士道とは何であったかが見えてくる。
 
 
■好評連載
刀剣講話 刀剣道−刀の手入れの作法化   高山武士 
中学生でもわかる兵法「集団戦」のコツと「部隊」の作り方 兵頭二十八
神道とは何か 神主と審神者 鎌田東二 
 日本の美意識  無用者         風柳祐生子   
侍の作法と嗜 第三十二項 古老の昔噺・おもしろい流行 名和弓雄 
武道家のための日本武道医学(八)      S・パリッシュ  
現代版『聖中心道肥田式強健術』(六)    恩蔵良治     
日本伝柔術の世界(八)           小佐野 淳      
■床几
 真継美沙 「聖地」江田島     
  角田芳樹  健康の自衛」のすすめ   
門脇 弘 極真と武道精神    
森 直樹 日本語、失われゆくもの 
 無銘刀宣言   
不立文字という非言語哲学こそ東洋である。
   剣術もこれを身ごもり、武道へ昇華させ、
  西洋の個より強固な個性を発酵させた。
    日本独自の近代を拓いたのは武人であった。

       

【無銘刀】
私の郷里である西伊豆の根っ子の海辺に 千本松原と呼ばれる松林がある。その昔、 甲斐武田と小田原北条の戦(いくさ)いの際、木の陰 に敵が潜むと焼き払われた。 防風林を失っ た住民の難儀を見、僧が念仏を唱えながら 千本の苗木を植えたとの言い伝えがある。
 敗戦直前、軍が燃料に伐採しようとした が若山牧水が反対運動を起こしたという。 これは祖母から聞いたのではない。 が, 牧水の奥さんが片口(かたくち)を抱え、近所の酒屋 でよくツケで買に来ていたとは聞いた。   この戦の死者の遺骨が奉られている塚が 松林の入口にあって「お首さん」と呼ばれ 、我ら少年時は、海や松林で遊ぶときの待 ち合わせ場所であった。
 昭和の何年かに歴史学者が埋められた数 百の頭蓋骨を調べた。多くは二十前だっ たそうだ。甲冑に身に飾った若武者が光輝 く命を賭け、真剣勝負をしている光景を想 い描く。して、男子たるもの初陣で散るべ しと、叶わぬ羨望に酔う。  一方、今巻論客の坂井三郎さんの話を聴 きながら皇軍の将軍たちが弊害化した不立 文字の言葉を連呼し、多くの若い兵士達を 死に急がせた光景が浮かんだ。
 日本剣法の祖である上泉伊勢守の「懸待 一如(けんたいいちにょ)」は、東洋思想の不立文字での極意で あり、柳生新陰流へ引き継がれ武家社会の 権威として哲学、物理学に昇華された。脳 医学者の養老猛さんは日本の剣法の型は不立 文字という非言語哲学の「万有引力法則」 の発見だと云う。
 一方、同時代人である宮本武蔵も幾多の 真剣勝負の実体験を人生哲学へと昇華させ  た。だがそれだけでなく権威、家柄に無縁  の武蔵には当時にはない個性の発酵が見ら  れたと推察していた。
 奇しくも西尾幹二氏の『国民の歴史』で日本の近代は戦国時代 に萌芽があったとあ  り、我が意を得たりと喜んだ。宮本武蔵は  日本近代主義創世の達人でもあったなのかも知れない。(杉山頴男)